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184. 怖いものに会いました(本編)



「そうか、その街が鍵となるものがありそうなのか」

「ええ。この国では冷遇されていて、名前のない街なのです」

「ウィリアムは、だからラエタを無印にしたのかな?」

「……報復の為にですか?」


最後に尋ねたのはオズヴァルトで、半日近くロサと二人きりにされたところ、少しばかり耐性がついてきたようだ。

少しずつ、積極的に参加出来るようになってきた。


「それと、こやつを狩ったのですが、持って帰れますか?」

「………なぜ、カワセミを狩ったんだ」

「ペラペラリボン生物めが歩道で遊んでいましたので、今後生活の糧にするべく!」

「………ヨシュア」

「僕には無理だよ!手で叩いて落としたんだよ?!誰にも止められないと思う………」


しゅんとしたヨシュアは、あと数歩で帰宅というこのお屋敷の前で、近くの湖から飛んできたカワセミをはたき落した人間に、べそべそと泣いて怯えた。

ネアには誠心誠意仕えるので殺さないで欲しいと言うので、この影絵から出てネアが保護者の下に戻るまでは、協力してくれるよう優しくお願いしてある。



「さて、晩御飯な気分の朝食を作りますか!」

「カワセミは食べたくない……。それと、君は料理なんか出来るの? 下手そう」

「寧ろ、このぺらぺらめのどこに食べるところがあるのだ。アヒルさんを捕まえてくれば良かったですね」

「アヒル…………」


虐められたヨシュアが泣き出したので、ロサはとても困惑しているようだ。

ロサ曰く、雲の魔物は抜けているところもあるが、基本は魔物らしく気紛れで残忍でもある。

こんな風に扱えるのは、世話役の霧雨の妖精だけなのだとか。



「アヒルを捌けるのか?」


そう尋ねたのはオズヴァルトだ。

こちらも少し空気が読めないので、隣のロサが首を振っているのを見ていないようだ。


「ヨシュアさんが失礼なことを言うからですよ」


ネアが微笑んでそう言えば、オズヴァルトは少し驚いた顔をして、何かを噛み締めるようにして頷いた。


「それと、お料理をしますが、オズヴァルト様はお料理は出来ますか?」

「………サンドイッチは作れるぞ」

「…………もう少し覚えませんか?旅をされているのなら、お料理が出来ると食事の時に新しい知見を増やすという楽しみが増えますよ?」

「………料理か」



少しだけ興味を惹かれたのか、オズヴァルトは厨房まで付いて来た。

ヨシュアはべそべそしながら空いている部屋に入ってゆき、疲れ果てたように自分の部屋に戻るロサの後ろ姿が切ない。



「ジャガイモとチーズが沢山ありますので、フリーコを作ります。これは、ほぼどこでも手に入る材料でとても簡単ですが、美味しくてみんなで楽しく食べれますから」


お鍋が一つあるきりなので、ネアが大胆にお鍋でフリーコを作るのを、オズヴァルトが目を丸くして見ていた。


「はい。お味見して下さい。あつあつで、中のチーズがとろりとしているので、味見が出来る人が一番美味しく食べられるんです」

「…………これを?」


少しだけ躊躇してから、オズヴァルトはネアがフォークで雑に切り分けたあつあつのフリーコを食べた。

はふはふと口に入れ、子供のように目を丸くする。



「美味しい………ものだな」

「ふふ、美味しいでしょう?自分で作れると言うことは、あつあつのものを自分で好きな時に食べられるというものです。そして、その上の段階にゆけば、こうして食べる喜びも勿論ですが、誰かに食べさせてあげるのも楽しいものですよ」

