地下室の秘密 1
その日、リーエンベルクの地下にある地下迷路の、大々的な調査が行われた。
何かと事故に遭いやすいネアの周囲には厳重警備が敷かれ、やけに物々しいメンバー編成になる。
逆にまず事故らないグラストゼノーシュ組は二人で行動しているので、ネアは羨ましくて堪らなかった。
「………この人選が解せません。私のチームをここまで強化する必要があるでしょうか?」
「ネア、この区画は私も未知なものだ。決して気を抜くなよ」
「不吉なことを言わないで下さい、エーダリア様。寧ろ、エーダリア様の警備を強化するべきだと思うのです」
「まぁ、ヒルドとノアベルトがいるからな」
「むむぅ」
今回の調査は、五班に分かれている。
エーダリアとヒルド、そしてノアのチーム。
そして、絶対的な安心感のグラストとゼノーシュのチーム。
更には、ダリルとウォルターのチームに、ゼベルと第八席の騎士であるグリモスのチーム。
そして、ディノに、ウィリアムとアルテアまでいるネアのチームだ。
勿論、ウィームの指揮系統も含まれているので全てのチームが一度に出払う訳でもなく、何チームずつかで少しずつ地図を埋めてゆく方式の探索となる。
最初の方の第一層などを騎士達が調べてゆき、エーダリアのチームは、あくまでウィーム王族の血筋が何かに作用するのか見極める為、そして、深層部は魔術異変などに妙に強いネア達のチームの担当となる予定だ。
「ウォルターさん、ご無沙汰しております」
「壮健そうだな」
「はい。最近、もちうさが荒ぶる事件がありましたが、お蔭さまで元気にしております」
「闇の妖精の行進では、従妹の娘が危ういところだった。妖精の行進を止めてくれて本当に助かった」
「いえ、私がどうこうした訳ではないんですよ。妖精さん達をディノが叱ってくれて、ヒルドさんが怒らせてはいけないと理解させてくれたのです!………そのお嬢さんは、元気になられたのですか?」
「取り返しのつかない領域に踏み込む前のことだったからな。今は、何があったのかすら記憶が曖昧なのだそうだ。闇の妖精の固有魔術は、回収されるとそのようになるらしい」
「それを上手く利用出来れば、これ以上ないって美味しい話なんだけどねぇ」
そう呟くのはダリルで、何やら悪い顔をしているのでその策略はお任せしようとネアは思う。
今日は漆黒のドレスが華やかで、こんな素敵な策士がウィームにいてくれることを、心から感謝するばかりだ。
「でも、ダリルさんが参加するのは珍しいですね」
「こういうところは使えるものが転がっていることが多い分、性格の悪い仕掛けが多いんだよ。私だったら、何となく想像がつくからね」
「だろうな。お前の頭なら、おおよその悪趣味なしかけのほとんどを網羅してるだろう」
「アルテアだって同じ穴の貉だと思うけどね。さて、ぐずぐずしてると夜になる。始めるよ」
「はい!」
ご機嫌で頷いたウォルターに、ネアは既視感を覚えて隣の魔物を振り返った。
何かが違うのだが、どこかが似ている。
「ご主人様?」
「………きっと、同じ棚なのでしょうね」
「棚………」
こうして、まずは騎士達の班とダリルの班が地下に潜ることになった。
ネアが偶然発見した廊下の棚の下から隠し部屋に下り、地上に残る者達はその廊下を作戦本部として作業を見守る。
作戦本部の周辺は魔術で封鎖され、テーブルの上にはポットに入った美味しい紅茶が準備されている。
廊下沿いの隣室の浴室にはお湯が張られ、汚れてもすぐにお風呂に入れるようになっていた。
「………入口だけ開けて上から見ると、こんな風になるのですね」
「二重底の入り口だ。面白い仕掛けを考えたものだね」
