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霧雨の妖精とパンの魔物



「直立で走ったではないですか!」


ネアが魔物の腕をばしばし叩きながら興奮気味に見ているのは、霧雨のシーであるイーザの血の繋がらない弟、パンの魔物のモスモスだ。

一斤食パンなボディを縦にして、しゃっと素早く廊下を駆け抜けてゆく。


「モスモス、お行儀が悪いですよ。…………申し訳ありません。万象の君にすっかり夢中でして、ああして物陰からそのお姿を拝見するためについて回っているようです」

「なので、影から影へと素早く移動しているのですね………」


念の為に収穫祭の夜にウィームに来ていたか聞いてみれば、イーザが友人の元を訪れている際に一緒に来ていたことが発覚した。

つまり、ネアが見たあのパンの魔物は、このモスモスだったのである。


影から影へ走るだけではなく、時々華麗にターンしているのは、幼いモスモスが必死に万象に恰好いいところを見せようと張り切っているからなのだとか。



「…………すごく早いね」

「ええ。でも、ディノをこんなに歓迎してくれると私もなんだか嬉しいので、今度くるりと回転した時には、褒めてあげて下さいね」

「回転…………」


魔物は若干怯えているようだが、ネアはそう言い含めておいた。

幼い魔物がこんな風に無邪気にはしゃぐのは可愛いではないか。

散々な思いもした後なので、心が和んだ。


ご主人様がにこにこしてモスモスを眺めているので、ディノはその後頑張ってモスモスを褒めてやっていた。

王様に褒められたモスモスが喜びのあまり爆発し、あちこちが欠けてしまう事件があり、ネアは愕然とする。

しかし、慣れた様子でイーザが爆散した欠片を水に濡らしてからつけてやれば、あっという間に元通りになってしまった。



「爆発するのですね………」

「…………飛び散った」

「たまにやるんですよ。仕方のない子です」


魔物はすっかり怯えてしまったが、今回の件はヒルドにも刺激が強かったのか、珍しく呆然とした様子でモスモスを眺めていた。

なお、ネアの心配していたカビは、やはり季節によっては生えてしまうこともあるそうだが、モスモス本人はぽわぽわした菌糸を頭に乗せて季節限定の装いにご機嫌なのだとか。


「特に青緑のカビがお気に入りでして、私がカビが生えた部分を綺麗にしてしまうと、三日は拗ねて部屋に閉じこもっていますね」

「かなりのお気に入りなのですね。………ほわ、また小さな爆発が」

「万象の君に褒めていただいたことを思い出して、また嬉しくなってしまったようです」


怜悧な印象のイーザが優しい目をそんな弟に向けて苦笑していると、通路の向こうから歩いてきた妖精が、喜びに破裂したモスモスを抱き上げている。


「兄上、僕が修復しておきますよ。こらっ、モスモス!はしゃぎ過ぎだぞ?」

「三番目の弟の、ナルザです。家族の中では、一番モスモスが懐いていますね」

「モスモスさんが腕の中で爆発しながら跳ねていても、捕まえるのが上手ですね!」

「今の方は、羽の色が少し違うようですが……」


そう振り返ったのはヒルドだ。

確かに、ナルザと呼ばれた妖精の羽は、イーザ達よりもぱっきりとした強い青色である。


「ええ。ナルザは雨だれの妖精なんです。幼い頃に戦乱に巻き込まれて倒れていたのを、父が拾ってきましてね。今ではすっかり家族の一員になりました」

「素敵なご家族ですね。先程ご挨拶したお父様達も、何だか素敵なご関係で見ていてほっこりしました」


それは早くリーエンベルクに戻ってみんなに会いたいという欲求を膨らませる程、仲睦まじい家族の食事会だったのだ。

そんな霧雨の一族の中にすっかり馴染んで楽しそうにしているヨシュアは、先程、トンメルの宴で出会ったルイザのお手伝いで引き摺られていってしまった。

どうやらふかふかの枕を作るらしく、雲を分けて欲しいのだそうだ。

ディノに構ってもらうつもりでそわそわしていたヨシュアは、悲鳴を上げて泣きながら引き摺られていったので、ネアはそっと拝んでおく。



あの後、闇の妖精の城を出たネア達は、そのまますぐに地上に戻る予定であった。

しかしディノが初めて貰う言葉で弱ってしまう事件があり、地上への転移が難しくなったのだ。

ネア達は仕方なく妖精の国の冒険を続けることになり、ヒルドが繋ぎを取ってくれた霧雨の妖精達のお城に泊めて貰えることになった。


(でも、お蔭で優しい妖精さん達と知り合うことが出来たわ)


