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174. 山車人形は強引です(本編)



その日のウィームは、秋の入りの豊穣祭となった。

サーウィンのような大々的な秋の豊穣祭ではなく、秋の入りの収穫を祝う、中規模のものだ。


とは言えその日のネアは、最大級の警戒を以って、山車人形祭りに挑もうとしていた。


この祭りの最大の特性は、麦穂や香草、木の枝などの様々な素材を組み合わせて作った山車人形に、専門の職人が作り上げた精緻な仮面をかけることで山車人形が動き出すところにある。

山車に乗せられた人形が街の中を練り歩くところまでは朗らかなお祭りだが、焚き上げの魔物が現れ、自分が焚き上げられてしまうと察した山車人形はたいそう荒ぶる。

場合によっては脱走し、家屋ならば何でもという感じで押し入って潜伏してしまうので要注意なのだ。


元々祝福を込められた山車人形であるので、なかなかに強いらしく回収には苦労するのだとか。

どう考えても恐ろしい光景なので、ネアは朝から魔物の三つ編みをしっかり握っていた。



「ネア、大通りには行かなくていいんだね?」

「山車に近付きたいとは思えません。遠くから賑わった大通りを見て、お祭りの雰囲気だけを楽しみます」


朝から、街の方からは賑やかな声が聞こえてきている。

山車人形の祝祭ことホールルが開始されたのは十時くらいだ。

そこからもう半刻程過ぎているので、ウィームはすっかりお祭り気分なのだろう。


祝祭としての儀式に参加するエーダリア達と、昨年の山車人形は拳を振るって暴れたので、そのエーダリアの護衛兼、襟元のお洒落として駆り出された銀狐ことノア。

そんなみんながリーエンベルクを空けており、新年の時のようにリーエンベルクは一時的に閉鎖されている。

領主館としての機密事項や様々な道具などもあり、そんなリーエンベルクに山車人形が侵入したら大問題なので、であれば焚き上げられるまでは閉ざしておこうという方針なのだ。


(………昨年の今頃は、お祭りがあることなんか気付かなかったような……)


街中に祝祭を示す看板があっても、それはまだ異世界のことで自分には関係ないものだという認識もあった。

新しく出会ったばかりのディノとの関わり合いや、どのように生きてゆくべきか試行錯誤していた頃だ。

ディノを完全に頼れるという認識もなかったし、エーダリア達に至っては警戒対象ですらあった頃。

もしそんな寄る辺ない頃に、脱走してきた山車人形と遭遇していたらネアは恐怖で心停止したに違いない。

昨年の祝祭の管理には、感謝の意を示すばかりだ。



「………ネア、公園に行くのはやめようか」

「………ディノ?」


そんなことを考えていたら、魔物が珍しく後ろめたいような奇妙な目をして進路変更を申し出てきた。


リーエンベルクは閉ざされているが、万が一のことを考え近くには留まっていたいので、午前中は、山車の動くコースから少し離れた博物館通りの側の大きな公園で、時間を潰そうと話していたところだったのだ。

一応は街中の警戒という業務時間内でもある。

この時間の公園では、祝祭の列から離れた場所で昼食を摂りたい観光客や地元住民などを狙った屋台も出ており、観光案内所もあるので、良い警戒スポットだと思っていたのだが。


「しかし、一応はお仕事中ですので、ある程度は人のいるところにいたいのです」

「では、表通りはどうだろう?賑やかだし、余所から来た者達も大勢いるよ」

「……………山車が通るではないですか。頑張って交渉して、外周の警備担当に就任したのに、それをなぜ、あえての中央へ攻め込む姿勢を見せるのでしょう?」

「…………その角を曲がらない方がいいと思うんだ」

「……………む」


そこでネアは、魔物の三つ編みをしっかり握ったまま、そっとすぐ側の曲がり角の向こうを覗いてみた。



「…………っ!!!」


その直後、全身に鳥肌を立てて、そろりと角のこちら側に戻ってくる。

手を伸ばして待っていてくれた魔物の腕の中に飛び込み、すかさず持ち上げて貰った。


「喋っていても大丈夫だよ。音の壁を展開してあるから」

「ななななぜにもう脱走しているのだ!」

「街が騒々しいと思ったけれど、既に逃げ出していたんだね」

「そして、なぜ足があんな異形なのでしょう?貴婦人人形だと聞いていたのですが、明らかに人型の下半身ではありません!」


角の向こう側を歩いていたのは、脱走した山車人形と思われる異形の姿だった。

上半身部分の造形やドレスのデザインで山車人形に間違いはないのだが、下半身の様子がおかしい。


(…………み、見てしまった)


