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お肉屋さんと威嚇の魔物



その日のネアは、魔物が本気で嫉妬した場合どうなるのか、初めて目にすることになった。


事の起こりは、とあるお仕事がきっかけである。

ウィームの東側にある外部との交易も盛んな商業都市の一つに、小さいものの有名なお肉屋さんがある。

そのお肉屋さんの店主の息子が奇病を発症したそうで、その薬作りを頼まれたのだ。


何しろ奇病となってしまうと、伝染病の類であれば大問題になる。

よって、一刻も早い対処が必要とされる上、的確な診察も必要であった。



ネア達が駆けつけたのは小さな赤い瓦屋根の可愛いお店で、隣にある農場のような若草色の煉瓦の建物が自宅になるようだ。

自宅の方は人の気配がしなかったので、まずは店舗になっている可愛い建物の方を訪れた。

これは決して、ネアが有名精肉店の出来合いの商品を見てみたかったからではない。

水曜のローストビーフを失ったばかりの不幸な身の上だが、仕事の場ではきちんと弁えているつもりだ。



「おお、領主様の仰っていた、歌乞い様ですな!」


気のよさそうなご店主は、こぼれんばかりの笑顔で駆け寄ってきた。

一瞬擬態しているディノの美貌にうっとなったが、わかりやすく眩しいぜという風なリアクションをしただけで、さくさく進行してくれるので案外心臓の強い御仁なのかもしれない。


「息子さんのご容態は如何ですか?」

「相変わらず、わんだのきゅんだのしか言えませんでして」

「わん………」

「数日前の土砂降りの雨の日がありまして、中央の方ではそうでもなかったんでしょうか?まぁ、とりあえずその大雨の日の翌日から、わんだのきゅんだのしか言えなくなってしまったんですよ」

「きゅん………。それは、お困りでしょうね。患者さんにお会いできますでしょうか?」

「ええ。診てやって下さい」



そうして、ネア達は母屋の方に案内され、その二階にある寝室に解せないという表情のまま寝かされていた青年に会うことが出来た。

父親が部屋の扉を開けるとぱっと安堵の微笑みを浮かべたので、ネアはさぞかし寂しかったのだろうと思ったのだが、どうもそうではなさそうだ。


“父さん、今日はさすがに狩りにいかないとまずい。朝靄の出た日は、森にいい鹿がいるんだ。一網打尽にしないと我慢がならない!”


「ほわ。職業熱心な方でした………」


部屋に入ってゆくなり、用意していたらしい筆談ノートをかざして、青年は熱心に訴えてくる。

父親には治療を優先して欲しいと控えめに訴えられているが、青年の熱意はただごとではなかった。


“四日も狩りをしていないんだ!一時間だけ森に放してくれれば、ひとまず今月分の獲物を狩ってくるから”


その場合、森に放してくれればという表現だと、まるで猛獣を解き放つような印象になってしまうが、一時間ぽっちでひと月分の狩りをするとなると、案外それでいいのかも知れない。


「だが、ネイア。まずはその奇病を治してしまおう。せっかく、領主様のところの歌乞い様が来てくれたんだ」

「わん?!」


その瞬間、うっかり声を発してしまったらしく、青年はわんと吠えてしまった自分の口を押えて、恥ずかしそうに目元を染めた。

ふるふるしながらぺこりと頭を下げ、今迄目に入っていなかったらしいネア達に恐縮する。


「………何か、発症に思い当たるような節はありますか?」


そう尋ねたネアに、青年はまだ少し目元を染めたまま、筆談用ノートにさらさらと文字を書いた。


“その日は朝食の後から森に狩りに出ました。夜渡り鹿を三頭と、秋森兎を三羽、山竜を一匹狩り終えたのが、昼前のことでしょうか。持って来ていた昼食を食べ、ふと声を発しようとしたらもうこんな感じに……”


