歓迎会と白い布
雲の魔物のお城は、大きな雲の渦の上にあった。
菫色や水色、茜色などの様々な雲の谷があり、その中にあるひときわ大きな白い雲の渦の周囲には雲の系譜の生き物達が群れて飛んでいたり、せっせと雲の切れ端を掃除していたりする。
ディノとノアもそうだが、ウィリアムやアルテアなどの魔物を見てきたネアにとって、このように一国の主人としての魔物を見るのはとても新鮮な事であった。
みんな同じ青い制服を着ていて、おもちゃの兵隊のようにこまこま動いている。
城の主人であるヨシュアがターバン姿なので、そこに雰囲気の統一感がないのが面白い。
よく見れば、ヨシュアのお城は壮麗な神殿のような造りで、ネアは意外なヨシュアの趣味に驚いた。
「衛兵さん達は、雲の妖精さんなのですか?」
「羊の頭に透明な羽、雲の妖精達だね」
「格別に強い種ではないが、忠実で頭がいいとされている」
「確かに、目がきりっとしていてお仕事に忠実な雰囲気です。妖精さん達のお城はないのでしょうか?」
「雲の系譜では、ヨシュアが最高位だ。系譜ごとにどうなるのかは変わるが、雲はヨシュアに仕えることを選んだ系譜なんだよ」
「ほわ…………こんなに賑やかなのですねぇ………」
ネアの左隣にいるのはウィリアムだ。
今回、ヨシュアのお城に立ち入り禁止を言い渡されたノアは荒ぶった。
急遽ノアが個人的に連絡を取り、ヨシュアのぬいぐるみ歓迎会に出かけるネアとディノの用心棒として、ウィリアムが招聘されたのであった。
ネアは、仕事もあるだろうし申し訳ないからと断ったのだが、なぜかウィリアムはとてもいい笑顔で駆けつけてくれたので、案外ヨシュアのことは気に入っているのかもしれない。
(それに、理由はどうあれ、ノアがウィリアムさんに連絡をとったのはいい傾向だわ……)
根っこの部分の確執や性格の不一致はあれど、こうして連携するくらいの関係を得られたのなら、ネアはそんな二人の仲良し記念に用心棒をして貰おうではないかと思う。
しかし、用心棒を連れてきたネア達に、今日の主催者はみぎゃっとなって固まってしまった。
「ヨシュアさん、今日はご招待いただき、有り難うございます」
「…………ふぇ、ウィリアムがいる!」
「はい。ウィリアムさんからも、お祝いが貰えるそうですよ」
「ウ、ウィリアムが…………」
「ネア達だけだと道中が危なっかしいからな。ん?俺は、来ない方が良かったか?」
「……………ほ、ほぇ、……イーザ」
「来ていただいたのですから、きちんとお礼をなさい」
「ぼ、僕のポコのぬいぐるみには触らせない!」
お城の中は素晴らしい造りだった。
部屋によって内装ががらりと変わり、壮麗な寺院のようかと思えば王宮のようでもあり、中には洞窟のような水の湧き出している不思議な部屋もあった。
本日の歓迎会が催されるのは、黄金のモザイク画が美しい丸いドーム屋根の寺院のような空間だ。
瑠璃色の模様が黄金のモザイク画に映え、ヨシュアのターバン姿にとてもよく似合う。
部屋の端には青いモザイクタイルの噴水があって、ネアはふと、妖精の国の転移堂を思い出した。
「あらあら、すっかり威嚇モードですねぇ。でも、ウィリアムさんは毛皮の会の仲間なので、ぬいぐるみさんには優しい筈ですよ?」
「う、嘘だ!………ぎゃあ!睨んでる!!」
「あなたが失礼なことを言うからでしょう。ほら、お待たせしてはいけませんよ。ご案内して下さい」
「何かがおかしい。イーザと僕の担当は逆にするべきだ」
「あなたは、終焉の君とは親しいのでしょう?面識のない私がご案内するのは失礼ですからね」
そう言ったイーザは、ネアとディノを用意された座席に案内してくれた。
立ち上がって丁寧におじぎしてくれたのはセルザで、ヒルド様はいらっしゃらないのですねと少し寂しそうにする。
こちらはこちらで、ヒルドに会えるのかなと思って楽しみにしていたようだ。
