ご主人様が恋をした
その日、ネアはまた新しい魔物を見つけてきた。
「木馬の魔物さんです」
「時々、魔物という存在の定義がわからなくなる魔物に出会いますね」
ヒルドが呟くのも尤もだ。
私でも時々、どうやって派生したのか疑問になる魔物がいる。
出会うはずもなかったその魔物達を見付けてくるのは、いつもネアだった。
「あの回転木馬の横にある椅子に座っているのが、木馬の魔物の恋人さんです」
少し悲しそうにネアが言い、
私は木馬の魔物とやらに恋人がいたことに安堵する。
シチュー屋からの帰り道に、わざわざ回り道してまでここに立ち寄ったのは、ここにある木馬を見せたいからだという。
「木馬には、子供しか乗せていないんですか?」
「はい。あまり大きな木馬の製作はしないみたいです。材料費もかかるし、動力になる鉱石も高価みたいで」
「移動興行みたいですし、運搬費用もかかるでしょうね」
広場の中央には、回転木馬の遊具がある。
子供達が親に付き添われ列を作り、木馬に跨って歓声を上げている子供を見て目を輝かせていた。
木馬は細やかな彫り物と彩色で実に華やかだ。
台座の上をくるくると回りながら、時折飛行鉱石の魔術でふわりと浮かび上がる。
木馬が浮かび上がる度に、子供が笑い声を上げた。
「ネアは、ああいう魔物が好き?」
「素敵な方ですよね。爽やかで、力持ちで、恋人さんが自慢に思ってしまうのも納得です」
「自慢されたの?」
「いいえ。でも、ああして毎日恋人の職場に来ているのは、浮気予防らしいですよ」
「浮気予防」
「ええ。街では有名です。木馬の魔物さんは大変魅力的だそうで、競合の出現が毎日だとか」
「ネアみたいだね」
「……私、嫉妬深いでしょうか?」
「逆だから」
もう一度、広場の魔物に視線を戻す。
あの魔物には、万が一にでも別れたりしないよう、さっさと伴侶の誓約を固めて貰おう。
見るところ指輪を贈っているようだし、そろそろ頃合いだろう。
「木馬………」
羨ましそうに子供達を見上げるゼノーシュは、子供の付き添いの人間達の視線を集めている。
ある程度子供の姿であるので、庇護欲を誘うのだろう。
ヒルドはネアの隣りで何か話し合っているせいか、遠巻きに見守られるだけだった。
或いは、私のように人を一定以上寄せない術式を組んでいるのかもしれない。
「ネア、人が多いからあんまり離れないで」
手を伸ばして腕の中に収めると、ネアは妙にぎこちなくこちらを振り向いた。
「どうしましょう、ディノ」
鳩羽色の瞳は輝き、頬に微かな血色が上がる。
視線が迷うように揺れ、再び広場の方へと戻された。
妙な胸騒ぎに、腕の中のネアをしっかりと抱え直す。
「ディノ、私はやはり恋をしてしまいました」
告げられた言葉の残酷さに、眩暈がしそうになった。
ネアは、はにかむように微笑み、両手を頬に当てた。
「ネア、やっぱりあれが欲しいんだね」
戻って来たゼノーシュが、困った顔で口を挟む。
「ディノは喜ばないんじゃないかなぁ」
「そう思って自制していたんですが、やはり見てしまうと、大変に好みです!」
普段であれば、ネアがこうして感情的になるのは好きだ。
言葉が甘くなるし、とても可愛い。
でも、今日ばかりはとてもそう思えなかった。
「ディノ、あれを買って帰ったら怒りますか?」
「………買う?あの魔物、売り物なのかい?」
「魔物さんというか、木馬さんですが、売り物なんですよ」
「………木馬?」
「はい。お土産用の、小さいものにします。ほら、あそこの赤い天鵞絨の上に並べられている、左から三番目の子です!売り切れないで残っていたなんて、奇跡としか思えません!」
ネアがそう指差したのは、回転木馬を楽しんだ子供達用の記念にと、小さな細工ものを並べて売っている区画だった。
粗末な木の台に敷物を敷いて、細やかな品物を幾つか並べている。
「あの、細工ものが欲しいの?」
「はい。ゼノには、仮にも魔物さんの作ったものであるし、作者の魔物さんは街でも有名な人気者であるので、そんな人が作ったものを買うと、ディノは嫌がるだろうと言われました。………駄目でしょうか?」
腕の中でくるりと体を返し、こちらの胸に手を当てるようにして見上げてくる。
無意識だろうけど、かなり狡い。
「お願い事を聞いてくれるなら、買ってもいいよ」
「本当ですか?!……でも、交渉内容にもよりますね……」
ネアが賢く考え込む様子を見せたので、背後の状況を教えてやる。
「ネアが欲しがっていた木馬、見てる人がいるよ?」
「願い事、お叶えいたします!じゃあ、速攻で買ってきますね!!!」
ネアが物凄い速さで売り場に消えて行った後、ゼノーシュが心配そうに首を傾げる。
「……いいの?」
「後で、まったく同じようなものに交換するから」
「そっか」
暫くすると子供達との戦いに勝ったのか、とてもいい笑顔のネアが帰ってくる。
「買えました!」
「おや、土産物を買ったんですね」
離れて市井の人間と会話をしていたヒルドも合流し、ネアの手の中の小さな木馬を少し心配そうに見つめる。
「よし、じゃあ帰ろうか、ご主人様」
ご機嫌のネアを抱き上げると、小さな抗議の声が上がった。
「街中ではいけませんと、あれ程言ったのに!」
「願い事」
「……では、恥を忍んで心を無にします」
「帰ったら、体当たりして足も踏んでね。それと、髪も引っ張って貰おう」
「折檻してるみたいだ」
遠い目になったネアを腕に抱き上げながら、その手の中にある木馬のすり替え方法を考える。
近場であれば、リノアールの職人にでも渡せば、すぐに瓜二つのものを仕上げるだろう。
後日、すり替えた木馬を、ネアが不思議そうに眺めていた。
左右の目の位置がズレていたのが、正確になって、木馬が少し美形になったらしい。
「やはり魔物さんの作品。念が籠ってしまって、進化したのでしょうか……」
その魔物が作った方の木馬は、新しいものが手に入るとすぐに焼却処分した。
灰も国境の向こうに捨ててきたので、決して抜かりはない。