ムグリス袋とムグリス事件
その日ネアは、今回の闇の妖精事件こと、荒ぶるちびまろ事件でお世話になった方々にお礼を贈るべく、リノアールに来ていた。
「…………きらきらです」
リノアールの今年の飾り木は、吹き抜けのホールに白緑と大きなモミの木のような木を配置し、青色とシャンパン色の結晶石で飾られていた。
青は氷河の割れ目のような深く澄んだ色で、全体的に雪景色の中の不思議なツリーのように見える。
真っ赤な木の実が鮮やかに映え、しゃらりと揺れているのはシャンデリア型の結晶石のオーナメントだ。
リボンは深みのあるロイヤルブルーで、飾り木の足元には結晶石で作られた味わいのある色合いの林檎が沢山置いてある。
結晶石の林檎は中に魔術の火を燃やしており、それぞれに微妙に違う色合いがなんとも美しい。
「……………少しだけ、見とれていてもいいですか?」
ネアがそう言えば、いつもの魔物ではない魔物は呆れたように眉を持ち上げた。
「あんなものが気に入ったのか?」
「はい、とても綺麗ですし、やはり飾り木は私には特別な意味のある装飾ですから」
「飾り木が?」
そう問い返され、ネアは隣に立ったアルテアを見上げた。
本日は黒髪に暗い赤色の瞳に擬態しているが、漆黒のスリーピース姿に琥珀のステッキを持った彼は、やはり到底人間には見えない。
毛足の短い黒い毛皮の帽子には、少し長めに垂らすデザインの黒いリボン飾りがある。
そして、黒い革手袋に包まれた片手は、しっかりとネアの手を掴んでいる。
本人曰く、これが嫌ならリードをつけるとのことだったので、ネアは本日、断りなくこの手を離してはいけないという厳命を守っていた。
「私の育ったところでも、イブメリアに相当する祝祭がありました。それはとても特別な日で、世界中がその催しで盛り上がったものです。町中に飾り付けをし、愛する人や家族と過ごす、特別な日だったのです」
ネアは、子供の頃からクリスマスが大好きだった。
単純な家族の祝祭でもなく、恋人達の祝祭でもなく、確固たる信仰やおとぎ話の背景を持つ、壮麗で美しい特別な日だったからだ。
(家族を亡くしてからも、毎年のオーナメントは買い揃えた)
一年に一つずつ、丁寧に揃えた。
古くからある天鵞絨のオーナメントのビーズ刺繍が緩めば、丁寧に直して飾った。
本当は家族で囲むツリーを一人で見上げて、家族を亡くしたからと言って美しいものを失くさずにすむよう、一人ぼっちでも毎年楽しんだ。
でも勿論、大好きだからこそ痛む心もある。
家族や大好きな人にプレゼントを贈りたかったし、綺麗なツリーを一緒に見ていたかった。
「この世界に来て、欠片の曇りもなく、ただ、この美しさや楽しさを堪能出来るようになりました。大事で大好きな人達がいて、尚且つ、そんな人達に贈り物が出来るお金の余裕があります。何と素晴らしいことなのでしょう」
「最後の一言で台無しだな」
「あら、お金は大事なものですよ。例えば極貧であれば、アルテアさんにお徳用クッキーしか贈れないとします。美食家なアルテアさんはお徳用クッキーなどぽいしてしまうと想像がつくので悲しくなりますが、お金があれば、アルテアさんが使ってくれるかもしれない、素敵な手袋が贈れます」
「クッキーは却下だな」
「ほら、そう言うではないですか!お金がないということは、選択肢を奪われるということです。それが全ての元凶にはならずとも、………とてもね、疲れるんですよ」
真冬に一度、ストーブが壊れたことがあった。
勿論ストーブを買うことは出来たが、それは自分の誕生日の為に買うつもりでいた、素敵な毛織のストールを諦めるということだった。
それは不幸ではないと言う人もいるだろう。
けれどネアはそういう風に自分を甘やかすことで豊かにする人間だったので、とてもとても惨めで悲しかったのだ。
