温室の魔物と竜の歌 1
その日、ウィームは朝からこの季節には珍しい暖かな一日となった。
ウィームっ子達は、今日はコートがいらないかもしれないとご機嫌で出掛けてゆき、その結果市場はなかなかの賑わいを見せている。
ネアは買い出し班に加わってはいたが、前回困ったお買い物をしてしまったダナエはお留守番にしてあった。
その代わり、今日はドリーが一緒なのでご機嫌である。
なお、前回ダナエと同じように困った買い物をしてしまったディノは、ムグリスになって貰い胸元に突っ込んであった。
こうしておけば余計な買い物はしないし、暖かな陽気で胸元に入れておくと、ムグリスディノはすやすやと眠ってしまって荒ぶることもないのだ。
「アルテアさん、今日のお買いものは何でしょう?」
「…………何で毎回、俺がお前の食事会の料理人をする羽目になるんだ」
「それは、使い魔さんだからなのでは………」
「そもそも、あの光竜はいるのか………?」
「すっかりダナエさんに懐いてしまっているのです。引き離したら可哀想でしょう?」
ネアがアルテアをそう窘めていると、ドリーもどこか遠い目をした。
「確かに光竜と水竜は、独立して個体ごとに領地を持つ竜の中でも、同族と寄り添って生きると聞いていたが、あんな風になるものなんだな」
「いや、あれはこいつに怯えていたからだろう」
「……………ネア、何をしてしまったんだ?」
「むむぅ。前回お会いした時まではとても懐いていたので、素敵な首輪を買って差し上げ、お庭の小屋で飼おうと思っていただけなのです………。窓から逃げられ、その後エーダリア様には竜さんを飼うことを禁じられてしまいました」
「それであんなに怯えていたのか………」
ウィームを訪れたダナエ達は、まずリーエンベルクの敷地内でドリーとの顔合わせがあった。
ダナエとは是非に会ってみたいと話していたドリーだが、そこに一緒についてきた光竜は、前回彼の愛し子を巡る陰謀の首謀者でもあったバーレンなのだ。
そんなバーレンは、ダナエにしっかり躾けられており、仲介に入ってくれたヒルドにも頭を下げつつ、ドリーに丁寧に謝った。
しかしその間、視線は庭の一画に彷徨いがちであり、怖いものに捕まらないように、決してダナエの手を離さない子になったまま少し震えていた。
それは決して、前の陰謀の時に仲間だった火竜が花火になってしまったと知らされたからではない。
あまりにも怯えているので、ドリーもまぁ許すみたいな雰囲気になってしまったのは儲けものだが、その戦犯にされたネアは眉を顰める。
(もっとこう、久し振りに会えたねというような、好意的な反応があるべきなのでは!)
記憶が定かであれば、バーレンはある程度ネアにも思い入れを持ってくれていた筈だ。
それなのに、久し振りの再会に喜んで話しかけたネアに、バーレンはびくっとなってからダナエの影に隠れつつ挨拶をする始末である。
その上怯えられているともなれば、何だか裏切られたような気持でネアはむしゃくしゃした。
「解せぬ」
「お前、庭に小屋があったのを忘れたのか」
「は!ちびまろ館ですね!………もしや、バーレンさんはあのちびまろ館を見て、震え上がっていたのですか?」
「だろうな」
「ほわ。…………あれはバーレンさん用のものではありませんが、とは言え現在は空いているのも確か……」
「やめろ。入る訳がないだろうが」
「むむぅ」
ネアは何だか勿体ないような気持になってしまったが、妙に切実な目をしたドリーからも、庭の小屋でバーレンを飼ってはいけないと窘められてしまった。
「そうか。………あの光竜も、色々と衝撃的だったんだろうな。罰は受けていたようだ」
「そう言えば、バーレンさん用に買った青い首輪が、白もふにぴったりでしたね」
「やめろ」
若干かぶせ気味に否定してきたアルテアに、ドリーはじっと統括の魔物の横顔を見ていた。
勘のいい人物なので、今のやり取りだけでも何か感じるところがあるのかもしれない。
「何か新しい生き物が加わったのか?」
「はい。アルテアさんのところに、愛くるしい白けものがいるのです。雪豹さんのようなお姿で、とっても懐いていて可愛いのですよ!」
