182. 参加者が増えました(本編)
ロサとオズヴァルトが部屋に引き上げてしまったので、応接室で優雅なお茶会をしているネアがまず見たのは、ディノからのメッセージだった。
あちらは執務時間明けで、一緒にエーダリアもいるそうで、まずはディノとの会話を優先させてくれた上司に感謝するばかりだ。
“ネア!”
やっとカードに応じてくれたご主人様に大喜びする大事な魔物とお喋りするだけで心が安心したのか、ネアは急にお腹が空いてきた。
ロサとオズヴァルトは、お茶を飲むだけで引き籠ってしまったので、まだ何もお腹に入れていないのだ。
首飾りの金庫から慎重に少しだけ取り出した焼き菓子を一つ開封し、残りの数と最大滞在時間の計算をしておく。
食べ物やお菓子で困ることはなさそうだが、通貨がどんなものなのか分らないので、後でどうすれば買い物が出来るのかをロサに確認して貰おう。
“ネア、ラエタが滅びたのは暦通りなら翌月のことだ。念の為にそちらの日付を調べておくといい。影絵での時間というものはね、時々間の数日間が欠けていたりもするんだ”
“そんなずるい運用があるのですね!うっかり最後の日になってしまわないように、まずは今日が何日か調べて来て貰います。後で、ロサさんとオズヴァルト様が街に出て、出口捜索に行くそうですので”
ロサが同行者だということは、最初のやり取りの際に伝えてあった。
世界に数居るネアの知り合いではない高位の魔物の中では、一番この魔物であって良かったと思えるような相手だと聞かされ、ネアは一安心している。
簡単に言えば、他人には魔物らしいが、王様への忠義は誠実に果たす系の魔物のようだ。
ただし、アイザックとはとても仲が悪いので、決してアイザックへの好意などを口にしてはいけないとの注意もある。
“白薔薇はね、かつてアイザックとは古い友人だった。薔薇と欲望は切り離せないものであったし、お互いが関わるものが共通していることも多かったから”
そう教えてくれたディノは、その後に起きた悲しい出来事を綺麗な文字で綴る。
“でもね、白百合が伴侶を失いかけていた時、アイザックはそれを白薔薇には言わなかったようだ。アイザックにとっては、林檎の魔物を殺した精霊の欲望も、彼の庇護するところだったのかな”
“ロサさんは、白百合さんと仲良しだったのですね?”
“いや、彼等は友人同士だったが、君が今いるラエタでのことを切っ掛けに決別している。それでも白薔薇は、かつての友人の伴侶を救う機会があればそうしただろう”
“…………むむぅ。しかし、もう仲良しさんでもない方の為に、常にその奥様の心配をしていられないのでは?”
“林檎の魔物が殺された時、彼はほど近くの森にアイザックと居たようだ。アイザックは何が起きているのか気付いていたそうだからね”
“………………まぁ”
だから彼にも、失われたものへの後悔が見えるのだろうかと、ネアは得心する。
或いはこの国へ向ける複雑そうな思いの一端は、元気に生きている頃の林檎の魔物を見るのが苦しいのかも知れない。
自分がかつて守れなかったものを見るのは、例え夢でも嫌なものだ。
“因みに、彼の真名はネビアという。何かされたら、名前を使っていいからね”
“はい。でもその前に、激辛香辛料油で、容赦なくやっつけます!………とは言え、面倒見のいい優しい方のようですよ。頑固な部分もありますが、ディノの為に私を保護しなければと、健気に考えているようです”
“エーダリア達がね、このカードの存在は弟には知らせたくないのだそうだ。だから、後で白薔薇だけしかいないところで、私の言葉を見せてやってくれるかい?念を押しておこう”
“あらあら、脅してしまうのですね”
“君が困ったことにならないようにね”
その言葉の柔らかさに、ネアはぬくぬくした毛布に包まれたような気持になった。
その温かさに口元が緩んで、ネアは一人の部屋でにこにこしてしまう。
やはり、この魔物の存在はそういうものなのだ。
ふと、死者の国でディノが駆け付けてくれた時の安堵感を思い出した。
“ネア、ゼベルだが……、あの呪いは火竜を殺し、対象を取り込む作りになっていてな”
しかし、その直後エーダリアのカードに書かれた言葉に、ネアはざっと血の気が引いた。
くらりと揺れた視界で続きの言葉を待っていると、とても長く思えた一瞬の後に、待ち望んだ言葉が現れる。
“幸い、エアリエル達が気付いてゼベルを守ったようだ。とは言え危ないところであったが、ディノが治癒を施してくれてな”
“ディノ!ゼベルさんを助けてくれたんですね!有り難うございます!!”