「セルザさんが来られると知っていたら、ヒルドさんもお誘いしたのですが。きっと、ヒルドさんもお会いしたかった筈です」
「ほんとうですか?」
青年が硬派な表情を崩して嬉しそうに微笑む姿に、心が和んだ。
若干どこか切なげな様子に恋だったらどうしようという懸念もあったが、良い大人は気付かなかったことにするという心の調整が可能なのである。
「僕のことは、何か仰ってましたか……?」
「あの後、弓の練習を見せて貰ったのですが、とても綺麗に矢をつがえるようになったのは、セルザさんがとても綺麗な持ち方をしていたからだと仰っていましたよ」
「ヒルド様が………!」
また嬉しそうに目元を染め、セルザはどこか得意げに兄の方を見る。
弟がそんな表情をするのは珍しいのか、イーザも嬉しそうに目を細めた。
しかし、そんな会話に割って入ったのはヨシュアだ。
「イーザ!僕はシルハーンの隣だよ!」
「しかしそうなりますと、あなたには食事中の気遣いなど出来ませんよね?ネア様もいらっしゃるのですから、少しは雲の魔物らしく上座に収まりなさい」
「そこは、ポコの席なんだ」
「…………では、あなたはその隣に」
「だから、その僕の隣がシルハーンだよ。イーザは、ポコの反対側に…」
「その席にはセルザがおりますから、ぬいぐるみの面倒も見てくれるでしょう」
「ほぇぇ」
「終焉の君のお隣で、積もる話でもされたら如何ですか?」
「ふぇ、……か、歓迎会なのに。ふぇぇ」
ネアはちょっとヨシュアが気の毒になったので、ぬいぐるみはきっとみんなで囲んだ方が楽しいだろうと提案してやり、ヨシュアをディノの前の席にしてやる。
ウィリアムもあくまでも護衛として来たので、ネアの隣で構わないと話してくれて、無事に座席が決まった。
「…………俺の向かいにいるのは、パンの魔物かな」
「ウィリアムさん、モスモスさんは凄いのですよ!ターンしたり、お城の壁をよじ登れる猛者なのです」
「……それは凄いな。パンの魔物と食卓を囲むのは初めてだ」
「私が見ておりますので、粗相などないよう注意いたします」
「いや、俺の方こそ失礼な言い方に聞こえたらすまない。実は、パンの魔物の生態を良く知らないんだ。その、…………フォークとナイフを使えるのか?」
「ええ。下側の角の部分で持つのです。モスモスは器用でしてね」
「勉強になるな…………」
長方形の机にはふんだんに生けられた花が飾られ、真っ青なテーブルクロスが美しい。
ウィリアムの向かいはモスモスとイーザ、ネアの向かいにポコのぬいぐるみが座る。
それぞれの思惑がぶつかってしまった結果、謎にお誕生日席に配置されたセルザは目を白黒させていたが、兄にヨシュアの世話を頼まれて凛々しく頷いていた。
ただし、万象の魔物が近いのでかなりどきどきしているようだ。
(セルザさんが困ってしまわないように、時々会話に巻き込もう……)
「ハムハムも呼んだんだけど、寝てるみたいなんだ」
「飛蝗さんですし、夜は眠いのでしょうか?」
「後で見てみるかい?」
「ヨシュア、ネア様には刺激が強過ぎると思いますよ?」
「…………その、差し支えがなければなのですが、ハムハムさんはどのようなお姿なのですか?」
「細長くていつも揺れてるね。青いんだよ」
「……………むむ」
その説明ではさっぱり分からなかったネアに、中々に有能なセルザが、ささっと胸元から取り出したメモを見せてくれた。
以前、ハムハムに頼まれて肖像画を描く際にとったデッサンのようだ。
「……………なにやつ」
「ハムハムですよ。セルザは弓の腕だけではなく、絵も上手い。自慢の弟ですね」
ネアはさっとディノとウィリアムの表情を確かめたが、双方とも困惑を瞳に滲ませている。
自分が一人ぼっちではないと知り、ネアは安堵した。
(逆さまになった、青くて細長い人参………)
そこにつぶらな瞳がついており、人参ボディに確かに蝗的な羽はある。
妖精なのだろうか。
それとも案外、魔獣のようなものなのだろうか。
