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178. 拾ったものを縛ります(本編)



「秋告げの精霊さんは、なぜ失踪したのでしょう?」


ネアがこてんと首を傾げてそう言えば、なぜかアルテアにひょいっと持ち上げられた。


「何をするのだ」

「秋告げの精霊は、この舞踏会の中心の柱だと言っただろう。場合によっては、足元が揺らぐぞ」

「ちょっと上手く理解は出来ませんが、たいそう迷惑なやつだということは分りました」

「最高位の精霊の一柱だけどな」

「そもそも、なんで失踪してしまったのでしょうか?苛められたりしてしまったのですか?」

「気体をか?」

「…………そうなると、どうしてそこにいると把握出来るのか、どうして失踪が露見したのかも謎めいています」


ドレスに嵩があるので、アルテアは少し力を入れてネアを抱えているようだ。

気を抜くとドレスのスカート部分がふわっとして、前が見えなくなるのだろう。

ネアはネアで、体を固定するべくアルテアに掴まるにしても、装飾過多なケープをくしゃっとやりそうでおぼつかない。

アルテアもそこが気になったらしい。


「…………小脇に抱えたほうが楽そうだな」

「やめていただきたい。その場合は、紐かなにかで繋いでおいて下さい」

「契約で足場を繋ぐか………」

「まぁ、そういうやり方も出来るのですか?」

「使い魔の契約があるだろう」

「成程。それで、使い魔さんと私を結ぶか何かするのですね」



そこでネアは、ふっと横を向いたところで、愕然と目を瞠っているジアート氏を見ることになった。

目を真ん丸にして呆然としているので、ネアは今のアルテアとの会話を振り返る。


(…………あ、使い魔の話をしてしまったような)


仕方がないので、ネアはこちらを見て固まってしまっているジアートに、こくりと頷いておく。

そうすると慄きながらもこくりと頷いてくれたので、この話はもうおしまいだ。

幸いにも、ダイアナは駆け寄ってきた妖精と秋告げの精霊の失踪について話をしており、ネアとアルテアのやり取りは聞いていなかったらしい。

その代わり、振り返ってアルテアがネアを抱えているのを見て、ぎょっとしたように目を瞠っていた。



「下すぞ。くれぐれも、その場所から動くなよ?」

「私は珍獣か何かではありませんよ」

「ほとんどレインカルだろうが」

「おのれ、ゆるすまじ」


足場を繋ぐ何かを行うことにしたらしく、アルテアはネアを一度地面に下し、またしてもいつの間にか手にしているステッキで、コンコンと地面をつついた。

金属の棒を叩いたような重たく澄んだ音がして、さあっと足元に走ったのは魔術の糸のようなものだろうか。

ネアはそれを不思議に思うのと同時に、足元でもがいていた不思議生物を拾って抱っこする。

素敵な赤銅色でもふもふしていて、なかなかに素敵な手触りだ。

しかし撫でまわすと、短い毛の部分がちくちくするので、ネアは顔を顰めた。



「ヘストが失踪した理由がわかったのか?」


アルテアが会話しているのは、駆け寄ってきた妖精から事情を聞いたダイアナだ。

どうやら先程の妖精は、会場内にいる高位の者達に、場を維持する為のお願いをしつつ、秋告げの精霊がいなくなった事情を説明して回っているらしい。


「楓の精霊が逃げ出したそうなの。あの精霊は気紛れですものね」

「アチェロが行方不明……?」

「ええ。一度は来たようなのだけど、アチェロは気紛れですもの。でも、ヘストの一番のお気に入りだわ。系譜の精霊達の言葉によれば、アチェロが出て行ったのを見て、ヘストは慌てて追いかけていってしまったそうよ」

