仮面と迷路
ネアが消えた。
それはほんの少し目を離したその隙にということではなく、意図して離れたのだからこの身に責任がある。
あんなに怖がっていたのに、なぜ置いて行ってしまったのだろうと思えば、とある懸念があり、外に出る方が危険に違いないとそう信じていたからだった。
また、怖い思いをしないように。
また危ないことに出会わないように。
そう思って敷いた魔術基盤を踏み固めているときに、ノアベルトから一報が入ったのだ。
「………………ネアが、妖精の国に落ちた?」
あまりにも驚いてそう尋ねると、ノアベルトはなぜか一歩下がる。
危険だからとエーダリアは別室に下がらせたようだが、それはこの身に損なわれるかもしれないと考えたのだろうか。
確かに、部屋の中にある花瓶の花は枯れて塵になってしまったなと思い、少しだけ身の内の魔術を調整し直す。
ここは、ネアの大事な場所なのだ。
「すまないね、ディノ。今回は私が見落とした経路があった」
進み出てそう言ったのはダリルだった。
「ダリル?」
「少し前にね、実はザルツの側の小さな村で、ネアちゃんの偽物騒ぎがあったんだ」
「誰かがあの子を貶めたのかい?」
不思議な感覚がした。
声が薄く薄く研ぎ澄まされ、刃のように冷たく澄んでゆくような感覚に、胸の奥が冷たくなる。
誰かに対する怒りや失望などはなく、ただ、その冷たさが恐ろしく悲しかった。
この胸の中にあるものが全部冷たくなったら、また何も感じられなくなってしまうのだろうか。
「というより、そいつらの履歴と経路、言動を調べて、有名な歌乞いのふりをしてその恩恵を得てみたかったというだけの事件だろうと判断をした。そういう事件はね、珍しくはないんだ。有名税みたいなもんだからね。だからわざわざ言わなかったんだけど、あの事件が妖精の道になってたんだね」
ダリルの説明によると、そのザルツの村に現れたのはネアの偽物と、自分の偽物だったそうだ。
偶然その場にいたヨシュアとその相談役の妖精が壊してしまったらしく、やはりその場にいたウォルターから連絡が入ったらしい。
「良くある事件だ。だから、私も良くある事件として片付けた」
「………よくある事件を装った、魔術経路の橋渡しだったのか」
そう呟いたアルテアは、酷く顔色が悪い。
ノアベルトから、まさにネアはアルテアの腕の中から奪われたような形だったのだと聞かされている。
アルテアは咄嗟にネアの髪は掴めたそうだが、その一房は妖精の手によって切り落とされた。
アルテアは手の甲に傷を負ったが、それを治癒するよりも手の中に残された一筋の髪を握りしめ、暫く無言でいたそうだ。
その妖精と知らずに接触していたグラストは、現在ゼノーシュが丁寧に魔術の織りなどを仕込まれていないか調べているということだ。
ゼノーシュがかなり怯えているのは、見聞の魔物である彼ですら、闇の妖精の接近に気付けなかったからなのだろうとノアベルトは話す。
『あの子を守れなくてごめんね、シル。後であの髪の毛は、ネアに戻してあげよう。きっと怒り狂っているんだろうなぁ』
ついさっき、ノアベルトはそう言って、アルテアから回収したというネアの髪の毛を渡してくれた。
すっぱりと斜めに切り落とされた髪の毛はその半ばくらいからの長さだが、それがネアが望まずに損なわれた証のように思えて、息が止まりそうになった。
今はここにあるのが全てで、残りのネアはもうここにはいないのだ。
「そう、橋渡しの隠れ蓑にされた事件だったんだ。……あの事件の報告で、私を恐れたその村の駐在騎士の団長が、同郷のオルを頼ってリーエンベルクに直接報告に来た。恐らくあの時に、オルはその妖精に取り憑かれたんだね」
部屋の片隅には、長椅子に寝かされた一人の騎士の姿がある。
憑代にされた負担で今は昏睡状態だが、今し方魔物の薬を与えられた結果、どうにか命は助かりそうだと誰かが話していた。
この騎士の内側に、ネアを攫った闇の妖精が巣食っていたのだという。