「………可愛いですね。青くて、…………細長いです」
「だよね。ハムハムは可愛いんだよ」
「あなたはよく叱られていますけどね」
「ハムハムは、庭の草がふかふかじゃないと嫌だからね。この前は殴られたんだ」
「……………殴る飛蝗さん」
「さて。そろそろ始めませんか?」
イーザにそう言われ、ヨシュアは誇らしげな顔で立ち上がった。
今日のヨシュアは華やかな白い盛装姿だ。
砂漠の国の王様のように煌びやかだが、そこはやはり高位の魔物らしい美貌が際立ち、ひやりとするような鋭さも残る。
そんなヨシュアが、子供のようにはしゃいでネアの向かいの席を指し示す。
「今日は、僕の奥さんのぬいぐるみの歓迎会だよ!僕も張り切って宴の準備をしたから、楽しんでいってね」
その瞬間、窓の外からおおーという大歓声が聞こえ、ネアは驚いた。
それで初めて知ったのだが、今日はこの城の者達全員にも祝いのお酒が振舞われているそうだ。
宴は三日三晩行われ、イーザの他の兄妹や父親達も訪れるらしい。
天候に関わるシー達や、他の高位の者達も招かれており、来られない者達は高価な贈り物を部下に届けさせているそうだ。
まるで婚礼の儀式のようだが、目を細めて白い布をかけられた小さな塊がある席を見ているヨシュアは、微かに涙ぐんですらいる。
(でも、この布はやめた方がいいんじゃ………。ご遺体みたいになっているような……)
ネアは心配になってウィリアムの方を見たが、微笑みは完全に作り付けになってしまっていた。
ディノもウィリアムもぬいぐるみの歓迎会に参加するのは初めてらしいが、第一段階でこの布をかけたご遺体状態のぬいぐるみと向き合うのは、最初からハードルが高い。
「ヨシュアさん、おめでとうございます」
「うん。もっと祝っていいよ!」
「これからは、ぬいぐるみなポコさんと一緒に眠れるのですね」
「………うん」
そう言われたヨシュアはもじもじとすると、ほわっと目元を染めて、見ていて微笑ましくなるくらいに幸せそうな顔をした。
「人間は面白いね。僕は、ポコのぬいぐるみを作るなんて考えたこともなかったけれど、触ったらポコがそこにいるようなんだ。これでまた、ポコはずっと僕の側にいるんだよ。動いたり喋ったりはしないけど、このぬいぐるみに触れていると、いつだってポコのことが思い出せる」
そんなことを言われたネアは泣いてしまいそうだったが、ディノとウィリアムは完全に困惑したままなので、それぞれに認識出来る感傷の階層が違うのだろう。
特にディノは、すっかり不安になってしまったのかネアの膝の上に三つ編みを設置している。
「ポコはもういないけれど、これで僕の記憶が薄れることはない。それがいい事だね」
「ふふ、そんな素敵な喜びの声が聞けたなら、ヨシュアさんを大事にしている方達は嬉しいでしょうね」
「そういうものなのかい?」
「ええ。大事な方の喜びは、見ているだけでも良いものなのですよ」
「ほぇぇ!」
そこでヨシュアは、やっと、殺人事件のご遺体感満載の白い布を取り払ってくれた。
現れたムグリスな奥様のぬいぐるみに、ネアは思わず笑顔になってしまう。
「まぁ!なんて愛くるしいぬいぐるみなんでしょう!」
「もっと褒めていいよ!ポコは美ムグリスだったんだ」
「確かに、お腹のふかふかというより、むくむくの感じが素晴らしいですね。お目目もくりくりでなんて可愛いのでしょう!」
そのムグリスは、淡い砂色とクリーム色のまだらのムグリスだった。
ムグリスディノよりも丸々としていて、耳が少し大きい。
宝石から紡いで柔らかく編み上げたという羽は、美しい水色だ。
くりっとした瞳は深い青で、女の子らしいまつ毛がカールしている表情がなんとも愛くるしい。
「…………ご主人様」
「あら、ディノが荒ぶる必要はありませんよ?」
ご主人様が他のムグリスを褒めたので、魔物はすっかり荒ぶってしまった。
