179. 葡萄の妖精にはがっかりです(本編)
「秋告げの舞踏会には、春のときにあったような品評会はないのですか?」
ネアがそう尋ねたのは、葡萄のタルトも食べ終わったからだ。
春告の舞踏会のように冒険はしていないので、ごく普通の舞踏会という雰囲気の中にいる。
稀有な美しさや可憐さの生き物が多いが、それよりも奥の方で踊っている細っこい棒切れのような生き物の方が気になった。
はらはらと舞い落ちる紅葉の雨の中、夢のような光景の奥にその棒切れがいるので、何だかなぁという気持ちになるのだ。
(あれは、………落ち葉を掻き集める用の箒に似ているような……)
「どの舞踏会にも似たようなものはあるな。秋では、回ってきたケーキの中に指輪が入っていたら、秋告げの精霊の王宮に招待される」
「気体の精霊さんですよね………。透明なものは何だか怖いので、あまり心が動きません」
「秋の祝福を得られるから、系譜の者達は喜ぶがな」
「森に帰る使い魔さんも欲しくはありませんか?」
「だから、何で森前提なんだよ」
びしっとおでこを叩かれたが、ネアは特に荒ぶらなかった。
ちょっと森に引っ込みたい気分になってしまったのであれば、ほぼ完全なる野生体に近いのでさり気なく受け流しておこう。
おでこに手を当てて少しだけ距離を取ると、アルテアはなぜか嫌な顔をした。
「アルテアさんが欲しいようであれば、私に当ったら差し上げますね。餞別というやつです」
「いらん。それと、お前から餞別を受け取る理由が見えないな」
「暫くお会い出来なくなるので、お元気でという贈り物ですね。あくまでもその指輪に当ったらで、それ以外のところで送別会をするような余力はありませんのでご容赦下さい」
ネアはここでまた、先程の妖精が目に入ってしまった。
「…………つぶつぶしていないなんて」
「あのカードゲームの支払いもまだなんじゃないのか」
悲しげに呟くネアに、アルテアは自ら罰ゲームのことに言及してくる。
距離を置きたいのか、かまって欲しいのかよく分らない魔物だ。
「当分はウィームに来られないそうですので、また顔を出してくれた時でいいですよ。春告げの舞踏会の頃には、またお会い出来るでしょうか?」
「ほぼ半年後だな」
「どこに行かれるのかは存じませんが、体には気を付けて下さいね。また捕まったりしないよう、悪い遊びにも注意して下さい」
「おい待て」
ネアはぐいっと腰を引き寄せられ、拘束された。
アルテアは何だか少し怒っているようだが、何かおかしなことを言っただろうかと、ネアは首を傾げる。
ぴったりと体を抱き寄せられても、スカート部分が膨らんでいるので少し距離はあるが、腕の中におさめられることでの閉塞感に少しだけ息をひそめた。
「体調管理に言及したのが駄目だったのでしょうか。では、野生の力を信じていますので、お元気でいて下さいね」
「…………お前、さては怒ってるな?」
そう問いかけた声は慎重なものだった。
ネアは首を傾げて自問自答したが、特別腹が立っている感じはしない。
あるとすれば、がっかりしていることだけだろうか。
「そんなことはありませんよ。果たすつもりもない約束を盾に、私のパイを齧った使い魔さんが疑い深いだけなのです」
「そのまま全部口に出てるぞ。……………ったく」
「むぐ。頬っぺたを引っ張るのはやめるのだ」
「パイは作ってやる。それでいいな」
「む………」
ネアは、突然森への帰路から引き返してきたアルテアに驚いた。
しかし、そんなアルテアはどこか呆れたような目をしてこちらを見ている。
少しご機嫌になったようだが、なぜだろう。
「………お口は五日以内を所望しているのです」
「わかったわかった。…………何でまだ不貞腐れてるんだ」
「白もふの撫で回し罰ゲームに応じないのであれば、もうアルテアさんは、カード仲間に入れて差し上げません」
そう言ってからネアは、自分が悲しかったのは、自分にとって価値のある楽しかった時間を、アルテアが煩わしいと思ったのかもしれないという部分だったのだと思い至る。
そんなことで傷付いてしまったので、アルテアは怒っていると勘違いしたらしい。
