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ケーキの準備と旅の王子


「ディノ、明日と明後日は、何の用事も入れてはいけませんよ?」


ネアがそう言えば、魔物はふるふるしたまま頷く。

誕生日を祝われることが初めての魔物は、それをどういう気持ちで受け止めたらいいのかわからないのだそうだ。


そうなると喜びだけではなく慄きも反映されてしまい、魔物は、今朝は朝からうろうろしていた。

誕生日の心構えを聞かれたので、お祝いをしようとしてくれる人達から大事にされる特別な日だと言えば、魔物はびゃっとなって巣に逃げ込んでしまう。


すっかり面白がってしまった悪い人間に巣から引っ張り出され、魔物は引き続き誕生日のいろはを聞かされる羽目になっていた。



「通常の方は、誕生日は年に一度です。ただ、ディノの場合は契約が終了した正確な時間をどちらも覚えていませんでしたので、明日から明後日にかけての二日間がお誕生日という大盤振る舞いなのです。二日もあれば、お忙しい方々にも当日に祝って貰う確率が上がりますし、毎年楽しみですね」

「…………時間を覚えていなくてごめんね」

「でも、そのお陰で二日間もディノのお誕生日が出来ますから」

「出会った日のことなのに、君は怒らないのかい?」

「さては、記念日で荒ぶる方々の情報をどこかで仕入れてきましたね?」

「ノアベルトに言われたんだ。記念日の詳細を覚えていないなんて、婚約者としては失格なのだそうだ」


それでしゅんとしているのかと思い、ネアは悲しげな水紺色の瞳に微笑みかけてやった。


窓辺ではサムフェルで買ったオリーブの小枝がきらきらと光り、今は、ディノがリノアールで買ってくれたオルゴールとは入れ替え展示になっている。

オルゴールは精緻な細工がとても美しいので、窓の外が雪景色になってから飾り直す予定だ。

その期間中のオリーブの小枝は、厨房のある屋敷の窓辺に飾られることになる。



「ディノの一番欲しいものは、何でしょうね。考えるのも楽しいので、誕生日の贈り物は期待していて下さいね」

「ネアがいるから、それ以上に欲しいものはないよ」

「ふふ、そう言ってくれる人がいることは幸せなことですね」

「………うん」


そこで魔物が少しだけ切ない目をしたので、ネアはすかさず補足する。

人間は狡賢いのだ。


「因みに、そう思うのは大事な魔物で婚約者のディノだからこそなのです!」

「ネア!」

「ということで、今日は午後から婚約者用特別ケーキを作ります!」

「婚約者用……」


ごくりと息を飲み、ディノは真剣な目で頷いた。

婚約者としてのお作法については、レーヌの件であれこれ揉めたので、魔物なりに真剣に向かい合っているようだ。

時々、ノアから恋人の扱い方などをレクチャーされているようで、ネアとしては聞く相手を切実に変えて欲しいと思っている。

確かにノアは専門家に近しいが、いささか浮気性な男性の典型的な部分も持っている。

ネア的には、今のままの拙い魔物の言動が好きなのだ。

あまり耳年増になって欲しくない。



「ということで、初日の明日用には、いかにもお誕生日という感じの白い生クリームのケーキを作りますね。明後日用には、新しくケーキを作ると甘いもの地獄になるので、ディノの好きな食べ物を沢山作ります。因みに明日のお誕生日会は、リーエンベルクの皆さんも祝ってくれるので、料理人の方が腕によりをかけてディノが好きそうなものを作ってくれるそうですよ」

「明後日は、君の手作りなんだね」

「ええ。明日の手作りはお誕生日ケーキです。これでもあちこちで修業したので、生クリームを素敵にお花の形に出来る職人になりました」

「そんなものを作ってくれるのかい?」

「誕生日ケーキは集まった皆さんで分けるので、みんなお腹の中に入ってしまいますが、それでも最初に見た時に喜んで欲しいですから」

「…………みんなで食べてしまうんだね」


誕生日ケーキはとっておけないと知った魔物はしゅんとしてしまう。

めそめそする魔物の頭を撫でてやり、ネアは思い出の中だけに残しておくべきこともあるのだと教えてやった。


「その代り、初めての誕生日会で、みんなでケーキを食べたことをずっと覚えていて下さい」

「来年からもずっと………」

「ええ。来年からもずっと作りますが、少しずつ趣向を変えるので、やはり最初のことを覚えておいてくれると嬉しいです。私も、ディノと初めて出会った日のことは決して忘れません」