「余計なことはさっさと忘れろ。お前はもう、二度と向こう側へは戻れないんだ。切り離された世界のことなんぞ持ち出されても不愉快だ。残しておく記憶は選別しておけ」
「ふふ。とても悪役な風に言われましたが、アルテアさんは優しいですね」
「お前の持ち物を捨てろと言ったんだぞ?」
「でも、良い記憶は選別して残しておけと言ってくれたのですよね?」
「記憶の詰め替えだな。此方がここになり、それはあちら側になったんだろ」
「…………それでも、私は不都合なことも悲しいことも、それが私を成り立たせる要素である限りは持ち続けるでしょう。どんなお洋服を着てどんな土地で生きて行くのだとしても、あちら側が確かに私の基盤なのです。記憶を持ってここにいるのですから、死んで転生したというよりは、死んで死後の世界で楽しく暮らしているという感じですからね。……むぎゃ!何をするのだ?!」
突然頭をばしりと叩かれ、ネアは渋面になった。
しかしアルテアも不愉快そうな顔をしており、細められた瞳は鋭く苛立っている。
「妙な例えをするな」
「むぐぅ。………ですが確かに、飾り木を見て感傷的になり過ぎましたね。しょうもない話で時間を無駄にしてしまいました」
アルテアはディノとは違う。
こうやって、自分とはこういう人間でと記憶や心を掻き分けてゆく作業は、共に寄り添う人とするべきものだ。
突然そんなものを詳らかにされても、迷惑なばかりだろう。
そう思ってぺこりと頭を下げたネアは、なぜかもう一度アルテアに頭をはたかれた。
「なぬ。解せぬ」
「話すのは好きに話せ。ただ、死はウィリアムの領域なばかりじゃなく、お前は安易にそれを選びかねないからな。言葉で縁を作らないよう、二度と口にするな」
「…………魔物さんが意外に繊細です」
「やめろ」
「そして、私が死んだら使い魔さんも大惨事なのですよね?そろそろどこかで、この契約を解除しませんと」
「契約を残しておかないと、どうせお前は竜を飼うんだろうが」
「白もふでもいいですよ?今度、私と一緒に老後を過ごしてくれるかどうか、聞いておいて下さい」
「御免だな」
「むむぅ。そうなると、ウィリアムさんな竜さんが定期的に毛布になってくれないと、心が安らかになりません」
「言っておくが、あいつは自力じゃそっちの擬態は出来ないぞ」
そんなことを話しながら二人が向かったのは、展示ケースを売る専門店だった。
こちらの世界には、あまりにも多くの展示用ケースがあり、その展示用ケースの用途はとても広い。
希少な鉱物や植物、魔術のかけらや空から落ちてきた星屑など、日常生活の中で劣化や損傷を防ぎつつ眺められる感じでしまっておきたいものが沢山出てくるからだ。
「で、何で展示ケースなんぞ欲しがり出したんだ」
「秘密なのです」
「ほお、じゃあ勝手に選べ」
「劣化を防いで、中のものの魔術的な影響を受けないのはどれなのだ」
ネアがそう口に出したところで、滑るように近付いてきた店員が、氷水晶のケースと、夜明けと共に差し込む朝陽のケースをお勧めしてくれた。
ネアは少し考えてから、今回の事件のお礼の品を入れるのに相応しい響きは朝陽のケースだなとそちらにする。
夜明けという雰囲気が、事件が解決したようで素敵だ。
「こちらを、八つ下さい」
「はい。お届けも出来ますが、お持ち帰りで宜しいですか?」
「はい。そして、中身を入れての贈り物にするので包装は簡易でいいですが、紙袋を個数分下さい」
「かしこまりました。では、後からお客様が包装し易いものがありますので、柔らかい霧紡ぎの袋とリボンもおつけしておきますね」
「まぁ、有難うございます!包装紙は難易度が高いかなと諦めたところでした」
やはり、安心のリノアール店員の計らいにほっとしつつ、ネアはお会計をして荷物を受け取る。
アルテアはその買い物は我関せずで見守っていたものの、そのフロアにあったイブメリアの時期限定で素敵な水晶瓶に入ったボディクリームをネアが横目でちらりと見ると、さらりと買い与えてくれる。