(自覚がなかったけど、そういうことだったんだ……)
ネアはそんな自分の我が儘さに、少しだけ反省した。
野生のものは野生のものでいいと考えながらも、みんなで遊ぶことを楽しいと思って欲しいと強要するならば、何て強欲なのだろう。
他者の心を捻じ曲げる我が儘は嫌いなので、そんな自分の幼稚さに密かに恥じ入る。
しかしそれを、アルテアは白けものに会えない落胆だと捉えたようだ。
深々と溜め息を吐いてから、ネアの頬を指先で撫でる。
どこか甘やかすような仕草にむむっと目を上げると、上目遣いはやめろと謎に叱られた。
「それは来週だ。いいな?」
「白もふ………!」
使い魔が森コースから戻ってきたので、ネアは安心して白もふを思い、目をきらきらさせた。
するとなぜか、アルテアは微かにほっとしたような顔をする。
これはもしや、構って欲しくていなくなるアピールをしただけなのだろうか。
(ボール投げをぞんざいにすると、時々狐さんも飾り棚の下に隠れてしまって尻尾だけ出しているけれど、ああいう感じなのかしら………)
その場合は、狭い飾り棚の下からふわふわの尻尾だけが覗いている恰好になる。
銀狐が激しく不貞腐れている時だけの仕様なのだが、今のアルテアの言動がそれだとしたら、なかなかに面倒臭いぞとネアはこっそり呆れておいた。
しかし、すぐに死んでしまうディノを筆頭にウィリアムもノアも、面倒臭い部分のない魔物はいないので、人外者特有の厄介な部分めいたあれなのかもしれない。
「もしかして、………本当に森に帰るつもりはなかったのでしょうか?」
「いい加減にその森前提をやめろ」
「………それとも、ま、まさか、ここまで懐いておいて、最後にパイや白もふをちらつかせていなくなるという、高度な攻撃を初めから目論んでいたのでは………」
「そんな訳ないだろ」
「………虐められたばかりなので、信頼が失われています。一週間後にパイが届かなければ、激辛香辛料油で攻め滅しに行きますよ!」
「やめろ。どうせお前のことだ。冬告げにも行くつもりなんだろうが。大人しくしてろ」
「あら、冬告げの舞踏会は、ウィリアムさんが連れていってくれるんですよ?」
ネアがそう言えば、アルテアはぴたりと動きを止めた。
鋭い赤紫の瞳に見下されて、ネアはこてんと首を傾げる。
「あいつに、お前の準備を整えるだけの甲斐性があるのか?」
「そこは大丈夫なのです。この前にウィリアムさんと毛皮の会の打ち合わせをしたときに、そう言えばまだドレス姿を見たことがないからと言ってくれて、素敵な仕立て屋さんに頼んでくれるそうですよ」
そう言われて、ネアは何だか嬉しかった。
時々、ウィリアムからは孫でも見るかのように接されているのではと感じるので、己の魔術可動域の低さを呪ったりもするのだ。
だが、ドレスを作って舞踏会に連れて行ってくれるということは、きちんと淑女として扱ってくれていることになる。
しかし、アルテアはあまり賛成ではないようだ。
「あいつはろくでもない女ばかり引き寄せる。揉める予感しかないがな。くれぐれも、信奉者に刺されるなよ?」
「あら、そんな風にまたウィリアムさんの悪口を言ってはいけませんよ。もし困った方がいたら、ウィリアムさんがささっと滅ぼしてくれるので、安心なのだそうです」
「そら見ろ。邪魔な奴等を殺す気満々だろうが」
「私を守ってくれるという、頼もしいお言葉ではなく………?」
「自分が楽しむのに目障りな奴等を、お前を口実に殺すつもりなんだろうな」
「………ほわ。やんちゃですねぇ」
「感想がおかしいからな?」
「それと、お知り合いの方も来るんですよ?ウィームからはジゼルさんも参加しますし、私の大好きな雪の妖精さんも、その日だけは特別な道が繋がるので安心して外に出られるのだそうです!」
ディノですら季節を告げる舞踏会には入れないように、その舞踏会を構築する魔術にも理がある。
ディートリンデは閉ざされた空間の中に住む妖精だが、雪の最古参のシーであることから、冬告げの舞踏会の日だけはその会場となる空間に繋がる扉が、閉鎖されたあの森に現れるのだそうだ。
