22. 月の羅針盤が職務放棄します(本編)
後日、幾つかの進展があった。
まずは、アルテアと黒煙の魔物を捕らえた、ネアの歌についての追加調査が完了し、ネアの歌乞いとしての正式な評価が確定した。
「やはり、習い方が変質的だからか」
「エーダリア様のその表現は、誤解を招きやすい言い方だと思います」
「他に、どのように表現すればいいというのだ……………」
あの後、森林公園に捨ててきた筈の黒煙による、本格的な変態の技の追跡と襲撃があったので、どうやらディノは、ご主人様の歌声に不信感を持ってしまったようだ。
既に契約済みの魔物では反応が得られず、新規の魔物では思わしくないということで、ウィームに戻った後、無理やりアルテアを召喚した上で、歌唱実験となったのである。
結果、意外な事実が判明した。
普通に歌えたのである。
「………ネア、この歌はどうやって習ったの?」
不思議そうに聞いたディノに、微笑んだネアは首を捻る。
音痴の汚名がそそげたので、今はとても協力的な気分なのだ。
「とても気に入った曲でしたので、一ヶ月くらい毎日時間さえあれば常に聴いていました」
「……この曲だけを?」
「はい。その一番のお気に入り期間が過ぎても、一日に数回は聴いたでしょうか。そうしたら、自然に覚えたんですよ」
「学習ではなく、ほぼ洗脳並みの状態だな。北方では、似たような拷問のやり方があるぞ」
「アルテアさんは、音楽の楽しみを知るべきだと思います」
なぜか一同がそれ以上の追求はなかったので、昔から馴染んだ曲は歌えるらしいという結論になった。
どうやら音楽にも造詣が深いらしいヒルドが、ネアの音痴は調子が外れる音痴なので、その脱線を許さないくらいに強く体全体で記憶してしまえば、きちんと歌えるのだろうと解説を出してくれたからでもあるのだろう。
ネアの母は音楽家であったので、出来ればもう少し早くにその事実を知りたかったところだが、場合によってはこちらの世界に招かれたが故の弊害なのかもしれない。
何となく以前からこのままだという気もしたが、ネアは、真実は必要ではないと遠い目で微笑む。
(そして、覚え方があるにせよ、教本の唱歌ではやりたくないかな)
教本の唱歌は、所謂聖歌だ。
好きではあるが、あれを常に聴いていたら眠たくなってしまう。
ネアは、メリハリのある曲が好きなので、前述の学習方法には向かないだろう。
なお、上手いのと下手なのとを交互に聞かされたアルテアは、かなり疲弊しふらふらで消えて行き、ネアは、今度こそ二度と彼に会えないのではと考えている。
(そしてもう一つ!)
月の羅針盤が手に入った。
不法侵入の黒煙の魔物から押収されたもので、グラストのクリーニングを経て、あの激辛香辛料の匂いもしなくなった。
エーダリアが開いてみたところ、無事に使えるようで一同ほっとする。
美しい淡い金色の羅針盤は、物語に出てくるような精緻な細工があり、高価そうな品物ではないか。
ネアはこっそり、今回の探索が終わったら、黒煙の魔物に返してあげたいなと考える。
しかし、これでグリムドールの鎖はヴェルクレアのものかと思いきや、そう簡単に事態は運ばなかった。
「やはり、……………奇妙な反応だな」
「どうして針が動かないのでしょう?」
もっとも振れ幅の大きい、月そのもののことは指すのだ。
だがしかし、グリムドールの鎖の行方を羅針盤に問うと、ぴたりと職務放棄してしまう。
この指針では、リーエンベルク内にあることになってしまうではないか。
誤作動を警戒して、魔物達は別室に置いてきたがそれでも駄目なようだ。
「他の、月が纏わる品物のことも指すのですよね?」
「ああ。王都にある、月の魔物が身につけた羽根については問題なく指し示す」
「……羽根?」
「髪飾りだ」
「……………成る程、その羽根だったのですね」
「だが、そうなるとなぜ、グリムドールの鎖には反応しないのだろう」
「まさか、この王宮内にあるのでは……?」