“君がいたら、そう願うだろう?”
“ええ、勿論そう願ってしまいますが、ディノに負担はありませんでしたか?”
“あんなことでかい?”
ディノは心配性のご主人様が可愛いのテンションになってしまったが、エーダリア曰く、出血も酷く手当てが遅ければ深刻な障害が残ったかも知れない怪我に見えたと、ガレンの魔術師達は話していたそうだ。
とは言え、一瞬で治癒されてしまったので、本人的には痛みというよりも衝撃しか感じていない内のことだったらしい。
(でも、私が振り返って見付けた時は、ただ壁際に倒れている姿しか見ていない……。血を流してはいなかったように思う……)
“私は、ゼベルさんを探してあの場に立ち止まった自覚があったのですが、正確には私達は、一瞬であの場から消えてしまっていたのですね?”
加えて、ネアが驚いたのはそのことだった。
ゼベルが、血も流さず受けた傷の痛みを自覚しない内の短い時間に、ネアは視線を彷徨わせ、ディノはネアを取り戻そうと手を伸ばしていた。
呪いによる捕獲魔術で発生する時間の歪みのようなもので、寧ろあの一秒にも満たない刹那の内にディノが手を伸ばせたのは万象だからこそだったのだとか。
“正確には、君とエーダリアの弟だけが呪いの対象だ。ネビアは、君がいるラエタの国そのものに呼ばれたのだろう”
ディノが重ねてそう教えてくれ、あの直前にディノがロサに声をかけたからこそ、ロサがネアをディノの指輪持ちとして認識したことも判明する。
会話をしていたロサがどこかに引き摺り込まれ、ディノは慌てて振り返ったのだ。
(そうなると、ディノが彼の存在に気付いてくれたお陰で、私はロサさんの助力を得られているのだわ)
“それと、…………オズヴァルトは問題ないか?”
控えめな問いかけをしたのはエーダリアだ。
こちらは、エーダリア自身の問題だけでなく、ディノの手前も気になるのだろう。
“俺は大丈夫だぜ的な強がりさんですが、複雑な方なのは分かるので、怖くはありませんが少し注意して見ておきますね”
“オズヴァルトが、………強がり?”
“このような国で、それを自分の選択で終わらせてしまったロサさんと一緒で大丈夫なのかを心配したのですが…”
“本人に言ったのだな?”
“む、エーダリア様に透視能力が!”
“………複雑な人間だと考えておきながら、なぜ本人に言ったのだ”
そう尋ねられて、ネアは首を傾げた。
確かに言わなくても良かったというような気はする。
現に彼は少し距離を置いてしまったし、言われたくないこともあるだろう。
庭の木が風に揺れる影を見ながら、ネアは自分の心と向き合った。
“…………多分、私は少し後ろめたいのです。かつての私のような目をして、私よりもきっと繊細に傷付いたオズヴァルト様や、案外良い方な薔薇の魔物さんが、ここで心を痛めると思うと、今はもうすっかり幸せにのんびりしている私は、あの方達に言い訳して手助けをしてあげたいのかも知れません”
言葉を書きながら、ネアはそう思った。
他の誰であれ放っておけるし、彼等とてそこそこ他人でしかないのだが、それでも少しばかり心が揺れる。
それが苦しみだと知るが故に、あまり無理をしないで欲しい。
けれども、ただ手伝いを申し出るだけでは突き返されてしまうので、その傷を知っているが大丈夫だろうかと尋ねたくなったのだ。
“むむ。………私の自己満足な感じがしたので、もう踏み込まないようにしますね。お二人ともいい歳の男性ですし、自分で頑張って貰いましょう!”
ネアがそう宣言すれば、ディノからはすかさずそうだねと相槌が入る。
この早さはきっと本気の相槌なので、ネアは踏み込み過ぎたことだけではなく、魔物を寂しがらせてしまったことも反省した。
“でも、なぜ、オズヴァルト様はあの博物館にいたのでしょう?”
