秋映えのバイオリンと秋告げのドレス
秋告げの舞踏会に着て行くドレスが仕上がった。
シシィは他の仕事があるらしく、アーヘムが届けてくれたそのドレスの美しさに、ネアは目を輝かせる。
「今回のドレスは、春のものとは全く雰囲気が違って、なんて艶やかで美しいんでしょう!」
仕上がった秋告げのドレスは、まさに秋の美しさを凝らせたかのような素晴らしさであった。
シルクのような張りのある生地は上品な光沢を纏い、灰色がかった深みのある薔薇色にネアはうっとりとする。
その布地だけでも充分に素晴らしいのに、腰回りから大きく開いた襟元までに刺された刺繍の素晴らしさには息が止まりそうなくらいだ。
深みのある葡萄酒色の糸は、硝子質の葡萄の木の結晶から紡いだ透明な糸と、こっくりとした妖精の紡ぐ秋の夕暮れの糸を使っているらしい。
そこに、結晶石の中でも様々な色合いの薔薇色のものを集め、ひときわ鮮やかな深紅の結晶石が目立つように精密な計算の下に、複雑な花を主体とする模様が描かれていた。
(今回のドレスは、あえてドレスらしいドレスなんだ………)
春告のドレスの刺繍は、繊細な草花が這うような刺繍であったが、今回の秋告げのドレスの刺繍は、あでやかな薔薇の花の刺繍もあるものの、あえて模様としての刺繍に特化しておりその複雑さが秋のドレスの深みのある色合いに何とも映える。
手が込んでいないようでさり気ない計算が生かされた前回のドレスとの違いは、恐ろしく手の込んだ刺繍をあえて際立たせ、ドレスを纏う者の格を一つ上げてくれそうな気品のある美しさに押し上げてくれることだろう。
(上手く言えないけれど、前回のものが妖精のドレスなら、今回のものは魔物のドレスという感じかしら……)
「合せてみていただけますか?」
「ええ。着てみますね」
今日はシシィがいないので、ネアは家事妖精に手伝って貰ってそのドレスを着てみた。
日常着からドレスに着替えるので、何だか胸元が心許ないような気持ちになるが、舞踏会のドレスなのだ。
まぁこんなものだろうと思い、鏡の前でくるりと回ってみる。
(……………なんて背中が綺麗に見えるのかしら)
ネアはまず一般的な背中の持ち主なので、この滑らかさと優美なラインを出してくれているのは、ドレスの力なのだろう。
そう考えると、身に纏うものの効果と言うものをあらためて感じずにはいられない。
靴も前回と同じような特殊加工があり、羽が生えたように軽やかにステップを踏める仕様だ。
魔術の恩恵を受けることさえ出来れば、靴擦れという概念など吹き飛ばせるのがこの世界のいいところである。
「着てみました。なんて美しい色合いと形なんでしょうね。すっかりこのドレスの虜です!」
着替えたネアが隣室から戻ってくると、既に魔物達は長椅子の背もたれの向こう側に避難してしまっていた。
少しだけ顔を出して覗いていたが、ネアがくるりと回って背面も見せれば、きゃっとなって隠れてしまう。
なぜに毎回こんな風に純情になってしまうのか皆目分らないが、感想を聞きたいのに面倒臭いのでそろそろ慣れて欲しい。
「春告げのものも美しかったですが、こちらもまた趣きが変わって良いものですね。素晴らしい」
ディノとノアは隠れてしまっているので、ネアはヒルドから一番に嬉しい感想を貰った。
やはり褒めて貰えると嬉しいもので、ネアがぱっと笑顔になると、長椅子の向こうに隠れていた魔物達もわらわらと戻ってくる。
「僕は春よりもこっちの方が好きだなぁ。やっぱり、こういう色が似合うよね」
「ネアが可愛い」
「さっきから、シルはこの言葉しか言ってないしね。僕は、控えめに言って、アルテアは死ねばいいと思う」
「なぜに物騒になってしまうのでしょう?アルテアさんのお財布から生まれたドレスなのですよ?」
「ドレスだったら、僕だって幾らでも作ってあげるのに!」
「それにほら、見て下さい。くるっと回るとドレスの裾が翻って、内側に入った薔薇霞のチュールが、お名前の通りに薔薇色の霞のようにけぶるのです!きらきら光っているのは、アーヘムさんの刺繍なんですよ」
「…………背中が」
ネアは素晴らしいドレスを自慢したかったのだが、大胆に開いた背中を見たディノがくしゃくしゃになってしまったようだ。
ノアが慌てて正気に戻そうと声をかけており、雪山遭難の光景にしか見えなくなる。
面倒臭くなったネアは、さっと遭難者達を捨てて行くことにした。