それは自然派生の魔術の不思議なのだそうだが、あの穏やかで優しい妖精にまた会えると知り、ネアは冬の舞踏会を今から楽しみにしていた。
「どうぞ、ケーキが回ってきたよ」
「まぁ、有難うございます。これが噂の指輪のケーキですね」
横から声をかけてお皿を渡そうとしてくれたのは、先程お喋りした麦の魔物だ。
有難く頂戴しようとしたネアは、すかさずアルテアに両手を拘束される。
「むが!」
「食べ物を受け取るなと言っただろう。それと、麦穂を燃やされたくなければ、お前はしゃしゃり出てくるな」
「冗談だよ、アルテア。本当に気に入ってるなぁ。さっき向こうで、ダイアナがこんな君は初めて見たとぼやいていたけど?」
「興味ないな。さっさと消えろ」
「それから、あの白薔薇も、君が伴侶を得たのか気にしていたね」
白薔薇とは誰だろうとネアが不思議そうにしていると、麦の魔物は、白薔薇の魔物の系譜の魔物の中でも、最高位の白薔薇の公爵がいるのだと教えてくれた。
花の系譜はその花種や色に応じて多様化しており、もっとも複雑な系譜の一つなのだそうだ。
白薔薇一つでも、野薔薇の白や、庭園などで重宝されるような大ぶりな薔薇の花と種類がある。
今回の舞踏会に来ているのは、最近なぜか階位を落とし九席になった男性の白薔薇なのだとか。
アイザックとは犬猿の仲らしく、アルテアからくれぐれも関わらないようにと念を押される。
「暇人どもめ。他に話すことはないのか」
「豊穣のジアートが、どうやら君は伴侶ではなく使い魔になったらしいと話していたけど、それは本当かい?」
「…………おい」
「こちらを睨まないで下さい。あの方が傍にいる時に、アルテアさんがその言葉を口に出したのですよ?」
「こりゃ、本当なのか。いや、参った。アルテアにその趣味があるとは。………でもまぁ、君は前にも神父のふりをして孤児を育てていたり、人間遊びは幅広いものだったから変わってないのか。くれぐれも、わざと捕まってみて逃げ出せなくならないように」
そう笑って悪戯っぽくウィンクすると、麦の魔物はその場を離れていった。
その背中を見送りながら、ネアは使い魔をじっと見上げる。
「わざとではなく、本気で捕獲されてしまっただけなのに……」
「やめろ」
「そして、指輪のケーキはどこから回ってくるのでしょう?気付けばみなさん持っていますので、私も欲しいです」
「系譜の使用人達が持ってくる。数が決まってるから、配り漏れはない。安心しろ」
「林檎のケーキでしたよ!ふわふわの白いホイップクリームが乗っていて、美味しそうですね!」
期待して待っていると、やがて水晶のお盆に乗せたケーキを、秋の系譜の妖精が持って来てくれた。
お盆の上から華奢な白いお皿を取り、その上にのった美味しそうなケーキにネアは頬を緩ませる。
煮林檎のショートケーキのようだが、上には葡萄と無花果が乗っていて、スポンジと煮林檎の間にはカラメルクリームの層もあるようだ。
「ほわ、………煮林檎のいい匂いがします!」
「だから、弾むなと言っただろ………」
「おのれ、肩を押さえる悪い魔物め!」
「ケーキが好きなのか?」
不意に、隣に並んだ誰かから声をかけられた。
「こちらの方が大きい。交換するか?」
「……むむ」
「レザート、お前もしつこいな」
アルテアが露骨に不機嫌になったのは、いつの間にかネアの隣に立っていたのが、葡萄のシーだったからだ。
相変わらずお相手の姿は見えないが、どこかにいるのだろうか。
ネアはさすがにケーキの交換に応じはしなかったが、確かに葡萄のシーの持ったケーキの方が大きい。
悔しい気持ちでそちらを見ていると、呆れたアルテアに自分の分を分けてやるからと叱られてしまった。
会場の中心では、小さな毛むくじゃらの生き物が、ガウガウと話している。
尻尾と羽を見る限り竜のようなので、ネアはあれが本の竜だろうかと凝視した。
何やらスピーチ的な場面のようだ。
「俺のことを、房の葡萄で想像した人間はいなかったので面白いと思った。それに、多色性の瞳や髪色も美しい。人間にしては珍しい人外者好みの色合いだ」
