地下室の秘密 2
「では行ってきますね」
「………うん。上からも管理してるから、安心してていいよ」
そう手を振ってくれるノアは、いささかやつれてしまっている。
先程の遭難事件で頑張った後、不用意な発言でヒルドに叱られてしまったのだ。
何か余程重い罰を課せられたのか涙目になっているので、恐らくは一定期間ボールの運用が禁止されたのだろう。
そうして見送られ、ネア達はすぽんと地下に下り立った。
ディノに抱えられて着地したネアは、動きやすい乗馬服な装いにご機嫌である。
なぜか乗馬服を着るとディノが弱ってしまうのだが、今日はウィリアムからもあまり弾まないように注意喚起を受けていた。
たいへんに謎めいているので、ネアはみんなが倦厭する子供っぽい弾みの仕草の、窘められない大人仕様の確立を急ごうと思う。
「このお部屋を出て、真っ直ぐな廊下の先の大きな湖の絵の向こう側に階段があるそうです。階段入口の仕掛けと結界、地下二階までの結界の解除はダリルさんが行ってくれたようでして、地下二階は先程仰っていた岩山だったようですね」
「お前、その地下に光竜の卵の殻があったなら、更に地下にはもっと何かあるだろうと思ってるな」
「良いお宝を発見して、エーダリア様達の遭難に見合う成果を上げたいですね!使い魔さんの働きにも期待しております!」
「ウィリアム、君の系譜の気配はもう少し奥かい?」
「そのようですね。この薄さだと、罠だろうな………」
かつてネアとヒルドが落とされた部屋の外は、暗い廊下になっていた。
魔術の火で明かりを灯せばどこまでも続いているような広大さを感じるのだが、実際にはこの廊下そのものの長さはそこまでないらしい。
奥行きを持たせる鏡の魔術で、どこまでも続いているように巧みに全体の構造が隠されているのだ。
「上手い造りだな。左右の部屋が全て、嵌め殺しの窓に鉄格子となれば、この空間の目的を想像し易い。万が一表層に侵入されても、その奥を見せない造りなんだろう」
「それぞれの部屋の内装も凝っていますが、終焉の気配はありませんね。やはり、外観は目晦ましのようだ」
「では、このいかにも誰かを閉じ込めました的なお部屋は、使われていないのですね?」
「ああ、そうみたいだな。壁に誰かの文字を残してみたり、芸が細かいな」
ウィリアムにそう頷かれ、ネアは驚いて周囲を見回した。
いかにもなお部屋や、内装は小綺麗めの部屋など、そのどれもがこの奥の空間に意識を向けない為だけの外装だったということだ。
やがて、廊下の奥に目指していた絵が見えて来た。
「この絵のようだね。絵そのものが結界になっていて、奥の空間の気配や魔術に蓋をしているようだ。こちらも随分丁寧に併設された空間だよ」
「………よく、ダリルさん達は見付けましたね」
ウィームにある大きな湖の絵を描いた絵画は、重厚感のある金色の額縁に入れられ立派なものだった。
そこに、ダリルから聞いたという通りに、ディノが額縁の装飾の一部に手をかけて引っ張ってくれる。
すると、額縁の隙間にぱちりと魔術の光が走り、重たい錠が外れるような音がした後、絵がぱかりと扉のように開いた。
「凄いですね。秘密めいた入口過ぎてわくわくします」
「言っておくが、海には落ちるなよ?」
「鮫さんは怖いので、落ちません………」
実はちょっとだけ釣りなどしたら何かかかるかなと思っていたが、ネアは大人しくその野望については言及しなかった。
そして、まずはウィリアムが、そして続けてネアも、紐をつけられたまま大きな湖の絵の奥に入る。
紐がびぃんとなると嫌なので、ディノにも一緒に来て貰った。
「まぁ!階段の壁が綺麗な壁画になりましたね」
「明らかに先程までの空間とは違うね」
「この絵は………旧王朝時代だな」