涙目のご主人様に、魔物は可愛いと呟いてからきゅっと抱き締める。

以前にも言われたことがあるが、ご主人様は丈夫であまり弱らないので、ディノ的にはネアが弱ると可愛くて仕方ないのだとか。


「そうだったのかい?」

「さては、ディノは見ていないのですね?」


そう言えば、なぜか魔物は少しだけ複雑そうな微笑みを浮かべた。

ネアはそこにふと違和感を覚えたものの、よく分からないままに会話を進める。


「うん。明らかに祝福や形状が人形であるものがすぐ側にいると分かったから、君が近付かないようにしたかったんだ。君が覗いた時もこちらに気付かれないように魔術的な足場を固定していたから、私は角の向こう側に出ないようにしていたからね」


先程、ネアが角から覗いた時、角からネアが覗いた分だけの領域を不可視にしたりして、山車人形に気付かれないようにしてくれたのだそうだ。

角の向こうに山車人形がいると言わないまま回避しようもしたのも、言えばネアが怖がってしまうからという配慮だったらしい。


(やり方が下手だけど、頑張ってくれてたんだわ)


これがもし、他の魔物達ならばもう少し上手く回避しただろう。

しかし、ディノにとっては割と苦手な分野だ。

更に言えば、多分ウィリアムの場合はそのまま直進する。



「ごめんなさい、ディノ。せっかく気遣ってくれたのに、空気が読めませんでした」

「ごめんね、君に確認させてしまった。………とりあえず、この道を通らないようにして公園に行ってみるかい?でも、一度制圧された道となると、他の人形がいるかもしれないね」

「…………他の、人形?」

「焚き上げになる山車人形は、全部で六体だ。他にも脱走している人形がいるかもしれない」

「……………一体ではない」

「山車が全部で十二あって、その内の半分に山車人形が乗っているそうだよ」

「ほわ…………」


ネアはそこで恐怖のあまり心が死んでしまい、慌てて通信端末を使ってエーダリア達に連絡を取った。

つまりのところ、助けて欲しいのである。


幸い、山車人形が脱走しているのでその連絡を集めていたのか、エーダリアはすぐに応答してくれた。


「………ネア、まさか遭遇したのか?!」

「はい。博物館通り前に向かう冬楓の並木道の角のところにいるようです」

「助かった!今年は、なぜか開始早々に山車人形が暴走してな。移動遊園地にあった水渡り蜘蛛の人形の足を奪って、機動力を上げたお蔭で追手が振り切られてしまって………ネア?」

「…………蜘蛛の足」

「そ、そうか。お前は蜘蛛が苦手だったな。ネイをそちらに向かわせよう」

「い、いえ。………危うく頷いてしまいそうでしたが、ダリルさんが休暇に入られて、ヒルドさんが指揮役になっているのですから、エーダリア様はノアと一緒にいて下さい。絶対にノアから離れてはいけませんよ!」

