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三人の魔術師 1


ウィームより少し離れた、ザルツ近くの町にカスティリオという小さな町がある。

小さな港があり、ラベンダー畑とオリーブ畑に囲まれた小さな町で、夏の終わりと冬の始まりに降る、追憶の雨を蓄えたラベンダーやオリーブを売ることで生計を立てている町だ。


この度のネア達の仕事は、そんなカスティリオの地を荒らす砂荒らしを退治にしゆくものだ。

すなあらしという言葉で誤解されがちだが、気象性の砂の嵐とは別物の、土壌の状態を悪くする困った魔物なのである。



「小さくて美しい町ですね」


ネアがそう言えば、魔物はご主人様の腕に掴まったままこくりと頷く。

あの削ってる事件以降初めての出張仕事なので、ネアに今朝がた何度も体調確認されてしまった魔物は、叱られたと思ったのかべったりとへばりついて離れなくなった。


「見て下さい、海の色が何とも透明な孔雀石色です。それに、オリーブ畑に光が当たると、あんな風に銀色に輝くのですね」


残念ながらラベンダーは収穫されてしまった後なので葉だけが残っており、地平線まで続く美しい花の色を見ることは出来なかった。

この地方のラベンダーは、ラベンダーの妖精達と一緒に収穫の歌を歌いながら篭に摘み取り、収穫が終わった後の畑には、来年の収穫を祈願して豊穣の結晶を細かく砕いたものと、祝福を助ける香草を乾燥させたものを撒くのだそうだ。


しかし今回、折悪くその祝福を撒き終えた直後に嵐があった。

畑という結界で守られた場所より外に豊穣の祝福が吹き飛んでしまい、畑ではなく砂荒らし達を元気にしてしまったのだという。



ネアはガレンに届けられたという町の魔術師からの依頼の内容を記した紙を畳み、同じ封筒でエーダリアから渡された小さな紙片を広げる。

そこには、拙い子供達の文字で、“歌乞い様、どうか気を付けて下さい”という可愛らしい応援の文字があった。

ガレンの魔術師ともなれば英雄視されている土地も多く、こうして個人から激励やファンレターのようなものが届くのは珍しくはないそうだ。

前回の仕事での禍根があるらしく、このカスティリオに歌乞いが入るのは二十年ぶりだそうで、町からは感謝の手紙などがたくさん届いているのだという。



「畑に祝福が定着するのは、一晩で済むのだそうです。ですので、良く晴れた月夜に行う儀式だそうですが、夜明け前に天候が急変してしまったみたいですね」

「風の影響が強そうだね、夏嵐の精霊の足跡も残っている」

「その方々に吹き飛ばされてしまったのかもしれません!」


そんなことを話していると、丘に登る道をこちらにやってくる女性達がいた。

こっくりとした緑色のシンプルなドレスに、淡いラベンダー色のエプロンが美しい。

フリルなどの装飾が省かれている代わりに、腰回りできゅっと縛ったリボン結びが華やかで清廉だ。

髪には銀色のオリーブの小枝の髪飾りをつけ、エーダリアに教えられたこの土地の魔術師達だとわかった。


「初めまして歌乞い様。わたくしは、カスティリオの花の魔術師、リシィ。こちらが、オリーブの魔術師、タリィ。その奥におりますのが、雨の魔術師のハリィですわ。本日は、どうぞ宜しくお願いいたします」


そう挨拶をしてくれたのは、腰までの長い髪を持つ美しい女性だった。

花の魔術を司る魔術師は美しいと言うが、この女性は豊かさが全面に出るような何とも色香のある美しいひとだ。

その隣のオリーブの魔術師は、耳下までの短い髪のしなやかな長身の女性で、その健やかな手足や生き生きとした緑色の瞳が美しく、雨の魔術師は、どこか憂いを帯びた瞳に守ってあげたくなるような雰囲気の儚げな少女だった。


「ネアと申します。隣におりますのが、私の契約の魔物です。今日は、張り切って砂荒らしめを殲滅しますね」

「ふふ、可愛らしい歌乞いさんですこと。………契約の魔物様、お手数をおかけします」


拳を握って宣言したネアに微笑んで頷いてくれたリシィは、その隣に立ったディノに小さく瞳を揺らした。

抜けていた成分を戻したばかりの魔物は、擬態していても輝くような美貌だ。

そんな魔物を正面から見上げてしまったリシィは、どこか陶然とした微笑みを浮かべる。


(今日のディノは、あまり調整をかけていないからかな……)


出がけに追いかけてきたノアから、ディノは何かを言い含められていた。

こそこそと話していたのでよく聞こえなかったが、どうやらこの町には恐ろしい生き物がいるので、調整をかけて存在を隠さないで、ここは触れてはならない領域だと主張した方がいいということだったようだ。


(それに、魔術師さん達にもつんつんしてる………?)


