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お土産とお土産



ふわりと風が通り抜け、重たいカーテンを揺らす。

窓の向こうに広がるのは、燦然たる夏の陽射しに煌めく王都の街並みだ。

更にその向こうに広がる青い海に、翼を広げて飛んで行く海鳥を思う。



(自由………か、)



その光景をちらりと横目で眺め、ヴェンツェルは真紅の絨毯の上を憂鬱な思いで歩いていた。

お気に入りの弟に管理している離島を貸し出していたので顔を出してみようと思っていたのだが、今日に限って断れない相手から呼び出しを受けてしまった。


(珍しく時間が空いたと知って早々に呼び出すのだから、あの方の情報網も侮れないものだな……)



ヴェンツェルがこの世で最も苦手な相手、自身の母親の元に呼び出されていたのだ。



白と金、そして真紅に彩られたのが、ヴェルクレア王妃の専用棟である。

ヴェンツェルの生母は決して赤が好きな訳ではない。

ただ、その色彩がヴェルクレア正妃に相応しいと信じるからこそ赤という色を好んでおり、ヴェンツェルは、母親は寧ろ赤色など嫌いなのではないかと常々思っていた。



溜め息にならないように、唇の端から薄く息を吐く。

胸が重苦しくなり、身体中の血の巡りが悪くなるような気がした。



今頃、弟達はあの島で羽目を外しているのだろうか。


見上げた天井は王宮らしく高いが、今のヴェンツェルにはあまりにも低く思える。

抜けるような青空と、どこまでも広がる海を見れたなら、少しは体が軽くなるのだろうか。

この、目の前の扉を開けずに済んだならば。



(馬鹿馬鹿しい………)


薄く苦笑してから、口を開いた。


「母上、宜しいでしょうか」


そして、息の詰まるような時間が始まった。





コツコツと床に靴音が響く。

結局、解放されたのは三時間も経ってからのことだった。

ここまで疲弊する会談は、他国の使節とでもそうそうあるものではない。


正妃の専用棟から戻るヴェンツェルがすれ違うと、使用人達は壁際に並び頭を下げ、妖精達や精霊達はまた種族特有の臣下の礼を取る。


壮麗だががらんとした回廊を抜ければ、歩く速度に応じて飜るケープの音だけがやけに大きく響いた。

この区画は、正妃の棟からヴェンツェルの棟へと繋がる、王宮でも選ばれた者にしか立ち入れないところだ。

血を分けた弟達でさえ、この回廊を歩いたことはないだろう。

唯一気を許しているエーダリアでさえ、お互いの懇意を他の派閥に悟られぬようにと、ヴェンツェルの部屋を訪れたことはない。

他の弟達に至っては、ヴェンツェル自身、この棟に招き入れるつもりもなかった。



(そんなものを、家族とは言わないのだろうな……)



虚しい思いで背筋を伸ばしても、泰然とした表情を崩しはしない。

窓辺に生けられた深紅の花を一瞥して、先程母親から言われたことを思い返す。



「そうそう、いいお土産があるのよ」


昨晩の舞踏会のことを延々と聞かされてうんざりとしていたところで、執務があるからと席を立とうとしたヴェンツェルに、母親はそう微笑んだ。


「………何でしょうか、母上」

「あのガーウィンの領主の弱味を一つ握ったわ。上手く手駒になさいな」

「それは、……願ってもいない土産ですね」

「お前なら喜ぶと思いましたよ」


(これが、今日呼び出された理由か……)



本当にこんなことを喜ぶと思われたのだろうか。


だとすれば彼女の見ている息子とは、いや、もしかしたら息子ですらなく第一王子という扱いなのかもしれないが、一体どんな人間なのだろう。


政治的な情報ばかりを尊び、例えば最近の体調はどうだとか、今何を感じているのかとか、そういう興味など持たないと思われているのかもしれない。


残虐で狡猾な精霊達の気配の濃密な豪奢な部屋で、たった一人の誰よりも自分に近しくあっても良かった筈の人の微笑みは、どこまでも利己的で冷たい。


彼女にとってヴェンツェルは、よく出来た作品のようなものなのかも知れない。

しかし、それならばそれで、下手に執着されるよりも楽だと感じてしまう自分もまた、利己的な人間なのだろう。

あの母親の血を引いているのだなと感じ、冷めた笑いが胸の底に焦げ付く。


そう笑えてしまう自分が、妙に惨めに感じた。




部屋に帰ると、頼んだ用から戻ってきたドリーが部屋の椅子で居眠りをしていた。

部屋の中が小綺麗になっているので眉を顰めて見回せば、散らかしてあった書き物机や、書棚のあたりが綺麗に整理されている。



(戻ってから、掃除をしていたのだな)