やっと素敵な妖精の国が堪能出来そうなネアも喜んでしまったが、ひときわ喜びが大きかったのがイーザで、ご主人様がこの城にと呟いたまましばし感涙していたので、すっかりディノに心酔してしまったらしい。

霧雨の領土内にある柔らかな雨の降る森や、きらきらした雨の滴がかかる宝石の谷などを見せて貰い、ネアは暗くて恐ろしい妖精の国の印象を一変させる。

そこは、お伽噺に出てくるような、詩的で美しい、妖精の国そのものに思えた。



『美しいでしょう?妖精は邪悪でしたたかですが、美しいものは尊びます。美しいばかりのものも多いので、出来ればそのようなもの達もここにあることを、あなたに知っていただきたかった』



精力的に領土内を案内してくれつつ、そうイーザが話した言葉が印象的だった。

ネアは不思議な短毛の水色の馬のようなものに乗せて貰い、疲れていないか手厚く気遣われながらあちこちを見た。

その言葉を聞いて初めて、イーザという妖精が、すっかり血塗られてしまったネアの記憶を、美しいもので上書きしてくれているのだとわかったのだ。

だからディノやヒルドも、喜んだりはしゃいだりするネアを見ながら、どこか安心したようにしていたのかもしれない。



霧雨の妖精の領地は、情感のあるしっとりとした景色が創作意欲を刺激するそうで、妖精達だけではなく人間や魔物のお客も多く来るそうだ。

今回は闇の妖精が妖精の国を閉じることが見込まれたのでお客は全員地上に送り届けているらしい。

闇の妖精達は伴侶狩りをした後は、追っ手を阻む為に一か月程妖精の国の入り口を閉じるのが常なのだとか。

その時期も近い為、帰れなくなっても困るので、ひとまず一度地上にお帰り下さいと言う訳だ。


「この通り様々な家族がおりますし、客人達もおりますと様々な事件も多い」


霧雨の城を訪れるお客には、作家や詩人、画家などが圧倒的に多い。

そうなると、創作活動に行き詰って閉じこもってしまったり、少々ナーバスになったりするのだとか。

しかしながら、そういう些事に気を取られずマイペースなのが霧雨の妖精達なので、事件と言っても深刻な事件ではなく、朗らかな笑顔の妖精王が引き籠りの部屋の扉を蹴破り、ご飯を持って来てくれたりするくらいで済むらしい。

そんな手厚さや家族感にめろめろになり、招いた妖精の指定した滞在期間が過ぎてもここに残りたいという客人も多いそうだ。

残念ながらその願いが叶うかどうかは伴侶となるお相手がいるかどうかなので、泣く泣く地上に戻る者達も少なからずいる。


「おや、そうなりますと、招かれている期間を過ぎても出て行かなくなる者もいるのでは?」

「それが不思議と、霧雨の土地は選ばれなかった者の心には響くようでして。願いが叶わなかった者達が必要以上に留まり続けることはありませんね」

「確かに、失恋したのにこのお城に留まると、霧雨の景色で失恋の雰囲気は盛り上がるばかりなのに、仲良しな王様達を見続けなければいけませんものね。心が抉られること間違いなしです」


霧雨の妖精王と霧雨の精霊王は、どこに行くのにもほとんど一緒である。

そして男前狼な霧雨の精霊王は、大事な伴侶にことあるごとに愛を囁いているのだ。

食事の席で同席した大きな狼精霊に心ときめいたネアですら、メインが出てくる頃には誰か塩を飲ませてくれ給えな気持ちでいっぱいになったので、傷心だったりしたら泣きたくなるだろう。


(霧雨の精霊さんの、恋の詩人具合が凄いからだろうか………)


