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雲の招待状


その日、リーエンベルクにはとんでもないお客があった。


急ぎの通信が入り騎士棟から飛び出すと、待っていた騎士の一人が厳しい顔で首を振る。

よりにもよって、今日はグラスト隊長とゼベルが休暇を取っており、報告にあったような騎士達だけでは対処が難しい高位の人外者となると、現場で対処出来ることも酷く少ない。


「雲の魔物で間違いないのか?」

「ああ、本人が名乗ったらしい。ゼベルがいれば、エアリエルで一瞬の無力化が出来るが………」

「最悪の場合は、俺が盾になろう。だが、それでもあまり時間は稼げないぞ」

「ゼベルを呼び戻せないのか?」

「よく分らないが、今日は伴侶の実家に行っているそうだ。禁足地の森の奥とは言え、妖精の領域だからな……」



(もし襲撃などがあれば、どこで食い止めるべきか………)



門を開けなければいいのだが、報告通りの雲の魔物であれば、リーエンベルクの外門とは言え突破されてしまうかもしれない。



「リーナ、いざという時は一昨日増えた結界を使うか?」

「………それがあったな。効果が高位者向けだ」



リーエンベルクには様々な結界がある。


それは、古くよりあるこの宮殿の護りであった結界に始まり、最新のものは先日強化されたばかりだ。

エーダリア様が戻ってから書き替えられたり修繕されていた結界が、昨年あたりから高位の人外者達の手により、より強固で、触れてみてもその織りが読み解けないような高度なものになってきている。

つい一昨日も、ヒルド様とダリル様立ち合いの下、見知らぬ男が指導するままにエーダリア様が結界を強化していて、初めて触れる織り方と技術だとひどく興奮した様子だった。


そしてそんな風に増やされた結界は、すぐさま騎士達にも情報共有され、その結界を生かした新しい防衛方法などが話し合われるのだ。


リーナ達が思い出したのはその一番新しい結界で、悪意を持つものが正面から突入しようとすれば、組み上げた術式を破壊してしまうものなのだそうだ。

一方的な拒絶や破壊は明らかに人間の領域の魔術ではなく、主に魔物に好んで使われている技術である。

このリーエンベルクには人外者が使い易い土地の魔術が潤沢なので、他の土地にある建物では使えないようなものが使えるという強みがあった。



「見えたぞ。あれだ………」

「白い……………!」



目に飛び込んできた不穏な来訪者の姿に、リーナはぞくりとした。


守衛の騎士達が震え上がってしまうのも無理はなく、急ぎ現場に駆け付けた筈のリーナですら、一瞬、声を失って瞠目したまま立ち尽くす。



特徴的な服装に、指先に挟んだ雲の煙管。

リーナが知る限りの、その魔物の特徴を持ち合わせ、何よりも魔術圧がここからでも感じる程にずしりと重い。



「俺は右に。お前はあの左手の結界の後ろに回り込めるか?」

「ああ。間違いなさそうか?」

「…………雲の魔物で間違いないだろう。誰か、ヒルド様を。いらっしゃらなければ、よくエーダリア様の襟巻になっている銀狐でも構わないそうだ」

「はっ!」


指示に従い、門の近くに控えていた階位の低い騎士が一人駆け出してゆく。

リーエンベルクの騎士には、階位は低くとも魔術の扱いが器用な者がおり、同じ現場での任務でもそれぞれの役割は変わってくる。

今の青年は人間としてもまだ若いが、目が良く通信に長けた魔術を持っているので、戦闘面では脆弱ながらも前線にいることが多い。

先日、グラスト隊長が腕を折られながらも庇った騎士だ。



(………しかし、なぜ雲の魔物がわざわざリーエンベルクに?)