「………調べたところ、その村にいた騎士の一人、そしてリーエンベルクに報告に来た団長が現在行方不明になっております。どちらも、ふらふらと家に帰ってきたところで、崩れ落ちて土塊になってしまったと」
「その手口は、妖精に内側を食われた人間の末路そのものだな」
アルテアが、暗い眼差しのままそう呟く。
つまりその妖精は、偽物のネアを仕立て上げる事件をウィーム内で起こすことでリーエンベルクに誰かが報告に行く流れを作り、報告に来たという村の駐在騎士とやらに取り憑き、更にはオルというこの騎士に住処を変えたのだろう。
リーエンベルクに入り込むにあたり、それだけの手数を踏んだのだ。
「もしかして、その偽物のところからなのか?」
「その通りだ。昨日、闇の妖精の話があっただろう?その後に気になってすぐにヴェルリアの者に調べさせたんだけど、事件の数日前に、歌乞いの方に見知らぬ客があったそうだ。商会の中の家事妖精が覚えていたようで、妖精の気配がしたと」
「女性にもなれるのかい?」
「いんや。その歌乞いは、知らずに籠絡された囮だろう。事件を起こすだけの役割の駒なんだろうさ」
「………それって、取り憑く者を乗り換えながら、少しずつ近付いてきたってことだね」
「ヴェルリアなら余所者がうろついていても目立たない。そこから始めたのか。その歌乞い共にも、あいつの名前を騙って騒ぎを起こすような魔術を敷いたんだろうな」
「わーお、一歩ずつ近付いてくるなんて、妖精の古い繋ぎの魔術の教本みたいな流れだね。でも狡猾で緻密だ。多分それが、噂の闇の妖精の王子かな?簡単な魔術をこれでもかっていうくらいに緻密に用心深く編み上げてあったんだと思うよ。僕にわかったのは妖精の気配くらいだったしね」
アルテアとノアベルトは、その妖精の本当の姿を見ていないそうだ。
ぎりぎりまでオルという騎士の体に隠れていたそうで、ネアを連れて地下に沈む瞬間に辛うじて髪の毛が見えたくらいだったそうだ。
けれどもそれは、選択の魔物と塩の魔物の目を欺くだけの技量を持っていたということなのだった。
「………妖精が最も得意とする魔術だ。妖精という種族そのものの固有魔術を、闇の妖精としての固有魔術で強化したとすれば、見抜けたのはヒルドくらいだろう」
そう言えば、ノアベルトが力なく苦笑して頷く。
「だから、あの時エーダリアに、ヒルドがどこにいるのか尋ねたのかな」
「…………くそっ、完全に後手に回った」
「私もだ。その流れを追ってはいたが、ヴェルリアの商会の方と、消された歌乞いの身体的特徴を押さえること、後はどうしてネアちゃんの名前を騙ったのか、他の領地の火種やぼんくら王子共を調べてばかりいたよ」
様々な言葉を聞き取り、すとんと胸の中に落ちたものをじっと眺める。
「それはつまり、その妖精は最初からあの子を狙っていたということだね?」
「だろうな。どこかで目に留まったんだろう」
「あの時の、夜の市場だったと思うかい?」
「俺が知る限りでは、あの時が初登場だな。だが、妖精は耳がいい。幾らでも機会はあっただろう。どこかで誰かが持ち込んだ話から、…………目をつけていても不思議じゃない」
「…………そうか」
ふと、あの今はもう住まなくなってしまった自分の城を思い出した。
ネアは綺麗だと話していたし、あそこに住むのだとしても許してくれるだろうか。
外の世界を見ることが出来ず、ずっと二人だけでも。
「シル?」
「…………いや、…………こんな形で、あの子の世界を閉ざすのは可哀想だね」
「ネアの事?うん。多分怒って暴れるんじゃないかな。でも、シルの為だったらある程度は我慢してくれるとも思うけどね」
「我慢はさせたくないんだよ。………あの子には、幸せでいて欲しいんだ」
そう呟いた言葉の虚しさに、指先で唇に触れた。
最初の我が儘で彼女をこの世界に引き落とし、こんな風にすぐに攫われてしまう、運命を持たない不安定な魂にしてしまったのは自分なのだ。
「さてと。妖精の国に降りる算段をつけようか」
そこで、そう言い出したのはダリルだった。
