170. 呪いのクッキーと戦います(本編)
とうとうその日がやって来た。
年に一度、ウィーム全土でクッキーとの戦いが勃発する日である。
クッキーの祝祭というファンシーな名称のこの日だが、土地によっては死者が出るという大変に恐ろしい祝祭だ。
他の領土よりもバターの効いた贅沢で美味しいクッキーを好むウィームの民達だが、とても残念なことに他のお菓子ももれなく美味しいという宿命的な土地でもある。
買い置き出来るクッキーを棚にしまい込んだまま、美味しい生菓子を食べている内に、うっかり悪くしてしまったり、食べかけのクッキーをしけらせたりしてしまうことも多い。
そしていつの頃からか、年に一度、そんな憎しみを胸に、クッキーたちが呪いのクッキーとなり荒ぶる日がやって来るようになった。
それがこの祝祭の始まりだったそうだ。
「ネアが虐待する………」
「なぜなのだ」
そして今日、乗馬用の服装で、セーターにパンツスタイルのぴっちりした装いで各所からのクッキーの侵入を阻むようにし、買ったばかりのゴーグルと手袋を装着したご主人様に、魔物は朝からふるふるしていた。
「さて、今日は十時より各地で一斉にクッキー達が蜂起する。祝祭という名目はあるが、その当日と翌日の安息日を休みにする為の措置でな。実際には特に儀式や、式典はない。ただ、戦うだけだ」
「………エーダリア様の説明で、一気に気持ちが引き締まりました」
「開封されてないクッキーは動きませんので、包装の仕方が焦点となります。この日の為だけに、商人用の密閉包装の魔術を学ぶ家庭もあるくらいですから」
「確かに、家の中をめちゃくちゃにされるくらいなら、密閉包装してしまった方が安心ですよね……」
この日に暴れるのは、開封されたクッキーだけだ。
まだ開封されていないクッキー達は、幸せなクッキー生を送れる見込みが高いので、呪われたりしないらしい。
つまりのところ、開封されたのに食べ終えてないクッキーが荒ぶるのである。
「ネアは大丈夫?」
「ええ。念の為に家事妖精さんに、手持ちのクッキーを全て調べて貰い、開けてしまったものは食べてしまいました。確か、リーエンベルクは毎年完全密閉するのですよね?」
「ああ。壊されては困る調度品などがある敷地は、最初からクッキーが呪われないように尽力する。その上で敷地を完全閉鎖して侵入を防ぎ、代わりに街の警備や、救助に出るのが暗黙の了解となっているな」
エーダリアのその説明に、ネアは首を傾げた。
ここは大丈夫だと考えてお外に出ている間に、家が全滅していたりはしないのだろうか。
「封鎖される敷地では、魔術師達による最終調整と確認がされます。徹底的に開封済みのクッキーはないか調べますので、問題ありませんよ」
「徹底的に開封済みのクッキーがないかどうか……」
たいそうシュールな調査だが、かなり重要なものなのだ。
文献に残る最初の犠牲者は、ウィームのお菓子大好き伯爵で、当時は怪死とされて騒ぎになっている。
食べ損ねられたクッキー達の恨みは深い。
「ほこりは、街の商業施設側にある祟りもの区画を頼む」
「ピ!」
「僕が見てようかなと思ったけど、アルテアがいるから大丈夫だよね」
「ピ!」
早朝からウィームに乗り込んで来た雛玉姿のほこりは、期待のあまり武者震いが止まらない。
人型の姿を取ると信奉者を増やしてしまうので、あえての鳥姿だが、星鳥はどうやら成鳥になっても大きさしか変わらないらしく、形は雛玉のままのようだ。
今日は淡いピンク色に擬態して貰い、人混みでも見失わない視覚的措置が取られている。
「…………何で俺を目算に入れた」
そしてかなり嫌そうに顔を顰めているのが、ほこりの隣の椅子に座ったアルテアだ。
ネアのお仕置きで体調を崩していたので逃げ損ねてしまい、やっと起きたばかりで今日を迎えている。