「迷惑にも程があるぞ」

「まったくだけれど、精霊はそういうものだわ。さて、私は向こうに行って場を維持する為の月光をもう少し切り落とさなくては。…………アチェロ?」



ふむふむとアルテアの影からその話を聞いていたネアは、こちらを見たダイアナが驚きの声を上げたので目を瞠った。

なぜかダイアナは、ネアの腕の中にいるふわふわ生物を凝視しているようだ。



「…………お前、今日は何も狩らないんじゃなかったのか?」


ダイアナとそのお連れの男性は言葉を失ってしまい、たっぷりとした沈黙を挟み、かなり渋い声でそう言ったのはアルテアだ。



「む?何も狩っていませんよ。こやつであれば、足元に落ちてひっくり返ってもがいていたので、拾っただけです」

「何でお前の側に落ちてるんだ」

「知りませんよ。踏み滅ぼさずに拾って差し上げたのは、このふわふわ故。このふわふわでなければ、とうに不埒ものとして滅ぼします」

「………それは、楓の精霊だ」

「…………この、お膝用クッションのような、もちふわの謎生物がですか?」

「秋の系譜では、ヘストに次ぐ最高位の精霊だぞ」

「……………何と言うか、………クッションのような、むちむちで美味しそうな生き物です」

「ムギ?!」


ネアに抱っこされてよきにはからえな感じだった楓の精霊は、その感想を聞いて飛び上がった。

ふるふるしながら、どこが顔だかわからないクッション具合でネアを見ているようなので、ネアは素直な心のままの言葉を伝える。


「毛皮を毟って串揚げにしたら美味しそうな色合いです。でも、いなくなったら困るようですので、諦めざるを得ません」

「ム、ムギィ」

「なぜに、出来立ておまんじゅうのような形状なのでしょう?食べてくれと言わんばかりではないですか」

「ムギ…………」

「ふむ。やはりこうして見ていると、つるんと剥いたら美味しいものが出てきそうに見えますね……」

「ムギ?!」


楓の精霊はすっかり震え上がってしまったが、ネアに掴まれているので身動きが取れない。

この赤銅色の生き物が脱走犯の一人だと知った段階で、ネアは、やわらかいお肉をむんずと片手で掴んでしまっている。



「食うなよ………」

「アルテアさんなら、いつもみたいに美味しく料理出来るのでは?」

「悪いが、高位の精霊を調理する趣味はないな」

「そして、こやつを捕えたのならば、こやつを囮にしてその失踪した精霊さんを釣れるのではないでしょうか?」

「…………おい、まさか」

「釣り針のようなものにえいやっと引っ掛け、その辺に吊るしておけばきっと帰ってきますよ」

「ム、ムギィ?!ムギムギィ?!」

「釣り針に刺したらどうなるかは考えたんだろうな?」

「むぅ。高位の方は丈夫だと聞いていたのですが、死んでしまいますか?」

「………そうか。どうなるのかを分った上でその判断なんだな」

「ふわふわで美味しそうですが、うちのムグリスや白もふさんよりは、手触りが落ちます。少しちくちくする部分もあるので、一度抱っこしたら早々に飽きてきました」

「ムギー?!」

「狐さんの鳴き声に少し似ているのですが、若干、鳴き声が低め過ぎるのもあまり好みではありません」


完全に楓の精霊に飽きてしまったネアは、片手で鷲掴みにしたままの精霊をぶらんと下げて、お料理のテーブルの方を振り返る。

小さなカップに入った、キノコの濃厚なスープがあり、そちらに興味を移した。


(この生き物は紐か何かで縛っておいて、スープを飲みに行きたいな……)