ネアは、魔物がそんな二人をじっと見ていたので、余所は余所うちはうちと厳しく言い含める必要に慄いていた。

特にデザートの食べさせ合いではこちらをちらちらと見始め、挙句の果てにはお皿をこちらに押し出してきたので、ネアは仕方なく木苺のジェラートをお口に入れてあげるしかなくなった。

けれど、嬉しそうにぽわりと目元を染めている魔物を見れば、たくさん大事にしてあげたくなったりもしてしまう。



ヒルドは、イーザの二番目の弟だという弓の名手が気になるようで、今回の事件を経て必要性を知ったので、遠方攻撃も可能にする弓も習ってみたいのだと話し込んでいた。


弓といえばダリルも素晴らしい腕を持つそうだが、教えるのには酷く向いていないそうだ。


古き民と呼ばれ妖精の国ではちょっとした伝説の民族扱いのヒルドに教えを請われ、セルザというその妖精も、硬派な感じの雰囲気を周囲が見て分かる程に綻ばせ嬉しそうに目元を染めていた。

後で基礎的なことを教わって弓の練習をしてみるそうで、ヒルドもなんだか楽しそうだ。

イーザからセルザがあんな少年のような顔をするのは珍しいと聞かされ、ネアはまた新しい交友の輪にわくわくする。

先に滞在した時からセルザはヒルドをとても気にしており、全然喋れなかったと落ちこんでいたそうなので今回の晩餐ではイーザが隣の席を手配してやったらしい。



(ノアが見たら、荒ぶりそうな………)


そう思うと何だか微笑ましい感じだったが、ヒルドは思いがけないところからの交流で新しい知り合いが増えたということを収穫に思ってくれたようだ。

あんな風に酷い怪我をさせてしまったネアとしては、そうして少しでも得るものがあってくれれば少しだけ胸を撫で下ろせる。


しかしその一方で気になることもあった。

ヒルドが、ふとした時に妙に憂鬱そうな目をするのだ。

それに、イーザとネアが話している時や、モスモスがダイビングジャンプをしてネアが見惚れている時に、ヒルドはディノと何か話している。

恐らく、もちうさの件ではあると思うのだが、よほどネアには話せない事情があるのかと思えばふるふるしてしまう。



(ま、まさか本当にアルテアさんが………)



ネアは少し怖くなったので、慌てて意識を今この場に戻した。




「みなさんは、こちらでの生活が基本なのでしょうか?」

「まだ幼いのですが、五番目の妹はいずれ地上に住まわせるつもりです。特定の人間に心惹かれているようで、代理妖精を目指しておりまして」

「晩餐のお席にいらっしゃらなかった方でしょうか?」

「ええ、他の姉妹達に連れられ、今はその作曲家の屋敷を訪れているそうです」


まだこのくらいですよとイーザが手で示してくれたのは、ネアのおへそくらいまでのちびっこサイズだった。

ということは、きっと愛くるしい幼女に違いないので、気に入られた作曲家も喜ぶ可愛いの極みだろう。


「作曲家さんは、お若い方なのですか?」

「森と岩山の小さな国の第四王子なのだそうです。その国では第二王子以下は、継承権を持たずに手に職をつけるのだとか。人間としては、青年期にあたるくらいの年齢ですね」


勿論イーザはその人間を品定めに行ったことがあり、お祭りで羽をしまった小さな妹にお菓子をくれた優しい青年に合格点を出した。

心配なのは作曲に没頭すると寝食もおろそかになるところで、こうして時折姉妹に付き添われ、彼を溺愛する幼い妖精の監視を受けているらしい。

三日も何も食べていない時は思わず、部屋のテーブルの上にパンとスープを置いておいたのだそうだ。


「締め切った部屋の中なので本来は不審に思うべきなのですが、その青年はこれ幸いと食事を済ませ、どうしてそこにパンとスープがあるのか悩みもしないまま、また創作に戻っていったそうです」

「それは何と言うか、早く側で見守ってあげたくなりますね………」

「ルイザも同じように言っていました。ですから今回は、妖精の国が閉じている間に、餓死されては堪らないと、その人間の側に宿を取っているようです」

「ふふ、未来の代理妖精さんは頼もしいですね」



お喋りしながらイーザが案内してくれたのは、今晩のネア達が泊まる部屋だ。

訪問後は、そのままディノが談話室の長椅子を借りてくしゃくしゃになっていて、そんな魔物を膝枕したネアを囲むようにみんなでお喋りした後、城内やお庭の案内からの晩餐会となり、お部屋には初めて案内される。