絵の裏側には、短い階段があり、そこを抜けると中規模なホールがあった。
教会の大聖堂のドーム天井の下のような、屋根が高くてほっと一息つける空間だ。
しかし、リーエンベルクの地下にこれだけの空間がある筈もないので、恐らく併設された特殊な空間なのだろう。
「このあたりの装飾もなかなかのものだが、階段は………二か所か」
アルテアの言うように、地下に降りる階段は二つだ。
それぞれ床のモザイク模様が変化している部分を上手く踏むと、ぱかりと地下への扉が開くのだ。
「右側はすぐ下までしか続いてないようだよ。ゼベル達が踏み込んだ、海と森のある階層だ」
「………海と森があれば充分に広いのでは」
「あの様子じゃ、そっちはもういいだろう」
「奥の壁のあたりに、誰かが魔術干渉をした気配があるな。ノアベルトが開けたのはあのあたりか」
「ということは、ここに二日も………」
「地下まで進んでみて、こちらに戻ったのかもしれないね。なんにせよ、地下の二階はまだ誰も踏み込んでいないようだ」
そこでネア達は、時間の無駄を省き、ゼベル達のチームが行った右側の階段、そしてダリル達が立ち寄った左側階段の地下一階は素通りし、真っ直ぐにその下の階層に向かった。
先頭を行くアルテアが、途中何度か真っ白なステッキで地面や壁を素早く叩いているので、そのあたりには何か仕掛けがあったようだ。
ウィリアムも一度、ばしんと壁を手で叩いていたので、そこにも仕掛けがあったに違いない。
アルテアが素手なのかよと苦い呟きを漏らしていたということは、魔術ではなく物理排除だったのだろうか。
(不思議な階段だわ………)
地下からは、生温い魔術の風が上がってくる。
階段の両サイドの壁には見事なフレスコ画のようなものが施されており、彫刻は淡い水色の湖水水晶だ。
優美で華やかなそんな装飾に見とれてしまいそうになるが、アルテアの動きを見ていると、仕掛けの量も随分あるに違いない。
階段はそれ以上には続いておらず、この空間はその地下の二階に出る入口までのようだ。
下り切ったところに、アーチ形の門のようなものがあり、ウィリアムが小さく呻く。
「この門に、俺の系譜の仕掛けがあるみたいですね。………もしかして、俺自身のものかな」
「自分で回収しろよ」
「俺が与えたものではないですけどね。……そうなるとまぁ、グレアムがこの空間を作るのに手を貸したのなら、彼なら俺の系譜のものを入手も出来ますし、上手く扱えるでしょうから不思議はありませんが………」
今度はウィリアムが先頭に出て、アルテアが一歩下がる。
ネアは三つ編みを握ったままディノを見上げると、こてんと首を傾げた。
「その入り口は、困った感じなのですか?」
「終焉の気配に近しいものだね。ウィリアムの欠片を使って、その入り口をくぐる者の命を奪う仕掛けだろう」
「………限りなく物騒です。ウィリアムさんが怪我をしないといいのですが……」
「さすがに、自分の系譜の仕掛けで怪我なんぞしないだろうよ」
アルテアはそう言ったが、ウィリアムは少し悩んでいたようだ。
少し迷ってからこちらを見て微笑むと、どこからともなくすらりと抜いた剣を、ざくりとアーチに突き立てた。
バキンと音がして、淡く光るような艶のあった灰色半透明の石材のアーチは、途端に輝きを失ってただの石造りのアーチになってしまう。
「ほわ、何かが滅ぼされました」
「壊しておいた方が、安全だし早いからな」
「…………エーダリアあたりが見たら、落ち込んだだろうな」
「良かったね、ネア。これで安全に通れるようになったよ」
ネアは少しだけこの門の魔術か何かを設置した人に申し訳なく思いつつ、敷かれた魔術が滅びても何とも精緻で美しい意匠のアーチをくぐる。