「わ、わかった。………その、思い詰めずに、ディノに頼むといい」

「そうします。あのお人形さんと向かい合ったら、精神が崩壊してしまいますから」

「すぐに、グラストとゼノーシュが向かうので、安心していてくれ」

「ふぁい」


通信を切ったネアは、心配そうにこちらを見ていた魔物の首にしっかりと手を回した。

山車人形が、移動遊園地の水渡り蜘蛛人形の足を奪ったことをもそもそと報告する。


「人形という同じ属性のものであれば取り込めると判断したのであれば、随分と知恵が働くようだね。仮面を作った魔術師が優秀過ぎたのかも知れない」

「それが理由なのですか?」

「仮面で魂入れをしているようだから、恐らくそこが原因だと思うよ。ただ、気になることが幾つかあるんだ。異質な感じもあるから、念の為に君は決して触らないように」

「異質というと、故意であるとか、変異があるとか、そのようなことでしょうか?」

「そういうものではないといいのだけど、かもしれないね。……儀式道具にあたるから、困ったことになりそうだ」

「…………なぬ」


ディノ曰く、今回の場合は祝祭の儀式に使う山車人形なので、祝祭の正式なお作法でなければ、消滅させることが出来ないという厄介な魔術の理が働くのだそうだ。


即ち、山車人形がどれだけ変異して荒ぶっても、焚き上げをしない限り滅ぼすことが出来ないというようなことになる。

焚き上げには焚き上げの儀式作法があるので、山車人形をその領域まで連れ戻さねばならず、非常に面倒臭いのだ。



「ただし、どうにもならなければ、焚き上げの魔物をこちらに呼ぶよ。儀式形態が崩れることよりも、被害が出ない方がエーダリアもいいだろう」

「では、ひとまずは視界に入れない程度に、逃がさないようにしつつ………ぎゃ?!」

「ネア?」


ネアが悲鳴を上げたのは、角を覆うような体勢で、小さな小屋くらいの大きさのある蜘蛛足の人形が現れたからだ。

ディノが敷いている魔術が完全なのか、こちらには気付いた様子もない。

大きな蜘蛛足で腰高になった山車人形は、高い位置から睥睨するように周囲を見回しているようだ。

悲鳴を上げたネアを抱きかかえたまま、ディノはこちらに気付かないまま通り過ぎてゆく人形を冷静に見送ってくれる。



「こ、怖くて目も閉じられません……」


ネアがそう言うのは、定番の、ホラー展開のピーク時で目を閉じると、目を開いた瞬間にすごく近くにいるパターンが想定されてしまうからだ。

あわあわしながらそう訴えたネアに、ディノはふわりと優しく微笑んでくれる。


「大丈夫だ。ほら、私を見ていて。他のものは見ないようにするんだ」

「むぎゅ」

「………やはり、だいぶ変異しているね。今は魔術の場を動かすことは避けて、この人形が通り過ぎたら転移をかけるからね」

「………し、しかし、まだグラストさんとゼノがこちらに来ていないのです。どれだけ怖くても、お仕事なのですから逃げ出す訳にはいきません……」

「おや、そんなに震えているのに困ったね。では、ゼノーシュを急ぎでこちらに呼ぼうか」

「ふぁい。………それと、あのお人形さんが通行人に危害を加えないように、………ほわ」

「…………ネア?」



ネアが再び固まってしまったので、その視線を辿って振り返ったディノは、何だかわからないがここが妙だぞと二人の位置を覗き込んだ山車人形に気付いたようだ。

小さく踵を鳴らすと、ふっと視界が乳白色になった。

恐怖の山車人形のアップが見えなくなったネアは、すっかり脱力してしまってディノの腕の中でくしゃくしゃになる。


「今夜は一人でお風呂に入れません。目隠しディノに、傍にいて貰います……」

「ご主人様………」


震え上がったご主人様の発言に魔物も少しくしゃりとなりつつ、二人は捕獲部隊の到着を待った。



二、三分かかっただろうか。

ふっと眉を持ち上げたディノが、ネアの背中を撫でていた手をすいっと横に振ると、ぱたぱたとゼノーシュ達が閉ざされた空間に駆け込んで来た。


「ネア!大丈夫だった?」

「………ゼノ?!怪我をしたのですか?!」


ネアがぎょっとしたのは、ゼノーシュの服のあちこちに擦り切ったようなほつれがあったからだ。

慌てて手を伸ばすと、ゼノーシュは悔しそうに眉を寄せる。


「よく分からないけど、凄く強かったんだよ。グラストを蹴とばそうとしたから、僕も怒ったの。でも、儀式のものだから壊せないんだよね」

「俺では防げませんでした。ゼノーシュがいてくれなければ、危うく攻撃を直接受けていたところです」


こんな時なのに、昨年の今頃は“私”と言っていたグラストが、そう言えばいつの間にか、同僚でもあるヒルドにそうするように、時折一人称で“俺”と言ってくれることに、ネアは嬉しくなった。

