162. 疫病祭りで満腹になります(本編)
その日、ウィームでは、疫病封じの日を祝う少し怖いお祭りが行われた。
髑髏のお面をかぶって行列を組むので見た目は怖いが、美味しい疫病封じのケーキを食べられる日で、珍しく仕事でウィリアムがウィームを訪れる祝祭だ。
実はこの疫病祭り、本来は七月に行われる祭りである。
それがなぜか後ろ倒しになったのには、ネア達にも関わりのあるとある理由があった。
疫病を司る魔物であるローンが、先日まで同僚である海嵐の精霊と体を入れ替えていたことがあった。
そのことで性質の変異があったのか、ローンはその後数日に渡っていつもより元気溌剌だったそうで、疫病の要素が活性化していたのだという。
そうなると、祭りで疫病の系譜の者が乱入する際に、事故が起きやすくなる可能性がある。
疫病の系譜が謎に元気だと知った各方面は、初めての事態に酷く困惑した。
そして、開催組織での話し合いの結果、疫病祭りは八月に延期されてしまったのだ。
お陰でウィリアムは思いがけない休暇が取れたらしく、先日の砂漠遊びが決行された次第である。
とは言え、八月に延期されたことで困惑する者達も多く、担当魔術師は休暇を取り直さなければいけなかったり、ウィームの各商店などは夏季休暇前に大きな祭りがあるので、在庫などの再調整をする羽目になったのだとか。
特に疫病封じのケーキを振る舞う飲食店では、材料の再手配に追われて七月の最終日は半泣きだったそうだ。
そうして今日、ウィームはやっとの疫病封じの祭り当日を迎えた。
街のあちこちにはニワトコの花を添えた黒いリボンが飾られ、その白と黒のコントラストが美しい。
余談だが、ニワトコの花は白持ちの領分なのだが、飲み物やお菓子などによく利用される、一般人でもなじみの深い白の恩恵だ。
ニワトコを司る魔物は荘厳な空気を纏う白髪黒衣の老女で、妖精は白緑の髪を持つたおやかな美女、唯一男性であるニワトコの精霊は淡い黄白の髪の排他的な青年と、その三柱が中心となる。
魔術やまじないとも縁が深いニワトコは、庶民まで扱える高位の白であるものの、取り扱いを間違えるとこの上なく厄介な効果を及ぼすので、人々は身近にあるニワトコを扱うことで、奥深い魔術の織りに触れる機会を得てそれを学んできた。
商用に流通させるべく、自身の権限での白を惜しみなく使わせているアイザックとはまた違う切り口での、使用権限の広い白の一つだ。
「この疫病封じの祭りも、リーエンベルクで主導しない祭りの一つなのですよ」
そう教えてくれるのはヒルドで、疫病封じの祭りは、ウィームの魔術医療協会と封印庫の魔術師が主導するそうだ。
傘祭りのように、その伝承や道具に紐付く権限が他の組織にあるからで、現在の領主はその権限の移管にごねない良い領主だと言われているらしい。
先代の領主は祝祭の収益と政治利用を見込み、大きな祝祭は全て自分で仕切りたがったらしく、各方面からかなり嫌われていたのだそうだ。
「実際に、かつて疫病を封じられた方々がお祭りを主催するのですよね」
「ええ。中には、実際に疫病封じの儀式をした者の子孫もいるそうですよ」
疫病というものの例に漏れず、ウィームでも疫病が猛威を振るったことがある。
その時に活躍したのが、現在の魔術医療協会と、封印庫の封印を司る魔術師達だ。
国家主導の封じ込め作戦ではあったそうだが、当時の功績に報いるべく、今ではこの二組織が主導して疫病封じの祭りが行われる。
「魔術師さんと聞くと同じ組織に属しているのかなと思ってしまいますが、それぞれにお仕事として所属が違うのだなとあらためて感じました」
「ええ。特に医療の分野では、その系譜の魔術を持つ者達で独自に作業形式を作り上げていますからね」
「お面に種類があるのも、医療協会と封印庫で込められた祝福が違うのでしょうか?」
