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177. 秋告げの舞踏会に参加します(本編)



その日ネアは、初めましての髪結いの魔物に素敵な髪型にして貰い、ご機嫌だった。

幼女姿の髪結いの魔物も可愛いし、そんな髪結いの魔物が心配そうにネアに三つ編みを持たせてくるディノを見て、なんとも残念なやつめという眼差しをしたのもなかなかに感心した。

そして、少しだけ顔を出してくれたエーダリアには、色気のない髪型だな友達が出来ないぞと暴言を吐いたのだ。


(可愛い!舌っ足らずな毒舌なのがまた可愛い!是非にお友達になりたい!!)



「髪結いの魔物さんとお友達になりたいです」

「いやだ」

「……………ほわ」

「ほら、ネアには私がいるだろう?他の魔物を籠絡してはいけないよ」

「髪結いの魔物さんは、女性の方ですよ。ですので、……………なぬ?!逃げた!」


ネアがすっかり気に入ってしまった髪結いの魔物は、ネアのことはさして気に入らなかったようだ。


お友達になりたい宣言をさっと打ち砕くと、なんと窓から飛び降りて姿を消してしまった。

謎に素敵な微笑みのヒルドからは、髪結いの魔物はリーエンベルクでの仕事も多いので、きっと高位の魔物達の不興を買いたくなかったのだろうと慰めて貰う。


いささかしょんぼりしたまま準備を完了し、ネアは迎えに来たアルテアの前に立つ。



「……………お前、また何か狩るつもりか」

「なぜそういう疑いをかけられたのでしょう。それと、少しずつ下がっていかなくても、攻撃したりしませんよ?」

「………今回はシルハーンは問題ないようだな」

「ディノは髪の毛を整えて貰った直後に死亡したのですが、髪結いの魔物さんへの浮気疑惑で荒ぶったので無事に元気になりました」

「それと、何で毎回ノアベルトがいるんだ」

「アルテアさんは、時々大事にしたくなる魔物さんですね」

「なんでだよ」


本日のアルテアは、黒みがかった深い赤色の天鵞絨素材の盛装姿だ。

シャツとクラヴァットは純白で、複雑な重ねのある襟元が美しく、夜の結晶石と秋霧の結晶石の留め金で足元までのケープを押さえている。

不思議な髪飾りのような垂れ下がる系の綺麗なものを片側だけに流し、髪飾り兼耳飾りに見せる少し異国風の不思議なエッセンスもどこか艶っぽい。

黒に近いまでに色味を落した深紅の膝上までの編み上げのブーツは装飾が素晴らしく、よく見れば同色の手袋と同じ模様が刺繍されている。


不穏で残忍だが美しいもの。

秋の豊かさを示すというよりは、戦場の夜に現れる人ならざるものという感じのする衣装だ。



「今日は宜しくお願いしますね」

「………弾むな」

「むむぅ。弾むのを毎回禁止されるのはなぜなのでしょう。それと、今気付きましたが、色合いを擬態してつけているヒルドさんの耳飾りと、アルテアさんの髪飾りが、お互い片側だけなのでお揃いにしたみたいですね」


