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嵐の妖精と通り雨の魔物




その日、リーエンベルクは朝から嵐だった。


季節性の嵐なのだが、ネアはこの日少しだけ厄介なことになっていた。

朝起きて嵐だと気付き、慌ててお庭の毛皮邸を見に行ったところで、迷子になったのである。

因みに、場所はリーエンベルクの中庭だ。



(…………多分)


多分と付け加えてしまうのは、そこが見知らぬ森としか思えないからだ。

外に出たところで突風が吹き、スカートが翻ってむぎゃっとなりわたわたした直後、霧雨が顔に吹きつけて閉じていた目を開き、ここはどこだろう状態に陥ったのである。



そして、周囲は見渡す限り森だった。



嵐の予感にざわざわと枝葉を揺らす深い森は、狩りの女王であるネアですら背筋がひやりとする、薄暗く寄る辺ない怖い場所だ。

いつもの見慣れた豊かな森ではなく、どこか排他的で薄暗がりで牙を剥くような、そんな印象を抱いてしまうのは、ここが見慣れない森だからだろうか。


風が強くなってゆき、見上げた空には物凄い早さで雲が流れてゆく。

今はまだ大丈夫でも、すぐに酷い雨が降り出すだろう。


(転移門…………は、この場合は使わない方がいいのかしら)


ネアがそう思うのは、転移門は単純な場所移動に使うようにと言い含められているからだ。

圧倒的な事故率を誇るネアに対し、周囲は転移門の運用を厳しく指導している。

もし迷い込んだのが時間の隙間や、あわいのようなところ、或いは影絵などの曖昧な空間だった場合、不用意に転移門を使うと迷子が悪化するだけの可能性がある。

ネア自身にはその判断が出来ない為、自分で状況を判断出来ない時の利用は禁じられていた。

その場合は、最初の場所の近くでじっと助けを待つのだ。


(雪山遭難の極意に似ているような………。でもさすがに、少しだけ移動しないと嵐でもみくちゃにされそうかな)



ばすばすと胸元を叩いてみたが、何の反応もないので小さく溜め息を吐いた。

どうやらここで一人で頑張るしかないらしい。


ネアはぐっと唇を噛んで、すぐさま雨宿りに適した木を求めて走り出した。

こういう時に、途方に暮れて時間を無駄にする可愛らしさは持ち合わせていない。



片手で顔を覆い風に逆らって少しだけ走れば、雨を凌ぐのに良さそうな、何とも見事な枝振りの木を発見する。

これだけ根が張り、みっしりと葉が茂っていれば、嵐が来ても少しは風雨を軽減出来るだろう。



「よし!」

「…………いや、なぜ私を無視した」

「では、もう少しそちらに詰めて下さいね。こういう時は、女性を優先してくれるのが紳士たるもの。むぅ、随分ともさもさしたお洋服ですね」

「………………人間め」

「雨を避けるもの同士、仲良くしましょう。私とて、この場所を死守する為に見知らぬ男性を狩りたくはありません」

「………狩る?お前は、討伐部門の魔術師か何かなのか?」

「魔術師さんではないのですが、狩りは得意です」


雨宿り仲間はそう言い切ればふいっと黙ったので、ネアはその隙にちらりと相手の顔を見た。


(…………妖精さんかしら)


美しい男性だが、どこか陰気だとか、情念的だとか、少し影のある雰囲気が際立ち単純に美しいというよりは、個性的な美貌と言いたくなる。


じわっと滲み出るような青い瞳に、濃紺の髪。

真っ直ぐで鋭利なくらいに感じる髪は、左右非対称の個性的な前下がりのボブカットになっていて、斜めの前髪が何だか格好いい。



「…………なんだ」

「そちらの肩は濡れていませんか?雨が降り始めたので、見ず知らずの方とは言え助け合いましょう。濡れそうなら、もう少し私の側に来ても大丈夫ですよ」


ネアがそう言ったのは、彼がきちんとネアの場所を空けてくれたからだ。

そして男性側の木の幹は少しカーブしているので、肩が濡れないかなと心配したのである。


目を丸くしてから、男性は少しだけ気まずそうに視線を彷徨わせた。


「…………貴女は、お人好しだと言われないか?」


(あらあら、………)


