181.影絵の国で話し合います(本編)
「と言うことですので、お宿をどなたから捥ぎ取ることになります」
「捥ぎ取る………」
「せっかくの素敵なお宅を死蔵している贅沢者は、どこにだっているものです。許せませんね!」
「そ、そうだな……」
ふんすと胸を張ってそう宣言したネアに、オズヴァルトとロサは顔を見合わせている。
とんでもない奴が混じってしまったという目をしているが、ネアからすれば何だかこの二人の方が心配に思えてきてしまった。
「まずは、私腹を肥やしていそうなお金持ちの寝込みを襲うところからです」
「………その言い方で良いのだろうか」
「あら、ロサさん。当初の案のように滅ぼしてしまわないのですから、荒っぽく聞こえても優しい作戦なのでは?」
あの後、ロサとオズヴァルト、ネアはあらためて顔合わせをし直した。
ロサに事情説明を任せている間に、ネアは木の影でメッセージカードを使ってディノに連絡をした。
こういう時、善意の味方がいると楽なものだ。
ディノと連絡が取れるかどうか秘密のやり取りをすると言えば、ロサは頼もしく頷いてくれたので、ネアは彼は忠実なひと柱だと言っていた魔物の言葉を思い出した。
最初は、文字がカードに吸い込まれて消えるまでに時間がかかったのでとても心配になったが、ぼうっと光った文字が無事に消えたので、送られたと認識していいだろう。
そう考えてそわそわしていると、ネアが行方不明になったときはこれという認識をしてくれていたのか、ディノがすぐに返信してくれた。
そうして大事な魔物と連絡が取れることさえ分ってしまえば、後はもう気楽なものなのだ。
いざとなれば、ネアには春告げの舞踏会で貰ったチケットがあるのである。
とは言え、ディノに何かがあった時など、この先に幾らでも使うべき場所がありそうなものなので、もう駄目だと思うような場面になるまでは、温存しておこうと思う。
ディノが持つご主人様呼び寄せチケットは、仕込まれた魔術の量から今回は使えないと判断された。
“ネア、怪我はしていないかい?”
“私は大丈夫ですよ。ディノは?そしてゼベルさんもご無事ですか?”
きっとこのカードの向こう側で、ディノは悲しい目をしているのだろう。
どうしてご主人様はいつもどこかに吹き飛ばされてしまうのか、それはやはり、自分がこんな世界に呼び落としたから他者の運命に影響されやすいのだろうかと悩みながら。
そんなことを考え、胸が痛くなったネアは、丁寧に言葉を重ねて自分は大丈夫だと伝えておいた。
“また沢山文通が出来ますね。でも、大事な魔物に会えないのは悲しいので、ディノが無理をせずにここから出られる術が見付かれば嬉しいです”
そう伝えておくことも忘れないようにした。
でないと、魔物はまた、自身の何かを削り落としてしまいかねない。
それでは困るのだ。
そしてネアは、カードの三刀流を素早く切り替える。
ディノはネアを案じるばかりで、ゼベルのことは忘れてしまったらしい。
“エーダリア様、ゼベルさんは無事でしょうか?私は吹き飛ばされてしまったので、事情はディノの方が詳しいかもしれません。今私達がいるのは、ラエタという街で、ご一緒している薔薇の魔物さんの言うことには、ここから出口になる扉を見付ければ帰れるそうです。それと、申し遅れましたが第三王子様も一緒にこちらに落とされました”
そして、アルテアのカードにも書き込みを入れた。
“使い魔さん、事件に巻き込まれてしまいました。私は、精霊さんの呪いからラエタという街に落とされ中なので、ディノとお話してあげてくれますか?”