ネアが気付いて誇らしげに言えば、なぜかディノとノアがさっと顔を曇らせた。

しかし、アルテアが唇をゆったりとカーブさせたところをみると、予めそれを狙った装いだったらしく、ネアはそんなところまで抜かりのないお相手に驚いた。


「ネア、やはりもう少し胸元の生地を持ち上げようか」

「ディノ?こういう形で縫製されているので、引っ張っても持ち上げられませんよ?」


ネアにそう首を傾げられ、ディノは絶望を目に滲ませる。

そして次の策を講じる前に、アルテアがさっとネアの手を取った。


「今回は遅れたくないんだろ?」

「そうでした!お料理を制覇すると心に誓ったのです。ディノ、みなさん、行ってきますね!」


仕事であるエーダリアとゼノーシュにグラストはこの場にはいない。

ネアが手を振れば、なぜか深刻そうな顔をしたディノとノア、それにヒルドが複雑そうに頷いた。



そんな表情を思い出し、ネアは転移の薄闇の中で厳しく頷く。


「みなさんもきっと、秋告げの舞踏会のお料理が食べたいのでしょうね」

「そうだな。そう思ってろ」

「なぜに投げやりなのでしょうか?もしかして、昔の恋人さんがいるので緊張してますか?」


ネアにそう言われた途端、アルテアは目を瞠ってしばし絶句した。


「…………は?」

「ディノとノアに教えて貰ったのです。月の魔物さんは、アルテアさんの元恋人さんなのですよね。もし、よりを戻したいというような場面があれば、こっそり合図をして下さればお手伝いしますよ」

「…………その必要はない。お前は余計なことをするな」

「でも、きっと着飾った元恋人さんを見ると、思いがけずときめいたり……むぎゃふ?!なぜに叩かれたのだ!」

「その減らず口を閉じてろ」

「お口は閉じられませんよ!美味しいものをいただきますし、そもそも人権侵害は許しません!」

「閉じてないとお前はどうせ事故るだろうが」

「圧倒的事故率の私を超える、事故率の猛者に言われたくありません。今日こそは、お利口にしていて下さいね」

「やめろ」


そこでネアは、いつの間にか周囲の景色が変わっていることと、顔を上げたアルテアがなぜか動きを止めたことに気付いた。



(……………そして、ものすごい美女が目の前にいる)



その女性は、けぶるような金髪を上品に結い上げ、そこに斜めに差し込むように繊細で華やかなティアラのようなものを飾っている。

胸元と背中の大きく開いたドレスは淡く霧を纏ったような乳白色に微かに檸檬色が透けるもので、同性のネアですら指先で触れたくなるような見事なマーメードラインのドレスは、女性らしい肢体を惜しみなく浮かび上がらせていた。


