リーエンベルクの歌乞いの失踪
その日、リーエンベルクの歌乞いは、ザルツの街の外れにある小さな職人村に来ていた。
素晴らしい木材となる森が近くにあり、この村は古くから楽器制作で有名である。
また、ウィームの名産品でもある絵付け陶器の一つの工房もここにあり、国内外から様々な者達が買い付けに訪れる、小さいが有名な村でもあった。
そんな村で、かの有名なウィームの歌乞いは素晴らしい歌声を披露したばかりで、連れている美しい契約の魔物の熱い賛美の眼差しを浴びていた。
歌乞いが歌ったのは有名な聖歌の一節であったが、僅かな時間であっても彼女が素晴らしい歌い手であることは伺い知れた。
しかし、そんな歌乞いの歌声を聴き、工房の警備をしていた騎士達は俄かにざわつき始める。
目を瞠って何やらこそこそと囁きを交わす騎士達に、歌乞いの少女はどこか得意げに可憐な微笑みを深めた。
あでやかな薔薇色の唇をすぼめて、こちらを見て欲しいと嘆願した魔物の頬に口付ける。
「困った魔物ですね。ほら、私はあなたに夢中です。その代り、あなたは私の願いを何でも叶えてくれるのでしょう?」
「勿論だよ、ネア。でも他の男達の視線を集めるのはいただけないな。可愛いひと、ほら私の側を離れてはいけないよ」
どうやら、ウィームの歌乞いはこの村の有名な陶磁器を買いに来たようだった。
そんな中、不躾に彼女にちょっかいをかける旅人がおり、歌乞いはその唱歌で以って契約の魔物にその旅人の排除を命じたのであった。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた騎士達が見たのは、地面の上に旅装束を残すだけになってしまった旅人の残骸と、魔物にご褒美の歌を歌ってやっている歌乞いの姿だったという訳だ。
そして、偶然その騒ぎを聞きつけ、騎士達とともに現場を見に来てしまった結果、何とも言えない遠い目になっている観光客が三人程いた。
「…………ほぇ、………あれって誰?」
「あの方の名を騙るとはいい趣味ですね。この茶番がまだ続くようであれば、あの歌乞いは私が処分しましょう」
明らかに本物ではないと愕然としていたウォルターは、隣の二人連れがそんなやり取りをしているのに気付き、思わずそちらを見てしまった。
(…………妖精と、高位の……人外者だろうか)
その青い髪をした妖精の方は明らかに殺戮の予兆とも言える苛烈な眼差しになってしまっており、同行者の男性は困惑したように歌乞いと契約の魔物のやり取りを眺めている。
そんなことにも気付かず、当の歌乞いの茶番はまだ続くようだ。
「みなさま、お騒がせしました。こちらはもう問題ありませんので、ご安心下さい」
そう微笑んでぺこりと頭を下げた少女は、自分の頬を指の背で撫でた契約の魔物にうっとりとした微笑みを返す。
その甘さには慈愛というより、美しい魔物に恋をしている女性としての喜びが滲む。
けれどもその密やかな誘惑に思わせぶりに首を振って、彼女は無邪気に薔薇の絵付けをしてある茶器を選び始めた。
そんな姿に自分達がどうにかせねばならないと思ったのか、一人の騎士がおずおずと話しかける。
契約の魔物がすぐに鋭い誰何の眼差しを向けたが、それに怯えることもないのは、酷く混乱しているからだろう。
「…………その、リーエンベルクの歌乞いの、ネア様でしょうか?」
その言葉に、少女はふわりと目を瞠ってから微笑むと、スカートの裾を摘まんで可憐にお辞儀をした。
「はい、ネアです。お騒がせしてしまって申し訳ありません。この通り、私の魔物は嫉妬深いものですから、どうか許して下さいね」
「はぁ。………その、契約の魔物が歌乞いを守るのは常ですから、今回のような場合は我々も事件としては扱わないのですが……………ええと」
「であれば気安く声などかけるな。立ち去れ」
要領を得ない騎士に魔物は苛立ったようだ。
青い瞳に青みがかった灰色の髪の魔物で、背が高くそれなりに美しい。
だが、ウォルターがそっと横目で窺った隣の妖精の方が美しいし、更に言えばその隣にいる謎の人外者の方が遥かに美しい。
そして、契約の魔物に邪険にされた騎士は、何とか言葉を選び出したようだ。
「その、………ネア様であれば、歌えない筈なのですが」
「………………は?」