それでもオズヴァルトの話題を続けたのは、事件との因果関係の有る無しによって、こちらでの関わり方が変わるからだ。
若干こちらでは空気寄りの存在感だが、一含みあると怖い。
“アルビクロムの王が作った彫像が、死者の国の生き物であることは、ガレンの上層部と王族内では有名な話だからな。当人はヴェルリア王家への献上を望んだが、息子はあえて中央には渡さなかった。不穏な主題の彫像を見せて、中央の怒りを買うことを恐れたのだろう”
その結果、あの対の彫像はアルビクロムで博物館に保管された。
あの博物館を訪れた王族は、第五王子だけなのだとか。
“その時には問題はなかった筈だ。アルビクロム王家の血を引く者は避けるよう、条件付けがあったに違いない”
“もしかしたら害のあるものかも知れないのに、オズヴァルト様は、あの彫像を見てみたかったのでしょうか………”
“だからこそか、それでもか、………判断に苦しむが、博物館の監視妖精をダリルが脅した結果、オズヴァルトは真っ直ぐにあの展示室に向かったと話していたそうだ”
“まぁ、監視妖精さんが…………”
であれば、彼は死者の国について考えていた時期だったのかもしれない。
そうなると更に心配なので、所詮他人事とは言えこちらでの活動に支障がない程度には、様子に注意していてやる必要がある。
(あえて呪いを受けてしまいたくなったとか、死者の国に自分も行きたいとかでなければ良いのだけど……)
滅びゆくものは周囲の者達をも滅ぼすことがある。
ネアは少しだけ気を引き締めて、誰もいない部屋で頷いた。
“今、そちらに誰かが入れないかを確かめているからね”
そう言ってくれたのはディノだ。
やはり、ディノがこちらに入り込むと、影絵の世界ごと崩れてしまう可能性が高いので、中のネア達が巻き込まれて空間のあわいで迷子になってしまうと危険なのだそうだ。
“死者の国なら擬態して大丈夫だったのだけど、精霊の呪いの理を利用した影絵となると、私の魂そのものに紐付く階位で判断されるようだ。試してみたが、呪いが軋んだのですぐに諦めざるを得なかった……”
“大丈夫ですよ、ディノ。こちらには白薔薇さんもいますし、いざとなれば春告げのチケットを使いますから”
“………うん”
そこで、ネアは一度カードをさっと仕舞い込んだ。
ロサとオズヴァルトが降りてきたのだ。
「あら、休めませんでしたか?」
「お前の方こそ、あまり気を張らずに部屋で休んでいるといい」
そう言ってくれたのはロサで、なぜか少しだけ目線を彷徨わせている。
おやっと思ってオズヴァルトの方を見たが、そちらも少しだけ居心地が悪そうだ。
「…………お腹が空きました?」
「…………そうではない。その、一人で残ることに不安もあるだろう。だが、この屋敷は条件付けをした結界で守りを固めておく。安全なので怖がる必要はない。…………それをきちんと伝えていなかったからな」
「私も、君は私の心内を慮ってくれたのに、跳ね除けるような言い方ですまなかった」
「……………まぁ」
どうやら男達は、上の階にある自室に戻ってから少し反省したようだ。
何だか少しもじもじしているので、ネアも丁寧に頭を下げた。
「いいえ、私の方こそ、他人のご事情に踏み込み過ぎたと反省をしているのです。私にも似たような選択をした過去があり、そのくせに今はすっかり幸せに生きていますので、一人気楽な分もっと頼って欲しかったのです。私はこの国を見ても、痛む心はありません。ですので、嫌な場面があったら頼って下さいね」
ネアがそう詫びれば、男達は顔を見合わせてまだ子供なのにと呟く。
「なぬ」
「可動域が六となれば、君はまだ子供なのだろう?年上に見えるが……、すまない、女性に言うべき言葉ではなかったな」
「子供なのだから、下手に気を回さず大人しくしていろ」
「濡れ衣です!私は立派な大人なのですが、可動域だけ様子がおかしいのです!」
「………だが、可動域が低い者は成人出来ないのではなかったか?六ともなれば、まだ幼児だろうに……」
困ったような顔をしたロサに言い含められ、ネアはがくりと肩を落とした。
「なんて嫌な世界なのだ!」
「幼い者は幼い者なりに、悩みがあるのだな」
「むぐぅ」
「寧ろ、その幼さで先程のような過去があるのなら、君は苦労したのだね」
「私は生まれ育った国では充分に大人でしたし、こう見えて強欲で邪悪なのですよ!」
ネアはいきり立ったが、ロサとオズヴァルトは、子供にはこうしていきがってしまう時期があるよなというような生温い空気を醸し出し、申し合わせたように優しい言葉をかけて偵察に出かけていってしまった。
怒り狂った人間は長椅子で弾んで怒りを発散していたが、思い出してカードを開き直す。
“ネア、大丈夫かい?”