「………そうなんだな」
なぜかアルテアの方を見ながらドリーは頷き、魔物は思っていたより愛情深いんだなと呟いている。
ネアが胸元にムグリスディノを詰め込んでいたのも知っているので、ネアが喜ぶからとムグリスになるディノのことも含まれているのだろう。
なお、バーレンとアルテアの対面は、つつがなく済ませることが出来た。
また仮面の魔物に会ってしまったという表情のバーレンは、使い魔のという前置きで紹介されたいそう慄きながら頷いている。
そこはかとない同情の眼差しを向けられ、アルテアは嫌そうな顔をしていたが真実なので仕方あるまい。
「そして、アルテアさんは少し顔色が良くなりましたね?」
「ウィリアムが腐敗させた島が、どうにか復興のめどがつきそうだからな」
「まぁ。そうであれば良かったです。その利権争いはともあれ、資源は大切なものですから」
「あの島の資源は、他国の青硝石と合わせてこそ価値がある。大枚をはたいてアイザックを出し抜いたところで、まさか島ごと腐敗させられる羽目になるとはな……」
「ふむふむ。危うく、投資が無駄になるところだったんですね」
ドリーは驚いたことに買い物慣れしていた。
アルテアも驚いたようだが、ヴェンツェルの代理妖精のエルゼがお料理上手らしく、あれこれ好みの煩い第一王子に温かい食べ物を与えるべく、買い物から料理まで色々と教えて貰ったのだそうだ。
「エルゼさんは確か、男性の方の……」
「ああ。もう一人のエドラは女性だが、焼くことも炒めることも出来ない。ただし、煮込んでいる鍋が噴きこぼれないかを見ていることだけは出来る」
「焼くことも、炒めることも……」
「火が入っているのか不安になり、どちらも過分にしてしまうようだな。真っ黒になったものしか仕上がらない」
「慎重な方なのですね。お仕事としては、向いているものが沢山ありそうです」
「そうなんだ。書類仕事では、隠された表記や好ましくない言い回しを見付けてくるのが得意だ。それに数字にも強い」
「頼もしいですね!」
そこでドリーは、熟成タイプの牛のチーズに目を止め、嬉しそうに口元を綻ばせた。
顔立ちは端正だが、武人らしい大柄な体型で赤い髪をしているので、そんなドリーが嬉しそうにチーズを見ている光景の破壊力はなかなかのものだ。
お買いものに来ているご婦人方が、何やら嬉しそうにドリーを眺めている。
「このチーズはいいものだな。…………ウィームの市場は、品物がいい」
「だろ。この市場は、使い勝手がいい。ヴェルリアの海鮮市場と、交易市場も悪くないがな」
対するアルテアは、擬態をしていても美貌ではあるのだが、なにぶん明らかにまっとうな人外者ではない感じを出してくるので、あまり直視する人々はいないようだ。
市場の売り子達の方も、かなり良い品物だけを狙って買い上げてくるので玄人に違いないという眼差しになってくる。
「今日はバルバなんだな」
「ええ。前回ダナエさんが楽しかったみたいで、バーレンさんにも味わわせてあげたいようです」
「やったことがない者がやると、楽しいだろう」
そう微笑んで頷くドリーに、ネアは、さてはヴェンツェルにやってあげたのだなと確信する。
この火竜の表情は、第一王子に関わることでは非常に分りやすいのだ。
「ヴェンツェル様もやったことがあるのですか?」
「ああ。ヴェルリアは、海辺でよく新鮮な魚介を網焼きにするんだ。子供の頃にせがまれて、良く連れて行った。最初に食べた日のことを、ひと月は嬉しそうに話していたな」
「ふふ。あのヴェンツェル様にも、そんな風に食いしん坊な一面があるのですね」
「あの子供は、食べ物にはうるさい……」
少しだけ遠い目をしたドリーによれば、季節の味覚など食べれるお店や時期が限られているものも好むので、ふらっと失踪する原因になりがちなのだそうだ。
それぞれの好物を覚えておき、代理妖精達とその食べ物の時期には警戒を怠らないようにしているのだとか。
「ウォルターが、よく連れ回されている」
「ダリルさんが話していましたよ。その結果、何だか困ったことになると、ダリルさんに回避方法の救援要請が来たりもするのだそうです」