そのあたりまで書いたところで、ロサからオズヴァルトへの事情説明は終わったようだ。
カードを仕舞ったネアが立ち上がってそちらに合流すると、なぜか第三王子は頼りない子供の様な目でこちらを見るので、ネアは凛々しく頷いてやる。
高位の見知らぬ魔物との差し向かいは怖かったようだ。
そんな経緯もあって、さくさく移動しましょうと現場指揮を取ってあげることになったのだった。
「ロサさん、この国はどうやって滅びたのですか?」
「最終的には、終焉がこの国を焼き尽くした。疫病が蹂躙し、死の精霊達が死者の行列となって練り歩き、今ではこの土地は深い砂に埋もれている」
「…………それは、林檎のオアシスがあるところなのでしょうか?」
ネアがそう尋ねれば、ロサはまた少し目を瞠ったようだ。
「あのオアシスを知っているのか?」
「ええ。サナアークのオアシスというところで、林檎の魔物さんから生まれたオアシスの内の一つだと、連れて行ってくれた方に教えて貰いました」
「そうか。…………いや、あの砂漠はもっと東になる。そして、サナアークが砂漠になるのは、この六百年後のことだ。まだこの時代は、林檎と白百合は伴侶ではなかった」
そう教えてくれたロサは、どこか澄んだ目で淡く微笑む。
諦観と後悔の入り混じったような奥深い瞳の色に、ネアは、薔薇の魔物は、林檎の魔物か白百合の魔物との間に、何かがあったらしいぞと考えた。
「ロサさん、この町に白百合さんと林檎さんがいるのなら、もしお二人との間に何か問題がある場合は、言っておいて下さいね。私はうっかり問題になるような方に遭遇しやすい体質なので、出来るだけ避けるようにしますから」
特に遠慮もせずにそう言っておいたネアに、ロサは呆れたような疲れたような目をして、隣のオズヴァルトにどこか不憫そうに見られている。
オズヴァルトは元王族らしく高位の魔物の存在を人事不省にならずに受け止めはしたが、とは言え会話はぎこちないままであるし、畏れのようなものは隠せずにいる。
魔物が持つ白というものは、そう易々と受け止められるものではないようだ。
「………この国が滅びるまでは問題ない。それと会話が逸れたが、この国は選択の魔物と欲望の魔物の蹂躙を受け、最終的には終焉の魔物に滅ぼされている。街の瓦礫一つすら残らずに砂になったのは、最高位に近しい魔物達が複数でこの国を灰燼に帰したからだ」
「…………選択の魔物さんと、欲望の魔物さん。そして終焉の魔物さんですね」
ネアは、何とも言えない気持ちでその名前を反芻した。
どの魔物も良く知っている魔物だが、この影絵の中にいるのはネアの知らない時代の彼等なのだ。
何だか悔しい気持ちになるが、見ず知らずの誰かとして認識するより他にない。
「知っている魔物もあるだろうが、こちらもやはり、見ず知らずの他人として認識するように」
「はい。お知り合いだと思って躊躇せずに、何かをされそうになったら容赦なく滅ぼしますね」
「いや、お前は魔術可動域が六しかないではないか………」
「………六?!」
不用意なロサの言葉のせいで、オズヴァルトまで動揺してしまい、ネアはじっとりとした目になった。
可動域を馬鹿にされた人間がぴりぴりして歩くので、男達は困り果てたようにしている。
ネアを腫れ物扱いするばかり、控えめだがそれぞれに意見を交換し、そちらはそちらで意志疎通が図れるようになってきていた。
「さて、本来ならあの城門で入国審査となるが、国民ではない我々は経由せず入るしかない」
「誰かの屋敷を奪うと話していましたが、あなたの力で、併設空間を作れたりはしないのですか?」
そう尋ねたのはオズヴァルトだ。
しかし、ロサは静かに首を振る。
「影絵の中に空間の増設は出来ない。他の空間を作り込めない以上、野宿など以ての外。拠点となるべき場所は最重要項目だ」
「不法入国してお金持ちを襲うのですね。今の気分ならば、素敵に別宅を毟り取れそうです」
邪悪な宣言をして微笑んだネアを見て、ロサはぎくりとしてから、すすっと視線を逸らしてからオズヴァルトの方を見た。
