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185. 本物かどうか悩みます(本編)



「…………しかも君は、守護持ちか」



その言葉には、返答を求めるような響きはなかった。

ただ、彼が考える為に必要なのだろう。

だからネアは、ちらりと隣の擬態したヨシュアに視線を戻し、口を開けたまま固まってしまった魔物を小突いた。


しかしヨシュアは真っ青になって震えるばかりで、再度ばしりと叩かなければいけなかった。

幸いなのは、ネアが同行者を叩いている間、ウィリアムが面白がるような目で二人を見たまま、大人しく待っていてくれたことだ。

そして、ヨシュアがネアにかけたとある擬態を解いてくれている間に、ネアはこちらを見ているウィリアムに向き直る。


下手に魔物の守護を帯びているとなると、目立って他のいらぬ騒ぎを引き寄せてしまいかねないので、あえて全ての守護を擬態させて貰って覆い隠していたのだ。

とは言え、ウィリアムはそこに守護があることくらいは見抜いてしまったらしい。



「何かご用でしょうか?」


するとウィリアムは、擬態はすれども魔物としての気配は垂れ流している自分に向き合った人間が意外だったらしく、おやっと眉を持ち上げる。


「魔術可動域が低そうな割には、頑強だな。壊れもしないし、発狂もしない。………やれやれ、誰が守護を与えたのか」

「どうして我々は呼び止められたのでしょう?何か失礼がありましたか?」

「………いや。だが、俺はこの街の系譜の者を、訳あって今は守護しているからな。妙なものが入り込むのは困る」

「むむ。この街の画家さんに発破をかけるべく、今日はお約束があって来ているのです。私は確かに余所者ですが、お約束は破りたくありません」

「では、二度と会えないことを俺から謝っておこう。さすがに、高位の魔物の守護持ちとなると、火種になりかねない。俺は器用じゃないから、見付けた時に排除しておかないとな」


ネアは、魔物らしい澄んだ瞳を見上げた。


きっと、見ず知らずの他の誰かに遭遇するよりは落ち着いていられる自信はある。

それでも、刃物のような瞳がこうして自分を見る時、誰でもないその他大勢として温度のない目を向けられ、終焉らしいぞんざいな残酷さを見れば、肌の表面が泡立った。



(…………こわい)



それは悪意でも害意でもなく、ただそこにあるから手で払って捨てておこうというような、無関心の零度だ。

憎しみや怒りを向けられるよりも恐ろしいのは、彼が人ならざる者だからだろう。




「…………ウィリアムさんは、やはり若い頃はやんちゃだったのですね」


だから、ネアはあえて飄々とそう呟いた。

怖くて仕方ないが、困った人だと言わんばかりに小さく息を吐いてみせる。



「ん?」

「白状しますと、私はこちらの時代に迷い込んだ迷い子なのです。私の知っているウィリアムさんや、私の大事な契約の魔物であるディノから、もしこの時代のあなたに出会ったら、こう言うようにと言われたのです。………どうかご確認下さい。この守護は、あなたのものでもあるのだと」


そう言ってネアは、ブーツを履いた足を持ち上げてみせ、そして核的なものはどこにあるのか分からないのでひとまず男前に胸を叩いてみた。


「…………俺の?」

「はい。あなたのものです。因みに、私の存じ上げているウィリアムさんは、基本は優しい祖父のようで、私に素敵なもふもふ毛皮の生き物を見せに連れて行ってくれたり、砂漠の馬に乗せてくれたりします。正装めいた軍帽を被ると格好良くて、時々私の大事な魔物を叱ってくれます」


ネアが持ち上げた足を凝視し、ウィリアムが微かに息を飲むのが見えた。

そこで彼の纏う気配が一瞬緩んだからか、隣のヨシュアが体の強張りを解くのが分かった。



「………ウィリアム、この子を無事に元の場所に戻すようにと、僕をここに投げ込んだのも君だよ」

「………………ヨシュアか!」


ウィリアムがはっとしたようにそちらを見たので、やはりヨシュアの擬態は精巧なようだ。

彼が器用な魔物だという保証は、間違いではなかったらしい。

ただし、対ウィリアムだと怯えてしまって一瞬使い物にならなくなる。



(………影絵だからと、何が違うのだろうか?)



