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金木犀と終焉と万象



「ウィリアム様!ウィリアム様どこにいますの?!」



そう呼びかける声に眉を顰めて、ウィリアムは深々と溜め息を吐いた。

頭を抱えたくなるが、金木犀の魔物の気持ちの波に合わせて、どうしてこう身を潜めてしまうのかも分からない。

排除してしまえばいいのだが、実は今回の金木犀は三代目なのである。

そして、なぜか毎回このようなことになるのだ。


であれば今代は、排除せずにじっくりと伴侶にするつもりはないと理解させたかったのだが、なぜか気持ちの浮き沈みによっては別人のようになる金木犀は、この数日間はかなり前向きになってしまっているようだ。



(…………はぁ、先月までは倦厭されていた筈なのに、どうしてこうなったんだかな)



ここはとある高位の魔物の城の中で、主人は高い階位は持たないが、多くの属性の者と関わる為に随分と顔の広い魔物だ。

高貴な面立ちの老女姿の魔物だが、力を振るう時は美しい若い女であると聞く。


ウィリアムはそんな彼女の姿を見る機会の多い立場だが、とは言え親交が深い訳でもない。

だが、こうして招かれた際には、仕事の合間を縫って訪れるくらいの礼儀は果たそうと思う。

そうさせるだけの気質を、今回の舞踏会の主人が持ち合わせているからだ。



(まぁ、目的があったこともあるんだが……)



しかしその目的は、金木犀の魔物のお陰で上手く果たせそうになかった。

また溜め息を吐き、ヨシュアの捜索を諦めて舞踏会から立ち去ろうとした。


そのとき、ざわりと人々の声が揺れ、さっと壁際に魔物達が下がるのが見えた。

この現象には見覚えがあるので、ウィリアムは身を潜めていた控え室の一つからそろりと抜け出し、大広間に身を晒さない位置を選んで静かに待つ。



やがて、ひそやかに交わされる囁きの海を縫って、凄艶な白い姿が現れる。

こちらを見た万象は、僅かに目を細めて酷薄な微笑みを浮かべた。



「やあ、ウィリアム。ここにいたんだね」

「珍しいですね、シルハーン。あなたがこういう場所に来ることはあまりないと思っていましたが……」

「探している者がいたんだ。ノアベルトが、少し君のことを心配していたから」

「………ん?俺のことをですか?」

「そうだよ」



婉然と微笑んだ万象の精神圧に、近くに控えていた白百合が顔色を悪くするのが分かった。

白百合とて高位に近い公爵の魔物であるが、こうして精神圧を隠しもしない万象には抗いようもない。


(………信奉者ではない者の方が、辛いのだろうな)


万象には一定数の信奉者がいる。

それは勿論万象が万象であるからこそなのだが、その反面、万象が万象らしくあればある程に王である彼を得体の知れない恐ろしい者として認識してしまう者も多い。


事象を司らない花の系譜達は特に、万象を敬いながらも恐れる傾向が強く、白百合もそのひと柱だ。

この場合、ヨシュアのように気弱な魔物と比べても、ヨシュアより遥かに理知的な魔物とされる白百合の方が万象を不得手とするのだから、魔物というものの関わり合いは不思議なものだ。


(………ああ見えて、ヨシュアは魔術の細やかな織りに長けているしな)


いささか苦い思いを噛み締めて思い出すのは、先日ネアの側にいた白い獣の姿だ。

とは言え今は気にするべきことが他にある。


「では、ここを出ませんか。俺の方で、少し問題が起きそうで」

「金木犀かな。君はいつも、彼女に悩まされてしまうのだね」

「まったくですね。金木犀を望む者も多いですが、俺は何の執着も関心も持てないままなんですが」

「それを本人に伝えたのかな?」

「表現はしているつもりですよ。ただし、知人でもない金木犀に、俺があえて会話の席を用意することもありません」

「壊すのはやめたのかい?」

「ええ。何度か排除しましたが、さすがにあまり若い魔物のままでいると、司るものに付随する魔術が薄れますからね。金木犀の魔術を尊ぶ国を一つ知っているので、そちらを損ないたくありません」