「…………まぁ!」


そして扉を開いた先にあったその部屋は、淡いミントグリーンと深い菫色を基調とした素晴らしいお部屋だった。


雨の庭園を表現した絨毯はすばらしく、菫色の宝石の柱や暖炉には草花の彫刻がある。

少しくすんだような菫色が憂いがあって美しい。

窓の外の妖精の国の夜に降る霧雨と合わせれば、えもいわれぬ繊細さではないか。



「おや、これはネア様のお好きな色合いなのでは?」

「ええ、大好きな色のお部屋です。こんな素敵なお部屋に泊まれたら、疲れなど吹き飛んでしまいそうですね。ディノ、見て下さいこの素敵なお部屋を」

「…………巣がない」

「あら、寝台は二つあるようですよ?それとも、お隣にきますか?」

「……………うん」


巣とは何だろうと訝しげな顔をしたイーザに、ディノは普段、毛布の巣に寝ていることを教えておけば、なんと高度なと呟いていた。

ディノに心酔するあまりそんなものも素晴らしく思えてしまうのだろうが、どうか真似はしないで貰えると嬉しい。

なぜかヒルドがそう言えばこの方はと遠い目をして呟いているので、イーザには何か巣を好むような素養があるのかもしれない。



「………失礼しました。ヒルド様のお部屋はこちらで、皆さんのお部屋が近いようにいたしましたので」


ヒルドの部屋は斜め向かいにあって、そこも素晴らしい瑠璃色の絨毯とくすんだ青灰色のまだらの壁が美しい空間だった。


「王族などの賓客をもてなす為のもっと広く華やかな貴賓室もあるのですが、ネア様はおそらくこのような部屋がお好きかと思いまして」

「ええ。一目でこのお部屋が大好きになってしまいました!」


廊下に深い青色の石材を敷いたここは、詩人や画家などのお客達が入れる区画なのだそうだ。

今は皆地上に戻っているのでがらんとしており、その中からネア達の好みそうな内装の部屋を選んで整えてくれたのだそうだ。

ベッドサイドには水色の薔薇がふんわりと生けられており、浴室のタオルはふかふかだ。


「茶葉は五種、お湯は銀色のポットに用意しております。保温の魔術をかけてありますが、なくなりましたら横に置いてある水晶の呼び鈴を鳴らして下さい。他にもご入り用のものがあればなんなりと命じていただければと思います」

「はい。何から何まで、手厚くしていただいて有難うございます。この素敵なお部屋で休ませていただきますね」

「では、私は少し休んでから、先程の青年と弓の練習をしてまいります」

「ええ。ヒルドさんが弓も使えるようになったら、敵なしになってしまいますね」

「おや、では頑張りませんと」


ヒルドがそう悪戯っぽくふわりと微笑み、ネア達はそれぞれの部屋に入った。

最後に、なぜかイーザがこの階の部屋に控えていると言うので、ネアは申し訳ないので自分のお部屋に戻って下さいと言ったのだが、イーザは頑なに了承しなかった。

何かを振り切ったような顔のヒルドが、そのくらいのご褒美は致し方ないと言い、ネアはそう言えばこの霧雨のシーはディノに夢中なのだと思い至り慌てて頷く。

きっと、この機会を逃さず近くのお部屋に控えていたいのだろう。



(でもそうなると、後で一度、イーザさんを頼ってあげるべきなのかしら……?)


信奉者の心理は分らないが、ダリルの所の運用や、構って欲しい魔物を見ていると頼られる方が嬉しい場合もあるのだとは思う。

そんなことを考えながら部屋に入ると、ネアはだるんと羽織ものになってきた魔物をよしよしと撫でた。


「地上に戻ったら、ヨシュアさん経由で、こちらの方にはしっかりお礼をしましょうね」

「そうだね。霧雨の者達はとても助けになったよ。特にあのイーザという妖精は、君のことを親身になって心配してくれていた。あの家族の作り方を見ると、そういう能力や関わり方に長けているのかもしれないね」

