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終焉の憂鬱



その夜は、珍しく少し酔っていた気がする。

同席した相手は、他の者達を潰してしまったので、図らずも二人きりの酒席となった。



夏の終わりを告げる雨の音に、穏やかな声がゆらりと揺蕩う。

その意味よりも音に酔い、指先に口付けたいというあえかな欲望を沈めた。


深く、深く。


それはひとまず、ここでは必要のない感情なのだから。



とは言え欲望の翳り落ちる終末もまた、この身の司るところ。

それを知らず、朴念仁だと揶揄する声には失笑を禁じ得ない。



「この前の、困ったことになったというお友達は大丈夫でしたか?」


その言葉に、熱が冷めた。

あまり聞かれたくなかったことだと思いながら、グラスを傾けて薄く微笑む。


「彼は大丈夫だ。………ただ、彼の友人達は救えなかった。それで少し揉めてな」


そう言えば、鳩羽色の瞳には他人事めいた酷薄さと、労わるような優しさの両極端な感情の織りが入り混じる。

彼女の不思議なところはこういうところで、分かりやすく脆弱な生き物かと思えば、底が見えない泉を覗き込むような、一拍の躊躇いを与える得体の知れなさがある。


この上もなく必要とされているかと思えば、こちらには何の興味もないと思わせるようなことも。

その危うさが甘く、指先で触れて屈服させたくなる。



「その方は、ご友人も助けて欲しかったのですね?」

「俺ならば、助けるだろうと思っていたんだろうな。だが、戦場ではいつだって上限がある」

「むぅ、…………そのことを、お友達にお話しされてますか?」

「いや。…………それでも、と思うものなんだ。それを俺もわかってはいるからな。相手もわかってる。だが、失われたものの前で、救えたのにそうしなかった者を責めずにいるのも難しい」

「………何か、抜け道や依怙贔屓はなかったのかと、そう思ってしまうのでしょうね。ウィリアムさんは優しいので、その優しさに甘えてしまうのでしょう」

「だが、それでは俺は終焉ではなくなってしまう。魔物が司るその資質というものは、その魔物が生きている限り変えられないものなんだ」



なぜだと、問われる。

でもそれはウィリアムが終焉だからだ。

他に理由などなく、それを変えれば世界は破綻する。



それは、終焉というものが、厭わしくも絶対であるからこそ。



だからこそ、ウィリアムは永劫に終焉であり続けるのだから。



からりと氷が鳴った。

脈絡もないことを、ふと呟く。



「俺の先代は、先代の万象が滅びた後に滅びた。先代の万象が斃れ、世界が破綻した後にあまねく死者達を回収し、壊れて歪んだ世界を練り歩き、最後の一人となりながら。………俺が派生した時、そこには万象しかいなかったが、俺はそのがらんどうの世界がとても恐ろしかったことは覚えている」

「最初の二人だったのですか?」

「俺はそう思っていたが、気体状態の精霊であれば、先の崩壊から生き延びていたそうだ。形を成すことが難しい代わりに、損なわれ難いのが資質だったからな」

「でも、気体となると、あまりいるという感じはしませんよね」



あの日のことを思うと、それはいつも悪夢のような色をしている。

何もない世界で滅びたものの証跡を眺め、派生したその夜からずっと、いつかは自分もそうなるのだろうかと考えた。


そう言えばネアは悲しげに目を瞠ったので、少しだけ苦笑した。



「だとすれば、全ての者が生き絶えた世界で、同じことをしてはならないという戒めの元に、たった一人で生まれてきた万象の思いもどれだけだったことか」

「…………ディノは、そういうことはあまり話さないんです。その代わりに、一人ぼっちだった舞踏会や、自分ではよく分からないままに誰かを傷付けて、みんなから嫌われてしまった日のことをしょんぼり話すんですよ」

「万象は万象故に、未完でなければならない。完成していて、未完で、老獪で無垢でなければならない。………俺もそうだが、自分自身の心を損なう資質を、変えることが出来ないというのは、…………例えようもない苦痛であることが多い」