正門前で騎士達の向かいに立っている男性は、頭に白いターバンを巻いている。

こんな曇天の朝でも光をよく集める銀灰色の瞳は深く、同じ色合いの髪がはらりと額にかかっていた。

顔の半分にある白い刺青のような模様は純白で、その男は自分は雲の魔物だと名乗ったそうだが、疑いようもなくその本人だろう。


ネア様に会わせて欲しいと言ったそうだが、来訪許可の書類に記名することは拒否したのだそうだ。

こちらに危害を加えないという誓約を交わすその書類に名前を記さない人外者は、例え外客用の待合室であれリーエンベルクに入れる訳にはいかない。


それに、本当に知己である高位の魔物がこんな風に正門からやって来るだろうか。

騎士達の誰もが、それを訝しんだ。


このリーエンベルクにはよく、あまり直視してはいけない高位のお客人が訪れているが、大抵はその知り合いを頼り転移などで入り込んでいる。

それが出来ないのであれば、この魔物はこんな接触しか図れない程度には、親しくないのだ。



「僕、まだ入れないのかな?歓迎会の招待状があるんだよ?」


向き合った騎士達を覗き込むようにして、雲の魔物は目を細めて笑う。

身に持つ白を隠しもせずに来訪したその魔物に、騎士達は辛うじて踏み止まっている状態だった。

リーエンベルクの結界がなければ一瞬で昏倒しただろうが、幸いにも騎士達はこちら側、雲の魔物はあちら側なのだ。

闇の妖精の事件があったばかりなので、その妖精の王子の特務隊だったという妖精の騎士達と交戦した内、負傷者は四人出ている。

皆、ネア様の特殊な傷薬を所持していたので大事は至らなかったが、その後のこととなるといささか負担も大きい。


もしこれが、招かざる客だった場合。

そんなことを考えてリーナが指先を握り絞めた時だった。



「…………ヨシュアさん?」



肩に銀狐を乗せて、ネア様が通りかかったのだ。

様子を見ると、庭に出ていた帰りに正面の入り口から中央棟に戻ろうとしていたのだろう。


門前の騎士達と、有事に備えて周囲に控えた騎士達が皆、一瞬で助かったという顔をする。


以前この国にいた歌乞いとは違い、彼女は決して全ての者達に好意的に受け入れられ、慕われるような気質や容貌の歌乞いではない。

実際にリーナは、何を考えているのか分らず、よくわからないが本能的な恐怖すら覚える彼女は、個人で向かい合った時に好ましいかと言われればあまり関わりたくないと答えるだろう。


しかし、騎士達の全てが一目置いてしまう頑強さは、騎士として守り仕える相手としては文句のない安心感であった。

ここにいる騎士達のほとんどがエーダリア様やグラスト様を慕う中、彼女は、そんな主人や上司の側にどうか未来永劫留まっていて欲しい珠玉の人材なのである。



現に先日、闇の妖精によるリーエンベルクの襲撃の際には、彼女は一足先に妖精の国に攫われた後だった。

そして案の定、彼女のいないリーエンベルクでは、珍しく中規模の戦闘があり、騎士達にも負傷者が出た。


ネア様は災厄をその身に取り込み退けるという評判通り、彼女を襲った妖精の足場にされたオルは、すぐさまその周囲にいた魔物達の治癒を受け、生き延びたのが不思議だという状態からあれよあれよという間に回復を早めた。

挙句の果てにはネア様がオルを見舞おうとしたことに腹を立てた契約の魔物が全快させてしまったので、ひと月は安静にと言われていたくせに昨日から仕事に戻ってきてしまっている。

