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188. やはり滅ぼしました(本編)



名前のない街が燃えたその後、ラエタには駆け足で終焉が訪れるのだと教えてくれたのはアルテアだ。


アルテアはその崩壊を司った一人であり、最後の瞬間までをアイザックと楽しく観戦したのだそうだ。

当時、ラエタほどに大きな国の崩壊はこの世界でも初めてだったそうで、人外者達の中にはその終焉が燃え上がるのを、まるで花火でも鑑賞するように眺めた者も多い。


「特等席だったぞ?」

「僕は、空から見てたから、あんまり見えなかったな」


アルテアとヨシュアがそう話している隣で、ロサは沈痛な面持ちで黙っている。

それは、彼にとって思い入れのあった国だったからと言うだけでなく、ネアは何となくロサはこういうものを見て喜ばないのだろうなと考えた。


(…………不思議だわ。聖なるものだけど邪悪でもあるという感じのレイラさんもいたけれど、ロサさんは完全に光属性的な………)


今迄のネアの周囲にはいなかったタイプの魔物なので、ネアは密かに興味津々であった。



「むぐ?!」

「体を傾け過ぎだ」


しかし、ロサを見ているとアルテアに意地悪されるので、ネアはほとほと困っていた。

ロサが外を調べに出て、ヨシュアが帰り道作りに入ったので、その指導にあたるアルテアが席を外した隙にオズヴァルトにぼやいたところ、魔物の執着とはそういうものではないのかと逆に尋ねられてしまう。


オズヴァルトの顔色が悪いのは、ネアがおぼつかない手で臨時の武器を作成しているからだ。

一度手の内を知られている敵が多いので、常に新しい武器を用意しておくのが脆弱な人間の務めである。



「しかし、アルテアさんは契約の魔物でもなければ、婚約者でもないので、不思議なのです。森の悪い生き物が懐いてきた感じですが、懐いたもの的にも領土主張のようなものがあるということですか?」

「…………あの方には他に言い分があるような気がするが、特別に気にかける者には執着が湧くのではないのかな」

「………言われてみれば、私もヨシュアさんがオズヴァルト様に懐いていると、少しだけ悔しい気持ちになるのです。………これはもしや、お気に入りになりつつあるのでは………」

「ほお?ヨシュアか」

「むが?!なぜにこんな嫌な瞬間に戻ってくるのだ!」

「シルハーンには言っておいてやる。ヨシュアがとりわけ気に入ったらしいとな」

「まぁ、そんな言い方をして、私の大事な魔物を不安がらせたら怒りますよ!」


しかし、とんでもないことを言い出したアルテアにネアが厳しく言えば、アルテアは虚を突かれたように一拍言葉を収めた。


「…………成る程な。お前が気にするのはそこなのか」

「当然ではないですか。ただでさえ、ディノはすっかりしょぼくれてしまっているのに」

「当初の嫌厭ぶりが嘘みたいなもんだ」

「…………む?嫌厭はしていなかったような」

「切り捨てようとしていたのにか?」


そう尋ねられて、ネアは少しだけ考える。

そういう言葉で表現するような感情ではなかった。



「と言うよりは、手に余るので相応しい素敵な方のところに行って欲しかったのです。困った魔物でしたが、嫌いだったことはありません。ただし、特殊な趣味が私の心を損なうので、場合によっては滅ぼすことも視野に入れていた時代もあります」

「…………殺すつもりだったのかよ」

「因みに、滅ぼそうかな大賞には、アルテアさんが殿堂入りしており、困ったことにノアやウィリアムさんも入賞しているのです。なぜに皆さん、応募してきてしまうのでしょうね」


ネアの苦悩には取り合わず、アルテアは片眉を持ち上げた。


「お前が、お気に入りのウィリアムも入れているとは思わなかったな」

「ウィリアムさんは、少し悪い遊びにも連れて行ってくれる頼れる優しいお兄さんで、過保護な祖父のようでもあります。しかし、ごく稀に私の心を殺すようなことを、さらりと爽やかな微笑みで言うのです。……その切れ味はアルテアさんの比ではないので、私は執念深く覚えております……」