「ああ。何度か怒っているダリルのところに、ヴェンツェルを迎えに行ったことがある」
ダリルの持つ迷路は、脱出や迂回に長けた特等品だ。
うっかり反政府派のごろつきが集まっている酒場や、他国の料理店で異国人だと気付かれた時など、弟子から泣き付かれるのだと聞いたことがある。
そんな時の為に一応迷路を幾つか渡してはいるそうだが、出口を管理するのがダリルなので、結果ダリルダレンの書架に二人が出てきてしまうのだ。
勿論、脱出路貸出の対価をいただいているそうだが、お迎えに来るドリー達にとっては頭の痛い問題だろう。
「アルテアは、以前よりネアに優しくなったな」
アルテアが無花果の値切りをしている隙に、優しい微笑みでドリーがそう言ってくれた。
「何だか最近お世話になることが多いので、面倒を見てくれることに慣れて下さったのでしょうか」
「と言うより、より気に入ってきたんだろう。統括の魔物が、その土地の人間を気に入るのはいいことだ。これからも仲良くしてやってくれ」
「では、そうさせていただきますね。アルテアさんのお料理が大好きなので、いなくなったら困るのです」
そんな内緒話をしていると、疑わしげな顔で振り返られてしまう。
「お前はまた余計なことを言ってるんじゃないだろうな?」
「あら、アルテアさんが大好きだというお話ですよ。………む、間違えました。アルテアさんのお料理が…」
「ネア、もう聞いていないようだ」
「そんな風に引かなくてもいいではないですか!お料理という言葉を挟み損ねただけなのです。言い間違えなので、誤解して嫌そうにしないで下さい」
ネアがうっかり言い間違えてしまったせいで、アルテアは固まってしまっていた。
眉を顰めたまま固まられると心にダメージがあるので、早々に解除してくれると嬉しい。
「嫌そうにされて傷付いたので、パイ包みを作って下さい」
「…………ん。バルバには向かないな、今度にしろ」
「この前お店で、鳩とフォアグラのパイ包みのメニューを見ました。美味しいですか?」
「ああ、作ってやる」
「ほわ。…………優しいアルテアさんが生まれました」
その上アルテアは、濃厚とろとろ系のものが食べたいネアの為に、クネルのバルバ風グラタンを作ってくれるようだ。
喜びににんまりするネアに、ドリーが聞き間違いにせよ、好意を示されて嬉しかったのだろうとこっそり教えてくれる。
ネアは調子づき、最近また食べたい欲が出てきてしまったほかほかまんじゅうの再現も、アルテアが正気に戻る前に依頼しておいた。
今回のクネルは鶏肉のすり身で、バターや小麦粉や卵と練り上げて形成して茹でられたものを購入してのグラタン風になる。
アルテアは魚介のクネルも得意だそうで、今度作ってくれると約束を取り付けた。
「ロブスターもあるから、こっちはもういいだろう」
「ロブスターも好きなので、すごく楽しみです!」
「そうか、好きな食材なら良かった」
「ふふ。鯛も、アルテアさんの塩釜焼きが素敵なので、お願いしてあるんですよ」
「………品質のいい塩も、取り寄せ放題だしな」
ドリーは、今回素敵な食材をたくさん持って来てくれた。
美味しそうな貝に箱いっぱいのロブスター、そして立派な鯛などもある。
鯛は塩釜焼きにされ、新鮮な帆立はタルタルに。
その他の貝はお酒とバターでバルバ風網焼きにしたものを、アルテアの特製ソースにつけていただくのだそうだ。
ロブスターは、同じような網焼きと、エンダイブを使ったスープ煮にもなるらしい。
そしてアルテアが言うのは、そんな海産物ギフトを受け取ってはしゃいでいたネアの反対側で、何でまたお前がいるんだと渋い顔をして文句をつけていたノアのことだろう。
すっかりヒルドやエーダリアに懐いてしまったノアを興味深そうに見ていたドリー的にも、火のお祭りの時なども含め接点もあるが、昔の荒んでいる頃のノアを知っているのでやはりまだ慣れないのだという。
「昔のノアは、悪さをしていたのですね」
「今は穏やかになったようだ。高位の力のある者なのだから、好意的に寄り添っていることは好ましい。それに、ヒルドには頭が上がらないようだ」