「ウィリアムさんも、………なのですね?」


シルハーンの話をしている時、ネアは特段に驚きはしなかった。

その万象であるからこその不利益を知った上でも、彼女は揺らぎもしないのかと、微かな羨望がひらめく。

それを当然のものとして受け止め、それよりもシルハーンの苦痛を思う彼女に、王がどれだけ得難いものを得たのかあらためて思い知らされた。


突出したもの程に失望され易い。

不安定さや愚かさをも資質とする万象は、数ある高位の魔物の中でも特に難しい。

恐らく、多くの者達は万象こそ完全なものだと考えるだろうが、ウィリアムは、決してそうではないと知っている一人である。


だからこそ、この羨望なのだろう。


「ああ、俺は特によくそう思うよ」

「ノアのように、凄まじい変化を遂げる魔物さんもいるのが不思議ですね。今や、ボール遊びをしないと中毒症状が出るそうです」


それは確かにウィリアムも不思議でならなかった。

魔物というものはあそこまで変わるのかと驚いたのだが、ムグリスになった時のシルハーンの様子を知り、獣化することでの弊害なのだろうかと話す。


「それにノアベルトは、変化をも資質とする魔物だからな。俺は何度も彼が羨ましいと思ったことがあるよ」

「変われるということは豊かなことでもありますからね。でも私は、今のウィリアムさんが好きですよ?」



あまりにも唐突に拘りなく言うものだから、思わず噎せってしまった。

慌てたネアが水を差し出したが、片手を上げて制してから、手近なグラスから水を飲んだ。

口に含んでから、アルテアが飲んでいた酒だったと気付いたが、さすがに情けないので何でもないふりをしてグラスを置く。


咳払いをしてから声を整え、心配そうなネアに微笑んだ。


「ネアは俺が終焉でも損なわれない、終焉を厭わない珍しい人間だからな。死を安息とする者が生きていることはあまりない」

「そうなのですね。だからウィリアムさんは、あんな素敵な砂漠のテントや、毛皮ツアーに連れて行ってくれるのですか?」

「はは、そうかもしれないな。俺が安心して可愛がれるのはネアくらいだ。だから、あれこれ甘えてくれると嬉しい」

「なぬ!それでは沢山甘えてしまいますね!また砂漠のお泊まりをしたいです!」

「ああ、勿論だ」

「それと…………」

「ん?どうした?」

「ウィリアムさんが、あの格好いい帽子をかぶってるのがまた見たいです!」

「…………ネア」


目を輝かせて強請られたのは、ウィリアムが死者の王としての資質を前面に出す、人間であればあまりお目にかかりたくない筈の姿であった。

それをネアは、目を輝かせてまた見たいのだと言う。


気付かれないように片手で口元を覆って、無防備に寄り添われることへの安堵に緩んだ表情を少しだけ隠した。




「………ネアは、俺達のありのままの状態を恐れない人間なんだな」

「と言うか、元々違うのですから、ありのままのご状態で無理な方とはお付き合いしません。よって、虫系統の方々はどれだけ優しくても絶対に無理なのです!!」

「虫系統か…………。そうだな」

「そして、ウィリアムさんがどれだけ素敵な方でも、もし正体がパンの魔物さんだと言われたら、どうしたら良いのか分からなくてそっとお付き合いを辞退するかもしれません………」