「そんな、自分で買いますよ!」
「さっさと香りを選べ。じゃなきゃ、勝手に決めるぞ」
「なぬ。となれば、くんくんさせて下さい」
ネアは慌てて香り比べをし、夜の森みたいでふくよかでイブメリアらしい香りのものにした。
微かに甘い香りが残るのが、飾り木のイメージで気に入ったのだ。
今度は、持ち手が上品な金色のリボンになった、可愛い薄ピンク色のコーティング紙の袋に入れて貰い、ネアはご機嫌でそれを受け取る。
「アルテアさん、有難うございます」
「妖精の国で劣化しただろうからな。それで補え」
「れ、劣化?!」
「髪は治させたのか?」
「髪の毛………。切られた分であれば、ユリウスさんが治してくれましたよ?………劣化」
「残された方は、ノアベルトがシルハーンに返してたぞ」
「…………すぐさま確認します。危うくまた、収集されるところでした。情報提供には感謝しかありません」
「常習犯だからな」
ここでネアは、ストール売り場の素敵なストールを横目で見て微笑みを深めた。
今のネアは狩りの収入でも、いつものお仕事の収入でも、ストールが買えるし、既にもうお気に入りのストールがあるのだ。
「ったく。どれが気に入ったんだ?」
「ストールの亡者のように言ってはいけませんよ!ルドヴィークさんのお国で買ったストールを思い出したのです。心ゆくまで使える季節になったので、どのコートと合わせようかなと思いまして」
「そういや、去年はラムネルのコートばかりだったな」
「ところが、本当はコートは沢山あるんです。ディノがケープの残りの毛皮で作った白いコートもくれましたし、狐さんが震えてしまうのであまり着ない、水色の雪狐の毛皮のコートもあります。リーエンベルクでもあれこれ用意してくれました。でも、やはり紫紺色のラムネルのコートは、暖かさだけでなく色合い的にも使い易いですね」
「黒は持ってるのか?」
「リーエンベルク側の備えであった筈です。でも、お気に入りから着てしまうので登場回数は少ないでしょうか。着る機会が少ないコートは保存の魔術でとっておき、将来下そうと思って大事にしてあるんですよ」
「…………確かにお前の髪色だと、黒だと色の強弱が目立ち過ぎるな。常用で着るなら、同色系統の色合いを暗くしたコートがあるといい」
「むむぅ。確かにそんな色のものは素敵ですが、新調したら、いっそうにコートまみれになってしまいます!あるもので手堅く運用するのが庶民の務め。その上、既に庶民らしからぬコート保有量なのです………」
ネアはそう言いながらも、入り口近くにあるオーナメントの特設会場で一つの飾りに目線が釘付けになってしまい、アルテアに苛められないようにそろりとお会計に持ち込もうと店員さんを探している内に、そのオーナメントは忽然と消えてしまった。
森結晶で作られた柊の葉っぱに緻密な細工があるもので、きっと目聡い誰かが素早く買い上げてしまったのだろう。
森結晶の質があまり良くない淡い色だったこともあり安価だったのだが、ネアはその淡いミントグリーンの色合いに恋をしたのだった。
(買おうとしたものから目を離すなんて、不覚だった………)
しゅんとしてはいたものの、手には素敵なボディクリームの瓶の入った袋がある。
その袋を見て元気になり唇の端を持ち上げると、ネアはぎゅっと紙袋を抱き締めた。
「…………たかがボディクリームだろ」
「素敵な瓶に入った、いい匂いのボディクリームです。しかも、アルテアさんが買ってくれました。大事に使いますね」
「………普通に使え」
ネアが喜びに弾みたいのを我慢して口元をむぐむぐさせて微笑むと、アルテアは魔物らしい呆れたような冷やかな目をした。
(いつの間にか、こんな季節になったんだわ)
リノアールを出ると、いつの間にか祝祭への期待に微かな昂揚感を滲ませる街並みがそこにはあった。