そうディノも感心している入口は、棚の足に触れるとぱかりと棚の底板が開いて、その中の空間に引っ張り込まれる方式になっていた。
反対側の棚には特殊な仕掛けがあり、そちらに一定の魔術圧をかけると入り口は開きっ放しになる。
前回にネア達が助けて貰った時にはそこを利用したのだが、こうして上から地下を見るのは初めてなのだ。
ぱたんと斜めに開いている底板が開くと水晶のように透明になり、その向こう側に違う空間が見えるという不思議さにネアは目を丸くする。
ディノは、そんなご主人様が下に落ちないように、しっかりとネアの腰に手を回していた。
「ほら、立ち上がろうか」
「むむぅ。もう少し上から覗きたいのに残念です。こうして騎士さん達やダリルさん達の頭頂部を見るのは新鮮な体験でした」
入り口を開きっ放しにすることが出来るとは言え、覗き込むには廊下に屈みこまなければいけない。
今日はパンツスタイルな乗馬服なので気にせず屈み込めるのだが、ディノは落ちそうで怖いのかぐいぐいとネアを上に引っ張っている。
「むぐ!」
「持ち上げるよ」
お腹に手を回されてふわりと持ち上げられて手足をばたばたさせると、アルテアから、まるで狩りの獲物だなと笑われてしまい、ネアは憤慨する。
「私は狩る方ですよ!」
「と言うか、ネアの場合は滅ぼす方かな」
「ウィリアムさん、狩りはとても残酷なものなのです」
「よく考えれば、お前の祝福のせいでもあるだろうが」
「おや、と言うことは俺の祝福が誰よりもネアを助けているということですね」
今日は朝からリーエンベルクに来てくれている二人だが、ウィリアムは収穫後の騒乱などが一時的に収まっている時期なので冬告のドレスの試着も兼ねて一泊の予定で来てくれており、アルテアは午後からウィームでアイザックと会う予定があるので丁度いいのだとか。
そんな二人からは、もしネアが普段とは違う何かに参加するのであれば事前に連絡をするよう、最近エーダリアに申し入れがあったらしい。
ここにも一つ、闇の妖精事件の弊害が出てしまっているので、ネアは早々に信頼回復を図ろうと思う。
いくら時間のある時だとは言え、それぞれにプライベートな時間も必要な筈なのだ。
これではすっかり手のかかる子供のようで申し訳ない。
(今日の目標は事故らないこと。その上で余裕があれば、何か手柄を上げて頼もしいところを見せてくれる)
ふつふつと名誉挽回に燃える人間の横で、ウィリアムが不吉なことをぽつりと呟く。
「奥の方に、俺の系譜のものの気配があるな」
「…………ウィリアムさんの」
「生き物だとは思えないが、罠だと厄介だ。死にせよ、疫病にせよ」
「ダリルに伝えておきましょう。第一層の探索ですぐに遭遇しそうでしょうか?」
「いや、もっと奥だから問題はないと思うぞ。ただ、念の為に注意喚起しておいてくれ」
それを聞いていっそうに不安になってしまったのか、ディノはさっと紐を取り出している。
眉を寄せたネアは、その端っこをパンツのベルトループに固定されてしまった。
「…………ぱちんと留められるように、金具がついています」
「ゼベルに借りたんだよ。危ないからね」
「ということは、奥さんお散歩用のリードなのでは……」
「こんな風に長く伸びるものがあるのは、知らなかったな」
「似合ってるぞ」
「はは、可愛いな」
「むぐぅ」
魔物達に可愛いと言われ、すっかり荒んでしまった人間は、困惑したようにこちらを見ているエーダリアの方を見た。
さっと視線を逸らされて地下との交信に夢中なふりをされたが、部下にお散歩リードをつけられた領主として何か苦言を呈して欲しい。
「ありゃ、何だか倒錯的だなぁ」
「ノア、私の魔物がご主人様の腰にベルトをつけます!」