あんまりな確認方法に、契約の魔物が思わず真顔になる。
「そうなんですよ。ネア様は、歌乞いでいらっしゃるのですが、歌えない方でして」
「蜂の魔物を全滅させたのは、ウィーム中央での伝説だものな……」
「歌おうとしたら逃げるように、騎士会でもお達しがあったし……」
「止められない場合は、まず親しい人外者を全力で逃がすようにということだったよなぁ」
買い上げようとして手に持っていた茶器を棚に戻し、歌乞いの少女も何とも言えない表情になる。
契約の魔物と顔を見合わせ、少しだけ視線を彷徨わせてから微笑みを作り直した。
「それは、…………表面的には、そのようにしてあるのです。私の契約の魔物は、とても嫉妬深いの」
「…………それと、お二人は手を繋がれているのですね?」
「あら、ふふふ。契約の上で結ばれている私達ですが、仲良しなんですよ。でも、契約の魔物はみんなこんなものでしょう?今はお仕事をしているという訳ではないのですから、こっそり許して見逃してくれませんか?」
「………………リードではなく」
「リ、リード?」
ちょっと聞き間違えた気がすると灰色の瞳を瞠った少女に、非常に言い辛そうに騎士は告白する。
「リーエンベルクの歌乞いの契約の魔物様は、………特殊な嗜好がありまして。……腰に専用ベルトを装着して、ネア様に縄をつけて貰うんですよ」
「……………縄を」
「それか、長い三つ編みを引っ張って貰うのが常で、…………あまり手は繋がなかったような」
そこで、野次馬だった工房の絵師が口を挟んだ。
「ウィーム中央の親族によると、最近少しだけ手を繋げるようになったらしいぞ」
「なに、繋げるようになったのか!」
「でも、すぐに恥ずかしがってしまうらしくて、あまり長くは繋げないようだと」
「……………やっぱりなのか」
そんなやり取りに愕然としている歌乞いとその魔物が不憫になったが、周囲はリーエンベルクの歌乞いとその契約の魔物の奇抜さに盛り上がり始めたようだ。
それぞれに見聞きした情報を話し合い、笑ったり青ざめたりしている。
だが、人々の反応を見ている限り、彼らはそんな規格外の歌乞いと契約の魔物を随分と気に入ってはいるようだ。
「……………ですので恐らく、あなた方は偽物なのでしょう。申し訳ありませんが、詰所の方に来ていただけますか?」
「…………あなた方は、私達が偽物だと思うのですか?」
「はぁ。……その、一般的な歌乞いの方には見えるのですが、どう見てもネア様には見えないと」
「姿の多少の差異くらい、擬態をしているのだから当然だろう。無礼な騎士だな」
「いや、………うーん、上手く言えませんが、完全に違うとしか言いようがないのが残念なところでして」
申し訳なさそうにそう言った騎士に、契約の魔物がすっと目を細めた。
残忍な魔物らしい輝きに、騎士達の表情にも緊張が走る。
しかしその次の瞬間、その魔物は白い煙のようなものに包まれ、一瞬で掻き消されてしまった。
「…………ハグル?!」
ぎょっとしたような歌乞いの悲鳴に、ウォルターは慌てて止めようとしたが、その次の消滅も一瞬だった。
可憐な少女は一瞬で暗い色の水の膜のようなものに包まれてしまうと、水の中で瞬く間に塵のようなものに崩れ果て一片も残さずに崩壊してしまう。
「イーザ、そっちは持って帰って引き渡した方が良かったんじゃない?」
「私が耐えられません。もう一秒でも、あの方の名を騙る人間など見ていられませんでした」
騎士達もあれっという顔で振り返ったが、問題の二人組を消してしまった人外者の二人は、飄々とそんな会話をしながら買い物に戻って行こうとしている。
慌てて捕まえようとしたウォルターだったが、顔見知りの工房の人間に袖を引かれた。
「モノン、………あの二人から話を聞いた方が良くないか?」
「あちらの妖精さんは、リーエンベルクの歌乞い様の熱狂的な支持者でしてね。こちらにも歌乞い様の髪の色のカップが欲しいなんてよく注文が入るので、有名なんですよ。まぁ、あの方がいらっしゃっている時に来たのが、運の尽きってところでしょう。かなり高位の方なので、あまり関わりませんよう」
「しかし……」