「………誰かに」


そんなネアの言葉に、オズヴァルトは少しだけ途方に暮れたような目をした。

この表情は、かつてのディノがネアの問いかけた言葉にわからないと呟く時の色に似ている。


とは言えネアは自分勝手なので、オズヴァルトがそんな目をしても大事な魔物のようにきゅっと抱き締めてやりたくはならない。

だが、ネアの大事な人達の敵にならないのであれば、幸せになって欲しいなとは思うのだ。



「今は大事な人がいなくても、この世界にはおかしな生き物達が沢山いますよ?想定外のものばかりあるので、いつか思いがけないものがぐっとくるかも知れません」

「……君の例えで出会うなら、私の相手はおかしな生き物にならないだろうか」

「あら、そういうものに振り回されていると、余計なことを考えずに心がすかっとします」

「いや、考え事は嫌いじゃない」

「そんな難しいことではなく、それは多分、黒が似合うとばかり思っていたら、この世界には青い色もあったというような事なのです」


ネアがそう微笑めば、オズヴァルトはどこか困惑したような顔をする。


「………そうですね、私は底の浅い人間なので自分を例えにすることしか出来ませんが、私はとても冷たい人間で、誰かを愛することなど出来ないと思っていました」

「君が?」

「ええ。勿論誰かを愛したいので頑張るのですが、ちくちくしたセーターを着るようにそれはとても不愉快で、なぜか私にだけその誰もが持っているものが手に入らないのです」

「それが、冷たいということなのだろうか。誰にだって、好みはあるだろう」

「私の場合は、そこに結局我が儘で自分が一番大事だという要素がありますから、きっとそうだったのでしょう」


トマトをざく切りにしてお鍋に放り込む。

お鍋の底で牛コンソメの粉のような謎スープの素と香草で炒められた鶏肉にじゅわっと鮮やかな色が合わさり、ネアは木ベラを動かしてゆく。


「そんな私にも、仰るように理想はあるのです」

「それはそうだな」

「ええ。しかし、人並みのものも手に入れられない私がそう言えば、だからだと苦言を呈する方もいるかも知れません。しかし、願いがあるからこそ欲しているので、そんな耳の痛いことを言う方は踏み潰します」

「踏み潰す…………」

「とは言え、実際にはそこまで近しい方すらあまりいませんでしたが」


ネアは微笑んで、トマトシチューのお鍋を見つめる。

この国の整然とした街並みを見たからか、なぜだかこういう家庭的なお料理が食べたかった。

美味しく煮込んでみんなで食べるような、普遍的な食卓が必要な気がしたのだ。


少しだけ視線を彷徨わせて、オズヴァルトは目を伏せたまま淡く微笑んだ。

その作り付けの微笑みを見て、ネアはこれは準備して被った仮面が剥がせないまま癖になっているのだなと思う。



「君の話ぶりだと、私がまるで…」


そこでオズヴァルトは、ネアがスプーンで掬って渡した、味見用のトマトシチューの小皿で呆気なく陥落した。

温かい食べ物というのは、時には人の頑なな心を解くのかもしれない。



「…………そうだな。誰もが持っているものこそ、それを自分だけが手に入れられないというのは、……不愉快なことだ」



それは、静かな静かな声だった。

痛みを引き剥がすようにそっと呟いたそれは、もしかしたら独り言めいたものだったのかもしれない。


(そうか、………この人は、手放してしまった人なだけではなくて、自分の心を自分で動かせずにいる人でもあるのだわ)


ネアは、オズヴァルトの今の言葉を聞くまで、彼は扉を閉じてしまった人だと考えていた。

しかしどうやら、思っていたよりもネア寄りの、そもそもの扉の開け方を知らない人だったようだ。



だから、ネアはそんな彼の変化には気付いていないふりをして、まるで自分の為のように穏やかな声で話を続ける。



「私は、とても惨めでした。困っていて、疲れていて、長い間うろうろするばかりだったのです」



ことこととシチューが煮える音がする。

だとすればネアのその言葉も、独り言めいたものなのかもしれない。



「そして、そんな私にとって、やっと見付けた私だけの素敵なセーターが…」

「契約の魔物だな……」

「ええ。しかしながらその魔物は、出会ったその場で私に酷く当たって欲しいと言い出し、体当たりや頭突き、爪先を踏みつけることを好みます」

「…………爪先を」

「とんでもないものがやって来てとても手に負えないので、私は早急に転職せねばとじたばたしました。……ところが、その魔物はいつの間にか私にとって、とても大事な魔物になっていたのです」

「随分と急展開のような気がするな………」

「急展開だったのですよ。私だって、髪の毛を引っ張って欲しくて、椅子になりたがる魔物が一番大事なものになるとは思ってもいませんでした。たいへんに遺憾に思います」

「…………椅子」

「最近では、腰に紐をつけて拘束されるのが大好きなんですよ」

「ま、待て。それ以上は聞かせないでくれるか」

「むぐぅ。…………という訳で、私の例は極端な特例に振り切っています。でも、だからこそ、この世界には様々な可能性があると知りました」

「君は、………私にも、君が見付けたような存在が現れると?」



ネアは微笑んで首を振った。



「いいえ。私とあなたは違います。以前の私がそう思ったように、誰かが出来たから誰にでも出来るものではないのですから。……だから、私が言いたかったのは、この世界はあまりにも色々なものがあり過ぎて、全てのセーターを調べ尽くしたと思っていた私にすら、知らないセーターばかりだったということでしょうか」

