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191. 収穫祭の出会いでした(本編)



ネア達が、ウィームにある美術史美術館の前に来たのは、夕刻も少し回ってからのことだった。

霧深く夕闇の落ちたウィームは美しく、淡い収穫祭の明かりに照らされた幻想的な光景は少し怖いおとぎ話の万華鏡のよう。


かさかさと風に鳴るのは、色鮮やかな落ち葉だ。

この季節の紅葉の色も添えられ、赤や橙の色が目立つ収穫祭の街並みだが、麦穂のリースの薔薇色と紫も記憶に残る。



「自然史博物館に比べると小さいのですが、私は美術館も大好きなんです」


ネアがそう振り返ったのは、自然史博物館の隣にある美術館だ。

博物館の西棟を使っているもので、ウィーム程の土地からすればかなり小規模なものだ。

これは、統一戦争で蹂躙され、国として保管していた美術品のほとんどが持ち去られたか処分されたことによる。


ここに残されたものは、ヴェルリアが価値のないと思ったものばかりなのだ。


(でも、だからこそ残されてくれたウィームの至宝なのだ)


価値のないものだと判断されたからこそ、統一戦争前のものが残ってくれた。

それだけでもう、ここに残る絵画や美術品達はウィームにとっては計り知れない価値を持つ。

また、統一戦争時にウィームの民達がこっそり隠し持ってくれていた品物もあり、そちらも統合されて今は小規模だが素敵な美術館になっていた。



「残されたものがここにあることが嬉しくて、昔からウィームに住む人外者さん達も通っているそうですよ」

「ウィームは、土地の魔術基盤が豊かで扱いが難しい。その為に建造物の破壊は禁止されていたからな。その分、小さな品物はほとんど燃やされてしまったと聞く」


ウィリアムの説明によると、ウィームの建物の殆どは、地中に眠る魔術の流れの結界の役割も果たしている。

その結果、国民達の憎悪を掻き立てることへの懸念などと合わされ、建造物の破壊はヴェルリアの兵達に禁止された。

この土地であるが故に残されたのが、リーエンベルクであり、その他の美しい建物達なのだ。



「お、来たみたいだな」



ウィリアムの声に、ご主人様に構って欲しかった魔物を撫でてやっていたネアもそちらを見た。



「墓犬さん!」


ぱっと笑顔になったネアに、先頭に立っていた墓犬が尻尾をふりふりしてくれる。

他に目的地などを持つ個体もいるのでここに来てくれたのは、美術館に入りたい一団なのだろう。

二十匹の墓犬達は、ウィリアムの目もあってかお行儀よくきちんと並んで立っていた。


(でも、こうして並んでも少しずつ違うから区別がつけられるんだわ……)


墓犬は、折れ耳の足の長い大型犬の姿をしており、尻尾がふさりと長い。

ネアの知り合いの個体は、尻尾の毛が少しだけくるくると巻いている。


他にも、尻尾の毛がなかなかにボリューミーな墓犬や、額の毛がモヒカン風の墓犬など、形として区別がつくものと、少しだけ灰色がかっていたり茶色っぽい黒い墓犬などの色で区別がつくものがいた。