「俺の話を聞いてなかったのか?」
「俺は、夜の饗宴を司る夜葡萄のシーだ。想いを迷わせるのも資質の内だからな」
「言っておくが、こいつは我欲が強くてとことん強欲だからな。今持つ想いを迷わせるのは無理だと思うぞ」
その一言は少し不穏だったので、ネアはアルテアに尋ねてみる。
「葡萄の妖精さんは、除草剤で滅ぼせますか?」
その途端、アルテアとレザートが同じ顔で振り返った。
やはり、この二人は少し似ているらしい。
「………お前はそういう奴だが、絶対にやるなよ。麦と同じで被害の範囲が大きくなる」
「むぅ。ではこの妖精さんに悪さをされた場合は、どうやって殺せばいいのでしょう」
「そもそもさせないが、殺さない程度にしろ。お前が持ち込んだ除草剤の場合、シルハーンが作るんだろうが。洒落にならない」
「では、べたべたするキノコが生えてくる呪いで手打ちにしましょう」
「…………既に報復する前提になってるぞ」
「は!………まだ悪さをされていませんでした。危うく、何もしてない方を滅ぼしてしまうところでしたね」
ここでネアは、怪訝な顔でこちらを見ている葡萄のシーに、自分に何かしたら、キノコの呪いをかけるか、お尻が痒くて堪らない呪いをかけると戒めておく。
「そう言えば、以前にキノコの呪いをかけた雪喰い鳥さんにキノコが生えてくる季節ですね。あのキノコが食べられるのか、判明しましたでしょうか」
「………凄い女の趣味だな、アルテア」
ネアがキノコについて思いを馳せれば、レザートは目をぱちくりさせた。
慄いているというより、単純に驚いているようだ。
「わかっただろう?獰猛で残虐な人間だからな。ウィリアムも狩れるくらいだからな、近付くなよ」
「む!ウィリアムさんは狩ったのではなく、ひっくり返しただけですよ?しかもただの酔っ払いです」
「いや、ウィリアムを無力化したなら充分だろう」
レザートにまで感心したように言われ、ネアは鮮やかな紫の瞳を見上げた。
こうして見る度に、つぶつぶ葡萄ではないという失望に襲われるが、やはり美しい妖精だ。
春の妖精達がネアを醜いとか、地味だとか言っていたのに対し、この妖精はネアの持つ色合いを気に入ったようだ。
系譜や属性ごとに嗜好の違いがとてもはっきりとしているのも、この世界の不思議であった。
そう思ってレザートを見ていたら、ふっと口元を緩めて微笑みかけられる。
「気に入ったのか?」
「………つぶつぶしてないなんて」
「…………寧ろ、君がどんな姿で想像してたのか少しだけ気になるな………」
「つぶつぶの葡萄色の小さな丸いやつです。叩き潰すと死んでしまうので、簡単に躾られるんですよ」
「………躾けるのか」
「勿論、良い子なら叱ったりしませんよ。その辺を好きに転がしておきます」
「おい、叩き潰すことへの躊躇いのなさが一番の問題だからな?」
「ふっ。人間とは残酷な生き物ですからね」
興味本位からうっかりネアの想像の葡萄の妖精像を聞いてしまい、レザートはいささか唖然とした様子だった。
聞けば、この妖精はアルテアの暇潰しと、あちこちで道が交差する相手なのだそうだ。
夜葡萄のシーは、葡萄酒による饗宴をも系譜の一環として司どり、葡萄酒の妖精達と共に酒に溺れた人間達を滅ぼす妖精なのだそうだ。
残忍だが美しく奔放な妖精として、夜葡萄のシーには一定数の信者がいるのだとか。
「俺の神殿には、人間の奴隷達もたくさんいるが、望んで仕える者達ばかりだ」
「まぁ。………でも、そのような趣味嗜好の方もいますからね。踏んでほしいとか、髪の毛を引っ張って欲しいとか、そういう要求はありませんか?」
「…………いや。ないな」
「じゃあ、なぜそこにいるのでしょう?つぶつぶもしていない妖精さんですのに……」
ネアが首を傾げると、レザートは途方に暮れたような目をした。
ネアの言い分が理解を超えたらしく、少しだけ自分会議に入るようなので、ネアはケーキを美味しくいただくことに専念した。
(…………美味しい。クリームと煮林檎がとってもよく合って、上の無花果の隣の白いクリームがさりげなくホワイトチョコレートのクリームなのもとっても美味しい!)