ヴェンツェルは訳あって、使用人達をあまり部屋に入れてはいない。


幼い頃に懇意にしていた女中が自分の暗殺を企てたことがあり、それが、ヴェンツェルと親しくしたが故の悲劇だったことを知っているからだ。


その女中は、取り立てて大きな後ろ盾のない、辺境貴族の娘だった。

しかし、手際の良い仕事ぶりと誰にでも丁寧で穏やかな物言いが好まれ、ヴェンツェルの部屋付きにまで昇進したのである。

その結果、反対勢力に弱みを握られ、彼女は仕方なく第一王子の暗殺を企てた。

幼い娘を人質に取られ、その身に第一王子の心臓の血でしか解けない呪いをかけられてしまったのだ。


勿論のこと暗殺は阻止され、彼女は死罪になった。

呪いをかけられた娘も、兵士達が駆けつけた時にはもう呪いの効果が浸透しきって悶死しており、それは目を覆うような凄惨な現場だったと聞いている。



その日以来、ヴェンツェルは特定の使用人を贔屓にしないように気を配っていた。


だが、部屋付きともなればやはり信用の置ける者が良いし、ある程度の交流が生じてしまう。

そこで頭を抱えていたところ、掃除や片付けを得意とする、ドリーや、代理妖精達が引き受けてくれたのだ。

城内の女中頭とも上手く連携し、いつも過ごしやすいように部屋は片付いている。


それでも城内には勿論第一王子派の使用人達という者も多いが、彼らは過去の事件を生かして誰かが突出して第一王子と懇意にすることがないよう、お互いに気にかけてくれていた。


そのような配慮があるとなるとつまり、ヴェンツェルにとって日常的に交流があるのは、降りかかる火の粉を払えるような知人達と、この契約の人外者達くらいのものなのだ。



「どうした?また嫌なことがあったのか?」


そう声をかけられて視線を戻せば、ドリーが目を覚ましたようだ。

深い金色の瞳をこちらに向けて、気恥ずかしくなるくらいに心配そうにしている。


ゆっくりと立ち上がると隣までやって来て、ヴェンツェルを見下ろした。

その瞳に映っている感情に初めて出会ったのは、この竜に出会った日だったと、ヴェンツェルはぼんやりと思い出す。


契約を交わした子供が、人生で一度も温かな食事を摂ったことがないのだと知って、ドリーは今と同じような目をしてスープを作ってくれた。

竜が己の宝を傷付けることなどあり得ないからこそ、初めて毒味をせずに食べた冷めていない料理に、幼いヴェンツェルは感動したものだ。


誰かに頭を撫でられたのは、自分の記憶の上だけではなく、恐らくあの日が本当に初めてだったのだと思う。

そうされて初めて、庇護者から向けられる愛情や労りの眼差しというものに触れたのだ。



「………もう子供ではないのだぞ」

「だが、疲れているだろう。何か飲み物を淹れるか?」

「………珈琲を」

「ああ。砂糖は多めだな。それと、土産を買ってきた」

「まさか、……」

「これだ。可愛いだろう」

「…………ドリー」



ヴェンツェルは絶句した。

契約の竜が差し出したのは、火竜の人形がついた小さなペーパーナイフだった。

見事な細工物だし、歯の部分は竜鉱石なのだろうが、よりにもよって子供用の装飾に等しい。


「火の加護をかけておいた。ヴェンツェルに害をなすものであれば、一撃で炭になるぞ」

「…………ペーパーナイフだろう」

「ああ。だが、強靭な刃がついているから、立派な武器になる。エルゼも、この作りならヴェンツェルが持っていても不思議ではないし、誰も武器だとは思わないだろうと同意してくれた」