ネアは大事にしているつもりで言った言葉だったが、ディノは何か不安になった部分があったのか、さっとご主人様を膝の上に乗せてしまった。


「む。勝手に椅子になってしまいましたね………」

「どうしてだろう。先のことを話してくれるのは嬉しいのに、今は怖くなったんだ」

「…………何となく、そういう感覚は分る気がします。きっと、変わってゆくものもあると知っている以上、未来というものは未知の領域になるからでしょう。でも、私はずっとディノの側にいるので、安心していいですよ」


そう言えばディノは、まるで手を振って星を出されたような顔をする。

澄明な目を瞠ってこちらを覗き込む魔物は、淡く輝くようでえもいわれぬ美しさだ。


「…………君は、ずっとという言葉を言ってくれるようになったんだね」

「ふふ。この一年で随分と変わりましたよね。婚約についてはまだその先が確定案件ではありませんが、ずっとディノの側にいるのは確定しました」

「婚約は確定じゃない……」

「確定のようですが確定じゃないのが、婚約期間というものです。言わば準備期間なので、今の時期にしか出来ないことを楽しみましょうね」


そう優しく諭してやったのだが、魔物は拘束椅子度合を強めたようだ。

きゅっとされると胸がざわつくので、ネアは足をばたつかせてみた。


「婚約者が逃げようとしている……」

「逃げませんが、自立しようとしているのです」

「自立なんてしなくていいんじゃないかな」

「ディノ、それは許可して貰わないと、婚約者は恐れをなして逃げてしまいます」

「ネアが虐待する……」

「むぅ」


困ってしまってじっと水紺色の瞳を覗き込むと、微かな頑固さと甘さを見て得心する。

この魔物は、現実的な部分をわかってはいても甘えるという手法に辿りついたようだ。

しかし非常に難しいことに、場合によっては言葉で言質を取られてしまう魔術の不思議世界なので、ここでよしよしと甘やかす訳にはいかないのだった。

これ幸いと言質を取りそうな老獪な魔物が相手なのも辛い。


そこで、したたかな人間は甘え返しで魔物を殺してしまうことにした。

俗にいう、誤魔化すという戦法だ。


「…………ネア?」


不意に、椅子に乗せたご主人様が、ふしゅんともたれかかり自分の胸に頬っぺたをすりすりして甘えてきたので、魔物は仰天してしまったようだ。

完全に固まってしまったまま、目元を染めて視線を微妙に彷徨わせている魔物に、狡猾な人間はしめしめと悪辣な微笑みを浮かべる。


「ご主人様は魔物に甘えているのであって、虐待などしていませんよ?」

「…………虐待する」

「なぜなのだ」


その後ネアは、殺されかけてしまった魔物の手で、丁重に祀り上げられた。

なぜか魔物の巣に配置され、貢物で美味しい一口サイズの葡萄ゼリーをお口に入れて貰う。

魔物のいい匂いのする巣の中に閉じ込められると、奇妙な甘やかさにそのままぬくぬくと眠ってしまいたくなった。


しかし、今日は午後からケーキ作りがあるので、畏れる魔物が落ち着いたら厨房の材料確認をして、足りないものを市場に買いに行きたいのだ。

その為に午前中の仕事を早く終わらせたので、ネアは祭壇から逃げ出す準備をした。


「とうっ!」

「ご主人様が逃げた……」

「厨房に行きますよ。そして、ケーキ作りの準備をしましょうね」

「ずるい………」


無事に脱出したネアは、魔物を連れてまずは厨房に向かった。

いつものように浴室の扉を使い、カチャリと素敵な鍵を回す。

この鍵は魔物からの贈り物だったと思えば、ネアは手に馴染んだその形に唇の端を上げた。

貰ったものが自分のものになり、二人の当たり前になる。

それはなんて素敵で胸の躍ることだろう。



厨房に入って手早く保管庫を確認すると、残っている果物が随分と偏っていることがわかった。

美味しいのですぐに食べてしまう系の果物と、質のいいものが売られていたので買っておいたが、さてどう活用しようかなという、まず間違いなくやがてジャムにされる果物がある。

苺は残っていたが、後はもうジャム用果物しか残っていない。


「私は定型のものも好きなので、お誕生日ケーキの果物は苺が中心になりますが、他にも入れて欲しい果物はありますか?」

「君が作ろうとしているものを食べてみたいな」

「ふむ。では今年は初心者らしく、最も定番のお誕生日ケーキにしましょうね」

「うん。定番のものには、苺が入るんだね」

「ええ。私の生まれた世界ではそうでしたし、こちらでも売られているケーキを見ると、やはりその組み合わせが人気のようです。飽きがこない計算され尽くした組み合わせなのかもしれません」