笑顔でぱくぱくと食べ進め、ネアは早くもアルテアのお皿にも狙いをつける。
じっと凝視すると、フォークを差し出し一口食べさせてくれた。
むぐむぐしながら頬を緩め、ネアはまだ温存している自分のケーキに戻る。
「………寄越せ。捨てておいてやる」
そこでアルテアが一言挟んだのは、ネアがケーキの中から金色の指輪を発掘したからだ。
しかしネアは、アルテアがいらないかどうか確認した後、その指輪をさっと近くにいたレザートのお皿に放り込んでおいた。
「…………なぜ俺の皿に」
自分会議が終わってケーキに向き直ったレザートは、自分のケーキの横に乗った指輪に気付き、顔を曇らせていた。
しかしネアはその前に適度な距離を取ってしまったので、犯人とは特定出来なかったようだ。
疑り深い目でこちらを見ているが、ネアはアルテアの陰に隠れてつんとそっぽを向いている。
つぶつぶへの夢を打ち砕いたことへの、ささやかな抵抗なのだ。
「おお、今年はレザート様でしたか」
そしてその指輪をどうしようかと考えていたらしい一瞬で、レザートは秋告げの精霊の部下達に捕まった。
秋告げの精霊の系譜は、淡い金色の高貴な狸のような不思議な生き物だ。
長い尻尾が途中から霞になっているので、どこか神獣めいた容貌に見える。
「……いや、俺のものでは」
「ささ、こちらにいらして下さい」
「いや!俺は結構だ……。おい?!」
連れ去られてゆくレザートを見送り、ネアはアルテアと顔を見合わせた。
「………ほわ。連れ去られて行きました」
「哀れなやつだな………」
レザートはそのまま秋告げの精霊に連れ去られてゆき、ネアはその姿を悲しげに見送った。
そこでふと、腕を引かれて視線を持ち上げる。
「選抜会が終わったから、これから最後のダンスだ」
「まぁ、また踊れるのですね」
「踏み込むことで場の祝福を定着させるからな。………ほら、腕を伸ばせ」
低い囁きに、ネアは視線を戻した。
「棒切れは何者でしょうか」
「落葉の魔物だ」
「…………あれが、魔物さん」
魔物とは何だろうとアルテアを見上げれば、その瞳の透明さと鋭さに引き込まれる。
高位の魔物程、その資質は被らないというが、同じ澄明な色彩でもやはり、ディノとはまるで違う瞳の色だ。
「…………今日はお友達が出来ませんでしたね」
「作らなくていいからな」
「そして、アルテアさんに虐められたので少しだけ悲しかったです」
小さく呟いた言葉に、アルテアは少し黙る。
会場に流れる優雅な舞踏の調べに、人ならざる者達の囁きや、くすくすと笑う声。
はらはらと舞い落ちる鮮やかな落ち葉と、けぶるような月光のヴェール。
花の香りと月煙の香りの中を、薔薇霞のドレスの裾を翻して踊る。
少しだけ先程よりも深く抱き寄せられ、背中に手のひらの温度を感じた。
そう言えばさっき、アルテアは手袋を外していたなと思い出し、ネアは大きく開いたドレスの背中が少しだけそわそわした。
ゆっくりとなぞられると、ふぁっとなる。
少しだけ笑う気配に、むぐぐと眉を寄せた。
「ネア」
「はい?」
名前を呼ばれてふと感じたのは、こうしてあらためて名前を呼ばれることは、意外にも少ないということだった。
ご主人様の名前を呼ぶのが大好きなディノや、甘えてくるときにネアの名前を連呼するノアとは違い、アルテアはあまりネアの名前を呼ばない。
「俺以外には、使い魔を取るなよ」
低く甘い声には、魔物らしい問いかけの暗さが滲む。