ネアの目がとても暗くなったので、ふらりと部屋に入って来たヨシュアが、ぎゃっと言って飛び退る。

ヨシュアは、魔術の跳ね返りを抑えているアルテアに代わり、帰り道の門を固定する魔術を隣室で描いてきていたのだ。


「ふぇぇ、こ、殺される………」

「ヨシュアさんは、頑張って門を固めてくれていた良い魔物さんなので、殺しませんよ?」

「もっと褒めるかい?」

「泣きながら格好をつけられても、可愛いだけなのだ」

「そうだな、ヨシュア。お前はこっちに残れ」

「え?!どうして?!」


またしても虐められてしまったヨシュアは、すかさずオズヴァルトの陰に隠れてふるふるしていた。

最近、ネアだけではなく、中庸の立場であるオズヴァルトも頼りになることが分かってきたらしい。


「…………もうすっかりお昼ですね。門の固定とやらが終わったのに、どこかが欠けたままの私はどうすれば良いのでしょう?」

「少し寝ておけ。……今、ネビアが外を見てはいるが、夕暮れ前にウィリアムが終焉の導線を敷き始める可能性が高い」

「ウィリさんを殺せばいいのですね!」

「殺しても構わないが、欠片を取り戻してからだな。それと、なんだその呼び名は」


指摘されたネアは、誇らしげにふふんと笑う。

本当はぴしりと指を立ててみせたかったが、残念ながら体力が足らない。



「私の仲良しのウィリアムさんと、差別化を図っております!」

「上に戻っても使うなよ?」

「むむ。ウィリアムさんは、愛称などを嫌がるのですね。ご不快にさせないようにします」

「僕だと何になるの?」

「元々言いやすいですが、ヨシュさんでしょうか?アルテアさんだと、アルさんですね!」

「やめろ」


良いあだ名が生まれずに不貞腐れて部屋を出て行ってしまったアルテアを見送りながら、ネアはテーブルに伸びているヨシュアをつついた。


「帰り道は綺麗に出来たのですか?」

「出来たよ。後はね、入り口のところにある術陣を踏むだけ。でも、あのキャンバスは置いていくから、少し離れたところに置いてある。触媒に使うだけだからね」

「大変恐ろしいもののようなので、置いていくことに賛成です!」


ヨシュアの言う触媒とは、エズリの屋敷からヨシュアが見付けてきてくれた一枚のキャンバスであった。


呪いの入口があの二体の彫像だったように、この国からの出口はそのキャンバスとなる。

正式には、そこから開けるというもので、ネアのように魔術の扱えない人間であれば、門を手に入れても出ることも叶わないとなってしまうのだ。


「ネビアが言ってたよ。ラエタには二人だけ生き残りというか、見逃された人間がいて、その人間の子孫がアルビクロムの王族だったんだって。だから、あの呪いは、その人間達の知識や記憶を元にその一族に仕えた精霊が切り取った影絵みたいだね」

「まぁ、……そういう経緯があったのですね」

「私も、その話を聞いた時は驚いた。アルビクロム王家の祖先は、随分と西から渡ってきたのだな」


頷いたオズヴァルトは、先にロサからその話を聞いていたようだ。


「ウィームにも、ルーツがあるのでしょうか?」

「ウィームはもうウィームだよ。でも、山間の小さな国で、山や森に国土が区切られてるから貧しい国だったかな」


しかしそこから、潤沢な土地の魔術を生かしてウィームは育ってゆくのだ。

質実剛健とした初期のウィームは、まだ一部の人外者たちの話題にしか登場していなかった。

この時代には、同じように魔術の潤沢な土地が沢山あったのだそうだ。


「今はもうなくなってしまったのですね」

「井戸と同じだね。元々が豊かな水源地で枯れない井戸もあるけれど、うまく使わないと枯れる井戸もある」

「さすがヨシュアさんですね、とても分かりやすいです!」

「もっと褒めるかい?」


そんなことを話していた時、ふっと屋敷が翳ったような気がした。

おやっと目を瞠っているネアに対し、目の前のヨシュアががくがくと震え出す。

上手く表現出来ないのだが、塵などない綺麗なお屋敷なのに、ずしんと地面が大きく揺れてその振動に黒い霧のような粉塵めいたものがぶわりと巻き上がったような翳り方である。