「…………私にも、まだ試していないセーターが、沢山あるということか」

「うちの魔物は長生きなんですよ。そんな魔物が、今は安心して幸せそうにしてくれています。でもね、私が幸せになれたのは、気の遠くなるような時間を過ごしたその魔物が、それでも欲しいものを諦めずに私を呼んでくれたからなのです」

「…………諦めずに」


最後にネアも味見をし、よしっと頷いてお鍋の蓋をする。

あとはサラダを作って、パンとバターとハムとジャムで簡単だが家庭的な食事の出来上がりだ。



「努力を諦めずにだなんて、面倒なことは言いません。あなたはただ、欲しいものを欲しがることを諦めなくていいのだと思います。この世界には、沢山の種類のものがありますから、きっと欲しい物が十個くらいはありますよ」

「はは、十個もいらないな…」


そうオズヴァルトが笑ったので、ネアは眉を顰めて顔を向け、彼をぎくりとさせた。



「………ネア?」

「十個も手に入るだなんて、なんと甘い見積もりでしょう!十個中五個は、己の力不足で向こうに却下される可能性とてあるのです。かく言う私も、素敵な竜さんには恋でもないのに謎に振られ、お友達になって下さいとお願いした髪結いの魔物さんからは、嫌だという短い返答の後に窓から逃げられました。年明けの星祭りでは、山程集めた星屑は全て砕け散りましたしね!…………人生は残酷です」


酷く暗い顔でサラダ用の葉っぱをちぎり始めたネアの迫力に押され、オズヴァルトは慄いたままこくりと頷いた。


「とは言え、この世には欲しいものを欲しいだけの層がいるのも事実。そんな奴らなど、みんな箪笥の角に足の小指を強打して滅びればいいのだ。私は、同性のお友達がせめて一人欲しいのです…………」


そして今度はドレッシング作りでオリーブオイルを取り出していると、オズヴァルトがぽつりと呟いた。


「…………私は、一番下の弟と、上手く接する事が出来ないんだ。人外者達とも、あまり絆を深めることが出来ない」

「弟さんは嫌な奴なのですか?」

「そうではないが、………愛するということと、愛されるということを、息を吸うように出来る人間だ。……私には、弟がわからないことが多い」

「私にも分からないと思うので、別の種族だと思いましょう。きっと、違う星系から来たのです」

「……………違う星系?」


オズヴァルトは一瞬窓の外を見てしまってから、恥じ入ったように視線を戻した。

案外天然的な要素もあるのかもしれない。


「星々の向こう側、お空の向こう側ですね。それと、代理妖精さん達は家族のような方にはならないのですか?」

「彼らは、私を選んでくれたとは言え、仕事の為に忠義を尽くす者だからな」

「と言うより、我欲の為に忠義を隠れ蓑にする方も多いようですけれどね」

「………我欲の為に?」

「あの方々は、我々よりも遥かに純粋で真っ直ぐなのです。残酷さも高慢さも、ある意味とても無防備なもの。………もし多分、そういう中であなたを愛する方がいたら、あなたがその方を最後まで愛さなくても、あなたを愛し続けるかもしれないというくらいに、人外者さんの好意はべっとりとしています」

「…………ん?べっとりと?」

「私の魔物もよく、私の髪の毛の抜け毛を集めて封筒に収集していました。大事な魔物であっても怖くて堪らないので、………基本的には、無防備で素直な方々ですが、間違った相手に好かれたら終わりだなという感じになるのも否めません。オズヴァルト様は、人外者さんが好みそうなご容姿なので、注意して生きて下さいね」