「黒い髑髏面の医療協会のものは、治癒に重きを置いています。封印庫では、病を跳ね返すことが主体ですので、二種類買う者が多いようですね」
「ネアは治癒のものだけでいいのかい?」
「むぅ。封印庫で売り出しているお面は、作り込みが凄すぎて怖いのです……」
人々は、特製の疫病避けの髑髏のお面を買い、当時の出来事を模したパレードを見に行くので、ネアも勿論、買って来た髑髏のお面を頭につけていた。
色々突っ込みどころはあるが、銀狐は犬用のお面を被ってエーダリアの肩に乗っている。
特にそういうものを必要としない、ディノとゼノーシュはお面なしだ。
「ネア、あっちから山車が来るんだよ。近付くと危ないからね」
「ゼノの助言を守って、あまり近付かないようにしますね!」
祭りの目玉となる山車や儀式行列は、主催である二組織の職員達が担当し、髑髏のお面の販売もその両組織で行う。
この祭りの収益は二つの組織の維持に生かされるので、寄付の意味も込めて沢山買う人々も多い。
観光客にも人気があるのは、仮面に込められた祝福がちょっとした術符並みだからである。
しかし、ただそれだけで終わらないのがこの世界のお祭りだった。
街中を練り歩く山車には毎年、疫病の系譜の魔物や妖精などがどこからともなく現れ、今度こそは負けるものかと飛びついてくる。
それを都度、舞いの儀式で調伏するのもまた、主催者の役目なのだ。
華やかな儀式舞いは見ごたえがあるそうで、観衆は厄病避けのお面を盾にその調伏を応援し、全ての疫病が払われたところで祭りはクライマックスを迎えるらしい。
おまけに、この祭りは毎年死者の王が見守っているそうで、もし祭りの儀式が疫病に負けてしまうことがあれば、たちどころにウィームを死者の行列で埋め尽くしてしまうそうだ。
代わりに、祭りが無事に終われば、その年に亡くなるウィームの死者達は死者の国で良い待遇を保証されるのだとか。
全てが終われば、人々は薬草の花を添えた林檎の爽やかなケーキを食べて一年の無病息災を祈るのだ。
このケーキはクリームで淡い黄色と水色のデコレーションをするので、何ともファンシーな色合いで可愛らしく、ネアとゼノはその時間を今か今かと心待ちにしている。
「となると、儀式に失敗した場合は、ウィリアムさんが荒ぶるのですか?」
「はは、俺はそんなことはしないよ。どちらかと言えば、死者の行列を呼び込むのではなく、疫病封じで失敗した時に事態を収拾するべくいる感じだな」
そう笑うのは、なぜか観客に紛れているウィリアムだ。
この区画は領主を含むリーエンベルクの勤め人用の区画なのだが、優先的にいい場所を押さえるというずるはせずに、きちんと抽選で割り当てられたスペースで観覧する。
なので現在リーエンベルク区画には騎士達も一緒にいるのだが、ウィリアムの発言に振り返って顔を青くしていた。
「では、調伏が失敗したら襲い掛かる系の伝承は間違いなのですか?」
「儀式が成功するとわかっている上で、あえて祭りを盛り上げるべくそう言うんだろうな」
「そうなると、ウィリアム様がここに立ち会われるのはいささか申し訳ないことですね」
ヒルドも初耳だったのか、困り顔で花びらの撒き散らされた道を眺めている。
こうして花を撒き魔術を清め、疫病を象った山車が通ってゆくのだ。
「うーん、そうでもないのが厄介なところで、仮に調伏が失敗して騒ぎになると、俺が災厄を呼び込んだみたいになるだろう?さすがにこれ以上悪評を広めたくはないし、こういう大きい都市で疫病が広がるのは避けたいんだ」
「ふむ。防止策でもあったのですね。………む、素敵な揚げ菓子の屋台が……」
「買ってくるか?」
「いえ、今の一言でゼノが飛び出していったので大丈夫そうです!」
ウィリアムの正体を知る羽目になった騎士達は、普通に会話しているヒルドと、あまつさえ死者の王に揚げ菓子を買ってこさせかけたネアについて、ひそひそと囁きが交わされている。