ひたりと背筋が寒くなり、ネアはとある魔物のことを思い出した。



「くそ、やっぱり来やがったか!」


ばぁんと扉が荒々しく開き、アルテアが飛び込んでくるとすぐさまネアを小脇に抱えた。

いきなり手荷物にされたネアは目を丸くする。


「なぬ?!何が起きたのだ?!」

「ヨシュア、お前は道の維持を最大限にしておけ。ネビアが戻って来て対応にあたる」

「………わ、わかった」

「ヨシュアさん、有事であればオズヴァルト様を連れていって下さい!!」

「え、面倒…」

「きりんさんまみれにしますよ?」

「よし、僕と行こうか!絶対に守るから安心していいよ!!」

「す、すまない……」


一瞬我が儘になりかけたヨシュアも、ネアの優しいお伺いに応じてくれ、無事にオズヴァルトを連れて行ってくれる。

オズヴァルトもこちらに来てすっかり柔軟になったものか、ヨシュアに引っ張られて階段を上がりながら、何か手伝えることがあるだろうかと話しかけていた。



また、ずしりと空気が重たくなるような感覚に、ネアは目を瞬く。


「…………アルテアさん?」

「…………ウィリアムだ。欠片を使えるか?」

「ほわ。………お腹の中に駐在してくれている筈なので、もう一度お願いしておきますね。………結晶石さん、ウィリアムさんから、私の魂の欠片を取り戻して下さい。……むぎゃ!」


ばしゅりとお腹の中で結晶石が弾け、アルテアに抱えられたままのネアはじたばたする。

よりにもよって抱えられている手がお腹に回されていたので、ぐっと圧がかかって痛みが際立ってしまったのだ。

本能的に目をぎゅっと瞑って身悶えするネアを抱え直し、アルテアがおでこに触れるのがわかった。

じわっと滲んだ冷や汗に濡れたおでこの前髪を掻き上げてくれ、髪を梳くように頭を撫でてくれる。

ふっと頬に触れたのは唇の温度だろうか。

であれば、かなり丁寧に治癒をかけてくれているらしい。


「成功したようだな。よくやった」

「…………ほむぎゅ」


すぐに治癒をかけられて痛みはもう消えているのだが、瞬間的にお腹の中に圧力がかかった怖さと、痛みを覚えた一瞬の強張りのせいで、ネアはぜいぜいした。

しかしながら、手をぐーぱーしてみたところ、普通に動かせるようになったようだ。

アルテアを見上げてぱっと笑顔になると、なぜかアルテアは一瞬たじろいでしまう。


「喜んで下さい!これで元通りなので、ウィリさん殲滅部隊に加われます!」

「病み上がりだろうが。無茶をするな」

「む。優しいアルテアさんがまだここに……」

「お前の場合、解決してもろくな結果にならないからな」

「解せぬ」



その直後、ものすごい轟音が屋敷に響き渡った。

その振動は骨にも響くようなもので、ネアは一瞬息が止まりそうになった。



「ぎゃあ!アルテア、術式が死んじゃう!!」


二階からはヨシュアの悲鳴が響き、がしゃんがしゃんと断続的に窓のガラスが砕け散る音が続く。

ただの粉砕音よりも重たい音なので、壁ごと損傷を受けているのかもしれない。


「ウ、ウィリさんが、このお屋敷を襲っているのですか?」

「だろうな。あいつは、不安要因は先んじて殲滅する癖がある。特に、この時代は立ち止まって考えなかった時代だ」

「なんて嫌な時代なのだ!」

「くそ、ネビアはまだ戻らないのか……。最悪あいつは置いていくぞ」

「か、可哀想です!!」


ネアを抱えたまま、アルテアは何度か素早く短距離の転移を踏み、一度は屋敷の外の小高い丘の上、そして屋敷の中だと思われる薄暗い北側の部屋、最後にヨシュア達のいる門を作っている部屋に移動した。

