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190. 収穫祭は大賑わいです(本編)



クロウウィンと呼ばれるこちらの世界の秋の収穫祭も、生者の国と死者の国の境界が曖昧になる日だとされていた。



秋の収穫を感謝し、太陽の祝福が翳り冬へと近付く季節の境界線として、この祝祭はある。

収穫祭の夜は、収穫や蓄えの話と、先祖や血族の話をするといいと言われており、逆に決してしてはならないのは新しい命を育むことなのだそうだ。

一般的に、最大の死者の日となる収穫祭に生まれた子供は、死が刈り取る収穫物として選ばれるか、死を実らせ愛するようになると言われている。

とは言え呪物としてあえてその道を選ぶ者も少なからずおり、困ったものだとウィリアムは眉を顰めていた。



「時代によっては、家督を継がない四男や五男あたりを、出世の見込める武人として育てる為にあえてこの日に育むことが流行ったこともあったんだ。とは言え、そんな身の上に産んだ一族への復讐として虐殺に走ることも多くてな。最近は禁忌とされている」

「………人間は強欲ですねぇ」

「呪いを武器とする手法は昔からあるが、諸刃の剣だな」

「か弱きものはしたたかでもいいと思いますが、当人の選べない出生が最初から賭けなのはどうかと思うのです。荒んで当然ですね」

「ウィリアムの系譜の領域では、名付けや日取りなどの禁忌に、なぜか人間が踏み込みやすいのが不思議だね」


ネア達が歩いているのは、リーエンベルクから街中に向かう大通りだ。

ディノは久し振りにネアの大好きな濃紺のロングコートを着ており、朝からこちらに遊びに来てくれた漆黒のコートのウィリアムと合わせて何とも凄艶で仄暗い美貌が際立つ装いで、ネアをうきうきさせてくれた。


ネアも収穫祭の装いをと、本日はあまり着ないような黒に近い深い真紅のベルベットの膝丈のドレスを着て、墨色に擬態させた戦闘靴を履いている。

スカート裾は夜を紡いだパニエでふりっとしており、スカート丈と同じ長さのフード付きの墨色のコートが祝祭の雰囲気を盛り上げてくれた。

袖口に同色の夜の糸と闇の結晶石で華やかな薔薇の刺繍があるコートは、ちょっと魔術書でも開いてみようかという気分になるおとぎ話な気分が高まる魔法使いなコートだ。



「あら、また死者さんがどこかで結界にぶつかったようですね」

「どうしてぶつかってしまうのかな?」

「お祭り特有の、ちょっとやんちゃしたくなるあれでしょうか」


最も大々的な死者の日でもある今日は、朝から死者の国から出てきた死者達や、あわいから這い出てきた亡霊達が街中を生者のように行き交い、ばしゅりと死者避けの結界の青い光があちこちで上がる。

困ったことに、今も生きている頃と変わりないかのように公共施設や魔術的な施設に入ってこようとする死者が毎回たくさんいるのだ。



この死者の日になると、生きている人間達は幾つか注意しなければならないことがある。


まず、身内の死者は特別な振る舞い料理でもてなし、決して生前の好物だったからといってお馴染みの家庭料理などを与えてはいけない。

また、その死者のお墓の土が死者の体に触れると、死者の足元に穴が開いて死者は死者の国に落ちてしまうのだそうだ。

よほど歓迎していないのであれば話は別だが、このような事故がないようこの日ばかりは皆、靴底の掃除を怠らないのだとか。


人外者達にも幾つか注意事項があるが、大枠でまとめれば生きている人間だと思ってあれこれ悪さをすると、皮膚がただれたりお腹を壊したりする。

よって、この日ばかりは一般的な人外者達は少し慎重になるのだそうだ。



「君が秋の舞踏会で会ったという、麦の魔物や葡萄のシーは、国によっては今日が一年で最も重用される日だ。林檎の魔物も力を伸ばす日だが、どちらかと言えば装飾や食卓を飾る日というだけだからね」

「と言うことは、こちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「いや、葡萄も麦も、最も力を持つのはこの辺りではないからね。ウィームには来ないと思うよ」