「おい、妖精の国への扉は、承認がなければ難しいぞ。今はもう、どこの扉も閉じてる筈だ」
「あのねぇ、私がその道の一つも確保してないとでも思うのかい?これでも私も妖精なんだ。妖精の国への通路ぐらい、片手の指程には用意してあるよ。………ディノ、すぐに降りられるかい?」
「私が降りると、あの国が軋みそうだね。そうなっても、ネアは大丈夫だろうか?切り取ることも考えていたのだけど……」
つい今しがたまで、位置の特定をつけてからその部分だけ切り取った方が良さそうだと考えていた。
その場合は妖精の国は壊れてしまうので地下はかなり不安定になるだろうが、とは言えそこはネアが普段住む場所ではない。
大変な騒ぎにはなるがそれでいいだろうと考えていたので、ダリルの提案は思いがけないものであった。
「あいつが古典を持ち出すなら、こっちも古典で対抗するのさ。私が持っている古い迷路の呪いにはね、取替え子の迷路がある。妖精の国への直接落下が出来る通路はそれを使うとして、あちら側が軋まないようにする擬態の補助には、アルテアあたりが手を打つだろう」
「…………仮面を使って、条件付けの呪いをあえて纏うか。それもまた、古典の魔術だな。だが、そうなると俺はこっちに残る必要が出てくるが………」
取替え子の道は、最も古い妖精の古い魔術だ。
そしてまた、纏った仮面や服などの強い資質に染め替えられるのは、古の変身の魔術の一つ。
「何で悩むのか分らないなぁ。ネアは、シルが迎えに行くのが一番だと思うけど」
「確実さを取れよ」
「大丈夫だと思うよ。僕も行くしね」
その言葉は少し嬉しかったが、ディノは首を振った。
「ノアベルト、君はこちらに残ってくれるかい?」
「え?!」
「私が先程までここを空けていたのはね、外にも闇の妖精の王族の気配があったからだ。………今もそれは残されているようだし、囮には思えない。今朝聞いた事件は彼等の仕業だよ。………どうやら、行進で外に出てきた王族は、一人ではないようだね」
「………わーお」
その言葉に顔色を悪くしたのはダリルだ。
すぐさまヒルドに連絡を入れ、何かの確認をしている。
その妖精がこちらに残るなら、立ち上げた魔術防壁は念の為に完成させておくべきだろう。
ネアを連れ去った妖精は、ネアが暮らしたこのリーエンベルクを残しておくことを望まないかもしれず、本人が立ち去ったとしても警戒は必要だ。
王族であれば、近衛騎士達がいるだろう。
その者達が残された王族と行動を共にしている可能性もある。
「………成程な。あれだけの事故の履歴があってもお前があいつの側を離れていたのは、そっちを追っていたのか」
「シーの呪いは困ったものだから、正確には弾き出していただけだ。王子は一人だと認識していたから、内側にもう一人隠れているとは思わなかった」
「僕なんか、すれ違っているけど分らなかったしね。入れ物は普通の騎士だったし、妖精の気配があっても妖精の血を引く騎士だったからなぁ………」
「………だが、その器があっても、この土地の魔術基盤は相当なものだぞ?………向こう側に戻った段階で、暫くは動けなくなるんじゃないのか?」
「君の考えだと、そうなるのかい?」
「ああ。ある程度の命を削るくらいの負荷はかかるな。…………そこまでしてなのか?」
「うーん、ネアを気に入る奴等は、そこまでしてというか、元々そんな気質の奴らが多いからなぁ……」
そう呟くノアベルトに複雑な思いで頷き、またじっと自分の手を見下ろす。
すぐに気付いたアルテアに、妙に嫌な顔をされた。
「何だ?力技で全部壊すなよ?」
「…………いや、厄介なものでもあるけれど、助けにもなるのだね。私一人では、妖精の国をなくしてしまうことは出来るけれど、招かれている時以外は、壊さずに中に入ることは出来ない」
そう答えたディノに、アルテアはなぜか困惑したような顔をした。
だが、その通りなのだ。
奪った者も余分であるのならば、助けになる者達もまた余分である。