「坊ちゃん、あの方は霧雨のシーですね。天候を司るシーは魔術に長けており、気紛れとも言われます。おまけに霧雨の系譜は妖精王と精霊王の絆が深く、大きな力を持つ者達ですから、あまり関わらない方が良いかと」
「ガヴィ………。消えてしまった二人を憐れだとは思わないが、背後関係を探っておく必要が出るだろう。顔見知りであるようには見えなかったが、念の為に、先程の人外者達からも話を聞いた方が良いのではないか?」
そう考えたウォルターだったが、大丈夫ですよと請け負ってくれたのは騎士の一人だった。
「いや、あまりにも鮮やかな消し方でさすがに驚きましたが、この工房に出入り出来る方は決まっていますからね。そこから辿れば、何者なのか分るでしょう」
「そうか。それなら行かせてしまっても構わないか。消された方も、失踪が問題にならない者達だといいのだが………」
「こちらからも、リーエンベルクには報告をしておきますよ」
「私の方から、エーダリア様の代理妖精に伝えておこうか?」
「坊ちゃんは、そちらの方の一番弟子でして」
「ああ、ダリル様の!それなら、そちらからお願いしてもいいですか?こちらでも正式な報告は上げておくので。……おい、急いで団長に報告を上げるぞ。報告書が遅れたら、今回の団長までダリル様に殺されちまう!」
工房のオーナーと少し会話をした後、騎士達は足早に詰所に戻って行った。
こんな簡単に済ませてしまっていいのだろうかと考えたが、そう言えばウィームの民は個人単位での魔術可動域や処理能力が高く、人外者の無法にも慣れた民なのだ。
このような事件をさらりと流してゆくことには、日頃から慣れているのだろう。
(………それにしても、腰に専用ベルト………か)
師から、ネアという少女の歌声がある種の武器に匹敵するものだとは聞いていたが、聞いていないところであの契約の魔物の方はまた新しい趣味を開拓しているらしい。
大変だろうなと考えかけて、ふくふくしたムグリス姿を思い出してしまい頬が緩みそうになる。
自分にとって愛おしいものがあんな姿にもなれるのであれば、どれだけ豊かな日々が送れるだろう。
聞けば、あの契約の魔物は自分の歌乞いの願いに応える為に、よくムグリスの姿になっているのだとか。
(それなら、腰に縄をつけるくらい何てことはないな!)
思わず羨ましさに支配されそうになって、ウォルターは首を振った。
今日は新作の絵付けの絵皿を買い求めに来たのであって、ムグリスへの憧れを噛み締めている場合ではない。
「ガヴィ、……………ん?」
そこでウォルターは、先程の妖精達がこちらに戻ってくることに気付いた。
既に買い付けは終わったらしく、梱包待ちの小さな陶器の札を持っている。
シーともなればかなり高位だろうにと考え、自分と同じように、直営店の貴賓室で並んだ品物を見るよりも、こうして工房に直接足を運び品物を選びたい気質なのだろうなと考えた。
直営店の貴賓室には勿論最高の出来栄えの品物が並ぶのだが、こうして工房まで来ると試作品や少し絵柄に癖のあるものも置かれている。
ただ上質なものというだけではなく、そのようなものに魅力を感じる時もあるのだ。
現にウォルターは、先程も試作品の陶器人形を買い上げに加えたばかりだった。
「ぬいぐるみが出来上がったら、ネアに見せに行くんだ」
「ですから、ご迷惑ですのでやめなさい」
「ふぇ。………だって、ぬいぐるみ仲間だよ」
「あの方はあなたの仲間ではありません。勝手に押しかけると、あなたの王が怒りますよ」
「ノアベルトとばかり仲良くなんてさせるもんか。僕だってお気に入りだったんだよ」
「過去形ですので、それはもう過ぎ去ったことでは?」
「イ、イーザはいつも意地悪だ」
「では、意地悪な相談役はそろそろ帰らせていただきましょうか。そう言えば読みたい本が届いたばかりですし、エイミンハーヌとも会う約束をしておりますので」
「ほぇ。…………僕はどうなるの?」
「半日ぐらい一人でどうにか出来るでしょう」
「は、半日も…………横暴だ!」
聞こえて来てしまった会話は、色々と大丈夫だろうかと心配になるものだったが、隣の代理妖精がそっと首を振っているので聞かなかったことにしよう。
(会話の内容的に、もう一人の男性は魔物なのだな………)
「あ、このお皿も買おう」
「あれだけ買ったばかりでしょう。同じ絵柄のものはもうやめなさい」