ネアは、その隙にウィリアムを観察した。

今目の前にいるのは、戻り時の時のディノのように見知らぬ人になった魔物ではあるが、だがやはり見慣れたウィリアムそのものである。


(…………だからこそ、敵対しませんように)


この影絵の呪いへの入り口で、アルビクロムの王だという老人が呟いていた呪詛が気になっていたが、幸いにも指輪の守護や靴紐の守護は失われていなかった。

あの言葉はあくまでも、この影絵の中に落ちることを、守護によって防げはしないという文言なのだろう。


だから今のネアは、死者の国の時よりは遥かに安全である。

しかしながら、あの死者の国にはここまで恐ろしい人外者はいなかったのも事実なのだ。



そう思ってディノの指輪に視線を落とそうとして、ヨシュアがこちらの擬態を解き忘れていることに気付いた。

慌てて解かせようといたその時、ふっと、終焉の魔物の唇の端に凄艶な微笑みが浮かんだ気がした。

はっとした時にはもう消えてしまっていたけれど、その突き放すような冷ややかさが不穏な予兆であるとしたら。



「精霊の呪いで迷わされてるんだ。この街の画家の絵に、出口の扉があるかも知れない。悪さはしないよ。僕達は早く帰りたいだけなんだ」

「どこへ?」

「………ええと、」

「ウィームです。この時代に、その地名はありますか?」


そう答えながら、ネアは失望していた。

自分の守護を見付けて揺らいでも、ウィリアムはこちらを見てそれならばと手を差し出しはしない。

やはり駄目だったかと考えかけて、ネアは恐ろしいことに気付いてしまった。


(…………よく考えたら、ウィリアムさん程に、自分の守護を与えた人間を自分の手で駄目にしてきた魔物さんはいないかもしれなかったのだ)



だから、そこにあるのは魔物らしい排他的な眼差しで、ネアにある守護に自分の気配を感じ取っても尚、彼は今の自分にとって有用かどうかで判断するのかも知れない。



「ヨシュアさん、ゆ、指輪の方がまだです」

「ほぇ。……あ、ゆ、指輪!」


ネアは慌ててヨシュアに擬態を解かせようとしたその時、ぞくりと胃の腑が冷えるような呟きが落ちた。


「困ったな」


事実上その一言は、暗にネア達をどう排除するかなというような響きであったので、ネアは、震え上がって固まったヨシュアは諦め、ポケットから一枚の紙を取り出した。

あまりやりたくはないが、背に腹は変えられない自分勝手な生き物が人間というものだ。



(これで、無力化してしまえれば…、)


「…………っ、」


けれどそれよりも先に、ひたりと顎先に冷たい指が触れた。

いつの間にそこに居たのか、ネアが愕然と見上げた終焉の魔物は、吐息が触れそうな程の距離にいる。


するりと弄うように肌を撫でた手袋越しのその指が、まるで氷のように冷たく感じた。



「ウィリアム!」


慌てたようなヨシュアの声に、簡単に投げ飛ばされてしまう魔物のぎゃっという悲鳴。

そんなものを、ネアはどこかで遠く聞いていた。



くらりと、視界が翳った。




(……………雨の音がする)



夜明け前の部屋の薄暗い中で、屋根と窓に打ち付ける音を聞いている。

今日は雨なのだなと思い、このまま暖かな毛布の中に隠れていたかった。


(ああ、でも、私は私に戻らなければ………)


夜の内に安堵と共に手放した現実が再び戻って来て、その鋭さに胸が潰れそうになる。

また、穏やかで誰もいない昼の生活が始まり、ネアはみんなと同じだと言い逃れする為の仮面をかける。



苦しくて、堪らないのに。

終わらせたくて泣きたいのに。





「ネア!」

「…………っ!」



よろよろとこっちに戻ってきたヨシュアの声に、ネアは意識を引き戻された。

呆然と瞠った瞳には涙が滲み、見上げられたウィリアムは途方に暮れたような顔をする。

いつの間にそこにあったのか、唇に触れていた指先がそっと離れた。



「………君は、………終焉の子供か」


そう呟く声には少しの迷いが混じり、ちらりと駆け戻ってきたヨシュアに視線を向ける。

今見た白昼夢のようなものが何なのかはわからなかったが、ウィリアムに触れられたことで見えたものだという感じがした。


ざらりと、胸が軋む。



(あんな思いは、二度と思い出したくなかった)