ネアが彼を気遣ったことで、男性の態度は随分と軟化したようだ。

元々は、優しい人なのかもしれない。


「残念ながら、清く強欲に生きているからか、そう言われたことはないのです。その代わり、様々な生き物達を震撼させながら楽しく生きております」

「…………震撼、か。相手を痛めつけるのか?」

「昨晩は、ボール遊びをして欲しい狐さんが何度もボールを持って来ましたが、十回目で心が折れてしまい、やる事があるふりをして立ち去ってやりました」

「………それは、……震撼させたのか?」

「ええ。悲しみのあまりけばけばになって震えてしまいましたから」

「そうか」


生真面目に頷き、男性は森の奥の方を見た。

そちらに何かあるのかなと思ってネアも睨んでみたが、ただ、風に揺れる木々や吹き飛ばされるようにして飛んでゆく鳥達が見えるくらいだ。


(この人に、ここはどこなのか聞くべきだろうか)


しかしそれは、ネアが迷子だと知られてしまうことだ。

やはり不用意にその事情を明かすのは不用心なのだろうか。

第一印象で信用出来る者もいるが、隣の男性はいささか気配が読み難い。

いいものなのか、悪しきものなのか、判断がつけ難い人物なのだ。

ネアが少し迷っている内に、嵐はいよいよ本格化してきて、風雨が酷くなる様相を見せ始めた。


ウォォォンと、風が狼の遠吠えのような音を立てて森を駆け抜けてゆく。

ぐわんと木々がうねり、ざあっと葉っぱが千切れ飛ぶ。


小さな生き物達の悲鳴が遠く聞こえ、ネアはいよいよ嵐が本番になりかけていることを肌で感じていた。

そちらを見てから溜め息を吐くと、男性は羽織っていたコートをばさりと脱いだ。


「まぁ…………」


ネアが思わず感嘆の声を上げたのは、何とも美しい漆黒の妖精の羽に目を奪われたからだ。

こんな羽を持つ妖精を見たのは初めてなので、何だか嬉しくなってしまう。


「………私は、仕事だ。貴方は嵐が収まってから森を出るといい。この木は古い祝福と魔術を持つ菩提樹だから、雷や災いも近付かないだろう」


こちらを見てそう言うと、男性はまたふいっと視線を森の奥に戻してしまう。

整った横顔は思っていたより睫毛が長く、澄んだ瞳が印象的だった。


「教えて下さって有難うございます。そうしますね」


ぺこりと頭を下げてから微笑んだネアに、その黒い羽の妖精は少しだけ困ったような顔をしてから、小さく頷いた。


鴉羽根のような漆黒の羽をゆらりと広げ、さっと激しさを増してゆく雨の中に飛び立ってゆく。

その後ろ姿を見送ってから、ネアはふうっと息を吐いた。

ここがどこかは聞けなかったが、せめて危害を加えるような生き物ではなかったことを安堵しよう。


「そして、良いものを見ました。癖のある容姿でしたが、綺麗な妖精さんでしたね」


あの妖精がここを選んでいたのもわかるくらい、この木の下には隣の木や、斜め前の茂みが上手く盾となり、風雨が吹き込んでこない。

何ともいい場所を見付けたと思っていたら、遠くの方に稲光が見えた。


少し遅れて、どぉんと音が聞こえる。


(雷の魔物さんは、獣耳に尻尾…………)