「やれやれ、難儀なことだ」

「まったくですね」


微笑んで静かにそう言えば、柱の陰に潜んだ雪柳の魔物が顔色を悪くするのが見えた。

雪柳は金木犀の友人だと聞いているので、その言葉が上手く本人まで届けばいいのだが。



そのまま、万象と連れ立って会場となっている闇の魔物の城を歩けば、グラスを掲げてから、慇懃に頭を下げたアイザックに出会う。


「シルハーン様、お連れ様の買い取りのご訪問をお待ちしております」

「この前の獲物の情報が入ったのかな?相変わらず君は得ることにかけての情報収集に余念がない」

「私は欲望ですからね。それと、ウィリアム様、お探しの雪の魔物は本日は早々に戻られましたよ。この時期は初冠雪が立て込みお忙しいようで」

「ああ、声をかけてくれて助かる。ヨシュアは見なかったか?」

「そう言えば、本日は見かけておりませんね。また寝過ごしておられるのでは?」

「………彼らしいな」


苦笑してひらりと手を振ったウィリアムに、アイザックはまた丁寧に頭を下げた。

第四席に留まり続けている魔物だが、彼自身が望めば第三席の入れ替わりは五分五分のところだとウィリアムは考えている。

それは彼が欲望である限り、そしてだからこそ望まない彼が上の席次につくこともない。



「先程、向こうで白薔薇に挨拶をされたよ。アイザックとはまだ顔を合わせていないようだね」

「合わせないことを祈るしかありませんね。あの二人はどこまでも相性が悪い」

「そうかな。君とノアベルトのように、表面的に上手くやる術もあるだろうに」

「おや、シルハーン。俺はこれでも、ノアベルトの新しい一面を知ってからは前程に嫌厭はしてませんよ」

「だといいけれどね」

「まぁ、顔を合わせることも多いですからね」



そこでようやく城を抜け、二人はまた別の壮麗な空間に出た。

見上げる程に高くそびえるのは、息を呑む程に清廉な様々な青で表現された雪景色を描くステンドグラスだ。


その青い光の中に佇む万象は、ウィリアムでさえ微かな緊張を覚える程に暗く眩い。

けぶるような虹色を持つ白い髪は、それ自体が光るように青い闇の中に浮かび上がった。


「さて、………ノアベルト曰く、君はあの白い獣の素性を探っているようだけれど?」


そう尋ねられて、小さく溜め息を吐いた。

安堵にも近いその深さに、困った執着だなと淡く苦笑する。


(ネアから手を引けという苦言ではなかったか………)



ネアが毛皮の会と呼ぶあの外出で、ウィリアムが万象にすげなく留守番を言い渡せるのは、それは万象のとある一面に対してのみである。

もし彼が、万象としてそれはならぬとウィリアムに言うのであれば、ウィリアムは頭を下げ受諾するより他にない。


近しいようでも他のどんな魔物とも違う万象とは、やはりそのように隔絶された存在であるのだ。

そして、魔物という生き物が伴侶や伴侶候補に向ける執着というものは、大抵の場合がそういうものであることが多かった。


「うーん、上手く誤魔化したつもりでしたが、ノアベルトが気付いたんでしょうね」

「ノアベルトは、昔から君の言葉裏に気付くのは上手いかもしれないね。その逆も言えるだろうが」

「ですね。不愉快でしたが、お互いにある程度嫌悪感があったからこそ、お互いの真意は見抜き易かったような気がします」



こちらを見た水紺の瞳は冴え冴えと冷たく、微笑んでいてもいつものネアの側にいるシルハーンとはまるで違う色をしている。

そしてそれは、彼自身がどれだけの変化を経ようとも、それはやはりネアが寄り添ってこその変化なのだと知らしめる鋭さであった。


もし、………考えたくもないことだが、ネアが損なわれるようなことがあれば、万象はいとも簡単に元の万象に戻ってしまうだろう。



「ノアベルトとのことは不注意だったようだが、あの獣に祝福を与えたのはわざとかい?」

「あれはわざとですね。俺の転移が揺らぐ程の魔術を持つ生き物は、少ないですから」

「君がどれだけ魔術の調整が不得手でも、転移ごときで足場を揺らがせるのは考えられない。獣の重さを確かめる為に、わざと転移の魔術を薄めたのだろう」

「その通りですが、祝福の証跡で後を追おうとしたことは、どうやらあの獣にも見抜かれていたみたいですけれどね。あえて祝福をノアベルトに剥がさせてから、その残滓だけで繋ごうとしたのが浅慮でした。そのままにしておけば、まだ繋いだままでいられたんですが………」