内側にも素晴らしい草花の彫刻があり、大きく華やかな花ではなく可憐な草花をこの門に彫り上げた誰かの感性に、ネアは心がほんわりと和んだ。
中には恐ろしい終焉の魔術の仕掛けがあったようだが、アーチそのものは何だか素敵な造りだ。
「グレアムさんは、きっと優しい魔物さんだったのですね」
「この装飾を見てそう思うのかい?」
「ええ。優しくて素朴なものを大事に出来る方ですね」
ネアの言葉に、ディノはなぜか嬉しそうに目元を染めた。
そんな姿をちらりと見て、ウィリアムの唇の端が上がる。
ネアは、地面に落ちた蒲公英の彫刻があるアーチのかけらを拾ってディノに差し出してやると、ディノはそれを大切そうに手の中に収めた。
「………凄いところに出たな」
「…………何だここは………」
先陣を切ってその空間に入ったウィリアムが、その一言の後絶句している。
おやっと顔を上げてそちらを見ると、アルテアも呆然としているようだ。
ネアは何があるのだろうと、防壁代わりにしたアルテアの背中の横からぴょこんと顔を出した。
背中に張り付かれたアルテアも困惑しているようなのだが、何かそんなに凄いものが広がっているのだろうか。
「…………ほわ」
「…………すごいね」
そしてネアも、そんなネアと一緒に中を覗いたディノも、あまりにも思いがけない光景が広がっていることに瞠目する。
そこは、まるで広大な灰色の森のように見えた。
しかし、きっちりと空間の四辺は目視出来、その空間の仕切りとなる壁には、びっしりと棺を収めるような横穴が彫り込まれているので、まるでカタコンベのようなのだ。
「封印庫のような役割をする空間なのだろう。もしかしたら、上の階層にあった光竜の卵の殻は、その抑えの意味もあったのかもしれないね」
「そうなると、寧ろこっちがはずれくじか。騎士達が降りた階段の方が、居住区域を見込んであったのかもしれないな」
「みんな石でぞわりとします………」
広がっていたのは、石化した森だった。
ただし、全ての木がもれなく荒ぶっており、ネアが前に見たハシバミの木のようにもの凄い形相で荒れ狂っているその瞬間に、ぴしりと石にされてしまったようだ。
びっしりと並んだ横穴は、見上げる程に高くそしてどこまでも続いている。
石化した木々と同じように、石になってしまった何かが収められているようだが、布のようなものでぐるぐる巻きにされて術符の貼られた塊や、長方形の塊のようなものが大量に積み重なっているところもある。
あまりにも広い空間なので何とも言えないが、石化した荒ぶる森の中にある、地下墓所のようなところだと言えよう。
(そして、設置されているのは人間の遺体ではなくて、謎の長方形の物体や、瓶詰にされた粉のようなものだったりする………)
「私も気配だけは擬態をした方が良さそうだね。下手にこの場所にある品物を活性化させると、………危なくはないが厄介そうだ」
ディノのその言葉に、ネアは眉を顰めた。
ここまで石化しているとなると安全かと思ったが、そういえば先程、上の階層にあった光竜の卵の殻は封印のようなものだったのではと言っていた気がする。
であればもしや、封印の一部が手薄になってしまっているということなのだろうか。
「アルテア、あなたも不用意に擬態を解かないように」
「ウィリアム、お前は余計なものに触るなよ?お前の接触が一番まずいだろ」
「シルハーン、ネアを抱き上げていた方がいいかもしれませんね」
「そうしよう。ほら、おいで」
「ディノ、あの四角い物体の山積みは、まさかパンの魔物さんでは……」
「…………うん」
ネアは最初、石材か何かだと思っていたのだが、その隣の瓶に入ってきらきらしている粉が並んだ横穴を眺めていたら、隣の横穴の四角いものがパンの魔物だと気付いてしまった。