そこでネアは、一度楓の精霊をアルテアの手にパスし、首飾りの金庫から取り出した災害用ロープできゅっと縛り上げた。

そしてそのまま、貴婦人のポシェットのように片手に楓の精霊を下げて、スープを飲むべくすたすたと歩き出す。


「…………おい、そいつは置いていけ」

「しかし、逃げたら困るのですよね?こうして持ち歩けば、いつか秋告げの精霊さんも帰ってくるのでは?」

「お前が持ち歩く必要があるのか?秋告げのところの精霊に預けてくればいいだろうが」

「まぁ、そう出来るのであれば早く言って下さい!私はきのこのスープが飲みたいので、こやつは早々にぽいします」

「お前、………しかも、随分と妙な縛り方をしたな?」

「なぬ。…………栞の魔物さんの祝福を忘れていました」



ネアは、うっかり専門的な縛り方をしてしまったことに気付き青ざめたが、幸いにも既にその精霊はアルテアが受け取ってくれている。

アルテアに届けて貰えば、縛ったのもアルテアだろうという感じになるに違いないと、ほっと胸を撫で下ろした。


「ダイアナ、秋告げの配下達はどこに行った?」

「…………あちらにいるわ。ジアート、あの精霊を呼べるかしら?」

「てやっ!」


けれどその直後、高位の男女は思いがけず激しい動きをした人間の小娘に、愕然とした。

ほとんど真顔になってしまった二人の横で、ネアはいい運動をしたという風に額の汗を男前に拭う。


「まさか縄抜けしようと目論むとは思いませんでした。これで、安心ですね」

「…………お前、あれが高位の精霊だということは、ほとんどどうでもいいんだな………」

「赤茶色のもふちくです」

「もふちく………?」

「少しだけちくちくする毛があるので、あまり好みではありません」


ネアの奇行に慣れてしまっているアルテアは平然としているが、あまり免疫のないダイアナとジアートはほとんど石化しているに等しい。

ネアは、秋告げの系譜の精霊を呼びに行く話をしている二人の上を通す感じで、何やら縄を切ろうとしゃきんと鋭い刃物的なものを取り出した楓の精霊を、刃物を叩き落して秋告げの系譜の精霊達にロングパスしたのだ。


都合がよく縄がかけてあったので、縄の部分を掴んでぽいっとやれば、勢いもついて飛距離も伸びる。

自画自賛したいくらい見事な放物線を描き、楓の精霊は秋告げの系譜の精霊の一人の腕の中に収まった。


どこからか飛んできたものを勢いでキャッチしてしまってから、その精霊は腕の中のものが探していた楓の精霊だと気付いたらしい。

しかもいい具合で持ち運び用の縄がついているので、何やらもしゃもしゃと魔術をかけて楓の精霊を無力化すると、お供え物のように、ぐったりしたもふちくな体を抱え上げ、主を呼び始めた。


するとどこからか、ぶわっと風のようなものが吹き込んできて、そのお供え物を攫ってゆく。

片方の秋告げの精霊の姿が見えないので奇怪な絵になっているが、発見されたお気に入りを持ち上げて喜んでいるらしい。

楓の精霊の方は完全に失神してぐんにゃりしているが、秋告げの精霊はあれで幸せなようだ。



「ふむ。解決しましたね。アルテアさん、スープを飲みに行きましょう」

「よくもその一言でまとめたな………」

「ほこりも、昔はああして投げて遊んで欲しがりましたよね」

「何の話だよ」

「そう言えば、………アルテアさんは、楓の精霊さんにご用があったのでは?ごめんなさい、すっかり失念して投げてしまいました」

「前に足元をうろつかれたからな、釘を刺しておこうと思っていたが、お前からの仕打ちを見てその気が失せた。あれで充分だな」

「では、安心してスープのところへ向かいますね!」


まだ固まったままのダイアナたちに会釈をし、ネアはアルテアを引っ張ってスープの置かれたテーブルまで歩いていく。

道中でアルテアに指先確認をされて眉を持ち上げれば、二度と素手で刃物を叩き落してはならないと叱られた。

ネアの手を調べる為にわざわざアルテアは手袋を取ったので、少し心配させてしまったようだ。



「アルテアさん、……月の魔物さんと、お話をしなくて良いのですか?」


なのでネアは、少しだけ真剣にそう尋ねてみる。

アルテアが誰かに深く心を傾けている様を見たことはないが、こうして近しくなってくれば、彼にだって情深いような一面はあるのだと思う。

ネアがまだ知らないアルテアが誰かを望むとして、その真剣さを自分の面倒を見ていることで損なわせては堪らない。


「お前は、やたらそこを気にするな?」

「先程の方とお喋りしているとき、アルテアさんは、アルテアさんとしてお話しされていました。過去に二人ほどアルテアさんと関わりのあった女性を目撃しましたが、その方達とは違う関係のように思えるのです」