ノアは今日、久し振りに心置きなくデートが出来るようになったからと、祝祭の季節に向けての追い込みに入っているらしい。
このあたりでまず一度会っておき、祝祭の真っただ中で切られてしまったり、刺されてしまったりしないよう、慎重に今後のスケジュールを決めてゆくのだそうだ。
灰色の空の向こうには冬の系譜の生き物達がひらりと飛び交い、街角のショウウィンドウではイブメリアの飾りつけをしている若い男性がいる。
歌劇場のイブメリア当日の演目は、毎年恒例の特別演目だ。
今年はディノの計らいでロージェが既に押さえられているが、ノアも行きたいと駄々を捏ねていた。
「そう言えば、去年はロージェを譲って下さって有難うございました。今年は予約しなかったのですか?」
「どこかの歌劇場の魔物が、シルハーンの意向を優先したからな」
「ということは、今年もレイラさんのお目付け役に……」
「何でだよ。どっちにせよ、ロージェは押さえてあるんだから、それでいいだろうが」
「なぬ。さては合流する気ですね!」
「座席は五席ある。充分だろ」
ネアは魔物が荒ぶらないだろうかと心配になったが、みんなで楽しむのも楽しそうだ。
それに、これからもずっと一緒のディノとは違い、アルテアはここで遊ぶことに飽きたらしれっと疎遠になりそうなので、貴重な機会として一緒に過ごすのもいいだろう。
「………しかし、アルテアさんにもデートのような大事なお出かけがあるのではないですか?アルテアさんだけならいいのですが、恋人さんとご一緒なら事前に紹介……むが!何をするのだ!」
気を利かせたつもりだったネアは、むぎゅっと顎を掴まれてしまってじたばたする。
顎先を掴むようにしてまたしても淑女の顔を不細工にする虐めなので、その手をばしばし叩いて抗議した。
「妙な勘繰りをするな」
「しかし、ウィリアムさんも気にしていましたよ。冬の舞踏会で同伴されるのが、きっと今の恋人さんだと伺いました」
「………そうか。ウィリアムとは一度じっくり話をする必要がありそうだな」
「…………あまり触れて欲しくないということはまさか」
ネアはここで、何とも嫌そうなアルテアの様子に、まさかこの時期になって振られてしまったのだろうかと思い至った。
最近は何かと面倒を見て貰うことが多かったので、仕事が忙しくて会えないことで喧嘩になっていたりしたらどうしようと少しだけ不安になる。
困ったような悲しげな目で見上げるネアに、アルテアは露骨に嫌そうな顔をした。
「またろくでもないことを考えてるな」
「………アルテアさん、もしかして振られ…」
「お前は暫く黙ってろ」
「むがふ!淑女の頬っぺたを摘まむ意地悪は万死に値します!」
「お前は人の心配をしている場合か。それとも、栞の魔物の祝福でそちらは極めたのか?」
「……………む。意図的に封じていた記憶を開封されました。……そうなのです。またいつか、専門家の方の講習を受けに行かないといけません。書物だけでは、お作法がいまいち分らないので先生が欲しいのです」
「……………書物?」
「はい。ノアが買って来てくれたんですよ。大変にいかがわしい専門書なので、自分のお部屋に置くのが嫌で普段はノアに預けてあります。でも、せっかくの参考書なのですが、それですら専門用語が多過ぎて首を傾げっ放しでした」
「…………そうか、あいつはよほど命がいらないらしいな」
「なぜに荒ぶるのだ」
ネアとしても、確かに家族相当とは言えノアとそんな本を読んでみるのも複雑だったが、かといってそのような悩みを話し合える相手はかなり限られてくる。
最近はウィリアムもこの手の相談だと逃げてしまうので、一切の躊躇なくその種の話題に触れられるノアにしか頼めなかったのだ。
出来れば女性で、素人にあまり踏み込まずざっと概容だけ説明してくれる神の教師を探したいのだが、その捜索をどこで行ったらいいのか分らないので、またアルビクロムに勉強に出かける必要がありそうだ。