同伴している男性は金をそのままとろりと溶かして固めたような濃密な黄金の髪に、同じ色の瞳をしたこれもまた美しい男性だ。

暗い黄金色の正装姿に、ほんの少しだけ効かせた青緑色の装飾が素晴らしい。



「ジアートか………」

「アルテア、お久し振りです。…………その、お噂はかねがね」

「…………噂だと?」


露骨に冷やかに顔を歪めたアルテアに、向かい合った男性は少しだけ居心地が悪そうにした。

何かを言おうとしたその男性を遮って答えたのは、霧のドレスの美女だ。


「あなたが指輪を贈る相手を得たと、星達の間ではもっぱらの噂よ」

「ほお。相変わらず口さがない連中だな」

「トンメルの宴で見たのだとか。まだ幼い少女のようだけれど、白持ちの美しい子だったと星達はお喋りに余念がないわ」

「…………は?」


そこでアルテアは、なぜか困惑した眼差しをネアに向ける。

あまりのことにネアを頼りたくなってしまったのだろうが、まだ会場に着いたばかりなのでしっかりして欲しいところだ。


「ほこりのことでしょうか。とはいえほこりは男の子ですし、そこの相違からまず訂正してみます?」

「やめろ。余計に拗れるだけだぞ」

「では、恋人ではなくお子さんだときちんと告白すれば……むが?!」


ネアはぐいっと頬っぺたを摘ままれ、怒り狂ってアルテアの足を踏みつけた。

戦闘靴ではないので油断していたのだろうが、そこそこに痛そうながすっという音がする。


「…………あいつは、………後見人をしているだけだ。指輪を誰かに贈ったことはないぞ」

「そ、そう。…………ところで、今日のお相手は人間なのね?」


踏まれた方の足を押さえつつ渋面で説明され、霧のドレスの美女は困惑したように頷く。


「獰猛で邪悪だから、手を出すなよ」

「おのれ、何という言い草でしょう。私の評判を勝手に貶めないで下さい」

「お前は黙ってろ」

「パジャ……むが!」


息をするように悪口を言われて仕返しをしようとしたネアは、指先で唇をつままれてしまう。

手のひらで押さえるだけだと噛まれるので学んだようだが、執念深い人間の場合、怒りは溜め込まれてゆく方式なので復讐が後回しになるだけだ。


そしてアルテアは、若干顔を不細工にされ復讐に燃える目の人間を横に置いたまま、普通に会話を再開しようとするではないか。

頭に来たネアは、手刀でアルテアの腕を叩き落した。

こんなに素晴らしいドレスを着ている上に、目の前のペアは何とも美しい男女なので、お上品にいたかったネアは淑女のままでいさせてくれなかった使い魔をじっとりと睨みつけた。


「よし、そのまま待ってろ」

「おのれ、ゆるすまじ」

「………とにかく、こいつには手を出すな。話しかけるのも禁止だ。いいな?」


引き続きの有害指定にネアはいっそうに眼差しを険しくしたが、そうお達しを出したアルテアに不審そうな顔をしたのは、ネアだけではないようだ。


「………珍しいわね。あなたが、そんな風に人のことばかり話すなんて。それに、その人間がしているのは魔物の指輪なのではなくて?」

「さてな」


アルテアは曖昧にしてふっと微笑んだようだが、横で厳めしい顔で首を横に振っているネアに、女性の連れのジアートと呼ばれた男性がこくりと頷いた。

その様子に気付いたアルテアが手を伸ばしたので、ネアはきっと乱暴者を見上げる。


「またしても頭をはたいたら、その素敵なお鼻を捥ぎ取りますよ!」


怒りにまかせてばすばすと弾んだネアに、なぜかアルテアは一瞬黙り込む。

そして、ゆっくりと視線を逸らされた。


「…………わかったから、二度と弾むな」

「人間は生きてゆく上で、弾みを必要とすることもあるものです!因みにこれは抗議の足踏みですからね!!」

「そんなに弾みたいなら、今度俺が付き合ってやる。今日はやるな」

「なぜにご一緒されるのだ。それと、あちらにあるお肉のパイ包みが減りつつある危機を迎えています!」

「ったく。お前は食い気ばっかりだな………」


小さく溜め息を吐いたアルテアは、ひょいっとネアの手を自分の腕にかけさせると、特に挨拶をするでもなくその場を離れる。

先程のお知り合いに一言残す必要はなかったのだろうかと思ったネアが見上げれば、なぜかアルテアは正面のとある一画を少しだけ鋭い眼差しで見つめていた。


「…………嫌なやつでもいたのですか?」

「葡萄の妖精だな。お前はくれぐれも近寄るなよ?」

「美味しそうなお名前の妖精さんなので、見てみたいです。危ない妖精さんなのですか?」

「………お前にとってはな。それと、今日は俺から離れるな。手を離したらその度に対価を支払わせるぞ?」

「…………その場合、私はどうやって食べたり飲んだりすればいいのでしょう?私の両手を解放して、アルテアさんが魔物さんらしくどうにかして下さい」

「片手でどうにかなるだろうが」

「小さなグラスに入って、スプーンがついている前菜もあるのです。両手が必要なので、早急に違う策を再提案して下さいね」


ネアは、きっとつぶつぶしているに違いない葡萄の妖精を探して視線を彷徨わせたが、すかさず体で遮った悪い使い魔がいたのでひと睨みしておく。

そして、あれだけお肉のパイ包みが食べたいと宣言しておいたのに、アルテアはまず踊るようだ。

ネアは、おのれと思わないでもなかったが、ダンスそのものもとても楽しみなので、パイ包みはひとまずおあずけだ。



(そして、何て美しいのだろう!)