ネアはぺこりと頭を下げてご挨拶をし、お馴染みの墓犬とはハグをして再会を喜んだ。



「……ネアが」

「ディノ、墓犬さんですよ。ディノもぎゅっとしますか?」

「…………ネアとしかしない」


魔物は墓犬を抱き締めたご主人様に荒ぶったものの、自分にも勧められてしまい困惑に眉を下げる。

いつも程に荒ぶらないのは、やはり墓犬が雌だからなのだろう。



「さて、皆さんは他にも予定があるでしょうし、さくさく中に入りましょうね」


ネアがそう仕切り出せば、腰に手を当てたウィリアムが苦笑して頭を撫でてくれた。


「ネアのペースでいいからな」

「ふふ。今日の私は、恩返しが楽しいのです。ウィリアムさんは疲れていないですか?」


ネアにそう尋ねられたウィリアムは、何だかその心配ばかりされるなと苦笑する。


「ラエタの影絵の中で、あの頃のウィリアムさんに会いました」


その言葉を切り出せば、微かにたじろぐような瞳の揺れ方に、ネアは眉を持ち上げた。

あえてその時の話をあまりしなかったのは、どこかでこんな風に反応されてしまうからだと分かっていたからだ。


ラエタから戻った直後、すっかり通信にも反応がなくなってしまって、ディノに伝言をお願いした日があった。

その後から普通に連絡が取れるようになったが、ネアはあの日からずっと、着信だけを残せる魔術通信端末ではなく、ウィリアムにもお馴染みのカードを持っていて欲しいなと考えている。


(勿論、………ウィリアムさんが嫌でなければだけど……)


「…………ああ。嫌な思いをさせたな」

「嫌な思いというか、………あのウィリアムさんの酷く疲れたような眼差しが堪えました。………やはり、大事な方達には柔らかい目をしていて欲しいのです」


ネアがそう微笑めば、微かに息を飲むように空気が揺れた。

あえてこの会話は何でもないことのように振る舞い、墓犬達のチケットを首にかけてやっていたネアがそちらを見れば、なぜかウィリアムは口元を片手で覆ったまま俯いている。


「……ウィリアムさん?」

「いや、…………その、手伝おう」

「ネアが浮気する………」

「まぁ、墓犬さんに、貸切のお客だというチケットタグをかけてあげているだけなのです」

「ウィリアムの心配をする………」

「ふふ。ディノのことも心配なので、私の知らないところで無茶をしたら駄目ですからね」

「ご主人様!」



入り口で予約の確認をした時に大人三人他墓犬と伝えたからか、美術館の職員はチケットタグをかけた墓犬達を興味津々で眺めていた。


特に赤茶寄りの黒の墓犬が気に入ったのか、目を煌めかせてじっと見ているので、凝視された墓犬がすっかり照れてしまい、耳を寝かせてしまっていた。


「さて、これで皆さんは入れますよ!」


扉を開けておいてやり、ネアは墓犬達を美術館に入れてやる。

ディノとウィリアムが手伝ってくれて扉を開け放していてくれたのだが、気付いた知り合いな墓犬とモヒカン墓犬が慌てて背中で扉を押さえていた。



「ガ、ガウ!」

「ガウ……」

「ガウ!!」


最後尾で館内に入ったネアが合流すると、中に入った墓犬達が、感動のあまり打ち震えていた。


(喜んでいてくれているみたい!)


墓犬達が見上げて感動している美術館のホールには、素晴らしいドーム天井がある。

その天井画は素晴らしく、彫刻も生き生きとした妖精達が今にも動き出しそうだ。

中央から大きく広がった階段は途中から左右に別れ、その壁沿いには美しいイブメリアの昼と夜の風景を表現したステンドグラスの窓が見える。


立派なシャンデリアは統一戦争後に寄進されたもので、冬の夜明けの陽光の結晶石の値段もつけようがないくらいの高価なものだ。

実はこれは、ウィーム中央駅に元々あったもので、統一戦争中に忽然と姿を消していた。

誰がこの巨大なシャンデリアを外して保管しておいてくれ、そしてこの美術館に寄進したのかは謎のままである。



「この素敵なシャンデリアを戻してくれたのは、誰なのでしょうね」


なのでネアがそう感慨深く呟けば、ディノがおやっと眉を持ち上げて微笑んだ。


「アイザックだった筈だよ。彼は他にも、ウィームの色々なものを密かに避難させて戻していた筈だ。アクス商会の本社は、昔からウィームにあるからね」

「まぁ!それで、そんな素敵なことをしておいてくれたのですね」

「ウィームの街並みや装飾も気に入っていたからと話していたよ。彼にとっては、自分の庭のようなものだったのだろう。商人でもあるから、戦乱自体は回避させなかったけれどね」