普通に仲良しなだけなので、決して、囁かれているように狩ってきてしまった訳ではない。
そうこうしている内に、ゼノーシュが分けてくれた揚げ菓子を齧っているネアの前にも、疫病の恐ろしさを伝える為の山車がやって来た。
ガラガラと木の車輪で牽かれているのは、漆黒の髑髏と禍々しい獣姿をした疫病の人形を積んだ山車だ。
様々な彫刻や飾りが美しく、その美しさがあることでいっそうに恐ろしく感じる。
この山車を作った者は才能豊かな者だったのだろうと思えば、エーダリアから三代前の封印庫の魔術師の作品で、彼は有名な彫刻家でもあったのだと教えて貰った。
「すごい………。圧倒されてしまいますね」
封印庫の魔術師達が牽いてゆく山車はかなり大きい。小さな小屋くらいあって、四方すべてに見事な装飾があるせいか、こちらに迫ってくるような圧迫感がある。
疫病に足を掴まれた女性は、死者の王に首元に鎌をかけられ苦悶の表情を浮かべている。
「ウィリアムの姿は、どうしてああなったのかな」
「確かに、どちらかと言えばヒルドさんにそっくりです」
ディノが気になったのは、死者の王を模した人形のようだ。
長い髪を一本に縛った長衣姿で凄艶な美貌の死者の王は、ウィリアムというよりはヒルドに似ている。
ああいう姿に擬態したことはないんだがと、本人も不思議そうだ。
(確かに、ウィリアムさんといえば軍服のような……)
砂漠の時のように、その土地で浮かない為の擬態もするが、基本大まかな造作はあまり変えないのがウィリアムの擬態方法だ。
となると、この人形の姿は作家の思い描く死者の王の姿なのだろう。
「ほわ………ディノ、何かを発見しました」
「ああ、あそこには疫病の妖精が張りついているね」
ネアをひやりとさせたのは、山車をよじ登る疫病の妖精だ。
骨ばった長い手足をしており、青色に灰色のまだらの翼竜の骨格標本のような姿をしている。
蝙蝠のような羽には瘴気めいた黒い霞を纏いかなり怖いなと思っていたら、こちらを見たようだ。
そのまま、あんまりな顔ぶれのリーエンベルク席に目が釘付けになったまま、疫病の妖精は山車と共に前に進んでいった。
「…………何というか、刺激が強かったのでは」
「悪さをしないようであれば、良いことなのだがな」
どこか物悲しい目になったネアに、エーダリアがそう頷く。
同じ系譜のウィリアムは擬態していてもわかるのか、先程の疫病の妖精はウィリアムを見たまま凍りついていたような気がする。
おまけに、その隣にはシーや、擬態していても明らかに高位の魔物が二人もいるのだ。
さぞかし恐ろしい観客だったのだろう。
「そう言えば、今日はエメルさんは外出禁止なのですよね」
「ああ。水竜は病に弱いからな。この前の仕事で作って貰った薬を持たせてはいるが、まずは感染させないのが一番だ」
「こういう時、下界に弱い子は何だか可哀想ですよね」
「だが、先日の火竜の問題や夏嵐など、最近は良い働きをしてくれたからな。こういう機会に休ませてやれるだろう」
「エーダリア様の今の一言で、エメルさんの労働環境の厳しさが垣間見えました……」
そこで、しゃんしゃんという鈴の音が聞こえてきた。
はっとして背伸びしたネアを、ディノが後ろの邪魔にならないように自分の顔くらいまで持ち上げてくれる。
鈴の音を辿れば、山羊の角をつけた髑髏面に鳥の羽のような不思議なケープを纏った魔術師が、黒い霞のようなものと儀式舞いを始めた。
その両手に装着している腕輪と、ケープの裾に縫い付けた鈴が舞いに合せてしゃんしゃんと鳴り、近くにいる観客達は髑髏の面を深くかぶって魔術師に声援を送っている。
「不思議な舞いですね……」
「音で檻を作って、爪先でその檻の中のものを撃滅するような陣を描いている。あのような方法で描く魔術陣だから、一族や組織での継承魔術だろうね」
