暗い森と有意義な夜
それは暗い夜のことだった。
収穫祭を終えたばかりのヴェルクレアの夜は暗い。
それは、本格的な冬の到来を控えて夜の人外者達が光らなくなるからだとか、秋と冬の系譜の入れ替えの時期にあたるからだとか諸説あるものの、とにかく、一年で最も夜が暗くなる時期の一つとして、収穫祭の翌週は、夜の森に一人で出かけてはいけないという戒めがあった。
それなのに、目の前の男達はさしてその暗さを気にも止めず、勝手知ったる道だからと森の入り口を歩いている。
その手に持った手帳に余計なひと言を書き込んだばかりのくせに、何の警戒もしていないのだ。
「国境域の森は暗いな」
そう呟くのは、内心怖気づいている誰かだろう。
裾の長い神官服を翻す風に首を竦め、そこが最後の矜持の一線なのかまるで他人事のように呟く。
「そう言えば、今年の死者の日にも、とうとうアリステル様は戻らなかったな」
「ああ。………だが、俺の祖父の言うことによると、死者の国でアリステル様を見かけないそうだ」
「…………と言うことはやはり、契約の魔物の崩壊の前まで、アリステル様は存命だったんだな」
「成程な。どの程度のお怪我であれ、最終的には契約の魔物の崩壊で命を落としたんだろう」
「しかし、契約の魔物が崩壊する程であれば、やはり助からないようなお怪我だったに違いない」
「だが、あわいの亡霊達も戻れるのが収穫祭の死者の日だ。それなのに、あのお方はなぜ……」
男達は、たわいもない言葉を交わしつつ、手に持った香木を投げ込んだランタンの灯りを頼りに暗い森を進む。
この先にある廃れた小さな森の教会で、密約を交わし報告書を受け取る筈の貴族が待っているのだ。
魔術の道の上からがさがさと下草を踏み、驚いて飛び出した小さな妖精達を蹴散らす。
「ふと、気になったのだが、…………魔物に殺された人間は、あわいの亡霊になるだろう?だが、その殺した魔物も崩壊した場合は、どうなるのだ?」
「…………確かに、………調伏された魔物の被害者達が、あわいから戻ったという話は聞かないな」
「……………だとすれば、悪しき魔物を調伏してしまった場合、殺された家族には死者の日にも会えなくなるということではないか!」
「いやいやしかし、調伏しなければ被害が広がるとしたら、それは難しい問題になるぞ。それに、であればいっそうに好都合ではないか」
「ふむ。確かに好都合だな」
「うむ。好都合だったか……」
「それにしても、まだ我らの知らないことを、ガレンは隠しているに違いあるまい」
「ああ、それは間違いないだろう。不愉快なことよ」
何を今更と笑いたかったが、その線引きを彼等は知らないようだ。
ある程度高位の魔物に伝手があれば知り得る情報なので、ガレンはあえて公式発表をしていないというだけで、実際には暗黙の了解であることなのだが、そんな今更のことを彼等はとてつもない陰謀が隠されているかのように語り合う。
興奮の混じった議論に辟易し、小さく溜め息を吐きそうになった。
「それにしても、その捕えたという疫病は本当に効き目があるのか?」
「疫病だからな。買い付けもアクス商会だ。商会にご縁のある、ムエノ枢機卿に感謝するしかあるまい」
「ムエノ様は、古くから続くガーウィンの教皇の血筋。人外者達の信奉も厚く、かの商会への伝手も手堅い事よ」
「あの方が動いたと言うことが、今回の要点なのだ。この先、国も変わってゆくだろう」
「ああ。改革が終わったと思っている第一王子派やガレンに目にものを見せてくれようぞ」
「しっ、………夜の森には人外者が多い。滅多なことを口にするな」
その通りだと小さく嗤う。
その通り夜の森には人外者がひしめき合い、愚かな人間達が凄惨な饗宴の場になった森の教会に向かっていることを、枝葉の影で笑っている。
妖精や魔物達には分る血の匂いも、人間達にはまだ届かないのだろう。
ぞろぞろと列をなし、おこぼれに与ろうと彼等は獲物たちが餌場に入るのを楽しみにしているのだ。
「それにしても、無力さもまた罪なものよ」
「新しい歌乞いのことか………」