あまりにも目まぐるしい転移に、ネアはくらくらしそうになって一度目を閉じて視界をリセットする。

どうやら、ヨシュア達に合流したようだが、前の二つの転移は決して無意味なものではなく、遠景で屋敷の周囲を確認したのと、別の部屋に何かを取りに行ったようだ。



「アルテア!ウィリアムの力は重すぎるよ……。丸ごと終焉に落とし込まれると、僕達はともかく門の魔術は潰される」


アルテアとネアの姿を視認した途端、くしゃくしゃの声でヨシュアがそう訴える。

オズヴァルトは、窓から離れた壁際に立っており、ヨシュアのものらしい結界の中に守られて震えていた。


「半刻でいい、全力で守れ」

「ほぇ……。そんな無茶な。相手はウィリアムだよ……僕、死んじゃう」

「維持出来なければ、どっちにせよあいつに殺されるんだぞ?」

「…………アルテア、少しだけ制約を解除出来る?最後の一瞬でいいから」

「俺の押さえを外した段階で、足場が崩れる。保つとしても一瞬だな」

「じゃあさ、門をくぐる一瞬で全力で内側から支えてよ。それまでは僕が外側を固くするから」

「ああ。…………ネア、お前はここを動くな。それと、触媒を壊されるとまずい。キャンバスもこの部屋に置いておくぞ」


ネアとオズヴァルトは、思わずそのキャンバスの方を見てしまい、青ざめてさっと顔を背ける。

魔術の仕様上のものなのだろうが、裏返すことは出来ないのだろうか。

あんまりにも精緻で劇的な描写での、恨みの籠った花売りの少女の絵は破壊力が高過ぎる。



「アルテアさん、これを!」


ネアは、部屋から出て行こうとしたアルテアに折り畳んだきりん絵を押し付けた。

ぎゅっと手に握らせてやれば、ひどく複雑そうな顔をして転移を踏んで姿を消した。

そんな手段で戦わなければいけないのかと思うところもあるのかもしれないが、力を押さえていることで障害があるのであれば、この際どんな手でも使って無事に戻って貰おう。



「………影絵のアルテアが来たのって、ウィリアムの影響もあるのかもって話してたんだ」


残された部屋で、重苦しい緊張を払うようにヨシュアが呟く。

目を瞠ったネアの方を見る余裕がないのか、一心に魔術で構築した門の方を見て何かの細やかな調整を続けている。

真剣な銀灰色の眼差しは鋭く美しいが、ネアはもう少し頑張るようにと頭を撫でてやりたくなった。

擬態で隠している余裕もないのか半面に浮かび上がった優美な白い模様を見て、オズヴァルトは白持ちの方だったのかと呟いている。


「影絵の中のお二人に、情報のやり取りがあるということですか?」

「うん。妙なものがいるって話をしていて、最初に接触したのがウィリアムである場合、アルテアは僕達のことを影から観察していた可能性もあるよね」

「影絵の中の出来事は、変化がないというものではないのでしょうか?」


そう尋ねたのはオズヴァルトで、ヨシュアは短く首を振る。


「関わったり話したりで、流れは変わるよ。変わらないのは結末だけだ」

「そうなると、私達が介入したことで変化が起きている可能性もあるのですね……」

「うん。僕達は触れられなかった数日間が飛んでしまってるから、その中で何が起きたのか分らないしね」


(……その空白の期間の間に、ウィリさんがアルテアさんに話をしたり、もしかしたらこちらで私達を探してみたりしていたかもしれないのだろうか)


余分な待ち時間を省けたのであれば有難い時間の飛びだが、そのように先方が手を回していた場合は不利になる時間の差でもある。

ネアはごくりと息を飲み、足元のブーツの紐がしっかり結ばれているかどうかを確認した。


(激辛水鉄砲で撃ち、ブーツで踏み滅ぼす。……或いはダリルさんのお尻が痒くなる呪いを投げつけ、ブーツで踏み滅ぼす………)


そんなことを考えながら、ネアは身の回りを素早くチェックする。

きりんの絵のネア特製殲滅術符は、ポケットに大量に、そしてブーツの中や襟元にも仕込まれているし、水鉄砲は手に、そしてダリルの呪いもポケットにある。

一つだけ、新たに開発した新作の武器については、胸元に押し込んであるのでいざという時に取り出して敵を殺すのに使おう。



「…………ほぇ」


勇ましく自分で士気を高めていたネアは、ヨシュアの気の抜けたような声に、振り返った。

その窓際の方へ振り返る短い時間が、奇妙なくらいに長く思える程。



(…………暗い)