戦争が一番良いビジネスであると聞かされ、ネアは少しだけ不安になった。

だが、アイザックは今のウィームが一番好ましいと常々周囲に話しているそうで、ここをこれから戦場にする可能性は低いと教えてもらった。



「左手が第一展示室です。そしてここからは、ご自身の好きなように見て下さいね。ただし、鑑賞マナーに反する行為のないようお行儀良くお願いします」

「ガウ!」


ネアの顔見知り墓犬もそう重ねて吠えてくれ、墓犬達は尻尾をふりふりして頷いた。

さっと散らばって各々最初に見ると決めた絵画の前に陣取っている墓犬達は、やはりここに来ただけあり絵画が好きなのか、みんな尻尾をふりふりしている。


ネアは素晴らしい絵画と可愛い墓犬のお尻を両方堪能出来るスタイルで、和やかな夜の美術館を楽しむことが出来た。



「この絵を描いた画家は知ってるな。気のいい青年だったが、絵の主題になる構図を固める為には殺人も厭わない画家でもあった」

「……………殺人も」


果たしてそれは気のいい青年と言えるのか謎であったが、人外者にはその程度の行いは一般人のそれであるらしい。


「この絵に描かれている男性は、以前アルテアが皮を剥いでいたね」

「ああ、俺も聞きましたよ。レシピぐらい普通に教えておけば良かったのに」

「………レシピを渡さなくて、仕返しされてしまったんですか?」

「そこまでのことではないと思うよ。剥がした皮からもその技術や祝福は得られるのだから、アルテアからすればどちらでも変わりはないんだろう」

「…………お料理の上手な貴族の方だったんですね」


目の前の絵に描かれているのは、上等な羽根飾りの帽子をかぶった貴族の男性とその妻子だ。

なのでネアはそう言ったのだが、苦笑したウィリアムに、いやこっちだと指をさして貰ってもう一人の登場人物に出逢う。



「いや、ネアが見ている家族の後ろにカーテンがあるだろう?その端から顔を出している料理人の方だ」

「むむ。……………確かに、言われなければ気付かない程にこそっと、顔を出してこちらを見ているやつめがいます!怖っ!!」

「家族の前に料理が乗ったテーブルがあるだろう?それが、彼の有名な料理だったんだよ」

「………むむぅ。アルテアさんの、スパイシーチキンに似ていますね」



そんなことを話しながら歩いていると、ネアは仲良しの墓犬がふるふるしながら一枚の絵を見ているところに遭遇した。


(この絵が気に入ったみたい…………)