「おや、それは残念だったね」

「最後まで、どんな系譜の生き物なのかさえ分かりませんでしたよ。ネアは、随分と可愛がっているようですが」



ウィリアムはあの獣を見たとき、最初はシルハーンが自分の魔術を切り取り、魔獣として作り出したものかと思っていたのだ。

しかしネアの様子を見て、そうではないようだと考えを改め、では何なのだろうと内心首を傾げた。


足場を薄くした転移をあれだけ狂わせ、尚且つ土竜の巣である魔術の理の庭でも体調を崩さず、最後まで属性すらウィリアムに悟らせなかったあの全身が白い雪豹姿の魔物。



(…………魔物であるのは確かなんだ)


だからこそ、ウィリアムはあの獣の存在を危ぶんだ。


まだ今程にネアを気に入っていなかった頃のアルテアもそうだが、シルハーンはネアが望めばある程度不安定な者であれ、側に置くことを許してしまう事もある。

それは多分、シルハーン自身の不安定さ故でもあるのだが、ネアの直感をいとも容易く信じてしまう事も多く、ウィリアムは常々心配していた。


ネアは、悪しき者を悪しき者として排除するような人間ではない。

その爪や牙を知った上でも、相手を受け入れてしまう特異な人間なのだから。


「そうだね。ネアはあのような姿の獣がとても好きなようだ」

「………シルハーン、あれはヨシュアなのでは?」

「おや、そう思うのかい?」

「ヨシュアは、よく白い獣の姿を取って地上に降りていますからね。彼は地上では能力を落とすだけあって、その姿の隠し方がとても上手い魔物です。ネアとも遭遇したばかりでしょう?……或いは、………こちらは可能性が薄いですが、雪の魔物の可能性も考えました」

「成る程ね」



高位の魔物の擬態だと、確信していた。

だからこそ、ノアベルトの扮する銀狐に不注意で祝福を与えてしまったことを利用し、あちらの獣にもあえて祝福を与えておいたのだ。



(…………終焉には、独特の香りがある)



それは、ウィリアムがネアは終焉の子供だとすぐに気付けることや、一見平和に見える場所にも漂う死の気配のようなもの。

なので、一度与えた祝福を撤回したとしても、その残り香はとても微かだが消えはしない。


(本来なら、まず真っ先に疑うのがノアベルトだが、そもそも彼はどこにも削った気配がなかった……)



とは言えその可能性も考慮して、不注意であった方の祝福解除と合わせて、あえてノアベルトを巻き込んで祝福解除を頼んでみた。



(だが、祝福解除をさせてみたノアベルトと、あの白い雪豹の間には魔術の道が見えなかった)



となるとやはり、あれはノアベルトの欠片から生まれた魔獣ではない。

とは言え、銀狐の方の解除とあの雪豹の解除を並べてみせたノアベルトも、ウィリアムの疑念に気付き、疑いを晴らす為にあえてそうしたのだろう。

そして、シルハーンにウィリアムの懸念を伝えたのだ。



「あれは、安全な生き物だよ。……私にはよく分からないが、ネアは気に入っているし、獣の方もネアによく懐いている」

「かも知れませんが、正体が気になるのは俺だけではないと思いますよ。アルテアあたりも、かなり嫌がるでしょう」

「………かも知れないね。だが、案外気に入るかも知れない」

「………まぁ、彼は時々思いがけず面倒見が良くなりますからね」



いつだったか、ネアが仲良くなったという春闇の竜に食事を振る舞ったと聞き、そんなこともしているのかと呆れたものだ。

彼は選択だからこそ、時々こちらが思いもしないような道筋を選び出してしまうことがある。

それはきっと、彼にだけは見え、彼を辟易とさせる閉塞した選択の道筋を壊すことの出来る、数少ない道を選び抜いてのことなのかも知れない。


時々、ウィリアムはそうして道を見極められるアルテアが羨ましくなる。



ウィリアムの司る終焉は、侵食であり変化であり、結末だ。

だからこそ、彼が辿り着くその最後の扉はいつも、どんな道から入っても同じ扉になってしまう。

そしてそのいつもと同じ道を唯一外れたのが、ウィリアムより上位のシルハーンが守護したネアだけだったのだ。


(…………唯一だからと、俺は少し過保護なのかも知れないが)



