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温室の魔物と竜の歌 2


かくして、素晴らしいバルバの時間が始まった。


まずは新鮮な帆立のタルタルが振る舞われ、ネア達は舌鼓を打ちつつ素晴らしいお料理風景に見入る。

特にグラストとドリーは初めてに近い光景なので、目を丸くしてお料理する高位の魔物を見ていた。


「アルテアさん、しゃきりとするこやつは何でしょう?」

「マリネしたセロリだな」

「タルタルと合わさると素敵ですね!」

「ノアベルト、弾ませるなよ」

「勿論」

「むが!解せぬ………」


(…………ウィリアムさんも来れれば良かったのに)


ネアは少し残念だったが、ウィリアムからリーエンベルクに連絡が入り、すぐにでも行きたかったのだがとある国で鳥籠案件が起こってしまい、訪問は来週になると言われたのだ。

砂漠の方の国の絵付けの素晴らしい流星硝子の茶器のお土産があると聞き、ネアは大はしゃぎでウィリアムを待っていたのでとても残念だった。


そして今日、こんな風にみんなでバルバをしている風景を見れば、是非誘ってあげたかったなと思わずにはいられない。

疲れているのに賑やかなのは嫌いかもしれないが、案外喜んでくれたかもしれなかったのだ。


ネアが会いたかったので残念だと言うと、仕事を続ける励みになったと言ってくれたので、来週に来てくれた時には労わってあげよう。

折しも、季節は秋の最後の祝祭のその日を迎えるので、死者の日からそのまま滞在する形でリーエンベルクを訪れてくれることになる。



お向かいでは、バーレンがはふはふと焼き貝を食べている。

ダナエが、バーレンのお皿から勝手に帆立のタルタルの半分を強奪してしまったので、次の料理に移ったようだ。

因みに貝は自分采配で焼くシステムになっており、アルテアが用意してくれたソースはテーブルの各所に置かれている。

その中の一つを採用したバーレンは、むむっと目を瞠ってから嬉しそうに食べていた。



「そう言えば、少し前に綿毛が暴れる祭りに行ったんだ」


そんな話をしてくれたのはダナエだ。


「カードに、蒲公英の綿毛が荒れ狂うお祭りに行くと書いてくれていたやつですね」

「うん」


するとなぜか、ダナエの隣のバーレンは死んだ魚の目になってしまう。

微かに手が震えているので、よほどのことがあったに違いない。


「辺り一面の蒲公英の綿毛が一斉に飛び立つんだ。襲い掛かってくるから、それを口を空けて食べてみたんだけど、このソースがあればもっと美味しかったかな」

「………二度とあの祭りには行きたくない」

「そう?ソースを持っていけば、美味しいと思うよ」


ダナエはそう誘っていたが、バーレンは頑なに首を振っていた。

重い口を開き教えてくれたことによれば、その綿毛は非常に攻撃的で、肌に触れるとちくちくするのだそうだ。

小さなものだが辺り一面に漂っているので、バーレンは酷い目に遭ったらしい。

髪の毛の中や服裾にも潜んでいて、忘れた頃にチクっとやられるのだとか。


「その中で、人間達は平然と祭事を行っていた。もう人間がよく分らない」

「種族的な不審に繋がるくらい、辛い思いをしてしまったのですね………」

「その綿毛も、アルテアの系譜だった筈だよ」

「…………綿毛の」

「やめろ。妙な目をするな」


選択の魔物とは一体何なのだろうという眼差しになってしまったネアは、そう言えばボラボラもアルテアの系譜であったことを思い出した。


「ディノ、アルテアさんの系譜には、綿毛やボラボラがいるのですね」

「選択に紐付く系譜の者達だね。ボラボラは選別を司る生き物のようだし、その綿毛は選択を促す魔物の一種だ。その一年を自然に感謝して実直に生きた者のことは刺さないとされている」