「使い魔さんは、クッキーと戦うことで反省の意を示すのですね」
「なんでだよ」
「水か火がいいんだけど、ネアのゴーグルは雪の祝福だから、火を使う時には気を付けてね」
「ゼノに言われなければ、忘れてしまうところでした。顔周りでは火を使い過ぎないようにしないとですね。………あら、ほこり。カウントダウンの弾みですか?」
「ピギ!!」
心ゆくまで祟りものを食べられるほこりは、喜びに弾んでおり、たいへん可愛らしい。
ネアが頭を撫でてやると嬉しそうに弾み返し、なぜかちらりとアルテアの方を見た。
「アルテアさんなら、次に撫でてくれますよ」
「やらないぞ」
「ほこりを大事に出来たら、私がアルテアさんを撫でてあげましょうか?」
「………は?」
「ネアが使い魔に浮気する……」
「あらあら、ディノならいつでも撫でてあげますよ。……これで、今日は頑張りましょうね」
ネアが伸び上がってディノの頭を撫でると、喜んだ魔物は頭をぐりぐりと押し付けてきた。
白けものスタイルの撫でられ方で、ムグリスになると嗜好が変わるのが不思議である。
そうして、いよいよの時間を迎え戦いが始まった。
「ほわ…………」
そして現在、ネア達がいるのは、リーエンベルク前の大通りである。
今回初参加の初心者なので、死なないようにこの位置から始めることになったのだ。
百戦錬磨のウィーム人であるグラストは、ゼノを連れて商業区画の方へ巡回をしている。
各方面を回らなければならないエーダリアは、ノアを護衛にヒルドとも一緒だ。
祟りもの区画へは、リーエンベルクからはゼベルとリーナが差し向けられ、ほこりとアルテアもそちらに派遣されている。
アルテアは逃げ出そうとしていたのだが、チーム分けを受け持ってくれたダリルがあれよあれよと言う間に転がしていってしまったので、弱味でも握られているのかもしれない。
「飛び跳ねるんだね」
「呪いのクッキーめが、跳ね飛びながら突進してきます……」
「割れないのだろうか」
「そう言われてみれば、地面は石畳ですよね……」
ネア達のいるリーエンベルク前の通りには、まだクッキーの数は少ない。
そもそも、居住区から離れているのでクッキーが荒ぶり難い場所だが、それでも少数のクッキーが存在しているのは、祝祭などの催し物の際に売られていたクッキーの残滓だろうとエーダリアは考えているようだ。
現在ネア達に立ち向かってきているのは、素朴な丸いクッキーだ。
質感を見るに、バタークッキーだと思われるがさくさく素材の筈なのに石畳を順調に跳ねてくるのが恐ろしい。
すちゃっとゴーグルを装着し、手袋をきゅっと嵌め直して、ネアは仕事人の顔になった。
エーダリアに教わった戦法では、体当たりしてくるクッキーを手袋で捕まえて、遠くに投げてしまうと勝ちになるらしい。
一勝するごとに食事の祝福が得られるので、去年の今頃は餌付け貧乏に喘いでいたゼベルなどは、自ら死地に乗り込んで一年分の食事の祝福を捥ぎ取ってきたのだとか。
食事の祝福欲しさにこの日にウィームに乗り込んでくる観光客などもいるが、思っているよりもかなり激しいので泣かされてしまうことも多いそうだ。
「来ました!………えいっ」
まずは記念すべき第一回戦、ネアは真正面から飛び込んできたバタークッキーを無事に捕獲し、力いっぱい反対側の植え込みの方へ投げ捨てた。
微塵も容赦しない鋭い投擲に、隣の魔物が怯えているのがわかる。
あの勢いで投げ返されたら、通常のクッキーであれば粉々だろう。
(意外に行けそうな気がして…)
「むぎゃふ?!」
初戦でいい気になってしまった報いを、愚かな人間はすぐに受ける羽目になった。
木の上に潜んでいたらしい呪いのクッキーが、ばらばらと五個程降ってきたのだ。