せっかく丁寧に頭を下げてくれたのに、ディノはちらりと視線を向けただけで、興味がなさそうに視線を逸らしてしまう。

あからさまに視線を逸らされたリシィは少し傷付いたような目をしたし、タリィは少しむっとしたようだ。

ハリィと呼ばれた少女は、そんな冷やかさをものともせずにディノを見て頬を染めていた。


ネアは三つ編みを引っ張って叱ろうとも思ったが、なぜか魔物の方から“すごく嫌”という気配を強く感じる。

さっきまでは甘えただったのにどうしたのかなと、ネアは内心首を捻った。


(やはり、今回のお仕事は気が進まないのかしら………)


困ったなと眉を下げたネアに気付いて、ふっと微笑んでくれたのは、タリィだ。


「まだ何の説明もしていませんでしたね。まずは、実物を見るのが一番だから畑を見てくれますか?」

「ええ。私の方も段取りが悪くて申し訳ありません。被害の状況と、わかっていることを教えていただけると助かります」

「じゃあ、歩きながら」

「はい」


場の空気がイマイチな時、人は好意的な人に懐いてしまうものだ。

ネアはすぐさまタリィに懐いてしまい、あれこれと被害について教えて貰った。


海からの風に短いオリーブ色の髪が揺れ、化粧っ気のない綺麗な肌の上を滑る。

瑞々しく強い色彩の緑の瞳は、まるで妖精のような力に溢れていた。


「よくよく調べたら、近くの島の住民達が夏嵐の鎮めの儀式をおろそかにしたらしい。それで怒った夏嵐が、いつもなら示してくれる嵐の前兆を出さないまま、いきなり強風を吹かせてしまったんだ」

「まぁ、困った話ですね。そちらの島でも被害が出ているのですか?」

「まぁね。あちらはかなりの被害が出たようだ。うちは、建物や家畜には被害が出なかっただけマシだけど、まさかこんな形で畑を荒らされてしまうだなんてね」

「むぅ。そちらは自己責任ですが、とばっちりだったのですね……」


話している内にくだけてきたのか、タリィは気さくな口調になってきたようだ。

それが気に食わないのか、隣からぽいっと三つ編みが投げ込まれたので、ネアは仕方なくその三つ編みを握ってやる。


「……それ、いつもなの?」

「ええ。うちの魔物は、三つ編みがリード代わりなのです」

「へぇ、変わってるね」


ディノは頑なにこの町の魔術師達とは口を利かない方針のようで、珍しく一言も喋らなかった。

心配になったネアが顔を覗き込めば、いつもの嬉しそうな微笑みでこちらを見てくれる。

ネアとしては特殊な事例なのだが、歌乞いと魔物としては通常仕様なので、魔術師達も特に不満を言う様子もない。

ただ、熱心にディノを見上げては視線を揺らしているハリィは、どこか不憫に思えた。

リシィは途中から諦めてしまったのか、穏やかにネアとタリィの会話に加わってきてくれており、この町の花々の美しさについて色々と教えてくれる。



「家々の壁をご覧くださいな。夏の間は、ブーゲンビリアが満開なんです。気候的にこちらでは冬にミモザが咲きますから、冬場も町の中は花で溢れるんですよ」

「生活の中にお花が豊かに咲いていると、心が満たされますよね。こちらの町の方々は、きっと幸せな気持ちで花を愛でられていることでしょう。素敵な町ですね」

「ええ。我々が与えられる祝福は、人外者のものには及びませんが、それでも毎年沢山の花を咲かせ、オリーブを茂らせ、そして豊かな雨で土壌を潤します。だから、慈しんできた畑を損なわれるということは、我々にとっては胸が張り裂けるような思いなのです」