そんな言葉が揺れていたカードに、二人が来たのでと返事をし、念の為に次回にもこのようなことがあった場合にハートマークを描いたら今は対応出来ませんの合図とした。
“……………ディノ?”
“ご主人様が大胆過ぎる……”
“………星マークも考えたのですが、書く速さを考慮したのです。大事な印ですので、我慢して下さいね”
“…………ずるい”
魔物はたいそう恥らってしまっているようだが、エーダリア達は粛々と受け止めてくれた。
意味のない記号よりも、もし目撃されてもハートなどの方が恋文めいていて、不信感を持たれないだろうとネアの選択を褒めてくれる。
ネアはそこまでは考えていなかったが、確かにそれならさっと隠してもおかしくはないだろう。
“それと、先程の会話が途中になったが、こちらでもその中に誰かを送れないか試行錯誤しているところだ。ネイ……ノアベルトとヒルドが今、現場で扉の残骸を調べている。まだ魔術の道の残滓が残っているらしいから、ラエタと縁があり、ある程度の魔術容積の者なら、お前の脱出の支援に入れるかも知れない”
“…………エーダリア様、……とても嬉しいのですが、ご負担になりませんか?”
ネアが思わずそう尋ねてしまえば、カードの向こう側で一瞬躊躇したのか文字が途切れた。
特にヒルドは、アルビクロムとの相性が悪かった筈だ。
無理をさせてしまっている気がした。
“お前に何かがあるのが、一番恐ろしいからな”
“むむぅ”
“そして、これはあくまでも機会があればで構わないが、………ラエタには復活薬という薬が存在したのだそうだ。もし製法や商品など、何かを持ち帰れそうな機会があれば頼んでもいいか?”
“復活薬ですね。勿論です!このような機会は滅多にないので、災いを転じてお役に立てれば嬉しいです”
“ノアベルトからその話を聞いてな。死者を生き返らせる薬は近代では禁忌だが、お前の周りには何かと事故が多過ぎる……”
ネアへの追加ミッションをディノが許可したのは、エーダリアがそれをネアに使おうとしているからのようだ。
“ほわ………”
そこでネアは、アルテアのカードを見て絶句した。
やっとお返事があったのかと思ったところ、あまりにも衝撃的な文字が揺れていたのだ。
“…………エーダリア様、……その、すぐにノアやヒルドさんからご連絡が入るかもしれませんが、………アルテアさんからご連絡がありまして、今回のことを知って荒ぶったウィリアムさんの手で、雲の魔物さんがこちらに放り込まれたようです”
“………………ん?雲の魔物が?”
“ヨシュアがかい?…………”
“なぜそうなったのかさっぱり分りませんが、……ええと、とりあえず頑張って合流しようと思います”
ここで衝撃の事件の真相を知るべく、ディノとエーダリアは一度カード文通を中断した。
あまりにもあんまりな展開なので、どうしてそうなってしまったのかを調査するのだろう。
ディノまでが慌てているようなので、ネアは首を傾げた。
(ウィリアムさんが、どうして雲の魔物さんをこちらに送ったのかしら?)