「まぁ、昔馴染だからな」

「そんな方なら、もう少しきちんとお話をされてみては?」


こちらを見た瞳の鮮やかさと鋭さに、ネアは少しだけぎくりとする。

自分が邪魔をしてしまって拗れたら嫌なので少し踏み込んだが、アルテアには不愉快なことだったようだ。


「まさかお前、俺の為にとでも言うつもりか?」

「いえ。すっかりさっぱり、私の為ですよ。今回のことで拗れてしまい、後でアルテアさんや、あの美しい方に恨まれたりしたら堪らないのです」

「………それはない。元々、そういう関係じゃなかったからな」

「後で、後悔しません?あの方と少しお喋りしてきても、私は拗ねてパジャマ情報を拡散したり、白もふを苛めたりしませんよ?」

「しつこいぞ。あれはただの暇潰しだ。ダイアナの方も、勝手に入れ込む程愚かでも無垢でもない」


ネアは、それは男性側の勝手な意見だという気がしたが、アルテア自身がここまで否定するのであればそれ以上に重ねる言葉はなかった。

ネアにとっての知り合いはあくまでもアルテアなので、彼が欲しないものを勧めても仕方ない。


「それなら……」

「そもそも、ダイアナは元々シルハーンの寵を競っていた女だ。俺にとやかく言うなら、そっちも口出しするのか?」


ネアは、刺し貫くような赤紫色の瞳を見上げ、魔物らしい弄うような悪意の温度に得心する。


「苛めっ子になりましたが、その質問にお答えするのならば、ディノにはそうは言いません。ディノは今はもう私の婚約者ですし、かといってその過去に傷付くこともありません。せいぜい、………ちゃんと素敵な女性の方とも親交があってほっとしたというところでしょうか」

「…………ほっとする?」

「男性の方にはわからない感覚なのでしょうか?アルテアさんが、シシィさんのような素敵な方とお付き合いしていたのに、うちの魔物はレーヌさんを選んだのかと思うと、むしゃくしゃするのです。素敵な女性にも選んで貰える魔物で良かったと思いまして」

「所有物の付属価値の話になってるぞ」

「いえ、そういうことではなく、………ディノは、あんな感じで無防備なところがあるでしょう?あまりお友達と一緒にいるような性格でもなさそうですから、そんなディノに素敵で優しい方が寄り添ってくれていたなら、せめて少しは寂しくなかったでしょうか」

「…………お前」


呆れたような目をされたが、それでもネアだって時々思うのだ。

ネアと出会う前のディノが、悲しかった話や寂しかった話をする度に、胸が締め付けられそうになる。

なので、そんなディノの側に誰かがいてくれた時間があるのならば、それは羨望というよりも安堵に近しい思いで受け止められると。


そしてそれは多分、ネアがいなくなった後のこの先のことであっても。



「とは言え、私の持ち時間に食い込まれたら、もやもやはするでしょう。大事な魔物を取られてしまったら怒り狂うしかないので、何でも気にしないという訳でもないのが、矮小な人間の辛いところですね」

「相変わらず………」


その時のアルテアは何かを言いかけ、ネアがおやっと視線を向けると困惑したように口籠った。

ネアは少しだけ考え、必要とされないのも面白くないのだろうかと首を傾げ、アルテアの袖を引っ張る。


「でも、アルテアさんも、タルトやパイを作ってくれなくなったら困るので、その隙間は私に空けておいて下さいね」

「見事なくらいに食べものしかないぞ。他にもないのか」

「今日のような会も勿論ですが、白もふさんもなでなでしたいですし、………みんなで夜にお酒を飲んだり、カードで遊ぶのも楽しかったですね。合宿も楽しかったです!あんな風にこれからもずっとお会い出来たら嬉しいので、本当はもう少し近くに住んでいて欲しいのです。いなくなったりしないよう、事故や病気にも気を付けて下さいね。………む?」