「あんなに頼もしいイーザさんがいるので、ヨシュアさんは奥様を亡くしたあとも頑張れたのかもしれませんね」

「…………うん。伴侶を亡くした時に、霧雨の妖精達がヨシュアの狂乱を防いだと聞いている」



ディノの言葉が少し揺らぐのは、今回の事件で怖い思いをさせてしまったからだろう。

ネアは微笑みを深めてディノの腕の中で体を捻りばすんと体当たりをすると、目を瞠った魔物の三つ編みを引っ張ってその頬に口付けした。


「………………ネア」


目元を染めておろおろする魔物に、ネアは更に微笑みを深める。


「今のは、助けにきてくれて有難うと、迷惑をかけてしまいましたが、嫌いにならないで下さいの賄賂です!」

「困ったご主人様だね。どうして私が君を嫌いになんてなるのだろう?」

「それはきっと、あんなに無理をして助けにきてくれたのに、腕の中から飛び出してまた捕まった迂闊な人間だからです。でも人間はとても我儘なので、今迄のように傍にいて欲しいと願ってしまいます」


ディノの水紺の瞳が、濡れたような輝きを帯びて揺らぐ。

それはまるで湖に波紋が広がるような色の変化で、ネアはあまりにも綺麗なその瞳に魅入られそうになった。


「…………君は、私を責めないのだね。最初に君から離れてしまったのは、私なのに」

「それは、ソロメオさんを追い払っていてくれたからでしょう?ユリウスさんではなくソロメオさんに掴まった場合、私はきっと取り返しのつかないような酷い目に遭ったことでしょう。ディノに守って貰ったお蔭で、私も、私の大好きなザハのケーキも守られたのです」

「私がもう少し器用であれば、君を取り戻すのに不手際がなかったかもしれない」

「そうなると、ディノが完璧すぎて心の狭い人間はむしゃくしゃします。私は、ディノなままのディノがいいので、今のディノだからこそ大好きなのだと思いますよ?」

「…………うん」



手を伸ばして頬をすりすり撫でてくれると、魔物はネアをひょいっと持ち上げて窓辺にゆっくりと歩いていった。

霧雨の降る夜の情景は素晴らしく、ネアは大事な三つ編みを掴んで綺麗ですねとはしゃぐ。



「…………君は今回、ユリウスのことをどう思ったんだい?」

「実は、ディノがそのことを心配しているのは分っていました」


静かな静かな問いかけに、ネアは微笑みを少しだけ苦くする。

相手は心を奪い支配する固有魔術を持つ妖精であるし、明日には婚姻の儀というところまで連れて行かれて、ネアの今回の処分は甘かったと思っても不思議ではない。


「私が少し手ぬるいとすれば、それはあの方の原動力が、両親の復讐をした私と同じだったからです。自分は曲げずに成したことで、他の方を責めるのはどうだろうという良識が働いてしまい、荒ぶることが出来ませんでした」


こつんとおでこをつけてやれば、魔物は目元を染めてほっとしたように息を吐く。


「確かに少し、あのちびまろだったと思うと怒る気力がへたってしまうところもあります。恐ろしいもちうさですが、元はと言えばアルテアさんなお母さんと拗れたのが発端なので、そちらの家族の問題でもありますしね」

「家族…………」

「だから決して、ユリウスさんを気に入ってしまったからというようなことではありませんよ。ちびまろに戻って暮らしてゆくのなら愛くるしいですが、人型な妖精さんであれば特に感慨はありませんし、今回ディノをとても怖がらせたことを、そして私をみんなの元から離したことを、滅ぼさない程度には恨んでいるのです」

「人間の中には、妖精をとりわけ美しく感じる者が多いそうだ。………それは、愛であれ憎しみであれ、どちらの面でもね。君も、ヒルドのことをよく褒めているだろう?」

「ええ。ヒルドさんは大事な家族のような方ですし、綺麗で素敵ですよね。なので、妖精さんの中で綺麗だと思う順位は、現在もヒルドさんが一位です。ユリウスさんもお綺麗ですが、残念ながら私の好みではないので十位にも入るかどうか………」