しかし他人様の奥様であるし、そもそもぬいぐるみである。
三つ編みをしっかりと握らされたが、これから食事なのでネアはぺっと手放した。
その途端、ディノは酷いと呟いて涙目になる。
「いいですか。ぬいぐるみに嫉妬してはいけません。それに、モデルとなったポコさんはヨシュアさんの奥様ですよ?」
「…………うん」
「私のムグリスはディノだけなので、安心していいんです。毎回怖くなってしまったら、疲れてしまいますからね」
「ネア…………」
そう腕を撫でて貰って、ディノはほろりと口元を緩めてもじもじする。
ご主人様に叱られたのは自分の為だと納得したのだろう。
しかし残念ながら、人間はとても狡猾なのでおおよそ半分は食事のためだった。
とは言え、食事中に三つ編みを持たされていると汚しそうだからなので、結論から言うとディノの為でもある。
「ヨシュアさん、この食べ物は何でしょう?」
このような魔物主催の場では、乾杯はしないのだそうだ。
ネアと何の契約もないヨシュアの乾杯を受けると、ネアはヨシュアの祝福を受けることになる。
その場合、望まざるような形でヨシュアの影響を受けてしまうのだ。
なので、ぬるりと始まった歓迎会で、ネアは素敵なお料理に目を輝かせた。
雲のお城の青くて宝石のようなテーブルの上には、目移りしてしまいそうなくらいの多彩なお料理が並んでいた。
羊頭の給仕達が焼きたてのパンを持って来てくれ、ネアはトマトのパンとむっちりした少し異国風な白パンをいただくことにする。
「それは、挽肉の餡を米粉の生地に包んで揚げてある料理です。こちらの酸味のある辛いソースをかけて召し上がって下さい。砂漠の方の国の料理ですね」
「ほわ、美味しそうです!」
イーザがそう教えてくれ、ネアは、うきうきとそのお料理を取り分けた。
ディノが困惑したようにネアの手元を見ているので、添えてあるお野菜を一緒に取るようだとお手本を見せてやった。
紫玉葱とセロリ、そして人参を細く細く千切りにしてある付け合わせ野菜は、何とも鮮やかで美しい。
「ああ、この料理はあちらの宮廷料理だな。ネアが気にいるなら、また向こうで食事をする時に、美味しい店を探しておこう」
「むぐふ。心から美味しいです!甘辛い挽肉餡と酸っぱ辛いソースが素敵でした!」
「そうか、それなら覚えておこう」
「…………野菜と一緒に食べる」
「ええ。とても美味しいですよ。………む!牛肉の黒胡椒煮込み!」
「棘牛ですよ。ポコの大好物でしたから」
「…………お肉を食べるムグリス」
ネアとディノは、そう教えてくれたイーザの言葉に顔を見合わせた。
ムグリスの生態をあまり知らないのか、ウィリアムは特に気にした様子もないが、ムグリスは本来、お肉は食べない生き物だ。
麦と麦酒を好むばかりで、お肉を食べるだなんて聞いたことはなかった。
ムグリスディノがあれこれ食べるのは、正体が魔物だからなのである。
(な、謎めいた奥様だった………)
それは本当にただのムグリスだったのかと気になったが、今更考えても仕方のないことだ。
良く考えれば断崖の花を摘んでこられるパンの魔物もいるので、そのような特別変異体だったのだろう。
ネアは食事の合間に奥様なムグリスのことをあれこれ教えてくれるヨシュアに、微笑んで頷いたり、質問してみたりした。
「そう言えば、狐温泉にヨシュアさんの祝福がありました。あの温泉に行かれてたのですか?」
「狐温泉はいいよね!僕もよく狐に擬態していた時に…」
「狐に擬態…」
思わず反芻してしまったネアに、ヨシュアははっとしたように口籠もった。
分りやすく視線を彷徨わせ、謎につんとする。
「………ヨシュアさんは招待状を持って来て下さった時、狐は嫌いだと………」
「そ、そうだよ!狐は嫌いだ」
「ああ、それは狐に擬態している時に、森にいた晴れ狐に見すぼらしいと馬鹿にされたからですね」
「狐なんて高慢で嫌な奴ばっかりだ…………」
(晴れ狐……?)
