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塩と選択



「ネア、どうして僕にはしてくれないの?」


そう尋ねたノアに、ネアがおやっと動きを止めた。


「何のことですか?激辛香辛料油…」

「違うよ!撫で回しの方だからね」


少し謎めいた話し出しをしてみたのにと慌てて正解を教えると、ネアは困ったような声になる。


「………狐さんだと、お腹撫でをすると手をがじがじ齧るではないですか」

「でもさ、あの白い獣にもするのに?」

「白もふさんは、殺さんばかりの威嚇をするくせに、尻尾の付け根をごしごしすると一瞬で陥落します。後はもう、もっとやって欲しいというしどけない感じになるので、噛まれたことはありません」

「わーお、もしかして彼、かなり籠絡されてる?」

「あら、アルテアさんは、ご主人様に美味しいケーキを奉納するので使い魔にしておいて欲しいと思うくらいには、私によく懐いていますよ」

「それ、アルテアに言ったことある?」

「ふふ。言うと照れるのです。素直ではありませんね」


ネアはそう言うけれど、アルテアには魔物らしい残虐さもある。


実は昨日、ネアはそんな彼を少し天邪鬼にさせたらしく、声を奪われそうになるという事件があった。

アルテアは選択を司り、剝ぎ取りを得意とする魔物であるし、首筋に噛みつこうとしたのだと聞いて魔術証跡を読んでみたところ、それなりに本気で襲ったようであった。

ネアはネアらしくさらりと流してしまったものの、実はかなり危なかったのではとノアは考えている。


「でもさネア、昨日は危なかったでしょ?」

「あら、あんな風に不用意にべたべたされれば、さてはこやつ困ったことを考えているなとバレバレなのです」

「…………危なくなかった」


ベタベタする行為というものも気になったが、壁の端っこに追い込まれて腕の中に閉じ込められ、睦言を囁くように唇を寄せられたのだと言う。

アルテアは後で酷い目に遭わせるとして、それで受け流してしまうネアも凄い。


「はい。ですのでそこはもう、私の激辛香辛料油水鉄砲で一撃でしたから」

「至近距離だと、ネアにもかからない?」

「青くなって逃げる風を装いますとあの使い魔さんは面白がって腕組みをして眺めるので、距離を取ってから一撃で滅ぼしました」

「…………だから寝込んだのかぁ」

「悪戯しに来て返り討ちにされ、看病して貰うという一番恥ずかしい展開ですね」

「わーお、容赦ないなぁ」

「私とて、クッキー祭りが控えているので暇ではないのです。遊んで欲しいなら、お休みの日にしていただきたい」

「…………僕さ、アルテアってそれなりに扱い難い魔物だと思ってたし、今でも僕にとってはそうだと思うけど、ネアにはどうしても敵わないよね」



そう言えば、ネアは不思議な微笑みを浮かべてこちらを見た。



「本気で私を傷付けようと思えば、もう少し困ったことになるかもしれません。でもあの方のやり口は、ちょっと腹を立てたとか、何だか面白くないとか、逆に面白そうだからとか、動機付けが弱いので穴だらけですからね」