さわさわと、髪を揺らす風は今は穏やかだ。

畑までの道には、柔らかな赤茶色の煉瓦の壁があり、そこにも見事な花をつけたブーゲンビリアが垂れ下がっていた。

特産であるものを誇っているのか、この土地では育ちやすいのか、家々や道の脇に植えられているのも、オリーブの木やラベンダーが多い。

砂色の岩を削ってつくられたアーチ状の短いトンネルも、ブーゲンビリアのトンネルのようになっていて、ネアは思わず口角が上がってしまった。


「素敵ですね、物語の中に出てくるようなトンネルです」

「こういうものが好きなら、作ってあげようか?」

「む…………」


それまで黙っていたディノが、喜ぶネアにそんなことを尋ねる。

ネアはここで少しだけ考えた。

要求や欲求を向けられることに、この魔物は安心するのだとあらためて実感する事故があったばかりだ。


「老後のお家を作るとき、こういうお花のトンネルが欲しいです!お家選びをするときの為に、覚えていてくれますか?」

「その時でいいのかい?いくらでも用意してあげるのに」

「それまでに、色々なものを見て知見を増やしましょう!色々な風景を知っていると、きっと最高のお家が作れる気がするのです」

「そうだね、色々なものを見に行こう」


これからの話をすると喜ぶ魔物が、嬉しそうに微笑みを深めた。

これで少し空気が柔らかくなるだろうかと思ったネアは、思わぬ反応を示されて愕然とする。

最も顕著だったのはハリィで、青い瞳に涙を浮かべて厳しい顔をしているし、リシィもなぜか憂鬱そうな眼差しだ。

タリィですら、どこか怒ったような目で小さく溜め息を吐いた。


(もしかして、ここの素敵なトンネルで決定にせず、他と比べよう発言をしてしまったからだろうか………)


一人上手のネアは早々に心が折れてしまい、その後は魔物と会話をしながら、問題の現場まで粛々と歩いた。


そして、到着したラベンダー畑を見て愕然とする。



「ここなのです」

「まぁ…………」


リシィに示されたのは、ごっそりと土がなくなってしまった畑の一画だ。

まるで隕石でも落ちたように、大きな穴が開いてしまっている。

その辺りに植えられていたラベンダーは失われてしまったのか、どこかに千切れ落ちているようなこともなさそうだ。



砂荒らしの魔物は、豊かな土を食べてしまったり、整った砂地で荒れ狂う魔物だ。

荒れ狂う様の方が人々に印象が強かったらしく、砂荒らしという名前になっているものの、他にも土壌に様々な悪さをする。



「畑の土は、食べられてしまったのでしょうか?」

「いいえ。今回はそうではありませんでした。あちらの木をご覧になって下さい」

「………もしかして、あれは自然な木ではないのでしょうか?」


ネアは、言われた木を凝視して驚いてしまった。

少し先に雑木林のような一画があり、その部分だけは畑の中にあえて残しているのだろうなと思っていたのだ。

しかしそれはよく見れば、土で出来たまがい物の雑木林なのである。


「あれは、元々はこの畑の土なのです。きつく固められてしまい、あのような木にされてしまいました。そしてこの穴は毎日少しずつ広がってゆき、あの木は一日に一本ずつ増えてゆくのです」


決して、不自然な光景ではなかった。

ただし、季節を思えばまだ葉を残している筈の木々が枯れ枝だけなので、ネアの目にも不思議なものに映るのだが、この畑の持ち主や町民からしてみればどれだけ驚く事件だっただろう。