「私は当初、言われる程に無能な歌乞いを、託宣の巫女が選ぶ筈がないと思っていたのだ。ある程度の制約を受け、ガレンを筆頭とする第二王子派の傀儡にされていると思っていたのだが……」
「薬の魔物というのも、目晦ましだと考えていたのだがな」
「忌々しい男だが、あのリーベルを辟易とさせている程に無能なのであれば、残念ながら評判通りの役立たずの歌乞いなのだな」
「だが、ウィームの民達は歓迎しているようだと聞く。何か、ウィームには恩恵をもたらす力を持っているとは考えられないだろうか」
「そうであれ、国の改革の御旗にはなるまい。聞けば、収穫祭などの公式行事にも顔を出さず、あちこちを遊び歩いているようではないか」
彼等の言っていることはある意味正しく、そして都合のよい理解を強制されている。
中央は今の歌乞いを透明な存在とし、アリステルの事件があったからこそ無力な者であることを尊ぶと公言してやまない。
実直と評価が出来る程の仕事はしており、尚且つ誰かより抜きん出る程の力を持たないとされるのが今代の歌乞いだとされていた。
ただし、やはり中には彼等のように、その無力さの主張は目晦ましだと思う者達もいる。
そんな者達が疑念を抱かないくらいのこの時期になって、“その歌乞いとやらにとうとう会ったのだが…”という体で、その凡庸さを嘆かせるのが人間の狡賢いところだ。
今代の歌乞いが現れたばかりの頃ではなく、あえて一年近くも経ってからそう言われれば、成程本当にそうだったのかと頷かせる説得力を持つ。
使える駒がある程度ウィームに縁のある者なのが難点だったが、あのリーベルという枢機卿はそういう意味では使い勝手のいい駒なのだろう。
(元は第四王子派だったことは、知る者は知っていることだ。おまけにそこから手を引いた後、あの男がどこに属しているのかを知るのは、身内の事情には口の堅いウィームの民くらいのものだしな。あえてウィーム派であることを公言している宰相の息子とは違い、あの枢機卿はどこの陣営に軸足を置いているのかを悟らせないことこそ駒の色だからな)
恐らく、その教区やガーウィンで、リーベルは何派だと問われれば人々は困惑するのだろう。
離反したように思わせておいてまだ第四王子派だと言う者もいれば、いやいや、ガーウィンに拠点を置く以上は影では第三王子派であったと言う者もいる。
どこの派閥にも属さず、己の野心の為にだけ動く男だと言う者が一番多いのだろうか。
実際、彼が後々はこのガーウィンの領主となるのだろうと考えている者も多い。
彼の闇の深さを憂う者もいるにはいるが、元より信仰の上でも権力に固執する層は貪欲で盲信的な者達ばかりだ。
そんな者達は一様に、どれだけその若い枢機卿が得体の知れない男でも、どんな手を使ってもガーウィンの権力を守るのであればいいだろうと囁き合っている。
そんな利己的で冷酷な男が、ウィームにいるとある妖精が望むなら床の皿でも舐める覚悟でいることを知るのは、同じくその妖精の軍門に下った者達くらいなのだから。
(そうして、………その得体の知れない男が囁いた言葉にまんまと踊らされ、物陰から姿を現したわけか……)
夏に動いたアリステル派の陰謀を受け、あのしたたかな書架妖精はガーウィンの枢機卿にそんな火種を投じることを命じた。
ウィームの歌乞いは本当に凡庸であった、やれやれうんざりだと呟かせる、ただそれだけのことだ。
しかしその言葉にまんまと隠れ家から顔を出してしまったのが、もう一度歌乞いという旗印を使って、国政改革を成さんとしていた一部の信徒達であったのだ。
国が安定しつつある今、その甘い汁を吸おうとする権力争いこそあれ、このような改革派が燻るのは本来珍しい。
それなのに彼等が愚かで稚拙な夢を見るのは、余程子供じみた価値観のまま育ったのか、或いは一度見てしまった耳に聞こえのいい清浄な国という妄執から抜け出せなくなったのかのどちらかなのだろう。
「もうすぐ着くな。ルズ様がお待ちになられていないといいのだが」
「はは。あの方は気が早いからな」