(苺だけでもいいけれど、他のベリーも添えてあげよう。そうなると、ラズベリーにブルーベリー、シロップには杏のお酒を少しだけ使おうかしら……)


ケーキに素敵にクリームを塗りつけるための回る台のようなものは、以前アルテアが使った際にそのまま置いていってくれている。

ネアには専門家のように二段構えのケーキを作る技量はないので、今回は一段構造のショートケーキ風のものを作ろう。


真っ白なクリームのケーキは、やはり素敵なものだ。

ネアは、この世界でも食べ物の白が自由に許されていることに心から感謝した。

白い食べ物は特別感があって祝い事や儀式にも重用されるが、食器やリネン類の白と同じように広く許された色彩だ。

一度ディノに尋ねてみたが、特に乳製品等のように育む為の祝福を持つ白は、どんな高位の者も不可侵の、世界にとって大事な自由さであるらしい。

白が高位のものだと全て禁じられてしまったら、どれだけ生活し難いことだろう。

そういう意味では柔軟性の高い世界である。


「では、市場にブルーベリーなどを買いに行きましょう!」

「誕生日のケーキには、そういうものが必要なんだね」

「好き好きですが、私はディノの誕生日ケーキを素敵な彩りにしたいのです」



外に出ると、ウィームの空は曇り模様であった。

どんよりと重たい灰色の雲に、微かな霧と、少し降ったらしい雨に濡れた地面。

空気は秋のものらしい涼しさで、寒さとして感じる程のものではなく肌に気持ちいい。


(…………何だろう、曇り空だけど、胸の奥がきらきらする)


それは、確かに夏が終わり、ふくよかな色彩を持つ実りの秋と、その先の煌めく祝祭の季節に繋がる道の入り口の扉が開いたような感覚だった。

セーターや毛皮に、あたたかな飲み物やスープ。

幸福が幸福たる色彩に輝かしい、イブメリアまでの心浮き立つ季節。


今年はそれだけではなく、去年のネアは外に出れなかったり、参加出来なかった様々な秋の祝祭もある。



(去年の私がまだ、異端分子だった頃)



グリムドールの鎖探しが言いつけられるまで、ネアは処遇を決めかねる頭の痛いお荷物のようなものだった。

あの頃は逃げ出して上手くやることばかり考えていて、リーエンベルクにずっといたいだとか、ディノと婚約したり、エーダリア達と夏休みまで一緒に過ごす程の仲良しになるとは思ってもみなかったのだ。



視線を繋いだ手に向ければ、何だか嬉しくなる。

出会ったばかりの頃は、ディノは手を繋ごうとすると逃げてしまった。

今でも恥じらってはしまうが、こうしてネアが望めば繋いでくれるようになっていた。



「それと、ディノ。肩に何者かが止まっています」

「ああ、これはウィリアムの魔術だよ」

「…………意外でした!ウィリアムさんは、そういう繊細な造形には向かないものだとばかり……」


ネアが驚いてしまうのも無理がないくらい、ふわりと飛んできてディノの肩に止まった小鳥は本物の小鳥のように見えた。

真っ青な羽が美しい青カケスで、愛らしく囀っているが、ディノ曰く魔術通信なのだそうだ。


「鳥籠を一つ閉めるらしくて、明日は途中から来るそうだ」

「ふふ、ウィリアムさんもお祝いに来てくれるのですね!お友達思いの優しい方です」

「ウィリアムは友達なのかな……」

「是非に数えておきましょう。そうでないと、ディノはお友達の数が……」

「君がいればいいのだけれどね」

「あら、私は大事な魔物をいざというときに助けてくれるご友人が多い方が、安心出来るので嬉しいのです」

「友達………」


友達について考える魔物の横で、ネアは同性の友達について考える。

願い事を叶える星屑が粉々になるくらい困難なようだが、是非に同性のお友達が欲しい。

美味しいお菓子やお洒落の話をしたいのだが、若干、その役目を果たしてくれるような存在が既にいるので自分でも危機感がないのだろう。


これではいけないと感じるのだが、なぜか、魔物達だけでなくヒルドも同性のお友達廃止令に参加してしまっている。

彼等が女性で苦労したのだとしても、それは恐らく彼等が魅力的な男性であることも理由の一端なので、どうか緩和していただけないものだろうか。

しかし、そこで我が儘を貫くと、ダリル曰く、ご婦人からの視線に本人が口にしている以上に嫌悪感を持っているというヒルドの心が死んでしまうかもしれないし、ノアがネアの友人に手を出すかもしれない。