その、感傷の影にも似た青く深い闇の色の織りに、影絵の中の夢で見た暗いお城のことを思い出す。

その城の中に一人で佇み、深い孤独をいなすように目を閉じていた一人の魔物ことを。



そしてその夢の中で見たのと同じ色の闇を纏い、窓際に立っているのは真っ白なケープを翻したウィリアムだった。



「…………ウィリアムさん」


思わず名前を呼んでしまったネアに、眉を持ち上げておやっという風に微笑む。

穏やかだがやはりひどく冷めていて、その冷たさのあまりに心が竦み上がりそうな暗さに眩暈がする。

その他のどんな魔物の恐ろしさともまた違うその暗さが恐ろしいのは、まるで虚無を覗き込むような感じがするからだろうか。


そしてそんなウィリアムは、まるで家に遊びに来た親戚のお兄さんのような優しい微笑みを浮かべつつ、手にした誰かの重たい体を紙切れでも投げるように部屋に落とした。


「ロ、ロサさん!!」

「すまないな。ネビアのことはあまり傷付けたくなかったんだが」


重たい音を立てて転がったロサだが、幸いにも意識はあるようで床に手をついて半身を起こしつつ、短く呻いている。

ネアは慌てて駆け寄って、ディノ特製の傷薬をふりかけようとしたが、一歩踏み出すよりも前にもっと恐ろしいことが起きてしまった。


「また特殊な魔術のものを持ち込んだな………」


ネア達が投げ込まれたロサに視線を向けたほんの一瞬で、ウィリアムは大事なキャンバスの所まで歩みを詰めてしまったようだ。

手に取ったキャンバスを興味深げに眺めている姿に、ネアはぞっとする。


(し、しかし、手に取られてしまった以上は、まずは戦力復帰を最優先に!)


ネアはそこで、それもまた腕輪の金庫に移動していた傷薬の瓶を取り出すと、蓋を開ける手間も惜しむように半開けにしたままロサに投げつけた。

ごすっという音がしたので痛かっただろうが、零れた傷薬がじゅわっとかかり、ロサがはっとするのがわかる。


「…………やれやれ、君はとんでもないことばかりしてくれるな」

「むが!悪い魔物さんに掴まりました!」


しかし、ロサの復活と引き替えに、ネアはウィリアムに襟首を掴まれてしまった。

そのままずるっと引き摺り寄せられ、腕の中に収められてしまう。


「魂を少し貰った筈なんだが、思ったより元気だな」

「おのれ、他人様のものを勝手に奪うのは罪なのですよ!」

「はは。すまなかった。少し、気に入ってしまったみたいだ」

「気に入っただけで奪いたい放題とはなんと我儘なのでしょう!今だって二個も抱えているではないですか。せめてこちらは返して下さい!」


腕の中に収まったネアが、べりっとキャンバスを奪い取るのを、ウィリアムは驚いたように見ていた。

まだ魂を削られた前提でいるのであまりの元気さに驚いているのかもしれないが、ネアは何となく、こんな風に接されたことがないのだろうかなとも思う。


そして奪い返したキャンバスは、角度的に正面であったオズヴァルトに、フリスビー的な投擲でえいやっと投げた。

本当はロサに投げたかったのだが角度が微妙であったし、ヨシュアは何やら難しい魔術を編んでいるので、うっかりそっちに投げて当たり所が悪くキャンバスを損なったら一大事だからだ。


はっとしたように手を伸ばし、オズヴァルトは、キャンバスを慌てて背中の後ろに庇う。

一瞬描かれた絵と正面で対面してしまい、くらりとしていたようだが、本番に強いのは王族の嗜みなのかもしれない。


「うーん、そっちも気になるが。まぁ、俺は一つで満足しようかな。後はアイザックに任せよう」

「む。アイザックさんも来ているのですね?」

「………アイザックを知っているのか?」

「売り手と買い手のお付き合いをしております。どこにいるのですか?ご挨拶したいです!!」


ウィリアムに抱えられたまま、ネアはさも仲良しであるという風にじたばたした。

ここで逃げようとしているというよりは、捕まったことは諦めているという感じを出すのがコツだ。


(アイザックさんも来ているとなると、アルテアさんはそちらに対応しているような気がする……)