こてんと首を傾げたネアに、ディノがそれがどんな生き物なのかを教えてくれた。
「晴れ狐は、晴れた日の空を映した水溜りや泉から生まれる精霊だよ。狐の姿をしているが、毛並みは宝石のような結晶だ。歩くと硝子が触れ合うような音がして、人間達は吉兆として喜ぶかな」
「まぁ!綺麗そうですね…………む」
「晴れ狐なんて、ぶつかって割れればいいんだ……」
「ヨシュア様、ほら、ポコさんの歓迎会なのでしょう?」
荒ぶったヨシュアを、セルザが慌て宥めている。
その一言ではっとしたのか、ぬいぐるみの方を見たヨシュアはほわりと目の表情を和ませる。
「ポコが、ぬいぐるみになっても可愛い」
「美ムグリスですものね」
「そうだよ!」
「ご主人様が……」
「ほらほら、ディノ、心を落ち着かせて下さいね?」
「…………ほ、他のムグリスなんて」
「ふふ、でも困ったことに、ふるふるするディノも大事にしてあげたくなりますね」
「ご主人様!」
そんなやり取りをイーザがじっと見ているので、ネアは慄いてしまったかなと反省した。
このやり取りにすっかり慣れかけてしまったが、普通の人には刺激が強いだろう。
このままでは、ネアという人間の評価がおかしなことになってしまう。
「………素晴らしい調教ですね」
「……………ほわ」
「い、いえ、失礼いたしました」
ネアはその一言を自分の心の中で噛み砕き、少しだけヨシュアの方を見た。
この理知的な霧雨の妖精が調教なんてものを必要としているのであれば、ヨシュアをどうこうする為かも知れない。
案外向いていそうだが、出来ればヨシュアには健やかに今のままでいて欲しい。
ネアは自然のままのヨシュアがいいなと思うのだ。
「これは何だろう………」
「岩塩と、煮詰めた葡萄酢とローズマリーで味付けをした、鴨肉ですよ。網脂で包んで焼き目をつけてあるんです。ポコさんが好きだったので、このお城ではよく出るんですよ」
ぽそりと呟いたディノに、そう教えてくれたのはセルザだ。
ディノは目を瞠って一瞬だけセルザをはらはらさせると、ネアの方を見てからまたぽそりと呟く。
「有難う………?」
「ふふ。ディノ、よく出来ました。セルザさん、ディノにお料理のことを教えて下さってありがとうございます」
「い、いえ!分からないことがあれば、何でも訊いて下さい」
「料理について教えてくれたよ。ほら、君の好きな鴨のようだ」
「はい!私にも一つ取って下さい」
「うん」
「ヨシュアさんのお城は、お料理も美味しいですね」
ネアの感想を聞いて、ヨシュアは得意げに微笑んだ。
目を細めて艶麗に微笑めば、残虐だと噂される雲の魔物らしく見えないこともない。
「そんなに気に入ったなら、またシルハーンと一緒に来てもいいよ。シルハーンの隣には、僕が座るからね」
「そうだな、俺も気に入ったから、ネアが来る時には必ず同行しよう」
「ふぇ、ウィリアムはいい………仕事してなよ」
「ほらほら、ヨシュア。手が震えても飲み物を零さないで下さい。ぬいぐるみを汚したらどうするのですか」
「ぼ、防水してあるから大丈夫だよ!」
そこでネアは、良い会話の流れなのを幸いに、歓迎会のお祝いの品をヨシュアに差し出した。
おしぼりで指先を綺麗にしてから渡した深緑の艶やかな袋には、ぬいぐるみ用の様々な品物が入っている。
「ほぇ、開けていい?」
「ヨシュア、まずはフォークを置いてからにしなさい」
「置くよ!」
ヨシュアは、包装には頓着せずにびりっとやるタイプだったようだ。
震え上がったディノが包装紙の残骸を悲しげに眺める中、紙袋の中に入ったものを見てぱっと目を輝かせた。
「失せ物探しの結晶だ。………それと、雪結晶のブラシ?」
「はい。失せ物探しの結晶は、絶対に奥様なぬいぐるみを失くさないように。そしてそちらのブラシは、毛皮に与えられてしまった汚れや痛みを払うブラシだそうです。汚れないようにしてあると思いますが、万が一の備えがあると安心ですし、奥様なぬいぐるみさんご自身のお道具があると思うと素敵でしょう?」
その言葉は、ヨシュアに感銘を与えたようだ。
「専用の道具………」
「ええ。人間の子供は、お人形やぬいぐるみ専用のお道具を持っていたりします。ぬいぐるみサイズの可愛らしいもので、色々なものがあるんですよ」
「………そういうのいいね。集めようかな!ネアはいいことを言った」
「ふふ、これからの楽しみにして下さいね。ただし、集め過ぎるとぬいぐるみさんも混乱してしまうので、年に一度ですとか、ぬいぐるみさんの記念日に購入しては如何ですか?」