秋告げの舞踏会の会場は、夜の会場になるようだ。



艶やかに色付いた紅葉の木々を天蓋に、その木々の枝葉はぼうっと光る結晶石で照らされて赤く燃えがるような色を見せる。

会場のあちこちには、見事な花瓶に活けられた秋の花々が飾られ、優しい雰囲気の秋の野の花が会場のあちこちに咲き乱れていた。


床石は、リーエンベルクでディノと踊った広間のような淡い金色の結晶石だ。

アルテア曰く、豊穣の結晶であるらしく、この床石を一枚剥いで持って帰るだけで、一生食べるものには困らないくらいの祝福があるのだとか。

くれぐれも盗まないように念を押され、ネアは渋面になる。


そして、そんな会場を明るく照らすのは、見事な真円の満月だ。



「……………こんな綺麗な満月は、初めて見ました」

「見上げたまま歩くと、首をなくすぞ」

「失くしては困るので元に戻しますが、………む?寒くはありませんよ?」


ネアがお行儀悪く空を見上げたまま歩いたからか、ふと気付けばなぜか、アルテアが片手でケープを摘まんでネアの正面を覆うようにしていた。

胸元が寒そうで覆ってくれたのでなければ、ふらふらと歩いて誰かに激突しないようにというガード的配慮なのかもしれない。



ざわざわと楽しそうな声が、あちこちから聞こえる。


春告げの舞踏会で聞こえた囁き合いのどこか人ならざるものめいた酷薄さより、秋の舞踏会のお喋りは何だか楽しそうだ。

秘密めいていてどこか婀娜っぽく、そして何とも愉快そうにみんながお喋りをしている。


音楽が始まると、みんながしゃきっとして踊り出すのも、舞台の上の仮面舞踏会の一幕を見ているようで何だかわくわくしてしまう。

華やかな衣装のそれぞれは、春の薄物からは色合いと装飾を増し、ネアはシシィがデザインしたドレスがいかにもドレス然としたものであることの正当性を、この会場に溢れる美しいドレスを眺めて理解する。


先程の女性のように薄い布地を使ったドレスの者もいるが、それは恐らくその人外者の特性に応じた装いなのだろう。


どうやら、秋のドレスの傾向は壮麗で気品のあるデザインらしい。



「爪先は踏むなよ。それと、ステップは間違えても構わないが、誰かに食事を与えられるのは駄目だ。いいな?」


向かい合ったアルテアは、まだお小言モードのようだ。

やはり、どこか外部の人外者としての余所余所しさもあった春とは違い、すっかり懐いてしまったらしい。

とは言え、知り合いでもいたのか視線をふっと遠くに投げて、さも悪巧みをする風に目を眇める姿は高位の魔物らしいのかもしれなかった。



「食べ物を貰うと、どうなってしまうのでしょう?」

「その相手との間に、深い繋がりと収穫の祝福が生じる。詳細は省くが、シルハーンが喜ばないからな」

「ふむ。面倒そうなのでそれは避けますね。アルテアさんからは大丈夫なのですか?」


ネアの問いかけに、アルテアは薄く微笑んだ。


「俺を使い魔にしておいて、今更だろうが」

「言われてしまえば、確かにそうなのでした」

「それと、本の竜には気を付けろ。下手に気に入られると、本にされるぞ」

「ぞくりとしました。どんな竜さんなのか楽しみにしていましたが、是非に避けようと思います」


腰に回された腕に力が入る。

ゆるやかなターンで体をより密着させられたのは、奇妙な参加者とすれ違ったからだろう。

全身が羽だらけの真っ黒な生き物は、ゆったりと微笑む姿が妖艶な妖精と一緒に踊っている。

ぱっと見る限り妖精の方が男性のようだが、羽だらけ生物の性別までは分らない。


次にすれ違った精霊とおぼしきペアは、珍しく盛装姿のアルテアとすれ違うなり、その容貌に釘付けになっていた。

ぼうっと選択の魔物に見惚れる精霊達の姿に、ネアは、今踊っている相手が高位の魔物だと再認識する。

最近はすっかりお料理番で相談役で白もふになりかけていたが、特等の魔物の一人ではあるのだ。



「…………どうした?」

「アルテアさんは、やはり人気者なのですね。独占しているのが、申し訳ない気持ちになってきました。もし、どなたかと踊りたい場合は、私を素敵に防御状態にした上で、お料理のところに………っ、」