そう考えるとそわそわしたが、ネアは万が一の事故を考えてぐっと堪えた。

首飾りの金庫からカードを取り出し、今の内にとさらさらとメッセージを書き込む。

しかしながら残念なことに、ネアには現在地が説明出来ないどころか、どうしてこうなったのかもわからないのだ。


エーダリアの物とアルテアの物に現状報告をし、ふすんと鼻を鳴らすとびしゃびしゃしてきた足元を見下ろす。

履こうと思って出しておいたせいで、贈り物で貰った素敵なレインコートも長靴も、リーエンベルクに置いてきてしまったのだ。

悔しい思いでいっぱいだが、ここでそのことばかり考えていても仕方がない。



しばらく返事を待ってみたが、さすがにこんな早朝からネアが迷子になっているとは誰も思わないのだろう。

どちらもカードを見ていないに違いなく、ネアはカードに通知機能が欲しいと切に願った。

しかし、このカードの特殊な仕組み上、そのような機能をつける余地はないのだそうだ。

知り合いとのみ言葉を繋ぐことが出来る、縁や運命のようなものの系譜魔術を利用した、言わば性能の偏った特殊機材なのである。



「………あ」


そこでネアは、とても大事なことに気付いた。


かくりと項垂れて自分の不甲斐なさを反省し、今度は金庫から魔術通信の端末を引っ張り出す。

ここは死者の国ではないし、通信を知られてはまずい相手もいない。

普通に、魔術通信をかければよかったのだ。



この魔術通信は、他の端末に内蔵された術式陣と繋ぐ道具なので、登録された幾つかの端末に繋げる便利魔術道具だ。

とは言え、こちらの通信端末は無限に宛先を繋げる訳ではないので、小さな端末の中に記憶させただけの相手としかやり取りが出来ない。

質のいい端末程、多くの登録を増やせるという仕組みである。

そしてネアがエーダリアから送られたピンブローチ式の端末は、その質のいい通信端末なのだ。


(……ノアとヒルドさんは出張のお仕事でいないし、エーダリア様だけだと外には出したくないかな。ゼノとグラストさんがエーダリア様の警護にあたっているから、あんまり煩わせたくもないし。そうなると、リーエンベルクの外の人がいいのかしら)



少し考えてからネアは、とある人の端末を繋いでみた。

もう一人とだいぶ迷ったのだが、そちらには現在、腹を立てていたことを思い出したのだ。

抱き枕の刑にするまでは許してなどやるものか。



「…………ネア?どうした、何かあったか?」


そしてかけた通信は、今回はすんなりと繋がった。

忙しい相手なので、繋がってくれてネアは少しほっとする。


「ウィリアムさん、お庭を歩いていたらどこだかわからない場所にいました。知らない森にいて、迷子になってしまったのです……。もし、お時間が空いていたら助言をいただけると嬉しいでふ」


言葉尻がくしゅんとなったのは、鼻がむずむずしたからで決して泣いている訳ではない。

しかしウィリアムは少し焦ったように、すぐに探すから待ってくれと言われた。

ネアは、ウィリアムの言葉のままに見える範囲の特徴を伝えるが、だが森ともなると特徴という特徴もない。


「それと、雷がぴかぴかしてます。ごめんなさい、先程の方に場所を聞けばよかったのですが」

「いや、不用意に寄る辺ない者だと知られないようにしたのは正解だ。隙があるならと悪さをする生き物も多いからな。雷の系譜と、通信の魔術の糸から辿るから、そのまま少しだけ待っていてくれ」