「ふむ、刺されない方もいるようです」


ネアがそう言って竜達の方を見れば、バーレンは、そもそも羽ばたくだけでも小さな草花の茎が折れてしまうこともあるのだと絶望したように呟いた。

ダナエは、食べてしまうので刺しても刺さなくても構わないのだそうだ。


「…………アルテア殿、これは何が入っているんですか?」

「鶏のクネルが入ったグラタンだ」

「僕、クネル大好き!」


そこまで、ほぼ無言で貝食べモンスターになっていたゼノーシュが、グラストの質問に答えたアルテアの言葉に、ぱっと笑顔になって大きなグラタン皿を見つめる。

ネアには想像もつかない謎の魔術で表面のチーズに焦げ目を入れられ、グラタンはくつくつとチーズが溶けて何とも素晴らしい様子になっていた。

ふわふわの素朴なクネル団子にチーズとベシャメルソースが絡み、これもあつあつをいただけば幸せでいっぱいになる。


「こいつに言われて足した料理だ。市販のクネルだからな」

「市販のクネルですが、充分に美味しいですよ?」

「もう少し手間をかけられるな。山芋を入れるか、練りを強くした方が味がいい」

「そうなると、アルテアさんのクネルを食べる日を早急に設定しなければなりません」

「なんでだよ」

「僕、空いてる日を調べるね」

「おい」


ゼノーシュは美味しいクネル会に喜びの笑顔を見せてくれ、ノアがさり気なく頷いているので銀狐も参加してきそうな気がする。

ネアは、隣でネアに取ってもらったクネルグラタンをはふはふ食べていたディノを見上げ、初めてのお料理の感想を尋ねてみた。


「ディノも、こういう食べ物は好きそうですね」

「うん。美味しいね」

「ウィームではよく、スープにお魚のクネルが入っていますが、グラタンにしても美味しいのは私も初めて知りました。アルテアさんのクネルも楽しみにしていましょう!」

「…………うん」


魔物は複雑そうだったが、クネルの美味しさに負けたらしくこくりと頷く。

その奥に並んだダナエも頷いているので、いずれはダナエにも振る舞ってやる必要がありそうだ。

ヴェルリアにはあまりない料理なのか、ドリーはエルゼに教えてやろうと呟いている。


(ドリーさんの食べ方と、ゼノとダナエさんの食べ方が似てる……)


少し大きめに切り分け、フォークやスプーンで綺麗に一口で食べる。

決して大食いな感じではなく、あくまでも上品に食べてしまうので惚れ惚れと見守るような食べっぷりだ。

バーレンはエーダリアと食べ方が似ていて、気になったものを上品に小分けにして食べる、一般的な貴人スタイルの食事である。

グラストは少し不器用そうだが美味しそうに、そしてヒルドは精緻にという表現をしたくなるようなくらい上手にナイフを使って食べる。


(ヒルドさんの場合はあまり量は食べないけれど、お酒は結構飲んでいる感じ)


そういう意味では、アルテア寄りだ。

アルテアは、料理は食べさせる方を好みつつ、お酒はかなり飲んでいる。

ディノはバランスよく飲み食いし、気になる食べ物はじっと見つめてこれは何だろうと考えてから取り皿に盛るようだ。



「…………ほわ」


その時、ネアは何とも言えないような美しい歌声に目を瞠った。

ノアが持ち込んだ満月の夜にだけに収穫される銀色葡萄のお酒を飲んだダナエが、ご機嫌で少しだけ歌い出したのだ。


(ヴェルリアの、アルテアさんの家で聞いた竜の歌を思い出す………)