ここで、恐る恐る、そう口にしたのはグラストだった。エーダリアの方をさかんに見ているが、アイサインだろうか。
何かに気付いたようにすっと瞳を細めたヒルドが、ちらりとそちらに鋭い視線を送っている。
「ディノがあちこちから、集めてきた品物達はもう整理終わりましたよね?」
「わぁっ!」
「ネア殿!!」
思い出したネアがその話題に触れた途端、エーダリアとグラストが激しく動揺した。
グラストがエーダリアに先んじて声を上げることは滅多にないので、ネアはびくりと肩を揺らす。
「どうやら、まだお聞きしていないことがありそうですね」
だが、にっこり微笑んでそう言ったヒルドに、すぐにその理由を察した。
どうやらエーダリア達は、まだヒルドにその品物の報告を済ませていないようだ。
とは言え、厳密な報告義務があるわけではないと聞いている。
塔は、王家とは完全に分離した組織である。
この体系は敢えて分割させたようなので、法的に違反した行為がない限り、ガレンを筆頭とする魔術機関と、もう一つ、他領に拠点を置く教会はそれぞれの権利を主張出来るらしい。
また、商業組合は王家の庇護下にあっても、規制や規則への改善要求を上げることを許されていた。
それなのにどうしてこんな風になってしまうのかと言えば、それは、エーダリアとヒルドの関係性によるものだろう。
何やら必死に弁明が行われている様子を眺め、ネアは眉を下げる。
これは恐らく、母親に秘密が露見してしまった息子達のような構図なのだろう。
「すみません。こちらの立場上、騒ぎにならないようにあの問題を収めて下さっていたのですね」
「………ああ。さすがに報告し辛い品物もあったからな。手に入れる手段があるということを、あまり公にしたくなかった」
「………確かに」
「とは言え、ガレンの長としての判断であれば、元より報告義務違反ではありません。私に黙っていた理由にはなりませんけれどね。……………その品物の中に、グリムドールの鎖に該当しそうなものはなかったんですか?」
「それが、なかったのだ。一見して鎖の状態になっていない可能性もあるが、武具などの金属製のものも国内には残していないのでな……………」
ネアはここでふと、金属製という言葉がひっかかった。
(金属製のものを何か、最近見たことがあるような……)
何だっただろうか。
水筒……ではあるまい。
あれはしっかり洗浄して持ち帰ったが、匂いが強いので屋外に放置したところ、黒煙の魔物に盗まれてしまったので、月の羅針盤とで痛み分けだ。
とても怖い話だが、羅針盤の針がここを指すのであれば、水筒は候補から外す事が出来る。
(傘、クッキー缶、椅子………あ!)
「……………それは、装飾品として加工されている可能性もありますか?」
「ネア、心当たりがあるのか?!」
「最近、アルテアさんから無意識に毟り取ってしまった装飾品があるのです。事故でしたので、お返ししようとしたのですが、魔術の成果の結び?…………上、私が持っているようにと言われたので、自室の引き出しの中に放り込んであるのですが……」
「高位の魔物から略奪……」
ヒルドの表情はますます険しくなってゆくので、今度はネアが視線を彷徨わせた。
確かにこの眼差しは、ぴしゃんと叱られてしまいそうでとても怖い。
「ネア、……………それは、どんな物なのだ?」
「金属製のタッセルのような装飾品です。クリップ式で、上着のポケットにつけていたみたいでして」
「タッセル………」
「タッセルなら、ありますね」
「ネア様、それは何色でしたか?」
「タッセルの上部には月と水仙の彫り物があって、エナメル彩色のような加工が施されているのですが、全体的には上品な淡い金色です」
「金色………」
ここで、男たちは顔を見合わせた。
「ネア様、それを持ってきていただけますか?」
「ええ。少し待っていて下さいね」
「家事妖精に頼んでもいいのだが、自分で取りに戻るか?」
「ええ。寝室なので、自分で取ってきますね」
「時間がかかるだろう、部屋の前まで転移で連れてってやる」