「今回は地下だからね。念の為につけておいた方がいいよ。何しろ、最も古くから魔術が潤沢だった国の一つである、ウィームの王宮の地下だ。何があるかわからないよ。僕達だって未知の領域なんだ」
「………なぬ。そうなると、私の方でも行方不明者が出ないよう、アルテアさんとウィリアムさんに紐を…」
「やめろ」
「うーん、紐はちょっとやめておこうか。代わりに手を繋ぐか?」
「その場合、私の片手は既に三つ編みが設置されていますので、アルテアさんがあぶれてしまいます。アルテアさんは、ディノかウィリアムさんと手を繋いで下さいね」
「なんでだよ」
そんなことを話しながら第一派遣部隊の帰還を待っていると、魔術通信越しにぎゃあと悲鳴が上がった。
何があったんですかと慌ててヒルドが声をかけたところ、階段の踊り場に海があったらしい。
「深い海だったんだって。ネアも気を付けてね」
「………ゼノ、ちょっとよく分りませんでした」
「海………。移設魔術かな」
「景観ならまだいいが。恐らく罠だろうな」
「わーお。鮫がいたらしいよ」
「鮫さん………。どうせなら、美味しく食べられる魚さんが良かったですね」
「得体の知れない魔術の仕掛けの中のものを食おうとするのは、お前とほこりくらいだな」
「あら、世界に優しく自然と共に生きていると言って下さいね」
窓の外は朗らかな昼間のウィームの光が溢れているが、ネア達が覗き込む地下は暗い。
その内に、その力を遺憾なく発揮して通信隊長をしていたゼノーシュが、困ったように振り返った。
「ダリル達がいなくなった」
「…………ダリルが?!」
「エーダリア様、落ち着いて下さい。あれはこのような場所こそ水を得たように生き生きとする妖精です。恐らく仕掛けの内部にあえて踏み込んだのでしょう。今、通信を結び直します」
驚いて地下に駆け込もうとしたエーダリアを素早く捕まえると、ヒルドは個人用の通信端末を取り出す。
ぺかりぺかりと魔術陣を空中に光らせてコールすると、ややあって応答があった。
「ダリル、無事ですか?」
「おや、回線が途切れたかね。ああ、勿論生きてるよ。それにしてもこれは凄いもんだね。仕掛けの裏に岩山があったよ」
「無闇に踏み込まないで下さい。夕方には、会議があるのでしょう?」
「地方伯を転がす下地作りの座談会みたいなもんさ。………ウォルター、これも拾っておきな。……ここは面白いよ。そっちの馬鹿王子に、私がいなくなったと思って泣くんじゃないよと言っておきな」
「な、泣いてないぞ!」
「おーおー、泣いてたのかい。仕方のないお子様王子だね」
「ダリル!!」
耳を赤くして声を上げたエーダリアに、快活に笑い声を上げながらダリルからの通信は切れる。
そうして、はらはらしながら待っていたネア達の前に、ダリルは、一時間後にけろりとして戻ってきた。
手には不思議な鍵や薬草のようなもの、そしてウォルターには大きな宝石の塊を持たせている。
「なかなか面白い。変わったものも多いし、敷かれた魔術が丁寧だ。今度は休日にゆっくり潜ろうかね」
「お供出来て光栄でした!」
「ほら、ウォルター、その石をうちの馬鹿に渡しておきな」
「はい!」
そう、いつもの落ち着いた雰囲気を一掃する忠実な犬具合のウォルターがエーダリアに渡したのは、内側に陽光のかけらを閉じ込めたような、不思議な石だ。
シトリンやイエローダイヤモンドのように見え、卵の殻の一部のような曲線が想像を掻き立てる。
「こ、これは………」
「おや、光竜の卵のかけらだね」
「光竜の!」
ディノがそう断定すると、ダリルはそう思ったと頷き、エーダリアは飛び上がった。
前回のバルバでダナエの鱗も貰って、エーダリアはすっかり竜オタク具合も深めてしまっている。