「え、だってこれは楕円形のお皿だよ」
「大皿はもう二枚も買いましたし、以前のものもあるでしょう」
「ぬいぐるみが来た日は、お祝いをするんだ………」
「はいはい。だとしても、大皿は二枚で充分です」
「ふぇ…………」
叱られながらその魔物であろう男性は連れ出されてゆき、ウォルターは、新しい個性との出会いに思わず振り返ってその後ろ姿を目で追ってしまう。
「ガヴィ、…………先程の魔物は、ぬいぐるみの歓迎会をするようだぞ」
「坊ちゃんも、新しい編みぐるみを作りますと、棚の一番いい場所に飾るでしょう。そのようなものと同じかと思いますよ」
「そ、そうか。言われてみればそういうものなのかもしれないな」
「先程の方は、霧雨のシーの対応を見ておりますと、恐らく雲の魔物でしょう。あのような一面もあるのですね」
「雲の魔物…………?…………あの、悪辣で残虐だと有名な雲の魔物が、………ぬいぐるみの歓迎会を………」
「魔物には、様々な側面があります。ネア様とお会いして色々な方がいらっしゃったでしょう?」
「…………というか、彼女がまさにその最高峰だった」
様々な思いを込めてそう呟き、槍を持って敷地内に侵入した代理妖精を狩ってしまった人間の少女を思った。
彼女と出会ってから、なぜだかウォルターに不思議な余裕のようなものが生まれたのは事実だ。
あの少女が師の側にいてくれるなら、そしてウィームが友人でもある第一王子と目線を同じ方向に向けるのであれば、どんなことが起こっても最終的にはどうにかなってしまいそうな気がしたのだ。
「…………さて。買い付けを終えたら、食事にしよう。師に連絡しなくては」
「ザルツの、坊ちゃんのお気に入りの店を予約しておりますよ」
「あの店に行くのは久し振りだな!」
気を取り直して買い物を終えると、ウォルターは工房を出た。
すると、先ほどの騎士がこちらに歩いて来て、消されてしまった二人連れの身元が分かったと教えてくれた。
代理妖精曰く、一人の騎士は妖精の系譜の騎士のようだ。
ウィームには普通の人間に見えても様々な人材がいるのだなと、ウォルターはますます感心する。
どの系譜とまでは分らないが、なかなかに高位の妖精の血を感じるらしい。
「…………そうか。あの二人は、ヴェルリアの者だったのか」
「ええ。クムクト商会の下層構成員だったようです。商会の代表によれば可憐な見た目に似合わず野心家なところがあったようですよ。まぁ無難に、高位の人外者の逆鱗に触れたようだと話しておきました」
「ああ、その程度の説明にしておいてくれると助かる。私から報告する際に、どのような対策で収めるのかをダリルに決めて貰おう」
「こういう時、ダリル様の安心感は例えようもないですよね」
「そうなんだ!あの方がいれば、どんな時でも安心して対処をお任せ出来る。……まぁそれも、弟子としては不甲斐ないばかりだが」
「はは、俺達も同じ気分ですが、安心してご判断を仰げる上長がいるのは、現場にとっては何よりも幸福なことですよ」
その言葉に微笑んで頷いてから、ウォルター達はその村を離れた。
昼食を摂る店に無事に到着し、個室に入ってからダリルに事の次第を報告した。
「………という訳でして」
説明を終えたウォルターに、かちゃりとフォークを置いてダリルは片手を振った。
鮮やかな青色に染められた爪の美しさに、ウォルターはいつでも美しい師に誇らしさでいっぱいになる。
「はぁ、馬鹿なことをするから命を無駄にするんだね。……その霧雨のシーのことは、ヒルドからも報告を受けていたよ。薔薇の祝祭に、ネアちゃんの下僕になりたいと手紙を寄越してたらしいね」
「…………下僕に」
幸運なことに、連絡を取った時のダリルはちょうど昼食をどうするか考えていたようで、こうして報告を受けがてら同席してくれることになった。
ウォルターはそわそわしてしまう自分の不甲斐なさを恥じつつ、抜け漏れを指摘されないように丁寧に経緯を説明する。
光るような青い瞳を意地悪く細め、ダリルは背筋がひやりとするくらいに凄艶な微笑みを浮かべた。
その美しさに見惚れ、ウォルターはあらためて思いがけない幸運に感謝する。
(今回のことに遭遇しなければ、こうしてダリルと昼食をご一緒することもなかった……!)
