白けものと銀色けもの
アルテアの罰ゲームの日、もとい、白けものの撫で回しの日がやって来た。
実は、ウィリアムとの毛皮の日改め、地下洞窟の大冒険の日の結果使い魔からのパイ包みの搬入が遅れており、その日のアルテアは一度パイ包みをお届けしてくれてから、白けもの派遣となる。
「いいか、二度と夜中にカードに激辛香辛料油とだけ書くなよ?」
「むぅ。パイのお届けが滞ったら、襲撃をかけると宣言しておいたではないですか」
「その内お前もムグリスになるぞ」
「なぬ。その疑いは許せませんので、私の腰が括れている証拠をとくと思い知るがいい!」
そう言ってネアは、さっとパイの入った箱を持った手を上げて腰を見せつけてやった。
幸いにも本日は白もふ撫でに向けて、動きやすい服装をしている。
伸縮性のある素材の服地は、ぴったりと腰回りを見せてくれていた。
「見ただけじゃどうだかな」
「疑い深い使い魔め!掴んでも見た目通りのものですよ!」
そう言われたアルテアは、渋い顔でネアの腰を両手で掴んでみたようだ。
今のところは大丈夫だなと偉そうに言われ、怒ったネアは足踏みする。
アルテアはわかっていないようだが、この後撫で回しで白けものをくしゃくしゃにしてやろうぞという意志表明だ。
「ネアが、使い魔に腰を掴ませる……」
「物凄い言い回しになってしまいますが、ご主人様の潔白を証明する為なのです」
「ずるい……」
そう言いながらディノはさりげなく、後ろからネアの腰に手を回してガードに入ったようだ。
お腹を守られるのは吝かではないが、今はムグリスではない証明をするのに邪魔なのである。
「そして、白もふに交代してもいいですよ!先日、狐さんに引き続きウィリアムさんから口付けの祝福を贈られたばかりの白もふです!」
「やめろ」
「あら、どうしてアルテアさんが渋い顔をするのでしょう?ウィリアムさんは強いので、白もふの安全に繋がるのでは?」
実は、不慮の事故続きで与えられてしまったウィリアムの祝福は、珍しくノアに相談してウィリアムが撤回しているのだそうだ。
とは言え、祝福を与えたという事実は残る。
それを知らずにげんなりしているのか、知った上で知っていることを言い出せず自ら追い詰められているのか、アルテアは滅多に見ない程暗い目をしていた。
あまり苛めても拗ねてしまうかもしれないので、ネアはそれ以上は追及せずに貰ったばかりのほこほこのパイ包みをお昼代わりにいただくことにした。
「パイをお腹いっぱいに食べるつもりで、本日のお昼ご飯は空けてあるのです!厨房には、新鮮な食材も色々ありますよ?」
「作らせる気満々だな」
「何のことでしょう?ディノは、最近プリンがお気に入りなんです」
「おい、なんでその情報を上げた」
「ディノ、美味しいプリンがやって来るようですので、機嫌を直して下さいね」
「プリン………」
パイの箱を開けると、ふわりといい香りが漂った。
香ばしいパイ生地のバターの香りに、濃厚なクリームソースの匂いが食欲をそそる。
中のクリームソース的に大好きに違いないディノにも御裾分けしつつ、ネアの厨房でアルテアも交えての昼食会を執り行った。
結局、鶏肉とチーズとドライトマトのサラダに、蜂蜜でソテーしたハムと干し無花果の和え物、一匹を素揚げにして酸っぱくて辛いソースをかけていただく白身魚のお料理が登場した。
ディノは大皿料理を三人で分けることに固まってしまい、ネアが取り分けてやる。
「ところで、白もふにはいつ会えますか?今夜はお泊り会なので、夜はみんなで怪談をしましょうね」
「………おい、何でそれ前提なんだ?」
「む?丸一日撫で放題と聞いているので、このお時間からだとお泊り必須では?」
「そうじゃなくて、怪談の方だな」
「前大会で、怖いお魚さんの話で震え上がってしまったノアが、実は経験豊富なゼノを加えて怪談大会をやろうと張り切っているのです。ディノも参加しますものね?」