「囲い込んで中を強制浄化してるのか。大したものだな」
ウィリアムの言葉に、エーダリアが頷いた。
そちらを見たネアは、ゼベルが寝てしまった奥さんを起こしている姿を目撃する。
(動きが激しくなった……)
また、しゃんと、鈴が鳴る。
ケープの裾が翻り、ふわりと膨らんだ。
調伏が佳境に入ったのか、周囲はしんと静まり返り、皆固唾を飲んで見守っている。
そうして音が消えると、鈴の音が際立ちどこか異様な空間になった。
その周囲では誰もが髑髏の面をかぶっているので、まるで異形の集団を眺めているようなのだ。
(大きな鳥の狩りのようにも見えるし、狼のような獣の威嚇合戦にも見える。鈴の音が詠唱と合っていて、聞いているだけで体に染み込むような不思議なリズムだわ……)
魔術師と黒い霞は、円を描くようにしてぐるぐると向かい合う。
鈴の音に爪先が上がり、路上の花びらがぱっと舞い散った。
不思議な荘厳さに打たれ、ネアは流麗な儀式舞いに見とれる。
こうして儀式を目の当たりにすれば、見慣れた魔術師達とは違う技術を受け継いでいるのだと、しみじみと実感した。
ガレンの魔術師やエーダリア達で見慣れた魔術とは違い、どこか土着の魔術に近いのかも知れない。
最後に大きく踵を鳴らした魔術師の動きで、コーンと金属同士をぶつけたような硬い音がすれば、それが合図だったのか黒い霞は青白く燃え上がって消えてしまい、観客達はいっせいに歓声を上げて拍手を始めた。
ネアも拍手をして、疫病を封じた魔術師を労った。
「凄いですね!踊りのように綺麗なのに、何だかとても張りつめていて、胸がどきどきしました」
「あれは医療協会の魔術師だ。中々に見どころのある若者だが、病と薬にしか興味がないと父親が嘆いていたな」
「だからこそ、あんなに研ぎ澄まされた動きなのかもしれませんね」
「ご主人様…………」
「浮気ではありませんよ。素晴らしいお仕事を終えられた方への、正当な賛美です」
「うん…………」
疫病封じが終わると、その後ろで止まっていた山車が動き出した。
一仕事終えた魔術師がその前をゆったりと歩いてゆけば、あちこちから労いの声がかけられている。
正面を通り過ぎる時に、ちらりとリーエンベルクの観覧席を見たような気がしたが、髑髏のお面をかけたままなので、その表情はわからない。
次の山車が表現しているのは、疫病で亡くなった人々が死者の国に落とされる場面のようだ。
真っ黒な門をくぐってゆく死者達の脇には、彼等を逃がさないようにするかのような疫病達がいる。
ネアがウィリアムに教えて貰った死者の行列の内訳はもっと種類がいた筈だが、このお祭りで表現されるのは疫病なので、今回は疫病に纏わる生き物だけなのだろう。
また圧倒されて見送り、ネアはその山車の背面にへばりついた毛玉のような生き物に気付いた。
今度は、ぽわぽわの苔色の毛玉に、蝙蝠のような華奢な羽がある。
「む。………カビのようなやつめ………」
その毛玉は、キヒヒといういかにもな含み笑いをしてから、山車と山車の間を歩く魔術師達に気付かれないよう、慎重に周囲を見回してから、ぽこんと飛び跳ねた。
あっと、観客席から声が上がる。
毛玉が飛び込もうとしたのは、よりにもよってリーエンベルクの席だったのだ。
恐らくと推理するしかないが、他の観客席よりも派手に見え、良い獲物だと思ったのかも知れない。
観客の声に気付いた魔術師達が慌てて振り返り、先程の羊角の魔術師もこちらに駆けてこようとした。
しかしその毛玉は、ウィリアムと向かい合った途端、ぴっとなったまま空中で凍り付いてしまった。
これはもう、疫病の魔物や妖精たちには、擬態していても系譜の王のことはわかるのだろう。
器用に空中で凍り付いた後、眉を顰めて成り行きを見守る観衆の中、唐突に毛玉は地面にぺしゃりと落ちた。