頭の上でぽこぽこ跳ねるクッキーに、怒り狂った人間は手を振り回した。
「おのれ、頭頂部にクッキーの粉を落すなど許すまじ!滅ぼしてくれる!!」
慌てた魔物がすぐに取り除いてくれ、ネアを見習って遠くに放り投げてくれた。
しかしそうなると、ディノに得点が入ってしまうので、ネアは頭を攻撃されただけで得るものがなかった戦いとなる。
「ネア、真上からのものは弾くようにしてあげようか」
「むぅ。粉まみれになるのは不愉快なので、お願いしてもいいですか?」
「では、そうしよう。……ネア?!」
「ぎゃ!」
ここに戦慣れしてない人間がいると情報でも回ってしまったのか、次の瞬間、ネアは四方から飛びかかったクッキー達の餌食となった。
守ってくれようとしたディノもおでこに体当たりされ、綺麗な目を瞠って呆然としている。
額を押さえてふるふるしている魔物が可哀想で、ネアは周囲を取り囲んだクッキー達を睨みつけた。
本来であれば、戦闘靴で踏み滅ぼすまでだが、ゼノーシュの助言の通りだと砕かれたクッキーは粉になって襲い掛かるという執念深さなのだとか。
「よくも私の大事な魔物のおでこに体当たりしましたね。頭に来ました!意地悪クッキーなど、全て用水路に投げ込んでやります!!」
残忍な人間がそう宣言すると、クッキー達は表情がないなりにびくりと体を竦ませた。
この歩道は森に面しているので、石畳の道との境目の水はけを考え、そこそこに立派な魔術用水路が流れている。
ウィームの用水路には恐ろしい魔術仕掛けがあり、歩いていて落ちないような防壁もある代わりに、一度落ちると這い上がり禁止という恐ろしい設定がなされているのだ。
びゃっと飛び上がったクッキー達を一瞥し、ネアは冷やかな微笑みを浮かべた。
「心が狭く、尚且つ狩りの女王である私に喧嘩を売るなど、千年早いのです。そのまま川まで流されてしまい、この時期美味しい川魚さん達の美味しい餌となるがよい」
「ご主人様………」
隣の魔物も一緒に怯えてしまったが、そこからは怒り狂った人間の恐ろしさを、呪いのクッキー達が身を以て知るという凄惨な時間になった。
ご主人様が祝福を刈り取れるようにと自分まで結界を緩めていた結果、おでこを赤くする羽目になった魔物は、荒れ狂う人間の後をおろおろしながら追いかけるしかない。
結果、逃げ惑うクッキー達を追いかけ回しては用水路に放り込む悪魔が生まれてしまい、リーエンベルク周辺の警備を行っていた騎士達も震え上がってしまった。
「さて。これで見渡す限りは片付きましたね。街の方に出ても良いのですが、私の戦闘には用水路が必要不可欠だとわかりましたので、用水路沿いに歩いてみましょうか」
「……………ネア、後ろで何かが鳴いてるよ?」
「ふむ。羽があるので用水路に自由自在なコグリスと、謎のアヒル的生物です。私が用水路に放り込むクッキー達を、片っ端からお腹に入れているなかなかに賢い奴等ですね」
「何だか凄い生き物ばかり集まっているようだ。もっと欲しいのかな」
「ええ。どんどん増えてしまい、私はすっかり行列の出来る戦士になりましたので、皆さんお待ちかねなのでしょう。さぁ、みなさん、街の方に向かいますよ!」
「キュウ!!」
「ガア!」
「ガウ!!」
「ピィ!!」
思ってたより多彩な鳴き声に、ネアは一度振り返ってみた。
用水路の結界の中で放り込まれるクッキーを楽しみしている生き物達は、ネアが思っていたよりも種類がいるようだ。
よく見れば謎のカワウソ的生き物や、山猫姿の霧のようなものもいる。
みんながみんな、目をきらきらさせているので、ネアは頑張って働かなければいけないお母さんのような気分になってきた。
「むむ。ディノ、餌やり巡業になりますので、はぐれないように付いて来て下さいね」
「ネアはすごいね…………」