「転移で、魔物の気配や、守護の薄い場所に入ろう。幸い、今の私であってもこの時代の白百合や林檎よりは階位が上で良かった」
守護をかけた土地への侵入に気付かれないだけの力の差があって良かったと言うロサに、ネアは少しだけ心配になって首を傾げた。
「闇の魔物さんというのは大丈夫なのでしょうか?言葉的に、とても強く思えるのです」
しかし、そんなことを言ったネアを、男達はどこか呆れたような目で見るのだ。
ぐぬぬと眉を寄せて困り顔になったネアに、オズヴァルトは優しく微笑みかける。
「君は深層まで知っていることもあれば、子供でも知っているようなことを知らないんだな。兄上の方針なのだろうか」
「………む?」
「闇の魔物というものは、個人では力を振るえない高位の魔物だ。高位の存在ではあるが、調和などを司り大きな力は持たない」
「で、では、世界を滅ぼしたりはしないのですね?」
「世界を滅ぼす………?」
ぎょっとしたように言葉を返してしまったオズヴァルトの隣で、ロサも眉を顰めている。
「ええ。私の育ったところで有名な闇の魔物さんは、複数名いらっしゃいましたが、皆さん世界を終わらせたり焦土にしたりと、破壊活動が大好きな方々ばかりでした。私が大人になる頃には、本当はそんなことは望んでいなかったと言いながら滅ぼす系の面倒なやつになり、更に近年は実は幼馴染がそうだったりと、親近感まで武器にするようになってきたのです………」
「………お前の育った国はどこなんだ」
思わず不安になってしまったらしいロサはそう尋ねたが、ネアの答えた地名が分かる筈もなかったようだ。
オズヴァルトには、かなり過酷な土地で育ったのだなと労われてしまう。
「と、取り敢えず、城壁の中に入るぞ」
「はい!」
転移の時、ロサはオズヴァルトに自分の服を掴ませ、ネアのことは落とさないように片手で持ち上げてくれた。
若干、逃げないように拘束している手のお陰で、獲れたての大きな魚を押さえているような感じでもある。
そこまでしなくても脱走したりはしないので、リード等はやめていただきたいと申請しておく。
落ち込んだロサからは、大真面目でそういう趣味はないと言い返されてしまった。
「………湖沿いの緑地に、荘園地帯があった。あの辺りが無難だな」
「お国がどうこうなるなら、中心地に近いところにいないと、有事の際に出遅れませんか?」
「騒乱で滅ぶ国ではない。それに、荘園地帯にいても中心地までも近い」
またふわりと、転移の薄闇を踏む。
この影絵の中であれば、転移とて可能なのだと知り、ネアはますます不思議な場所だという思いと謎に包まれる。
「ロサさんは、この国のことをよくご存知なのですね」
「私も、この国に守護を与えた魔物だったのだ。………だが、その強欲さに失望し、終焉を呼び込んだ魔物の一人となった」
「…………まぁ、そうだったのですね」
どこか懐かしみ愛しく思うように、それでいて嫌悪するように、不思議な揺らぎで瞳を向けるのはだからなのかと、ようやくネアは得心した。
ここは、ロサにとってもかつて愛した因縁の土地であるのだ。
そして、その告白に視線を揺らしたのはオズヴァルトだ。
かつて市場で出会い、その瞳を覗き込んでこの人はどんな過去を、罪と思い抱えているのだろうと考えたネアは、今度こそその陰りのようなものの形が見えた気がした。
やはりこの王子は、愛するものをこそ見捨てたのではないだろうか。
彼の目に映る諦観には、分りやすいぐらいの終末の気配がする。
それは、遠い日に黄色い花から抽出した毒を手にこちらを見返した鏡の中の自分の瞳であり、最後の瞬間に倒れてゆくネアを見ていたジークの瞳に浮かんだ確信のようなもの。
最近で言えば、自分を殺すかもしれないものを愛してしまったとどこかで理解していた、ラッカムの不思議に澄んだ瞳のような。
死にゆくものを見送り、健やかなものを傷付け、形を成していたものを崩してしまった者特有の、終わりの後の静けさのようなもの。
(ウィリアムさんも似たような目をすることがあるけれど、やはり価値観が違うからなのか、人外者のそれと、人間のそれは違うような気がする)