「うーん、そう言えるのってネアだけだと思うよ」

「それは即ち、アルテアさんがとても懐いているということなのです」

「そっか。………そういうことになるね」

「でしょう?」

「ありゃ」



そして現在、そんなネアはノアの髪の毛を丁寧にまとめてくれていた。

徹夜で遊んで帰ってきたからか、自分で綺麗に結んだつもりでもリボンがひっくり返ってしまっていたらしく、呼び止めて直してくれたのだ。


優しく髪を滑る手の感触にうっとりする。

この指先でもっと触れて欲しいと考えて甘えてみても、ネアは犬にじゃれつかれたようなくらいにしか考えてくれないのだ。


「ネアってさ、シルとどこまで進んでるの?」

「まだ専門的な訓練はそこまでしていませんよ。私の心が死にかねないからですが、縛るのは腰紐まで、叩くのは、私が荒ぶってしまった時に腕や胸をばしばしするくらいです」

「あくまでその路線なんだ」

「ディノですから」

「じゃあさ、もう少し普通で楽しいのは、僕と試してみる?」

「ボール禁止…」

「ごめんなさい」


叱られて慌てて謝ったが、怖い顔をされておでこをびしっと指で弾かれた。

シルが見たら羨ましがるだろうし、ものすごく可愛い。


「ネアってそういうとこ、結果的に煽ってるのが可哀想で可愛いよね」

「言っていることがよく分かりません」

「んー、可愛い可愛い」

「解せぬ」


渋い顔で髪の毛を整え終えると、ネアはそそくさと立ち去ろうとするのですかさず引き止めた。


「塩飴食べる?」

「塩飴!」


最近ネアは、甘くてしょっぱい塩飴を覚えたようだ。

ネアがゼノーシュを餌付けしているのを参考にして始めてみたのだが、こうして時々お菓子を与えると、とてもよく懐く。

指先で摘んで口の中に入れてやると、ネアは幸せそうに頬を緩ませた。


「ノアの塩飴は、お塩の旨味が強くてとても美味しいのです!」

「うん。だって僕、塩の魔物だからさ」

「それと、この前はディノの相談に乗ってくれて、有難うございました」

「ん?いつのことだろう?」

「ふふ、何度も、なのだと思いますよ。ディノがとてもノアを頼りにしているので、私は何だか嬉しいのです」

「シルが頼りにしてくれるなら僕も嬉しいけど、ネアにももっと甘えて欲しいな」

「あら、こんなに甘えているのに?」

「えー、甘えてるかな?」

「例えば、ノアはもうずっと家族のように側にいてくれると信じています」

「……………求婚された」

「解せぬ」



そこでノアは、眉を顰めているネアをさっと持ち上げてくるりと回した。


「むぎゃふ?!」

「よし、僕と冒険しよう」

「冒険は予期せぬ時に発生するのでお腹いっぱいです!平穏な日常を楽しむのだ!」

「ええ〜。みんなとばっかり狡いよ。この前はヒルドとも閉じ込められてたし」

「離し給え!」


そんな風にわいわいしていたからか、廊下の途中にある扉がばたんと開いた。

かなり顔色の悪い魔物が一人顔を出す。



「…………おい、他所でやれ。それとノアベルト、お前はここに入り浸り過ぎだぞ?」

「わーお。悪戯しにきて寝込んだ使い魔だよ、ネア」

「使い魔さん、私は明日は忙しいのです。早く良くなって帰って欲しいので、どうか寝ていて下さい」

「………ほお、よく言えたな」

「あんまり我が儘ですと、もう食べ物を受け取って差し上げませんよ?」

「………僕今気づいたけど、ネアのその叱り方間違ってないよね。そもそも、食餌って庇護の証だし」

「む。………と言うことは、もうお強請りしない方がいいですか?」

「うーん、もうやめちゃう?」

「ほわ、美味しいご飯が……」


ネアはあからさまに悲しい顔になってしまい、見ていて可哀想なくらいにしょんぼりした。

これはもう抱き締めて口付けしてあげたい表情なので、胸の奥がざわつく。



「じゃあさ、これからは僕が作ってあげるよ」

「ふぎゅ。ノアはお肉焼と、塩飴しか……」

「でもほら、その使い魔は反乱を起こしたばかりだよね。暫くは会わないようにしたらどう?最近、仲良くし過ぎたんだよきっと」

「ふぎゅむ」



そんなやり取りをしていると、顔を顰めたアルテアがこちらに歩いてきた。

倒れた時に雑に着替えたままなのか、シャツははだけたままで素肌を覗かせているし、前髪は掻き上げたまま乱れている。

そう言えばネアは、アルテアの看病帰りに自分に出会ったのだなと思うと、少しもやもやした。



「ネア、ああいうのに惑わされちゃ駄目だよ。僕からすると邪道だからね」

「む?」

「ちょっと無防備な感じで甘えようとしてるんだと思う」

「…………アルテアさんは甘えたいのですか?」