「十位にも入るかどうか………」


非常に残酷な人間の本音に、ネアを抱えたディノはふるふるした。

でも残念ながら、やはり人間には強欲に個人的な好みというものがあるのだ。

ネアは密かに、いかにも妖精という感じの美しさを楽しめる女性の妖精を多くランクインさせていた。



「けれども、総合大好き度一位はディノなので、心配しないで下さいね。良く考えたらユリウスさんの魔術で悪さをされても、羽が美味しそうなだけでしたし」

「……………今回の件で、色々なことを考えたんだ。君との婚約を早めるだとか、君を私の城に閉じ込めてしまおうかと。………でも君の心や君の選んだものが、他の誰かの行いで損なわれるのだと思えば、それはとても不愉快なことだった」



目を瞠ってその言葉を聞いたネアは、優しい魔物の頬っぺたを伸ばした手で撫でる。



「ラエタの件の後で、今回のことです。私はディノがどれだけ不安で悲しくしているのだろうと、そればかりが心配でたまりませんでした。でもディノは、そんな風に私を大事にしてくれるのですね」

「それでも、私は魔物だからね。得るべきものを損なわない為に、いつか君を困らせるかもしれない」

「では私は、ディノの取り分が減るどころか増えたと感じられるように、優しい魔物をたくさん大事にしますね!今回は、ディノがそんな風に優しい思いを私に向けてくれたと知り、尚且つ一番助けて欲しい時に来てくれてますます大好きになりましたので、大好き度が大幅上昇となっております!」

「大幅上昇………」


ディノはその言葉を何度か繰り返し、頑張って凄艶で酷薄な魔物ままでいようとしたが、あえなくくしゃくしゃになってしまう。

足元もおぼつかなくなった魔物を慌てて座らせ、ネアは心がざわざわしてどうすればいいのか分らないというディノの介抱をした。


「……………ネアが虐待する」

「むぅ。大好きが増えたのですから、ディノには知っていて貰いたいのです」

「ずるい。可愛い………」

「だからもし、ディノが無理をして我慢しているのなら、真実が発覚して余程こちらに手落ちがない限りは、ユリウスさんを踏み滅ぼすのも吝かではありません!」

「ネア…………」


綺麗な瞳を無垢に瞠った魔物に、ネアはこんな瞳をしていて欲しいのだと心の中でも微笑む。


「…………ディノはいつも、私に怖かったよねと言ってくれますね」

「そうだね。いつも君に我慢をさせてしまうから」

「でも私は悪いご主人様なので、実はディノのそんな言葉が大好きなんです」

「あの言葉が、かい?」

「だってディノは、私が人間の祟りものになってユリウスさんをくしゃぺたにしても、君なら大丈夫だったねとは言わないでしょう?」


見上げた魔物がこくりと頷いた。


「うん。君が怖い思いをしたのは確かだからね」

「ふふ、そう思ってくれることがどれだけ幸せなことか、伝えられるといいのですが。あんな風に悪い魔術をかけられても、一番大事なものはディノだけでした。不思議ですね。こうして困ったことに巻き込まれるからこそ、外側から知る深さもあるだなんて。その結果、大好き度は上昇するばかりです!」

「ご主人様!」


きゃっとなってじたばたした後、ディノは不意に真剣な目をした。


「…………ディノ?」

「だ…………」

「だ?」


そこで一度魔物はネアの膝に突っ伏して死んでしまったが、暫くすると息を吹き返しリベンジを図った。


「……………大好きだよ、ネア」

「まぁ!」


魔物が恥じらって死んでしまうのであまり貰えない特別な言葉を貰い、ネアは足をぱたぱたさせる。

温かくて嬉しくて零れる微笑みに、この国に落とされたから感じた苦痛はもはや一欠片も残っていなかった。

今回の事件は、ネアの大切な人達や自分自身が無事だったからこそ、こんなに簡単に笑顔になれるのだろうが、やはり大事な魔物の存在は、ネアにとって素晴らしく大きなものなのだ。



「ディノが素敵に嬉しい言葉をくれたので、今度のお休みはみなさんへの謝礼に充てるとして、その次のお休みで丸一日二人で過ごしませんか?」


それは、ラエタの後からずっと考えていることだった。

日常が勿論一番の薬なのだが、そうではない特別さで二人の時間を補充したいと、ずっと思っていたのだ。


「二人で、………一日中二人でもいいのかい?」

「ええ。ディノが嫌でなければ、二人でお泊りでもいいですし、ディノがくれた厨房のお家でのんびり過ごしてもいいと思うのです。アルテアさんが家具をくれたので泊まれるようになりましたからね。或いは、ディノのお城でもいいですよ?」