これはかなりはしゃいでいるだろうなと思ってネアがそちらを見ると、なぜか無表情になっていた。
「エーダリア様の心の許容量が………」
「エーダリア様、夢中になるのは後にして下さい」
「ありゃ、エーダリア涙ぐんでる?」
「………エーダリア、強い気配の残る物には魔術階位が生まれる。一度、その卵の殻に、ヒルドに触れてもらうといい」
「………そ、そういうものなのか?」
「だからこそ、ここの地下に隠されていたのかもしれないね」
ディノに指摘され、エーダリアはヒルドにその光竜の卵の殻に触れて貰う。
すると、魅入られたように爛々としていたエーダリアの瞳が、いつもの複雑な色合いの鳶色の瞳に戻った。
しかし、光竜の卵の殻をまだちらちら見ている。
「いつもの、大好きなものに挙動不審なエーダリア様です!」
「高慢なことだけれどね、こういう高位の生き物の足跡は、その生き物の階位を基準として魔術階位がつくことが多い。卵の殻ともなれば、随分多くのものが付随するだろう」
「ヒルドに触れさせたのは、彼が光竜を狩る一族だからなのか?」
「そして、君に仕え、守護を与える者だからだ。特定の理や規則を持たない場合、その魔術は触れる者の心を基準とする。だからほら、そちらの人間は持っていても何ともなかっただろう?」
「………そうか。ダリルを至上とするからか」
「そういうことだ」
光竜なんかに大事な師が負ける筈がないと当然のように信じているウォルターは、卵の殻に触れても何ともないようだ。
だから恐らく、最初に触れてウォルターを安心させたのはダリルだったのだろうとディノは言う。
その通りだと頷いたダリルは、妖精らしく最初からその手の効果には警戒していたそうだ。
「ダリル、彼にも結界を張ったのですか?」
「いんや。精神効果があるなら、ウォルターで様子が測れるからね。ただ、何ともなかったんじゃなくて、反応がないだけだったか」
「お役に立てず、申し訳ありません」
「ま、ある意味反応は得られた訳だ。うちは特殊な奴ばっかだからねぇ」
そしてここで、ずたぼろになった騎士達が戻って来た。
ダリル達より表層を調べていたが、海に落ち迷いの森を彷徨い、本人達の感覚では丸一日は迷子だったらしい。
驚いたエーダリア達が迎え入れ、いなかったのは一刻程だと伝えると、二人は床に蹲って男泣きしていた。
「森に出る虎が、心から嫌な奴で……!」
「時々空に鯨の影が見えるので、気が休まりませんでした」
通信も途中から途切れたままであったが、迷子になってからのこちらの時間換算が二十分くらいであったので、気付かれなかったのが労しい。
「すまないな。よく頑張ってくれた。………それと、ゼベル、それは何だ?」
「丸一日不在にしてしまったと思ったもので、奥さんへのお土産にと、森にいた砂糖鷺を捕まえたんです。甘くて美味しかったですよ」
「隊長、ゼベルは、仕掛けの中の倒した虎も食べましたからね…………」
「ゼベル、少しは気を使うようにしてくれ。不用意に呪いなど貰わないようにな」
「すみません。エアリエルが食べられると言ってくれてたもんで、つい。やっぱり野営するなら肉を焼くのが一番ですよね」
そちらを見ていたアルテアが、嫌そうな顔でぼそりと呟く。
「お前とほこり以外にもいたな」
「よく考えたら、ダナエさんもこちらですね」
アルテアは、待ち時間に仕事をしているようで、灰白の革の手帳のようなものに、あれこれ書いていた。
ネアのメッセージカードに似ていて、魔術の回路の漏洩をある程度は防ぎ、あのカード程の機密性ではない代わりに、一度に沢山の文字をやり取り出来るようだ。
「アルテアさんの商売の方のお手伝いをされているのは、どんな方なのですか?」