竜の歌は美しい。

一般的には、魔物の歌や、妖精や精霊の歌も素晴らしいとされるが、竜の歌は物悲しく美しいので一定の熱狂的なファンがつく程なのだそうだ。

豊かで物悲しく、深くてしっとりとしているその歌声に、ネアはうっとりと聞き入った。



「このお酒は美味しいね」


歌い終えたダナエがそう呟き、ドリーが竜が喜びに歌うのは最高の祝福なのだと教えてくれる。

その滅多にない祝福に与れるのは光栄だと、エーダリア達は嬉しそうにしているし、持ち込みのお酒を褒められたノアも得意げだ。


「なかなか流通しないんだよ。銀色葡萄は、すぐに月光の妖精に盗まれちゃうからね」

「私も少し貰ってもいいだろうか」


やはり夏の事件があったので気がひけるのか、バーレンは少し気弱な感じながら、おずおずと手を伸ばしグラスに水のような透明なお酒を注いでいる。

ディノやアルテアには少し警戒心もあるようだが、ネアから逃がしてくれたノアとゼノーシュには少しだけ心を許している感があった。


初対面ではないが、擬態していない魔物達に出会うのは初めてだったバーレンは、驚愕に目を瞠りながら丁寧に頭を下げていた。

正体が高位の魔物であることは見抜いていたアージュと、高位だと推測していたディノ以外の魔物達も白かったことに慄いたようだ。


それもありバーレンは大人しいのかなとネアは思っていたが、よく見るとヒルドに懐いていることと、ダナエの世話を焼いているのでそれどころではないというのが一番のようだ。



「…………お前はこっちだ」

「むぅ。私も銀色のやつが飲みたいです」

「序盤はやめろ」

「そうだね、ネアはまずこちらから飲もうか」

「むぐぅ」


ネアもうきうきして銀色葡萄のお酒に手を伸ばしたのだが、すかさずアルテアに瓶を取り上げられてしまった。

全員がやむを得ないという表情になる中、竜達だけは不思議そうに首を傾げている。

珍しいお酒は取り上げられてしまったので、ネアは仕方なく、焼きたてのロブスターの半身を自分の方に引っ張り寄せた。

気遣いの料理人が切れ目を入れてから網に乗せてくれているので、焼き上がったらフォークで刺してバターソースにつけて食べるばかりだ。


(まずは、バターソース!)


ぱくりと口に入れてから美味しさのあまりにじたばたしたネアを見て、ダナエが目を光らせる。

最初からロブスターをかなり気にしており、いつになったら焼けるのだろうと様子を見ていたらしい。

さっと手を出したダナエは、すぐにバーレンに叱られた。


「ダナエ、殻は外した方がいい」

「この赤いのは食べないのかい?」

「それと、せっかくなのだから、ソースにつけてはどうだ?」

「ソース………」


(………仲良しになっただけじゃなくて、この二人はそもそもの相性が良かった気がする………)