そしてそのまま、アーヘムが手直しに入る。
「肩口の刺繍も、位置は問題なさそうですね。胸元は隙間が空かないようになっておりますが、当日までに痩せられてしまうと危ういですので、内側のストラップをかけ忘れないようになさって下さい」
「この部分で、肌にぴたっとするのですね」
「ええ。背面も良さそうです。当日は髪結いの魔物を使うそうですので大丈夫でしょうが、このドレスは髪を結い上げた方が映えますから」
「今回の秋告げの舞踏会は、念の為に髪結いの魔物さんに髪を結っていただいて、お守り代わりの守護を強めるのだそうです。このドレスだけでも素晴らしいのに、髪の毛も素敵にしていただいたらと思うと、わくわくが止まりません」
「スカート部分は、前回とは違い膨らませてあります。階段などでは、アルテア様にエスコートしていただいて下さいね」
「はい。こんなに綺麗で繊細な裾を踏む訳にはいきませんので、そうしますね」
その後アーヘムは、体の曲線に沿うと結晶石の輝きがアンバランスになる部分を見つけ出して手早く角度を変えてくれたり、腰回りの落ちる布感の調整をしてくれたりした。
シシィよりは凝り症なのか、丁寧に全体を見てくれた後、ようやく完成となる。
「胸元の影が思ったより角度が上がりましたので、幾つか微修正しました」
「……………もう充分だと思いますよ」
「ヒルド…………」
直す位置が胸元だったこともあり、渋い顔になってしまっているヒルドに、アーヘムは少しだけ苦笑する。
「今回の耳飾りは、ヒルドのものを?」
「ええ。春の時よりは好意的な系譜の皆さんだそうですので、用心の為にヒルドさんの耳飾りを色味だけドレスの色合いに擬態させてつけることにしました」
「首飾りはそのままの色合いで構いません。秋ですのでケープを羽織られる場合は、深みのある灰色か、黒にしていただくと良いでしょう」
「アルテアさんの転移でばっと行ってしまう筈なのですが、上に羽織る機会があればそのようにしますね」
こうして、素晴らしいドレスを納品してくれたアーヘムは帰っていった。
今日はこの後でもう一件の納品先を回り、その後でヒルドと再会して一緒に晩餐に出るらしい。
ウィームのローゼンガルテンに住んでいる刺繍妖精だが、引く手あまたの妖精なのでこうして顧客のところへ出ていることも多いのだそうだ。
しかし、ヒルドが出かけるとなると、今夜はボール遊び担当が回ってくる可能性もあるなと、ネアは入浴の時間を再検討した。
銀狐の遊んで時間が始まるのは、きまって晩餐の後くらいの時間なのだ。
運が良ければ自分の尻尾を追いかけて自家発電式の遊びで満足してくれるのだが、だいたいの場合は誰かの足元にボールを咥えて持ってくる。
最近はチーズボールで黙らせようとすると、チーズボールを咥えたままもう一つのボールも欲しがるようになった。
顔を歪ませて二個のボールを咥えた銀狐を見た日、ディノは悲しくなってしまったのかずっと項垂れていたくらいだ。
「ディノ、このドレスの初めてなのです。目を覚まして踊って下さい」
「…………ずるい。可愛い」
「むむぅ、起きて感想も言って欲しいのです。ほら、顔を背けてないでこちらを見て下さいね」
「…………ご主人様が虐待する」
「なぜなのだ!………もう!ディノがエスコートしてくれないのなら、ご主人様は他のお相手にダンスを頼んでしまいますよ」
その言葉は効いたのか、ディノはしゅばっと起き上がると、一度もくしゃくしゃになったことなどないという風に優雅にネアの手を取ってくれる。
きちんとしていれば目も眩みそうな程美しい魔物なのは変わらず、ネアは素敵な婚約者の復活にうきうきした。
「この前のお部屋で踊りますか?」
「あの部屋が気に入ったのかい?」
「ディノと踊れるのなら、どこでも素敵ですね」
しかし、その言葉は少しだけ刺激が強過ぎたのか、ディノはまたしてもぺそりと背中が曲がってしまった。
「なぬ。またしても死にかけています。素敵な婚約者に戻って下さい」
「……どうして君は、睦言のかけらもないのに凄い言葉を言うのだろう」
「むぐぅ」
先程の程度の言葉で弱ってしまうなら、ディノは今迄どんなお相手と踊ってきたのだろう。
どこまで専門的な用語の飛び交う踏まれたい系変態の巣窟だったのかと思えば、ネアは何とか大事な魔物を更生してやりたくなった。
(趣味の範囲は諦めるとして、せめて会話くらいは普通の世界のものに慣れて欲しい!)