「あ、ああ…………」

「その代わり、オズヴァルト様が誰かを望めば、その想いが叶う率も一般人よりは高そうですね」

「…………そういうものか」


オズヴァルトはストーカーに出会う可能性を知って怯えてもいたが、さり気なくネアからそちらの畑もいいぞと勧められ頷いてしまっていた。

人外者に食わず嫌い感があると、この世界の可能性もだいぶ狭くなってしまうので、ネアはこっそりその間口を広げておきたかったのだ。



「ロサさんとお話をして、どう思いましたか?」

「…………白薔薇の魔物に、生きている内に出会えるとは思ってもいなかった。ましてや、こんな風に食卓を囲んだり、同じ屋根の下で過ごすなど……」

「でも、そんな白薔薇さんも実は苦労性な雰囲気の方です。ヨシュアさんが泣き出した時に、胃を押さえてましたしね」

「………確かに、あれは大丈夫だろうかと思った。と言うか、君の発言でも時々途方に暮れているが……」

「あら、それは我慢していただきませんと!人間というものはとても我が儘で強欲で、そして残忍な悪いやつなのです。長生きをしている強い方が、渋々受け止めるしかありませんね」

「…………無防備でもあるから?」

「ふふ。そこにつけ込む悪い人間でしょう?」



そう微笑んだネアに、オズヴァルトは目を瞠ったままこくりと頷いた。

剥き出しの瞳にはようやく、青も赤も、はたまた他のどんな色だって、無限に可能性があるのだという期待が見える。



「因みに、オズヴァルト様はどんな方に出会いたいのですか?」

「………それが、まだよく分からないんだ。伴侶が欲しいのか、友人が欲しいのか、……或いは部下や、その他の関係を欲しているのか」

「まぁ、それだけ多様な空き枠があるなら、どれかは埋められそうですね!」


ネアがそうはしゃげば、オズヴァルトは目を瞬いてから少しだけ微笑んだ。


「…………だといいが」

「まずは、ここにいる間にロサさんやヨシュアさんとも、もっと仲良くなれるといいですね。権力というものではなく、純粋に生きる為の、力のある方の好意は探し物の旅の安全を保障してくれますから」

「………君は、とても自由で、そして強いのだな」

「かもしれません。かつては世を儚んだ引き篭もりでしたが、今は我が儘に生きるという自由を得ました」

「いや、強いからと言え、苦難はあるだろう。……だが、…………上手く言えないが、君とこうして話せて良かったと思う」

「そう言って貰えて良かったです。私はとても自分勝手なので、私の大切なものを損なわないところであれば、オズヴァルト様にはとびきり幸せになって貰いたいという気がするので」


抜け目なくそう重ねたネアに、オズヴァルトは少しだけ苦笑したようだ。

こくりとしっかり頷いてから、慣れない言葉を怖がるように控えめに呟く。


「……………有り難う」

「どういたしまして。私の方が先輩ですからね。さて、お食事にしましょう!」



そこでネアは、ロサとヨシュアを叩き起こし、まだぐずっているヨシュアを引き摺りながら食卓に着かせた。


ロサは脆弱な人間と突然テーブルを囲ませられたことで固まっていたが、トマトシチューだと喜んでスプーンを握ったヨシュアをじっと見つめ、丁寧に食事前の祈りの言葉を呟いてからスプーンを取ったオズヴァルトを見る。


「なにこれ、美味しい!」


ヨシュアは状態保持の箱に入れられほかほかを保っていたフリーコが気に入ったようで、多めに切り分けるとはぐはぐと食べている。

とても上品だが、なぜか大はしゃぎの犬の食事のような不思議な食べ方だ。


ネアは視界の端で、ロサがふるふるしながら長いものに巻かれる感じで食事を始めたのを見ていた。

フリーコは別に普通の味だぜな感じだが、トマトシチューは気に入ったようだ。


「ロサさん、そう言えば、こちらでは今日は何日なのでしょう?」

「小麦の月の十六日だ」

「あの名前のない街に、祟りものさんが投げ込まれてしまうのはまだ先ですよね?」


ネアはそのことが心配だった。

あの街が焼かれてしまい、出口となる花売りが消えてしまったらどうしよう。


(そして、……出来ればあの街が焼かれるのは見たくないな………)