「ディノ、砂荒らしさんは、厄介な魔物さんなのでしょうか?」

「階位は低いよ。ただ、その名前の通りに整ったものを荒らすことを好むんだ。適度にいれば、土を柔らかくするそうだけれど、見たことはないかな」

「むぅ。またしても知らない層の魔物さんなのですね」

「あの!………砂荒らしはたくさんいるんです。危なくないように、お手伝いしますね!」


ぱっと声を上げて割り込んだのは、ハリィだった。

華奢な手のひらを握りしめて、真摯にディノを見上げている。

しかし魔物はそちらを見ようともしないので、ネアはひやりとした。

戻り時の時の事件があったので、その種の問題の火種にならないで欲しいと思ったのだ。


「心強いですね!有難うございます」

「あなたに言った訳ではありません」

「…………空気を良くする試みに挫けました」

「すまない、ハリィは少し………頑固なんだ」


かくりと項垂れたネアに、慌てて謝ったのはタリィだ。

慌ててリシィもハリィを叱っているが、その瞳には焦りめいたものも見えたので、ネアはすかさず握ったままだった三つ編みは引っ張っておいた。


「なんだい、ご主人様?」

「悪さをしてはいけませんよ!」

「おや、何にだい?」

「………………ほわふ」


こちらはこちらで、魔術師達をいない者として扱う運用が透けて見えた。

トゲトゲの空気に項垂れたネアだったが、不憫に思ったのかタリィがまたあれこれと喋りかけてくれるようになった。


「あの木も厄介なんだ。固くて斧が通らない上に、魔術も弾いてしまう。あんなものが増えていったら、 畑はどんどん減ってしまうだろう」

「ラベンダーの妖精さん達は大丈夫だったのでしょうか?」

「この時期は、香油を絞る館で暮らしているんだ。泣いている妖精もいたが、まだ誰も怪我をしたりはしてないよ」

「良かったです、せめて…」

「良くなどありません!」


今度はリシィが荒ぶってしまい、ネアは慌てて謝った。

このたおやかな女性魔術師の地雷は、自身が力を借りる花の精や妖精達に纏わることらしい。



「ネア、砂荒らしを排除してしまえばいいのかい?」

「それと、畑を元に戻せますでしょうか?」

「いいよ」


ご主人様が弱ってしまうので、魔物は早々と仕事を片付けてしまおうとしたようだ。

ネアもあらためて社交技術の低さに撃沈していたので、早く帰りたくて堪らない。


(私は、敵だか味方だかわからないくらいの相手の方が楽なのかもしれない……)


ネアがそう思うのは、ただ感じよく間を持たせる技術が壊滅的だからだった。

特に女性のような敏感に空気を読んでしまう相手の場合は、こちらも遠慮してしまった結果、ぐだぐだになる。

嫌われたくないだとか、傷付けたくないと思えば思うほど、ネアは言葉が彷徨う人間であるらしい。



「お待ち下さい!砂荒らしを駆除するのは、とても厄介なのです。ただでさえこの有様なのに、畑を掘り起こされては堪りません。ガレンからは、薬で砂荒らしを鎮めて下さると聞いていたのですが」

「まぁ、そういうご事情があったのですね。………それなら、薬でどうにか出来ますか?」


案外厳しく叱られてしまい、ネアはわたわたしながらディノに尋ねてみた。

畑を掘り起こす必要はないだろうが、確かにあまり無茶な技は見せない方が良さそうだ。


「薬で、かい?」

「ええ。ディノは薬の魔物さんですからね」

「構わないよ。すぐに済ませてしまおう」

「そ、それと!くれぐれも畑を損なわないようにです。出来ますか?」

「勿論だよ、ご主人様」


すいっと指を動かせば、その優美さに思わず目を奪われてしまう。

空中に絵を描くように指を動かし、手首を返した時にはもう、その手の中に青い小瓶が収まっている。

栓のないその瓶の中身を、ディノは特に勿体つけることもなく地面に注いだ。


「むむ…………」


ほんの少しだけ、特に何も変化を感じられない僅かな時間を挟み、土の中からきゅぽんという音が響き始めた。

きゅぽん、きゅぽんという音が続いて思わず地面をじっと凝視してしまったネアは、あっというハリィの声に顔を上げて、土で形成された雑木林が、さらさらと崩れてゆくのを目の当たりにする。