先日、カルウィの王弟の息子を殺したあの日、ネアが躊躇いもなくこの手を取ったその時から。

またひたりと侵食を増した失われないものへの心地良さに、これは特別なものだと再確認したのだと、恐らくネアは知らずにいるだろう。


安堵と幸福を覚えることが、それを失う予感が訪れないことの稀有さに、どれだけウィリアムが感謝しているかも。



「それで、君はあの獣の魔術の証跡を追えたのかい?」

「シルハーン、意地悪な質問ですね。追えていれば、こうして本人に会ってみて揺らぐかどうかを見てみようとはしませんよ」

「成る程。与えて取り戻した祝福の残滓は消えてしまったようだね」

「それもあって、やはりあの魔獣はただの魔獣ではないと確信したんです。祝福の残滓から足跡を辿ろうと思っていましたが、その残滓すら削ぎ落とされてしまえば、打つ手もない」

「…………では、今回は諦めたらどうだい?」



そう微笑んだ万象に、ウィリアムは幾つかの選択肢を心の内に揺らす。



「それは、あなたの庇護を得た者だからですか?それとも、俺に邪魔させずにいるその期間に何かを定着させようとして?」

「後者だろうね。私はとても臆病なんだ。守り手の固め方は幾つもあっていい」

「………臆病なのは、あなたではなく俺かも知れませんね。寧ろ、伴侶とするべき相手に他の守り手を付けられるあなたは、随分と寛容だ」

「それはどうかな。ただ、必死なだけかも知れないよ。………けれど、そう在れる者がいるというのはとても気分の良い事だ」

「はは、確かにそうだ。………だから俺も、何度失敗しても、すぐにまた新しい人間と関わってしまうのかもしれません」

「おや、君はそれを理解していたんだね。てっきり、そういうことは考えていないのかと思っていたよ」

「シルハーン、俺はこれでもあなたに次いで長く生きていますから」

「派生したのはノアベルトが先の筈だったんだけど、起きなかったからね」

「…………ええ。彼が目を覚ましたのは、三年後でしたね」

「あまりにもずっと寝ているから、眠りの魔物だったのかなと思ったくらいだったよ………」



そこで少し二人とも複雑な気持ちになって息を吐いたが、それはさて置き本題に戻ろう。



「つまり、シルハーンは俺があの獣の正体探しをするのが危ういと?」

「いや、それは好きにして構わないよ。ただ、君は業を煮やして排除してしまうことも多いからね。それをしないようにと言いにきたんだ」

「…………ん?俺がですか?」

「おや、それは分かっていないようだね。やはり、言っておいて良かった」



そう少し微笑みを深めて、万象は帰って行った。



残されたウィリアムは、果たして自分はそこまで短慮であったかと首を傾げたが、自分にとっては長考の後の結論であっても、他者からはそう見える要素があるのだろうと考えておいた。




「でもまぁ、あれがヨシュアであれば、シルハーンは元々ヨシュアを気に入っていましたからね」

「…………何でそれを俺に言いに来たんだ」

「アルテアもいずれあの獣を見るかも知れませんから。あなたの場合、俺よりも早く排除するでしょう」

「…………かもな」



後日、偶然出会った時にその獣のことを報告されたアルテアは、ひどく嫌そうに顔を顰めていた。

この表情を見るに、やはり新しい魔物の参入は不愉快なのだろう。



「お前の方こそ、粗雑に壊すなよ?」

「とりあえず、今暫くは」

「…………ネアが気に入ってるんだろうが」

「他に安全でいい獣がいればいいんですが」

「挿げ替える気満々だな………」

「ネアは、ああ見えて毛皮への執着は強いですよ。より気に入る手触りの獣がいれば、ご寵愛が入れ替わるのでは?」



しかし、更にその後で銀狐の正体を知らないまま、ブラッシングしてやっているアルテアを目撃した。

ノアベルトが自らブラシを咥えて持って来たところを見ると、初めてではないのだろう。


それを見て、案外知らないままの方が幸福なこともあるのだろうかと思うようになった。

それからも時々あの白い雪豹を見たが、一度、物陰でこっそり噛んでいたチーズ味のボールをぎくりとした顔でさっと隠されて以降、正体を突き止めなくてもいいかなと思うようになった。



余談だが、あの雪豹の魔獣だと思っていたヨシュアはそうではなかったようだ。

とある事件に絡むことでその事実が発覚し、ウィリアムは頭の痛い思いをしたのだ。






なお、金木犀の魔物はその行いを万象が案じているという噂が立って、行いを改めるに至ってくれた。

それを切っ掛けにして、屋敷に篭っていた金木犀を訪れた、以前から金木犀を慕っていた秋菊の魔物との交際が始まったと聞き、ウィリアムは心から安堵した。

三代目の金木犀は、ようやく排除しないで済む魔物になったようだ。







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