そんな二人を見ていると、ロブスターを口に入れたダナエが目を丸くした。


「…………美味しい」


このままではロブスターがなくなる気配を会場の全員が察したのか、さっと各自が自分用のものを確保する中、ダナエはロブスターの網焼きを立て続けに三個食べてしまった。

自分の前のものがなくなり他の者のお皿を羨ましそうに見ていると、苦笑したドリーが自分の分を分けてやっていた。

なお、ダナエの隣で恨めしそうな顔をしているバーレンからは、既に半分のロブスターが強奪されている。


ネアはディノと分け合い、ディノはこれも美味しいけれどやっぱりこっちという風に、もそもそとグラタンに戻ってゆく。

しかし、秋あざみとキノコの包み蒸しが出てくると、蒸し上がった秋アザミのいい香りに目を瞬いた。

同じようなタイミングで塩釜焼きも仕上がり、琺瑯のお鍋ではロブスターのスープ煮も仕上がる。


「秋アザミは、ほろりと甘いお芋のような味なのですね」

「若い秋アザミはまた味が少し違う。だが、あんまり出回らないな」

「そっちはね、蕪みたいな味がするんだよ」

「ゼノーシュは何でも知ってるなぁ」

「グラストにも、今度食べさせてあげる!」


そんな可愛らしいクッキーモンスターの言動を見て、なぜかダナエはじっとバーレンの方を見ている。

その視線に気付いたバーレンは、秋あざみがどこで採れるものなのか調べておこうと呟いた。

それでは足りないと思ったのか、ダナエはそのまま視線をアルテアにスライドしていた。

アルテアはさっと視線を逸らし、ダナエが項垂れる。


「わーお、これ僕大好き」

「ノアの食べているキノコ、美味しいですよね」

「うん。黄色いからどうかなと思ったんだけど、美味しいよね」


彩りも形も様々なキノコは、果たして食べてもいいのだろうかという毒キノコ的形状のものもあるが、ネアはお料理の中に交じっているのでと遠慮なく口に放り込んだ。

美味しい味をしっかりと吸い込み、噛み締める程に美味しい秋の味覚だ。



「…………さてと、満腹になる前に、牛を捌いてくるか」


そうお皿を置いたドリーに、グラストが手伝うと言って同行していった。

ゼノーシュは少し不満そうだが、この二人は会う機会はあまりないものの、仲がいいのだそうだ。

気が合うのでしょうねと微笑んだヒルドは、自分の側にあったまだ焼いていない貝を、ゼノーシュとダナエに割り振ってやっている。



「神の塩釜焼きでふ」

「これを食べるなら、飲み物はこっちにしておけ」

「これは何でしょう?」

「あっ、ずるい、ネアにだけ!!」


アルテアがネアに出してくれた瓶を見た途端、反対側にいたノアが慌てて駆け寄ってきた。

ずずいとグラスを差し出すノアと、渋面でそんなノアを見返すアルテアで暫し睨み合う。

埒が明かないので、ネアが介助してアルテアの手を支えてやり、無事にノアのグラスにもそのお酒が入った。


「珍しいものなのですか?」


元の席に戻ったノアにそう尋ねたヒルドに、ノアは嬉しそうにオーロラのお酒なのだと説明している。

雪原に出して凍らせた林檎の上にオーロラが出ると、その林檎にはオーロラの甘さが浸透するのだとか。

そんな林檎を使って作るお酒で、とても珍しいのだそうだ。


ネアからしてみれば、そもそもオーロラが甘いというところから謎めいているが、可愛らしいロゼピンクのお酒にわくわくしながら口に含んでみる。



「まぁ!すごく美味しいです。爽やかだけれど甘くて、飲みやすいのに奥行きがある感じでしょうか。詳しいことはさっぱりですが、とにかく美味しいです!」

「おや、それが気に入ったなら、今度持ってきてあげるよ」

「むむ。ディノもこのお酒を隠し持っているのですか?」

「私の予兆でもあるものに属する酒だからね。よく貰うんだ」

「となるとなかなかの年代ものだな。グラスは俺が用意してやる」

「…………何でアルテアまで来るんだろう」

「シル、僕もだからね!……あと、ヒルドとエーダリアも」

「ネア、僕とグラストも!」

「あらあら、ディノ、みなさんにも分けてあげられる量がありますか?」



すかさずアルテアが参入し、ノアやゼノーシュも負けじと重ねてくる。