「………そうだな、誰も武器だとは思うまい」

「この前エーダリアから貰った薬入れの裏側に、鞘代わりになるような差込口を作ろう。それで胸ポケットに入れておけばいいと思う」

「そうなると、私は常に胸ポケットから、火竜の人形を覗かせてなければならないのか」

「火竜の加護を受けてるとよく分かるからいいと思うぞ」

「………ドリー、私がこの王宮でどう言われているのか知っているか?」



低い声でそう言えば、ふわりと微笑んだ火竜はおもむろにヴェンツェルの頭を撫でた。


(これは、譲る気がないときにする仕草だ……)


穏やかで調律の取れた男に思えるが、ドリーは火竜らしい我儘な部分もしっかりと持っている。



「どう言われようと関係ない。俺がヴェンツェルを大事にしているのは、その通りなのだから」

「…………恥ずかしい奴だな」


そう文句を言いながらも、胸の中の重苦しさが消えていることに気付いた。


(…………そうなのだ)


この竜はいつも、契約の子供のことばかり考えている。

仕事で外に出ても必ず何かを買ってくるし、振る舞いが癇に障って避けてしまえば、如実に体調を崩して弱ってしまったりする。

人間ではない者らしくその極端な性質故に、ドリーは決してヴェンツェルを裏切らない。

自分が望めば、ドリーはどんなものでも敵に回すだろう。



それはまるで、親が子供にそうするように。




「また母親に呼ばれたのか」

「………肉親は弟一人で充分だ」

「はは、エーダリアは大事にされているな」

「それなのに、最近は時々あれが妬ましくなる。ウィームは自由で………いや、つまらないことだな」

「誰かを羨むのもまっとうなことだ。俺も、封印されていた頃は、宝を持った竜や、守るべき者を持った者達が羨ましくてならなかった」

「だが、私とエーダリアでは立場が違うのだ」

「そうだな。だから俺は、ウィームが力を持ち自由でいることを喜んでいる。かつて、ヴェンツェルが情をかけ自由になるのに手を貸した者達だ。彼等はそのことを決して忘れてはいない。いつか、ヴェンツェルが困難に見舞われた時には、きっと心強い助けになるだろう」


顎に手を当てて、ドリーはそう言うと微笑んだ。

彼にとって重要なのは、ヴェンツェルのたわいも無い弱音などではなく、もっと踏み込んだ命を脅かす危機についてだ。

先日の光竜と火竜の件で、ヴェンツェルがあえて身を危険に晒したことをまだ怒っているのだ。



「………アルテアを殴ったそうだな」

「ああ。一度は許してやるが、二度目は腕を捥ぐと言われた」

「もう殴るなよ。統括の魔物との縁は重要なものだ」

「ヴェンツェルは、そう言いながら憧れの白持ちの魔物との交流を楽しんでいるのだろう」

「その図体で拗ねるな……。それと、エドラはどうした?」

「エドラなら、ヒルドから品物を受け取りに出ている。エーダリアからの土産だそうだ」

「土産………?あの島にいただけなのだろう?」

「ネアが浜辺で色々と発掘したらしい」

「…………あの歌乞いは相変わらずだな」



ヴェンツェルとて、自身の所有の島なのだから何度も滞在しているが、特別変わったものを手にするようなことはなかった。

しかし、ヒルド経由でこちらに持ち込まれるくらいなのだから、余程のものなのだろう。


どんな土産物なのか想像もつかず、ドリーとあれこれ推理を話し合ってみたが、お互いにネアならとんでもないものを見付けたのだろうということで、意見が一致しただけだった。