いい事を言えたぞとネアが得意げな顔になったところで、なぜかアルテアは片手で顔を覆ってしまっていた。


「……………節操なしめ」


ややあって、呻くように言われたのはそんな台詞だった。

さすがに聞き捨てならないので、ネアも反論する。


「なぜにその評価なのだ。今日は髪結いの魔物さんにも、お友達になって下さいと言ってふられたばかりなのです。逃げないで下さい」


しかし、ネアのその言葉を聞いて、アルテアはすっと目を細めた。


「…………お前は、また余分を増やそうとしてるのか」

「髪結いの魔物さんは、女性の方ですよ。ディノも荒ぶりますが、同性のお友達枠まで封鎖されるのは遺憾なのです」

「だが、ふられたんだろ。……………それに俺も、そうそうお前でばかり遊んでられないぞ。当分ウィームに行く用もないしな」

「なぬ」



ふっと唇の両端を持ち上げて婉然と微笑んだアルテアに、そう意地悪な感じに言われて、ネアは愕然とした。


逆に羅列してしまったことで、最近は一緒に遊び過ぎだと認識してしまったのか、アルテアはつれない様子だ。

しかし、普段であれば好きに野性に戻り給えのネアだが、今回ばかりは先程一口譲ったパイ包みをすぐに作って貰えるとばかり思っていたので、話が違うではないかという気持ちになる。


お口の中の欲求的には、せいぜい五日間ぐらいしか我慢が出来ない感じなのだ。



「ふぎゅ…………」


しかし、その苦情を言おうとしたところで、ネアはパイ包みを失わない為にどう交渉するべきか思考の迷路に入り、しょんぼりしてしまう。

使い魔とは言え相手はしたたかな魔物なので、五日間を締め切りにパイ包みを再現して貰うには、どのような言葉選びが最適なのか、決して負けてはならない戦いなだけに自分の無力さに悲しくなる。


(強引に強請って距離を置かれてしまったら、戻ってくるまでに時間がかかるだろうし、あまりに下手に出て威張らせたら、それはそれで、都合のつくときに先延ばしになるかもしれないし……)


勝てる見込みがないと判断し、ネアは悲しみでいっぱいになる。

再現が見込まれないのであれば先程の一口はあげなければ良かったと、何だか恨めしい気持ちになった。


かくりと項垂れたネアを見て、なぜかアルテアはぎょっとしたように目を瞠った。


「…………おい、…」

「野生の魔物さんを信じた私が愚かでした。己の愚かさに後悔でいっぱいですが、………森に帰ろうと決めたものを引き止めるのは、人間の我が儘ですね。アルテアさんは諦める代わりに、あのパイを作った職人を探します………」

「…………は?」


そこでネアは、さっそく行動に出た。

絶句してしまったアルテアは、パイへの期待でご主人様を裏切った悪いやつなので捨て置き、近くで料理をいただいていた妖精に、このお料理はどなたが作ったのですかと尋ねてみたのだ。



「………季節の舞踏会の料理は、その舞踏会を主催する主軸の者達の持ち寄りだ。付与の祝福を繋げないように魔術の繋ぎは切るが、店や料理人を手配する者もいるし、自分で作ったものを持ち込む者もいる。それぞれだな」


いきなり人間から話しかけられた妖精は少し驚いたようだったが、丁寧にそう教えてくれた。


美しい人だ。

ディノやノアのような美貌とは趣の違う、妖艶さすら感じる美貌の妖精である。



「………そうなると、先程までここにあったパイ包みを作ったのはどなたなのか、誰が知っているのかも調べる必要があるのですね……」

「…………クリームソースと牛肉の入った?」

「ええ、それです!食べられましたか?ものすごく美味しかったですよね!」

「そうか」


そう言われた妖精はふっと唇の端を持ち上げて微笑み、ネアは既視感におやっと目を瞠った。


目の前の男性は、強く鮮やかな紫色の瞳をしており、青紫の髪はゆるく顔の右側で縛って胸元に流している。

瞳と同じ色合いの六枚羽に、同色の糸で葡萄の葉と蔓の織模様がある深い紅の盛装姿はなんとも艶やかで、吸い込まれそうに深い色合いの紫の宝石の首飾りをしている。

人外者らしい悪意としたたかさの微笑みは、その妖精のどこか仄暗い美貌に良く似合った。


(…………そうか。この妖精さんは、アルテアさんに似てるんだ)