だからもし、こちらに視線を戻したウィリアムが微かに息を飲んだのだとすれば、それはネアの瞳に怒りが隠しきれずに揺れたからだろう。



「………ウィリアムさん、こんな生き物をご存知でしょうか?」

「……………生き物?………っ?!」


にっこりと微笑んだネアがばさっと広げた紙を見た途端、終焉の魔物は真っ青になった。

片手で口元を押さえてよろめき、後ずさってから、またよろめいた。


「黄褐色に、ぶちぶちがあります。この、角なのか触角なのか分からない謎の突起があり、首がみょーんと、……ウィリアムさん?」


ネアの無邪気な呼びかけに、ウィリアムは意味もなく首を振った。

そして、そんなウィリアムを案じる風に駆け寄り、ネアはうっかりな感じでその足元にきりんの絵を落としてやった。

思わず条件反射でそれを見てしまい、ウィリアムは片手で口元を押さえてがくりと膝を突く。

ふっと、終焉の魔物の瞳から光が失われかけた。



(今だ!!)


ウィリアムが意識を遠のかせかけた瞬間を見計らい、ネアは首飾りの金庫から取り出した箒で虚空をささっと掃いた。


ざあっと地面を走ったのは、高位の魔物でも一国の軍隊でも抗いきれないという、祝福による理の魔術の一つ。



「戸外の箒…か………?」


はっとした様に、こちらを見る目と視線が交差する。


「ふぁっ、?!」


地面に膝を突いたまま、素早く伸ばされた手がネアの服を掴みかけ、ネアの息が止まりそうになったその瞬間のことだった。




「悪いが、先約があってな」



(…………え?)