「お前に教える義理はないな」
「むぐぅ。秘密主義者です!あの素敵な本宅がどこにあるかも教えてくれません」
「当然だろ。お前が近付くと煩わしい。ウィリアムだって、お前を城には連れて行かないだろう」
「………ウィリアムさんのお城」
ネアがそう呟いて顔を上げると、なぜかウィリアムはぎくりとして巧妙に視線を逸らしていってしまう。
「ディノは、行ったことがありますか?」
「何度かね。昔は引き剥がした魂を集め…」
「シルハーン、ゼノーシュが出るようですよ」
いささか不自然なタイミングでウィリアムにそう言われ、ディノは目を瞬き、ネアは慌てて立ち上がるとお見送りに入った。
「ゼノ、気を付けて行って来て下さいね。……む、やっぱりエーダリア様達も入るのですね?!」
「ああ。騎士達が見た表層までだ。王族の血を引く者がいると、違う扉が開くかもしれないからな」
「大丈夫だよ、僕とヒルドもいるからね」
ノアはそう笑って、心配するネアの頭をふわりと撫でてくれる。
こんな姿を見るといつも思うのだが、エーダリアが持ち前の人たらし能力でノアを籠絡してくれたことに、ネアは感謝するばかりだった。
そもそもネアは、自分が失われないことよりも、大事な人が失われない事の方が大事な人間なのだ。
「じゃあ、僕とグラストも行ってくる!」
「はい、ゼノ。グラストさん、エーダリア様、ヒルドさん、ノア、気を付けて行って来て下さいね」
まず、ひょいっと入って行ったのはゼノーシュとグラストだった。
グラストより体の小さなゼノーシュが、先に飛び込んで手を差し出しているのが何だか可愛い。
続いてヒルドが飛び込み、エーダリアとノアは殆ど同時に飛び込む。
ノア曰く、少しだけ魔術で間口を広げて、エーダリアが一人で魔術に触れないように同時に入るのだそうだ。
(…………一時間くらいで戻ってくるって)
ネアが誰かを見送るのは珍しい。
何だか寂しい気持ちで、エーダリア達の背中を見送ってしまう。
その時、カシャリと金属的な澄んだ音がした。
「……………む?」
硝子の上に金属の鎖を置いたような、薄い氷を砕いたような音で、その音にはっとして振り向いたのはダリルだった。
「しまった!空間が閉じる」
それは、ほんの一瞬のことだった。
ぱかりと開いたままで硝子の透明度で地下の様子を見せていた底板が、一瞬の内にただの底板に戻る。
座っていたアルテアが立ち上がり咄嗟に駆け寄ったが届かず、ネアの隣にいたディノも、ノア達が二人同時に飛び込む為に少し下がっていたので手が届かなかったのだ。
「…………え」
ネアは目を瞠って、そろりと振り返った。
ディノはしっかりとネアを抱き締めて眉を顰めているし、アルテアは額に手を当てている。
ウィリアムが悩ましげに溜め息を吐き、その向こうではダリルが深刻な表情をして立ち尽くしていた。
「エーダリア様達は………」
そう呟いたネアがすっかりただの板になってしまった底板の方に伸ばした手を、ディノが引き戻させた。
先程まで賑やかな入り口だった棚の下はしんとしていて、ただの家具に戻ってしまったようにしか見えない。
「ネア、空間が閉じたばかりだ。不用意に触れると手が崩れてしまう」
「…………ディノ、エーダリア様達は?……ノアやヒルドさんや、ゼノやグラストさんは…………」
「大丈夫だよ。ここから切り離されたどこかに隔離されただけだ。彼等に危害が加えられた訳ではない」
「だが、閉じたってことは隔離目的が元々あったってことだ。貴人の幽閉施設兼、手に余るものを隠していた宝物庫だと思ってたけど、有事の際の隔離空間でもあったようだね………」
苦く呟いたダリルが、そのようなことを見落とすのは珍しい。