いつだったか、ネアと話していた時に、この世界は複雑だから大事に大事にそっと動くのだと教えてくれたことを思い出し、ネアが婚約に時間をかけるのも同じようなものなのだろうかと考えた。
(簡単なものが、最良のものではないのだろう………)
本当はすぐにでもネアを取り戻したい。
けれどもネアはきっと、妖精の国を崩壊させないやり方を好むだろう。
「…………シル、思ったより冷静だけど、……溜め込んでない?」
「ネアがまだ目を覚ましていないからかな。あの子が怖い思いをするのは不愉快だけれど、まだ落ち続けているようだ」
「………は?あいつは器を出てすぐに転移をかけたぞ?まだ移動中なのか?」
「追跡防止なのかなとも思ったけれど、随分長いかなとも思う。迂回路を使っているのだろう」
首を傾げてダリルの方を見れば、書架妖精は顎に手を当てて考え込んでいた。
まだまだ到着しそうにないと言えば、ダリルは更に難しい顔をした。
「妙だね。…………妖精の国に降りるのに時間をかけるのは、戻ることを仲間達に知られたくない時だ。王子ならそんな動きはしないような気がするが、何か問題を抱えているとしたら、更にややこしくなるね……」
「………よし、わかった。その辺の闇の妖精を一人捕まえて、あれこれ吐かせればいいんだ!」
「…………それだな。幸い、喋らせることは得意だ」
そう言い残してすぐさま部屋を出て行ったアルテアを驚いて見送り、視線をノアに移した。
「わーお、よっぽど、ネアが手の届くところから連れ去られたのが悔しかったんだね。僕だって、闇の妖精を引き裂いてやりたいのになぁ………」
「私の擬態はどうすればいいのかな。すぐにでも妖精の国に降りたいのだけれど。普通の擬態は出来るけれど、違う形がいいのだろう?」
「ありゃ。アルテアがいなくなったね。………僕は自分の擬態は出来るけれど、今回は外付けの擬態が良さそうだよね。寧ろ、アルテアが捕まえて来た闇の妖精の羽かなんかも持って、闇の妖精の気配を貰った方がいいんじゃないかな」
「…………妖精の気配」
そういうものなのかと頷いた。
自分一人であれば、まずは地下を崩すことから始めただろう。
その妖精の気配を纏って、妖精の国への道を降りるとは考えもしなかったに違いない。
『万象は万象らしく、愚かで憐れだったそうだよ。守り方が間違っていたから、守れなかったと』
それは、ずっと昔にとある精霊の王の傍仕えから聞いた言葉だ。
前の万象がその伴侶を失って崩壊したことは知っていたが、気体になってしまってはいるが、そんな先代を知っている者がいたので興味を持ち、尋ねたところ与えられた回答だった。
その当時はまだ、その精霊の王とも、同族の通訳を介してではあるものの言葉での意志疎通が可能だったのだ。
ネアが来てから、ずっとその時の言葉を考えている。
正しい守り方が出来れば、ずっと彼女を失わずに済むのだろうか。
或いは、間違えればやはり、失ってしまうのか。
だとすればそれは、一体どんな守り方が正しいのだろう。
『三人いれば、誰かがあなたの側にいられますからね。それに、どれだけ長く生きようと俺にもやはり知らないことがあります。その代りにウィリアムやギードが知らないことを知っていたり、彼等とは違うものの見方が出来る。それを編み合わせて、少しばかり頑丈にしました』
そう微笑んで教えてくれたグレアムの言葉を頼りに、ネアには様々な縁や守護を残したままにしてあった。
そうしてネアも、グレアムと同じように、この身の周りに様々な糸を編み合わせて頑丈な何かを作ろうとしている。
だとすればつまり、ネアも使う手段なのだから正解なのだろう。
(……………ネア)
またいなくなってしまった。
滑り落ちて、攫われてしまった。
(…………ネア)
「シル、髪の毛から繋いだ部位からはネアは見えないのかい?」
「闇の妖精がネアを捕まえた時に結んだ魔術で、彼女を自分の魔術領域に結んでしまったのだろう。闇の妖精の固有魔術に阻まれているようだ」