ネアが最後の言葉を足したのは、斜め向かいのイーザが慌てたような目をしたからだ。
こういうことかなとそちらに視線を向ければ、深々と頭を下げられた。
どうやらヨシュアは、気が向くと歯止めが効かなくなるタイプのようだ。
あの様々なお部屋の統一性のなさを見ると、欲しいものを欲しいだけな魔物らしい魔物なのかもしれない。
「………そして、モスモスさんは大丈夫ですか?」
「奇遇だな、ネア。俺も気になっていたんだ………」
ネアが我慢出来ずに尋ねたのは、イーザの膝の上で小刻みに震えながら端っこで小規模爆発を繰り返しているモスモスだ。
ウィリアムも気になっていたのか、深刻な顔で同意してくれる。
ナイフとフォークで華麗に食事をしているところまではあまり見ないようにしていたのだが、爆発の場合はばすんとくぐもった音がするのでどうしても気になってしまう。
爆発しても支障がないように、濡らした布巾を頭にかぶっており、爆発はその下で繰り広げられていた。
濡らした布巾のお陰か、爆発してもすぐに治っているようだ。
「ええ、ご安心下さい。二十年程前の初恋の時は、もう少し派手でしたから」
「…………ほわ」
「あの時は、爆発したモスモスの欠片を集めるのが毎日大変でした」
「よくみんなで、足りない欠片を探したよね」
セルザもそう頷き、二人きりの部屋で爆散されたことのあるディノは怖くなったのかネアの袖を摘んできた。
ネアが何よりも気になるのは、モスモスの向かいにあるスープのお皿である。
(今日爆発したら、スープ皿の中に入ってしまいそうで怖い………)
ネアはその後、モスモスの動向にはたいそう気を遣って食べ進めた。
なお、ウィリアムはぬいぐるみに壊れないという終焉の系統の祝福をあげたらしい。
さすがに終焉の気配も帯びてしまうのでウィリアム本人のものではなく、系譜の魔物が作った祝福なのだとか。
しかし、その贈り物にヨシュアはとても喜び、ぬいぐるみな奥さんを抱きしめていた。
帰り際、ネア達は素敵な茜色の雲に乗せて貰い、地上の雲の魔物の領地の門まで送って貰った。
すれ違った水色の雲には贈り物を持った様々な生き物が乗っていたので、きっとこれから歓迎会のお祝いを言いにいく生き物達だろう。
小型の象のような不思議な生き物が気になったネアがディノに教えて貰ったことによると、その生き物は曇り空の精霊の一種なのだそうだ。
ずっしりと重い曇天に属する生き物であるらしく、風の精霊には頭が上がらないらしい。
「不思議で綺麗なお城でしたね。あんなに賑やかな魔物さんのお城を見たのは初めてです!」
「あのように王として多くを総べる魔物も一定数いるよ。けれど、君の周りには今迄いなかったからね」
「ウィリアムさんには、墓犬さん達がいますが、アルテアさんやノアにもいるのですか?」
「どうだろうね。そのような存在を従えるかどうかは、本人次第なんだ。ウィリアムのように、望むかどうかに関わらず、死者の国のような領土がある場合は、手が必要でもあるけれどね」
「アルテアは、以前は人を入れた城を持ってた筈だ。でも、四百年くらい前に、結局管理が面倒だからといって全部壊してしまったな」
「まぁ、悪い雇用主ですねぇ」
「系譜の者達が特におらず、自分の影などから作っていた従者の場合は消してしまった方が問題がないんだ。けれど、優秀だった数人は、彼の趣味の仕事などの手伝いをして残っていた筈だよ」
「そう言えば、時々そんな連中を見ますね。アイザックのところの事務員のようなものかな」
「ノアベルトにはそういうものはいないよ。元々、傅かれることは好まない気質で、城を作っても家事妖精のようなものしか備えなかった筈だよ」
「そう言えば、シルハーンもそうでしたね」
「そうだね。私の場合、系譜の者というのもいなかったしね」
ネアは、大きな雲のお城を見上げ、視線を戻すと、雲の乗り物を操作してくれている羊頭の妖精の背中を眺める。
イーザが送ってくれようとしたが、色々なお客が来ていたのでネア達が遠慮したのだが、その代わりに万象の魔物と終焉の魔物を地上に戻す命を受けたこの妖精は、先程から完全に背中が強張ってしまっていた。
来年は一周年記念祝祭が開かれるそうで、ネアはもう一度不思議で美しい雲のお城に来れることを楽しみにしている。
もしかしたらその頃には、ノアの立ち入り禁止措置も解かれているかもしれない。
素晴らしい雲のお城の姿はざあっと吹いた風に流れた雲に隠され、やがて夜の向こうに見えなくなっていった。