墓犬が見ているのは、木漏れ日の差す森の中一面に咲いている紫の花の絵だった。

陰影のコントラストが美しく、派手な絵ではないのだが心が解けるような絵だ。


「ウィリアムさん、そう言えば、墓犬さんにはお家はあるのですか?」

「ああ。それぞれ、死者の国に死者達の入れない区画に住居を持っている」

「ふむ」


ネアはここで、その墓犬よりも少しだけ早く鑑賞を終えてしまい、その絵のポストカードを買っておくことにした。

荷物を持つような装備は見当たらないので、ウィリアムに預けておいて後で渡して貰おう。


しかし、美術館の売店に行ったネアは、その絵を水晶の中に閉じ込めた素敵なマグネットも発見してしまい、それも合わせて購入することにする。

絵葉書は経年劣化してしまうものだが、マグネットは表面が水晶でコーティングされているので長く楽しめそうではないか。


ウィリアムにこっそりと託しておけば、彼はくすりと微笑んで受け取ってくれた。

きっと喜ぶよと言って貰い、ネアは案外うっかりなウィリアムが渡し損ねないように、渡した時の反応を教えて下さいねとさりげなく保険をかけておいた。



出口のところでは、あの墓犬が待っていてくれた。

とても興奮している様子で、くるくる回ったりジャンプしたりして、仲良しらしい墓犬と鑑賞の喜びを分かち合っている。


「ガウ!」

「ネア、お陰で楽しかったそうだ。君のお陰で美術館に来れて、とても幸せだったと」

「ふふ、私こそ死者の国では墓犬さんがいてくれてとても助かったのです。お陰で無事にこちらに戻れましたから、また行きたいところがあれば頼って下さいね」

「ガウ!」


ネアの言葉に尻尾をふりふりした墓犬に、仲間の墓犬達がばすんと体当たりをして祝福してやっている。

また地上に上がる年もお世話になろうぜ的なじゃれあいに目を細め、ネアは感謝の気持ちを込めてその頭を撫でておいた。



「では、お元気で!」


墓犬達はこれから夜の祝祭の屋台や、街中の景色を楽しむのだそうだ。

こちらを振り返ってから、また尻尾をふりふりしてくれた墓犬達に手を振り、ネアも伸び上がってぴょんと跳ねる。

それが嬉しかったのか、仲良しの墓犬が最後にびゃんと跳ねてくれて、ネアは胸が熱くなる。



「ずるい。跳ねてる………」

「ディノ、お付き合いいただいて有難うございました。あの時にディノと無事にもう一度会えたのは墓犬さんのお陰も大きいので、やっとお礼が出来てほっとしました!」

「…………ずるい。しがみついてくる。可愛い」

「さて、もう一度街に戻りますか?それとも、晩餐までどこかお店にでも入って、お茶でもします?」



死者を受け入れる人間ではないが、料理人達も収穫祭の雰囲気を楽しめるようにと、リーエンベルクの今日の晩餐は少し遅めの時間になっている。

今の時間からだと、後二時間ほどあるので、ネア達は話し合ってから収穫祭の飾り付けがよく見える窓際の席が空いていた店で、温かいメランジェを飲むことにした。


ゆっくりと先祖や収穫の話をするといいと言われている今夜は、どこもかしこも晩餐が遅い。

ザハなどのディナーの予約もいつもより一時間は遅いようで、そんな夜更かしの雰囲気を正々堂々と楽しめるのも収穫祭らしい特典なのだ。


特に夜を長く楽しむ帰ってきている死者達を受け入れている人間の家族は、一緒に収穫祭の夜を楽しんでからゆっくりと家に帰る。

そうして、死者達が死者の国に戻って行く夜明けまでを一緒に過ごし、翌日の安息日はお昼まで眠るらしい。



今夜の歌劇場では、歌劇場の魔物の歌乞いであった歌姫が歌うそうで、チケットは瞬く間に売れてしまったと噂になっていた。



「ディノ、………お空を飛んでいるのは何でしょう?」

「…………あれは、何だろうね」

「俺も、あんな生き物を見たのは初めてだな……」



ネアが見付けたのは、霧深い夜闇に紛れてびゅんびゅん飛び交っている、お化けの影絵のようなものだった。