「あの、瓶の中のこなこなしたものは何でしょう?なぜか、とても惹かれるのですが……」
「欲しいものなら見てみようか」
そこで、アルテアとウィリアムと別行動になったのは、ある意味幸運なことだったのかもしれない。
ネアとディノは、石化した薔薇の茂みを迂回してそちらの壁に近付き、横穴一杯に積み上げられた石化したパンの魔物にしゅんとする。
「モスモスさんを見たあとですので、悲しい気持ちになってしまいます」
「増え過ぎてしまった時代があったのかもしれないね。ほら、下の方が少し色が濃くなっているだろう?祟りものになりかけていた証拠だ」
「そうなのですね。………丈夫な魔物さんですし、石にしてしまうしかなかったのかもしれませんね」
王様の目線で見ると悲しいかもしれないので、ネアはディノの頭をそっと撫でる。
目元を染めて恥らう魔物は、少しだけ口元をもぞもぞさせる。
「困ったご主人様だね。可愛いことばかりする……」
「同じ魔物さんが大量に石になっているので、悲しいのかなと思ったのです」
「どうなのかな………。あまり悲しいという感じはしないよ」
「ふむ。知らない魔物さんですしね」
「そうだね。………君が気になっていたのは、これだね。………妖精の粉のようだ」
「なぬ!これだけあれば、ふりかけ放題なのでは………」
「もう食べることは出来ないかな。ご覧、色が皆同じだろう?粉の状態だからわかり難いけれど、これも石になってしまっているようだ。望まない場所で自白剤や媚薬として使われていたり、封印せざるを得ない事情があったのだろうね。高位の妖精の粉は中毒性が高いから、これだけ量があると廃棄するのも危ないと感じたのだろう」
「…………ほわ。クリームチーズに、贅沢なくらいに沢山ふりかけて食べる野望が潰えました………」
がっかりしたネアは、その隣の横穴に入っている石化した花のようなものを見てみた。
アイリスに似た花だが、やはり根元の方に炎が立ち昇るような揺らめきも一緒に石化されているので、祟りものになるか、誰かを呪うかしたものなのだろう。
その下の段に入っているのは、術符を縛りつけた紙紐でぐるぐる巻きにされた大量の本だ。
全てが同じ本なので、この本に何か問題があったに違いないのだが、題名を見てみても特に問題のなさそうな物語本にしか見えなかった。
「これは、風刺本だね。誰か高位の者を怒らせたのかもしれない。呪いの気配がするから、決して触れてはいけないよ」
「風刺本も呪われてしまうのですか?」
「描かれた相手を怒らせた場合は、その本を読んだ者が呪われるようにされてしまう場合もある。この封印の仕方を見ると、なかなかに高位の誰かを怒らせたのだろう」
「その場合、発行元ですとか、作者さんは………」
「生きてはいないだろう。生きていても、こういう呪いは作り手を辿って集約される。あまりいい状態で生きることは出来ないだろうね」
更に視線を横にずらすと、謎に大量の靴下が石化して安置されている横穴があった。
こればかりは魔物もすっかり困惑してしまい、なぜ靴下が封印されたのかは分らないそうだ。
おまけに靴下は祟りものになりかけており、想像力の貧困なネア達には、なぜ靴下が祟るのかさっぱり想像出来なかった。
「この辺りは、王家が封印はしたものの破棄に至らなかったものや、ゆくゆくは何かに利用出来るだろうかと思ったものも保管されているのだろう」
「ラベルがあるものもありますし、記録という意味もあるのでしょうね」
「精霊二股事件…………」
ネアが指し示したラベルに、魔物は困惑の眼差しを深める。
棺のようなものの中身は植物のようなので、その精霊が荒ぶったのだろうと話していると、ネアはふと、非常に不安定な高いところに置かれた一つの箱に気付いた。
(…………何かしら?)