「なかなかの凄腕狩人さんだという気がします!ディノ、何か原因になりそうなものはありますか?」

「恐らく、夜渡り鹿のどれかの個体だろうね。鳴き声が同じだから」

「む。………そう言えば、あの毛布生物めは、ワンワン吠えていましたね」


獲物になった夜渡り鹿は、うっかり精肉されてしまったそうだが、その三頭それぞれのどこかがお店に残っていると聞き、ネア達はまずそのお肉の調査に入ることとなる。



そして対面したのが、陶器製のバットのような淡い黄色のお皿に乗せられた焼いていないハンバーグだ。

そんなものがででんと出され、思わず真顔になる。



「何だか、とても複雑な検証なのです。被害者の筈なのですが、加害者としてごめんなさい、美味しくいただきますという気持ちになりますね」

「ハンバーグ………?」

「うむ。ハンバーグに加工されてしまっています。この三つのハンバーグから、何か感じますか?」

「…………よく分らないけど、真ん中のものは随分高位の夜渡り鹿だったようだよ。これじゃないかな……」


ハンバーグとの対話という初めての試みに、魔物は酷く困惑しているようだ。

複雑そうに指先をちょびっとだけ出して、真ん中のハンバーグを指し示してくれる。


「その場合、このハンバーグめを祀り上げれば良いのでしょうか?」

「それよりも、この個体魔術と、この人間との間に何も繋がないように魔術の道を切ってみよう。それでも変わらなければ呪いのようなものだと思うから、呪い剥がしの薬を飲ませればいいと思うよ」


ではさっそくやってみようということになり、ディノは青年と問題のハンバーグを並べて魔術の繋がりなどがあった場合は切れるようにと魔術遮蔽を行ってくれた。

たいそうシュールな構図だが、敵はハンバーグなのである。


「どうですか?ネイアさん」

「ワン」

「………呪いの方だったみたいですね」

「キュウン」


悲しげに項垂れた青年を見つめ、ネアは何だかこんな風に鳴かれると愛くるしいではないかという気持ちになる。

そして困ったことに、この青年は実はかなりネア好みの雰囲気の男性であった。


(…………ウィリアムさんとドリーさんを足して二で割ったような雰囲気の、庶民派な感じ………)


優しそうで頼もしそうで、尚且つ人外者達程に飛び抜けた美貌ではない平均的な容姿が目にも優しい。

父親のお喋りから発覚したことを並べると、読書中毒の狩り大好きっ子で、尚且つチーズとお肉に目がないようだ。

おまけに名前もなんだか似ているので、親近感を持ってしまう。



「では、呪いを剥がすお薬を飲むことにしましょう」

「ワン……」


青年はうっかりワンワン言ってしまってからまた目元を染めてふるふるし、筆談ノートにおずおずと文字を書いた。


“苦くないでしょうか?”


「むむ。ディノ、飲みやすい優しいお味にしてあげて下さい!」

「……………うん」


人間の好意とはとても不思議なもので、ネアは珍しく異性的に好感の持てる男性に対して少し贔屓をしてしまった。

そしてその時はディノは何も言わずに、大人しく頷いたのである。

とは言え、ネアの好意が少し嵩増しされたところで、それはせいぜい薬が苦くて苦しむと可哀想だなと言う程度の、その他大勢の中では優遇枠という程度に過ぎない。

ちびまろ館で、ネアがお気に入りの薄いピンク色の個体にだけいつも大きめのクッキーのかけらをあげていたのと同じレベルだ。



「どこで服用していただきます?」

「部屋の方がいいんじゃないですかね。なぁ?」

「ワン」

「では、お部屋に戻りましょうか」



呪い剥がしの薬は、服用後半刻くらいから、その後一時間程眠たくなるという副作用があるのだそうだ。

それを受け、薬の服用は青年の寝室で行われることになり、ディノはそこで薬を作ってくれることになった。


そして全員が部屋に揃ったばかりのところで、ネアは思いがけないものを部屋の中に見つけて目を瞠ってしまう。


ここに薬を置かせて下さいということでお借りした小さな丸テーブルに、見覚えのある本が重ねて置かれていたのだ。


「まぁ!塩の魔物の転落物語の本があります」

“愛読書なんです。面白いですよ”