さらさらと崩れた土は大穴の開いた場所に自分で戻ってゆき、まるでそれが成されたことの逆再生を見るかのように、あっというまに畑は元通りになってゆく。


畑が完全に修復されるのと、最後のきゅぽんという音が地面から聞こえたのは同時のことだった。



「終わったよ。これで依頼はすませたのだから、帰ろうか」

「………すごいですね。一瞬で終わってしましました」


手を差し出して貰えたので、ネアは三つ編みを離してディノの手を取る。

しかし後はもう挨拶をして帰るだけだと思ったところで、リシィから畑の様子を調べるので待って欲しいと言われた。


「ええ。勿論です。状態を見ていただいて、問題がないようであれば失礼させていただきますね」


ガレンからの依頼の場合、報酬や諸々の事後処理などには専門の執行官がいる。

現場で作業をする歌乞いや魔術師は、仕事を終えればそのまま帰っても良いのだ。

魔術師や契約の魔物など、なかなかに交渉技術に欠ける存在が多いので、あえてそのような運用にしているそうなのだが、それはネアにとってもとても有難いことだった。


「あっという間なんだね、ネアの魔物は凄いんだな」

「優秀な薬の魔物なのですよ。でも、無事に畑が元通りになって良かったです」

「ラベンダーの乙女達も喜ぶだろう。このまま……」

「まだはっきりと、これで問題がなくなったとは言えません。砂荒らしが落ち着いたと判断出来るまで、留まっていただけますか?」


タリィが言いかけた言葉を遮って、畑を調べていたリシィが立ち上がる。

びっくりしたネアは、ついつい眉を顰めてしまう。


ひらりと風に翻ったリシィのスカートが、まるで楽観していたネアを嘲笑うようだった。

ごくりと息を飲み、ここからなのかと気を引き締める。



「留まるとなると、その判断を出されるまでには、どのような行程が必要とされるのでしょう?」

「そうですね、畑の様子が本当に問題がないのか、まずは畑の持ち主や妖精達に調べて貰います。その後、砂荒らしの報復がないかどうか様子を見ますので、最低でも一週間は」

「…………リシィさんが今見て下さったことで、その判断は下せないのでしょうか?」

「私の調べでも、この畑が見た目は元通りに、そして砂荒らしが今は暴れていないことまではわかります。でも、本当に全てが落ち着いたかどうかは、まだ誰にも断言出来ないことでしょう」


リシィの言い分は、町を守る魔術師としてはもっともなことだ。

しかしネアの方にも、それではと親切に頷けない事情があるのだ。


「リシィさん、私は本日の仕事は、特別な問題が増えない限りは数時間で終わるものだと伺ってここに来ました。確かに、あれだけの異変が落ち着いたかどうかを確認しきるまでは、日常の中で調べてゆくのに時間がかかることもあるでしょう。しかし、こちらに一週間も滞在することは出来ません」

「歌乞い様、我々とてここに生活がかかっているのです。そのようにいい加減なお仕事では困ります。最後まで見届けていただき、もし成されたことに不具合や副作用があるのであれば、それを調整していただきませんと」

「では、契約の魔物様はわたくし達の屋敷に滞在下さいませ。殿方ですもの、やはり立派なお部屋が宜しいでしょう!」


そう重ねてきたのはハリィだ。

ネアはふと、この不思議な圧のどこかに覚えがあるような気がしてぞわりとする。

ぎゅっとディノの手を握ってしまってから、藤の館のある土地に踏み込んだ時と同じような、奇妙な閉塞感があるのだと思い至った。



「………やれやれ、土地の調整の何が問題だというのだろう。畑の中に、砂荒らしはもう一匹も残っていないよ。私のものを不当に拘束したいのであれば、君達はそれによって生ずる不利益も受け入れる覚悟があるのかい?」


静かな声は、魂の端から凍りつくような冷やかなものだった。

その美しさに危ういのも気付けずに覗き込み、そのまま命を落としてしまいそうな鋭さと艶やかさに、ネアですらくらりとする。


「…………ふ、不当な拘束ではありませんわ。私共は、町の住人達のことを思って……」

「この町や、この畑に続く道のあちこちに、魔術の檻や行き来の返しの仕掛けがあった。そのどれもが魔物を捕える為のものだ。君達は、今までにも何度もこの土地に魔物を閉じ込めようとして仕損じているそうだね?」



ふらりと一歩後退してもなお、踏み止まって言葉を発したリシィであったが、ディノのその指摘には真っ青になってしまった。


ネアは、思いがけず表に立ってくれている魔物の頼もしさに、繋いだ手をぎゅっと握った。

やれば出来るではないか。


「今回のことは、原因がまっとうなものだからと、ガレンも要請を受諾したものだ。しかしそれ以前より君達は、何度もガレンに愚かな依頼をかけている。それに、前にこの地を訪れた歌乞いは、契約の魔物を失ってしまったそうだね」