誰かに、ぐいっと体を後ろに引っ張られた。

そのままその犯人であろう誰かの腕の中に収まり、ネアは馴染みのある香りに目を瞬く。


そんな一瞬の内にウィリアムの姿は搔き消えてしまい、驚いて視線を正面に戻したネアは、戸外の箒の威力に目を丸くしてから、また背後に顔を向けた。



「……………むむ」



そして、自分を背後から拘束した男を、目を眇めて凝視する。


黒髪の男だった。

金色に近いシャンパン色の瞳をしていて、癖のある黒髪を少しだけ掻き上げて片側だけオールバックにしており、妖艶なとでも表現したくなる美貌を際立たせている。

しかし、黒い帽子に漆黒のスリーピース姿に白いステッキを見なくても、なぜだかネアにはこの男性が誰なのかわかった。

ウィリアムもそうだが、擬態していても何となく分かるのだ。


そして多分、それが自分の知っている方の魔物かどうかも。



「…………どなたでしょうか?」

「ほお、こっちに落とされて記憶も失くしたらしいな」

「むむ。私と同じところから来た方だという気がしますが、パイ包みでも作ってもらわないことには本人確認が取れないのです」

「何でだよ」

「……………ほぇ、誰これ」

「あ、ヨシュアさん。ご無事でしたか?」

「……………おい、こいつは今、少しでも役に立ってたのか?」



新規のお客様にそうじろりと睨まれて、ヨシュアは少しだけむっとしたのか目を細めた。



「その人間は、僕が管理を任されているんだ。誰だか知らないけれど、離れ……ぎゃぁ!」


容赦なくステッキで爪先をぐしゃっとやられ、ヨシュアは爪先を抱えて飛び跳ねている。

しかし、痛がっている合間に、ふっとそのステッキに視線を戻して目を丸くした。



「………僕、分かった!!アルテアだ!何でアルテアがここに居るの?!」

「………よし、黙れ」


すげなくアルテアには一喝されてしまい、ヨシュアはじわっと涙目になったまま黙り込む。

ネアは、まだ自分を背後から拘束したままのアルテアを不審そうに見上げた。

そんなネアに、ヨシュアは悲しげに呟く。


「ネアが捕まった………」

「難しいのです。私の知っている方ならお友達なのですが、こちらは果たして、本物なのでしょうか?私は、ヨシュアさんが投げ込まれて終わりだと思っていました」



そう言えば、擬態したアルテアは呆れたような目をする。



「契約があるんだから、本物かどうかぐらい分かるだろうが。………ああ、お前は可動域が低かったな」

「おのれ、わざと貶しましたね!許すまじ」

「そもそも、ウィリアムは、ヨシュアがどれだけ自分を不得手としているか、そこを理解しないからな。ヨシュアがいても役に立たないなら、俺が来るしかないだろうが」

「ふむ。確かにウィリアムさんが出てきた途端、ヨシュアさんは一気に戦力外となりましたね」

「だろ。つまり、最悪の相性だ」

「…………ほぇ。僕頑張ったのに」

「偉かったですね、ヨシュアさん。ただ、対ウィリアムさんだとヨシュアさんの心が戦わずして折れてしまうので、今後は良く慣れた方が対応してくれますからね」

「うん。僕は褒められるのが好きだよ。………痛い!」

「役立たずは黙ってろ」


少し笑顔を取り戻したヨシュアだが、アルテアにそこそこに容赦なく杖で腹部を突かれ、再びぷるぷるしながら蹲った。


「アルテアさん、何だか可哀想なのです。私は少しだけヨシュアさんが可愛いと思い中なので、虐めてはいけません!」

「………そうか。刻んで捨てていくぞ」

「なぬ?!なぜに虐めっ子度合いが上がったのだ。解せぬ」

「役立たずだが、他人に依存する力だけは一人前だな」

「…………ふぇ」

「いけませんよ!そういう言い方ですと、将来ある若者の心を挫いてしまいます。ヨシュアさんだって好きで虐められっ子として宿命を背負った訳でも、ウィリアムさんに呆気なくくしゃくしゃにされた訳ではないので、せめて五体満足に持ち帰ってあげて下さい」

「……………ふぇぇ」

「……………おい、お前の所為で泣いたぞ」

「解せぬ」



ネアは泣いているヨシュアと手を繋いでやろうとしたのだが、さっとアルテアに抱えられてしまった。

眉をぎりぎりと寄せて見つめれば、お前はどうせすぐに問題を起こすからなと叱られる始末だ。



「使い魔さんが、私の徒歩の自由を奪います!」

「いつもシルハーンに抱き抱えられてるだろうが」

「ディノは、契約の魔物としての取り分のようなものなのです。アルテアさんは乗り物に採用したつもりはありません」

「だとしたら、使い魔の取り分だな」

「ぐぬぬ」

「それと、お前はウィリアムに何をしたんだ」

「きりんさんの絵を見せました」

「……………よくあれで済んだな」



そこで一つ事故があった。

涙目でもそりと顔を上げたヨシュアが、そう言えばこの人間はどんな手段で終焉の魔物を撃退したのだろうと、石畳に落ちていた紙切れを拾ってしまったのだ。



「あっ、ヨシュアさんなりませんよ!」

「ぎゃぁ!」


ネアの制止は間に合わず、ヨシュアは悲鳴を上げると真っ白になってばたりと倒れてしまった。



「ほわ。死んでしまいました」

「………おい、この役立たずは置いていくぞ」

「路上に置いて行ったら馬車に轢かれてしまいます。ちゃんと持ち帰って下さい!」

「言っておくが、俺はシルハーンとは違う。あそこまで甘くないからな」

「むぐぅ。ヨシュアさんを置いて行ったら、帰った後にウィリアムさんにアルテアさんのお仕事が雑だったと言付けます!」

「やめろ」

「そして、白けものさんを撫で回して、私の手作りのきりんさんクッションを与え、それで遊ばせます!」

「いいか、やめろ。絶対にだ」

「ヨシュアさんを…………」

「くそっ、何で俺がこいつの運搬までしなきゃならないんだ。ほら、起きろ!」



手荒く蹴っ飛ばされて目を覚ましたヨシュアは、なぜかネアの手描きのきりんの絵を見た記憶が飛んでいた。

何かとても恐ろしいものを見たという記憶はあるようで、恐らく開いてはいけないトラウマの扉として記憶が自衛しているのだろう。



「…………で、どこに行くんだ?目的地があったんじゃないのか?」

「………私が死者の国で住んでいたお家が、この街にあるのです」

「ああ、ウィリアムと話してたやつだな」

「…………アルテアさんは、いつからこちらに来てくれたのですか?」

「ウィリアムが、数日後にこの街を訪れたと聞いてすぐにだ。お前のことだし、ウィリアムのことだからな。どうせすぐに遭遇するだろうと思ったが、案の定にも程がある。せめて、あと一時間待てなかったのか」