勿論、美貌の質や容姿の区分はまるで違う。

でももし気質や資質での区分をするならば、同じ枠の中に入るという感じがするのだ。

なのでネアは、それを理解した途端、少しだけ緊張感を持った。



「レザート、人のものには手を出すなよ」


その直後、がばっと後ろから羽交い絞めにされる。


ネアが見知らぬ妖精とお喋りを始めてしまったことに気付いたアルテアが、後ろから抱き寄せて捕獲してきたのだが、目の前の妖精が心配であったので、ネアは大人しくそのままにした。

レザートというのがこの妖精の名前のようだが、名前を知っているということはアルテアの知人なのだろうか。


「自分で突き放しておいて、所有物扱いなのか?」

「………相変わらずいい性格だな。気配を絶って、他人の会話を盗み聞きか」

「音の壁を剥いで会話を聞く程、君に興味がある訳じゃない。この子が項垂れたので、君がどうせ突き放したのだろう。酷い男だな」

「饗宴を司る奴に言われたくはないな。…………まったく、お前は目を離すとろくなものに関わらないな」

「むぅ。お隣にいたのに見逃していたアルテアさんに言われたくありません」

「はは。全くだな。君が俺に話しかけても、気付いていなかったようだし、不甲斐ないお相手だ」


そう笑えば、レザートと呼ばれた妖精のその笑い方はアルテアとは色を変え、どこかウィリアムに似ている。

穏やかそうで冷めているような独特の笑い方で、そうなるとますますこの妖精は得体が知れないぞという感じがした。


(享楽的で残忍なようで、穏やかそうだけれど冷めていて、………でも、何だろう………)



警戒した方がいいのだろうかと認識は出来ても、ネアはなぜかこの妖精が嫌いではないのだ。

多面的で美しいものの、その不穏さが不愉快さに繋がったグリシーヌの藤の妖精とは違い、一言で表現するならば恐ろしいが魅力的な妖精なのである。



(この前、トンメルの宴で出会った妖精さんとはだいぶ雰囲気が違うけれど、こういう雰囲気の、暗く艶やかな妖精さんも素敵だわ)