獣耳にふさふさの尻尾の女性が思い浮かび、また少しだけ胸が痛む。

一つのものが滅ぶということは、そこで健やかに暮らしてきた人々の命と歴史が失われるということだ。

心を壊したくないのなら、冷酷なようだがあまり関わり過ぎないようにしなければ。


「その日までは十日程ある。終焉には、既にこの国の状態を伝えた後だ。だから、………幸いにも、私とヤドリギはもうこの国にはいない」

「そうだったのですね。複雑なことになりそうなので、良かったのかも知れません」


ネアの言葉に、ヨシュアがフリーコの切れっ端を齧りながら首を傾げた。


「切り取られた期間は、それが条件なのかもね。滅びが決まってからの時間だけ、この影絵になったんじゃないかな」

「………だから、この時期に他の魔物方がどこにいるのか、あなたはご存知なかったのですね?」


そう尋ねたオズヴァルトに、ロサは特に尊大な反応もせずに普通に頷いた。

このような場だということもあるが、一度垣根を超えてしまえば、人間側が思う程に彼等は特別ぶらないのだ。


「だが、闇の魔物が終焉の気配を察し、滅びの日よりも数日前に国を出たと聞いている。林檎と白百合もその時にこの国を捨てたのだろう。……小麦は、元々忙しい時期だからな。ラエタから離れ、他の麦畑のある国を巡回していた」


食器の触れ合う音に、紅茶を注いだり、グラスを鳴らす音。

この食器は屋敷にあったもので、オズヴァルトの見立てによるとかなりの工房の作品だろうということだった。

とろりとした青みのある淡い黄色の陶器で、とても綺麗なセットだ。


「……それにしても、その花売りの絵のある屋敷にお前が住んでいたのは、まさに僥倖だな」

「伊達に収穫の祝福を集めていませんよ!」

「そっか、だから君は強いんだ……」

「収穫の祝福………」

「手を何かで強化して、リズモを鷲掴みにするのです!そして解放と引き換えに守護を毟り取って下さいね」

「…………リズモに、まずは出会わなければだな」


オズヴァルトは複雑そうに笑ったが、その表情の変化にヨシュアは気付いたようだ。


「あれ、仲良くなってる。それに君、ぱっとしない雰囲気が少し減ったね」

「………ぱっとしませんでしたか」

「僕、よく分からない考え事ばかりをしているような生き物は嫌いなんだ。あれこれ言われても面倒だからね。それに、僕が困っている時に助けになるように、万全でいない従者なんていらないし」


スプーンを持った手を行儀悪く揺らしながら、ヨシュアは魔物らしい嗜虐的な微笑みを浮かべた。


「あらあら、この世には従者以外の方もいるでしょうに」

「僕は、あまり人間とは遊ばないよ。従者でもない人間なんかと関わる必要がないからね」

「では、ヨシュアさんも健やかに沢山食べたので、起きたらきりきり働けますね」

「…………ほぇ」


微笑んだネアにそう言われ、ヨシュアはすすっとロサの側に寄り、食事を終えたロサには、ではまた後でと立ち上がられてしまった。

立ち上がった白薔薇の魔物は、ふいっと手を振ってテーブルの上の汚れた食器を一瞬で綺麗にしてしまうと、食器達は淡く光って消えてしまった。


「ほわ、お皿が失踪しました」

「元あった場所に戻っている。食事の準備をすまなかったな」

「まぁ」

「それとヨシュア、お前も少し働くように」

「………え」


ロサはそのまま部屋に戻ってゆき、残されたヨシュアは拗ねたように椅子をがたがたさせた。


「白薔薇なんて枯れればいいんだ」

「そうなりますと、ヨシュアさんが二倍働くようになりますよ?」

「………ふぇ」

「ですので、ロサさんと協力すれば早く帰れますからね」

「………うん、早く帰りたい」


しゅんとしたヨシュアと、行け今だ慰める感じで少し距離を詰めろとネアに目で促されたオズヴァルトも追い出され二階に追い立てられた。




部屋には、また馴染みの静けさが残る。

くあっと欠伸をして、ネアはしわしわする目を擦った。



「…………さて、朝日だけ見て少し和んでから、私も寝ないとです」



窓から庭を見ると、柔らかな朝陽が庭の花壇を照らし始めていた。

庭木を透かす陽光で澄んだ緑が際立ち、薔薇や百合がその色を縁取る。


そんな光景を暫く眺めてから、トントンと階段を踏んで二階に上がり、ロサに決めて貰った客間に入った。

なお、三階部分に家主である貴族の部屋があるが、魔物らしく当たり前のように一番の貴賓室を押さえたロサも、その部屋は嫌だったようだ。



「ふふ、この部屋も可愛らしいですね」


淡い檸檬色の壁紙には可憐な小花模様がある。

少し大きくなった子供の部屋なのかなと見回し、今回ばかりは子供扱いのお陰で随分とロマンチックな部屋に泊まれると喜んだ。



“ディノ、私はこれから寝ますね。こちらはいいお天気で、十六日だそうです”


返事はすぐさま返ってきた。

ずっとメッセージを待っていると可哀想なので、先程このくらいの時間にまた連絡すると書いておいたのだ。



“怪我はしてないかい?怖かったら言うんだよ?”