それは、この世界に来てから気付いたことだった。
持ち時間が長く、遥かにその手の感傷を多く抱えるからか、魔物達の諦観はもう少しさらりとしていて、そして鋭い。
いつか溢れ出したその瞬間に己を殺してしまいそうな人間の諦観とは違い、魔物達の諦観はどこか、より多くのものを滅ぼしてしまいそうな災厄に似ている。
「お一人で、ウ………終焉の魔物さんを呼びに行ったのですか?」
「………いや、私とヤドリギの魔物と二人の力を合わせなければ、終焉を呼ぶことは出来なかった。……私もまだ若かったからな」
それは不変の魔物という生き物しか知らなかったネアにとっては、不思議な言葉だった。
「む?ロサさんにも、お若い頃があったのですか?」
「ああ。植物の系譜の魔物はな、派生したばかりの頃はその司るものの全てを治められる訳ではないのだ。私も、林檎も、小麦も、かつては脆弱な魔物だった。……そうか、小麦は今はもう、麦の魔物と言うべきだな」
であれば、大麦は支配出来なかった頃の麦の魔物なのかなと、ネアは考える。
当時は、林檎は実がない時期には力を振るえず、薔薇もまだ純白の薔薇が少ない時代だったらしい。
「………その、終焉の魔物さんは、昔から凄い方だったのですか?」
「我々のような育み変化する資質の魔物とは違い、事象を司る魔物達は派生した時よりその全ての条件を変えない。今でもそうではあるが、この頃は呼び寄せるだけでも容易ではなかった高位の方だ」
ネアはふと、ウィリアムを呼び出すのに薔薇とヤドリギを使うのはそのことに由来しているのだろうかと考えた。
ここから戻ったら、ウィリアムに聞いてみよう。
そして、三人はまずお宿の確保をすることにした。
「素敵な強奪ぶりでしたね!」
「…………さあな」
二時間後、無事にネア達は押収したお屋敷の一つに拠点を構え一息ついていた。
ロサの選定があり、あまり高位の魔物と関わり過ぎない貴族の一人を選び、その別邸をいただいたのだ。
ロサはやはり高位の魔物らしく高慢にその資産を押さえてしまったが、ネアから素敵な冷酷さだと褒められてしまってから、なぜか居心地が悪そうにもぞもぞしている。
それともそれは、ネアに後ろからぐいぐいやられて生活必需品なども強奪する羽目になったからかもしれない。
薔薇の魔物がどれだけ長生きか知らないが、お鍋や包丁を人間から奪ったのは初めてだろう。
「…………鍋はいるのか?」
「お鍋は必要ですよ。食べることは生きることの基本なのです。そして、こちらは夏しか過ごさないお宅なので、あまり食べ物もないと仰っていましたからね。本宅とは言え、お鍋は四十五個もいりません!」
ネアが大事に抱えているお鍋には、強奪してきたパンや茶葉、卵にチーズとハムも入っている。
ネアの感覚であれば、まず初日は外食よりも拠点であれこれ密談したい。
これから夕方までに軽食を取って、仮眠を取ってから夜に起き出すこの国に繰り出さなければ、疲弊してしまうではないか。
(………随分昔の時代のようだから覚悟していたのだけど、お屋敷は普通に今とあまり変わらないみたいだわ)
シャワー的なものもあるし、強奪したお屋敷は住み心地の良さそうな中規模のものだった。
長方形の外観に円柱と可愛らしい窓が並んだ一般的な貴族の館の一つで、ネアの好みではないが華やかな檸檬色の外観は、美しい庭園に囲まれて夏の別宅に相応しい爽やかなものだった。
ロサや王族であったオズヴァルトは手狭だがと言ってしまうが、ネアからしてみれば充分な広さである。
オズヴァルトが持ってくれていたポットと包丁も受け取り、がらんと広い厨房に設置する。
家事妖精はこちらで手配するしかないので、ネアが三人分のお茶を淹れた。
窓からは午後の陽が差し込んでおり、庭のオリーブの木が柔らかな風に揺れている。
檸檬の木に百合や薔薇が咲き乱れ、楽園の国と呼ばれたに相応しい美しい光景だ。
ネアがそう言えば、一般階層の国民が住む街を見れば、その感想は変わるかもしれないとロサが言う。
「………私はなぜ巻き込まれてしまったのでしょう?あの暗闇の中にいらっしゃったご老人は、特定の方に恨みを向けていたようですが」