「はい。ご迷惑をおかけしてすみません」

「ネア、こう言う時は、心配をかけてと言った方が正しい。迷惑だとは思わないからな」

「ふぁい」


優しい言葉にふにゅんとなって目をこしこしすると、ネアはまた近くに落ちたらしい雷の軌跡を辿った。

ぱっと赤い光が見えたのは、一瞬だけ落雷した枝が燃え上がったからだろうか。


しかしその煌めきもまた、うねり吹き荒ぶ風雨に掻き消されてゆく。




「あ、……………」


その時だった。



どぉんと雷の音が聞こえたその直後、見事な羽を広げた妖精が見えた気がした。

他の誰かと一緒のようで、何やら揉め事の気配もする。

一瞬、稲光で明るくなったから見えただけなので断言は出来ないが、誰かと交戦中にも見えたのだ。


ただの嵐と、そこに諍いがあるのとでは心構えが違ってくる。

もしかしたら、嵐の系譜のものはそういうお作法があるのかもしれないが、ネアは少しだけ不安になって周囲を見回した。

すると、いつの間にかすぐ頭の上の枝に避難してきていたらしいムグリスに似ているが嘴のある謎生物達が、そちらを見て震え上がっている姿を目撃してしまう。

その嘴毛皮達の表情と雷が何度も落ちている方向を見比べ、ネアはやはり問題が起きているようだぞと眉を顰めた。

このままこちらに何も被害なく済めばいいのだが、なにぶん距離が近い。



困ったなと思ってそちらを見ていたら、やはり困ったことになってしまった。



ずばんと音がして、足元に転がってきたものにネアは瞠目する。

よく物語などではある展開だが、まさか自分がそんな目に遭うとは思ってもいなかったのだ。

しかし、見知らぬ世界に落とされた段階でもう、物語的展開はあるものだと諦めるべきだったのだろう。



「ほわふ…………。その、ご無事でしょうか?」


スカートを折り上げてしゃがむと、足元に転がってきた妖精の肩を揺さぶってみた。

小さく呻き声を上げてはいるものの、目を覚ます様子はない。

首飾りの金庫から、さっと傷薬を取り出したものの、ネアは少しだけ躊躇した。

状況がまったくわからないので、誰が善人で誰が悪人だとか、そのような判断さえつけられないのだ。

ここで本当に、この妖精の傷を癒してしまっても良いのだろうか。


しかし、迷っている時間すらあまりなかったようで、妖精を投げ飛ばした当人がすぐにやって来てしまう。



「ん?………人間か、こんなところに」


森の奥からゆっくり歩み寄って来たのは、漆黒の神父服の男性だった。

白みがかった青い髪は短く、雨の日に曇った窓硝子のよう。

冷やかな印象の銀縁の眼鏡に、鋭利な灰混じりの青い瞳は鋼のような印象だ。

ネアは、この男性を前にも一度見たことがあった。


(…………アルテアさんの方を呼ばなくて良かった)


しみじみ安堵し、きりりとしてその魔物に向かい合う。

まず間違いなく、目の前の男性は通り雨の魔物だろう。

ネアの前情報だと、悲観的で攻撃的な魔物で、ディノでも嫌がるくらいの相手なのだ。

それがわかった途端、ネアは手に持ってたままでいた傷薬を、足元に転がっている妖精にじゃばじゃばかけた。


(どちらがどうであれ、一人で対応したくない!)


「回復の魔術薬か。貴様、魔術師だな?」

「い、いえ。通りすがりの一般人ですが、自己保身でついうっかり。その、喧嘩をなさるなら、どうぞ離れたところでお願いします」

「成程、ザシャは人間まで取り込んだか………。相変わらず、妖精は狡猾なものだ」


最初の一言は問いかけ風にしたくせに、ネアの言葉は聞こえなかったかのように、通り雨の魔物は不愉快そうな声で低く吐き捨てる。

ぎりぎりと眉を顰めてから、ネアはふと、そもそも高位の魔物とはこういうものなのだろうかと思い直す。


(よく話を聞いてくれたり、きちんと向かい合ってくれる人達が多かったのは、単に幸運なだけだったのかもしれない)


ネアの周囲にいる人外者達の言動に慣れてしまえば感覚も麻痺してしまいそうだが、本来高位の魔物というものは、畏怖され信仰の対象ともされるような存在である。

一介の人間風情の言葉を聞き流そうが、疑いが理不尽なものであろうが仕方がないのかもしれない。

今日は比較的心が穏やかなネアは、そう考えた途端にすとんと不快指数が下がってしまった。


「ふむ。世間知らずで頭の固いご老体だと思えば、優しい気持ちになれなくもありません」


ネアはそう呟くと、正面で冷やかにこちらを見ていた魔物に穏やかに微笑みかけた。

目の前のちっぽけな人間が、突然悟りを開いてしまったので、通り雨の魔物は怪訝そうな顔をしている。


「…………なぜ、人間は嵐の妖精に肩入れをする?」


またこの人間なぞに話しかけてみようと思ったのは、得体の知れない奴だと警戒したからかもしれなかった。


「む。この方は、嵐の妖精さんなのですね」

「そんなことも知らずに、その男を庇ったのか?」

「この方はただ目の前に転がり落ちてきた妖精さんです。その正面からあなたが歩いてこられたので、矮小な人間はこの妖精さんを自分の盾にするべく、復活させようとしたまでなのです」

「……………盾に?」

「ええ。人外者の方同士の怖い喧嘩には巻き込まれたくありません。この方が目を覚ませば、私は、ここからそろりと立ち去れる筈だと考えました」

「俺が、打倒した妖精に手を貸した人間を立ち去らせると思っているのだとしたら、お前は随分と魔物というものを知らない愚かな人間であるらしい」


ネアは、正面の魔物を見据えて小さな溜息を吐いた。

しかしご老体だと思って、心の大きな人間になろう。


「仰る通り、人間は魔物さんよりはるかに若く、脆弱です。その代りにたいそう狡猾で邪悪なので、苛められたら偉い人に告げ口をしたりするのです。嫌なやつなので、関わらない方が賢明だと思います」