そのまま石畳と一体化せんばかりの勢いで、毛玉なりに限りなく平べったくなると渾身の土下座をしたようだ。
土下座したまま震えている毛玉とその毛玉に土下座させているウィリアムに、周囲の視線が何とも言えない感じになる。
ウィリアムもその温度感に気付いたのか、困惑したように毛玉を見下ろした。
「……もう帰ったらどうだ?」
「モギ!」
呆れたような声に毛玉はぽひゅんと消えてしまい、観客からはおおーと感心の声が漏れた。
調伏儀式の魔術師達は複雑そうに持ち場に戻ってゆくが、どこか遠い目をしているエーダリアとヒルドの表情を確認していたようなので、後でウィリアムについての身元確認が入るかもしれない。
「あやつめも、鳴くんですね」
「どうしてこっちに向かってきてしまったのかな」
「悲しい気持ちになりますが、先程の感じでは他のお客さんを狙ったら危なかったかもしれないので、無効化出来る方を獲物に選んでくれて良かったです」
その後も、ウィリアムを見た系譜の生き物たちは挙動不審になり続けたが、ウィリアム曰く毎年のことなので問題ないのだとか。
(と言うことは、毎年居場所が魔術師さん達にばれてるのでは………)
それは彼等とて、死者の王が監視してると思っても仕方ないだろう。
とは言え、今年の居場所はよりにもよってリーエンベルク席なのである。
「ネア、この後は少し危ないからお面をかぶろうか」
「む。もしや、厄介な奴が出現するのですか?」
「爆発するみたいだからね」
「ば、………爆発?」
「お前は少し下がった方がいいだろうな。火花と音の強い花火で厄を払うのだが、騒々しい上に火花が飛ぶからな」
「………花火」
「ネイ、あなたも気を付けて下さいね」
ヒルドにそう言われ、銀狐はさっとエーダリアの首元に寄り添った。
夏毛とは言え、大切な毛皮が焦げたら大変だ。
エーダリアから下がるように言われたネアも、数歩後退する。
「ディノは見たことがあるのですか?」
「一度だけね。人間は不思議な生き物だなと思ったよ」
「………むぅ、耳栓をしている方もいますね」
「俺は結構好きなんだ。人間らしいというか、面白いなと思う」
ウィリアムはそう微笑んでいたが、始まった花火はとんでもない代物だった。
手筒花火と爆竹の中間のようなもので、物凄い火花を上げ、その上轟音で跳ね回る。
そんな恐ろしい花火を紐の先にくくりつけ、魔術師達はぶんぶんと回すのだ。
「…………これを始めた方は、余程鬱憤が溜まってたんでしょうね」
「それで始めてしまったのかな」
「それか、最後に盛り上げる手段に枯渇したのかどちらかだと思います。……あ、疫病毛玉さんが」
ネアの視線の先で、まだ残っていたらしい疫病毛玉が山車の下から飛び出し、じゅわっと火花で燃え落ちる。
どこか物悲しい光景に、ネアとディノはしんみりとして寄り添った。
「これで、残った疫病達も焼き払い、祭りは終わりですよ」
そう教えてくれたヒルドにこくりと頷きながらネアは、ウィームの人々は極限まで溜め込んでから爆発させるタイプなのだと理解した。
でなければ、あのソリ遊びや、飾り木を豪快に燃やす手法は思いつくまい。
(………は、激しい)
最後は視界が白く染まるくらいに花火が破裂し続け、とんでもない轟音で祭は幕を閉じた。
迫力の花火を回しきった魔術師への喝采で沸き、観客達は各々のお気に入りのケーキを求めて散らばってゆく。
魔術仕掛けの花火なので、火薬の匂いが残ったりもしないようだ。
「ほわ、物凄い最後を迎えた衝撃からまだ立ち直れません」
「ネア、僕はケーキを買いに行くけど、アンツのお店のと、ザハのが美味しいよ。アンツは並ぶんだ」
「む!ケーキと聞いて元気になりました!」
このお祭りでもまた、リーエンベルクでは、家事妖精には朝食後からお昼までのお休みを出しているので、各店舗からのご挨拶でリーエンベルクに届けられるケーキでは足りない者は、疫病封じのケーキを自分で手に入れる必要がある。