トンメルの宴で出会った妖精と話した、家族の形のようなものを思う。


だからこそ、ゼノーシュが傷ついたことが悲しかった。



「す、すぐ傷薬を……」

「大丈夫だよ、ネア。僕も強いから、怪我はしてないよ!それより、………あれ、見ちゃったの?」

「………こんなに回避していたのに、うっかりあやつめを直視してしまいました……」

「僕とグラストで、すぐに焚き上げ場に連れて行くからね」


目が虚になったネアをゼノーシュは慌てて慰めてくれたが、ディノは隔離結界から出ようとした二人をなぜか引き止めた。


「ゼノーシュ、あの人形は少し妙だと思わないかい?何かが混ざっているのか、或いは術者を取り込んでいるかもしれない」

「ディノもそう思う?あのね、追いかけてきた足跡が途中で途切れたりしてたんだ……」

「そうなると、転移も出来るのかな」

「ふぎゃ」

「ああ、ごめんね。怖がらせてしまったね」


あの蜘蛛人形が転移するとわかり、ネアが悲鳴を上げれば、ディノは慌ててまた背中を撫でてくれた。

妙に嬉しそうに慰めてくれるので、怖がるご主人様を慰めるのは気に入ったようだ。


「現状、脱走した三体の内、一体は焚き上げ場に搬送済です。残すは、ここの一体と、残り一体なのですが、ゼノーシュですら気配の捕捉が難しい有様でして……」

「この一体は足止めしているから、捕まえたら仮面の素材を調べてご覧。それと、私が押さえていてもまだ動くようだ。無力化という魔術に対して、何か特性魔術を保有しているのかもしれない」

「うん。わかった」


ネアにはよく分らないが、どうやら先程の蜘蛛人形はディノが逃げないように押さえてくれていたようだ。

しかし、ディノが押さえても動くということは頑丈な人形なのだろうか。

祝祭の魔術には規則性が強いので、ディノは苦戦しているようだ。


「ディノも困らせる悪いやつなのですか?」

「今の祝祭の規則を壊して、あの人形を壊してしまうことは簡単に出来るよ。ただ、そうなると祝祭の作法も果たされないということになるから、それも宜しくはないのだろう」

「むぅ。………豊穣を祈願する祝祭ですものね」

「本来であれば、こういうものの調整はノアベルトが向いている。とは言え、だからこそエーダリアの側に置いておいた方がいいだろうからね」

「つ、使い魔さんも呼びますか?」

「……どうかな?アルテアは相性が悪そうだ。祝祭の周りの魔術は、信仰の領域だ。レイラとの相性が悪い以上、それに纏わる要素はあまり彼には有利に働かないだろう」

「まぁ、そんなこともあるのですね………」

「ボラボラや夏至祭とは違い、人間が人外者の力と魔術を借り、儀式として立ち上げ形式化している儀式は、司る者が規則立てし易いんだよ。ウィームは祝祭でレイラを招聘してきた土地でもあるし、そうなると彼女の領域としての影響は強い」