暫くして、エドラが戻って来た。

ヴェンツェルの代理妖精の中で唯一の女性の妖精だ。

誰よりも忠実な妖精だが、ドリーが一緒にいると妙に年長者ぶってしまうという悪癖がある。

我に返るとエドラ自身も恥じ入るのだが、そういう言動が出てくるということは、本心ではヴェンツェルのことを庇護するべき年少者だと考えているのだろう。



「ヴェンツェル様、ヒルド様から……ヒルドから、こちらを預かりました」


緑色の艶やかな髪を揺らして、笑顔で戻ってきた代理妖精は、自身の言い間違いに苦笑した。

かつて、ヴェンツェルの代理妖精達を指揮していたのはヒルドだ。

そのせいで今でも、代理妖精達は彼に敬称をつけてしまうことが多い。

ヴェンツェルとしてはどちらでもいいのだが、やはり第一王子の代理妖精が、ウィーム領主の代理妖精をそのように呼ぶのは宜しくないということになったのだった。



「ヴェンツェル様の大好きな、エーダリア様からのお手紙もありますよ」

「エドラ………」

「そしてこちらが、ネア様が収穫されたものだそうです。また恐ろしいものばかり拾われたようで」


差し出されたのは、なんと小さなバケツだった。

ハンカチをかけてはあるが、どう見てもただのバケツだ。



「………っ、」


片手で口元を覆ったヴェンツェルに、ドリーがこちらを覗き込む。

エドラと顔を見合わせてから、二人とも口元を緩めて微笑みを深めた。

あまりにも訳知り顔で微笑まれるので、まさかのバケツに入れた土産を寄越した弟に笑ってしまったヴェンツェルは、慌てて咳払いをして、緩んだ口元を引き締め直す。


「笑えばいいのに。嬉しかったんだろう?」

「ヴェンツェル様は素直じゃありませんね」

「ドリー、エドラ………」

「も、申し訳ありません!」

「エドラ、ヴェンツェルがこういう声を出すときは照れている時なんだ。謝らなくていい」

「そうなのですね!」

「ドリー!」



テーブルの上に砂のついたバケツを乗せ、真っ白なハンカチの上に乗せられた水色の封筒を開ける。


そこには弟らしい几帳面な文字で、今日の好意に対する礼と、どのような一日だったのかを上手く書いてあった。

他人行儀過ぎずと言うか、海渡りと海の賢者に出会えたことの興奮を隠しきれていない。

ヴェンツェルも海渡りは見たことがあるが、海の賢者はまだ見たことがなかった。

つくづく、弟の豪運に舌を巻く。


しかしそんなことを考えていられたのも、バケツの中身の解説を、エドラが始めるまでだった。



「まず、こちらが氷河の結晶に、海竜の宝玉だそうです」

「…………海竜の、宝玉だと?」

「ネア様が、浅瀬の砂を足裏で探って見付けたようで、海竜の王族が落としたのだろうとのことでした」

「…………よく手放したな。あの人間は、中々に欲深い部分もあった筈だが」

「最近ネア様は竜を飼いたがっているそうで、魔物達が持ち帰るのを許さなかったとか」

「…………そういうことか」


最初からとんでもない物が出てきたので、ヴェンツェルは、思わずドリーが淹れてくれた珈琲をごくごくと飲んでしまった。

王子としての作法が吹き飛ぶくらいに驚いたのだ。

竜の宝玉はかなり衝撃的だったが、その前の氷河の結晶も海の都であるヴェルリアでは重宝する。

ヴェンツェルも一つ持ってはいるが、今エドラが取り出したものより一回りも小さい。



「それと、海の賢者の落とした宝石に、糸切りのナイフだそうです」

「……………海の賢者が」

「はい。可愛らしい姿の海の賢者に、ネア様がとても喜ばれたそうで、この宝石も魔物達が持ち帰ることを許さなかったとか。なお、これについてはエーダリア様も欲しがったそうですが、海のものをウィームに持ち帰ると劣化しますからね。渋々こちらに譲るという感じなのだそうです」