その言葉に、タリィの体がぐらりと揺れた。

しかし、リシィは眼差しを険しくしただけだ。

鋭いけれど魅力的で甘やかな眼差しというものを眼の前で見て、ネアは己の女性としての技量に恥じ入ってしまいたくなるくらいである。



「……………オルヌのことであれば、あれは契約の魔物であった彼が、自ら契約を破棄してこの土地に留まりたいと仰ったのです」

「だが、その魔物はすぐに命を絶ってしまった。君達は知らないようだが、魔物が歌乞いを選ぶのは生涯でただ一度。繋がる歌乞いを損なうとしても、その相手だけをと望むからこそ姿を現すものだ。その恩寵を自分の手で捨てるように仕向けられたとあれば、そうなるだろう」

「…………ま、まるで私達が、その魔物を陥れたかのような言葉ではありませんか」

「違うのかい?私は他の魔物の顛末になど興味はないが、君達が私のものに害を為すのであれば、この町はそろそろ魔術師を代替えしても良いだろう。………どうやら、住人の中にもそれを望んでいる者達も多いようだしね」


はっとしたように視線をこちらに向けたリシィに、ネアはただその瞳を見返した。


エーダリアから渡された封筒に入っていた子供達の手紙は、ガレンの歌乞いに向けた、この町の魔術師の現状を訴えた注意喚起であった。

あの手紙を子供達がどんな思いで書いたのかと思えば、ネアは魔術師というものの悪しき一面を見たのは初めてであったと自覚する。


(勿論、敵の魔術師というような括りであれば理解出来ていたけれど……)


ガレンに属さない土着の魔術師達の中には、こうして持てる力を誤った方向に振るう者も多い。

だからこそ魔術師は歓迎されることもあれば、その魔術に於いて倦厭されることもある存在なのだ。



「あなた方は、この土地をよく守っていらっしゃいます。そのことを理解されているからこそ、皆さんもあなた方を積極的にどうこうして欲しいとは言わないのでしょう。であれば、どうかご自身の趣味は町からの依頼とは関係のないところで行うべきではと思わずにはいられません」


出来るだけ声を穏やかにしてそう頭を下げたネアに、魔物は不満だったのかひょいと持ち上げにかかった。

ガレンから依頼のあった仕事はもう終わったのだ。

砂荒らしが落ち着き、畑が元通りになった以上、ネア達がここに留まる道理はない。


今回、ネア達がこの町に派遣されたのは、ガレンに所属する歌乞いでは、罠を見抜けずに彼女達の策に落ちてしまうかもしれないからであった。

町人達からは、畑に異変が出ているのは事実であり、どうか見捨てないでくれという個別の依頼も届いていた。

それを受けてガレンは、この三人の魔術師達からのものではなく、畑の持ち主であるラベンダー農家からの依頼を受けたのである。


ディノは今回の仕事に対しては何も言わなかったが、やはり不愉快ではあったようだ。

仕事を終えるまでは文句ひとつ言わなかった良い魔物なので、後できちんと褒めてあげよう。




そんなことをネアが考えていたら、正面に立っていたリシィがふわりと微笑んだ。

それはとても穏やかだが仄暗い微笑みであり、ネアは同じ人間でも背筋がぞくりとする。



「残念ですわ、可愛らしい歌乞い様。私は、あなたの魔物が気に入ってしまったのです。ここは花の祝福を受けた土地、そしてオリーブ畑に囲まれ、豊かな雨を蓄えた土壌。ご存知でしょうか?花の祝福を濃く受けた者の誘惑に、魔物とて勝てる殿方は少ないのですよ?」

「リシィお姉様、私もこの方が気に入っているのです!独り占めは許しませんわ!!」

「あら、ハリィ。あなたは、綺麗な方なら誰でもいいのではなくて?」


柔らかだが背筋が寒くなるような声を上げて笑った女達に、ネアは小さな溜息を噛み殺した。

ネアはこの土地の魔術師達が厄介であることも最初からご存知だが、自分の魔物がこのようなところで捕まらないこともご存知なのである。

寧ろ、穏便に済ませられなかったことで疲弊する気持ちの方が強い。


(だから、私としては死者の国のウィリアムさん方式で、そもそも興味を惹かないような姿に擬態して欲しかったのに)


それなのになぜか、出がけにノアと話したディノは、この姿で押し切ってしまったのだ。

いつもの擬態ではネアが危ないからだと聞かなかったのだが、やはりこうなると狙われているのはディノなのだと思う。



(…………今夜はローストビーフだったかな)



どこか遠くに行きたい気持ちになったネアは、素敵な晩餐のメニューについて思いを馳せた。








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