怖いような可愛いような絶妙なバランスで、時折目の部分がちかりと赤く光る。


三人で謎の生き物を眺めたまま、ほけっとメランジェを飲んでいると、話が聞こえていたのか店員の女性が歩み寄ってきて教えてくれた。


「あれは、キャラメル林檎の包み紙の精なんですよ。何年か前から飛び交うようになって、髪の毛を引っ張ったりする悪戯をするんです」

「まぁ!あの包み紙の精さんなのですね。初めて知りました。有難うございます」

「すぐに霧に紛れてしまうから、こうして屋内からじっくり外を見ないと気付かないんですよね」

「確かに、お外を歩いていた時には気付きませんでした!」



店員さんが去った後、ディノがぽそりと呟いた。



「………キャラメル林檎の袋」

「あら、しょんぼりしてしまいましたね」

「袋や紙容器の精が多いんだね……」

「多く利用されたり、廃棄されるものですからね」

「俺としても複雑ですが、祝祭の魔術の影響もあって、新しい種が生まれやすいんでしょう」


三人がリーエンベルクに戻る頃には、夜もこっくりと深まり、霧の深い道はコートの前をしっかり合わせていないと寒い程だった。

しかし、頬に触れる霧の冷たさはどこか気持ち良くて、背後に遠ざかってゆく街の中心部から聞こえてくる収穫祭の歌に心地よい祝祭の余韻を楽しむ。


またばしゅりと遠くで弾けるのは、立ち入り禁止のところへ死者が入り込もうとしたのだろう。

足元を駆け抜けてゆく小さな生き物達は南瓜の欠片を持っており、ずしんずしんと歩いてゆく葬列の魔物の姿も見える。


ネアは、繋いだ手をぎゅうっとして、つつがなく予定の全てを消化出来た一日を思った。



「今日は、ディノにウィリアムさんもいてくれたお陰か、普通さを心から楽しめる祝祭でした。屋台でお菓子を買ったり、墓犬さん達と絵画鑑賞を出来て楽しかったです!」


またしても、連行される犯罪者スタイルで魔物達に手を繋がれてしまっているネアは、繋いだ手をぶんぶん振って微笑んだ。

こちらを見て優しい微笑みを返してくれるウィリアムに、目元を染めてくしゃりとなってしまうディノ。

頼もしい魔物達に囲まれて、その時のネアが油断をしていたとしたら、それはもう仕方のないことと言えよう。


何しろ、敵は歩道沿いの隙間に縮まって落ちていたのだ。

その周囲にはキャラメル林檎の包み紙が散乱しており、ネアは眉を顰める。



「む。………ごみ屑と一緒に大きな黒い布の塊が捨てられています。ポイ捨ては良くありませんね」

「………大きなものだね。ほら、ネアはあまり近付かないようにしておいで」

「不法投棄物には近付きません。それに、…………ほわ?!リズモ!!」

「ネア?!」


その時、その黒い塊の横をふよふよと飛んで来たのは、ネアのお気に入りの獲物の金貨妖精のリズモだ。

ぱっと笑顔になり、魔物達の手を振り切って駆け出したネアは、南瓜の欠片を手に呑気に飛んでいた毛玉を鷲掴みにする。

震え上がってミーミー鳴いたリズモから収穫の祝福を捥ぎ取り、落としかけた南瓜の欠片もきちんと持たせてやってから解放した。


手の甲で額の汗をぬぐい、ネアは晴れ晴れとした達成感に包まれる。


「ふっ。良い狩りまでもしてしまいました」

「ネア、危ないから手を離しては駄目だろう?」

「…………むむ。正気に戻って反省しています。でも、ディノ、この通り祝福が一つ増えただけで無事ですからね」


ディノは慌てて後ろからご主人様の片手を捕まえ、ほっとしたように眉を下げる。

けれど、その瞬間に事件は起きたのだ。



「……っ?!」


突然、むくりと起き上がったのは、路上で誰かのポイ捨てした紙袋にまみれていた黒い塊だ。

上から糸で釣られているかのようにぐいっと立ち上がったことにも驚いたが、何よりもまさか生きていたのかという驚きが勝ってしまい、ネアは思わずその姿をまじまじと見てしまう。


(…………綺麗な女の人だわ)