「ディノが毎回死んでしまうとなると、さすがに私も心配なのです。これからは、ディノが婚約期間が終わった後に死なないよう……ディノ?!」
会話の途中で、不意にぐいっと抱き寄せられてネアはびっくりした。
背中をきつく抱き寄せられ、のけぞるようにしてディノの瞳を見上げる形になっている。
元々、ぐっと押し上げるようにして半分胸元を大きく開けているドレスなので、ぴったりと抱き寄せられるとなぜか気恥ずかしくなった。
「………言っただろう。解消はしないよ」
「まぁ………」
しかし、ディノがそんな行動に出た理由は、すぐに分かった。
ネアは、魔物らしい怜悧で艶かしい目をしたディノにくすりと笑い、強張ったディノの眼差しを困惑に緩ませる。
「違いますよ、ディノ。今は、婚約期間が終わって、ディノときちんとそういう関係になった時のことを言おうとしたのです」
「…………そういう関係」
「ええ。その時に、私の言葉でディノが死んでしまったら困るでしょう?その前に少しずつ馴らしてゆきましょうね」
「睦言を………?」
「………ディノの認識は、皆無か極端に過激なところかの両極端な気がします」
あの程度の会話で睦言扱いされてしまうとなると、これは困ったなとネアが眉を寄せていると、ネアを抱き寄せたまま、魔物はなぜか目元を染めてもじもじした。
「そういう関係………」
その言葉を反芻してたいそう恥じらっているが、自分からぐいぐいと婚約者になっておいて、正式に伴侶となることのどこに羞恥に苛まれる要素があるのか、ネアには皆目見当がつかない。
やはりこういう時に、変態というものの不思議な世界に途方に暮れてしまうのだ。
(…………だがしかし、もうディノは大切な魔物なので、ここで怖気付いてはいけないのだ!)
頑張って奮起したネアは、抱き竦められた態勢のまま、ディノの胸に押し当てていた片手を動かして三つ編みを握った。
「そうですよ!きちんと備えて、予習しましょうね。私からも時々訓練するので、ディノも頑張って下さい」
「………でも、君はそういうものが苦手なのではないかい?」
「む?私は、一般的な応酬であれば不得手ではありません。逆にディノは、一般的なものをあまり知らないのでしょうね」
「………私は、一般的じゃないのかい?」
「あらあら、しょんぼりしないで下さいね。ディノの初めての一般的なものは、私がたくさん差し上げますから、それで慣れて下さい」
「たくさん…………くれるんだね」
「はい。………はい?……ディノ?」
ネアからそろりと手を離し、なぜか魔物は口元に片手を当てたまま、よろよろと後退した。
「…………ご主人様が大胆過ぎる」
「なぜそうなるのだ」
やはり変態たる思考回路は、常人には容易く理解することは出来ないようだ。
へなへなと長椅子に崩れてしまったディノは今や、片手で口元を覆ったままの姿勢ですっかり照れてしまっている。
(ディノとダンスを踊れたら、どこでも楽しいと言っただけなのに………)
そのような普通の会話にこれだけ耐性がなくて、果たして伴侶など得て大丈夫なのだろうか。
婚約の先に進むなら伴侶になるしかないのだが、そんなことになったら心不全でお亡くなりになってしまうかもしれない。
「ディノ、大丈夫ですか?婚約期間を延長しておきます?」
「…………え」
「そんな風にくしゃくしゃになってしまうとなると、後一年と少しで慣れてくれるでしょうか?大事なディノが死んでしまったら嫌なので、このままずっと婚約期間のままでも………ほわ」
素直に心配しただけのネアだったが、その結果魔物を泣かせてしまう羽目になった。
婚約期間が死ぬまで続くと思ってしまった魔物は、ぽろぽろと涙を流しながらふるふると首を振るお人形のようになってしまい、ネアは泣き止ませるのにたいそう苦労した。
おでこをすりすり撫でてやったり、頬に口付けしてやったり、ご主人様から椅子にしてみたりしても効果がなかったので、ネアは苦肉の策で、婚約期間を一日だけ短縮してみた。
「短くなる………」
「ええ。婚約した日から二年でしたところを、一日減らすことにします。となると、二回目の婚約記念日の前日が、その日になりますね」