アルテアやウィリアムが関わってもあまり宜しくなさそうだし、最悪、ダナエやほこりには食べられてしまうかもしれない。


(…………障害しかない)



ネアは何とも言えない気持ちで灰色の空を見上げ、繋いでいる魔物の手をぶんぶんと振った。


魔物は大事にされている気分になったらしく、嬉しそうに口元を綻ばせている。

最近は何かとムグリスになってしまうが、こうして隣を歩いているディノは、ご機嫌だと髪色や瞳の色の彩度や透明感が際立ち、なんとも特等の美貌だ。


今日はいつもの青みがかった灰色の髪に擬態しているが、ネアの目には時々虹色の淡い輝きが透けて見える。



「ディノ、次の祝祭では山車人形を焚き上げるのだそうですよ」

「焚き上げの魔物が来るようだね。ネアは嫌いな形だと思うよ」

「む。……明確に嫌いそうだと認定されたのであれば、不安でいっぱいになります。焚き上げの魔物さんは、どんなお姿なのでしょう?」

「この前のゴーグルを作った生き物に似ているかな。特定の姿を持つには持つが、形のないものや形を変えてゆくものを司る場合、体の造形が曖昧な場合があるんだ」

「毛皮はありますか……?」

「縮れ毛の馬に似ている生き物だ。でも、………どう言えばいいのかな、曖昧な形をしている」

「むむぅ………」


そもそも、素敵な山車人形を火にくべる荒ぶる祭りであるので、ネアはこちらも気を引き締めてかかろうと思った。

収穫を祝う祝祭の一つで、秋の入りに刈取りが終わるものを司る。

また秋の終わりには豊穣祭があり、本格的な収穫の終わりと、冬の入りを祝う大きな祝祭となる。

この豊穣祭は二日に渡って繰り広げられ、最も大規模な死者の日としても認識されている。

這い出してくる死者達は、豊穣祭の篝火に紛れ、夏至祭と同じように境界が揺らぐ特別な日だ。



そんな日に思いを馳せつつ、ネアは魔物と一緒にのんびりの買い物を楽しんだ。

厨房に置いてあったお買いもの用のトートバックは、シュタルトの麻専門店で買ったお気に入りのもので、こんなトートバックがあると、ついつい余分な買い物がしたくなってしまう。


「ディノ、ココ捕り草ですよ。私は初めて見ました」

「ココ捕り草……?」


ネアに教えられてディノが目を向けたのは、ローズマリーのような葉っぱに小さな蘭のような可憐な花を咲かせた鉢植えだ。

なぜか不似合いな袋状の部分があり、そこそこに大きい。


「ココグリスを捕えてぱくっと食べてしまう草なのです。ココグリスは木の皮の妖精ですが、木の皮を素敵に保つために他の植物を引っこ抜いたりしますから、家庭菜園や、花壇などに力を入れているご家庭では、この草をお庭に植えるのだそうです」

「…………ココグリスを食べるんだね」


良く似た形状のムグリスになる魔物は、怖かったのかご主人様の影に隠れてしまった。

しかし、そんな奇妙な草に出会ったのは初めてらしく、怖いけれど興味もあるという複雑な心理状態だ。


ネアは果物屋さんでついでのお買いもの用に売っているココ捕り草を見ている魔物と背中合わせになり、小さな紙の容器に山積みにされたブルーベリーの選定に入った。



(産地と種類の違うブルーベリーが、四種類もある……)


ケーキの上にぽいっと乗せるのには、どれがお薦めなのだろう。

いつもであれば直観でお買い物するネアだが、今回ばかりは甘くて食べやすいブルーベリーを店主に教えて貰いたい。

しかしその頼みの綱の店主は、店の反対側で買い付けにきた菓子職人の為に、大量の梨を箱詰めしていた。



「ブルーベリーかな?」


その時、ふいに隣のお客から声をかけられた。


顔を上げれば、穏やかな青い瞳をした男性が横にいて、手には赤い林檎と黄色の檸檬を持っている。

同じお買い物客であれば戦友のようなものなので、ほっとしたネアは微笑んで頷いた。


「大事なケーキに使うので、乗せるだけで美味しいものをご店主に教えて貰いたいのです」

「大事なケーキというのは、いい響きだね。それなら、こちらのアーフェル産の朝摘みを買うといい。店主に言えば一粒ずつ味見させてくれると思うが、これが生のままで食べるには一番甘いだろう。ザルツの畑のものも甘いが、甘さがもったりしているからケーキには向かないかな」