あの妖精が儚い雨音のような繊細な美貌なら、こちらの妖精は夜闇のようなぞくりとする美貌ではないか。


ディノを筆頭に随分と特等のものばかり集まってしまっているような気もするのだが、そう思えばこの世界にはまだまだ魅力的で美しい生き物達が沢山いるのだろう。

そう思えたことで、ネアはあらためてこの秋告げの舞踏会に連れてきて貰って良かったと思ってしまう。



「…………おい、見つめ過ぎだぞ」

「少し怖い感じがしますが、なんて綺麗な妖精さんだろうと思ったのです。パイ情報を有難うございました」

「一言足しておくと、君が探しているパイの製作者は俺だ」

「なぬ?!」


ネアは、ここで思いがけないお料理人の登場に驚いてしまう。

アルテアの料理もだいぶ美味しいが、ネアは他にもリーエンベルクの料理や、ザハの料理などを特別に気に入っている。

そうして美味しい料理の中にもそれぞれに個性がある中、先程のパイもまたそういう特別の煌めきを感じたのだ。


「レシピを……むぐ?!」


ぱっと顔を輝かせてレシピを盗み出そうとしたところ、ネアは後ろからアルテアの手で口元を覆われてしまう。


「簡単に餌付けされるな。こいつは葡萄のシーだ。近付くなと言っただろうが」

「むぐ?」

「ほお、俺に近付かないように、予め警戒しておいたのか。酷いことをする」

「言っておくが、こいつはもう他のシーの庇護を受けてるからな。不用意に手を出すなよ。ついでに興味も持つな」

「シーなど掃いて捨てる程にいるさ。階位によっては虫よけにもならないな」

「………いいか、こういう奴だ。不用意に関わるなよ?」



そう言い含めようとお口を解放してくれたアルテアは、愕然とした面持ちのネアに眉を持ち上げる。

目を大きく瞠って眉を下げ、あまりにも衝撃を受けているので、レザートと呼ばれた妖精もおやっという不審そうな顔になった。



「……………どうした」

「この方は、葡萄のシーの方なのですか?」

「ああ。………想像と違いでもしたのか?」

「……………ふぁい。つぶつぶしたお姿を想像して、きっと愛くるしいに違いないと、見るのをとても楽しみにしていたのです」

「……………は?」

「つぶつぶしてません。葡萄の欠片もない、人型の妖精さんではありませんか。少しも可愛くないのです」


ネアはすっかりがっかりしてしまい、しゅんと項垂れた。

きっと葡萄のシーは、丸くて小粒な可愛いやつだと信じていたので、それまで魅力的だなと感じていた妖精への好感が、その落胆から吹き飛んでしまう。


しかし、レザートもその発言は予想外だったようで、驚愕の滲んだ声で言葉を返した。


「………もしかして君は、俺を………葡萄の房の姿で想像していたのか?」

「真ん丸で可愛いやつだと思っていたのです。………丸くありません」


ちらりと本物の葡萄のシーを見上げ、ネアは溜め息を吐いた。

夢を砕かれて悲しいので、向こうにあるデザートをいただきたいところだ。

目の前の素敵な妖精がパイ職人であるということもどうでも良くなってしまうくらい、この事実はネアの心を打ち砕いた。


よいしょと体に回されたアルテアの腕をくぐり、とぼとぼとデザートのテーブルに向かうネアを、慌ててアルテアが追いかけてきて捕まえた。



「…………おい、一人で離れるな。それと、何で半泣きなんだ」

「楓の精霊さんもちくちく要素が気に入りませんでしたし、残す葡萄の妖精さんの愛くるしさに賭けていたのです。あまりにも悲しいので、糖分を摂取するべく、向こうに見える葡萄のタルトを貪り食べることにします」

「レザートは気に入らなかったんだな………」


少し感慨深くそう言うアルテアに、ネアはこくりと頷く。


「葡萄の妖精さんだと知る前は、アルテアさんとウィリアムさんを足して二で割ったような雰囲気で、なんて素敵な妖精さんなのだろうと思っていました。おまけにパイ名人とくれば、是非にお友達になりたいところでしたが、葡萄の妖精さんだと知ってそんな気持ちも霧散してしまいました。今の私にとって、あの方は残酷な現実が具現化したような存在なのです」


その言葉の途中で、アルテアが後ろを振り返って少し遠い目をした。

ネアは打ち砕かれた野望を、恨みがましく口にする。


「葡萄は大好物ですので、つぶつぶした小さいやつであれば、袖口にでもひそませて持ち帰ってしまおうと企んでいたのです。お部屋に戻って恐怖政治を行えば、きっと私の人生に素敵な葡萄の恩恵を与えてくれた筈なのに………」

「あれだけ気を付けろと言ったのに、お前は持ち帰るつもりでいたのか………」

「万が一刃向うようなことがあれば、拳でくしゃっとやれば勝てますしね。………でも、そんな葡萄万歳生活も、塵と消えました。この世は絶望に満ちています」

「落ち込み過ぎだぞ………」



ネアはじっとりとした目で、急に甲斐甲斐しくなった使い魔に、葡萄のタルトを取って貰う。

すっかりしょげかえった人間の世話をあれこれ焼いているアルテアを、またしても少し離れた位置から、ダイアナ達が呆然と見ていた。



しかし、そんなお料理上手な使い魔も、森に帰ると言い出したところだ。

ネアはすっかりがっかりしてしまい、深く溜息を吐いた。













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