「繋ぎの魔術ってことは、やっぱりあの歯磨きの件か………。はぁ、今回の僕は不手際ばかりだ」
覗こうとすれば黒い靄ばかりが見えて、その暗さに呆然としてしまう。
単純なことでこうして内側に隠されてしまうことも、妖精特有のやり方だ。
「………ノアベルト、妖精の国に入れば、これは使えるかな?私は、あまりこういうものには詳しくないんだ」
「呼び戻し術符!!使えるよ!シル、凄くいいもの持ってる!」
ネアから貰った誕生日の贈り物を取り出して見せると、ノアベルトの表情は一気に明るくなった。
興奮気味に戻ってくると、術符の魔術をあれこれ補填してくれるようだ。
そうこうしている内に、アルテアが闇の妖精を捕まえて帰ってきた。
「…………早い狩りだねぇ」
ダリルも呆れているが、憮然とした面持ちで咥え煙草のアルテアには、どこか為すべきことが出来てほっとしている気配が微かにある。
呪や怨嗟でリーエンベルクを汚さないよう、隔離結界に放り込んで持ち帰ってきた妖精は既にあちこちが失われてしまっていた。
「ありゃ。この様子だと口が堅いのかな?」
「一人目は引き剥がしをやったが、王族の側近らしい脆さだな。外部干渉に対する自壊魔術を仕込んでやがった。吐かせられるとしたら、シルハーン、お前しかいない」
そう言われて目の前に差し出されたので、その妖精をじっと見下した。
それまでは固く身を縮めて暗い目をしていた妖精の目が、こちらを見上げてどこか虚ろになる。
だらりとその手が落ちた。
「教えてくれないかな。君達の王子は二人いるのかい?」
尋ねた言葉に、その妖精は意気込んで何度も頷いた。
二人居るのかなと思って視線を戻そうとしたのだが、頷いていたのは最初の言葉に対してであったらしい。
「おっ、王子は一人です!」
「……………一人?だが、王族に相当する君の仲間が、他にも居たようなんだ」
「であれば、ユリウス様でしょう。我々は前の季節からずっと、あの方を探し続けてきた。決して軽くはない手傷を負って無力化の呪いまで受けていた筈なのに、行方を掴めないまま見付けられなかった王弟殿下です」
「君達が彼を追うのは、保護をする為かい?」
「殺す為に。あの方は残忍で、気紛れに仲間を殺し過ぎました。王ですら諌めることは出来ず、あまつさえ、花嫁探しで地上に出た我らを襲ったのです。王子もとうとうあの方を傷付けなければいけなくなり、ユリウス様は瀕死の状態で姿を眩ませました。数名の者達が行進を離れ、ユリウス様の行方を追っていたのですが、このウィームの地でその足跡が途切れていると知ったばかりです」
「………そうか。だから君達は、市場で香炉を買い替えていたのか。随分とあちこちを移動して、移動魔術を磨耗したようだ」
「ありとあらゆる妖精の道を探しました。一体どこにおられたものか……」
軽快に喋っていた妖精の口が重くなり始めた。
秘密を漏らす者を粛清する、自壊魔術が働き始めたのだ。
「………成程、本人の意志であれ、一族の秘密を漏らすものは滅ぼしてしまう訳か」
「御身に貢献でき、わたくしは幸福でございました。悔いなどございません」
「そうか、では………」
微笑んで言葉を重ねれば、妖精は恍惚とした表情を浮かべ頷いた。
残された時間で、その妖精の名前や肩書き、持ち物の中で利用出来そうなものなどを聞き出してしまい、彼がソロメオという名前の闇の妖精の王子の近衛兵であること、王族内での相関などを知り得る。
王子とその傘下の闇の妖精達は、このウィームを最大の狩り場として設定していたようだ。
旅の最終目的地にしており、少なくとも五十人の獲物を狩ろうとしていたことがわかり、ダリルは苛立ったような顔をしていた。
しかし、その妖精の王子はディノが手荒く弾いたことで危機感を強め、つい先程、一足先に妖精の国に帰還したと知り、珍しく気の抜けたような表情で良かったと呟いていた。
「助かったよ。さすがにその数をこの領内から連れ去れらたら大惨事だ」
「でも、まだ騎士達は残っているんだね」