ネアの言葉の途中で通り雨の魔物の視線が揺れたのは、ネアの足元に倒れていた妖精が体を起こしたからだ。


「…………貴方が?」

「ええ。巻き込まれたくなかったので、起きていただこうと思ってしまいました」

「そうか。礼を言う」


ネアを見上げた妖精はまた生真面目に頷き、視線を正面に戻したようだ。

見事な漆黒の羽が広がっているので、立ち上がってくれると通り雨の魔物の視界から少し隠されるのでほっとした。


「貴方はここから離れた方がいい。巻き込んですまなかった」

「ザシャ、その人間はお前の庇護を受けているのではないか?俺が、みすみす逃がすとでも?」

「彼女は関係ない。………ラジエルは、関係のない者達をいたずらに殺し過ぎる」

「それが俺の資質、魔物というものだ」


小さく苦しげな息を吐いた妖精の背中が揺れたので、ネアは彼が振り返らなくてもいいように簡潔に言葉を添えた。

足手纏いになってしまいたくないと思わせてくれるくらいには、この妖精は良い妖精に思えたのだ。



「お迎えが来ますので、私のことは放っておいて大丈夫ですよ」


正面の魔物が、その言葉に眉を上げた。

近くにいるザシャと呼ばれる妖精と同じように、見る者によって評価が分れそうな美貌だ。

そう思ってふむふむと眺めていたら、通り雨の魔物がふいに表情を歪めた。


隣に気配を感じて、ネアはぱっと笑顔になる。


「ウィリアムさん!」

「すまない、遅くなったな」


ふわりと横に立ったのは、ウィリアムだ。

探し出して駆けつけてくれたようで、彼らしい白い軍装が嵐の暗さによく映える。

白銀の瞳が淡く煌めき、終焉の魔物は正面に立った通り雨の魔物に視線を移す。


「ラジエルに何かされたのか?」

「いえ、このお二人の喧嘩に遭遇しただけです。なお、こちらの妖精さんは私が巻き込まれないように気を使って下さり、あちらの魔物さんは、諸共滅ぼすという感じでした」

「成程。……………ラジエル」


ウィリアムに名前を呼ばれた通り雨の魔物は、ぴっとなってから素早く胸に手を当てて一礼した。

魔物らしく優雅な臣下の礼に、ネアは絵になる魔物だなと少しだけ感心してしまう。

神父服という独特の装いなので、どこか物語的な姿になるのだ。


「申し訳ありません、終焉の君のご関係だとは思わず」

「君がこの子に何かをする前で良かった」

「ですが終焉の君。そこのザシャは嵐そのものだというのに、この先にある集落は先にも鉄砲水があったばかりだから雨足を弱めるようにと、愚かな指摘をしたものですから」

「………ん?もしかして俺は、こちら側についたと思われたのか?」

「終焉を司るあなたが、そのような軟弱な妖精の肩を持つことなどあるまいと思っておりました。しかし、ご覧の有様です。やはり、世の中とはままならぬものだ」

「相変わらず、人の話を聞かないな………」


溜め息を吐いたウィリアムは、片手でネアをひょいっと抱き寄せると、安全圏に入れてくれた。

いつもはここまで過保護ではないので、通り雨の魔物が人の話を聞かないからかもしれない。

思いがけず二人が争っていた理由も知ってしまったネアは、やはり妖精の方が好感が持てると判断をつける。


この後は大丈夫だろうかと心配したネアだったが、通り雨の魔物は愚痴っぽいだけで、ウィリアムに逆らうつもりはなかったようだ。


「まったく、理不尽なことばかりだ。誰も俺の言い分など聞こうともしない。滅びてしまえばいいのだ……」


ぶつぶつと呟きながら霧のように消えてゆき、そのままいなくなってしまった。


「……………いなくなってしまいました」

「こういう場合、どこかで激しい通り雨を降らせるんだ」

「八つ当たり的な………」

「司るものの気質なのかもしれないが、ラジエルは物事の悪い面ばかり汲み上げる。攻撃的で融通が利かない。だが、自分より目上の者には従うから、安心していい。唯一の例外はアルテアだけだな」

「寧ろ、アルテアさんはあの方に何をしたのでしょうか?」

「あの性格だろう?それを面白がったアルテアが、散々遊んだ結果なんだ。溜め込む性格だから、あまり遊び道具にするなとあれ程言ったんだけどな……」

「とてもよく想像出来る感じでした………」


大きな手がふわりとネアの頭を撫でる。

文字通りなでなでする感じのディノに、少しくしゃりと髪の毛をかき混ぜる仕様のアルテアとは違い、ウィリアムやヒルドはどこか控えめにふわりと頭に手を乗せる。

そして、さらりと撫でてゆくのだ。


「今回のことは、嵐の目からその反対側に繋がってしまったみたいだな」

「む!それで私は、見知らぬ森にいるのですね?」

「ちょうど、嵐の中心の真下にいたんだろう。道が繋がりやすいところで、何か縁になるものを持っていたか、雨周りの系譜と接点があったんだろうな」

「………雨周りでしょうか。むむ…………」

「ネアの場合は、狩りもするからな」

「そう言われてしまうと、返す言葉もありません」


そこで、ウィリアムは少しだけ目を細めた。

どこか緊張感を孕んだ眼差しに、ネアは目を瞠ってその瞳を見返す。


「それと、シルハーンはどうしたんだ?助けを呼ばなかったのか?」


(ああ、……………確かにそう思ってしまうかも)