善意で申し出たところで嫌な顔をされたので、ネアはまた天邪鬼に荒ぶるのだろうかと考えていた。

しかし、ふっと視界が翳ったと思えば、なぞに口付けられて目をぱちくりする。



「唐突に、家族相当の祝福が………。さては、本当はどなたかと踊りたいのですね?」

「なんでだよ」

「では、突然使い魔としてご主人様を敬いたい気持ちに……?」

「………お前、それをここであまり言うなよ?」

「そうでしたね、元恋人さんが……」

「そんなものは特にいないが、俺の問題で、弱味として目をつけられても厄介だからな」

「アルテアさんを打ち負かすことが出来るのに、弱味………?」

「可動域六だろうが」

「激辛香辛料油……」

「やめろ」



そこでまたターンが入り、ネアはふわりと翻ったドレスの裾に微笑みを深める。

美しいドレスを着てこんな素敵なところで踊れるのだ。

幸せでなくて何だと言うのだろう。



(……………あ、)


先程の男女が、少し離れたところで踊っているのが見えた。

誰もがその二人に場所を譲るので、高位の人外者なのかもしれない。


心なしかその二人のところだけ月光が煌めきを増し、細やかな月光の粒子を引くようにしてくるりくるりと踊っている。



「先程の方達は、お綺麗ですね」

「…………お前はああいうのが好みなのか?」

「ほら、月光の靄の中を踊っているみたいですよ。特別で美しいものを見ているのは、確かに好きです」

「ジアートがか?」

「あのお二人が踊っている様のことを言ったのであって、その男性の方に特定していません。そして、アルテアさんのお会いしたい方はいましたか?」

「そういう奴はいないな。……ああ、だが楓の精霊には話がある」

「楓の精霊さん……!」


きっと素敵な精霊に違いないのでネアが目をきらきらさせると、アルテアはまた露骨に嫌な顔をした。


「それと、食べ物の近くになるとわざとらしく足運びを遅くするのはやめろ」

「パイ…………」

「どう考えても、まだ充分にあるだろうが」

「し、しかし、この会場の人々が一気に食べようとしたら、勝てるでしょうか?」

「そんなことにはならないから安心しろ。………お前は少し黙れ」

「むぐぅ。なぜに頭突きをされたのだ」

「おい、何で頭突きだと認識した………」

「おでこがこつんとなったので、これは頭突きでは……」



それからネア達は、三曲を踊った。

以前の春告げの舞踏会の時も思ったが、この多めに踊る施策は、ネアがアルテアのお気に入りだと周囲に示して安全を図るものであるそうだが、お料理をあれこれ食べる権利を失いがちなのでネアはひやひやするのだ。