ネアがその魔物に出会ったのは一度限りであるし、それ以外に接点はない。
或いは、雲の魔物はこのラエタの地をよほど得意としているのだろうか。
そんなことを考えて今度は反対側に首を捻り直していると、ばすんと窓が鳴った。
ぎゃっとなって振り返ったネアは、あんまりな流れに瞠目する。
「……………早い」
そこには、悲しげな顔をして髪の毛もくしゃくしゃになった雲の魔物が項垂れて立っている。
庭の方から入ってきてしまい、庭に出ることが出来る扉付きの大きな窓を叩いたようだ。
あまりにもしょんぼりとしているので、ネアは仕方なく入れてやることにする。
「…………ヨシュアさん、どうされたのですか?」
「ウィリアムにここに落とされた」
「その、…………このお屋敷のお庭までは、白薔薇の魔物さんの結界があった筈なのですが?」
「この庭に落とされたんだ。でも、屋敷の中には招かれないと入れなかった……今は僕の方が階位が上なのに………」
もそもそ入ってきたヨシュアは、じわっと涙目になる。
前回人面魚で散々脅されたので、ネアのことが相変わらず怖いようだ。
「…………ふぇ。…………ウィリアムが、君にあれだけ懐いているのだから、君を守るのは僕の役目だって言うんだ。ちゃんと君を元のところに戻さないと、また僕の首を刎ねるって………」
「ヨシュアさんに懐かれた記憶がないのですが………。そして前にも首を刎ねられたのですね………」
「僕も懐いてない。君は怖いし…………ごめんなさい」
「であれば、他のどなたかと勘違いしたのでしょうか?」
「…………だと思う。でも、話を聞いてもくれないまま、この影絵の中に放り込まれたんだ」
しゅんとして項垂れたヨシュアは、器用にも床から少しだけ足が浮いている。
地面に足が着いてしまうと弱るそうなので、その対策なのだろう。
美貌の魔物なので、こんな風になってしまうと不憫さが倍増し、ネアはターバンの頭を撫でてやりたくなった。
「むむぅ。ウィリアムさんは、時々容赦のない感じになりますからね。私のお知り合いも、よく悪さをして刺されてしまっているのです」
「…………これから、昼食だったのに」
「あら、お腹が空いているのなら、パンとハムが少しありますよ?」
「味が濃くて暖かいものが食べたい」
「面倒臭っ」
「……………ふぇ」
厳しく一喝されたヨシュアは、じわっと涙目度合を上げて、それでは収まらなかったのかぽろぽろと泣き出してしまった。
幸い涙は自動的に空中で消すシステムのようで、ネアは呆れたように叱られた魔物を眺める。
「温かいものがいい……」
「粘りますねぇ。ハムをお鍋をフライパン代わりにしてハムステーキにしてあげましょうか?」
「汁っぽいものがいい」
「さようなら」
「………………ふぇ」
そこから、半号泣で涙ながらにヨシュアが語ったことによると、今は仲良しの霧雨の妖精が里帰りで城を空けてしまっており、誰も起こしてくれなかったのだそうだ。
大事な舞踏会も寝過ごしてしまい、そのまま三日ほど眠っていたらしい。
そしてお腹ぺこぺこで起きて寝惚けたままでいたところ、お城に乗り込んできたウィリアムに首根っこを掴まれてこの呪いの影絵の中に放り込まれたのだとか。
(それは、…………何と言うか、不憫な感じが)
さすがにネアも可哀想になり、何か暖かな食べ物を与えてやりたくなる。
しかし、まだ市場にも寄っていない現状では、この国のお金もなければ、スープに出来そうな食材もないのだ。
「どうにかしてあげたいのですが、この国のお金も持っていない状態なのです」
「………ラエタだったら、まだ持ってると思うよ」
「なぬ」
そう言って、ヨシュアはおもむろにターバンの隙間に指先を突っ込んで中を探り始めた。
じゃりじゃり音がするが、このターバンには一体何が入っているのだろう。
眉を寄せたまま見守っているネアの前で、ヨシュアがえいっと取り出したのは小さな茶色いお財布だ。
よれよれになったその財布には、容赦なくペンか何かでラエタのお金と書いてある。
「あった」
「…………ほわ。お金が手に入りました。どれくらいあるのですか?」
「うーん、…………結晶貨幣が五枚あるから、家が買えるくらい?」
「なんと、一気にお金持ちですね」
そんなことをわいわいやってると、すばんと部屋の扉が開いた。
「…………ヨシュア?!」
焦ったように部屋に飛び込んで来たのは、ロサとオズヴァルトだ。
「…………ネビアだ」
「………どうしてお前がここにいるんだ?」
「ウィリアムに落とされたんだ。彼女を守るようにって」
「終焉に……?」
「ロサさん、お庭からの拾い物です!」
「拾い物…………」
話を聞けば、ロサ達は屋敷の結界が揺らいだので慌てて戻って来たらしい。
ヨシュアの説明を聞き、全員が解せぬという表情になる。