「ゼノの報告によると、レザートさんは最近妖精の粉目当てで襲われたばかりですので、無事にお役目を果たせるのでしょうか………」

「羽は、…………まだあるのかな」

「羽は残っているようですが、羽を光らせて妖精の粉を落すまであれこれされてしまったようなので、心の傷を抱えていそうですね………」


最終的には、人型になったほこりが頑張っておねだりをしたそうで、その途端案外簡単に光ったと聞いている。

その報告にヒルドはどこか遠い目をしていたが、食べてみたらそこまで美味しくなかったとほこりに言われてしまい、夜葡萄のシーはがくりと項垂れていたようだ。

ゼノーシュの感想では、レザートの妖精の粉は確かに美味しいけれど、ザハのお菓子の方がよっぽど美味しいというレベルなのだそうで、ヒルドの妖精の粉がネアの至高の甘味なのは、余程好みに合うのか、何か他の条件で味が良くなっているかではないかという見立てだった。



街中に麦穂のリースが飾られ、あちこちに林檎のお菓子が売られている。

この一日、人々は死者達の目を射らないように明るい色の服は避け、街中を行き交う人々の装いには黒や濃紺などが多い。


「街灯に飾られたリースが綺麗ですね。ほら、毛玉妖精さんが欲しくて引っ張って叱られています」

「盗んでも、あの大きさは持てないんじゃないかな……」

「外した途端、リースの重さで圧死しそうなのに、物欲とは恐ろしいものですね」


麦穂のリースは土台になるシンプルな麦穂のリースが売られており、そこに各々の趣味でお花を挿したり、香草をお洒落に絡めたりするのだ。

ウィームの公道に飾られている今年の麦穂のリースは、くすんだ薔薇色の見事な薔薇と、紫陽花に似たあでやかな紫の花が合わされている。

ネアが昨年見かけたものだと水色の花が合せてあったので、毎年趣向を変えるのだろう。


屋台ではくつくつと煮込んだ林檎の暖かなジュースが売られ、お馴染みのキャラメル林檎が紙袋で量り売りにされており、焼き林檎などもいい香りを放っている。




今日の収穫祭では、エーダリアやヒルド達には公式行事があるが、ネアとディノはお休みとなっていた。

本来であれば公式行事などに参加するべき立場ではあるのだが、ジュリアン王子の一件で一度死者の国に落ちていることにより、今回は公式行事見送りとなっている。

ウィリアム曰く、一度出来た道と縁が魔術の儀式で活性化するとまずいのだそうで、以前からエーダリア達と相談して今日をお休みにするようにと決めていてくれたのだそうだ。



「ネアは、収穫祭は二度目なんだろう?」

「去年の今頃は、アルビクロムでお仕事をしていました。なぜエーダリア様達がいたのか不思議だったのですが、昨年の収穫祭こと死者の日は、私の前任の歌乞いさんが亡くなった後に初めて訪れる大きな死者の日だったので、ヴェルクレア各地で大きな催しは自粛されたのだそうです」


また、当時肌で感じていた理由でもあるが、あの頃はまだ仮面の魔物が非常に警戒されていた時期だった。

境界が曖昧になりあれこれ問題の起こる死者の日に、あえて非公式にエーダリアを領地から出したのはダリルの采配だったらしい。

国としての捜索任務にあたっているとなれば、何か事が起きて不在の責任を問われても釈明がし易い。

その好機を逃さず、足場が不安定になる日に、エーダリアを位置の特定の難しい領外に避難させるという措置でもあったのだそうだ。


(そういう意味で、今年の公式行事の参加は、国が安定してきたということだけではなく、エーダリア様の周囲が堅固になったということでもあるんだわ)


ヒルドがこちらに居るようになったことも勿論大きいが、何しろ塩の魔物がつきっきりで襟巻になっているし、グラストには因果の成就の精霊王の祝福がある。

ゼノーシュも隠さず安心して力を振るえるようになり、今年はダリルの部下にも水竜の禍子の弟子が増えた。

何よりもダリルが有難いと言ってくれたのは、期間内のウィリアムの滞在である。

もし死者周りで問題が起きても、すぐさま専門家を頼れるのだ。

その認識は、疫病祭りでウィリアムを見かけた一部の騎士達や住民にもあるらしく、ネアとディノが前回と同じ擬態のウィリアムと一緒に歩いているだけであからさまにほっとしたような顔をする者が多い。