「あら、ディノだって、私の頭にクッキーが飛来しないように守ってくれていますよ?」
「粉まみれになるのは嫌なんだよね?」
「でもそれよりも、私の大切な魔物のおでこを赤くした不埒ものは、成敗するのです」
「ご主人様!」
救助に来る系のイベントはアルテアと済ませてしまったので、ディノはご主人様による復讐の儀式にぐっときたらしい。
目元を染めて恥じらいながら、自分の為に戦うネアを熱い眼差しで眺めているようだ。
おろおろする魔物が邪魔にならない距離感で見守ってくれるようになったので、ネアはその後も安心して用水路沿いのクッキー達を滅ぼしていった。
柔らかな秋の入りの日差しが、木漏れ日になって石畳に落ちる。
穏やかな晴れの日らしからぬ怒号の飛び交うウィームを、ネアは小さな生き物達を率いて粛々と進んでいった。
瀟洒な博物館通りを抜ければ、大きな池のある公園ではどこかの魔術師がクッキーから集中攻撃を受けていた。
囲まれて袋叩きにされているその魔術師に、慌てて周囲の者達がクッキーを引き剥がしにかかっている。
花壇には淡い紫の花が咲き乱れており、そんな花々に囲まれての死闘だけに何やら奇妙な光景だ。
うっかりクッキーを踏み潰してしまった男性には粉化したクッキーが襲いかかり、目がやられたという悲鳴も聞こえてくる。
放物線を描いて飛んでゆくクッキーは、放り投げられた段階で滅びるらしく地面に落ちて暫くするとじゅわっと消えてしまう。
その様子を見る限り、ネアの方策は消える前のクッキーがお客様の胃に入るという現象のようだ。
「ディノ、見て下さい。この先は商業区画になってくるので、なんとも凄惨な様相ですよ」
「普通の戦場より酷い有様なんじゃないかな……」
「相手がクッキーなのに、いっそうに阿鼻叫喚具合が上がるのが謎めいていますね。それと、あの奥で跳ね回っているピンク毛玉は、もしやほこりなのでしょうか」
「そうなると、ここから先には祟りものが多いのだろう。君は近付かない方がいいよ」
「むぅ。獲物が沢山いるのが見えるので、お客様達に振る舞ってあげたいですね」
ネアがそう言えば、用水路に集まった腹ペコたちからは、そうだそうだという鳴き声が上がった。
すれ違ってゆく領民達が、異様な光景にびくりとする。
その時、奥の商業区画の方から、見知った影がこちらに駆け寄ってきた。
「ネア!こっちに来ちゃったの?」
「ゼノ。リーエンベルク側は、狩り終えてしまったのです。お腹の空いたお客様達に、獲物を振る舞ってあげたくてクッキー密集地を追い求めてきました」
「わぁ。色んな生き物がいるけど、……これ全部祟りものだね」
「なぬ?!」
ネアの背後の水路を眺めたゼノーシュは、少し驚いたように檸檬色の瞳を丸くした。
そんな表情をするとたいへん可愛らしいので、ネアはいいものが見れたことに感謝する。
しかし、そんなゼノーシュに指摘されたことは、ネアにとって驚きだった。
「だってほら、このクッキーは呪うから食べちゃ駄目だよって言ったでしょ。人間じゃなくても、このクッキーを食べるのは、悪食と祟りものだけなんだよ」
「むぅ。もはや戦友ですが、祟りものだとは知りませんでした。もしかしてディノが凄いと言っていたのは、この子達が祟りものだからですか?」
「害のない程度の祟りものだけれど、珍しい生き物が多いんだ」
「コグリスもですか?」
「見てご覧、尻尾が途中からまだらに黒くなっているだろう?」
「すっかり模様だとばかり………」
愛くるしい生き物が多いので、ネアはそうなるともう、祟りものとは何ぞやの気分でもあったが、お客様達が祟りものである場合、これ以上この区画の先には進めない。
この先には、祟りものを美味しくいただいてしまうほこりがいるのだ。