その箱はこちら側にある荒ぶったまま石化した木の枝の上にあり、そこからきらきら光る細い糸が垂れている。
しかし、その糸がどこかに触れているとか、下を歩く者に触れそうだというものでもない。
「ディノ、あの箱は何でしょう?」
「…………垂れているのは、因果の系譜の妖精の糸かな」
「因果の系譜には、妖精さんもいるのですか?」
「高位のものではないが、人間はよく関わる妖精だよ。よく森を傷付けた人間を罰する妖精の話が出るだろう?殆どはその系譜のものだ。人間で言うところの、騎士のようなものだね」
「ふむ。悪さをした人を懲らしめるという意味での因果なのですね」
そんなものがなぜそこにあるのか、ネアは不穏な予感に眉をぎりりと寄せる。
「…………と言うことはあれは」
「この場所を荒らす者達を…………、あちらは何をしてるのかな?」
きっとその時、ネアとディノは同じものを見ていたのだと思う。
とある石化した木の中でも小ぶりな木があり、アルテアとウィリアムはなぜか、その枝を魔術を使って何らかの処置をした後、ぽきんと折ろうとしていたのだ。
そして勿論、こちらの木の上に置かれた箱は機敏に対応した。
ふわりと垂れていた糸がぼうっと光ると、その途端に箱がぱかりと開いたのだ。
「お二人とも、気を付けて下さい!」
慌てて叫んだネアに、はっと顔を上げる二人の姿が見えた。
しかしその直後、ぼふんと白い煙が立ち上り、一気に視界が悪くなる。
「むぎゃ!」
「ネア、しっかり掴まっておいで」
「ふ、二人が…………」
ネアを抱えたまま、視界の悪い部屋の中を駆け抜けてくれたディノは、途中でぺらりと落ちてきた何かを空中で拾うと、すたりと、先程までウィリアム達がいた場所に着地した。
ぶわっと空気か魔術の風で拡散され、白く霞んでいた視界が開ける。
「ウィリアム、アルテア?」
しかし、ディノの呼びかけにも答える声はない。
ネアはふるふるして周囲を探したが、どこにも二人の姿はないようだ。
「………何か書かれています」
そこで気になったのが、ディノが先程拾った紙切れだ。
あの仕掛けの箱が爆散して小麦粉が空中に振り撒かれたような視界の悪化の中降ってきたので、何かのメッセージなのかもしれない。
「…………良きものであれば、仲間が助けるだろう。悪しきものであれば、そのまま滅ぼされるだろう………?」
「これは、………仕掛けを作ったものの言葉かな」
「ほわ、文字が浮かび上がりました。……アルテア、君はここを荒らしに来るだろうと思った。少し反省するように……とあります」
「グレアムの言葉かな…………」
すっかり黄ばんでしまった紙だが、元は苔色だったのだろう。
透けるような薄い紙に、その文字は流暢な藍色のインクで書かれていた。
ネア達が読んだところでほろほろと崩れ、あっという間になくなってしまう。
「…………と言うことは、お二人は…」
決して悪しき部分ばかりではないのだが、さすがに二人ともただの良きものという括りではない気がする。
そう考えて真っ青になったネアに、ディノは優しく頭を撫でると微笑みかけてくれた。
「あの二人が失われた気配はないよ。この部屋にいるようなのだけれど、姿が見えないね」
「…………ほわ。いるのですか?」
「うん。この辺りの筈なのだけど、………少しだけ左側に移動したね」
「左側に…………」
ネアは乗り物になった魔物の三つ編みをくいくいっと引っ張って、そちらに移動して貰う。
その辺りには丸ごと石化された茂みがあり、何やら込み入った枝葉が視界を遮っている。
「この中でしょうか」
「その中に入るかな」
「確かに、ここに隠れられるとしたらムグリスディノくらいの…………いました」
「……………本当だね」
ネア達に見付かってしまったのが分かったのか、二人はもそもそと石化した茂みの中から這い出てきた。