長い黒髪と黒い瞳をした、憂鬱そうな眼差しがその美しさを引き立てるような美女だ。

その真っ黒な瞳を覗き込んだ一瞬で、ネアはぞくりと背筋によく分からない悪寒が走るのを感じた。



ばしゅんと、その次の瞬間にはもう、目の前の美女は消えてしまった。

魔物の胸に背後から抱き竦められ、見上げたネアの目にはどこか厳しい顔をしたディノが映る。

どうやら、ディノの手で先ほどの妖精は排除されてしまったらしい。


ほんの、一秒くらいの出来事だった。



「……ディノ、今の方はポイ捨てのゴミではなく、妖精さんだったようです」

「衣の妖精だね。………ごめんね、ネア。直前まで、ほとんど仮死状態に近かったから、私も油断してしまった」

「むむ。生き物なのは分かっていたのですね?それと、そんな衣の妖精さんの真横で狩りをしてしまいました………」

「塵になる前の死体だと思ったんだよ」

「死体だから、私には言わないでくれたのですね」

「うん。………ごみではなく死体だと知ると、君が悲しむかなと思ったのだけど」



悲しげに頷きながら、ディノはネアの頬に手を当てた。

夜の光を映してきらりと光った水紺色の瞳に、ネアはまたしても何かまずいことが起こったようだぞとふすんと鼻を鳴らす。


しかし、そう考えて少しだけしょんぼりしたネアの肩に、ふわりと優しく手が乗せられた。



「ウィリアムさん………」

「すまない、ネア。俺もてっきり死体だとばかり。何で食べたのかは知らないが、収穫祭の祝福のあるキャラメル林檎を食べ過ぎて仮死状態になってたんだろうな………」


ウィリアムによると、収穫祭の祝福のあるキャラメル林檎は、本来は決して衣の妖精が食べてはいけないものなのだそうだ。

分かりやすく言うと、食中毒を起こしたようになるのだとか。

ウィリアムもそれが妖精だとは分っていたそうだが、キャラメル林檎で中毒死してしまったのだと考えていたらしい。


「なんで、今日に限ってキャラメル林檎に手を出したんだろうな」

「…………途端に、食いしん坊なお茶目さんに思えてきました。儚くなってしまったのが悔やまれます」

「ご主人様…………」


儚くしてしまった犯人のディノがしゅんとしたところで、肩に手を置いたウィリアムが、ネアの顔を覗き込んで不思議な微笑みを浮かべた。



「ネア、これから俺はあることをする」

「…………ウィリアムさん?」

「だから、そうなったら、明日の朝までその俺の面倒を見てくれると嬉しいな」

「ウィリアムさん?!…………ほわ」



ぽわぽわした、濃紫色の光が淡く弾けた。



その直後、ネアの肩に手を置いていたウィリアムの姿が掻き消え、そこには馬くらいの大きさの不思議な生き物が現れる。

ぎしりと鉤爪が石畳に当たり、魔術が結ばれた直後の甘い香りが漂った。



(そ、そう言えば、…………先程話していた衣の妖精さんは、もふもふに変身させる黒い妖精さんだったような…………)