「みなさん、あの先にいるピンクのふわふわは、祟りものを大好物とする捕食者です。迂回してこちら側の水路を進みますので、決して近付いてはいけませんよ」
ネアがすかさず注意喚起し、水路の生き物達は神妙な面持ちでこくりと頷いた。
そうこうしていると、獲物がいると思ってしまったのか、町の中心からこぼれてきたクッキー達が、ぴょいぴょいとこちらにも飛び込んできた。
行列から空腹の声が上がり始めた頃合いだったので、ネアは手に馴染んできた手袋でクッキーを捕獲し、次々と水路に放り込んでゆく。
背後からは祟りもの達の歓声とむしゃむしゃとクッキーを貪る音が聞こえてくるので、良く考えればなかなかにホラーだ。
「では、ゼノ、私達はこちらに向かいますね」
「うん。僕はこっちで、ほこりとグラストを見てるね。アルテアも、頑張ってほこりの面倒を見てるよ」
「まぁ、やはり始めてしまうと面倒見がいいのですね」
「何かね、帆立で懲りたから、暴走しないようにするんだって」
「………確かに、帆立の呪いで苦労されていた記憶が」
ゼノーシュに手を振り、ネアはディノを引き連れて反対側の街の外周沿いの水路の横を進んだ。
このまま進めば川近くまで出るので、そのあたりで解散すれば、クッキー目当てで集まってしまった祟りもの達もうまく自然に帰るだろう。
祟りものだと分かった以上、街中で解散する訳にもいかないので、こちらの道がそういう意味でも良さそうだ。
勇ましく戦うご主人様が恰好いいのか、それともまだ守られている気分なのか、ディノは的確にネアの頭上や背後を守りつつも、目をきらきらさせてその雄姿を眺めている。
何とも残酷な流れ作業に、周囲は少々青ざめつつ奇妙な行列を見守っており、ネアが進むと自然に人々が道を開けてくれた。
少し異様な雰囲気で目立ってしまったのか、暫くすると街を回っていたエーダリア達がこちらに来るのが見える。
「…………ネア、クッキーを滅ぼす死者の行列が現れたと聞いたが、お前だったのか」
「まぁ。言い得て妙ですね。しかし、良く見ると案外に可愛い祟りもの達なのです」
「……お前が集めたのか?」
「ディノのおでこを赤くした復讐に取り憑かれて戦っていたら、自然にこの子達がついてくるようになったのです」
「赤くはないようだが」
そう言われてネアが振り返ると、ディノはさっと片手でおでこを押さえた。
まだ心配して貰いたいのだろうが、後ろめたそうな瞳が何だか可愛い。
「とは言え、これは弔い合戦ですからね!」
「ネア、また懐かれちゃったねぇ」
そう言って呆れた顔をしたのはノアだ。
今日は護衛役だからか、少ししゃんとしていて高位の魔物らしく見える。
淡い金色の瞳に黒髪の魔術師風に擬態すると、何ともいかがわしい美貌でがらりと雰囲気が変わる。
あえてこのような独特にいかがわしい雰囲気を出すことで、雑踏に紛れた暗殺なども警戒してくれているのかなと、ネアは少しだけ魔物風の威嚇に感心した。
「この子達のお目当てはクッキーですので、クッキーがなくなれば自然解散でしょうね」
「わーお、珍しい風の祟りものがいるよ」
「む。珍しい子なのですか?」
「ほら、あの薄緑色の………」
「ぽわぽわ毛玉ですね」
「そう。風の祟りものはね、建物の位置関係なんかで、うまく風が通り抜け出来ないことが長年続くと、祟りものになって生まれてくるんだ」
「寧ろ珍しいのが不思議な生態でした………」
そんな話をしていると、どこか煩わしそうに羽をばさりと振るってからヒルドもこちらにやって来た。
光が透ける羽が気になってしまうのか、クッキー達は妖精の羽によく飛び付くのだそうだ。
「ネア様、お怪我などはされていませんか?」
「ええ。こつがわかってきました。そして、放り投げたクッキーめは、水路の子達が綺麗に食べてくれるのです」