「わかります!私もこの本に出会って、十五巻を一気に読んでしまいましたから!」

“下水管に落とされるところが一番好きでした”

「奇遇ですね!私も、あの場面が一番面白かったと思います」



二人がそんなやり取りをした、その直後のことだった。


「……………ネアが、浮気する」

「なぬ?!」


囁くような悲しげな声に、ネアは慌てて振り返った。

視線の先で、青年の父親の視線を釘付けにした状態で、魔物は部屋の隅っこにまで後ずさりしてしまっており、ぎくりとするくらいに暗い顔をしている。


青年とネアはお喋りしていて気付かなかったのだが、青年の父親の様子を見ると、魔物は途中から隅っこに移動していっていたようだ。

すぐにディノの側に行ってやり、ネアはふるふるしている魔物の三つ編みを取り上げた。


「浮気ではありませんよ。たまたま、同じ本を読んでいる方に出会ったというだけなのです」

「……………薬を、優しい味にしようとする」

「むぅ。そう言われると確かに、どんなお薬でも飲み給えな方もいますが、こちらのネイアさんには苦くない薬を差し上げたいですね………ほわ?!ディノ!!」


特に後ろめたい感情ではなかったからこそネアは正直であろうとしただけなのだが、返答の仕方がまずかったらしく、魔物はたいそう傷付いてしまい、近くにあった衣装箪笥のようなものの中にばたんと入ってしまった。


部屋には、呆然とする三人の人間が取り残される。


「…………キュウン」

「そこは、その、………息子の狩りの道具用の箪笥ですが、大丈夫なんでしょうか」

「がさがさしそうですね。申し訳ありません、私の不用意な発言で、魔物が拗ねてしまいました。すぐに引っ張り出しますね」

「………は、はぁ。やっぱり、歌乞いさんの魔物の方っていうのは、気難しいものなんですなぁ」


そこで青年の父親は、隣町に住む歌乞いの男性が、契約の魔物を置いて旅行に行ってしまい、一年間鎖で家に繋がれてしまった話をしてくれた。

たいへんに厳しい状況の中、なんてことを話し出すのだとネアは渋面を深める。

狩りの道具入れの中の魔物が真似をしたらどうしてくれるのだ。



「ディノ、出て来て下さい。ほら、後でご褒美をあげますから」

「ワンワン」

「…………ずるい。一緒にいる」

「むむ。…………すみません、ネイアさん、少しだけ離れていて下さいね」

「キュウン」


そこで、父と息子には少しだけ離れていて貰い、ネアは控えめに道具箪笥の扉をノックした。


「ディノ、私の大事な魔物が隠れてしまうと、寂しいです。出て来て下さい」

「………あんな人間なんて、ずっとワンワン鳴けばいいんだ」

「かなり深刻に拗ねていますね!これはお仕事なので、きちんと治療して差し上げなければいけませんよ」

「…………………ネアが虐待する」

「ディノ、まずはお仕事を済ませてしまいましょう。早くお仕事が終われば、グヤーシュを作ってあげますよ?」

「グヤーシュ………」


その一言には抗い難い魅力があったのか、ディノは少しだけ箪笥の扉を開けた。

ネアはすかさず指先を捻じ込み、ご主人様を傷付ける訳のない魔物が扉を閉じられないようにする。


「ほら、これでディノが扉を閉めれば、私の指先はちょん切れてしまいます。大人しく出てきて下さい」

「ずるい。ネアが危ないことをする」

「ディノに側にいて欲しいからですよ。それに、こうしてディノが箪笥の中にいると、こちら側の私達と、箪笥の中のディノに組み分けになってしまいます。私はディノと同じ組にいたいのですが…」