その言葉には答えず、アルテアは舌打ちをした。

ネアがますます眉を下げ、悲しげに首を傾げる。


「会えなくてもいいので、美味しいものをお届けしてくれますか?なんなら、置いておいてくれれば取りにゆきます」

「お前な。秋の舞踏会にも行くんだろ?」

「……舞踏会」

「シシィの手配もしてある」

「ほわ、ドレス…………。しかしアルテアさんは反乱を起こしたばかりなので、距離を置いた方がいいようです」

「じゃあ、お前のお気に入りのパテはもういらないんだな?」

「……………ほぎゅ」


ネアは眉を下げたまま、困ったようにこちらを見た。

抱き上げたままなので、鳩羽色の瞳が揺れるのがわかり、ノアは少しだけ可哀想になる。


「じゃあ、僕とも冒険してくれるなら、アルテアが悪さをしないように見ていてあげるよ。それなら安心かい?」

「ノア!」

「おい、お前込みで連れ歩く趣味はないぞ?」

「ありゃ、いいのかいアルテア?僕の方がもう階位は下だけど、魔術の織りは緻密だよ?」

「言ってろ」

「それじゃ、僕に何をされてもいいのかな」


アルテアが生意気なことを言ったので、ノアはふわりと微笑むとネアの耳に唇を寄せた。

死ぬ気でぶつかりでもしない限り、手先の器用な方が有利なのに、困ったものだ。



「後で、アルテアを魔術であの白けものにしてあげるよ」

「まぁ!」



音の防壁を築いてからそう囁いてやり、そのついでにネアの耳に口付けた。

アルテアの眼差しが剣呑になったが、所詮は使い魔なのだ。

こちらは家族なので、もう少し立場を弁えて欲しい。



「ほら、さっさとこっちに来い」

「ふらふらしているではないですか。安定性のない持ち上げには応じられません」

「って言うか、ネアは君のものじゃないからね」

「お前こそその他大勢だろうが。さっさと帰れ」

「…………アルテアって、時々優しくしてあげたくなるよね」

「そうなのです。あざとい使い魔さんですよね」

「なんでだよ」



そこでふと、ネアの首筋がかすかに赤くなっていることに気付いた。

嫌な予感がして、ネアの顔を覗き込む。


「ネア、首どうしたの?」

「使い魔さんに噛まれました。着ているものを勝手に脱がしたのが嫌だったようです」

「…………待って、後半の方が衝撃的だった!」

「斬られてしまったところが塞がったのか、ずっと心配でしたので、意識を失っているのでこれ幸いと脱がせました」

「………じゃあ、アルテアが今あんな姿なのって、ネアが襲ったからなんだ?」

「まぁ、優しさですよ?ああいう方はやせ我慢をして怪我を悪化させたりすることがありますからね」

「…………ネア、今のアルテアを見た限りだけど、下も脱がせようとしたでしょ?」

「シャツを引っ張り出す為に、少しだけです。男の方なのですから、そのくらい我慢して下さい」

「わーお………」



ノアベルトは、同情の眼差しでアルテアを見返した。

異性としての意識があれば、そこまで脱がせたりしないだろう。

アルテアからはかなり嫌そうに視線を返されたが、あまりの不憫さに今日くらいはここで療養していてもいいかなと少しだけ思う。



「うーん、でもやっぱり、ネアはアルテアから少し距離を置こうか?」

「…………と言うことは、みんなでアルテアさんを無視したりするのですか?」

「おい、やめろ」

「悪夢の後の、ウィリアムくらいの距離感でいいんじゃないかな?」

「ちょっと絡み辛いやつですね………。ごめんなさい、使い魔さん。私は最近野生の魔物さんとの距離感が適切ではなかったようですので、ケーキだけ搾取して、後はぽいとするしかなさそうです」

「お前な、野生も何も、しっかり使い魔にしてるだろうが」

「しかし、ご自身でも、私にちょっと嫌気がさしている時期なのですよね?………私が我が儘だったのかもしれません。ノアに窘められて考えたのですが、もう野生に返してあげた方が良いのでしょう」



如実にアルテアの顔が強張ったが、ノアベルトは知らんぷりをした。

どうせ意地でも離れないのだろうし、これくらいはやられて反省するべきだ。


(全員が全員、いつもこの子の側に居る訳じゃないから、アルテアも必要は必要なんだよね………)


あまり喜ばしくはないが、ノアベルトの見る限り、ディノやウィリアムは大技派で繊細な魔術調整に向かない。

ノアベルト自身はそちらが得意だが、戦略長けしているのはアルテアなのは間違いなかった。


そうなると、アルテアの目線も確かにここには必要なのだ。



それは、どこまでもきつく、彼女を包み込む為に。


(もう二度と、君を亡くしただなんて思いはしたくないからね)