つまり、若干バレているのである。



「むむ。美味しそうな林檎の飲み物があります。私の手を解放して下さい」

「それは困ったね」

「なぬ。困っているのは私の方なのだ」


ネアが渋面になるのは、せっかく大きな祝祭でお休みになっているというのに、過保護さに磨きのかかった魔物達がネアの両手を押さえてしまっているからだ。

ディノとウィリアムの二人がネアと手を繋いでしまっており、魔物達に挟まれたネアは、連行される犯人のような様子になってしまっていた。


「シルハーン、ネアを抱えればいいんじゃないですか?」


ウィリアムがそう提案してくれ、ネアはそうするのだと目線で訴える。


ネアが買おうとしているのは温かい牛乳とシナモンと煮林檎の飲み物で、マグカップは記念に持って帰ることが出来る。

この飲み物はイブメリアの時期のホットワインのような位置付けのものであり、元々陶器の絵付けに定評のあるウィームのお持ち帰りマグカップにはコレクターも多いと聞いていた。


渋めの水色のカップに、焦げ茶で繊細で美しい麦穂のリース飾りとウィームの街並みが描かれたこのお店のものは、とても上品で美しい。

何店舗かを見比べてみたネアも、買うならここだと決めたのだった。



「ネアは、普通のでいいのか?量が多いのもあるぞ」

「まぁ、ウィリアムさん、いいですよ!寧ろ、せっかくのお休みなので私が皆さんの分をと思っていたのです!」

「久し振りの休日で俺もはしゃぎたいんだ。買わせてくれるか?」

「むむぅ。そう言われてしまうと、ウィリアムさんが楽しいと嬉しいので頷いてしまいます………」

「はは、それは良かった」


ネアがちょうどディノに持ち上げられてしまったところだったので、飲み物はウィリアムが買ってくれた。

ご馳走しようと思っていたネアは、予定が狂ってしょんぼりしたが、ウィリアムが酷く穏やかな目をしていたのであまり拘らないことにした。


湯気を立てているマグカップを受け取り、お礼を言って口をつけた。

甘く優しい味に笑顔になったところで、自分を持ち上げているとディノには飲めないことが判明する。


「ディノ、やはり一度下ろしてくれますか?」

「ネアが虐待する……」

「でも、私を持ち上げたままでは、ディノは飲み物が飲めないでしょう?」

「…………このままでいい」

「そんなことを言っていいんですか?この林檎の飲み物は、かなりディノ好みの味ですよ?ほら、ディノの分は私が買ってあげますから、マグカップを持って帰りたくありませんか?」


そう言われたご主人様から貰えるものコレクターな魔物が難しい顔になってしまったので、ネアは一度ご主人様を地面に置いた上で、羽織ものになることを提唱する。

それであればせめて片手が空くので、一緒に飲み物を楽しめそうだ。



「ああ。香辛料の味があるから、甘過ぎずに飲みやすいな」

「シナモンだけではなくて、他にも色々入っていそうですね」

「………俺にも馴染みのある味だな。クローブかな」

「お腹の中から温まるのに、口の中がしつこくないのが素敵です」


ディノはネアがお会計した飲み物に目元を染めて嬉しそうにしており、ウィリアムも自分の分を買って飲み始めた。


ダナエ達の訪問の日が少し暖かくなったからか、今日はぐっと冷え込んでおり、収穫祭らしい天気ではあるがこうした温かい飲み物が嬉しい気温だ。

霧がかっているのは秋のウィームらしい光景だが、収穫祭の今日はその紅葉と霧の向こうを時折死者が横切る。

まるで普通の人間のように歩いている者も多いが、服装が一昔前のものだったりするので死者と分かる死者も多い。

ディノ曰く、服装で分るくらいに前の死者の場合は、魔物に殺されたあわいの死者の可能性が高いとのことだった。



「今日は、墓犬さん達も出て来れる日なのですよね?」

「地上に行く死者達が完全に上がるまで見届けてから、こちらに出てくる。それぞれに交代制で毎年全ての者が出て来れる訳ではないが。今年は地上に上がれる年だったみたいだ」


掃除婦ことファービットは、本人達の嗜好の関係で基本地上に上がってくる個体はほとんどいないのだそうだ。

墓犬は地上に上がってくることが多いが、死者の国に墓犬がいなくなってしまうとそれはそれで問題になるので、交代制で対応している。


「お会い出来るのが楽しみです。何か欲しいものなどがあると、本当は恩返しが出来たんですが……」

「美術館に入れるだけで充分だと思うぞ」


死者の日のウィームでは、同伴者のいる死者に限り、美術館と歌劇場には入れるようになっている。

それは墓犬も同じ扱いになっており、以前から美術館などに行きたいという要請が上がっていたのだそうだ。

前年の死者の日はウィリアムが多忙だったこともありその願いを叶えてやれなかったそうで、墓犬達はしょげていたらしい。



なので今年は、地上に上がってくる墓犬達をネアがウィームの美術館に連れて行くことになっていた。

死者達より更に陽光に弱い墓犬が地上に出てくるのは夕方以降なので、事前にダリルに相談してからこっそり夜の美術館ツアーの時間をひと枠買い押さえてある。

少々お高い出費となったが、恩返しとしては安いものだ。


最初は墓犬達がゆっくり見られるようにと一時間だけ貸切にしたのだが、もし仕事で約束の時間に間に合わなくても、後からの一般客と一緒になってしまうだけで入れないことはないので、心に優しい時間貸切予約だ。