ネアと二人で飲みたいとしょんぼりする魔物に、ネアは何本かあるのであれば、みんなで飲む日と二人で飲む日を設定しようと慰めてやる。

無事に二人だけでお酒を飲む機会を得られた魔物は、目元を染めて嬉しそう頷いた。




「すまない、遅くなったな」

「お肉様!」

「いや、あまりにも鮮やかな手捌きで驚いた」


そこに帰って来たのは、ものの十分程で棘牛を解体してしまったドリーとグラストだ。


アルテアでさえ、随分早くないかと振り返っているので、もの凄い手際がいいのだろう。

そして、前回のアルテアの時もそうだったがお盆のようなものの上にお肉をどどんと乗せて持ってきてはいるものの、一頭分の量としては少なく感じる。

これが毒があるので扱いが難しいと言われる由縁で、棘牛はとびきり美味しい牛肉ではあるものの、食べられる部分はそこまで多くないのだ。


「残りの部分、とってある?」

「ああ。だが、お腹を壊さないようにな」

「………大丈夫だ。ダナエは、毒くらいではどこも悪くしないし、多分不死身だ」

「バーレンは大袈裟だなぁ」


しかし、そんなやり取りが窺えるので、毒がある部分もダナエが美味しくいただくようだ。

ある意味自然に優しい流れであるので、ネアは安心してやって来た美味しいお肉をどうにかして貰うことに集中しようと思う。


「焼くだけなら、網に乗っけますよ?」

「お前はこれでも食べてろ」

「むむ。塩釜焼きに新しいソースが生まれました」


ネアはこのあたりで働いているところを見せておかねばと肉焼きを名乗り出たが、何か危険を察したのかアルテアにさり気なくどかされてしまう。

しかしネアも大人なので、そんな意図に気付いた上で美味しく塩釜焼きを食べて待っていようと思う。


「ふむ。これで働こうという意欲は見せました。後は食べるだけです」

「お前なぁ、全部聞こえてるぞ」

「ネアは子供なんだから、気にしないで食べていていいよ」

「むぐぅ」


そうダナエに優しく言われ、ネアはお皿を持ったまま唸る。

そしてそんなダナエに、アルテアが顔をしかめた。


「お前の方は少し気にしろ。それと、肉を生で食うな」

「棘牛は、生でも美味しいよ」


叱られたダナエはきょとんとして首を傾げ、ネアはぼそっとタルタルと呟く。

顔を顰めたアルテアは、ささっと網焼き用のお肉に下味をつけてくれ、渋々タルタルを作ってくれるらしい一塊を持って少し下がった。


本来は育成魔術などの作業台にするその区画は、現在アルテアのお台所になっており、火を通さないお料理や下ごしらえなどはこちらでしてくれているのだ。

きっとあのお肉はタルタルになるに違いないと、ネアは喜びのあまりタルタルに抑揚をつけて繰り返し召喚してしまった。



「タルタルタルタル!…………む」


その途端、ぼさっと何かが天井の方から落ちて来て、網のない部分の中央の燃えたぎる火の中で一瞬で消し炭になる。

楽しくバルバをしてはいるが、この温室で燃やされているのはとても強い魔術の火なので、落ちたらひとたまりもないのだ。



「…………何者かが、足を滑らせました」

「お前が歌ったからではないか」

「なぬ」

「落ちて来た時にはもう死んでいたようだな」


遠い目をしたエーダリアの解説によれば、今落ちてきたのは温室の魔物なのだそうだ。

温かい温室に暮らし、時々温室の中のものに悪さをするだけの生き物で、正方形の毛玉のような姿の生き物であるらしい。


「エーダリア様、それは濡れ衣です。みなさん元気ではないですか」

「僕が音の壁を作ったからだね」


ゆったりとグラスを傾けているノアが挙手をし、みんなの命を守ったんだから撫でてもいいよと唇の端を持ち上げる。

ネアは慌てて周囲を見回してみたが、微かな緊張感が現場には残されていた。


「ディノも、音の壁で守って貰ったのですか?」

「私は大丈夫だよ。君の歌は、変わっていて可愛いしね」

「………ほわ」


ネアは悲しい気持ちでタルタル料理人を振り返ったが、そちらは慌てて自前で音の壁を展開したらしく、じっとりとした目をしてこちらを見ていた。


「辛いです。歌うことどころか、歌扱いされてしまいそうな喜びの音すら発せません」