「まぁ、有難うございます!では、教えて貰ったものを第一候補に、ごうつくばりなのでご店主さんから味見もさせて貰いますね」

「はは、ごうつくばりか」


少し笑ってから、男性は小さく会釈して離れていった。

ばさっと羽織ものになってきた魔物が、浮気だろうかという眼差しを向けてくる。

いつものように責められないのは、どうやら自分の誕生日ケーキのお買いもの中だからのようだ。


「荒ぶってはいけませんよ。一般のお買い物客です。ディノのケーキにお勧めのブルーベリーを教えてくれました。お蔭で味見制度があると知りましたので、ディノが一番食べたい味のものにしましょうね」

「今の人間は、王族か、それ相当の貴族だね」


ディノの言葉に驚いたネアは、店主の隣にいた若い売り子の少年にお会計して貰っている男性を眺める。


「偉い方なのですね?」

「生まれた時に得た祝福を随分と持っているようだ。そのような祝福を与えられる人間は限られているからね」


青ではあるが、南洋の海の水が混ざり合うような不思議な青色の瞳を持ち、紫がかった黒髪の美しい男性だ。

穏やかそうだが、どこか諦観に満ちたような穏やかさは、懐かしいハヴランの迷い子のラッカムを思い出させた。


そう思ったことにふと、懐かしい名前が思い出されて、ネアは心の奥がぞわりとした。

先程の男性が容姿的に誰に似ているのか、気付いてしまったのだ。



(とは言え、通りすがりの誰かだろうし)



呑み込みかけて、気掛かりを放置するのはどうだろうと思い直す。

放置した火種が燃え上がった時、後悔するのは自分自身なのだから。


お会計を済ませた男性が行ってしまい、お店から少し離れたところで魔物の袖を引っ張った。


「どうしたんだい?」

「ディノ、会話を聞こえないように出来ます?」

「いいよ。……もう大丈夫だ。何か困ったことがあったのかい?」


心配そうにするお誕生日前の魔物に言うのは気が引けたが、自分だけの問題ではないのだからと踏ん切りをつける。


「ふと気付いてしまったのです。先程の方は、もしかしたらエーダリア様に縁のある方かもしれません。正確には、第四王子様のご系譜に」

「…………知っている者だったのかな?」

「いえ。面立ちが、第四王子様に少し似ていると思いませんか?整った部分だけではなく、少し骨格の癖のようなものも似ているので、ディノから王族相当の方と聞いてもしかしたらと思って。その場合、エーダリア様は認識しておいた方がいいと思うのですが、上手にあの方を確認していただく方法はありますか?」

「では、ダリルに伝えておこう。エーダリアが判断をするだろうが、実際に現場に出るのはダリルの弟子達だからね。………ノア」

「…………ふぁい。ごめん、寝てたよ………」


急な呼び出しで転移してきた塩の魔物は、辛うじて擬態することには成功したものの、眠そうな表情とくしゃくしゃの髪の毛は如何ともし難い。

それでも周囲の買い物客達がぎょっとしないので、空間自体をディノが上手く調整しているのだろう。


「私が印をつけた人間が見えるかい?彼がそこに居ることを、ダリルに伝えて欲しいんだ。私では、自身を切り分けでもしない限り、細やかな魔術追跡に限界があるからね。追尾や捕捉は君の方が上手いだろう」

「………どれどれ、気になった人間がいたのかな。って、…………ありゃ」

「知り合いかい?」

「ノアの知っている方なのですか?」


ディノとネアに詰め寄られて、寝起きのノアはどこか気まずそうな顔をする。

困ったような目で男性を追いつつ、小さく溜め息を吐いた。


「王宮で何度か見たことがあるかな。大丈夫、何かを企んだり悪意を持って近寄るような人間じゃないと思うよ。暇さえあればあちこちを旅してまわっているって聞いてたけど、本当だったんだなぁ」