「むぐぅ」



そしてアルテアの来訪は、そんなネアの引きの強さをよく知っているディノも合意の下、リーエンベルクから道を繋ぎ、ディノが呪いの閉じてしまった間口を広げることでアルテアが飛び込めたそうだ。



「だが、本来はヨシュアまでで限度上限だ。俺がこちらに来たことで、空間がひび割れてきているから、残り時間はかなり短くなってるぞ」

「…………なぬ」

「あと三日以内に片付けろ」

「…………逆に追い詰められたような気がするのですが、気のせいでしょうか?」

「俺が来なければ、ウィリアムの玩具にされてたぞ?」

「その場合は、左ポケットに隠していた激辛香辛料油で殺しました」

「お前ならやりかねないが、仕損じたら報復が苛烈になるだけだ。あいつは執念深いぞ?」

「こちらの影絵の中のアルテアさんで試してみます?」

「残念だが、俺とアイザックがラエタを訪れるのは、とある街が焼き滅んでからだな」

「……それは残念です。目と口の中を狙えば、いちころでしょうに」

「………目的が変わって来てるぞ」


ネアの提案には、過去にそれで倒されたことのあるアルテアはどこか遠い目をした。

ヨシュアは首を傾げ、アルテアは辛いものが苦手なのと尋ねてまたステッキで叩かれていた。



「…………なんだ?」


そこでアルテアは、そっと手を持ち上げて、自分の頬を指先で撫でたネアに、眉を持ち上げる。

不審そうにしたアルテアに、ネアはほにゃりと微笑んだ。

やっと厄介ごとの矢面に立ってくれる味方が来たので、安心したのである。



「アルテアさんがここに居るのだと、再認識していたのです。……アルテアさん、来て下さって有難うございました」

「…………ヨシュア、さっさと目的地に案内しろ」

「アルテアが照れた!すごい、アルテアが怖くなくなった……」

「よし、その口は要らないようだな?」

「ふ、ふぇぇ…………」


すいっとステッキの先端を向けられ、涙目になって小走りに先導し始めたヨシュアに、ネアは何となくヒルドに叱られている銀狐を思い出してしまった。

決して御し易いという者には感じられないのがやはり魔物だが、ヨシュアは徐々に愛くるしい枠に登り詰めつつある。



「この歩道は、死者の国の時にウィリアムさんが駆け付けてくれたところなのです」

「そのお前のお気に入りのウィリアムが、さっきお前を排除しかけていたようだがな」

「………それがウィリアムさんの意思によるものなのか、ただの影響の一つなのか分かりませんが、………あの時、ウィリアムさんに触れられた時にとても嫌なものを見たのです」