酷く暗い目をしているが、なぜ、助けを求めずに隠れてしまったのかが謎である。
「ち、ちびふわ!!」
歓喜したネアはディノの腕の中でばたばたして床に下ろして貰うと、茂みの影からこちらを見ていた二匹のちびふわは、ぴっとなっていっそうに顔色を悪くする。
「なぜ怯えるのでしょう?心もちびふわになってしまったのですか?」
そう尋ねればふるふると首を振るので、きちんと自分が誰なのかは理解しているらしい。
ネアは指先を伸ばして、距離が近い方の白金の瞳をしたちびふわをそっと撫でた。
ふきゅんとしかけてからはっとし、慌てて少しだけ逃げるのを、ふわふわ尻尾を捕まえて捕獲する。
「フキュ?!」
「こっちも捕まえておきます」
「キュフ?!」
ついでにその隙に逃げようとした赤紫色の瞳の方も捕まえ、目の前にぶら下げてじっくりと観察する。
「ディノ、これは何でしょう?」
「…………ネア、恐ろしかったら手を離してもいいんだよ?」
「む?ふわふわで愛くるしいですよ?」
「………怖かったり、おぞましかったりはしないんだね?」
「勿論です」
ネアがそう返せば、心配そうにこちらを見ていたディノは、どこかほっとしたような目をする。
その時、はらりと垂れた三つ編みが淡く虹色に光り、ネアはディノの髪の毛に光の煌めきを落としたものの正体を目で追った。
「そして、その枝に引っかかっているのが、先程お二人がへし折っていた枝のようです」
「おや、魔術の花の結晶か。とても珍しいものだ」
「魔術の花の結晶……。石化した木の枝に咲いた、透明度の高い水色の鉱石のお花のようですね」
「これはね、一定以上の魔術濃度がある土地で長い時間を経て生まれるものだ。この大きさの花であれば、千年近くはかけているかな」
「まぁ、凄い貴重なものなのですね」
「この森は、……荒れてしまったかつてのウィームの森の一部を封印し納めたのだろう。その時に、魔術の花を咲かせた木が混ざっていたのだね」
「そんなに珍しいものなのに、そのままだったのですか?」
「封印したものの一部だけを取り出すことは難しいんだ。今回それが出来たのは、ウィリアムとアルテアがいたからだよ」
「………しかし、その結果、先程の箱が作動してしまったのですね」
ネアが尻尾を鷲掴みにしてぶら下げているのは、ふわふわの毛玉生物だ。
両方とも真っ白なふわふわで、小さめのムグリスのような姿に狐の尻尾のようなふかふかの大きな尻尾がある。
顔立ちは餅兎に似ているが、大きな垂れ耳で頭には羊のようなくるりと巻いた角があった。
ディノはさかんにネアが怖がっていないのか心配していたが、ネアから見ればファンシーで愛くるしいちびふわなのである。
「この姿は、合成獣のようだね………」
「まぁ、それでディノは心配してくれるのですね?」
「二人が姿を隠していたのもそれでだろう。君が怯えてしまう可能性があったし、場合によっては動揺して攻撃をされる可能性もあったからだ」
「なぬ。ちびふわはとても可愛いので、大事にします」
「フキュ……」
「フキュフ」
その宣言にやっと安心したのか、尻尾懸垂の要領でてやっと体を起こしたちびふわは、するするとネアの手に這い上がる。
ディノは苦手なのか、少しだけ体を強張らせていたが、ネアは可愛い動きに目を輝かせた。
「もちもちふわふわの、可愛い体型ですね!ふさふさ尻尾が堪りませんし、角も可愛いです」
「可愛いんだね…………」
「むむ。ディノは少し苦手ですか?」
「あまり好ましくはない程度だけれど、君がそれを手に乗せているのを見ると心配になるんだ」
「むむぅ」
それはつまり、ネアの感覚で言うところの婚約者が手の上にげてものを乗せているような感じなのかなと、想像してみる。