「……………統一戦争で恨みのあったヴェルリアの王族と、火竜だ」
そう教えてくれたのはオズヴァルトで、青い瞳にどこか申し訳なさそうな光を湛えている。
だが、自分のせいで巻き込まれてしまったのではと案じるその裏側には他人行儀な気配も透けて伺えるので、彼は見ているより遥かに複雑な人なのだろうとネアは思う。
そういう意味では、ロサの方が遥かに分かりやすい。
「だから、オズヴァルト様に反応を?」
「ヴェルリア王族の血を引いているからな。今回のことは他に、火竜の宝石がたまたまあの場にあったことで起きた事故のようだ。誰かが、あのご婦人の傘を部屋に持ち込んだのだろう」
「むぐ。それはまさか、赤い宝石が持ち手に埋め込まれた赤い傘のことでしょうか?…………階段の踊り場に転がっていたので、落し物だと思って持ち込みました」
「…………それだな」
「しかし、傘は当時別の方が持っていたのです」
「……そうなのか?」
そこでネアは、傘は初めはディノが、そしてそれをネアの手を介してゼベルに渡したところであったのだと説明した。
最初に理解したのはロサだ。
「あの方が持っている間は、あの方の纏う魔術が障壁となり、呪いが介入出来なかったのだろう。しかしそれを、手放したことで呪いが正式に発動するきっかけを得た」
「最初の毒吐きは、不完全な発動だったのですよね?」
「ああ。傘だけが近くにあり、この男が少し離れていたからかもしれないが、発動の要素が僅かに足りなかったらしい。もしかしたら、傘を持っていた騎士ではなくお前が落とされたのは、何か欠けていた要素を持ち合わせていたからかも知れないな」
「…………なぬ」
それは一体どんな要素なのだとふるふるしていると、ロサはこの町に強く残る守護の一端に由縁するものを持っていないかと尋ねてくる。
「一般的には、ラエタと最も由縁があるのが終焉だ。終焉が滅ぼし、終焉はこの国を基盤に死者の国を作ったと言われている。お前は確か、死者の国に落とされたのだろう?」
「…………はい」
「死者の国に?」
驚いたようなオズヴァルトに、ネアは人違いだったのだと答えておいた。
言いたくはあるが、あなたの弟のせいで落ちたのだと文句を言うのはやめよう。
「でも、なぜそんな要素を必要としたのでしょう?呪いをかけたいお相手に、そんな要素がありますか?」
「統一戦争時のヴェルリアの王は、死者の門をくぐったことのある、珍しい人間だからな。契約していた精霊の尽力で息を吹き返したのだとか」
「むむぅ。……であれば、そういう要素で標的を絞ったのですね………」
ロサの考えでは、この国に元より因縁のある自身と、そしてヴェルリアの王族の血を引くオズヴァルト、そして標的の絞り込み要素である終焉の気配を持つネアが、偶々火竜の結晶石の近くにいたことで、呪いはこの三人を引き摺り込んだのではないかという推理だ。
それならば、死者の国に迎えに来てくれたディノや、あの赤い傘を持っていたゼベルにも一緒に来て欲しかったという解せない気持ちになったが、往々にして運命というものは不条理なものなのである。
「…………であれば、終焉の魔物さんならば、ここに出入り出来るということでしょうか?」
「私はあまり因果の規則は詳しくないのだが、終焉がここに入れるのは、この国が亡びる日だろうな。その前に訪れてしまうと、この影絵がやはり破綻しかねない。だが、終焉の加護を受けた者、終焉の系譜なら…………どうした?」
そこで、ネアがくしゃくしゃになって蹲ったので、ロサは驚いたようだ。
慌ててオズヴァルトがネアを引っ張り上げてくれたが、悲しみは収まらなかった。
「…………最近、私にとても懐いている魔物さんが、その終焉さんの祝福を受けたのです。しかし、少し特殊な事情がありましたので、そんな物騒なものはぽいしようという感じになってしまい、破棄したばかりでして…………」
ネアがしゅんとしながらそう告白すれば、ロサは少し口惜しそうに目を細めた。
彼の美貌は華やかで気品があるので、そうすると王様か王子様にでも叱られているような気分になる。