そこでネアは、襟元に突っ込んであったものを取り出して見せることにした。


「ディノは、ここで熟睡しているのです」

「………………シルハーン」


それこそが、本日のネアがそこまで悲観的にならなかった理由で、尚且つ、胸元にむくむく毛皮が詰まって幸せな肌触りなので心が広くなっていた理由だった。


「実は今朝、私が、ヒルドさんの真似をして香油を垂らしたお湯で指先を温めていたところ、ディノは、そのタライの中でムグリスになれば泳げるだろうかという疑問が爆発したらしく、ムグリスディノになって飛び込んでしまいました」

「シルハーン…………」


ウィリアムは、片手で目元を覆ってしまった。

さすがに今回は少し悲しくなったのだろう。


「その結果、体がぽかぽかになり、熟睡してしまったのです。この騒ぎの中でもすやすやと眠っていて、つついても叩いても、ぴくぴくするばかりで起きません」

「そうか。庭に出たときも、きちんとシルハーンは連れていったんだな」

「はい。何かあるといけないので、連れてゆきました。………起きてくれませんでしたけど、心細くはなかったのです」

「ネア、ひとまずシルハーンを起こそうか」

「む。………とても無邪気に寝ているので、あまり手酷くは起こせなかったのですが……」


そこでウィリアムは、魔術のようなものでムグリスディノを素敵に冷やしてくれたらしい。

ぴゃっとなって目を覚ましたムグリスディノは、不思議そうに周囲を見回している。


「シルハーン。あなたが寝ている間に、ネアは色々と冒険をしたようですよ」

「キュ?!」

「ディノは、ずっとくぴくぴ言いながら寝ていました。愛くるしかったですが、ウィリアムさんが頼もしかったのです」


そう言われてしまったムグリスディノはすぐさま元の姿に戻り、ご主人様をぎゅうぎゅう抱き締めた。

たいそう慄いているが、毛皮の時の失敗なのでネアは寛容になるシステムである。


「それと、………先程から妖精さんがぴくりともしません」


魔物のごめんなさいの儀式が一通り終わると、ネアは、いい加減気になっていたことを口に出した。

ザシャと呼ばれた黒い羽の妖精は、ウィリアムが現れてから固まったままなのだ。


「ああ、…………系譜の相性が悪かったんだな」

「おや、嵐の妖精だね。この階位の者には、擬態もしていないウィリアムは辛いだろう」

「まぁ…………。恐怖で硬直してしまったのですね」


とても不憫になったので、ネアは早々にリーエンベルクに帰ることにした。

ウィリアムに笑顔でお礼を言えば、優しく微笑んでまた頭を撫でてくれる。

ディノが少しだけ荒ぶったが、いつも程の勢いがないのは寝ていたからだ。



かくして、ネアの短い冒険は幕を閉じた。

嵐の中心の真下に立ってはいけないという教訓を得たが、こちらの世界の嵐の目は、時間ごとに移動するシステムで真ん中にあるものでもないのでもう運に頼るしかないという気がする。


ウィリアムが少し離れたお蔭で、何とか動き出せた嵐の妖精は、大きな木の影に隠れてこちらを見ている。

彼はシーではなく、騎士階級の妖精のようで、いきなり最高位に近い魔物が隣に来たのは怖かったようだ。

そんな嵐の妖精に手を振り、ネアは魔物の踏む転移に身を任せた。



戻ってきたリーエンベルクも嵐の真っただ中だったが、ウィリアムも一緒に朝食を食べることになったので、少しだけ賑やかな朝になりそうだ。



(でも、…………何だったのかしら?)



一つだけ、小さな疑問が残った。



ウィリアムから、ディノのことで少し話があると言われたのだが、朝食後にウィリアムは知り合いの魔物に呼び出されたとかでリーエンベルクを発ってしまった。



ウィリアムが話そうとしたことは何なのだろう。

その答えを知って、ネアの息が止まりそうになるのは数日後のことだった。













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