ネアがぽつぽつとそう話し出せば、アルテアはシャンパン色の瞳をこちらに向けた。

何も言わず、視線を動かすだけで続きを促す。

なぜか、ふわりと頭を撫でられた。



「…………とても怖かったので、うっかり殺してしまっても構わないように思いかけたのです」

「………そうきたか」

「む?」

「お前はもう少し、情緒を学べ」

「なぜ叱られたのだ」

「それと、何をしてるんだ」

「ふむ。アルテアさんのこのお姿の場合、黒縁の眼鏡をかけるととても素敵なのです」

「やめろ。指先を丸めて眼鏡風に当ててくるな」



そんなネア達を振り返って見て、ヨシュアがぽそりと呟いた。


「………どうしよう、……ア、アルテアが、いちゃいちゃしてる」

「ヨシュア、口は要らないんだな?」

「ネア、アルテアが虐める」

「アルテアさん、ヨシュアさんを虐めてはいけませんよ。泣き出すと面倒ですからね」

「ふ、ふぇぇ」

「おい、お前もいい加減学べ。俺は子守をするつもりはないからな」



そして、いよいよ問題の家に近づくと、アルテアは一度ネアの方をまじまじと見つめた。

目の前には、蔦の状態があんまりなホラーハウスがあるので、暗い目をしている。



「お前は、……あんな家に住んでたのか?」

「あら、死者の国では小綺麗になっていましたよ。ただし、地下室が恐怖だったのです」

「…………その地下室だが、そろそろ魔物の卵が孵るぞ」

「ほわ?!」

「お前には分からないだろうがな。……ヨシュア?」

「僕が先頭は嫌だ!」

「………は?」

「むが!ヨシュアさんが逃げると、必然的にアルテアさんに抱えられた私も最前線に!」



大騒ぎの結果、ネアとヨシュアは命を守る盾のようにアルテアの背中にへばりつきながら、団子状になって歩みを進めるという素晴らしい作戦に辿り着いた。

持ち上げのままだと体を隠せないので、ネアは暴れて飛び降りてから、乗り物立候補な使い魔を盾に再利用している。



「ネア、行くよ!」

「はい。アルテアさんを押しますね!」

「おい、動き難いからへばりつくな!」



盾はたいそうご不満な様子だが、ネアとヨシュアは、そのまま待ち合わせの場所まで押し進めた。



「………何があったんだ?」


そんな奇妙な集団の登場には、昨晩出会った獣耳の女性が、思わず顔を顰めてしまうのも仕方あるまい。

名前を知らない獣耳の女性は、エズリの屋敷の前でネア達を待っていてくれたようだ。


とは言え今は困惑に耳を寝かせてしまっており、弱虫達のせいで初対面の女性といきなり対面させられてしまったアルテアも、不服そうに溜め息を吐いている。



「知らん。此奴らに聞け」


アルテアに丸投げされ、ネアは仕方なくぴょこんとその背中から顔を出す。


「………さ、昨晩ぶりです。実はこの盾になっている方が、エズリさんのお宅のどこかで、魔物さんの卵が孵っていると言うものですから……」

「………何だと?!」


その言葉にぎょっとして振り返った女性は、訝しげに屋敷を上から下まで眺め、はっとしたように右側の一階の部屋のあたりで視線を止めた。


(に、二階に上がる階段下の地下室への扉の辺り………!!)


ネアはその位置でもう震え上がってしまい、隣でアルテアの背中に隠れたヨシュアは、ネアが震え上がったのを見て、連鎖的に震え上がった。

死線を共にする仲間なので、ネアはヨシュアが震えながら差し出した手を握ってやり、二人は固く手を握り合う。


(ふっ。これで、一人だけ逃げ出すのは阻止した!)