「…………それは惜しかったな。内部に落とされた者と因果関係があり、尚且つ終焉の祝福があればどうにかなったかもしれない。一度外部から道を繋げば、その瞬間をシルハーンに捕捉していただき、命綱と出来たかもしれなかったが…………」
「……………命綱が………」
そこでネアは、もう一度その魔物が終焉の祝福を貰えるかどうか尋ねてみると言ったのだが、ロサに慌てて止められてしまった。
終焉は、穏やかなようで何を考えているのか、どこで切り捨てるものとしての線引きをつけるのかが一番危うい魔物であり、不用意に関わりを深めてはいけないのだという。
もう充分に濃い関係だと自負しているネアは、その忠告には視線を逸らしつつ曖昧に頷いておいた。
「…………シルハーンには近しい魔物でもある。面識があるんだな」
「…………あるのです。時々面倒………繊細な感じに悩まれていますが、優しい方だと思うのですが」
「であればそれは、お前がシルハーンに属する者だからだ。終焉は本来、終わりと滅びを司り、それを導く者に過ぎない。穏やかで理知的な魔物でもあるが、お前のような脆弱な人間が終焉を信用するなど以ての外だ」
そう言われたネアは、淡い水色の瞳を見上げて首を傾げた。
灰白に白いまだらのある髪は艶やかで、襟足に少しかかるくらいで丁寧に整えられているのが清廉さをも感じさせる。
彼はやはり白薔薇だそうで、まさしく白薔薇という感じがするのが、目の前の魔物だ。
「不思議ですね。同じ魔物さんでも、あの方のことをそう思ってしまうなんて。終焉というものは元々そういうものに思えますので、終焉さんを終焉さんとして見ている限り、それこそが揺るぎない信用で良いのだと私は思います。ただし、生態や気質の違う別の生き物ですので、警戒を怠ったりはしないのですが……」
「………お前は、終焉を恐れない人間なのか。であれば、終焉の子供だった可能性もあるんだろう。ではいっそうに、終焉との縁を深めるな。人間は、すぐに死んでしまうではないか」
「…………ロサさんは、排他的な感じのする魔物さんらしい魔物さんに見えますが、優しい方なのですね」
ネアが微笑んでそう言えば、ロサはどこか冷やかな呆れたような目をした。
「私が、か?」
「ええ。人間に寄り添う魔物さんという意味ではなく、あくまでも違う生き物の方ですが、その中では優しい方のような気がします。言葉を惜しまずに説明してくれますしね」
ネアの言葉にロサは少し嫌そうな顔をした後、お前は楽天的な人間なのだなと呟いた。
ここでそういう感想であれば、この魔物はまず間違いなくいい人なので、ネアは内心ほくそ笑んでおく。
「…………ネア?」
教えてはいないが相変わらず名前を知られている他人枠のオズヴァルトが、不穏な微笑みを浮かべたネアの名前を思わず呼んでしまった。
「むむ。ついつい、何と無防備な魔物さんだろうという感想がお顔に出てしまいました」
「…………無防備」
「人間とは、隙を見せれば魔物さんなど狩ってしまう恐ろしい生き物です。そんな邪悪な生き物に親切にして下さり、尚且つこちらの心配をしてくれる方が、無防備と言わずして何と言えましょう。そういう方が傍にいて下さると頼もしいのですが、悪いやつに騙されないように守ってあげなければいけませんね!」
「…………この、高位の方を?」
「はい。私の苦手な形をしていない生き物であれば、踏み滅ぼして差し上げます!」
しかし、意気込むネアを男達がじっと見た後、軽食を食べた後の街の捜索は、ひとまずロサとオズヴァルトで出掛けることにされてしまった。
「…………むぎゅう。仲間外れ反対なのです」
「お前は、可動域が六しかないだろう。何かがあってからでは遅い。この屋敷から出るな」
「おのれ、なんたる仕打ち!せめてお庭に出るくらいの楽しみは……」
「庭までだ」
怒りのあまり長椅子でぼすぼすと弾んだ人間に恐れをなしたのか、ロサは結界の範囲を庭まで広げてくれた。
とは言え、仲間外れには違いないのでしゅんとしたネアを、オズヴァルトが慰めてくれる。