狡猾な人間の説得に思うところがあったのか、魔物はびゃっとなって飛び出してくると、大慌てでご主人様を抱え上げた。

ぎゅうぎゅう抱き締めて、しゃーと唸りながら背後の青年を精一杯威嚇しているので、ワンと鳴く人間と一緒のチームになどしてなるものかという心境なのだろう。


「ディノ!ディノ、荒ぶり過ぎてムグリスの威嚇が混ざってしまっていますよ!」


たいそう荒ぶっており、ネアの視覚を封じて抱え込んで抱き上げる新しい技を開発してしまってる。



「あんな人間なんて………」

「では、むがふ………さくさくお仕事を終わらせてしまいましょうね。………むが!………お仕事が終われば、もうここには来ないのですから、ディノも安心出来ますよ?」



巧みに誘導してゆけば、魔物はようやく早く仕事を済ませればこの青年との縁は切れるのだと理解したらしい。

ネアを抱えたまま、目にも止まらぬ速さで薬瓶を指先に出現させ、すたんと部屋の真ん中にあった小さな丸テーブルに置く。


ネアは慌ててそれを飲んでしまうよう、親子に訴えた。



「キュウン」


青年はきっと苦いに違いないと不安そうにその薬を飲み干し、ぎゃっという顔をして身悶える。


「キャイン!」

「ネイア?!」


慌てた父親が駆け寄ったが、どうやら魔物の嫌がらせで薬が激しく酸っぱかったようだ。


「………大丈夫だよ、父さん。薬がものすごく酸っぱかった………喋れる!!!」

「おお、喋れるようになったか!」

「これで仕事に戻れる!………っ?!、この時間ならまだ紅葉牛に間に合うか…」

「ネイア?!」


太陽の傾きを窓から確認したネイア青年の動きは素早かった。

ネア達に軍人のようなお辞儀を風のように済ませ、狩り道具の箪笥から弓だの槍だのを取り出すと、父親の制止の声を振り切って二階の窓から飛び降りてそのまま森の方へ駆けていってしまった。



「…………元気になったようです」

「申し訳ありません。倅は狩りをしない日があると、スプーンも持てなくなるくらいの性分でして………」

「それはそれで、また別の心の病気では………」


ネアはそのペースで狩りをしていたらそれは呪われるのではと思わないこともなかったが、幸いにも有名肉店を営んでいることで、狩りの獲物を無駄にすることはないらしい。


需要があるので肉は飛ぶように売れてゆき、商品の補充の為にまた楽しく狩りをするという循環で、今回のハンバーグが残っていたのは、たまたま、奇病を発して食欲が落ちた結果、自分達用のものが残っていたからなのだそうだ。


(そうでなければ、獲物との因果関係の確認も出来なかったかもしれないんだわ……)


つまり、あのハンバーグは奇跡のハンバーグでもあるのだった。

なのでネアは、念の為に真ん中の一個は丁寧に供養してみることをお勧めしておく。


今回はガレンの仕事のお手伝いではなく領主からの派遣執行官扱いとなるので、作業依頼書の署名欄にサインを貰えば、その書類はくるりと巻き上がり青い炎になって消えていった。