それを踏まえて探したところ、目眩しの魔術がかけられていたことが発覚し、アルテアがそれを解けば、魔術に長けた者達には何かが腑に落ちたようだ。
「妖精避けの呪いが上からかけてあるな。王宮への侵略となると代理妖精が一般的だ。その目を眩ませる為のものだろう」
ネアには相変わらずただの棚に見えるが、今はもう、人外者達には檻ではなく扉に見えるというから不思議だ。
ウォルターは、ダリルと目配せをするとさっと連絡端末を手に取る。
幸いにも、ゼベルとグリモスは並びの部屋にある浴室を使っていて、この騒ぎには気付いていないようだ。
「どうやったら開くのですか?」
「…………開かない可能性もある。開かせないという事で、中のもの達を守る為に作られたならな」
「…………アルテアさん?」
「先に潜った奴等の話からも、中はある程度の広さがあるのは間違いない。侵略された時の為の、国民の一部や王族達の避難地だとすれば、中で生きてゆくことが出来る代わりに、一定期間は誰にも開けられないように理付けられている可能性もある」
「一定期間…………」
「侵略者が去るまでだと仮定すると、最短で一年程度、長けりゃ十年から五十年ってとこか」
「………そういう施設はたまにあるからな」
ウィリアムにもそう同意されて、ネアは目を瞠った。
(…………五十年も)
もしそれだけの間会えなかったとしたら、それはネアの人生の半分あまりではないか。
家族のような大切な人達がそちら側に飲み込まれ、何の準備もないままに、今日からもうそれだけの日々を会えないのだとしたら。
(一年だって、嫌だ)
人外者達よりも遥かに脆弱な人間の生涯には、何が起きるかわからない。
エーダリアもグラストもネアも、やはり持ち時間という意味では限りが見えているものだ。
その上に魔術可動域が少ないネアはきっと彼等よりも短命であろうし、やっと安らかになったこの場所で、少しでも長く健やかにと思ったばかりのことなのに。
「…………この仕掛けを作ったのは魔物のようだね」
ややあって、ディノがそう呟いた。
その腕の中で振り返ったネアに、ディノは水紺の瞳に不思議な微笑みを滲ませて頷いてくれる。
「大丈夫だよ、ネア。魔物のものであれば、ノアベルトとゼノーシュがどうにかするだろう」
「………ディノ」
「ダリル、外の結界やリーエンベルクの結界はひとまず補強しておいたよ。エーダリアがこの場所から失われることで一時的に喪失してしまったものが多かったから」
「………そうか!それもあったね、すまない。そういう一瞬の隙が致命傷になりかねないっていうのに、失念していた」
「いや、君も珍しく動揺していたようだったから。それで、ここから彼等を取り戻す方法はありそうかい?」
「幾つか試算は立てた。だが………」
その瞬間のことだった。
ばこんと音がして、廊下側の壁の一部が開いてわらわら人が出てくる。
地下への入り口が閉じてからは、数分も経っていない。
「わーお、びっくりした」
「ノア!!!」
どこかくしゃくしゃになってそこから出てきたのは、先程飲み込まれてしまったエーダリア達だ。
先頭にいるノアは少しよれよれになっていて、ネアは慌ててディノの腕から飛び出すとそちらに駆け寄る。
ディノとは紐で繋がっているので決して不用心ではない。
「いきなり入口が閉じるんだもんなぁ」
「………お前、よく出口を作れたな」
「ありゃ、アルテアには作れないの?」
にやっと笑ったノアに、アルテアがすっと目を剣呑な形に細める。
「ダ、ダリル!!リーエンベルクの結界は?!」
「ディノが引き継いでくれてたよ」
「大丈夫だ。君が戻ったから元々のものが復旧してきたね。そちらが万全になってしばらく様子を見てから、加えたものを剥がすから心配しなくていい」