「君は、あまり出歩かない方がいいだろう。随分と過去の国のようだし、そういう時代は、魔術の濃い土地が安定していなかったと聞く。君はまだ年若い女性だし、どうか守られてくれないだろうか」
「…………オズヴァルト様は、お一人で大丈夫ですか?ロサさんに苛められてしまったりしません?」
「私ごときで役に立つかは心配だが、そのような不安はない。大丈夫だよ」
「そして、ここはそう遠くない内に滅びる国です。そのような場所を歩き回って、お心は傷付きませんか?」
青い瞳を真っ直ぐに見てそう問いかけたネアに、オズヴァルトは小さく息を飲んで目を瞠ったようだ。
ややあって、唇の端に作り慣れたような淡い微笑みを浮かべる。
「それは、私が失った者だからかい?」
「いいえ。あなたが、決別を選んだ方だからです。受け身の喪失であれば、大仰に外側に向けて泣けるでしょうが、あなたは多分、そういうことの出来ない亡くし方をした人だと思うのです」
「………………君は………」
何かを言いかけて言葉を失い、オズヴァルトは意味もなく小さく首を振った。
幾つかの疑問と言葉を飲みこみ、今度は先程よりも安定した作り笑いで微笑む。
「兄が何かを言ったのかもしれないが、私は過去の問題を受け止めて生きている。心配せずとも大丈夫だ」
「あらあら、頑固者なのですね。では、もし胸が潰れそうに痛んだり、目の前が暗くなるようなことがあれば、無理をせずにロサさんに訴えて下さいね。こちらの魔物さんは何だかんだ心配性な魔物さんですので、きっとお気遣いいただけるでしょう」
「………なぜ私をその誤認のまま設定するんだ」
「ふふ。こちらもこちらで頑固者です。私は大人しくお庭で、知らずに訪れた妖精さん達を滅ぼして遊んでいますので、お二人で楽しく街歩きをして来て下さい。怖いことがあれば、助けを求めに戻ってきてもいいですからね」
「…………目が少しも笑ってないが」
ロサはこの人間はどうやら怒っているようだぞと理解したのか、そそくさと自分で割り振った部屋に逃げて行った。
オズヴァルトもオズヴァルトで、表面上は当たり障りなく、しかし微かな拒絶めいた態度を滲ませて部屋に入ってゆく。
ネアにも勿論一室宛がわれていたのだが、ネアはあえて談話室に残ったまま、大きな窓から素敵な庭園を見ていた。
(…………あの人は、きっと私よりも優しくて不幸な人だわ)
ネアがそう思うのは、オズヴァルトのことである。
ネアが選んだものは復讐であったが、彼はどんな理由で選んだにせよ、そこにネアのような憎しみはなかったのだと思う。
そしてまず間違いなく、自らの選択で何かを手放した人なのだ。
(だから、そういう失い方によってもたらされる心の痛みは、私には分らない)
少なくとも、ネアは後悔だけはしなかった。
ジーク・バレットに恋をしていたのだと理解しても尚、あの病室に残された薔薇の花を思っても尚、あの行為に明確な理由があった以上、彼の死を後悔したことはない。
だからもし、そういう理由ではなく誰かを手放し、そのことを後悔するのであれば、或いはその不在を惜しむのであれば、その胸の痛みは如何程だろう。
かつて自らの意志で愛したものを切り捨てこの国を滅ぼした魔物と一緒に、まだ健やかな時代のこの国を歩いて、やるせなさに息が詰まりそうになってしまったりはしないだろうか。
(私は、悪夢の中で見た過去の情景が、とても怖かった………)
終わったものでも、飲み込んだものでも、やはり胸は疼く。
オズヴァルトが一番心配だが、ロサに至っては当事者なのに、またこの国を歩くことをどう受け止めるのだろう。
となれば本来、一番冷静に街を見れる筈のネアこそが、一緒に出掛けた方が良さそうだとやはり思う。
今はすっかり幸せになってしまったので、余裕をもって現場に立ち向かえるような気がするのだが。
「それなのに、あんなに頼りないお二人で出掛けてしまうなんて……」
ネアは困った男性達だと溜め息を吐きながら、お茶を飲み、自らなかなかの腕前ではないかと微笑んだ。
テーブルの上に、落とさないよう首飾りの金庫に仕舞い込んでいたカードを開く。
どのカードにも返信が来ていたので、よしと意気込んでから、お返事に取りかかった。