「いや、と言うよりも先に到着して、罠などがないことを確かめたいのだろう」
そう話す神官達の言葉には、どこか魔術に長けているのはこちらだという驕りが見える。
こちらの方が目がいいので好きなように警戒させておいてやろうというところなのだろうが、言わせて貰えばどちらもどちらだ。
見知った筈の神官達ではないどころか、五人の筈が一人しかいないということにも気付かないままに物言わぬ肉塊になったその貴族と護衛達も、仲間の内の一人がとっくに入れ替わってしまっていることに気付かないこの神官達も。
そろそろ餌の時間が近いと分かった妖精達が草むらでさかんに跳ねていたが、神官達は気付かないままだった。
途中から、中途半端に階位の低い魔術の道などを展開している狡猾さが、森の異様さに気付けずにいるのだとは彼等も知らないだろう。
本当に賢い魔術師であれば、このような夜はあえて危険を冒してでもただの森の道を歩き、耳を澄まして目を光らせているものだ。
大きな木の幹を伝って蛇の魔物が顔をもたげ、長い髪を風になびかせ獲物の姿を目で追っている。
下位の闇の精霊達は仲間を呼び集め木の影の中で歌を歌い、奥の方にある橡の大木の枝の上からは疫病の系譜の妖精がこちらに手を振っていた。
「さて。お前達、妖精避けの香木の煙に蓋をするように」
「さすがに屋内ではこの香りはきついか」
「違いない」
ぎいっと扉が軋み、封鎖の魔術に承認がかかる。
短い詩編から抜いた合言葉と魔術の照合で扉を開錠し、彼等は自身の最期の場となる森の教会に入った。
わっと笑い声が森に満ちたのは、果たして聞こえたかどうか。
「おや、あなたが神官服なのは珍しいですね」
「ま、余興だな」
「統括の国内で、この騒ぎはいいんですか?」
「元々、統括の魔物が己の領土内で人間を殺してはいけないという規則もない」
声をかけてきたのは、どこから嗅ぎつけてきたのかウィリアムだった。
人間に擬態をしたままの装いで、呆れた顔で隣に立つと惨憺たる有様の部屋を見回した。
「言っておくが、俺はある程度丁寧な仕事をしたぞ。中身を食い散らかしたのは、この森の生き物達だからな」
「さっき、すれ違った疫病の系譜の妖精が、久し振りにご馳走だったと喜んでいましたよ」
「腑分けが手荒かったのは、まさしくそいつだな」
「…………で?彼等は何をしたんです?」
ウィリアムは、アルテアが剥ぎ取った皮をかぶせてしまった一人の男を不憫そうに眺め、相変わらず器用ですねと溜め息を吐く。
「元々は、俺の息抜きだ。指先を使っておかないと、錆び付くからな」
「で、その錆落としがこの大虐殺になったのはどういう訳なんでしょうね」
「部屋が狭いだけだろ。王都の貴族とその護衛が二十人ばかり、後は神官が四人だけだぞ」
「多分、ネアあたりに判定させたら部屋が狭いだけとは言わないでしょうね」
「どうだかな。あいつは思いもよらないことを言うだろ」
「…………かもしれませんね。この人間達が、どんな存在かにもよるかな」
アルテアは、そこで部屋の片隅に転がっていた小さな黒い箱を指した。
「お前の探し物はあれだろ」
「うーん、随分小さくまとめたな。アイザックの商法だとしたら、抗議した方がいいかもしれない」
「確かに、あの大きさだと、折り畳んでるな………」
ウィリアムはそちらに歩いてゆき、拾い上げた箱を開けたのか何やら話しかけていた。
どうやら、疫病の精霊が折り畳まれて箱詰めされていたようで、やっと解放されて終焉の魔物にあれこれ訴えているようだ。
暫く会話をし、その精霊は本来の生息域に、終焉の手を借りて転移で戻されてゆく。
「お前がまさか、疫病の精霊を一人救う為だけにここに来たのか?」
「いや。ネアから、ツダリの街に赤い小人がいたと言う話を聞いて、少し気になっていたんですよ。あの辺りには疫病の気配はなかったし、咳病が蔓延する理由もなければ環境も出来上がってなかった。ローンに確認したところ、アクスで疫病セットが売れたと話していたので、念の為に」
「…………念の為に、か。ツダリはウィーム領だからな」