二人がダンスを終えて戻ってくると、さっそくアルテアに話しかける者がいる。


「アルテア、君が心を傾けて踊るのを初めて見たよ」

「リザール、そういうお前は相手をどうした?」

「はは、また怒らせたかな。他のご婦人に口付けしたら、怒って姿を消してしまった。だが、美しい女性には声をかけるのが男としての礼儀だろう?」

「その目を失いたくなければ、やめておけ」

「………ふむ。そんな風に牽制せずとも、君の連れには手を出さないよ」

「だといいがな。………おい、こいつはノアベルト以上の節操なしだ。話しかけられても無視しろよ。くれぐれも殺すな」

「殺してはいけないと言われたということは、アルテアさんのお友達なのですね」

「そんな訳あるか。こいつは麦の魔物だ。殺すと、麦が全滅しかねないからだな」

「麦が!」


ネアは大事な食生活の為に、目の前の麦穂色の髪に艶やかな緑の瞳の男性を滅ぼすまいと心に誓った。

アルテアよりは若干背が低めだが、おっとりと微笑む垂れ目がちな面立ちが確かにご婦人方に好まれそうである。


「白い指輪をしているということは、………おやまさか」

「どうだろうな」

「そう言えば、君が春告げの舞踏会に連れてきていた子も、この子だったねぇ」

「まぁ、あの時もいらっしゃったんですか?」

「私は、麦の魔物だからね。統括の魔物の一人でもあるし、四季の舞踏会には全て出るよ」

「統括の魔物さんなのですね。アルテアさん以外の統括の魔物さんは、初めて見ました」

「そうかい。じゃあ、これを機に仲良く…」


ここでびしっと音がして、アルテアがどこからか取り出したステッキで顔面を殴られた麦の魔物は、ふうっと疲れたような溜息を吐いた。

とても頑丈なのか、痛がる素振りはない。


「麦が枯れたらどうしてくれるんだい。別に、閨に誘った訳じゃないだろう」

「その誘いであれば、喉を突いている」

「こりゃあ、珍しく本気だなぁ」


すっかり誤解しているような気配に、ネアは困ったぞという顔でアルテアを見上げた。

ネア自身も誤解されては困る事情があるし、アルテアの私生活にも響くだろう。

しかし、何を勘違いしたのか使い魔はネアの頭をぞんざいに撫でる。

その行為が珍しかったのか、お向かいの麦の魔物は目を丸くしていたし、こちらのやり取りを注視していたらしい複数名がざわっとした。


「………誤解されてしまうのでは?」

「放っておけ」

「念の為に言いますが、恋の当て馬や起爆剤にするのはやめて下さいね」

「黙れ」

「そして、パイがなくなりそうです!!」


こちらも我慢の限界が来たので、ネアはアルテアの腕をぐいぐい引っ張って食事のテーブルの横に移動した。

何とか三個だけ残っていたお肉のパイ包みを手に入れ、満面の笑顔になる。

パイの中にはとろとろに煮込まれたお肉とクリームシチューのようなものが入っており、上に少しだけチーズをかけて焼いてある心憎い秋らしいお料理だ。


「こ、これは!」


一口食べて天にも昇る気持ちではしゃいでいると、一口寄越せと使い魔が罪深い要求をする。


「私の手に入れたお料理を奪うなど、なんという愚かさでしょう。死ぬ覚悟はあるのでしょうか」

「味が分れば作ってやるところだが、そうか、二度と食べれなくていいんだな?」

「なぬ………」


ネアは、そもそも舞踏会のお料理なので、あまり大きくはないパイ包みをじっと見下す。

一口齧ってあと三口くらいの見積もりだが、そこを一口分削ることで将来的にこのパイ包みを何度も食べられる可能性を育てることが出来るのだ。

さっとテーブルを振り返ったが、パイ包みは完売してしまったようだ。


「………もっと早く来ていれば、アルテアさんの分もあったでしょうに」

「残念ながら、もうお前のものが最後だな」

「仕方がありませんね、一口だけですよ?私があと二口齧る予定ですので、持ち分を超えて大きく齧ってはいけません。それと、早急な再現を要求します!」

「ったく。意地汚いぞ?」

「美味しいものの為に意地汚くなるなら、私は本望です。このパイ包みなら、お腹がはち切れても構いません……」

「そこまでなのか………」


ネアの熱意に恐れをなしたのか、アルテアはきちんと控えめの一口で済ませてくれた。

高位の魔物が人間のおこぼれに与る現場は珍しかったのか、また周囲がすこしざわついている。

あんなにちょっとしかあげないのかと噂されているのかもしれず、ネアは強欲な人間の業について考えながら、残す二口を美味しくいただいた。


「むぐ?」

「これも食べてみろ。どうせ好きだろ」


そこでなぜか、おもむろに球体な何かを口に押し込まれる。

美味しい感じであったのでむしゃむしゃ食べてしまえば、美味しいソースのジュレとキノコの何かを、ローストビーフのようなもので包んであるらしい。

中からじゅわっとソースとキノコの美味しいやつが出てくるので、ネアはすっかりそのお料理も気に入ってしまった。


「こやつめも、お腹いっぱい食べれます!春のお料理も色鮮やかで可愛かったですが、やはり食べ物は秋の方が好きかもしれません……。来年が今から楽しみなので、統括の魔物さんを首にならないで下さいね」