普通に交戦で怪我を負った者達より元気になったので、その差はやはり、ネア様に関わったかどうかだと言えよう。


そんなネア様は攫われたり、別の空間などに落ちることも多く、不在にしていることも少なくない。

そうすると騎士達はひどく消沈し、厄除けの祝福がない期間は細心の注意を払って職務に当たる。


つまりそんな存在なので、彼女の出現に騎士達は色めきたったのであった。



「ネアだ!」


ヴェルクレアの中でも特に海寄りの土地では、雲の魔物と言えば最も残虐な魔物の一柱である。

気紛れに人間を殺し国を滅ぼす高位の魔物として、その名前を知る者は多い。

かつて大きな商船が沈められる事故があり、その時の被害者達にとっては悪夢のような存在であった。



そんな雲の魔物が、ネア様を見付けた途端に嬉しそうな顔をしたのだ。

リーナ達はぎょっとしたが、幸いにも有事の際には頼るようにと言われている銀狐が一緒なので、判断を任せても良さそうだ。



ネア様は門の近くまで来ると、リーナ達に申し訳なさそうに頭を下げる。


「このご訪問は驚いてしまいますよね。任せて下さい!」

「………念の為に、門からは出られませんよう」


そう言えば、彼女はこくりと頷いた。

その肩で銀狐も頷いているので大丈夫そうだ。


そして、彼女は門の外にいる雲の魔物に近付いた。


「ヨシュアさん、どうしてここにいらっしゃるのでしょうか?お約束はしていなかった筈なので、もしや、……迷子ですか?」

「僕は迷子になんかならないよ!」

「お一人でいるのは珍しいですね。ディノを呼んできます?」


門越しに会話をしていることが嫌だったのか、雲の魔物はおもむろにリーエンベルクの外門に触れようとした。


「あ!いけませんよ。手がなくなってしまいます」

「ほぇ………」

「門の結界を強化したので、高位の方がいたずらをすると、手がなくなってしまいますよ」

「僕はそういうの解くの得意なんだけどな」

「因みに、みなさんが苦労して施したものを壊してしまった場合、壁一面きりんさんで埋め尽くされた部屋に放り込まれます」

「ふ、ふぇ」


恐ろしいことに、その脅し文句で雲の魔物はすっかり怯えてしまった。

蹲って外門の柱の横に隠れてしまったので、ネア様が肩の狐を指差してこちらに示すと、その狐と一緒なのでと言い、雲の魔物の側に行く為に外まで出ることになる。



「今、ヒルド様もこちらにいらっしゃるそうですが……」

「有難うございます。でも、狐さんがいるのでひとまず安心して下さいね。それと、ディノももうすぐ来ますから」



だとすれば、それまでの時間をネア様が対処する為に外に出るのだろう。

お止めするべきか迷ったが、このような場合は、特定の者が一緒であれば判断をネア様にお任せすることになっていた、

謎でならないが、その特定の者には、銀狐も含まれているのだ。



「申し訳ありません。我々ではさすがに対処しきれず……」

「いいえ、いつも守って下さって有難うございます。騎士さん達はとてもお強いですが、ヨシュアさんは知り合いでないと扱いが難しそうな方ですからね。どなたも悪さはされていませんか?基本は可愛い魔物さんなのですが、やはり魔物さんですし」

「いえ、精神圧に軋んだくらいですから。………可愛い………?」

「以前、事故に遭った時に助けていただいたことがあるのです。………あら、拗ねましたね?」


気付いてそちらを向いたネア様に、あろうことか雲の魔物は何かを投げつけている。

よく見れば落ちている落ち葉を掴んで投げつけているようで、ネア様の肩に乗った銀狐は足踏みをして怒っていた。


「僕がせっかく来たのに、人間とばかり話してるんだ。君は少し反省した方がいいよ」

「あら、他人様にものを投げるのも良くないことですよ?イーザさんやウィリアムさんに言いつけてしまいましょうか」

「ふ、ふぇぇ」

「ほらほら、綺麗なお洋服が汚れてしまうので立ちましょうね。私とお喋りしましょう。イーザさんはご一緒ではないのですか?」

「………イ、イーザは怒るから置いてきた!」

「ということは、怒られるようなことをしたか、これからするかなのですね?」

「ぬいぐるみ仲間だから、歓迎会に君を呼びに来たんだよ。ほら、招待状」

「まぁ………」


雲の魔物が差し出したのは、一枚の灰色の封筒だった。

唯の封筒の筈なのだが、目を奪われるぐらいに美しい。

雲母か宝石を切り出して作ったような小さな封筒が、曇天の下の淡い陽光に細やかに煌めく。


ネア様は少し躊躇い、肩の上の銀狐の方を見てからその封筒を受け取った。



「素敵なものを持ってきてくれたのですね。有難うございます」

「感謝するのはいいことだよ。それで、すぐ来る?それとも、後から来る?」

「む?ご招待いただいている催しは、今日なのですか?」

「そう。二時間後からだ」

「なぬ」


眉を顰めた人間を不思議そうに雲の魔物が見返したところで、契約の魔物であるディノ様がやって来たようだ。

いつもの高位の魔物らしい装いではなく、風呂上りなのか室内着を着ているようだ。

振り返ったネア様を認めるとほっとしたような顔になり、雲の魔物に視線を向けた。



「ヨシュア、どうしたんだい?」

「シルハーン!ネアに、招待状を渡したんだ。今日は歓迎会だからね」

「…………歓迎会なのかい?」

「そうだよ。ポコのぬいぐるみが出来たんだ!!」



(…………ぬいぐるみ?)