「むむ。………見たことのない生き物がいます」

「おや、棺の精だね」

「ウィームの棺の精は青いのか。弔いが丁寧な証だな」

「そういうものなのですか?」


午後に近付くにつれ、収穫祭は死者の日としての要素を濃くしてゆき、境界が曖昧になってゆくと見たこともない生き物達がちらほらと姿を現し始めた。


ぼうっと霧に包まれ薄暗くなった街角では、街灯だけではなく魔術の火を燃やした林檎のランタンや、オレンジ色の豊穣の結晶石の灯りなどがイルミネーションのように飾られている。

霧が深く人ではないものがあちこちにいるのでどちらかと言えばホラー寄りだが、それでも普段とは装いを変えた祝祭仕様の街並みは美しかった。


ネアが見付けたのは、青い尻尾おばけのような生き物で、濃紺に近いくらいの深い青色の毛玉のような毛皮生物に、ふさふさの猫の尻尾に似たものが四本生えている。

ぴょいぴょい弾みながら屋台に近付き、何匹かで寄り添って羨ましそうにキャラメル林檎を眺めているようだ。

優しい店主だったのか、割れてしまった欠片などのくずキャラメル林檎の欠片を貰い、きゃあっと歓声を上げて群がっている。



「収穫祭の固有種は悪さをするから、ああして少しだけ御裾分けをするんだよ」

「なぬ。ディノ、あの尻尾達は悪いやつなのですか?」

「と言うより、珍しく自由になる日だから、抑えが利かなくなるんだ。ああしてお菓子を貰ったりするとすぐに大人しくなる」

「ふむ。……そして、喜びに忠実な生き物ですね」


視線の先では、キャラメル林檎の欠片を貰った棺の精とやらが、喜びのあまり弾み過ぎて仲間達と空中激突していた。

満足すると次に移動するのか、ささっとその屋台を離れ、ネア達が飲み物を買ったお店に群がっている。

そちらでは対策上用意していたものなのか、小さな園芸用の如雨露で飲み物をかけて貰って大喜びしているようだ。


ネアは見たことのない生き物を狩ってみたかったが、嬉しそうに祝祭を楽しんでいるので苛めるのはやめようと思う。

狩りの女王も、祝祭を楽しむ者達には優しいのだ。



「死者さんは、悪さをしないのでしょうか?」

「勿論、する者もいる。その時には、………ああ、あっちでやっているみたいだな。見えるか?」


ウィリアムが指し示してくれた方では、石畳の道に落ちて砕けた南瓜が見えた。

どうやら死者の誰かが悪さをしたらしく、一人のご婦人が勇ましいフォームで手のひらサイズの南瓜を投げつけているようだ。

背中に南瓜が当ってぎゃっとなった男性の死者は、煙のようになって消えてしまった。


「む。滅びましたね」

「南瓜を三回投げつけられると、ああして消えて死者の国に強制送還されてしまうんだ」

「…………だから、時々地面に南瓜の残骸が落ちているんですね」

「やはり元は人間だし、死んだ理由も様々だろう?どうしても、こういう条件付けが必要になるんだ」

「死者さんも、死んでると思うと気持ちが大きくなったりしそうですものね…………」


だが、帰ってきた死者を誰かに会わせたくない生者がいることもあり、南瓜の投げつけ回数は三回になったのだそうだ。

罪のない死者の場合は、せっかく帰ってきて一発で追い返されてしまっては堪らないということだろう。



ずしん、と地面が揺れた。



「…………ほわ」