「まぁ。では、移動はエーダリア様にお任せしてもいいですか?」
「では行く……」
「エーダリア様?!」
ネアを連れて転移しようとしたエーダリアが、突然くしゃりと崩れ落ちた。
ぎょっとして息を詰めたネアが、慌てて膝をついて身体を起こそうとするが、やはり男性なので随分と重い。
「ネア殿、俺が…」
駆け寄ったグラストが抱え起こし、同じように駆け寄ったヒルドが意識のないエーダリアの額に手を当てた。
「……………寝ている、ようですね」
「え、寝ているのですか……………?!」
「……………眠っているようですね。やれやれ…………」
駆け寄った瞬間の蒼白な面持ちから一転して、男達は非常に不可解な表情になる。
ネアはほっとして、強張った胸から息を吐き出した。
「もしや、エーダリア様は、お仕事が忙しくて眠られてなかったのでしょうか?」
「いや、昨晩も睡眠はとられていた筈だが、ヒルド?」
「もし、こっそりと夜更かしをされていないのであれば、しっかり眠られていたと思いますよ。睡眠不足にしては、倒れ方が特殊でしたし…」
では、なぜ倒れてしまったのだろう。
ネア達が、途方に暮れて顔を見合わせた時の事だった。
「ああ、誰かと思ったら彼が反応したのか」
「ディノ?!」
扉が開く音も聞こえなかったのでどきりとしたが、不意に現れた自分の魔物の姿に、ネアは慌てて駆け寄って、その手を掴む。
「ディノ、今の発言の内容はどういうことですか?!」
そう尋ねたネアに、真珠色の髪の下で、水紺の瞳が薄く微笑む。
不快感を隠しもしない眼差しは、鋭利だが美しい。
理由は分からないが、この魔物は不機嫌なようだぞと気付き、ネアは目を瞬く。
「私が君に付与した、庇護に触れたのだろう」
「庇護、ですか?エーダリア様は、私に危害を加えようとした訳ではありませんが…………」
「好意を持って、君を転移に巻き込む者があれば、無効化するようにしている」
ネアは、グラストの腕の中で幸せそうに寝息を立てているエーダリアを見た。
「私、ゼノに転移をして貰ったこともあるんです……。一番に好感度が低そうなエーダリア様がこの状態で、ゼノは無反応……」
(実はクッキー目当てなだけで、嫌われていたのだろうか…)
思いがけない真実に触れてしまい、すっかり目から光が失われてしまったネアに、ディノは頭を撫でてくれた。
音痴であったことに引き続き、こんな悲しい事があってもいいのだろうか。
そう思えば胸が張り裂けそうだが、とは言え今は、エーダリアに起きた事をしっかりと調べるべき時なので、ネアは、悲しみを堪えて小さく頷く。
「うん。好意の質で振り分けているからね。ゼノーシュが君に向ける好意は、私にとって不愉快なものではないんだよ」
「……………で、では、ゼノに嫌われてはいないのですね!…………ですが、エーダリア様は何故でしょう?」
訝しげな眼差しになったネアに、ヒルドが小さく溜息をついた。
「庇護術式が反応しても、意識すらしていただけないとは……………」
「……………ヒルドさん?…………その、率直にお答えしますが、エーダリア様にはそのような好意はないと思いますよ?……………有り体に言えば、あまりその界隈に長けていらっしゃらないようなので、せいぜい、同じ屋根の下に異性がいるぞくらいのそわそわではないでしょうか?」
ネアがそう言えば、ヒルドは目を瞬いた。
「……………そのようなものだと?」
「ええ。もう少し違う思いであれば、エーダリアは、もっと………違う反応をされると思います」
そう伝えると、ヒルドは小さく頷いた。
ネアは、姉のように思ってくれているのかもしれないと思いかけたが、こちらの世界でエーダリアが生きてきた時間を思うと、ネアは残念ながら妹ということになってしまう。
それが少しばかり癪であったので、言及せずにおくことにした。
ちらりとディノの方を見てみたが、長命老獪な魔物の表情を読むには至らなかった。
エーダリアの名誉の為にも、ネアは、この魔物にも今の言葉が伝わっていればいいのになと思うばかりだ。