“オズヴァルト様を、少しだけ善良な旅人に誘導しておきました!”

“………彼が、君に何かを言ったのかい?”

“いいえ。でもあの方は、昔の私に少しだけ似ています。それはつまり、行き詰まっていると突然何をするか分からないので、うっかり悪さに手を染めないように、自分ごとに夢中になって貰いたいと思いまして”

“そうすると、悪さをしたりはしないのかな?”

“欲しい物がある方は、その他のことなどどうでも良くなりますからね。あの方は、私にとってのディノのような存在が欲しいのでしょう”

“歌乞いになりたいのかな?”

“かちかちの心を溶かしてくれる、大好きになれる存在が欲しいようですよ”

“ずるい。…………ネアが甘えてくる”


やはり文通でもくしゃりとなってしまう魔物におやすみをいい、ディノも少し寝るようにといいつけた。




(そう言えば、…………)


最後に、ディノが一つだけ念を押したことがある。

明後日の十八日には、名前のない街に行ってはいけないと言うのだ。

リーエンベルクに合流したウィリアム曰く、確かその日にその街に行った記憶があるらしい。

ロサやヨシュアの存在に気付かれると面倒なので、その日は出歩かない方がいいということだ。





「でもさ、ウィリアムの記憶ってあてになるのかな………」

「むぅ、不吉なことを言わないで欲しいのです」


そんなことを言ったのはヨシュアだ。



二日目は、シャワーを手早く浴びてから充分に睡眠を取り、夕方に食べるけれど朝食な食事を作った。

そこで学んだことは、美味しいご飯と声を出して普通に会話の出来る相手、ふかふかの寝台のある綺麗なお家があれば、人間はかなり落ち着いて過ごせるらしいということだ。



そして、名も無い街への来訪は、表面担当はネアとヨシュアになった。

少し離れたところからオズヴァルトとロサが街に入り、ネア達とはまた別の切り口で街の調査をする。


早速、昨晩と同じ道筋で、ネアとヨシュアは名前のない街を訪れていた。



(秋の祝祭か何かの準備かしら?)


ネアがそう思って見上げるのは、全ての街灯に飾られた木の実のリースだ。

赤と紫のリースにはふくよかな金色のリボンがかけられ、見ているだけで華やかでうきうきした気持ちになる。

昨日はなかったので今日からのものなのだろう。



「見て下さい、可愛いリースですね。楽しい気持ちになります」

「あの実は食べられるのかな」

「…………むむぅ。ゼノよりは、ダナエさんやほこり寄りですね……」

「ほぇ?」



そんなお喋りをしながら、昨晩よりは格段に気楽な思いで歩いていた時のことだった。



ざわりと、風の音が遠のく。

鉄錆のような香りが鼻腔に届き、けれどもそこにはうっとりと酔いしれるような葡萄にも似た甘い香りもあった。



こつりと、石畳が鳴った。



ぎくりとしたネア達の視線の先で、何もなかった場所に陽炎のように揺れるコートの裾と、軍靴の爪先が現れた。


ばさりと揺れるコートの裾は、漆黒のロングコートだ。

けれどもそれは美麗なコートのシルエットを浮かび上がらせつつも、決して過分に人目を惹くものではない。



最後にやはり当たり障りのない髪色に擬態した頭のてっぺんまで現れ、その男は、まるで親しい友人にでも出会ったかのように穏やかに微笑むではないか。



「君は誰だ?」



しかし、その微笑みにネアは背筋が寒くなった。

低い声は優しく、けれども暗い部屋でじっと覗き込む水盆のような緊張を孕むような暗さがあった。



(私の知らない声だ)



そう思うのは、ネアが聞いたことのある冷たい声のどこにも、こんなひたひたと侵食するような暗さがなかったからだ。



魔物の声だ、とふと考えた。



(これは、知らない、怖い魔物の声だ)




「………画家さんにもう一度素敵な絵を描いて欲しいだけの一般人ですが………」



こくりと喉が鳴った。

かさかさする声でそう答えると、ネアをじっと見下ろした終焉の魔物は温度のない微笑みを浮かべた。



「この国の人間じゃないな」



それはまるで、死刑台で聞く断罪の言葉のように、低く甘く響いた。












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