ネアも周囲の人々にならって視線を持ち上げ、大きな黒い影のようなものが反対側の通りをずしんずしんと歩いてゆく光景を見送る。

巨大な熊のような姿をしているが、もやっとしている影だけの姿なので詳細な形は分らない。

ただ、その歩みに合せて、ずしん、ずしんと地面が揺れるばかりだ。


目を丸くしてその姿を見ていたネアに、持ち上げに戻った魔物が教えてくれた。


「葬列の魔物だ。死者が多いと、あの魔物の体も大きくなるんだ」

「ということは、沢山の方が亡くなったのでしょうか?」

「あれは、小さな方だろう。本来は雲の上まで頭が突き出していても不思議ではない。ウィームはやはり、穏やかに統治されているね」

「まぁ、あのお姿だけで、私には大きく感じられてしまいました。そんなに大きくもなるのですね」


聞けば、葬列の魔物は特に目立った悪さをするものではないが、意図的に傷付けようとしたりするとごく稀に反撃してくることもあるのだそうだ。

穢れた土地や荒れた国を通り抜ける際には、その土地の怨嗟を吸い上げて祟りものになってしまうことも多く、きちんと管理されていない国では恐ろしい魔物にもなる。


「でも、収穫祭で一番危険なのは、衣の妖精だな」

「衣の妖精さん……?」


ウィリアムの言葉に、ネアはこてんと首を傾げる。

ネア達の周囲にはウィリアムがいるお蔭か、悪戯をするような生き物は寄って来ていない。

死者達も、なぜだかは分らないという目をしながらも、ウィリアムの近くを歩くのは避けていた。


「この冬前の収穫の時期に毛皮を奪われた生き物の怨嗟から生まれる、俺の系譜の妖精の一種だ。黒い目の女性の姿をしているが、無差別に衣の呪いをかけるのがな………」

「無差別が一番恐ろしいですね。その呪いにかけられてしまうと、どうなってしまうのでしょうか?」

「狐や狼など、毛皮を求められる種類の獣の姿になってしまうんだ。朝陽に当れば呪いは解けるが、翌日の天気が悪いと朝陽に当たれるまではずっとそのままになるな」

「なぜでしょう。恐れよりもときめきを感じました」

「ネア、………何で俺を見ているんだ?」

「ウィリアムさんな狼さん………」

「うーん、階位的に俺には呪いはかからないんじゃないかな」

「なぬ」


ネアは素敵なものが見れるかもしれないとわくわくしてしまった心を鎮め、せめてその妖精が誰かを素敵なもふもふにする現場に遭遇出来ないかと目を凝らした。

しかし、今日は黒っぽい服装の住民があまりにも多いので、その妖精を見つけ出すのは難しそうだ。


「むむぅ。衣の妖精さんの被害者は、周囲にはいらっしゃらないようです」

「ネアが、毛皮のなにかに浮気する………」

「あら、被害に遭っている方がいると困るので、街の為に視野を広くしただけなのです」

「ご主人様…………」



実はこの妖精は、ネアが血眼になって周囲を見回している同時刻に、祝祭の儀式会場に出現してウィームの民をひやりとさせていたのだそうだ。


よりにもよって、今年は大物狙いなのか儀式を終えたばかりのエーダリアのところに現れたのだ。

しかし、衣の妖精はエーダリアが首に巻きつけていたおやつ中な銀狐を見て、生きたままお互いに無理なく助け合い、襟巻きにしているとはいい心がけだと言って消えてしまったのだとか。