「ユリウス様とやらを探してたみたいだね。ってことはそっちが、あの妖精か」
「相変わらず、容赦のない侵食だな」
「うーん、シルの場合は、侵食っていうよりも心ごと屈服させるって感じじゃない?」
「でも、今回のように、禁忌に触れるとすぐに壊れてしまうからね」
そんなことを話していると、ダリルにどこか嫌そうに言われた。
「本当に、ディノは境界なく奪い放題なんだなぁ。ネアちゃんがいてくれて良かったね」
「そうだね。この方が楽だけれど、ネアは最初にやめるように言ってくれたんだよ。ない方がずっと気分がいい」
(ネア……………)
胸の中で呼びかけても、魔術を動かせない彼女には言葉は届かない。
早々に伴侶にしてしまいたいが、もしそれで彼女の懸念する何かが壊れてしまったら取り返しがつかないのだ。
けれども守りが薄いままであるのは確かで、こうしてまた怖い思いをしているネアは、不甲斐ない魔物だといつか自分を見限りはしないだろうか。
「ディノ様、エーダリア様とも話をしてきました。妖精の国へは、私がご一緒しましょう」
妖精の亡骸からアルテアが何かを剥ぎ取っているのを眺めていると、部屋に戻ってきたヒルドがそう言い出した。
「君がここを空けられるのかい?」
「ええ。ダリルがおりますし、ネア様が戻るまではアルテア様もおります。それに、妖精が一人おりませんと、あの国は動き難いですよ」
「…………いいなぁ。王子が帰ったなら僕も…」
「文句を言っていないで、あなたはリーエンベルクを見ていて下さい。王子が地下に戻ったとしても、王子の近衛兵達が地上に残っているのなら、そちらの被害も遅かれ早かれ、もっと出て来るでしょう」
まだ返事をしていなかったが、既に準備を整え、ダリルからあれこれ術式などを渡されているヒルドを見ていると不思議な気持ちになった。
こちらの会話は聞こえていたのか、隣の部屋からおずおずとこちらに入って来たエーダリアが、目が合うと一つ頷く。
「彼は、…………君の妖精なのだろう?」
「本人が望んだことであるし、私も、ヒルドにネアの捜索の手伝いを託したのだ。あなたが一緒であれば、きっと大事ないだろう」
「おや、剣も戻りましたし、ある程度の闇の妖精くらいであれば遅れなど取りませんよ。私の一族は元々、地上に出ても生き延びられると判断して妖精の国を出た、腕に自信のある者達の集まりですからね」
「とは言え、油断するんじゃないよ。あんたは確かに剣で戦えば闇の妖精なんぞに傷付けられることもないだろうが、あいつ等はおかしな魔術を使うからね」
「………そっか。良く考えたら、闇の妖精よりも光竜の方が、階位が上だもんなぁ………」
そんな生き物を狩っていた一族なのだからと、ノアベルトは安堵したようだ。
それでもあれこれ魔術の仕掛けや守護を持たせているので、ヒルドは過保護な塩の魔物を見てどこか愉快そうにしている。
そして、そんな二人の様子をアルテアは唖然とした面持ちで見ていた。
「さて、ここは僕とアルテアで死守するから安心していていいからね」
「うん。宜しく頼むよ」
アルテアが作った仮面を受け取り、ダリルの開いた迷路の扉を開ける。
ここから先はもうすぐに妖精の国となる。
擬態して色を隠し、渡された仮面をかける間のみ、闇の妖精としての気配を纏うのだ。
「早く、迎えに行って差し上げましょうね」
「そうだね。すぐにでも」
妖精の国に降りてから、ネアと分け合っているカードを開いてみた。
すると、そこには何時の間に届いたものか、カードいっぱいにハートマークが描かれている。
“大丈夫、怪我もしていませんし、まだちゃんとディノのことが大好きですよ!妖精さんは嫌な奴ですが、乱暴者ではなさそうです。見付けてくれるのを待っていますね”
その文字を指先でなぞると、やっと呼吸が楽になった。
胸が潰れそうになって、その安堵に息を吐く。
(すぐに、呼び戻してあげよう)
けれど、呼び戻しの術符はなぜかネアを取り戻してはくれず、ネアからの連絡もその後途切れてしまった。