「…………うん」
「私もとびきりのお話を用意しているので、覚悟して下さい!……と白もふに伝えて下さいね。そして、白もふはいずこ」
「この後で連れて来ておいてやる」
「…………アルテアさんは健気ですよね」
「なんでだよ」
一度本人は帰った風にするのだから、なんともいじましい限りだ。
宣言通り、お昼の後のデザートのプリンまで優雅に寛ぎ、アルテアは一度戻って行った。
その隙に、ネアがディノに、洞窟大冒険でウィリアムが白けものの正体に気付いていなかった話をすると、ノアが魔術の補填をして細心の注意を払って擬態していたのだと教えてくれる。
「白もふ!」
そして午後の優しい日差しの下、ネア待望の白けものがゆったりと姿を現した。
わざわざ転移してきた風を装って転移の間から来るのだが、その際に必ず一度、鏡のあるところで全身の白もふ具合を確かめているのが何やら愛くるしい。
あまり乗り気でない姿勢を見せるくせに、高貴で優美な雪豹の姿は、まるでネアに自慢の白い毛皮を見せつけるような歩き方だ。
「どうしてこんな懐いてしまうんだろうね……」
「むむ。なぜにディノが落ち込むのだ」
「それと、………ノ………狐が…………」
現在、ノアが銀狐であることを、まだアルテアは知らない。
換毛期用ブラシを買ってくれたりするので、ノアもその秘密は明かさない方向のようだ。
実はこのまま、ノアが罪悪感に駆られて第三者経由でその事情を明かすまでの長い時間、アルテアはその秘密を知らないまま過ごすことになるのだが、こうして一緒に過ごす場合は、ネアもディノに呼び方への注意喚起をしている。
「狐さん、さては上級のもふもふに、嫉妬心を隠せていませんね?」
ネアの指摘の通り、銀狐は白けものを見上げてけばけばになっている。
どうしてもライバル意識で荒ぶってしまうのか、その周囲でびゃんと跳ねていた。
白けものが鬱陶しくなったらしく、ふかふかのぶ厚い尻尾で一度びしりと跳ね飛ばされたが、その際に今度は尻尾の魅惑のふかふかを肌で感じてしまったらしく、尻尾観察が始まったようだ。
その結果、白けものは周囲を銀狐にぐるぐる回られて、早くもうんざりした顔をしている。
心行くまで白けもの尻尾を観察した銀狐は、敵わないと悟ったのか最後は絨毯の上に仰向けに転がるとじたばたしながらムギーと鳴いていた。
困ってしまったディノが抱き上げてやっていたが羨ましさが爆発したのか、涙目になってふるふるしている。
「ネア、この部屋で撫でるのかい?」
「お部屋に連れ帰るとディノが荒ぶるので、今日はエーダリア様から外客用のお部屋を借りてあるのです。夜はそこで怪談大会をしますから、この後はこちらでゆっくり過ごしましょう」
「ノ…………ボール遊びをするかい?」
仕方なく、ディノは銀狐とボール遊びをするようだ。
尻尾をぴしりと上げてご機嫌になった銀狐は、ボール遊びの腕は一番と誉れ高いディノの提案に、ふさふさになってきている尻尾をふりふりする。
白けものも体がぴくりと動いていたが、興味がないふりを装うようだ。
そして、ネアの待ちに待った白もふまみれの時間が始まった。
「まずは白もふのお腹を撫でます!」
そう宣言したネアに、ディノはいきなりそこから撫でるんだねと、なぜか目元を染めて困り眉になってしまった。
銀狐も微かに憐れむような目をしているが、白けものは余裕を突き崩されまいと澄ましている。
「とりゃ!」
しかし、残酷な人間に飛びかかられてひっくり返されると、なぜ自分が一瞬でひっくり返されてしまったのだろうという驚愕の表情になった。
慌ててもがいて起き上がろうとするが、その隙にネアはお腹撫でを開始してしまう。
一瞬でくしゃくしゃにされた白けものは、その後はもうただうっとりと撫でられるがままのクッションになった。
「…………焦らし技を覚えるとは、憎いやつめ」
「ネア、少し休憩させてやったらどうだい?」