「おや、随分と集まりましたね。エーダリア様が長年探していた、詩編の祟りものもいるようですが」
「な、何だと?!」
ここで今度は上司が荒ぶってしまい、何とかお目当ての子を捕獲せんとするエーダリアの代わりに、ノアが上手に詩編の祟りものを捕まえてくれた。
ものすごく褒められたネアも嬉しかったので、元はと言えばディノが自分を守ってくれたところから始まったのだと言えば、魔物は恥じらうあまり挙動不審になる。
「む?!」
その時、街の中心地の方から、ずうんという重たく鈍い音が聞こえた。
巨人の足音のようにも、大きな建造物が瓦解したようにも思えるものすごい音で、ネアはびっくりして飛び上がってしまい、慌てて隣の魔物に抱き込まれた。
「………時間的には後半か。今年は、集合体の出現が早いな」
「集合体、ですか?」
「ああ。クッキー達も分が悪くなると、どうにか恐怖心を植え付けて行いを悔やませようと、集まって巨大化するのだがな…」
「巨大化………」
そんな現象が起こるということは初耳だったが、毎年騎士達で処理するのであえてネアには言わなかったのだそうだ。
「ほら、ネアに言うと見に行っちゃいそうだからさ」
「むぅ。否定しきれませんが、街の方は大丈夫なのですか?」
こちらに飛び込んでくるクッキーの量が少なくなったのは、その巨大化の波に加わっているからであるらしい。
先程の地響きからして、一体どれだけ大きくなってしまったのかネアは不安になる。
この世界は時々、ネアの思いもよらないような形で荒ぶるのだ。
「祟りものですので、地響きは酷くても建物や道には被害が出ないのですよ。なにぶん、私も初めてですが。……ただ、生き物は巻き込まれると被害が出ますので、毎年騎士達に討伐させるのだそうです。ダリルとしては今年はエメルを抑えに充てるつもりだったようですが、ゼノーシュがほこりを呼んでくれましたので問題はないかと」
「まぁ。……確かにほこりなら、美味しくいただいてしまいそうですね」
ネアは少しだけ、保護者役のアルテアがどうなってしまったのか気になったが、こちらにはこちらで面倒を見なければいけないちび祟りものがいるので、確かめるのは後にしよう。
男前に頷き、飛びかかってきた四角い堅焼きクッキーをさっと空中で捕獲すると、ぽいっと背後の水路に放り込む。
きゃあっと声が上がって、ぼりぼりクッキーを齧る音がした。
「………何の躊躇いもないのだな」
「人を襲うとは言え、元はクッキーです。即ちこやつらは、食材ですからね」
「ご主人様………」
「あらあら、どうしてディノが落ち込んでしまったのでしょう。もしかして、クッキー存在的なお知り合いがいましたか?」
「そういうものはいないかな………」
ネアがどこか儚げな感じになってしまった魔物と話していると、不意にさっと周囲を取り囲まれた。
どうやら一対一では敵わないと悟ったクッキーが、集団で一番邪悪な人間から片付けてしまうことにしたらしい。
「ふっ、愚かな者共め」
「わーお、台詞が完全に悪役だね」
しかし、集団暴行は魔物のお気に召さなかったのか、はたまた、この辺りで自分も出来るということを見せたくなったのか、ネアを取り囲んだ二十から三十個程度のクッキー達は、一瞬でじゅわっと滅ぼされてしまった。
「………私のご飯の祝福が………」
褒めて貰えると思った魔物は、寧ろ落ち込んでしまった強欲な人間を慌てて慰める羽目になった。
しかし、エーダリアはなぜか疑惑の目をネアに向けていた。
「……幾つ倒したのだ?」
「五百からは数えるのをやめてしまいました」
「…………五百」
「まぁ、そんな目をしないで下さいね。集合体になった大きいやつを倒してしまうほこりには敵いませんよ?」
「いや、ほこりと比べるのはなぜなのだ………」
「名付け親ですから!」