「…………助かった。礼を言う」
「ディノが気付いてくれて良かったよ。私はうっかり失念してたからね」
「うっかりで、ここの結界を忘れないでくれ………」
「……………僕、お腹空いた」
「は!ゼノに今すぐおやつを用意します!!!」
ネアは、ふらふらと出て来て弱々しくなってしまったゼノーシュの為に、慌てて首飾りの金庫から贈答用の焼き菓子を引っ張り出して手渡した。
そしてすぐに厨房に連絡を入れると、腹ペコクッキーモンスターの為に何かお腹に溜まる美味しいものを注文する。
ゼノーシュがお気に入りな料理人は仰天したようで、すぐさまあつあつチーズポリッジの手配をしてくれるようだ。
ネアは振り返って他の者達のものも確認し、全員お腹が空いているようなので、エーダリア達の分も発注し、急遽現場は炊き出しの場面めいてきた。
「中にはどれくらいいたんだい?」
「丸二日だね。もう少しかかるかと思ったけど、これを作った相手がわかったから、あとは作業の癖を辿った感じかな。シル、この避難所を作ったのは、グレアムだったみたいだよ」
その言葉に、ネアは、ディノが澄明な瞳を瞠って驚く姿を見た。
その名前は何度か耳にしたことのある、ディノにとって大事な友人だった魔物の名前だ。
「………………そうか。だから、隔絶してしまうものなのだね」
「そういう気質の魔物だった訳?」
そう尋ねたダリルに、ディノはどこか懐かしそうに首を振った。
「彼は犠牲を司る者だったからね。情深い魔物だったから、かつてのこの地に守りたい者でもいたのだろう。犠牲を司る彼が貸し与えたり贈与する魔術は、必ず何かを犠牲にする。ここは、外界から隔離される代わりに侵入を拒む仕掛けだったのだろう」
「…………成程ね。有事の際に、外を捨てさせる代わりに、中の者達を守るという誓約の下に作られたってことか」
「何かを犠牲にすることで、内側の魔術が強固になる。彼が得意とした防壁の魔術の一つだ」
「以前、大浴場で過去のグレアムさんにお会いしましたよね?もしかしたらそれは、そんな頃のグレアムさんなのでしょうか?」
「ああ、そうかも知れないね」
「ありゃ、あの時か」
ノアに言われた何かが悔しかったのか、内部の隔離が解けたことでもう一度開いた地下への入り口を覗いていたアルテアが、その会話にゆっくりと振り返る。
それよりも先に、ネアはウィリアムに、がしりと肩に両手を置かれていた。
「ネア、ノアベルトと一緒に入浴したのか?」
「………むぐ。浴室着を着ておりましたよ?ディノも一緒です」
「僕は、浴室着は着ない派だけどね!」
しかし得意げにそんなことを言ってしまったせいで、ノアはすぐさまヒルドに耳を摘まみ上げられていた。
「成程、それはじっくりお説教しなければいけませんね」
「痛い痛い!!!ごめんってば!!!」
近くの個室に連れて行かれたノアを見送り、一同は何となくしんとする。
ゼベルやグリモスなどの事情の全てを知る訳ではない者もいるので、今日のノアとウィリアム、それにアルテアは擬態をしている。
しかし、遭難でそれを解いたのか、ノアの髪はディノと同じような多色持ちの白に戻っていた。
そんなノアが耳を掴まれて引き摺られてゆく姿は、何だか胸にくるものがあったのだ。
そんな現場の目撃者になってしまい、呆然と見送ったウォルターは、ダリルの横で領主失踪の場合の政治的な根回しをしていたものの、すぐに戻ってきたので慌ててキャンセルに入っていたところだ。
「あ、ポリッジが来たよ!」
そこで、ゼノーシュお待ちかねのポリッジも来たので、ネア達が地下に下りるのは遭難者達が食事をして元気になってからのことになった。