「おい、毎年の約束をしたのは春だけだろうが。秋も毎年の認識になってるぞ?」

「む?」


ここで小狡い人間は、何を言っているのだろうという顔をして首を傾げておいた。

現在この使い魔にはあれこれ支払い案件が溜まっているので、その中の一つだったと誤認して欲しい。

たいそう呆れた顔をされたが、幸いにも断られはしなかったので、ネアはもう行ける気分になってほくほくと微笑みを深めた。


(アルテアさんに、こういう場所に連れて行きたいお相手が出来れば別だけれど、それまでは美味しいお料理と、素敵な舞踏会を堪能させて貰おう……!)



「ふうん、恋の祝福のある春告げの舞踏会には、毎年連れてゆくつもりなのね」


そんな声がかかったのは、その直後のことだった。

振り返ったネアを見ていたのは、先程入口のところで出会った霧のドレスの女性だ。

羽はないようなので、魔物か精霊なのだが、珍しくネアにもどちらか分らない容姿の人外者である。


(気配の強さで言えば魔物さんのようだけど、容姿や雰囲気は精霊さんのよう……)


ネアにもよく分らないのだが、魔術的な圧は魔物の重さと強さがあり、気質や司る何かの雰囲気は高位の精霊のような感じがするのだ。

一体どういう存在なのだろうと不思議に思っていると、彼女の連れの男性がその名前を呼んだ。


「ダイアナ、あまりお邪魔をしてはいけないよ」

「ジアート、あなたは黙っていて。これは、わたくしの問題なのですから」

「お前の問題でもないな。それと、関わるなと言わなかったか?」

「わたくしとて、あなたが真剣なお相手だと思う程愚かではないわ。その上で、そんなあなたがここまで心を傾ける人間に、個人的に興味を持っているだけですもの。これはわたくしの問題なのよ」

「………アルテアさん、誤解を解いた方がいいのでは……」

「お前は黙ってろ。……ほら、もう一つ食べろ」


先程のローストビーフな球体をまた口に押し込まれ、ネアはもぎゅもぎゅ食べながら目を細める。

そんな様子を見てしまったお向かいの二人は、短く息を飲むような驚きを示した。


(…………一般的には、面倒見の良いような一面は出していないのかしら)


だからだろうかと考えたが、何だかんだでアルテアは面倒見もいい。

ほこりもそうだが、銀狐やゼノーシュにもあれこれ食べさせているし、気が向けば彼はそういう資質も持ち合わせている魔物なのだろう。


(そして、お名前から察するにこの方が月の魔物さん……)


相変わらず趣味のいいアルテアに、ネアはレーヌのことを思ってディノを残念に思いつつ、元恋人に誤解を与えないようにするべき策を必死に考えた。

しかし、アルテアが、ネアにはわからない魔物の事情を考慮して、ディノとネアのことを隠している場合は、何を言っても上手く伝わらない気がする。



そんな風にネアが困り果てている時だった。



会場が俄かに騒がしくなり、誰かがわっと声を上げる。



「秋告げの精霊が失踪したぞ!」



ネアはその叫びを聞き終えてから、眉をぎりぎりと寄せた。


「アルテアさん、もしかしたらそれは、この舞踏会には大事な感じのお方なのでしょうか?」

「…………この空間そのものの、主軸の精霊だな」

「まぁ…………」



この後でどうなるのか分らないので、ネアは会場を鋭く見回した。

絶対につぶつぶしているに違いない葡萄の妖精を、せめて一目見ておきたかったのだ。






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