「ちびふわを保護した私を、ディノは嫌いになってしまいますか?」
「どうしてそんなことを心配してしまうんだい?そんなことはあり得ないよ」
「良かったです!」
ほっとしたネアは、ひとまず地下の探索をある程度で切り上げ、ウィリアムとアルテアが体を張って回収してくれた枝を持ち、上に戻ることにする。
他にも何か持って帰りたい気持ちはあったが、ネアもちびふわになる訳にはいかないのでぐっと我慢した。
そして、地上に戻ったネア達は、驚きをもって迎え入れられた。
「ウィリアムと、アルテアが………」
そのまま絶句したエーダリアに、奥で爆笑しているのはダリルだ。
やはりこの姿は苦手なのか、騎士達に、グラストとゼノーシュは少し顔色が悪い。
毛皮は素晴らしいのにと、よろめきながら勿体なさそうに呟くウォルターに、ノアは、ネアに早く手から変な生き物を下ろすようにと慌てていた。
「ディノに調べて貰ったところ、一晩程で呪いは解けるようです」
「上手い呪いだね。かけられたものが侵入者なら無力化にも繋がるし、もし内部の犯行であっても人望がなければ、この醜さから駆除されてしまう可能性も高い」
「愛くるしいちびふわを駆除などしません!」
「ネアちゃんの趣味がおかしかったお陰で、ウィリアムとアルテアは、そのブーツで踏み潰されなかったって訳だ」
「…………確かに虫的な怖いものであれば、遭遇した衝撃のあまり踏み滅ぼしてしまった可能性も………」
「そ、そうか。危ないところだったのだな………」
結果、その日の地下探索では、光竜の卵の殻と、ダリルが摘んできた珍しい薬草など、そしてウィリアムとアルテアが手折った魔術の花の小枝が大きな収穫となった。
採取者であるウィリアムとアルテアもかなりの悲劇に見舞われたので、無事に戻った暁には、小枝の花を一つ二つ貰えるそうだ。
内部の構造が判明したことが最も大きな収穫とされ、地下への入り口は今後厳重に管理されることになる。
出口を発見したノアによれば、本来はきちんとした入り口があったのだが失われ、抜け道の一つである棚の下だけが残ったのだろうということだった。
「リーエンベルクは奥が深いなぁ」
「奥が深いですね。こんなに高位の魔物さんですら、ちびふわに変えてしまう魔術があるなんて………」
「フキュ」
「フキュフ…………」
「わーお。変な鳴き声だね。ネア、それ呪いが解けるまではその辺の部屋に放り込んでおけば?」
「急に体調が悪くなったりしたら可哀想なので、今夜はお部屋で預かることにしました。ただし、ディノも少し苦手なようですので、続き間に寝床を作ってあげて、何か困ったことがあればすぐに私を呼べるようにしておきますね」
「…………僕だって、あまり君達の部屋には泊まらないのに」
そう言うと、ノアはちびふわの尻尾をぺしっと払い、ちびふわ達からフキュフキュ抗議されていた。
慣れない姿にすっかり意気消沈しているウィリアムはともかく、もふ生物になることに慣れているアルテアですら、大きな尻尾でバランスが取り難いのか何度かネアの肩から転げ落ちていたので、尻尾に触られるのは深刻な打撃なのだ。
なお、アルテアが約束をしていたアイザックには、ディノが連絡して事情を説明してくれたようだ。
アイザックは、ちびふわに非常に興味を示していたそうだが、ディノは賢明にも、珍獣観察のお客様の来訪を断ってくれた。
ネアは家事妖精に手伝って貰ってウィリアムが持ってきてくれた素晴らしいドレスの試着をし、ちびふわになってしまったウィリアムに見せてやってから、ぴったりでしたと報告をした。
今度の休暇には、またダリルがあの地下に入ってみるそうだ。
ちびふわの呪いにはよく気を付けるようにしようと、書架妖精は屈辱に震えるちびふわ達を指差し、笑いながら話していた。