こうして依頼書を消し去る方式で作業漏れの仕事を残さないのが、ウィームの方式だ。

それぞれの書類はその深刻度により作業完了時間が設定されており、前日アラートを無視して放置すると書類が暴れ出す仕組みになっているらしい。


些細な報告も見落としを許さず、ひとまず上がってきた全ての書類をそれぞれ担当者に振り分けて処理させるという仕組みは、ダリルが作ったものなのだとか。


見逃した問題が後に手のつけられない事件になりかねないのは、この世界特有の魔術や人外者の存在が大きく影響している。




「…………少しだけ変わった方でしたね」

「ほら、もうここには用はないだろう?早く帰ろうか」

「せっかくですので、お土産にハムか何か買って…」



最後まで言わせず、魔物は御主人様を抱えたまま強引に転移してしまった。

いきなりくるりと景色が変わって、ネアはくらりと翳った視界に馴染む為に目を瞬く。




「ほわ、………ここはどこなのでしょう?」



そこは、ネアの初めて見る空間だった。


天井の高い大聖堂のような空間だが、明らかに人外者の施設だとわかる無謀さで、大きなステンドグラスめいた薔薇窓は遥か上に見える。

単純な真円の窓ではなく、まるで繊細なレースのように細やかな縁取りがあるようだ。


壮麗で精緻な彫刻のある美しい柱には、ふくよかに咲き誇る薔薇がそれすらも彫刻のひとつとして蔓を絡めていた。

そしてその全ては、青みがかった乳白色の宝石のような石材で作られており、月光にも似た淡くけぶるような光が当たると、しゃらしゃらと虹色の儚い光を放つのだ。



「あの人間が作ったものを、君が食べるのは我慢ならない」

「むむ。それでこうなったのですね。そして、この素敵な建物はどこなのですか?」

「…………私の城だよ。前に、来てみたいと言っていただろう?」

「まぁ………!」


ネアはそう言われて慌てて周囲を見回した。



(……………雪原の青に似ている)



ここは、静かな雪原のようだ。

静謐で尊いくらいに圧倒的に美しく、息を飲むほどに孤独が際立つ。


惹き込まれそうなくらいに美しくても、ここはぞっとするくらいにがらんどうな場所だ。

美しさがそれを浮かび上がらせることで、どこか残酷さすら感じてしまう。



「ディノのお城に初めて連れてきて貰いました!」


けれどネアは、そのがらんどうな場所に感じる恐ろしさと悲しさを押し殺して、あえてそう喜んでみせた。


「……気に入ったのかい?」

「とても綺麗ですね。ディノの髪の毛や爪に似た色があちこちにあります。今日はここを見てもいいのですか?」


ネアがそう尋ねると、ディノは少しだけ途方に暮れたようにして項垂れた。


「…………ここは、あんまり好きじゃない」

「あら、とても綺麗なのに気に入らなくなってしまったのでしょうか?」

「…………長い間、ここにいたからね」

「さては飽きてしまったのですね?」

「グレアム達がいなくなってからは、………ずっと一人でここにいたんだ」

「どれくらい一人でいたんですか?」

「………よく思い出せないけれど、十年くらいかな」


(…………十年も)


ネアは、その返答に胸が締め付けられたが、あえて何でもないことのように質問を重ねて、ディノが本音を言いやすいようにしてみた。

そうすると魔物は、一人ぼっちで過ごした日々を思い出させるお城は、来ると胸が苦しくなるのだと言う。



「それなのに、この前の家出の時には、ディノはお城に戻ってしまったんですか?」

「…………君が、迎えに来てくれるのかなと思ったんだ。よく、………グレアムのことも、伴侶が迎えに来ていたよ」


(それが、………ディノは羨ましかったんだわ)