「ノアは、ヒルドさんが大好きなんですよ。エーダリア様のことも自分事で大事にしてくれているので、あのお二人の側にノアがいると安心するのです」
「竜にも言えることだが、力のある生き物は関わり方次第で悪しきものとなる。お互いに好意を持って、寄り添って生きることが可能なら、それほどに幸せなことはないだろう」
ネアはそこで、最近はすっかりほこりの下僕になってしまったという白夜の魔物のことを思った。
ネアが遭遇したのは一瞬だし、次の遭遇の時にはディノにくしゃりとやられていたが、それはそれは残忍で悪辣な魔物だったと聞く。
それが今は、ほこりの為に世界中の美味しい祟りものを集めており、結果、世界が少しだけ平和になっているのだから不思議な縁だと思う。
「………茄子も買っておくか」
「アルテアさん、収穫祭が近いので素敵な葡萄も出ていますよ?」
この時期の市場で目立つのは、麦穂を編んだリースと、秋の最後の大きな祝祭である収穫祭での定番である林檎と葡萄だ。
葡萄はお供えものにしつつ最後は美味しくいただき、林檎は収穫祭の特製レシピでパイになる。
乾燥林檎をキャラメルやチョコレートでコーティングしたお菓子も計り売りで多く出回り、市場にはそのお店も並んで甘い香りを振りまいていた。
なお、収穫祭が死者の日としての特性も持つ結果、悪い死者と遭遇した際に投げつける手のひらサイズの色鮮やかな南瓜も沢山売られていた。
「キャラメル林檎………」
「まだ早いだろうが」
「むぐぅ」
「…………ったく。少しだけだぞ。つまみ食いばかりして、料理を食べれなくなるなよ?」
「ふっ、無駄な心配なのです。そして、今日はダナエさんとゼノもいますしね!」
(食いしん坊さんがいると、すごく楽しい)
ネアがそう思うのは、ダナエやゼノーシュなどの食いしん坊がいるので、料理の数も多めになるからである。
少人数では食べられない品数だが、食いしん坊がぱくぱく食べてくれるので、ネアはその隙間で色々なお料理を摘まんで楽しめるのだ。
これを幸せと言わずして何と言おうか。
一足先に収穫祭気分で、計り売りのキャラメル林檎を買って貰ったネアは、甘い香りのする紙袋を抱えて笑顔になる。
キャラメルはごく薄くコーティングされており、かりかりっと噛めば中の乾燥林檎が出てくるのだ。
外側のキャラメルやチョコレートの種類も多いが、中に使われる乾燥林檎も様々な品種ごとに味が違うらしい。
「これは何でしょう?」
「秋あざみだな」
「春のときのものとは、随分形が違うのですね?」
「種類も違う。正式には、これは秋雨林檎の根になる。秋あざみというのは通り名だ」
「どうやって食べるんですか?初めて出会った食べ物です!」
聞けば、秋あざみも珍味のような扱いの食べ物で、新鮮なものをシンプルに食べると美味しいのだそうだ。
よってあまりお店には出回らず、家庭の味として親しまれている。
ドリーも初めてだったらしく、興味深そうにアルテアの説明を聞いていた。
なお、今回はたくさんのキノコと一緒に、唐辛子とオイルで蒸し焼きにして、香辛料の入ったお塩か、酸味のあるクリームソースで食べるのだそうだ。
「………ああ、あとは注文してあったキノコだな」
そう店主と話しながら買い物をしてゆくアルテアに、ネアはわざわざウィームまで来てキノコの予約をしていてくれたのかと感慨深い気持ちになった。
そんな大事なキノコであれば、美味しく大事にいただこう。
「………キュ」
「あら、ディノ。目が覚めましたか?」
「キュ」
そこでディノが目を覚まし、もそもそと顔を出した。
ドリーの目元が引き攣ってしまうのは、このような小さな動物が大好きだからなのだそうだ。
ウォルターとはよく動物園に行ったりもするそうだが、擬態をかなりしっかりとしないと、小さな動物は怯えてしまうらしい。
その点、ムグリスディノはドリーを怖がらないので、あまりの愛くるしさに撫でたくなってしまうのだとか。
擬態した時に一度撫でられてしまい、ムグリスディノは困惑に凍りついていた。
「あの事件の時、イブリースさんもちび鳥になったのですよね?」