「は!そう言えば、アルテアさんは経験者でしたね」
「ほお、興味があるなら、特別に教えてやるぞ?」
「空気を読んでさわりだけを教えてくれるような、女性経験者を知っていますか?」
意気込んだネアがそう尋ねると、アルテアは呆れた顔で溜め息を吐いている。
これは期待出来そうにないなと遠い目をしてから、ネアはひとまず来年のミッションにしようと、問題を脳内で先送りにする。
今年はまず、健やかにイブメリアを乗り越えることを考えて過ごそう。
「それと、ウィリアムには言うなよ?あいつは、素知らぬ顔で自分の取り分を掠め取るだろうからな」
「初代相談役だったウィリアムさんには既に相談したのですが、そろそろちょっとまずいということで、退役されてしまいました。そちらの方面でなければ、いくらでも相談に乗ってくれるそうです」
「待て。お前はどんな頼み方をしたんだ?」
「む?一緒に、アルビクロムの街で玄人さんを探して下さいとお願いしただけですよ?或いはショーなどで、初心者編の解説を行っているところでもいいかも知れないと補足しておきました」
「………それは断るだろうな」
「なぬ。アルテアさんでも、こんな風に相談されたら嫌ですか?」
ネアは、自分の無知さに項垂れて眉を寄せる。
特殊な世界の特殊なお作法なので、何が間違った言葉選びで、何が失礼にあたるのかもわからないのが悲しい。
アルテアの表情や返答からすると、ウィリアムにネアが頼んだことは何やら困ったことだったらしい。
ネアは一般的なそれのレベルで踏み堪えたつもりだったが、そちらの業界ではとんでもない過激なお作法だったのだろうか。
がくりと項垂れて歩くネアに、アルテアはわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「どうしても見たいなら、前のものより質のいい舞台を探してやる。だが、そもそも他者に見せつける趣味の奴等の技術を取り入れる必要があるのか?」
「…………………が、分りません」
「は?」
ネアが困ってしまって、もしょもしょと呟くと、片方の眉を持ち上げられる。
仕方なく声の音量を上げた。
「……………蝋燭の使い方がわかりません。ノアから、そのような趣味の場合は、鞭と蝋燭は基本中の基本だと教わりました。あまりにも基本なので、そもそもその蝋燭の扱い方の詳しい説明が、どこにもないのです」
「………………………鞭の使い方は分るのか?」
あまりにも長い沈黙の後、アルテアはそんなことを尋ねた。
ネアはきりっとして顔を上げると、鞭であれば竜騎士達の振る舞いを見たことがあると主張する。
「しかし、鞭は大事な魔物が怪我をしそうで嫌なので、こっそり運用から外しております。となると、もう一つの基本である蝋燭ぐらいは、どうにか頑張って会得してあげるべきだと思うのです…………」
「……………お前、本当にそれが必要なのかどうか、あいつに尋ねたことはあるのか?」
「ほわ。………どう聞けばいいのか分らなくて、話し合ったことはありません。やはり、まずはディノの求めていることを詳しく調べ上げるべきでしょうか?」
「まずはそこからだな」
「むぐぅ。………悩ましいですね。まずは、質問する勇気を育てるところから始めます………」
「叩き起こして聞いてみればいいだろうが。その姿なら、一瞬で済むぞ」
「まぁ!さすがアルテアさんですね。ムグリスディノになら、さらりと聞けてしまいそうな気がします!」
そこでネアは、リノアールの通りより少し内側の歩道に入ると、胸元に収まってすやすやと眠っていたムグリスディノを引っ張り出すことにした。
しかしそこで、思わぬ追及を受けることになる。
「おい待て。俺が渡しておいた袋はどうしたんだ?」
「あれはムグリスディノがお気に召さなかったようで、巣の中に持ち帰られてしまい、巣材となっています。袋の中に入ると、体がきゅっとなるので嫌なのだそうですよ」