その提案で、やっと魔物は泣き止んだようだ。
泣き止んだばかりの魔物と連れ立って、ネアはようやく踊れることになる。
「秋映えのバイオリンを使おうか」
「何だか素敵なお名前のバイオリンですね。どんなものなのですか?」
「名前の通り、秋にしか鳴らないバイオリンなんだよ。秋の祝福のある木から生まれたもので、季節が変わると弦が動かなくなるらしい」
「不思議なバイオリンですね。こちらにあるのですか?」
「君が喜ぶかなと思って貰っておいたから」
「まぁ、ディノのものなのですね!」
このバイオリンはどうやら、ネアと出会った後で誰かから献上されたものらしい。
あまり以前のことではないようなので、ネアにべったりのようでありながら、ディノはディノなりにどこかで私用を済ませているのだろう。
(確かに、寝静まった後はどうしてるかとか、私の入浴中や、私がノアやアルテアさん、ウィリアムさんとお出かけしている時にどうしてるのかは謎のままだわ)
きちんと自分の時間も過ごせているようであれば問題ないので、ネアは何だかほっとする。
品物を献上するとなると友達ではないだろうが、そうして会えるとなればある程度は顔見知りなのかもしれない。
「………何て綺麗な音色なんでしょう」
そうして、秋映えのバイオリンが華やかだがどこか物悲しい音楽を奏で始めると、ネアはその素晴らしい旋律にうっとりと聞き惚れた。
リーエンベルクの影絵の中にある大広間は、今度は素晴らしい秋の景色の中に沈んでいる。
大きく開いた窓の向こうには鮮やかに色付いた秋の森があり、その色彩が映り込んだ床石も同じ色を滲ませる。
秋映えのバイオリンは、魔術の光に包まれてぷかりと浮かび、まるで奏者がそこにいるかのように自分で音楽を奏でていた。
これについてはバイオリンの設定ではなく、ディノが魔術で奏でているのだそうだが、元々音楽の素養があるのか、魔術の叡智によるものなのかは謎だ。
コツリと床が鳴る。
秋のリーエンベルクの大広間は、淡い淡い黄金色の豊穣の結晶石なのだそうだ。
こうして季節に合わせた大広間のあった時代のこのウィームは、どれだけ豊かな国だったのだろうと思うばかりだが、ネアは今のウィームが一番好きだった。
くるりとターンをすれば、薔薇霞のドレス裾がふわっとけぶる。
その色彩の美しさに見ているだけでうっとりとし、ダンスをリードしてくれているディノを見上げて微笑んだ。
こうして踊るのはディノも楽しいのか、幸せそうに目を細めて水紺の瞳を煌めかせている。
あえやかに淡く光る真珠色の髪が揺れ、ネアはどこか満腹のときのような満足感で大事なものの手をしっかりと握った。
「こうして見ると、ディノはやっぱり私の宝物ですね」
素敵なドレスに気持ちが上がってご機嫌でそう呟けば、ディノはぎくりとしたように目元を染める。
「ネア…………」
声に滲んだのは男性的な狼狽と、魔物らしいどこかしたたかな呆れと。
そんなディノにしかない鋭さを垣間見ると、ネアはその美しさにもうっとりとする。
残酷で無垢だからこそ美しく、そういうものだからこそ罪深い人間でも安心して慈しめるもの。
ふっと視線が翳り、ターンの隙間を盗まれてふわりと口付けが落ちる。
以前であれば頭突きで黙らせたのだが、今は微笑んで見上げるようになった。
「そんな風に変わってゆくものが、何だか素敵で優しいですね」
しかし、いい気分でネアがそう言ったところ、魔物はまた別の感慨に悲しげな目をする。
「最近は頭突きをしてくれなくなったね」
「………………む」
「部屋に戻ったら、してみるかい?」
「なぬ………」
ひどく艶めいたお誘いの声だが、内容は頭突きをして欲しいということである。
ネアは、艶麗な婚約者を見上げ、その背後に広がった素晴らしい秋の広間と、秋映えのバイオリンの音色を感じた。
そしてもう一度ディノに視線を戻せば、魔物は頭突きへの期待に目をきらきらさせている。
「………一度だけですよ?」
「ご主人様!」
ネアは仕方なく、部屋に戻ってから粛々と頭突きをしたのだが、晩餐の席でディノが今日はご主人様が頭突きをしてくれたと誇らしげに暴露してしまったので、何とも言えない悲しい一日となった。