「鳥の雛も可愛いとは思うが、………鳥だからな」
「謎の線引きに出会いました」
鶏肉を食べるのであまり心が動かないそうで、さすがに雛ともなれば可愛いとは思うが飼いたい程ではないのだそうだ。
その基準でゆくので食用になりがちな牛や羊も同じ範疇であり、鹿もぎりぎり美味しそう区分に入る。
一度、ウォルターが見せてくれた子羊を美味しそうだなと言ってしまい、たいそう怒られたそうだ。
(ドーミッシュさんを会わせてはいけない気がする……)
夢の魔物のドーミッシュは、小鹿姿でプリキュっと鳴く魔物なので、うっかりしたら捕食されてしまいかねない。
「もういいな。戻るぞ」
「はい!」
ドリーは金庫などは使わないのか、両手に重そうな葡萄酒やシュプリなどの飲み物を持ってくれている。
果実水や、ニワトコの花のシロップで割った美味しい飲み物などは、既に会場に準備されており、今はみんな、アルテアが準備しておいてくれた軽食を摘まみながら楽しく会談中の筈だ。
「アルテアさん、無花果が煮えたら一番に教えて下さいね」
「真剣過ぎるだろ」
「皆さん仲良しとは言え、食事は戦争です。無花果のコンポートは譲れません!」
大量に買った無花果は、バルバ用のお鍋でお砂糖を振りかけて水分を出したものを、少しのお酒の風味をつけてことこと煮込んでおいてくれるのだそうだ。
デザートになった頃にいいお味になるそうで、バニラアイスやパウンドケーキと美味しく食べられるという寸法である。
出来立ての無花果のコンポートは神の味なので、ネアは是非に一番乗りしたい所存であった。
「………お前は、鴨と無花果なんだな」
「むむ。そこに乳製品と、ハムやソーセージが入ります。中身がとろっとしている系のパイも大好きです!」
しかし、そこまで宣言したところで、ネアは心の迷路に入ってしまった。
「し、しかし、タルタルも大好きですし、シチュー系統のものや、アルテアさんのスパイシーチキンも、料理人さんが明日の晩餐でもう一度作ってくれるというローストビーフも大好きです。美味しいものが多過ぎて、心の迷路に入りました……」
「わかったから落ち着け」
「キュ!」
「そうでした。うちの魔物が大好きなグヤーシュや、卵串揚げも外せません」
「……………卵串揚げ?」
そこでネアは、ほこほこの小さめ味付きゆで卵に衣をつけて串揚げにするお料理を紹介した。
タルタルソースをたっぷりつけたり、アンチョビソースをたらりとかけていただくと美味しいのだと力説すれば、料理をする二人の人外者はあからさまに作ってみようという表情になる。
(ヴェンツェル様が、卵の串揚げを食べる日も近いのかもしれない……)
アルテアは、使う卵を香草と一緒にしておいて香草の香り付けをしてもいいだろうなと、早速アレンジレシピに入ってしまっているくらいだ。
食べる専門部署のネアは、新しい料理に出会える日を楽しみに、頬を緩ませた。
「………おい、何でまたこいつがここにいるんだ」
バルバ会場となるのは、通常時は、魔術試験会場にもなる素敵な温室だ。
森水晶と湖の結晶石を硝子代わりにしており、重厚な石化した楓の木で作られた建物は優美で美しい。
中には暖炉や大きな魔術の炉があるので、その部分を上手く利用して今回はバルバ会場となるのだ。
落ち葉の多い時期なので、さすがにこの時期の森でやると、はしゃいだ小さな落ち葉の妖精達が燃えかねない。
秋の森の小さな生き物達は、自らバルバの火に飛び込みかねない食いしん坊が多いのだそうだ。
そして、そんな素敵なバルバ会場の建物の前には、第二回の開催にしてお馴染みの生き物が木に繋がれていた。
「ワンワン鳴いていますが、あやつめは棘牛でしょうか」
「おい、…………俺はもう捌かないぞ」
「いい棘牛だな。俺が捌こうか」
「まぁ、ドリーさんは棘牛を捌けるんですね!恰好いいです」
「キュ………」
「むぅ。ムグリスディノが拗ねてしまいました………」
ネア達が食材を買い込んで戻ってきたことに気付き、温室の中からヒルドとノアが出てきた。
「わーお、大荷物だねネア。ダナエが牛を狩ってきたんだって」