最近では、ガヴィレークもダリルとは悪くない関係を築いており、こうして時折同席出来ることを喜ぶ。
ガヴィレーク曰く、このような機会でもなければ坊ちゃんの仕事ぶりを他者から聞くことはないですからねという事なのだそうだ。
いささか気恥ずかしくもあるが、こうして共有の場を必要とすることの大事さはウォルターにも分かる。
それはつまり、ガヴィレークがどれだけ自分のことを大事に思っていれているかということなのだ。
そんな契約の妖精がいることに、ウォルターは常々感謝していた。
「魔物のことは魔物に。その雲の魔物のことはディノに任せておこう。ネアちゃんも仲良くなったみたいだけど、今回のことは場合によっては知らせないままでも良さそうだ」
「それにしても、公の場に出て来ないからと、今回のように名を騙る者が他にも現れないといいのですが………」
「それは気にしなくていい。今回のように外側から手をかける者も多いし、あの子の立場や評判が脅かされると不愉快だという者は多いからね」
ダリルの説明によれば、ある程度の階位の魔物達、特に組織に属したり組織の中で暮らすようになった契約の魔物達には、リーエンベルクの歌乞いを傷付けてはならないという認識が広がっているそうだ。
つまり今回のことは、その情報網から溢れた下位の魔物を持つ歌乞いが起こした事件であり、済んでしまえば捨て置けるものであるということなのだ。
「まぁ、小さな奴らはまたこんな事件を起こすだろう。アリステルの時にだって、偽物事件はあちこちであったからね。あれでも怒らせたらとんでもないことになるから、ディノに見付かったらまずいとは思うけれど、そこにさえ気を付けておけばいいよ」
「………その、ディノ様の名前を騙られるのも危ういのでは?」
「それは無理だ。最初からね」
「無理、なのですか」
「坊ちゃん、高位の魔物はその存在に紐付くものを奪われないのですよ。奪ったものは、その高位の魔物の得るべきものを背負わされて死んでしまいます。名前を騙るとしたら、ほぼ同格の力を持つか、或いは双方が何らかの契約を結んでいる必要があるのです」
「…………そういうものなのだな。我々人間の名前をつける際に注意が必要なのは知っていたが、魔物同士で、一時的なものでも難しいのか」
「それが、高位の魔物ってもんなんだろうね。……ところでさ、ウォルター。いい店だねここは。味もいいけど、面白い料理も多いし一品ごとの量もちょうどいい!」
「はっ、はい!林檎とトマトのシャーベットも美味しいですよ!口直しにいかがですか?」
「お、いいねぇ。この後は肉だし、葡萄酒ももう一本空けるか!」
「はい!」
ぱっと立ち上がって笑顔になったウォルターに、ガヴィレークも微笑みを深める。
(今日はいい日だな)
一つの事件に遭遇したものの、目当てだったものは買えたし、陶器人形も気に入っている。
そして何よりもこうして休日のダリルと一緒に食事が出来たのだから、幸運に感謝しよう。
なお、後日その偽物事件は、ぬいぐるみの完成を知らせに訪れた雲の魔物によって本人達に伝わってしまったらしい。
領主館の訪問の作法を知らなかったのか雲の魔物は通常の訪問客としてリーエンベルクを訪れてしまい、それなりの騒ぎになったそうだ。