腕の中のネアを抱き締め、おでこを合わせる。

驚いたように目を瞠ったネアが、ふわりと微笑んで頭を撫でてくれる。

そんなしょうもないことに、幸福感で胸が苦しくなった。




「おい」

「むぐ?!」

「あー!」


そこで、大事なネアはアルテアに略奪されていった。

弱っているのでそこまで素早く動けまいと油断していたが、割と本気で奪いにきたようだ。



「ったく。お前は、あれこれ考えずに大人しくしてろ」

「あれこれ考えて悪さをした使い魔さんではないですか!むぐ、離すのだ!」

「暴れるな。落とすぞ?」

「私が優しさに包まれている内に、どうか森にお帰りなさい」

「なんで森なんだよ」

「そして時々、そっとパイやタルトやゼリーを届けるのだ」

「それだと、俺には何の利益もないな」



そこに、やっと姿を現したネアの正式なお相手がやって来た。



「ネアが浮気してる………」

「ディノ!使い魔さんが、森に帰りません」

「わかったよ。森に返してきてあげよう」

「おい、森前提をやめろ」

「そして、ふらふらしていて安定性に欠けるのです。ふぎゃ?!」



わざと落とすような素振りをされて、ネアが慌ててアルテアに抱き着く。

アルテアはしたり顔で微笑んでいたが、怒ったネアに髪の毛を毟られそうになって、慌てて床に戻していた。

どうやら、体調不良は本物らしく、それを回避する余力はなかったらしい。

その後、本調子ではないアルテアをネアが部屋に送って行こうとしていたので、ノアベルトが問答無用で部屋に放り込んでおいた。



「ノア、駄々っ子な使い魔さんを寝かしつけてくれて有難うございます。これからディノと少しお仕事をしますので、午後からならいつでも白もふ時間を取れますよ!」

「ご主人様………」

「躾の一環ですので、少しだけ我慢して下さいね。ディノは、ついさっきお腹撫でで倒れたばかりでしょう?」

「…………ずるい」

「最近、狡いの活用が正しくなったことに驚くばかりです」

「ネアが虐待する」

「そちらは、まだ正式活用ではありませんね」

「ご主人様………」


しゅんとしたシルハーンを引っ張って連れ帰るネアを見送りながら、ノアベルトはボールを持ってエーダリアの部屋に遊びに行くことにした。

午後になったらアルテアを白けものにしないといけないし、それが終わったらネアとどこに遊びに行くか考えよう。


(そう言えば、あの白い獣が自分だって、アルテアはまだばれてないと思ってるんだっけ。面白いから、そのままにしておこう……)



午後には、ネアにばれていることをアルテアに悟らせないように、ネアはまだ白けものがアルテアだと知らない体を装い、あっさり不覚を取った選択の魔物をネアに届けた。



「ほら、ネア。白けものを偶然捕まえたんだ。アルテアが呼んだのかな?」

「………むぅ。アルテアさんも、お詫びのつもりで呼んでくれたのかもしれませんね!」


勘のいいネアはすぐに演技に乗ってくれて、白けものの正体が露見していないと安堵するアルテアを受け取ってくれる。

正体云々で安心してしまっているが、彼の試練はここからなのだ。


「ふふふ。二度と抵抗出来ないように、もふり殺してやります」

「……ネアが言うと、ほんとうに殺しそうだね」




その日の夕方、すっかりぐんにゃりした白けものを抱き抱えたネアが、敷物に隠して部屋にこっそり持ち帰ろうとしていたので慌てて取り上げることになった。

シルは対抗してムグリスになっていたせいで、早々にお腹撫で地獄で意識不明にされてしまったようだ。

自立も出来なくなって動けなくなったアルテアを撫で回しに長けたネアの手から解放し、本格的に殺されてしまう前に部屋に戻してやったからか、その日以降アルテアからの当りが柔らかくなった。

口には出さないけれど、少し感謝してくれているらしい。

それか、二度と白けものにされないように警戒しているのかのどちらかだ。




ネアと出かける冒険は、最近のネアがあちこちから規制をかけられてしまっている狩りに連れて行くことにした。


ヒルドやエーダリアからはとんでもないことになるぞと呆れられたが、デートは好きな子が一番楽しめる場所に行くのが基本である。

心置きなく狩りが出来る一日をネアは心待ちにしているので、ノアベルトは、そんなネアを見ていると幸せな気持ちになる。



余談だが、あの日の一件以来、アルテアは少しだけネアの撫で回しに中毒症状が出るようになってしまったらしい。

ヒルドとウィリアムからは、余計なことをしたなと叱られてしまった。











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