それとももう、何かが始まってしまっているだろうか。

そう考えかけて、ネアはぶるりと身震いした。

誰かが損なわれたり、事態が悪い方に向かうという可能性があると思うのは嫌なことだ。

そんな可能性に怯えるくらいなら、ネアは自分で踏み滅ぼしたい所存なのである。


「アイザックなら、外だろうが……」


対するウィリアムは、さも知人のように乗り物指定で移動を指示され困惑気味だ。

もう少し暴れるだとか怯えるだとかすると予測していたのだろうが、そうすると彼のペースになってしまうのでネアはぐぐっと引き下がりそうな心に歯止めをかける。


「むむ。では窓から呼んでみますね。………幸いにも、窓はなくなってしまい、大穴が開いているのでもう少しだけそちら側に寄ってくれますか?」

「……言っておくが、逃げようとしているなら…」

「持ち上げるのはもうお任せしているので、私をあっち側に向けて下さい。獲物は新鮮な内に売るのが高値のこつ!狩りの獲物をアイザックさんに、少しでも高く買い取らせるのです!!」

「………そう言えば、最近、商人の真似ごとを始めていたな………」


ウィリアムは少しだけ首を傾げ、必死に帰り道の門の維持を続けるヨシュアと、無事に立ち上がり体勢を立て直しつつあるロサを一瞥する。


「それと、アルテアさんにはお会いしましたか?」


ネアがそう言えば、ウィリアムは微かに目を瞠った。

アイザックの時よりも反応が顕著なので、アルテアとの関係性の方が深いのだろう。


「………アルテアは、もう来たのか?」

「はい。遊びに来ましたよ。辛いものが大好きな、困った方ですね」

「………そう言えば、最近、南方の香辛料に興味を示していたな…………。君達は、迷い子だと話していたが、アルテアとはどこで?」

「………む?お聞きしていないのですか?」

「先日君に出会った時に、アルテアと一緒にいただろう?戸外の箒で掃き出された日の夜に彼に会ったから、君達のことを尋ねてはみたんだが、笑うだけで教えてくれなかったな……」

「アルテアさんとは、どこかの謎の空間で、人間の皮を折りたたんでいる横に座っているのを見たのが出会いなのです」


ネアは嘘は言っていない。

それは確かにアルテアとの出会いのあらましであるが、こちらのアルテアとは違うアルテアなのだ。

しかし、そう言われたウィリアムは、さもあらんという風に呆れ顔になった。


(でも、良い情報を得た!)


どうやら、ウィリアムは、こちら産のアルテア以外にアルテアがいることはまだ知らないようだ。



「また何か騒ぎを起こしたな………」

「人攫いのウィリアムさんに言われたくないのでは……」


ネアのじっとりした声に、視線をこちらに向けて少し困ったように目を瞠ると、ウィリアムはふっと無防備に笑った。

その笑顔に滲んだ少し壊れた部分と、どこか切実な安堵めいたものにネアは胸が苦しくなる。

やはり、こんな風に怖くて残忍なウィリアムでも変わらず無防備なところがあるので、容赦なく滅ぼす算段を立てている自分が悲しくなってしまった。


「迷い子は、見付けたら保護しないと」

「むむぅ。爽やかな微笑みで言われると、頷きそうになるのが癪なのです。そして、アイザックさんとアルテアさんに合流して下さい」

「うーん、…………大人しくしてるんだぞ?」

「壁を壊した方に言われたくないのだ」

「はは。それもそうだな」


目元を和らげたウィリアムだが、ネアがどきりとするぐらいに鋭い視線をまた正面に投げた。

ロサがどうにか現状を打破せんと、少し動いたようだ。


そして、ロサを目線で牽制しつつ、ネアの要望通り数歩下がって窓があった方に近付いてくれる。

抱きかかえられたまま危ういぐらいの端っこに立たれると崖っぷちに吊り下げられたような怖さはあったが、ネアはひとまず窓の外に目を凝らすことに集中しようと思い、すぐ真下にお探しの二人を見付けて半眼になる。

騒ぎの中心に近付いてここを選んでくれたものか、とりあえず近くで事足りてなによりだ。


(………あ、)


向かい合って会話をしていたらしいアイザックが何かを言ったのか、アルテアの視線が持ち上がり、何とも言えない表情になる。

言語化するなら、何で捕まったんだとでも言いたいのだろうが、ネアはひとまず手を振ってみる。


「アルテアさん、昨日お話ししたぬいぐるみを納品しますね!」

「………おい、まさか」


ネアはそう朗らかに宣言すると、胸元に押し込んであった手縫いのぬいぐるみを取り出し、ぽーんと放り投げた。

何が投げ込まれたのだろうと目で追ってしまったアイザックの瞳が、驚く程わかりやすく虚ろになる。

対するアルテアは、素早く視線を逸らして明後日の方を見ていた。


材料があまりなかったのでより歪になり、ネアの目で見てもそこそこに怖さを増したきりん人形が地面に落ちる頃、ネアはアイザックがよろめいて両手で顔を覆うのを確認し、自分を拘束する手が緩むのを感じた。