「グレアムがいなくなった後、ギードにもお別れを言われたんだ…………」

「ギードさん……?」

「絶望を司る魔物だよ。今はまだ危ないから、いずれ君に会わせてあげよう。………この前、また会えたんだ。優しい魔物だからね」

「まぁ!それは凄く楽しみです。ディノが優しいと言うのだから、きっと素敵な方なのでしょうね」

「ずっとグレアムと一緒にいた魔物だ。…………友人、なのだと思う」

「ふふ。ノアと仲良しになってから、ディノが、実はお友達だった枠を発掘してくれて、何だか嬉しいです」

「…………うん」


ネアはここで、持ち上げの魔物に床に下ろしてくれるように頼んでみる。

さっと青ざめて首を振るので、重ねてもう一つお願いをした。



「どこにも行きませんよ。二人で、ここでお喋りしましょう。長椅子のようなものを出せますか?」

「長椅子かい?」


ディノは水紺の瞳を瞠って、言われた通りに座り心地の良さそうな青灰色のふかふかのクッションが張られた優美な長椅子を出してくれる。


がらんどうのお城の真ん中に、そんな長椅子がぽつんと置かれた様は、何だか不思議な感じがした。


ネアはその端っこに座ると、ぽんぽんと両足の上を叩いて、ふるふるしている魔物を膝枕してやる。

なぜか、とても甘やかしてやりたくなったのだ。


「ほら、こうしておけば、ディノが押さえているので私は逃げられませんからね」

「…………うん」

「とても綺麗なお城ですね。以前にディノが家出した時に、アルテアさんやノアが、ディノのお城に入るのは難しいのだと話していました」

「私が道を用意した者しか入れないからね」

「では、また私をここに連れて来てくれますか?」

「…………ネア?」



ネアがその提案をしたのは、魔物の持つ時間からすれば決してそう遠くはない内に、自分がいなくなってしまうからだった。

様々な薬があるので多少は長生きするかも知れないが、とは言え何があるか分からない。



(その時に、またこの寂しかった場所に帰らなければいけないと考えたら、胸が苦しくなりそうだもの)



「もしディノがここに一人でいても、寂しいと思わなくなるまで、私はここに遊びに来ようと思います。今週はダナエさん達が遊びに来るので、来週末のお休みにでも、ここでお泊まり会をしませんか?」

「………君は、あまり城などは好きじゃないのだろう?」

「ふふ、それは、暮らすには豪華過ぎて落ち着かないからですね。でも、ここは大事なディノのお城なので、どんなところなのか知りたいのです。ディノのことをあれこれ知りたい私は我が儘でしょうか?」

「いくらでも、教えてあげるよ。でも、…………私には、殆ど何もないんだ」


魔物は少しだけ微笑み、悲しげに小さく息を吐いた。

頭を撫でているネアの手に触れ、まるで頼りない子供のようにその手を握る。



「…………でも、今は君がいる」

「はい。私が居ます。……ねぇ、ディノ、ここでお友達だったというグレアムさん達とどんなことをしたのか、私に教えて下さい。そして、この綺麗なお城を私のお散歩コースの一つにします!」

「この城の中を散歩するのかい?」

「寂しいだけの場所になんてさせるものですか。この美しい場所を、ディノも安心して美しいと感じられるようにしましょう。ここがディノのお城であるのなら、私にとってここはディノの欠片なのです。自分のお城に居る時だって、ディノが安心するようにしておきたいですからね」



ネアの言葉に、ディノは途方に暮れたような綺麗な目をくしゅんとさせた後、膝枕にぐりぐりと頭を擦り付けた。



「…………ネア、君は私のものだよね?」

「私はまず、私のものです」


ネアの言葉に、びくりと魔物の体が揺れる。

そんな魔物の頭を、自由になる方の手で撫でてやりながら、ネアはまた少しだけ微笑みを深めた。


「でも、その他の誰のものなのかと言えば、やはりディノの婚約者で、ディノの契約の私なのだと思います。だから、どこにも行きませんよ」

「……………婚約期間が終わっても、君は逃げ出さないだろうか」

「例えその形での関係性にお互いがしっくりこなくても、私はずっとディノの側にいます。こうでなければ離れてしまうということはなく、どんな形を模索しても、ずっと側にいますから」



ネアの言葉を、魔物はじっくりと考えたようだ。



「君が、ただ頷いてくれないのは、私では伴侶として足らないからなのかい?」


その言葉に滲むのは、魔物らしい酷薄さとしたたかさでもあり、ネアは少しだけはっきりとしたその先の言葉に戸惑いつつ、慎重に言葉を選ぶ。


「私はディノがいいですし、ディノでなければ駄目なのだとも思います。でもね、ディノ、私もディノも、とても面倒で手がかかる素材なのです」

「…………君も?」

「ええ、勿論。私は私が大好き過ぎますし、ディノも私も、こういうことにはあまり慣れていないでしょう?急いで走ると転んでしまいますし、走るしかないと考えて飽きてしまいたくもありません。………その代わり、少し紐を緩めておくので、どこにも行かないで下さいね」