そして一時間程すると、なぜか突然白けものはびゃっとなって逃げ出し、箪笥の下に入り込んでしまった。
完全に入り込まれる前にネアが尻尾の付け根を撫でて殺してしまい、ほうほうの体でお尻までを何とか隠した白獣は、現在尻尾だけがこちら側に残されている。
(尻尾だけでも充分にもふもふだから、それでいいんだけど……)
約束と違うぞと渋面になりつつ、ネアは逃げ損ねた白けものの尻尾を抱き締めていた。
寄り添ったディノに窘められるが、ネアは見事な尻尾を執念深くにぎにぎしている。
「ディノもお腹撫でします?」
「…………二人きりのときにしようか」
「むむぅ。では狐さん、お膝抱っこしてあげましょうか?」
白けものを追いかけて絨毯の床に座り込んだネアの隣に、同じく床に座って並んでくれているディノがいる。
ネアの呼びかけにこっちを向いた銀狐は、口にお気に入りの弾むボールを咥えたままふるふると首を振った。
どうやら、こちらはまだまだボール遊びを続けるつもりのようだ。
「では、私も参入しますね。てやっ!」
ぽとりと置かれたボールを、ネアは家具などを傷付けないように広い方に投げる。
しゃかしゃかとボール投げ時だけに披露される、走ることよりもボールを追いかけたいという欲求が先行してしまっている前のめりの面白い動きで、銀狐が駆け去っていった。
ぶりぶりに尻尾を振り回しているお尻が愛おしくて、ネアは幸せな溜息を吐いた。
「やはり、お尻もふ具合では、狐さんに敵うものはいませんね」
「君は、冬毛が好きなんだね」
「あの、お尻の毛だけちょっと白い感じが、堪らなく愛くるしいです。ムグリスなディノもそうですが、強そうで格好いいという区分でないことで、きゅっと抱き締めたくなるのです」
「そうなると、………アルテア…雪豹アルテアと同じ姿の生き物は、抱き締めたくはならないのかい?」
「胸にきゅっと抱き締めるには大き過ぎますしね」
「それなのに、撫でたくなるんだね」
「ええ。敷物かクッションのような………む?」
その途端、握り締めていた尻尾がぶわりと膨らんだので、白けものは毛皮に加工されてしまう危険を覚えたようだ。
慌ててネアは、生きたまま敷物にしたいだけであって、決して皮を剥がないと約束してやる。
「そして狐さんが、もう戻ってきてしまいました……」
その隙に、続き間の方まで駆けていっていた銀狐が戻って来て、再びネアの前にぽとりとボールを置く。
目をきらきらさせてきちんとお座りしているので、ネアは何度かボールを投げてやった。
「も、もう限界でふ………。ディノに交代しますね」
「ほら、ノ………こっちにおいで」
しかし脆弱な人間に、続き間までボールを投げられたのは二十回が限度であった。
へばってしまったネアはぜいぜいしながらディノに投手交代をし、心が落ち着いてきたのか箪笥の下から這い出してきた白けものを捕獲する。
「白もふを枕にします!」
ぎゃっとなった白けものを両手で拘束すると、そのまま抱き枕にしてしまおうとしたネアは、寸前で床の絨毯の上に眠るのはどうだろうということに気付き、力ずくで白けものを引っ張って長椅子に移動した。
嫌がる白けものをぎゅうぎゅうと長椅子の角地に追い込み、そのお腹にぼふんと顔を埋めて寝転がる。
「ネアが浮気してる……」
銀狐がボールを椅子の下に追い込んでしまい、それを取ってやっていたディノは、戻ってくるなり白けもの枕に顔を埋めているご主人様の姿に荒ぶりだした。
「むぎゅふ。この素敵な枕を手放すつもりはありません」
「ずるい、枕にしているなんて………」
「このまま寝台に移設して、反対側からディノも枕にしてみます?」
「…………枕」
ディノは、唐突な提案に固まってしまい、ネアは頭の下で白けものががうがうと暴れたので、一度少しだけ頭を持ち上げてから、ごすっとやって黙らせておく。
色々忘れているようだが、本日は罰ゲームなのだ。
(白もふ、いい匂い!)