夕方近くなってから、今年のクッキーの祝祭も無事に終わりを迎えた。
今年のウィーム中央では、死者は三人と記録にある限り最も少ない犠牲者の年となる。
トロッコ列車のせいか、クッキーの怨念を受けやすいシュタルトでは、八人の犠牲者と、一人の行方不明者が出た。
ウィーム領内の総計では、二十九人の死者、八人の行方不明者、負傷者多数と報告がまとめられているが、この数はまだ変動する模様だ。
「今年は、ネアとほこりが大活躍だったね」
「ピギャ!」
「あらあら、ほこりも大満足なのですね?」
「ピ!ピ!」
「来年も絶対に来るって。大きい祟りものが美味しかったらしいよ。一瞬で食べちゃったもの」
「ほこりが嬉しそうで良かったです」
「ピ!」
「…………俺は二度と来ないぞ」
ネアは微笑んでほこりの頭を撫でてやったが、その反対側に座って煙草をふかしているアルテアは、完全に目に光がない。
もはや、煙草を嫌うヒルドへの気遣いも忘れてしまいくしゃくしゃになっていた。
「あら、…………くしゃくしゃです」
ネアが素直な感想を告げると、使い魔は荒んだ目をした。
「アルテアも防壁を張ってたんだけど、ほこりが美味しそうな祟りものクッキーを見付けると、その防壁に穴を開けて分けてあげてたからかな」
「ほこりは優しい子に育ちましたね」
「ピ!」
「おい、結界の中に祟りものを放り込まれるんだぞ?!」
「しかし、所詮はクッキーなのでは………」
ネアは統括の魔物のくせにという眼差しだが、少しだけアルテアの肩を持ってあげたゼノーシュ曰く、狭い範囲で体の周辺にだけ結界を張った中にクッキーをたくさん入れられてしまったアルテアは、ゼベルが救出に向かおうとしたくらい散々な目に遭ったのだとか。
「………シャワーを浴びたら寝る。夕食はいらん」
「え、待って。アルテアは今日も泊まるの?!」
「それはお前にも言えることだろうが」
「ありゃ。………何だろう、可哀想になった」
「むぅ、後で肩をぽんと叩いてあげましょう」
「今でいいんじゃないかな」
「今はクッキーの粉だらけなので、触りたくないです」
ネアの人でなしな感想に、魔物達は固まってしまった。
ディノが慌てて自分の体をチェックし、クッキーの粉まみれでないことを確認してほっと息を吐いている。
「…………お前も頭の上がクッキーの粉だらけだろうが」
「つまりそれで大変に不愉快なので、もっと酷い有様の使い魔さんには近付きたくありません。頑張って自分でお風呂に入るのですよ?それとも、無傷のディノかノアに洗ってもらいますか?」
「やめろ」
「ネア、それはしないかな」
「うわ、やめて!」
あまりにも恐ろしい提案に、魔物達は散り散りになって逃げていった。
残されたエーダリアとヒルドが顔を見合わせる。
魔物の中で唯一残ったゼノーシュは、甲斐甲斐しく報告書の片付けをしているグラストを手伝っていた。
ちなみに残務処理は、外に出ないで指揮だけしていたダリルが取っており、エーダリア達もこれからお風呂だ。
クッキーの祝祭の夜には、特別なパチョリとラベンダーのさっぱり石鹸が配られており、領民達はみな、汚れ落としの祝福がかかった石鹸で身体中をごしごし洗う。
「………私達も、解散するか」
「はい。今日はお疲れ様でした」
「ネア様も、お疲れになったでしょう。晩餐は、香草焼きチキンだそうですよ」
「香草焼きチキン!」
「デザートはね、葡萄と無花果のタルトだよ」
「………急いでお風呂に入ってきます!」
後日、クッキーの祝祭ではクッキーを滅ぼす死者の行列が出たという噂が立ち、ウィリアムが事情聴取に来ることとなった。
ネアにであれば特別にその称号を使わせてくれるそうだが、高位の魔物の通り名を本人からいただいてしまうと伴侶扱いになると聞き、ネアは謹んで辞退しておいた。