幸いにもネアごと二階から落ちることはなくよろめいてから膝を突いたウィリアムも、ネアが何を投げ落としたのだろうかと目で追ってしまったに違いない。

そういう部分では、本能とは悲しいものだ。


「ネア!」


鋭く響いたのは、ロサの声だ。

ネアはその声に応じ、はっと体を捻ろうとしたウィリアムの腕が緩んだ隙に、容赦なくウィリアムの胴体に靴底をヒットさせた。

ばすんという力強い当たりがあり、ネアが、もしこれで鎮圧出来なかった場合、怒らせはしないだろうかとひやりとした僅かな沈黙を一拍挟んだ後、ウィリアムはどさりと床に倒れた。

同時に床に落とされたネアも、無事に自由になる。


「倒しました!」

「……………な」


よいせ、と立ち上がったネアがぽんぽんと服の汚れを払っていると、ロサは慄いたように数歩後ずさった。

完全に表情が恐怖に直面した人のそれだが、無事に敵を斃したので褒めて欲しい。



「………お前は、相変わらずだな」

「む。アルテアさんも無事にお戻りです!」


そこで、外のアイザックは無事に処理したものか、アルテアもふわりと戻ってきた。


「ウィリさんを滅ぼしました!」

「………さすがにまだ生きてるだろ。自分の祝福で死んだら洒落にならないぞ」

「うむ。相変わらず良いブーツですね。起きないよう、念の為にお顔の前にきりんさんの絵を貼っておきますね」

「……………最悪の寝覚めになるだろうな」


そこで、頑張って堪えて門の維持を続けていたヨシュアから息も絶え絶えな声が上がった。


「も、もう僕は限界!とりあえず、道を固定してるから中に入ろうよ!!」

「………ん、ああ、そうするか。もうこれで、こちら側には思い残すこともないしな」

「あの世に旅立つ人の言葉のようですね……」

「やめろ」


相変わらず、魔術の運用はネアにはたいへん謎めいている。

その謎な運用のままに、ネア達はひとまず門の中に入り、この影絵の世界を後にすることになった。

しかしながらそれですぐに帰れるかと言えばそうでもなく、門の内側で元来た場所までの道をせっせと繋ぐのだそうだ。

なお、その作業は自動で放り込まれた魔術を逆に辿るような道繋ぎの魔術を発動するらしく、入ってしまえば待つだけで大丈夫という、不思議で便利な扱いである。


「オズヴァルト様、有難うございます。もうキャンバスは捨てていって大丈夫ですよ!」

「そ、………そうか………」


背中に庇ったキャンバスを落とし、がくりと膝を突いたオズヴァルトの腕を掴んで支えたのはロサだった。

人間の身でよくウィリアムの精神圧に耐えたなと褒めているので、オズヴァルトも疲弊はしているようだがどこか誇らしげだ。

高位の魔物に褒められたことで、子供のように目をきらきらさせてはにかんでいる。



「では。魂を削ぎ落とされてしまい、みなさん、お待たせしてしまいました」


ネアがぺこりと頭を下げ、それぞれに誰かが怖いのか、ロサとヨシュアは真顔で首を振る。

オズヴァルトはロサがそのまま手を貸してくれるようで、ネアのことはアルテアが素早く抱える。

まずは、ロサ達が、次いで、ネアとアルテアに並ぶようにしてヨシュアが後ろ向きに飛び込んだ。

こうして入った瞬間に門を影絵から切り離し、追手がかからないようにするのだとか。


「ほぇぇ。やっと終わった!後は寝て待つだけだぁ!!」

「ヨシュアさん、いい子ですね!!」

「もっと褒めるかい?ぐぇ!」

「まぁ、アルテアさん、頑張った魔物さんを蹴とばすとは何事ですか」

「こいつはすぐに調子に乗るからな」



通りぬけた空間の穴のようなものが、しゅぽんと後ろで消えた。


かくして、ネア達は無事に、帰り道の門をくぐったのであった。

















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