悲しげに項垂れるので、本当はパンの魔物だったりはしないと約束してやり、ネアの隣で腰に紐を付けて貰ったまま眠っている万象を眺めた。


「シルハーンの、…………その、特殊な趣味はもう大丈夫なのか?」

「そちらにはやはり、どうにも慣れなくて放り出してしまうことが多いのです。……でも、この大事な魔物の最大の欲求のようなので、甘やかしてやりたくなるのも事実ですね」

「………あの舞台は衝撃的だったものな」

「私はウィリアムさんが目隠ししてくれたので、割と前半で退場出来ましたが、それでも男性の方が早々に犬になるところまでは目撃してしまいました……」



二人で少ししんみりとし、あの夜のことに思いを馳せる。

考えてみれば、その手の知識を学びたいと言うネアとはとんでもないことに挑戦してしまったが、あれは今だったらまず出来ないことだ。


思い出しかけてまた口元を片手で覆ってしまうと、ネアがさっと首飾りから酔い止めを差し出してくれた。

首を振ってそうではないからと断り、扇情的な記憶を振り払う為に雑に言葉を繋げた。


「あれ以降、ネアはよく頑張ってるな」

「ふむ。丸ごとがディノなので、ディノが欲しいと思ったら、丸ごと受け止めるしかなさそうですから」

「だから君が、シルハーンの不安定さも含めて、そのままであって欲しいと望んだことは、彼にとってどれだけの恩寵なのだろう」

「…………しかし、この前のことのように、知らない間に自分を削ぎ落としていたりするのもまた、私がいるからなのでしょう」

「いや、元々はそれも、シルハーンが厭い手放したかったものだ。だから、彼と同じようにそれを望まず、その上で全てを受け入れてくれる君でなければならなかったのだろう」



それから、他に何を話しただろう。

ふと気付けば、どうしようもないことを口にしている自分がいた。



「…………時々思い出すんだ。あの時、彼女だけではなく、あいつだけではなく、あの子だけではなく、……みんな救ってやれると、そう言えたらどれだけ良かったことか。知っているからと手を差し伸べ、その心を寄せるものまで守れたなら、………と」



正面に座ったネアは、酩酊の欠片もないのか、そんな弱気な言葉にも穏やかな微笑みを見せる。


「でもそれは、無理なことです。誰も彼も助けてしまったら、ウィリアムさんは終焉ではなくなってしまいます。それは、ウィリアムさんにとって、他のどんなことよりも出来ないことなのでしょう?」

「…………ああ。…………ああ、そうだ」



終焉だからこそ、出来ないことは多い。

器用ではなく、生に焦がれても死を齎す。

どれだけ愛してもいつかは殺すし、どれだけ思っても救うことの方が難しい。


そして、己の司るものを志向とする残虐さもまた、終焉の資質である。



普通や凡庸さに焦がれるこの息苦しさは、シルハーンと同じもの。

そして、変われないという資質もまた、同じものなのだ。



「他にも、そういう方はいるのですか?」

「………そうだな、犠牲や絶望、………夢を司る魔物もそうだ。夢は叶わないもの、或いは朝が来れば消え去るものという資質の方が強いからな。もっと身近なところでは、水害や疫病などもそうだな。ローンも、疫病が故に何度も大切な人を亡くしている。彼や俺は、絶望もだが、……終生伴侶を持てない魔物の一人だ」

「…………伴侶を?」

「伴侶とするということは、己の資質と結ぶということだろう?俺達の場合は、愛する相手に結んでいい資質ではない」

「むぅ。………ではウィリアムさんの場合は、もう終焉を迎えられた、死者さんとかでも駄目なのですか?」

「考えたことはあるよ。ただ、………死者もまた終焉に向けて歩いてゆくものだ。やがては空っぽになり、生まれ直す為に去ってゆく」

「ではもう、事実婚ですね!」



微笑んだネアにそう断言されて、一瞬理解出来ずに固まってしまった。


「…………事実婚?」

「ええ。正式な婚姻は結ばず、しかしながらほとんど伴侶というやつです!婚姻が出来ない事情があることを説明して、その代わりにお相手の方を大事にしてあげればいいのです。問題となるところは最初から開示してしまい、一緒にいることで幸せな部分を強調して捕まえてしまえば!」

「…………捕まえるのか」


迷いのない健やかな眼差しに苦笑すれば、ネアは可愛らしく首を傾げてみせた。


「あら、ウィリアムさんは魅力的な方ですよ。それでもいいからとお相手に思わせることが出来れば勝ちですが、………ただ、私が私の理想としたお相手にはまるで好まれないように、ウィリアムさんも本来の好みの方とは駄目だという気がしますね」

「はっきり言うな」

「私にも当てはまることでしたからね。でも、この通り、まるで違う嗜好のお相手でもとても幸せです。………幾つか問題点はありますが。………まぁ、大事の前の些事として諦めるしかありません。ですので、ウィリアムさんとて、少々の妥協をすればきっと幸せになれる筈なのです」