「と、となると、ウィリアムさんとか……」

「とは言え、ウィリアムを呼ぶと、私と同じように細やかな調整に向かないし、豊穣の系譜との相性が悪い。………どうだい?」


ディノがそう尋ねたのは、その人形が押さえられているという方向をじっと見ていたゼノーシュだ。

この隔離地から出て人形を捕まえに行く前に、なぜ変異してしまったのかを探ろうとしていたのだが、あまり良い表情ではない。



「仮面の素材の木が、………もしかしたら、植物の精霊の欠片かもしれない」

「おや、であれば、住み込みかもしれないね」

「うん。住み込みかも」

「す、住み込み?」


謎めいた単語の登場に、ディノが教えてくれたことによると、古い木などには時折、休眠状態に入る高位精霊が中に仮住まいしていることがあるのだそうだ。

それを、住み込みと言うらしい。


そのことに気付かず木材として切り出されてしまうと、精霊入りの木材になってしまうのだとか。

本来であればそのままお亡くなりになってしまっているものを、祝祭の儀式で蘇らせてしまった可能性があるのだそうだ。



「ほら、今回は豊穣を祝う祝祭だから、成長や再びの芽吹きを願う祝福があるだろう?」

「ということは、あのお人形さんの脱走は精霊さんの意志なのですか?」

「いや、精霊の要素を持った、山車人形なのだろう。従来のものが、高位の精霊の知恵と力を得たような感じだね」

「…………厄介な予感しかしません」

「ゼノーシュ、精霊は祟ると面倒なものだ。あまり無理をせず、トルチャを呼んでしまった方がいいかもしれないよ」

「……うん」


そのトルチャと言うのが、焚き上げの魔物の名前らしい。

ゼノーシュは言われた言葉を受けて少し悲しそうにしてから、おずおずとグラストに申し出た。


「グラスト、高位の植物の精霊が祟ると、お祭りを壊しちゃうかも。焚き上げの魔物をこっちに呼んで、ここで儀式を始めた方が安全かもしれない」

「………確かに、植物の精霊ともなると、植物性の呪いや祟りがあるな」


そう呟いたグラストに、何だか環境に優しい植物成分な呪いしか想像出来なかったネアは、自分なりにその効果を想像してみた。

同じ系譜のものだからこそ、収穫や豊作に害を為す呪いを与えたりするのだろうか。



「このままもう暫くは押さえていられるよ。エーダリアに相談してみてはどうだい?」

「ディノ殿、申し訳ありません。ひとまず、エーダリア様にご判断を仰ぎますので」

「うん。そうするといい」


グラストとゼノーシュが通信にとりかかると、ディノは小さく微笑んで慎重に対処する訳をネアにも教えてくれた。


「加工されてしまった木材の中のものだから、素性がわからないだろう?以前ノアベルトの元に届いた手紙のように、精霊の呪いや祟りは、理を巻き込んだ厄介で強いものがあるからね」

「荒れてしまっているのは、山車人形さんとしてだけではないのですね?」

「木の中で休んでいるところを壊されたんだ。恐らく、恨みが深いのだろう。そうでなければ、植物の精霊が他の生き物の要素である、蜘蛛の形を選ぶ筈がないんだ。この世界では、複数要素が合わさるというのは、とてもおぞましいことだからね」


そこまで説明されてからようやく、ネアは魔物達がこの生き物をあまり見たがらないことに気付いた。

蜘蛛が嫌いなネアだけではなく、武人であるグラストの顔色も酷く悪いのは、この山車人形が複数要素を持つ合成生物になってしまっているからなのだ。


「ごめんなさい、私が怖がるばかりで、ディノ達にとっても苦手な生き物になってしまっていたのですね」


ネアが慌ててそう言って擬態している青灰色の頭を撫でてやれば、魔物は嬉しそうに目元を染めた。


「君を守るのは好きだからね」

「でも、嫌な気持ちでしょう?私に借りのある、雲の魔物さんでも呼び出しますか?」

「…………多分、ヨシュアは泣いて役に立たないんじゃないかな」

「では、……………ほわ、デ、ディノ………」




ネアが震える指で示すまでもなく、その音に全員が振り返った。

ディノが隔離している空間の一部が、めりっと音を立てたのだ。



慌ててぱっとディノの方を振り返ったネアの視線の先で、艶麗な魔物の微笑みがどこか酷薄で凄惨な気配を帯びる。

驚いたり慌てたりするのではなく、不愉快な相手だからこそ、お前はこんな不作法を働くのかと嗤うようなそんな鋭さがあった。



ガリッと音がした。

相手が蜘蛛部分を有している以上、ぶるぶるするしかないネアを宥めるようにその頬に口付けて、ディノは大丈夫だよと呟く。

外でどれだけ暴れていても、中に侵入を許す程に柔ではないようだ。


幸いにも、ここに来るまでにグラストとゼノーシュが魔術の非常線を敷いてきてくれており、ディノの方でも領民に被害が及ばないように人避けの魔術を展開してくれている。



「強引に入って来ようとしているみたい」


乳白色の結界を見上げて、ゼノーシュは嫌いなものを齧ったような渋い顔をしている。

今なら分かるが、これは緊張しているのではなく、結界の外のものに焦点を合わせるのが嫌なのだ。



「そのようだね。本来の精霊としての心が失われてしまって、まだ生まれたての山車人形としての行動なのだろう。知識を上手く噛み砕けず、自分よりも高位のものの領域を損なってはいけないということを理解出来ないようだ」