しかし、感動の場面ではなく、ずる賢い人間がいるだけだ。

ネアが一番恐れているのは、仲間達が逃げ出してしまい、ネアが一人逃げ遅れるホラー映画の最悪のパターンだ。

こうしておけば、ヨシュアは逃げられないのである。


更に言えば、アルテアが逃げたら戦線崩壊するので、逃さないようにしっかりへばり付いておく。


「おい、歩きにくいぞ」

「で、では、紐でお互いの体を結びましょう」

「やめろ」

「わ、私を見捨てて逃げたら、末代まで祟りますからね!」

「悪いが、直系を残さない階位だな」

「…………もしや、ご病気的な…」

「………は?……おい、やめろ。おかしな想像をするな!」



ネアが失礼な想像をしてお大事にという眼差しできりりと頷いたので、アルテアはぎょっとしたように振り返った。

その隙に、獣耳の女性は目の前の家に飛び込んで行ってしまう。

扉がばりんと音を立てたので、ひとまずは礼儀などはかなぐり捨てて強引に押し入ったようだ。



素敵な玄関に空いた穴を見つめ、ネア達は顔を見合わせる。



「………説明は後だ。行くぞ」

「……あの子に任せていいんじゃないかな?」

「お前は帰れなくていいんだな?」

「ふぇ…………」

「大丈夫ですよ、ヨシュアさん。私の手を握っていて下さいね。そして、アルテアさんがどうにかしてくれる筈です」

「うん!」

「ヨシュア、お前の番だぞ」

「や、やめっ、……ぎゃあ!」


哀れにもヨシュアは、べりっとネアが引き剥がされて、アルテアの手で壊れた扉の向こうに魔術まで使われて放り込まれた。

ようやく動きやすくなったアルテアは、戦友を失って悲しげな目をしているネアをひょいっと持ち上げて、特に躊躇いも焦りもなく壊れた扉をゆったりとくぐる。



「…………きゅっ」



しかし、運ばれるだけの筈のネアは、扉をくぐった途端、家中の壁に絵の具で様々な文字が書き殴られている光景を見てくしゃっとなってアルテアの首元に顔を埋めてしまった。

リタイアである。



「顔を伏せているのは構わないが、暴れるなよ」

「…………私は今ここにいません」

「………ったく」


しかし、視界を封じたまま、ばりんだとかぐしゃっという音を聞くのはあまりいい気分ではなかった。

その度にネアの体が恐怖でびくりと揺れるので、アルテアが丁寧に状況を説明してくれる。



「これは、……家主はとうに死んでるな」

「ほわふ………」

「その妄執が残って絵を描き続けて、魔物の卵が生まれたんだろう。家中、屍肉を食らう小さな魔物や妖精だらけだぞ」

「むぎゃ!」


時には知らない方がいいこともあるので、ネアは掴まった臨時乗り物な魔物をばしばしと叩いた。


「ぽ、ぽいして下さい!みんなぽいです!」

「逃げたら困るのがいるんだろ?」

「…………むぐぅ。花籠を持った燃える影法師のような方はいますか?………もしかしたら、花籠を持った普通のお嬢さんかもしれませんが」


ネアがそうアルテアに指示を加えていたところ、涙声のヨシュアが会話に割り込んできた。



「も、門は見付けたから出よう。……ふぇ。……僕、もう一人じゃ寝られない………イーザに会いたい」

「…………よし。確かにそれのようだな。出るぞ」

「アルテア、このキャンバスは?」

「落とさないように金庫にでもしまっておけ」

「わかった」



どうやら、ネアはまだ顔を上げる訳にはいかないが、ヨシュアが頑張ったようだ。


「獣耳の女性の方は?!」

「知るか。家人の亡骸のところだろ。数は多いがこの程度の魔物や妖精で損なわれるような魔物じゃない。放っておけ」

「し、しかし、心配していた知人の方が亡くなっていたのです。きっと、冷静ではないでしょう」

「言ったぞ。放っておけ」



冷たくそう言われ、ネアは何とか怖さを押し殺してアルテアの体からべりっと頭を離すと、床に降りようとじたばたした。



「あの方ではない死者の国の墓犬さんですが、とても恩があるのです。よく似たあの女性を放ってはおけません!」


頑固にそう言えば、頭の上で微かな舌打ちが聞こえた気がした。


その直後、カツンと、ステッキが床を叩く音がする。



「……………なぬ」



あまり周りを見ないように薄眼運用でいたネアにも、屋敷の中が一気に清浄になったのが分かった。

怖々目を全開にすれば、そこに見えたのは、見覚えのある小綺麗な部屋だ。

壁一面に書かれていた文字もなくなっており、夜らしく暗いが普通の家の中に見えた。



だが、ぎしっと階段が軋む音にぎゃっとなっていると、ゆっくりと憔悴しきった様子で降りて来たのは獣耳の魔物だった。


「…………あなたが掃除してくれたのか。………すまない。私はこの街の守り役失格だな。エズリが死んでいたことにすら気付かなかった」

「かもな。だが、人間は予想もしないことばかりするからな」


そう言ったアルテアに淡く微笑み、彼女は魔物らしく優美に頭を下げた。



「彼女を外に出してあげてくれ。浄化が済んでも、ここにはあまり長く居ない方がいい。……それと君、怖い思いをさせてしまってすまない。エズリの絵を見せてあげられなくなってしまった」


アルテアに抱えられたまま、ネアは首を振る。


「いえ。私はただの通りすがりのようなものですから。………どうか、気落ちされませんよう」

「………有難う」



最後に、そう微笑んでくれた女性の目はとても綺麗だった。

ネアはまたつきりと胸が痛み、困ったことに息も苦しくなってしまう。



幸いにも、今は近くに高位の魔物はいないようで、ヨシュアが魔術でロサ達にも門を回収したことを伝え、ネア達は無事に帰路についた。

今回はお友達同士ではないので、外で合流してはしゃいだりはせずに、合理的に各自拠点に戻る仕組みである。



(あの街が燃えてしまうことが、こんなにも苦しいのかしら………)



ネアはぎゅっと苦しくなった胸を押さえ、少しだけ早くなった脈拍に眉を顰める。

アルテアとヨシュアの双方が確認したので、出口はもう無事に確保したのだろう。

後はもう帰るだけなのに、なぜか酷く気分が悪い。



(そうだ。………エーダリア様の言っていた、復活薬も…………)




「…………おい、どうした?」



最初に異変に気付いたのは、屋敷に戻る転移があるからと、ネアを抱えたままでいたアルテアだった。



「むふ…………くらくらします」



そして、ネアの意識が保ったのは、そこまでだった。





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