最高の毛皮に頬擦りをすれば、何ともいい香りがしてうっとりする。
しかし、頭をお腹に擦り付けられた白けものは、けばだってしまって肌触りが若干損なわれたようだ。
「ずるい…………」
ここで荒ぶったディノが、なぜか横倒しのネアの足を持ち上げて膝に乗せている。
体の角度がおかしくなるので、ネアの素敵な寝心地は失われてしまった。
取り残された銀狐がばいんと弾んで乗っかってきたので、またしても魔物まみれになってしまう。
「おかしいです。白もふを枕にするつもりが、悪い魔物に足を奪われ、狐さんに枕にされています。なぜこうなったのだ」
「では、頭をこちらに乗せようか?」
「解せぬ。その提案だと、白もふ度がゼロになります」
「でも、この体勢だと居心地が悪いのだろう?」
そこでネアは、ディノの膝枕を借りて、白けものを毛布にする方法を思いついた。
しかし、その体勢に移行しようとして白もふを引っ張り上げようとすると、尻尾の付け根を撫でて殺しておいた筈の生きた毛布が激しく抵抗するではないか。
「おのれ、観念するのだ!」
「ネア、それはやめようか。ほら、アル………その獣を枕にしていいから、体の上に乗せるのは駄目だよ」
「では、敷布団に………?」
「君が上に乗るのも駄目だ。困ったご主人様だね」
「むむぅ」
結果として妥協案が施行され、ネアのお昼寝は寝台で白もふを抱き締めて眠れることになった。
一時間だけと厳しく服用を制限されてしまったのが悔しいが、ディノの腕枕で横になるのならと辛うじて勝ち取った白もふ度なのだ。
「ふぁふ。………白もふさんの体温で、健やかにお昼寝出来そうです」
「ご主人様が他の体温で寝ようとしてる………」
「あら、こんなにディノにも覆われているのに、どうして拗ねてしまうのでしょう?」
「いつもは個別包装なのに……」
「ふふ、今はお昼寝ですからね。ムグリスディノだって、私の襟元で眠ってしまうでしょう?」
「…………うん」
それを言われると、なぜか魔物はもじもじしてぴたりと黙った。
代わりにネアは抱き込んだ白けものに、尻尾でびったんびったん叩かれる羽目になる。
もふもふで心地よいばかりなのだが、確かこれは白けもののさり気なくない自己主張の合図だった筈だと、ネアは過去の触れ合いから学んでいた。
「…………まぁ、白もふさんも、ムグリスディノを抱っこしたかったのですね?見た目的にとても心配なのですが、齧ってしまったりしません?」
「ネアが虐待する………」
「む。ディノは嫌なのですか?素敵な白もふですよ?」
(そう言えば、毛皮の肌で毛皮は感じられないのかな………)
そういうことなら魅力を感じないのも頷ける。
ネアは白くてふかふかの尻尾を掴むと、ぎくりとした白けものにこちらを見上げられつつ、その尻尾をそっとディノに持たせてみた。
しかし、ディノも白けものも双方固まってしまい、ディノはすぐにそろりと手を離した。
白けものも、ふわふわの尻尾をさっと引きあげ、ネアの足に巻き付けてしまい引き剥がし防止策を取る。
「まぁ、素直ではありませんねぇ………」
「ご主人様………」
「ディノは毛布素材が大好きですし、白もふさんは、こう見えて尻尾を持ってもらうのが大好きなんですよ。良いお付き合いが出来ると思ったのですが………」
「ひどい、ネアが尻尾を持たせてくる……」
「その言い方だと、私に尻尾があるみたいですね。………あら、狐さん?」
そこでネアは、じゃーんとディノの上に誇らしげに駆け上がってきた銀狐に気付いた。
どうしたのだろうと目を瞠っていると、ふさふさの尻尾をふりふりしてから、そっとディノの手のひらの上に乗せている。
「………ディノ、狐さんからの慈悲です。優しい狐さんに、感謝しましょうね」
「尻尾なんて………」
魔物はべそべそしていたが、結局銀狐の尻尾を握らされて寝たようだ。
そもそも、尻尾は人型に戻るとどの辺りになるのだろうと、ネアは少しだけ考える。
(背骨の下のあたりだろうか………)
しかし、尻尾は尻尾なので、獣に擬態する以上はそれ以下でもそれ以上でもないと考え直し、ふむと頷いた。
もうディノに握らされることはないと安心して巻き付けを解除していた白けものの自由な尻尾を掴み、そのもふふかを堪能する。
腕の中に既に白けものを抱き締めているので白もふまみれだが、これはまみれていても素敵な気持ちだ。
「…………む」
そこでネアは、ぱたぱたと先っぽを動かしている白けものの尻尾に眉を顰めた。
銀狐ではないが、目の前にぴょこぴょこするものがあると、やはり気になるものだ。
「あぐ」
「………ッュ?!」
次の瞬間、野生の本能に負けて白けものの尻尾に噛み付いた野蛮な人間に、白けものは声にならない声を上げて飛び上がって逃げていった。
壁にぶつかりながら一目散に箪笥の下に駆け込んでいったので、そうとう驚いたに違いない。
「…………。むぅ。尻尾をぱたぱたさせたのはそちらなので、自損事故ですよ?そして、はむっとやっただけで、痛くはなかった筈なのですが………ディノ?」
「ネア、うがいをしよう」
「む。………確かに、口に毛が入ってもそもそしますね、歯磨きします」
なぜか深刻な顔をしたディノに引きたてられ、ネアはその後丁寧に歯磨きをした。
怖いお母さんに転身したかのように、三度洗いを命じられ大人しく従う。
なお、白けものは夜の怪談の時間になるまで、箪笥の下から出て来なくなった。
哀れに思ったのか、銀狐が一緒に箪笥の下に入ってやり慰めていたので、白けものと銀色けものは仲良くなったようだ。