「歌うのが苦手なの?教えてあげようか?」


悲しげに呟いたネアにそう提案してくれたのはダナエだった。

柔らかく微笑む桜色の瞳は優しく、ネアはじわっと涙目になりそうな気分でその瞳を見返す。


「やめろ。殺されるぞ」

「おのれ、風評被害です。やめるのだ」

「言っておくが、俺はお前の歌で散々実験されたからな」

「あの頃はまだ恥じらいや緊張があったのですが、今ならばきっと!」

「天井から落ちてきた温室の魔物を見て、よくも言えたな」


ネアは可能性を信じない魔物に険しい顔になったが、おもむろにそっと体の位置を変えられ、向い合せになってきたディノを首を傾げて見上げる。

ディノはどこか頑固そうな眼差しで、ネアの頬を撫でた。


「駄目だよご主人様。君は私の歌乞いなのだから、あまり他の者を捕まえるようなことをしないでおくれ」

「む。…………それを言われてしまうと、その通りですね。ダナエさん、せっかくの提案で残念ですが、ディノが拗ねてしまうのでご辞退しますね」

「うん。そう言えば君は歌乞いだったね」

「捕まえるじゃなくて、全滅させるの間違いだろ……」

「おのれ許すまじ!タルタルを献上してくれなければ許しませんよ!!」


さもなければ、タルタル召喚の歌を再び歌うと脅され、アルテアは渋々タルタルを仕上げてきてくれた。


「うむ。これで美味しくお酒を飲むのです」

「ネアは、巨人のお酒は禁止だからね」

「はい、ゼノ。皆さんと美味しく楽しめるように、それには気を付けますね」

「じゃあ、これを飲もうよ」


そこでダナエが出して来たのは、ネアは初めてお目にかかる珍しい竜のお酒だった。

夏闇の竜が作るもので、基本は杏のお酒である。


「ガーサージュか!」

「わーお、僕初めて飲むよ」

「僕もガーサージュ初めて!!」


魔物達はぱっと顔を輝かせ、なぜかバーレンは青くなっている。

おやっという目をしたヒルドが声をかけると、これを飲むとダナエは歌いっぱなしになると話していた。


「ダナエさんは、酔うと歌う系なのですね」

「バーレンと一緒に旅をするようになってからだよ。お酒は、一人で飲んでも楽しくないし、酔っ払っても食べたくならない友達は少ないから」

「………飲もう」


その一言はバーレンの心を優しく駄目にしたようで、かつてはつんつんしていた光竜は、兄大好きっ子の弟のように、目をきらきらさせる。


「バーレンが来てから楽しいよ。ずっと一緒に旅を出来ればいいのになぁ」


自らの言葉の殺傷能力を知らず、重ねて致命傷になる言葉を言ったダナエの隣で、バーレンは耳を真っ赤にして青い瞳を彷徨わせていた。

この反応を見る限り、こちらのペアの解散はなさそうだ。



ガーサージュは、綺麗な水色のお酒だった。


飲み始める前に、ヒルドとドリーが、ダナエが酔っぱらっても歌う以外の事が起きないかどうか、執拗にバーレンに確認していたのは、ダナエが悪食の竜だからだろう。

バーレンの証言によれば、普段はあまり酔わないが、酔っぱらってもご機嫌で歌うだけで、面倒臭いが害はないと証言する。

ネアは寧ろバーレンが酔っぱらうとどうなるのかが気になったが、そこは現状の大人しさを見て特に誰も注意を払わなかったようだ。


「銀色葡萄………」

「ネアは、初めて飲むものだろう?あまり飲み過ぎないようにね」

「はい!」


無事に会も後半に入ったので、ネアの前には念願の銀色葡萄のお酒も用意して貰える。

後半は美味しいお肉と、新鮮な棘牛肉のタルタルをおつまみに楽しい大人のお酒の時間だ。

ダナエは魔術可動域の低いネアの飲酒を心配していたが、オーロラ林檎のお酒だけでなく、銀色葡萄のお酒も無理なく楽しく飲んでいたので安心したようだ。



温室の中には、甘く柔らかな竜の歌が響く。



談笑の声に、グラスの触れ合う音や、お肉の焼ける香ばしい匂い。

ようやくアルテアも座ってグラスを傾けるだけになり、ネアが確保しておいた自分の分の料理を食べながら、かなり気に入ったらしい竜のお酒を飲んでいた。


(銀色葡萄のお酒は、きりっと辛口で美味しいけれど、私はオーロラ林檎のお酒が好きかしら……)