「まぁ、旅人さんなのですか?」

「そんな感じ。彼だったら追尾しやすいから、うん、僕からダリルに話しておこう」


少し歯切れの悪いノアに眉を顰めると、心配はないけど面倒な人なんだよと笑ってくれた。

ディノは何となくわかったようで、どこか酷薄な眼差しで、今はもう雑踏に紛れてしまった男性の方を眺めていた。


「………また困った人に出会ってしまいました?」

「いや、もしその人物本人であれば、あえて君に話しかけてみたのだろう。余分な執着や興味は感じなかったから大丈夫だとは思う。………正しく表現出来ているかはわからないが、感傷のようなものだろうか」

「感傷…………」


首を傾げたネアに、ディノは少し躊躇ってから教えてくれた。


「あれは恐らく、この国の第三王子だ。ウィームを訪問中に君を見付けて、話しかけてみようと思い立ったのだろう」

「だろうね。擬態はしていても、シルもいるし、君が歌乞いだっていうのは、身近で見ていた人だからわかるものなんじゃないかな」

「………………第三王子様。………ふむ。早々に、気持ちよくウィームからお引き取りいただきたい」

「ネア……?」


きっぱりと追い出したい宣言をした人間に、魔物達は困惑したように顔を見合わせた。

しかしネアにはネアなりの、弱小人間たる危機回避の持論があるのだ。

人間というものはたいそう自分勝手な生き物なのである。


「王位継承権は放棄されているとはいえ、王子様だった方ではあるのでしょう?ウィームをうろうろされて、事故や事件に巻き込まれたら困るのです。転んだり襲われたりするのであれば、是非とも他の領土内でお願いしたいですね」

「君は、………違和感を覚えるくらいに目を留めても、あの人間はどうでもいいんだね」

「あら、目を留めたのは、ディノが普通の方ではないと教えてくれたからですよ。それに、第三王子様であれば私の前任者さんのことでヒルドさん達も色々とあった筈なので、是非に関わりたくないのです」

「……………君が、興味を持たないようで良かった」

「厄介ごとの種よ、ウィームから去るのだと、何の罪もない初対面の方ですが念じておきますね」

「うん」




ここで、魔物がほっとしたように微笑んだ理由は、後でノアが教えてくれた。

ノアがその場ですぐに第三王子だと言うのを躊躇ったのも、彼がジュリアン王子の異母兄弟だからである。


「彼はね、ジュリアン王子に似ているって言われていたからね。ん?順番的には逆か。………僕は、君と出会った感傷のラベンダー畑で効果を受けた自分の顔を見たことがあるから言うけど、ジュリアン王子は君のかつての知り合いに似ているよね?」


そう言えばそのことを魔物と話したのだと、ネアは思い出した。


「…………それでディノは、少しだけぴりっとしたのですね」

「やはり心配なんじゃないかな。………今は寝てるけど」

「泡立てをやりたいというので試してみたところ、面白かったらしくはしゃいでしまったからなのです」

「生クリームの?」

「ええ。生クリームですね。どうやらうちの魔物は、出来立てのしゅわっと甘く爽やかな生クリームが大好きなようですよ」


ネアの傑作お誕生日ケーキは、先程無事に完成した。

魔物は終始喜びに頬を染めて見守っており、最後のデコレーションのところで目隠しをされてぺそりと項垂れていた。

明日の楽しみだからと諭されて待っている内に、揺り椅子ですやすやと眠ってしまったようだ。


削っていた部分を戻させてからも気持ちよく眠る魔物なので、どうやらディノはネアと出会ってから睡眠を楽しむようになったらしい。


以前に話した時に、ただ幸せな中で寛げる喜びというものがお気に入りなようで、長風呂になる入浴タイムと同じ区分であるのだそうだ。

ご主人様の隣で寝るのも好きだが、やはり巣で眠るのもとても好きらしく、ネアは魔物の生態への謎を深めた。



「明日はシルの誕生日かぁ。いいな、僕は自分の誕生日って知らないんだよね」

「まぁ、お祝いさせてくれるのなら、ディノみたいに新規設定します?」

「明日ウィリアムも来るなら、聞いてみようかな。僕はウィリアムの次だから、彼なら日付を覚えているんじゃないかな」

「………そうなのですね」


それは、ウィリアムが最初に派生した時だろうか。

それともその後のことだろうか。

親しい人が苦しんだ過去に纏わる話なので、少しだけ感慨深い物悲しさの中で考え、ネアは首を傾げる。


(……………でも、)



万が一ノアがかなり早い生まれの魔物だった場合、魔物達は上から順にもふもふになっていることになる。

次がウィリアムだとすると期待が止まらないが、何とも由々しき事態なのかもしれなかった。










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