良いタイミングで、儀式終わりで銀狐が屋台のキャラメル林檎を買って貰って食べていたところだったのも、仲良し感が出て衣の妖精の評価を上げたようだ。


領民達はさすが領主だと喜んでいたそうで、ネアは今年の冬はペットな首飾りが流行るのではと考えている。



そんなお喋りをしながら歩いていると、ウィリアムにあちらを見てご覧と道路の向こうを歩く死者を見せられた。


「ネア、あれは魔物に殺された亡霊だ。ああして、銀色の涙を流している者は怨嗟が深いから、絶対に近付かないように」


そこに居たのは、真っ赤なドレスを着た女性だった。

真紅の花嫁のような赤いヴェールごしにも、頬を流れ顎先からしたたる銀色の涙が見える。

寒さを堪えるようによろめき歩いているので、思わず手を貸してあげたくなるような哀れさだが、近付いてはいけないらしい。


「…………お気の毒な感じに見えてしまいますが、怖い亡霊さんなのですか?」

「うーん、人間にとってはどうなんだろうな。触れると、その人間に魔物が近付かないような祝福を与えるとも言われている」

「なぬ!それは絶対に近付けません。ディノに近付けなくなったら大変なので、ディノもそういう亡霊さんが近付かないように一緒に警戒していて下さいね!」

「…………ずるい。ご主人様が可愛い……」

「ほら、恥じらってしまっていないで、真っ直ぐ立って下さい」




この収穫祭にも、焚き上げの魔物が登場するのだそうだ。

日付けが変わる頃になると、街中の麦穂のリースを収穫祭の妖精達が集めて周り、最後に焚き上げの魔物がそのリースを燃やして収穫祭の夜が終わる。


大きく燃える火を囲んで、魔術師達が収穫祭の夜の終焉と冬の歓迎を宣言し、人々は燃えたリースの灰を貰って帰り、畑や暖炉、或いは竃や玄関先などに撒いておくのだそうだ。



「………あちこちから、歌が聞こえてきますね」

「収穫祭の歌だと思うよ。収穫祭を祝い死者達と混ざり合う。悪い妖精や死者には気を付けようという歌詞は、どこの国も同じなんだね」

「…………不思議な感じの歌ですね。ぞくぞくするのにわくわくもするような、独特な調子があります」


そう呟いたネアに、ウィリアムが微笑んだ。

霧深くなった街を見回し、ネアに視線を戻したウィリアムは、ふっとほころぶような優しい微笑みを向けてくれる。


「元は、統治に不満のある農民達が反乱を起こした時の歌なんだ。農夫達の士気を高める歌だが、同時に、国への反乱は生きて帰れる保証がないことから死へと向かう歌でもあった。あの音階は、そういう背景から独特な効果を持つんだろうな」

「…………その頃は、ウィリアムさんもそのような反乱を見たのですね?」

「まぁな。だが、当時の農民達の反乱は、あっという間に鎮圧されてしまうことが多かった。権力者の側には、高位の人外者や魔術師達が居ることが多かった時代だからな」



ウィリアムの言葉の向こうには、無残に鎮圧された農民達の亡骸が転がる大地が見えた気がした。

ネアは、ラエタで見たウィリアムのどこか壊れた瞳の色を思い出し、手を伸ばしてウィリアムの手を握る。


「ネア…………」

「霧が深くなってきたので、ウィリアムさんが迷子になりませんように」



こちらを見て目を瞠ったウィリアムが、そう宣言したネアにほろりと微笑みを深めた。



「…………そうだな。君が手を繋いでいてくれるなら、俺は大丈夫そうだ」



しかし、その一幕ですっかり拗ねてしまった魔物がいる。

手を繋ぐということを特別視してしまう、ネアの持ち上げの魔物だ。


「……………ネアが、ウィリアムに浮気する」

「あら、こうして手を繋いでおかないと、ウィリアムさんが迷子になったら大変なのです」

「迷子の心配なんかする………」

「でも、ディノは私を持ち上げて一体化しているので、どこかに迷い込むとしても一緒ですから安心していてもいいですよね?」

「………一体化」


なぜかその言葉で魔物は今度はくしゃくしゃになってしまい、航行不能な船のように沈没した。

結果、ネアはウィリアムに抱え直され、ディノと手を繋ぐようになる。



「………ウィリアムさん、重たくはありませんか?腕が疲れそうなので、自分で歩けますからね」

「いや、役得だと思ってるから気にしなくていい。それよりも、シルハーンの手を離さないようにな」

「むむ。逃げないようにしっかりと捕まえています」

「ずるい。ネアが甘えてくる」

「……………余計に弱りましたね」



道のあちこちでは、投げつけられて砕けた南瓜に群がる小さな妖精達がいる。

そんな中、ネアは茶色い物体が物凄い速さで大きな南瓜の欠片を攫ってゆく場面に遭遇し、呆然とした。



「い、今、…………パンの魔物さんが立ち上がって駆けて行きましたよ?」

「ネア、パンの魔物は立ち上がれないと思うぞ」

「よく似た他の生き物だと思うよ。何かいたのかな?」

「ち、違います!あれは確かにパンの魔物さんでしたよ!」




ネアは見たものの正しさを主張したのだが、その後も見かけたパンの魔物はもそもそと石畳の上を進んでいるだけで、一斤パン状態の長方形は横倒しのままだった。

ネアが見た、縦長直立歩行のパンの魔物はいないようだ。



(でも、絶対にパンの魔物だった筈!!)


思えば、同じものを見てしまったのか愕然としたまま固まっていた歩行者が何人かいた。

あの時に話しかけて同意を得ておけば良かったとネアは後悔したが、後の祭りである。



その後のネアは、お昼ご飯の、屋台の串焼きハムとお惣菜揚げパンをいただいている間中ずっと、幽霊を見たのに信じて貰えなかった人の気持ちを味わいながらぎりぎりと眉を顰めていた。









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