「…………そうかな」

「ええ。信じられないと困るので、そうなるような呪いをかけておきましょう!」

「はは、呪いか」

「むぅ、魔術可動域六ですが、呪う力では負けませんよ。ウィリアムさんは、少しの妥協でとても幸せになります!!以上、呪い手からのご報告でした」



(妥協か…………)



であればそれを、どこに充てるべきなのか。

心も添わない相手を選ぶというよりは、寧ろ。


「まぁ、………そうだな。俺のものにならないからこそ、絶対に失われないものだ。厭われず、この手で損なうこともないだろう。これが呪いかな」

「まぁ、そのような方が?」

「うーん、もう少し取り分があればとは思うがな」


目を細めて薄く微笑めば、ネアは無邪気に応援してくれた。

幸せそうにテリーヌを食べている姿を見て、ウィリアムは取り分など増えなくとも、こうして関わり続けられるだけでもいいような気がした。


自分を偽らず、同じ目線で同じテーブルについた人間はネアが初めてなのだ。



「…………ふと思ったのですが、ウィリアムさんはいっそ、とてつもなく規格外のお相手がいいと思うのです。知り合いだと、特別変異体のほこりしか思いつきませんが…」

「ネア、ほこりはない」

「…………むぅ。アルテアさんとも家族になれますよ?」

「それなら、もっとないな」

「むむぅ」



そこで悩んでしまったネアに、少しだけ嫌な予感がした。



「ネア、………まさか、ほこりと俺を結びつけようとしてないだろうな?」

「いえ、積極的にというか、そうなったら素敵だなという理想なのです。何しろ、ほこりは白い髪の男性が好きですし、やはり名付け親としてはシャンデリアな伴侶さんだけでは、お喋りも出来なくて寂しくないのかなと心配になるので………」

「………ネア、シャンデリア以外にとなると、その、……シャンデリアの次点ということにならないか?」

「…………はい?」


それが何か問題だろうかという眼差しを向けられて愕然とした。

危うく、ほこりの伴侶候補、それもシャンデリアの次点にされそうだったのだ。



「ネア。それはない。絶対にだからな」

「むむぅ」



あまりにも残念そうにするので、その後少し飲み過ぎたようだ。




暫くして我に返ると、床に仰向けに転がされた体の上に、ネアが座っていた。



「…………ネア?」


恐る恐るそう声をかけると、かなりじっとりした目でこちらを見る。


「…………ウィリアムさんに、食べられそうになりました」

「……………え」

「指を齧られました!だからあれ程、ちゃんと食べてますかと言ったではないですか!お腹が空いても、私はムグリスのようにむちむちボディではないのです!!」

「す、すまない。………自分でもちょっと、覚えてなくて…………」

「最初はキス魔かと思ったのですが、まさか味見だったとは………」

「自分が何をしたか考えたくもないが、そっちの疑惑をかけられた方がまだマシだな…………」

「反省してるのですか?」

「…………すまない。怖がらせてしまったな、それとネア、そこに座られると、いささか具合が悪いんだ。もう少し上にずれてくれるか?」

「どうして魔物さんは、積極的に内臓を潰しにかかるのだ。この辺りの方が、骨がごつごつしていて中身が潰れません」

「うーん、内臓よりも、…………そうだな、もっとまずいんだ。理由は聞かないでくれ」

「む?」



そこでは首を傾げてウィリアムをほとほと困らせたネアだったが、後日、アルテアは腰骨の上の方が良かったようだと言われたので、ウィリアムは頭を抱えたくなった。


何があったのか尋ねると、悪さをしたので体の上に座って圧死させんと飛び跳ねたらしい。

どうもその際に、内臓を潰されないようにと飛び跳ねる位置を指定されたようだ。


しかもネアは、誰にも言えない他のお仕置きにするべきだったと、なぜか手をわきわきさせながらかなり残虐な眼差しで語っていたが、あまり教育上宜しくないので、二度とアルテアの上で飛び跳ねないように叱っておく。

誰にも言えないお仕置きとやらもかなり気になったが、それはいつかアルテアを強請る為に使う秘密なので、まだ言えないのだという。





何はともあれ、アルテアは懲りずに悪さをしているらしい。

やらなければいけないことが出来たので、会う必要がありそうだ。







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