「…………ディノ、ウィリアムさんが」



呆然と呟いたネアの隣で、ディノも少しだけ驚いたようだ。


「そうか。………衣の妖精は、ウィリアムの系譜の者だったね」

「ええ。終焉の要素の者ですからね。脆弱な呪いとは言えネアに万が一の事があるといけないので、俺が代わりに引き取りました。…………ん?この姿でも喋れるんだな」



そこに居たのは、狼のような頭部にしなやかな毛皮に見事な長い尾を持ち、白鳥のような翼を広げた美しい一匹の竜だった。

ばさりと広がった翼の内側の陰影が美しく、ネアは目を瞠ってその生き物を見つめる。


「冬霧の竜だね。………ネア、アルテアがくれたぬいぐるみの毛皮にも使われている、とても珍しい竜だよ。………ネア?」

「…………し、白もふ」


ふるふるしながらネアが指差した先に佇んでいるのは、微かな灰色の斑らを持つ純白の毛皮の竜だ。

雪豹アルテアでも充分に知っているが、艶々でふわりと夜風に揺れる毛並みは、飛び込んで頬擦りしたいくらいに素晴らしい。


「竜の白もふ!」

「ネア!」


あまりの愛くるしさに感極まったネアは、べりっとディノの手を剥いで竜の姿に変えられてしまったウィリアムに飛びついた。


「ふわとろな触り心地です!もふもふ!」

「ネア……?!………その、ちょ、待ってくれネア…………っ、……ぁ、」


首元に顔をぐりぐりされた後、後脚を畳んで座り体を起こした状態だったウィリアムは、前脚を持ち上げられてお腹の中に飛び込まれてしまう。

全力でお腹を撫で回され、声にならない声を上げて公道でくしゃくしゃになってしまった。


「むむ。竜の白もふさんが倒れました」

「ネア、そこは撫でたら駄目だよ。ほら、ウィリアムから離れようか」

「むぐぅ。抱っこ出来ない大きさなのが憎いです!引き摺って持って帰ったら怪我をしてしまうので、ディノ、白もふなウィリアムさんを大事に持って帰ってあげて下さい」

「ネアがウィリアムに…?………浮気する」

「明日の朝日が昇るまででも、もふ竜さんと過ごす楽しみが味わえるなんて!守ってくれたウィリアムさんには感謝しかありませんので、今夜は一緒に寝ます!!」

「ウィリアムなんて……」

「あら、私の呪いを代わりに引き取ってくれた恩人なのですから、そんなことを言ってはいけませんよ?」


ネアに叱られてべそべそしながら、ディノは竜の姿に変えられてしまったウィリアムを、仕方なくリーエンベルクに持ち帰ってくれた。


途中で意識を取り戻したウィリアムは慌てて自分の足で歩いてくれたが、そのぽてぽてした歩き方にもネアは心を蕩かされてしまう。

四足歩行も出来るが、お喋りをするために後ろ足の二足歩行をしてくれたのだ。



(真っ白な竜で、おまけにとろふわ!)



アルテアな白けものも素晴らしい手触りだが、今回のウィリアムな竜の手触りはまた少し違う。

ふわふわ度合いはムグリスディノから白けもの、そしてウィリアムな竜の順だが、その代わりにしっとりとした滑らかさ度合いでは、ウィリアムな竜の優勝である。



「………わーお。ネア、それどうしたの?」


リーエンベルクに戻ると、ちょうどそこには夜の焚き上げ前に晩餐を取りに戻ってきていたエーダリア達がいた。


ぎょっとしたように尋ねたノアに、竜姿なウィリアムは少しだけ遠い目をする。


「うっかり、道に落ちていた衣の妖精さんに呪われてしまったのですが、ウィリアムさんが肩代わりしてくれたんです!そして、この素敵な白もふになりました!!」

「ありゃ。………ウィリアムは竜なんだ」

「ウィリアムだったのか……。その、…………ネアがすまなかったな」


エーダリアはあまりにも痛ましいという悲壮な顔になってしまったが、その隣のヒルドはなぜか不思議に呆れたような微笑みを浮かべていた。


「……となりますと、ご用意していたいつもの客間で大丈夫でしょうか?」

「ああ。屋内に入って自分の大きさを見てみたが、これくらいなら問題ないだろう。すまない、世話をかけるな」

「いや、……ネアがそうなると、また何か良からぬ事が起きる気しかしない。迷惑をかけてすまなかった」

「はは、エーダリアが謝る必要はないし、ネアが無事なのが一番だからな」

「ウィリアムさんが優しくて、おまけに白もふなので大好きが止まりません……」

「ネア………その、そうか。良かった」

「…………ネアが竜なウィリアムに浮気する」

「って言うか、このウィリアムだと晩餐はどう食べるんだろうね」

「それは、狐さんと同じ方式なのでは………」

「…………いや、手で食べられるものだけにしよう」



ウィリアムは、もう既にリーエンベルクの料理人達が晩餐の準備をしてくれているからと、晩餐を断ることはしなかった。

この手でどれくらい食べられるかなと苦笑していたが、とは言え、ネアが身代わりの新しい白もふに苦労などさせる訳もなく、甲斐甲斐しくローストチキンや林檎のパイを切り分けて食べさせてやった。


お向かいの席でノアがじたばたしていたのと、隣のディノが自分もやって欲しいと駄々をこねていたが、魔物達を窘めながらネアは楽しい収穫祭の晩餐を過ごした。



なお、ウィリアムは飲み物の時にネアが銀狐用のペットの水皿を出したところ弱ってしまい、食後に撫で回しで襲われてからいっそうに弱ってしまった。

収穫祭の真夜中の焚き上げをリーエンベルクの屋根から一緒に眺めた後は、ネアの誘いを頑なに断って用意された客間に逃げ込んでしまい、竜のお布団で眠る筈だったネアはがっかりした。




なお、翌日は土砂降りの雨で太陽光は差さず、ネアはもう一日白い竜なウィリアムと一緒に過ごせたのである。






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