「購入の方でしょうか。それとも、狩り的な……」
「狩りみたいだよ。………棘牛って野生だったっけ?」
「ほわ。余程前回の、アルテアさんの棘牛バルバが美味しかったと思われます……」
「またあの牛を、木に繋ぐ羽目になるとは思いませんでしたね」
そういうヒルドはどこか疲れたような目をしており、差し出された棘牛がどこからやって来たのかも含めて、対処に苦労したのだろうなという感じがした。
前のバルバのアルテアの言によれば、ヴェルクレア近くの土地にいる棘牛は、野生近い環境で管理してある牛だった筈なので、ノアが疑問に思う通りどこかの牧場が春闇の竜に襲われたという事件が発生していそうだ。
(…………それにしても、いつの間にか仲良しになったような)
ネアがそう思うのは、こちらに出てきてしまったヒルドを追って、バーレンがいそいそと温室から出てきたからだ。
ヒルドがどんな履歴の妖精だか分って、不愉快そうにするのか怯えるかするかと思ったが、なぜかバーレンはヒルドに懐いてしまった。
到着時に、まずは牽制にもなるからとヒルドが間に立ちドリーが最初の挨拶をしてくれたのだが、その後のエーダリアへの挨拶が始まる前にはもう、バーレンは謎にヒルドにだけ子犬のようになってしまい、もじもじしながらあれこれお喋りをしかけていた。
困惑したのはヒルドの方で、突然光竜に懐かれるという事態に、エーダリアからじっとりとした羨望の眼差しを向けられている。
「ネア、料理が始まるの?」
「ダナエさん、お待たせしました!またアルテアさんが美味しいバルバをしてくれますからね」
「あの海老を早く食べたいな」
「ええ。それと、棘牛さんはドリーさんが捌いてくれるようです」
「そうなんだ。有難う。前に西の方の国で丸ごと食べたけど、前にバルバで焼いたものの方が美味しかった」
「………それはやはり、とげとげしているからでは」
ダナエは、ドリーのことが気に入ったようだ。
気質的に会話を汲んでくれるので話し易く、なおかつ食べたくならない性別なのも重要なのだとか。
「火竜と話すのは初めてだから、嬉しい」
そう嬉しそうにするダナエに、ドリーも心なしか嬉しそうだ。
二人とも同族の中でも規格外であり、あまり自分の種族との交流のない竜なので、このような交流はそんな部分でも意味があるようだった。
「バーレンは、すっかりヒルドがお気に入りなんだな」
「兄に似ているらしい。なぜか、気配もどこか似ているようで懐かしい気配がして安心するみたいだ」
ドリーの言葉にそう答え、どこか穏やかな目でバーレンを見ているダナエこそ、まるでバーレンの兄のようではないか。
ほこほこしながらそんな竜達を眺め、ネアは巡り合せによって何とも健やかな生き物になってしまう生き物達が愛おしい気持ちでいっぱいになった。
「………あら」
そこで、胸元からぽこんと出てくると、もそもそネアの肩に這い上がり、そのままぽふんと元の魔物に戻ったディノに羽織りものになられてしまった。
「ネアが、竜ばかり見てる…………」
「何だか皆さんが仲良しなので、気持ちがほこほこしたのです。ディノが狐さんをお風呂に入れているときも、同じような気持ちになりますよ」
「おい、そろそろ焼き始めるぞ」
「む。バルバの神からお呼びがかかりました!」
「やめろ。おかしな名称をつけるな」
温室の中では、今日は無事参加となったグラストとゼノーシュが、エーダリアをなにやら元気づけている。
ヒルドがバーレンに大人気なので、エーダリアはどうやら落ち込んでいるらしい。
(もしかして、バーレンさんが懐いているのって、ヒルドさんの剣の素材のせいなんじゃ……)
サムフェルで買い戻すことが出来たヒルドの愛剣は、柄は光竜の王族の骨を使っていた筈だ。
ネアは、バーレンが感じている懐かしい気配とやらはその所為なのではないかと思ったが、骨と対面させても可哀想なので、敢えて言わないでおいた。
がらりと扉を開け、みんなで温室の中に入る。
ドリーの棘牛解体は、まず少し食べてからにすることになった。
いよいよお待ちかねのバルバの開始に、ネアはお料理を乗せて貰うべく、お皿を構えた。