「それと、赤い精霊はそれなりに広範囲を侵食する疫病ですから。まぁ、個人の自由ですからローンが系譜の精霊を生け捕りにして売り捌いてもいいんですが、あれだけ住人の多いウィーム内部でその規模の疫病を人為的に広げようとしているのであれば、俺の案件になりますからね」
「…………鳥籠か」
「それはちょっと、避けたいので」
そう笑ったウィリアムに、この男にしては珍しい選択だなと眉を持ち上げる。
終焉は終焉を回避する助言すら、己の資質に逆らうものだと躊躇うのが常で、その結果あちこちで手をかけたものを失っては辛気臭い目をしている。
それが、珍しく防ぐ為だけに動くともなれば、誰を守ろうとしているのかは明白だった。
自分でも気付いていない内に、ウィリアムは彼女にだけ特別を切り出している。
「おい、触るな。ずれるだろうが」
「この男の仮面を付け替えてしまったなら、彼は元々は誰だったんですか?」
「ガーウィンのムエノ枢機卿派の神官だ。役立たずの歌乞いは、疫病でおびき出して殺す予定だったらしい。先代の死に様を模倣して、ネアに致命傷を負わせて契約の魔物の崩壊で証拠ごと吹き飛ばす算段だったようだな」
ウィリアムはその言葉に、まるで友人にでも微笑みかけるような穏やかな微笑みを浮かべた。
けれど、篝火のように揺れる白金の瞳の色は刃物のようだ。
「…………残念だな。残しておいてくれれば、俺からも話を聞きたかったんだが」
「………お前、一度その顔でネアの前に出てみろ」
「出たんじゃないですかね。ラエタで遭遇したようだし」
「俺が見た時にはもう、ある程度気に入った相手用の愛想笑いになってたけどな。………さて、もういいか」
仮面の付け替えを行った人間を床に転がし、汚れた手袋を外すと床に落とす前に魔術の火で燃やした。
消える前のその火を煙草に移し、思いがけず面倒な仕事になったこの夜の暇潰しの完了に一服する。
「で、アルテアは、ネアの暗殺計画を聞きつけてこんなことを?」
「言っただろ。元はただの暇潰しだ。あの枢機卿なら一定の影響力はあっても積み木崩しにはならないからな。暇潰しに仮面でも付け替えてやろうと思って入り込んだところで、その話をしてたってところだな」
「何と言うか、間が悪いにも程がある………」
ほんの暇潰しだった。
容易い獲物ではないがいなくなっても支障のない相手を選び、とある神官の姿を借りて忍び寄ったその先で、たしかによりにもよっての会話を聞いたなとは思う。
彼等は、ネアの契約の魔物が薬の魔物であることを利用し、おびき出す餌には疫病を選び、その仕事のさなかに力及ばす死んでしまったという舞台を演出する気でいたのだ。
「そうじゃなくても、どうせお前がその箱詰め精霊から足跡を辿って殺しただろうが」
「まぁ、否定はしませんね。………で、この男はどうするんです?」
「仮面の持ち主は、疫病で滅びた国の神官だ。細かい記憶は削ぎ落としてあるが、神への敬意と、疫病への恐怖だけ覚えていれば問題ない」
「成程。そうして放置しておく訳か。あなたらしくない、無難な策ですね」
無難だと笑ったウィリアムの方を呆れた目で一瞥し、アルテアは煙草の灰を落した。
これはある程度洗練された魔術を持つ人間の魂を薄く削いで作ったもので、今回の神官の中にも良い素材になりそうな者が二人いた。
殺しっぱなしの魔物も多いが、アルテアは、かつて殺した人間が死者の日にあわいからふらふらと戻って来るのは好まない。
大抵の場合、こうしてあわいにも行けないように魂ごと壊してしまう。
煙草にもならない魂は、刻んで思いがけないご馳走に大喜びの妖精達に与えてしまえばいい。
その御馳走で妖精達が育ち過ぎることもあるが、それもまた良い暇潰しになることが多い。
「元々、今夜は暇だったというだけの余興だ。それ以上の手をかける余裕はないからな。下準備をして遊ぶなら、もう少し規模を広げられる国外でやるさ」
「………たった一晩の暇潰しの為に、枢機卿で遊ぶのはやめて欲しいですね。…………その枢機卿は?」