そう言いながらエドラが取り出したのは、ダイヤモンドのように光る胡桃大の、黄色い宝石だった。

海の賢者の宝石には、海の魔術とその叡智が結晶化されているという。

一年ごとに抱く宝石を作り変えるそうで、切り替えの季節になると、古い宝石を海の底に沈め、その海をより豊かにすると言われていた。


「………ナイフの方はどのようなものなのだ?」

「人魚の貴族が持つ、自身の悪縁を切るナイフだそうですよ。こちらは三本拾ったので一本お裾分けだそうです」

「三本…………」

「相変わらず、ネアの嗅覚は凄いな………」

「ドリー、お前はあの島でそんなものを見付けたことはあるか?」

「いや、そういうもの探しは苦手なんだ。特別な島だったから何かないかと探してみたことはあるが、人魚の骨と島蟹くらいしか見付けられなかった」



テーブルの上には、不思議で稀有なものばかりがきらきらと輝いている。

そのどれも、一つ手に入れただけでも充分に得難いものばかりだ。


そっと手を伸ばして触れた竜の宝玉は、ひんやりと冷たく海の温度を伝えてくれる。

持っていることでもかなりの恩恵を得られるものだが、これを見付けたのだと海竜達に返すだけで、どれだけの海竜からの感謝や祝福を得られるだろう。

竜の宝玉とは、竜の宝を得られなかった竜が稀に生み出す至宝である。

これを落とした竜はさぞかし気落ちしているに違いない。



「ほら、ウィームの自由はヴェンツェルを喜ばせてくれるだろう?」

「………あの歌乞いが規格外なだけかも知れないがな」

「あのウィームの気質があってこそ、ネアは潤沢で頑強なんだ。合わない土地では伸びない花だと、俺は思う」

「そうなのか?」


それは少し意外だったので、ヴェンツェルは目を瞠った。

どこでもそれなりに上手くやっていきそうだが、そうではないのだろうか。


「ネアは竜に似ている。宝を得て羽を伸ばしているのでなければ、あまり積極的に生きようとはしない人間だ」

「生きようとしないという表現だと、おかしなことになるぞ」

「いや、それでいい。死ぬ為だけに歩いてゆく人間もいる。彼女は多分、自身の喪失を救いと見做すような、そういう生き方をしたことのある人間だ」



(それは、お前もそうだったからわかるのか?)



けれどもそれを、ドリーに言うことはなかった。



初めて封印を解いて対面した時、ヴェンツェルはこの伝説の竜の目を見て、何て悲しそうに微笑むのだろうと思ったものだ。


それが今は、こちらがはっとしてしまうくらいに幸せそうに、ヴェンツェルの為に子供染みた土産物を買ってくる。

嬉しそうにこの部屋を掃除し、追い出しても追い出しても、この部屋の長椅子で寝ているのだ。



あの日、初めて飲んだ温かなスープはとても美味しかった。

今はもうドリーの守護が身に馴染み、かつて程の入念な毒味はされなくなったが、それでも時々、出来立ての食事を摂りたい時にはドリーやエルゼが食事を作ってくれる。

残念ながら、唯一女性であるエドラの料理の腕は壊滅的なのだ。


お忍びで街に出掛ければ、ウォルターと小さなリストランテで食事をすることも出来る。

そんな喜びもまた、力のある守護者がいてこその自由だった。




「聞いてくれ!あの弁当屋が見付からないんだ。お前の情報網を使ってどうにか調べられないのか」


そこに、しょうもない悩みを抱えて火薬の魔物が飛び込んでくる。


呪いで鳥の雛にされていた晩にこの部屋に泊めたせいか、イブリースはそれ以降頻繁にこの部屋を訪れるようになった。

丸すぎる鳥姿が愉快だったので近くで観察したかっただけなのだが、すっかり懐いてしまったらしい。



「イブリース、また勝手に入ってきてしまったのか」


腰に手を当ててそう言った火竜に、火薬の魔物は悪戯を咎められた子供のような顔をする。


「ドリー………。いや、扉は開いていたぞ!」

「開いている訳がありませんよ。イブリース様、このお部屋はドリー様の管轄なのですから、お気遣い下さいませ」

「なんだ、エドラか。代理妖精風情が偉そうに…」

「イブリース、エドラは年上だろう?」



ドリーの穏やかな声に窘められ、イブリースは少し項垂れたようだ。

ぼそぼそとエドラに謝っているが、こんな魔物も戦場に出ればこの上なく残忍な魔物である。

エドラもつい最近まではイブリースを恐れていたが、鳥にされたイブリースの面倒を見ているうちに、我儘で短気な弟のように思えてきたと話していた。


イブリースとしては、そのように思われるのが不愉快らしくさかんに突っかかっているが、その結果更に畏怖を失っていることには気付いていない。



「ヴェンツェル様、お夕食ですよ!」


続いて帰ってきたのは、食事を乗せたワゴンを押してきたエルゼだ。


「作ったのか………」

「本日は王妃様に呼ばれていらっしゃったので、お疲れでしょう。夜の執務はドリー様と片付けておきましたので、ゆっくり食事をして下さい」

「あの書類の山を片付けたのか?」

「治水工事の判断を仰ぐものや、諸侯達からの諸決済ですからね。簡単なものです。さ、冷めないうちに」


ワゴンの上の料理をじっと見ていたイブリースに、エドラがつまみ食いをしてはいけないと声をかけて睨まれている。

するかと怒鳴り返しているイブリースだが、視線は肉料理に釘付けだ。



「………やれやれ、私の周りも随分と騒々しくなったものだな」



思わずそう呟いたヴェンツェルに、隣のドリーが微笑んだ気がした。







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