「…………お前は、ウィリアムの何なんだ」
「むむ。説明が難しいですが、ディノを介してお知り合いになったのです。一緒に毛皮の会を立ち上げ、もふもふ獣を愛でる仲間になりました」
「ウィリアムは、獣など興味がないと思うが……」
「僕、子犬に擬態してても剣で串刺しにされたことあるよ」
「癒しが欲しくて、もふもふに目覚めたのでしょう」
「それで、ヨシュアと?」
「いえ、ヨシュアさんは一度お会いしたことがあるだけで、知り合いという程ですらないのです」
「…………夜にこの子を狩ろうとしたら、叩きのめされた」
「それは、シルハーンは怒るだろう」
「この子にだよ。それと、その時はノアベルトがいた」
「………ノアベルトが?」
さっとロサがこちらを見るので、ネアはこくりと頷く。
若干オズヴァルトの前でみんな話し過ぎだと思ったが、不都合があれば最後に記憶をくしゃっとやればいいのである。
この辺り、ネアは自分至上主義なので容赦も躊躇もない。
なお、ノアに関しては、ディノとヒルドの監修の下、こういう時用に定型の返答が用意されていた。
「ノアはウィームが好きですので、仲良しなんですよ」
こう答えれば、もし個人的な関心があるならばと悪意を抱く者がいたとしても、塩の魔物の守護対象はウィーム全域として認識されがちだ。
何しろ、塩の魔物がかつてのウィームの歌乞いに恋をしていたのは有名な話なのだから。
「………だからなのか。どこかでお前のことを見たことがあるような気がしたんだ。ノアベルトなら、舞踏会などにも足繁く顔を出すからな」
「………まぁ、そうだったのですね」
「ネビアは、いつも取り巻きに囲まれ過ぎて舞踏会の記憶が曖昧だよね」
「さては人気者なのですね?」
ヨシュアの説明によれば、白薔薇の魔物は高階位の魔物の中でも、理想的なお相手とされるらしい。
「四席までは階位が高いから女の子も高位じゃないと近付けないし、僕はこんなんだし、白百合は暗いから、ネビアに集中するんだ。でも、ウィリアムは例外的に愛想がいいから同じくらい囲まれてる。……怖いのにね」
「ウィリアムさんの場合は、当たり障りがないという気がしますね」
「うん」
そこでネアはふと、部屋の隅っこで固まっているオズヴァルトが心配になった。
「オズヴァルト様、こちらのご新規さんは怖くないですよ?」
「し、しかし、雲の魔物なのだろう?」
「…………え、何でわかったの?」
「……あなたは、ターバンに煙管を持つ白い魔物、地面に足を着けないと伝承にありますので」
「………伝承」
ヨシュアは正体が簡単にばれたことでかくりと項垂れてしまい、オズヴァルトはまだそれでも距離を詰められずにいる。
ネアが首を傾げていると、普通の人間には魔術的な抵抗値の限度があり、精神圧を抑えなければ側に寄るのは難しいのだと、ロサが教えてくれた。
(何だか、ロサさんは引率の先生な感じがしてきた……)
きっと白薔薇の魔物的には、自分は本来こんな魔物ではないという反論があるだろうが、現状はほとんどそんな感じである。
「…………とりあえず、我々は街の探索に戻ろう。ヨシュア、留守番を頼む」
「僕、この子と食事して来る」
「………ヨシュア」
「大丈夫だよ。僕は君より階位が上だし、器用な方だからね」
ネアは、じゃあ先程までの泣き虫っぷりは何なのだと言いたいところだが、ロサ達が来てからのヨシュアは比較的しゃんとしていた。
そして、食べ物への熱意から随分とぐいぐい押している。
ややあって、ロサは根負けした。
階位が上でも迂闊なところがあると心配していたが、やはり階位がものを言うらしく、ヨシュアが言い包めてしまったのだ。
(何だか、弁の立つ甘えん坊の末っ子のような感じ……)
その気になれば常に一定以上に頭の回るノアとは違い、どうもこの雲の魔物は自分の興味のあることに対しては頭が回るようだ。
ついでに出口の捜索もと言われると、途端に返答が怪しくなった。
「と言うことは、私はヨシュアさんの面倒を見ればいいのですね」
「…………すまない」
ネアの言葉に、ロサは暗い顔でそう呟いた。
精神的なケアが必要にならないよう、ロサのことも注意していてあげた方がいいだろうか。
「いえ、ついでに市場も見て来ます。人が多いところは、情報も行き交いますから」
「尋ねて回るのはやめるように。ここは、前にも言ったが余所者が滅多にいない国だからな。ヨシュアも、擬態をするように」
「………ターバンは」
「ターバンはなしだ」
そう言われてしまったヨシュアは、少しだけふるふるした後でこくりと頷いた。
かくして、ラエタ捜索班は、早々にグループ分けがされたのである。
アルテアやディノのカードには、ロサからヨシュアのお世話係を任されたと書いておいた。