「………………どこか、君の好きそうな場所に二人で行こうか。君も疲れただろう?きっと、気にいるようなものが沢山あるから」

「あら」


そこでディノが少しだけ悔しそうに部屋を見たので、この素敵な霧雨の妖精の領地やお部屋でご主人様が心を癒してしまったのが何だか悔しかったようだ。

その結果、自分でも何かプレゼンしたくなってしまったらしい。

くすりと笑ったネアは、優しい気持ちになって深く頷く。



「それと、これが届いたそうだよ。霧雨の妖精王の元に届いたようだ」

「………経緯報告書」

「ヘレナが部下に届けさせたようだ。我々があちらを出てすぐ、ユリウスを含め様々な者達に今回のことを報告させたらしい」

「こんなに早くと思ってしまいますが、こんなに早くと思わせるのが目的なのでしょうね」

「恐らくね。君があまり情を移すと困るから見せるかどうか迷ったんだ」

「むむ?」


ネアはそう言われて、ぺらりと広げられた革装丁の本のようなものを覗き込む。



あの後、目を覚ましたソロメオは、お城の部屋で泣き暮らしているらしい。

しかしながら、そんな王子にきゅんときている者達も多いようで、攫われてきた花嫁候補の中には、自分が守ってみせると公言している女性もいるのだとか。

猫さん羽は意外に可愛いという声もあるそうだが、本人はすっかり意気消沈してしまったそうだ。


(ディノは、これを読んで私が同情してしまうと思ったのかしら?)



例えば他には、ユリウスが足場にした騎士達は、リーエンベルクの手前まで仕込みをしたのはソロメオ派だったとか。

ソロメオがネアを正妃候補に据えていたといういらない情報もあったが、それなりに目新しい情報も記されていた。



「ふふ、ディノは心配性ですね。ざっと読みましたが、情は移りません!私は所詮、私の大事なものが大事なのです」

「………うん」


ネアは執念深い人間なので、ソロメオに関しては、やっぱりあの場に戻れば同じように仕返しするだろうなという結論に達した。

ユリウスに関してもその気はあり、彼はやはり大事なリーエンベルクの人々や、ネアの大事なものを損ないかけた相手として、ちびまろ減算されたとしても、好ましい相手にはならない。


だからこそネアは、そんな闇の妖精達の為に、大事な魔物が今後も恨みや嫌悪を抱えないで欲しいとも思う。

彼等のせいでその心が荒めば、ディノの優しさが盗まれるようで嫌なのだ。




そんなことを考えていたネアは、視界に入ったものに驚いてびくっと体を揺らした。

魔物も驚き、慌ててネアを抱えてくれる。


「ぎゃ!」

「ネア?」

「ま、窓のところに!」

「………………雨ですっかり濡れてしまっているけれど、あれでいいのかな」

「イーザさんを呼んできます!ディノはまず、モスモスさんをお部屋に入れてあげて下さい!」

「え………」

「頭の上を見て下さい。モスモスさんは、ディノに綺麗なお花を届けに来たんですよ!」

「お花…………」


窓の外には、あの体でどう試行錯誤したのか、外壁をよじ登ってきたパンの魔物の姿があった。

頭の上には綺麗な白い花を乗せており、ディノへの貢物のようだ。


ネアは大急ぎでお兄さんを呼びにゆき、その隙に落ちないようにと部屋に入れて貰ったモスモスは、イーザが駆けつけるよりも前に喜びに爆散していた。

パンが散らばった部屋で震えていた魔物は、ご主人様が戻ってくるとべったりになってしまい、ネアはぐったりとしたイーザから謝罪をされる。



なお、モスモスが持って来てくれた白い花は、とても珍しいものなのだそうだ。

かなり危険な断崖にしか咲かないそうで、大好きな魔物の王様の為に頑張ったのだろう。

ネアはそのお花をディノの宝物部屋に飾らせることを伝え、モスモスはまた爆発したらしい。














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