「服の中とさして変わらないだろうが。次回からは嫌がっても詰め込んでおけ」
今日のディノは、ネアからは離れたくないと言い張るものの、ネアとしては、妖精の国で散々無理をさせてしまったのでゆっくり休んで欲しいというところで、ムグリス化して貰い胸元でぐっすり眠らせているのだった。
そして護衛代理で、お昼に美味しいパイシチューを届けてくれたアルテアが買い物に付き合ってくれているのである。
「…………む」
「どうした?」
「起きませんね。幸せそうにむにゃむにゃしているので、このまま寝かせておいてあげましょう」
「よし、起こしてやろう」
「その構えは、さては指先でばちんと強めに弾くつもりですね?!ムグリスディノが凹んでしまうのでやめるのだ!」
「死にはしないだろ」
「おのれ、苛めっ子になりましたね!」
そこからしばし、ムグリスなディノが入った部分をでこぴん方式でバチンと叩こうとするアルテアと、その上を腕でガードして壁際に逃げたネアとの攻防戦が続いた。
せっかく用意したムグリスディノ用、首下げ袋を使って貰えなくて寂しいのかもしれないが、ネアには、ムグリスディノが好まなかった理由が分る気がした。
何しろあの首下げ袋は、外側のネアの肌に触れる部分は素敵な毛皮だが、中のムグリスディノが入る部分はざらざらした麻布なのである。
アルテア曰く通気性に特化したようだが、ディノはざらざらしていると悲しげな顔をしていた。
だからネアも、巣材にされてしまっても叱らずにいたのだ。
巣材にしたところ表面のふわふわが素敵で幸せのようで、決して無駄にしてしまった訳でもない。
「むがふ!苛めっ子がしつこいです!!」
「いい加減にそいつをそこから出せ」
壁沿いを逃げるネアを、アルテアは容易く追い詰めてしまう。
しかしネアも、爪先を攻撃する素振りでまた横歩きで逃げるのだ。
そしてそんなやり取りは、ゆらりとアルテアの背後に現れた人影によって終わりを迎えた。
身体能力の差で易々と路地の角に追い詰められてしまい、ぜいぜいと息をしていたネアは救い主の出現にぱっと笑顔になる。
「………アルテア、随分と楽しそうですね。どこを触ろうとしてたんですか?」
「ウィリアムさん!苛めっ子が、指でぱちんとやろうとするのです!」
「そうか。怖かったな。アルテアはきちんと叱っておこう」
「おい、それならまずは、あの中で寝ているやつからにしろ」
「キュ?」
アルテアは慌ててムグリスディノを道連れにしようとしたのだが、残念なことに魔物が転移してきた気配を感じたムグリスディノは、素早く起き出してきてネアの肩に乗っていたのだ。
「くそ、わざとじゃないだろうな?!」
「ネア、少しだけアルテアと話をするから、シルハーンに側にいて貰ってくれ」
「……………ウィリアムさん、アルテアさんは苛めっ子でしたが、結果、ウィリアムさんの出現によりばちんとやられなかったのであまり怒らなくても……」
「次があるといけないからな。叱れるときに叱っておこう」
「ほわ。………ふわっとお二人が消えました」
「キュ……」
その後、アルテアは若干草臥れて戻されたので、ネアは肩をぽんぽんとやっておいた。
とは言え、こうやってすぐに二人でじゃれてしまうのだから、やっぱり結構仲良しなのかもしれない。
その後ネア達は、お買い物に付き合ってくれた魔物と、苛めっ子を叱ってくれた魔物込みで、ザハで美味しいお茶をいただいた。
勿論、これは御礼なのでネアの奢りである。
妖精の粉をいただいた後の闇の妖精の羽の切れっ端の一部をアクス商会に売るつもりなので懐が温かいのだとは、ディノ以外には秘密である。
半分は、今日買った展示ケースに入れてエーダリアにあげるのだ。
そうして、三人と魔物に戻った一匹は、穏やかな午後のティータイムを楽しんだ。
残りの展示ケースに何を入れて御礼の品とするのかは、帰ってからのお楽しみなのである。