「その、持ちますか………?」

「大丈夫だよ、グラスト。ディノの結界だもの」

「とは言え、知恵のない獣と老獪な精霊の要素が混在している。ここに飽きたら他を崩しに行きかねないから、それも困ったものだ。既に一体を押さえているから、同じ土地であまり特殊な場を開かない方が良いのだけれど」

「最初の奴めを押さえているのは、特殊な方法なのでしょうか?」


さらりと押さえているように思えたので、驚いたネアはそう尋ねる。

するとディノは、万が一にでも精霊の呪いや祟りに触れないように、違う空間を切り貼りして、サンドイッチ方式で中身に触れないようにして押さえこんでいるのだと明かしてくれた。


「………とにかくディノが凄いことだけは良くわかりました!」

「ディノ、エーダリアから返事が来たよ!ここで構わないって。トルチャを連れて来てくれるみたい」

「外側にもう一体現れていることも伝えて、ノアベルトに…………おや」


そこでディノは、目を細めた。


「ディノ……?」

「何かを察したのかな。逃げようとしているようだ」


美しい唇が鋭い微笑みのカーブを描き、ディノは魔物らしい輝きを帯びる。

ふわりと擬態していた髪が真珠色に戻り、また擬態の色に落ち着いた。



「少し理を動かしてしまった。………やはり、中身は地崩れの花の精霊だね。もう一体も捕まえておいたよ」

「…………地崩れの花の精霊さん」

「高位のものだよ。崩壊してこぼれ落ちるものから派生しているから、拘束を困難にする資質がある。どこか、大きな地崩れがあった土地から、仮面の素材となった木を切り出したのだろう」

「…………その、……仮面を作られた方は大丈夫なのでしょうか?」



その問いかけに、魔物達は少しだけ困ったような顔をした。


「その魔術師の属性によるね。影響を受けにくく鈍いからこそ触れることに向いている者と、触れたものの資質を自分の中に受け入れやすい者がいる。……後者の場合は、気付かない内に甚大な魔術汚染を受けている筈だ。いつ石化して崩れてもおかしくはない」

「………そんな。……作っている時には気付かないものなのですか?」

「祝祭によって息を吹き返し、毒性を帯びたものだからね。最初はきっと、魔術を帯びた木であることしか分からなかったんじゃないかな」

「魔術の巡りが強くなっても、いい作品が出来たって思ってたんだと思う。仮面をかけるときは、まだ動いてたもの」


ああ、こう言うときにはゼノーシュも、魔物は魔物らしく、まだ元気だったという表現はしないのだなと、ネアは納得する。

優しくて可愛いクッキーモンスターの姿に慣れてしまっているが、本来は自分の歌乞いにしか心を傾けない契約の魔物なのだ。



それなのに、そんな魔物達が不愉快さを押し殺し、服を擦り切れさせたりもしながら、こうして力を貸してくれる。

きっと、ただ壊してしまうのであれば楽なのだろうに、儀式を成功させることまでをきちんと考えてくれて。



(人面魚にくらべればかなり心に優しいみたいだけれど、それでもこんなに嫌そうな顔をして……)



となると、ディノが寝込んでしまう程の人面魚の破壊力はどれだけなのだろうという謎も生まれたが、ネアはそんな魔物の少しだけ下向きになった口角を指先で撫でてやりたくなった。


表情が特に変わっているようには思えないが、これはよく、ネアがちびまろを撫でていた時に見せる表情だったので、平然としているけれどかなり嫌というものなのが、ネアにも分かる。



「ディノ、……今日はディノも苦手なものなのに頑張ってくれているので、お祭りが終わったらとても大事にしますね」


可哀想になってそう言ってやれば、小さく息を飲んだ魔物は期待に満ちた眼差しをこちらに向けた。



「…………ご褒美」

「ええ。体当たりでも、つま先踏みでもしてあげるので、もうちょっとだけ頑張って下さい」

「ご主人様!」


ぱっと顔を輝かせたディノを見ながら、隣でグラストも、ふわりとゼノーシュの頭を撫でている。

どうやらそちらは、週末に白いケーキが作ってもらえるようだ。

ゼノーシュが笑顔で弾み、喜びを示している。




こうして、目をきらきらに輝かせた魔物達が出来上がり現場の士気は異様に高まった。



エーダリア達の到着連絡が入ったのは、その五分後のことだ。







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