それはまるで雪喰い鳥の試練のように、或いは雨降らしの謎かけのように、魔術の潤沢な人ならざる者の力と容赦のなさが伺え、ネアは安易に答えないようにと自分を戒めた。
「む。魔術可動域的にもう何も出来ないのを知っていて、わざと言いましたね?」
「さてな。だが、お前が他のものを取り込まない限りは、お前の側に居てやる」
優しい声ではないそれは、決して得るだけの提案ではないのだろう。
魔物らしい老獪さには勿論、それが彼自身の愉快さの為だとわかる。
「………ついさっき森に帰ろうとしました」
「お前が舌の根も乾かない内に、他の魔物を籠絡してくるからだろ」
「でも、アルテアさんはきっとまた、特に何か理由がなくても悪さをしますよ?これは魔物さんとはそういうものなので、仕方ないことだとは思いますが」
「かもな。だが、お前はそれでも俺を使い魔にしたんだろう?それなら、その決断に責任を持て」
「むむ。二回目の契約は、ディノとアルテアさんからの問答無用だったのでは……むが!」
仲良くしていたいし、美味しいご飯と白もふは捨て難いが、ネアはしたたかな人間なので、責任を持てという言葉が出てくるといささか足踏みしてしまう。
既に一等に大切なものはあるのだ。
ネア程度の能力のちっぽけな人間に、それ以上の素敵なものを守るだけの余力があるだろうか。
強欲さを受け入れてはいても、それが破綻に繋がるものの場合はおいそれと頷けない。
ましてや、アルテアは自由さを好む魔物ではないか。
しかし、ぽそりと反論してみたところ、おもむろに顔を寄せられ、ネアは耳を齧られてしまった。
前回に首を噛まれた時にも思ったが、やはりアルテアは雪豹に転じるだけあって、猛獣系のスキンシップを好むようだ。
齧られて涙目でふるふるしているネアに、アルテアは黙れと言わんばかりの目をする。
「なぜに噛まれたのだ」
「お前の所為だな」
「何たる理不尽さでしょう!それに、使い魔さんが懐き過ぎているので、他の使い魔さんを飼う余裕はありません。おまけに、パイで私を翻弄するので、思ってたより管理が大変です」
「言っておくが、お前は何の管理もしてないからな」
「なぬ?!これだけ貢物を美味しくいただいていて、森に帰る詐欺でも殺さずに許したのに、何たる言い草でしょう!」
「何で殺すのが基本形なんだよ」
「これからも仲良くして下さいねと言った途端、いなくなると言われたのです。悲しくて胸がきゅっとなったので、これは殺してもいいに違いない……と、………アルテアさん?」
ネアの主張の途中で、なぜかアルテアは小さく呻いた。
ネアが目を瞠れば、首筋に顔を埋められて顔を隠されてしまう。
耳元がもしゃもしゃするので擽ったいし、踊るのに背中に力を入れる必要があるので、ネアは渋面になった。
「………お前は懐き過ぎだぞ。節操なしめ」
「なぜそうなったのだ。解せぬ」
そこでちょうどダンスが終わったので、ネアは近くにいた秋告げの精霊の系譜の使用人に、連れの気分が悪くなったのでとエチケット袋をお願いした。
その途端、しゃきっとなったアルテアに頭をはたかれたので、いつかまとめて仕返ししようと思う。
なお、持ち帰った豊かさの祝福は、お留守番をしていたディノにあげることにした。
舞踏会に参加するだけで身に得られる祝福も多いので、帰り際にきらきらする金色の結晶石で貰った祝福は、色々な葛藤を堪えてご主人様を舞踏会に出してくれた魔物にあげたかったのだ。
ディノ曰く、ご主人様度を豊かにすることに使ったそうなので、ネアはご褒美の要求レベルが上がりそうで少し後悔している。