むくりと体を起こし、ディノは伸ばした手でネアの頬に触れた。

吐息が触れる程の距離で、どこか切なげにこちらを見る魔物にネアは僅かな慄きを覚え、また少しだけ狼狽える。


甘いだけではなく切実な囁きは魔物らしい残忍さもしたたり、その艶やかさにどうしてだか魅せられた。



「…………私は、君を手離さないだろう。君を伴侶にしたいし、君が他の誰かを選ぶことは………耐えられない」


頬に触れていた手が、首裏に回される。

しっかりと押さえられ、決して逃さないという頑強さを感じた。


口付けは、甘やかだが悲しげだった。

もっと安心すればいいのにと、ネアが思ってしまうくらい。


「……私もディノを離しませんし、ディノが、婚約までしておいて他の誰かを選んだら怒り狂います。だから、ゆとりを持たせるのは、私達二人の内側の問題として、なのです」

「二人の、……内側の?」


ふっと困惑に揺れた瞳を覗き込み、ネアはあえて屈託無く微笑む。


「先程も話したように、それでなければ一緒に居られないのだとは思い詰めないで下さい。勿論それが一番分かりやすいですが、私は面倒で我が儘な人間です。ですから、ディノがうんざりしてしまって、或いは私の専門技術に満足出来ず、伴侶はもうちょっといいかなと思っても、今のようにずっと側にいて欲しいのです!」



(この魔物は、恐らくこんな風に誰かと寄り添おうとするのは初めてなのだ)



そしてそれはネアもで、初めてでおぼつかないからこそ、一般的にそれが結論とされている形がどちらかにしっくりこなくても、離れたくない。

何しろここには、変態というとんでもない資質を持っている魔物と、一般的なセーターでことごとく全滅した偏屈な人間がいる。

お互いにそこそこ長く生きた二人だからこそ、望み追い求めていたものへの失望や不満足も出てくる可能性はある。


(だから……)


だから、ネアは人間らしく狡く狡く、答えを一つにまとめないようにする。



「つまり、どんな形でもいいので一緒にいて下さいねと思うくらい、私はディノが大事なのでしょう」

「困ったご主人様だね。私は、君だけだし、………もし君が私と共にいることを嫌になってしまっても、君のことは手放せないよ」

「…………むむぅ。…………では、ご褒美が上手くあげられなくても、私のことを嫌いになりませんか?」


ネアはここで、頑張ってそのことを尋ねてみた。

日常生活の上での、ある程度公の場で選択出来る範疇であればネアの心を多少蝕む程度でどうにかなるが、もっと高度な二人だけで嗜む特別なもののレベルになると、さすがに向き不向きもあるに違いない。

ネアには未だ未知のままの、専門家達の裏世界だ。


「ご褒美…………」


それなのに魔物は、よりにもよってここで大丈夫だよと鷹揚に微笑んではくれず、しゅんとして項垂れてしまった。

ぺそりと項垂れた魔物に、ネアは眉をぎりぎりと寄せる。


「…………だからなのだ。……つまり、ディノの望むようなご褒美があげられるよう、私も頑張って研鑽を積むので時間を要し、尚且つそれが望むように上達しなくても逃げないで貰う為に、私は紐を緩めると話しているのです!」

「ご褒美は、……なくなったら困るかな」

「まさかの、重ねてきましたね!」

「ご主人様…………」



魔物は何でもいいからと頷きそうな態度を一変させ、ご褒美だけは何が何でも譲れない感を出して恨めしげな目をしている。

呆れて頭を撫でてやりつつ、ネアは美しく寂しいお城を見回した。



(…………こんな広い場所にずっと一人でいたら、………それはある程度趣味がおかしなことになるのも仕方ないのかしら………?)



また近い内に専門店で、今度こそ専門家の話を聞いてみた方が良さそうだ。

愛情が足りないだとか、本当はこうされたい的な、精神的な専門家裏翻訳もあるかもしれない。



「………少し、練習しようか」

「なぬ………」

「君が逃げないくらいにね」



ぎくりとしながら抱き竦められつつ、専門分野を指南されませんようにと、ネアは心から祈った。

それでも、少なくとも今は、このお城にディノは一人ではなくなったのだと思いながら。






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