竜のお酒もかなり好きな味だが、これは食事と一緒に飲むというよりも、小さなグラスでちびちび飲む系のお酒の味と強さだと思う。

ネア的には、こういう場ではなく秋の夜長に、チーズと一緒に読書のお供にでもしたいお酒であった。



ドリーがダナエの歌に触発されたのか、ふいっとどこからか取り出した火の結晶石で作られたバイオリンを演奏してくれた。

実はかなりの演奏家のようで、ピアノも上手であるらしい。

歌うよりも歌を聞くことを好む魔物達も、思いがけない竜の演奏会に心地よさげに耳を傾けている。



(…………ああ、なんて、ぬくぬくした時間なのだろう)


その穏やかさと甘さに目を細め、ネアは幸せな賑やかさに寄り添う。

ディノはこういう会は初めてのようで、歌の合間にダナエにあれこれ話しかけられたり、アルテアに苛められたノアにへばりつかれたりしつつ、ネアにしか気付けないくらいに淡く目をきらきらさせていた。


「バーレンが、すごく楽しんでる」


ダナエがそうこっそり教えてくれたので、バーレンもまたこのような会は初めてではしゃいでいるらしい。

こうして、自分に紐付かないものになったとしても、関わった生き物が健やかな目に戻って幸せそうにしているのは良いことだ。

そう考えて、ネアはまた目新しいお酒の入ったグラスを手にした。

ちょうど、無花果のコンポートも出来上がりご機嫌だったのだ。




「…………むむ」


そして、はっとした時にはなぜかディノに両肩を掴んで揺さ振られていた。


「良かった。酔いが醒めたようだね。ノアベルトの薬が効いたようだ」

「ほわふ。…………もしや、私は酔っぱらったのでしょうか?」

「ゼノーシュが調べてくれたんだけど、一つだけ、巨人の酒と同じ土地で作られる酒があったようだ。体質的に合わないのかもしれない」

「まぁ、そういうものが紛れていたんですね」



食事は一通り片付いたようだ。

なぜか部屋の隅っこに移動したダナエはまだ何か食べており、ドリーと楽しそうにお喋りをしている。

床に落ちていたり、椅子に引っかかって死んでいるのは、アルテアとノア、そしてエーダリアのようだ。


「…………死んでいる方がいます」

「…………うん。君が甘えたんだよ」


ディノはそう悔しそうに言うので、打撃系をご褒美換算してしまう魔物の意見は当てにならなさそうだ。

ネアは、部屋の反対側で隅っこの方に仮設座席を用意して集まっていたゼノーシュ達に話を聞いてみることにした。


「ゼノ、私は一体何をしてしまったのでしょう?」

「ネア、酔い覚ましが効いたんだね。良かった。キャラメル林檎はこっちだよ」

「ほわ!キャラメル林檎!!」


いそいそとそちらの輪に加わるネアに、出口側の方にいたドリーが、もう大丈夫そうだなと話しているのが聞こえてきた。

やはりそちらも、避難してのその場所取りだったようだ。


「最初はね、アルテアが死んだんだよ。ネアが酔っぱらったのに気付いて、お酒を取り上げようとしたみたい。………どこか踏まれてた」

「……………どこか」

「怒ったネアが、飛び乗ってたから。詳しくは言えない」

「むむぅ」

「ノアベルトはね、酔い覚ましの薬を出してくれた後、薬を飲んだネアからラエタの話を聞かされている時に、………きりんの絵を見せられて倒れた」

「ほわ。きりんさん………」

「その時に、エーダリアも倒れたの。ネア、あのね。僕もあの絵は怖いんだ」

「まぁ、そうだったのですね。ゼノに何かがあったら大変なので、ゼノには展開しないようにしますね!」

「うん。僕とグラストはだめ」

「わかりました!」



なお、ノア達が見てしまったきりんの絵は、万が一影絵の中のウィリアムやアイザックに効き目がないといけないと思い、ネアが渾身の力で実写的な描き方をしたものだったようだ。