「さぁな。部屋の寝台でぬくぬくと夢でも見てるだろ。ここが発見されて調べが入るまでは、なぜ神官達が姿を消したのか分らないままだろうな」
「………そうか。神官ということは、その担当儀式がある日までは、不在でも特に大きな問題にならないのか……」
「担当している人外者に、どれだけの人員を割いているかによるだろうな。………こいつは、……麦の魔物を祀る神官だったみたいだが」
神官服に刺繍された紋章ごとに、その神官がどんな人外者を祀っている担当者なのかが分るようになっている。
床に転がされた麦穂の紋章があるこの男は、麦の教会の神官だったのだろう。
「そういや、死者の王を祀る教会の奴もいたな」
「うーん、あらためて遭遇すると複雑ですね。階位としては俺の方が上なんですが、この辺りの教会の管理では、修復の魔物の傘下ってことになるのか………」
鹿角の聖女とされる修復の魔物を祀るのがこの文化圏の教会の成り立ちだが、その中には土着の信仰により祀られる様々な人外者達専用の神殿や教会も混ざっている。
枢機卿であるムエノやリーベル達は、教会組織の中心となる鹿角の聖女にのみ仕える信徒であるが、それとは別に、同じ教会組織の中から、古くからある信仰や祀り上げられた祟りものなどを司る教会の管理者を選出し、神官とする。
流行の大きな信仰が雑多に散らばった様々な信仰を飲みこんだ結果、このような形に収まったのだが、古くから神官と呼ばれていた土着の信仰を司る者達の呼び名を変えるのは不可能とされ、教会組織の中に別の魔物を祀る神官がいるという奇妙な形になっている。
それぞれに若干ではあれ教えなども違うので、人間とはつくづく大雑把で柔軟な生き物であるらしい。
「信仰の階位なんぞどうでもいいだろ。俺なんか、仮面の魔物の正体は、不慮の死を遂げた子供達の集合体だということにされているぐらいだ」
「うーん、想像力豊かですね人間は。…………さて、今回の主犯になる枢機卿には、俺が少し話をしておきましょう。不用意に俺の系譜で悪さをされると堪りませんので」
「主犯っつーか、共犯だな。なまじ伝手があるから、あの箱詰め精霊の購入を任されてはいたようだが」
「死者の王を祀る神官が含まれていたなら丁度いいか。………確か、その枢機卿はいなくなっても構わないんでしたよね?」
「………お前、今の自分の顔を鏡で見てみろ」
「アルテアに言われたくないですけどね」
煙草を吸い終えたところで、廃れた森の教会にあった古びた椅子から立ち上がった。
ウィリアムは擬態を解き、どうやら死者の王として枢機卿の寝室に乗り込むようだ。
立ち上がって伸びをしている間に姿を消したので、あの枢機卿の命運も仲間達と同じく今日までであったらしい。
「…………ったく。そいつにはそいつ向けの暇潰しを用意してあったんだがな」
小さく呟き、まぁいいかと片手を振る。
性に合わない神官服からいつもの服装に戻し、ステッキで床を一度叩いて全ての痕跡を消してから、床に昏倒したままの男を置き去りにして転移の薄闇を踏んだ。
夜が明ければ、森の異変に気付いた住民達が森の教会に辿りつくだろう。
その導線を敷く為にわざわざ、アルテアは仕事帰りの農夫たちに自分の姿を目撃させておいた。
ウィリアムが枢機卿を排除してしまうであろう件と合わせて、今回のことは悪用しようとした疫病の精霊の扱いを誤った者達の事故として処分されるだろう。
「そういや、読みかけの本があったな………」
ふと、そんなことを思い出した。
いつかの夜に、夢を媒介として部屋にネアが転がり込んできて、そのままになっていたものだ。
この夜の残りはその続きを読んでしまおうと考え、だがその前に、封印庫通りの夜市に寄って帰ろうと決めた。
屋敷近くにあるザハの通りの裏手にある妖精の雑貨屋もなかなかに良い品揃えだが、水曜と木曜日の夜にだけ開く夜市は昔から気に入っている。
森には、満腹になった人ならざる者達の楽しそうな歌声が響いている。
その歌声を聴きながら、アルテアは暗い夜の森を後にした。
アイザックとの約束が流れて暇になるかと思ったが、なかなかに有意義な夜になりそうだ。