リーナは、その言葉を理解するのに随分な時間がかかった。

何度か頭の中でその響きを繰り返し、他に同じ言葉はないだろうと確定するまで、雲の魔物が言うのに相応しい単語を探してしまったくらいだ。


周囲の同僚を見回せば、他の者達もひどく困惑した目をしている。

それでも騎士らしく平静さを保っているのは仲間として誇らしい限りだが、となるとやはり、雲の魔物はぬいぐるみの歓迎会をしようとしているらしい。



「とうとう出来上がったのですね?」

「うん。だから歓迎会だよ。シルハーンと一緒に来るなら凄くいいけど、ノアベルトは出入り禁止だからね」


その言葉に、ネア様の肩に乗った銀狐が尻尾を振り回して激怒している。

ムギムギ鳴いて怒っている銀狐を片手で押さえ、ネア様は困ったようにディノ様を見上げた。


「ディノ、奥様のぬいぐるみの歓迎会ですし、急なこととは言えお祝いしてあげたいです」

「君が行きたいのなら、ヨシュアの城なら構わないよ。………ノアベルト」


その返答にいっそうに荒ぶった銀狐は、ディノ様に飛び移ると、その肩の上で飛んだり跳ねたりをしながら必死の抗議をしている。


「そんなに嫌なのかい?でもヨシュアは、妖精の国でもこの子の助けになっただろう?」

「うん。それについては、もっと褒めてもいいと思うよ。ノアベルトは留守番だ」

「ヨシュアさん、煽ってはいけませんよ」

「僕、狐は嫌いだしね」

「こらっ!」

「狐は嫌いなんだ!」


そう言われた銀狐は、体中の毛をけばけばに膨らませたあと、涙目になってムギーと鳴いた。

これから一体どうなるのだろうと固唾を飲んで見守る騎士達の前で、そんな銀狐は背後から伸ばされた手で回収される。


そこに立っていたのは、呼びに行った騎士達と共に立つ、頼もしい代理妖精のヒルド様だ。

振り返ったネア様も、ほっとしたような目をしている。



「ヒルドさん!」

「ネイ、我儘を言うものではありませんよ。………ネイは私の方で預かっていますから、どうぞお出かけになって下さい」


ヒルド様の手の中で銀狐は猛り狂ったが、しっかりと胴体を掴まれてしまっており逃れることは出来なかったようだ。

涙目で震えているが、その会がどんなものであれ、高位の魔物の城に招かれていないものが入り込むのは難しいだろう。



(多分…………)



騎士達には暗黙の了解がある。

それは、どれだけネア様の周囲に白い魔物がいても、決して気に留めてはいけないという一項目目から始まり、誰かが銀狐をノアベルトという有名な塩の魔物の名前で呼んでも、気にしてはいけないというようなものだった。



なので、もしかしたら雲の魔物の領域にも入り込めるかもしれないが、そこは深く考えてはいけないのである。



「じゃあ、シルハーンと来るよね。うん、シルハーンと来るのが一番いいよ」

「むむ。さては、私を誘いに来たものの、ディノに来て欲しくなりましたね!」

「………そ、それには答えられないかな」

「あらあら、困った魔物さんですねぇ」

「新しいお皿も買ったから、必ず来るんだよ!ノアベルトは留守番だ!」

「ほわ、………言い逃げしました」

「新しいお皿………?」



最後に捨て台詞を残し銀狐を激怒させ、雲の魔物は去って行った。

激怒した銀狐は、ネア様達に雲の魔物が苦手とする同行人をつけたそうだが、その歓迎会とやらがどうなったのかはわからない。



ただ、翌日の銀狐は、ご機嫌で尻尾を振りながら歩いていた。

中身は高位の方なんだろうなぁと言いながらも、今日も騎士達はついついジャーキーをあげてしまうのだった。









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