かなり上手く描けたと自負していたので、酔っぱらってついつい画力自慢をしてしまったらしい。

一度見たことのあるノアとエーダリアが倒れたので、かなりの効き目がありそうだ。


「バーレンもね、膝から崩れ落ちてた」

「む。バーレンさんもですか?」



ネアはここで、そう言えばバーレンの姿が見えないぞと部屋の中を見回してみたところ、目が合ったドリーが苦笑して教えてくれた。

その指差したところを見ると、どうやらダナエが腰かけた作業テーブルの下に入ってしまっているらしい。

ネアがひょいっと覗いてみれば、目が合ったバーレンは蹲ったままびゃっとなっている。

ダナエが、あれは絵だから怖くないよと声をかけているので、悪食のダナエには効果がないようだ。


「ドリーさんとダナエさんは大丈夫でしたか?」

「ああ。俺も少しぞっとはしたが、倒れる程ではなかったな」

「うん。大丈夫だよ。美味しそうではないけどね」

「大変お騒がせしましたな事件でしたが、良い情報も得てしまいました。どうやらきりんさんは、特別な竜の方にはあまり効果がないようです」


祝福の子や災いの子に効果がないかどうか、今度ダリルにエメルを借りて最終確認をしてみよう。

そうきりりと頷いたネアに、ゼノーシュからお呼びがかかった。


「ネア、キャラメル林檎なくなっちゃうよ?」

「なぬ!行きます!!」



この食事会で、ダナエはドリーとも連絡先交換をしたらしい。

ヒルドは、すっかり懐いてしまったバーレンからおずおずと魔術端末の連絡先を渡されたそうで、仕方なくリーエンベルクの代表通信回線を教えてやったそうだ。


おまけの効果とも言えるが、ドリーはこの会をきっかけに、アルテアとノアへの警戒度をだいぶ下げたようだ。

どちらの魔物も高位の得体の知れない生き物ではなく、片やお料理上手の面倒見のいい魔物に、そして片方はすっかりヒルドとエーダリアの身内になった魔物として認識されたらしい。

今回のバルバが楽しかったので、またやろうということになり、新年にでもお料理会が催されることになる。



「次はどちらに?」

「まずは南瓜だけど、バーレンは身内の痕跡を探しているみたいだよ」

「おや、光竜であれば、ユヘルヘイムの山岳地帯にも一部族が住んでいたと聞いたことがありますよ」

「ヒルド、礼を言う。それは知らなかった!行ってみよう」

「まぁ、良かったですね」

「…………あ、ああ」

「バーレン、ネアは怖くないよ?小さくて可愛いのに」



なお、バーレンはすっかりネアに怯えるようになってしまったので、ネアがバーレンを飼おうとしていた履歴を警戒していたディノは満足そうであった。


明日はガーウィンの近くにある街での、南瓜投げ祭りに遊びに行くというダナエと一緒に旅立つ時、バーレンは人見知りの子のようにダナエの背中の影からもそっと頭を下げただけで行ってしまい、ネアはとても悲しかったと言い残しておこう。



なお、この時にバーレンは探している光竜が骨でもいいのだと言わなかったことで、随分な回り道をして従兄弟に再会することとなる。

しかしそれは、光竜の気配がなくてもヒルドとはいい友人となるまでに必要な時間でもあったので、良い運命の采配だったのかもしれなかった。







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