家事妖精達にも疫病を退けるお祭りに参加して貰い、また一年元気にお仕事を頑張って貰う為なのだそうだ。
エーダリアは、リーエンベルク内から人が出るような祝祭では、その機を逃さずしっかりと使用人達を休ませる方針の領主だった。
「エーダリア様達はどうするのですか?」
「ああ、毎年領主御用達の店という称号を求めて、一定数のケーキはリーエンベルクに届けられるのだ。お前達のものも、一つずつならあるぞ」
「なんと!こんなところでエーダリア様の特権が!」
「良かったね、ネア」
「ゼノがお店に行ってしまったのは、一つでは足りないからなんですね。ウィリアムさんもご一緒出来るのですか?」
「いや、俺は仕事柄そのケーキはまずいかな。それに、これからは暫く街の見回りだ。疫病が残っているとまずい」
「お手伝いしましょうか?」
「有難うな。でも大丈夫だ。これは、俺の魔物としての仕事の一つだし、万が一残っているものがいると、ネアの魔術可動域はまずい」
「………ふぁい」
しゅんとしたネアの頭を撫でてから、ウィリアムはエーダリア達に挨拶をして姿を消した。
騎士達の間では、ウィリアムはグラスト隊長に似ていると囁かれているので、どうやら言動から好印象だったらしい。
そのグラストは、このお祭りは苦手らしく、観客席の最後尾で観光客の案内に回っていた。
(お子さんを病気で亡くされたからだとか……)
だから、あの精巧な山車を見るのは堪えるのだろう。
しかし、ゼノーシュにはしっかり見るように言い含めていたのは、今度こそ大事な者を失いたくないからだと思う。
ゼノーシュは、愛くるしいクッキーモンスターだが、長く生き、思慮深い公爵位の魔物である。
グラストのその要望にこくりと頷き、最前列できちんと山車を見るので、その代わりお祭りが終わった後は一緒にケーキを食べにゆくという約束を取り付けていた。
そこに、踏み込み過ぎずに大事にする長命のものの優しさが見えた気がして、ネアは二人の絆の深さに感動した。
(多分、ゼノとしてはお祭りの間も一緒にいたいのだと思うけれど………)
しかし、その時間はきっと、グラストが亡くなった娘のことを考えて心を痛める為に必要な時間なのだ。
胸が痛むとしても、死者について考える時間はその死者を愛していた者には必要なものである。
その時に隣にゼノーシュがいたら、きっとグラストは無理をして笑顔になってしまうだろう。
そこまで見越した上で、ゼノーシュは、このお祭りではあえて少しだけの別行動を我慢したのだ。
グラストは疫病避けの儀式には面してないが、ゼノーシュが病気になどさせないと誇らしげに宣言していたので、大丈夫であるらしい。
見聞の魔物は、目がいいのだ。
「わぁ!」
リーエンベルクに帰ってきたネア達は、まず不在の間、リーエンベルクを封鎖していた結界の覆いを解き、ケーキを届けてくれた各店の配達人を労う。
この時にリーエンベルクで出されるお茶が堪らなく美味しいと、ケーキの配達任務は大人気なのだそうだ。
お祭りの日だからと、上等な客間で振舞われるお茶を楽しみながら、本来は競合である筈の各店の配達人達は情報交換などを楽しむ。
「……今年は多いな」
そして、ネアが歓喜し、エーダリアが目を丸くしたのには理由があった。
どうやら、今年にリーエンベルクに届けられたケーキは、あきらかに量が多くなったらしい。
「………お前と、ゼノーシュの評判が響いたか」
「む!こんなに沢山のケーキが届くなら、食いしん坊評価は甘んじて受けましょう!」
テーブルの上には、ザハ、アンツ、そしてクメルという有名三店舗のケーキの他に、雪雲という新しいお店のもの、ウィーム會舘というザルツから移転してきた老舗洋菓子店のものがある。
食いしん坊の胃を掴むべく、各店ケーキの大盤振る舞いだ。
「見てください!ケーキの説明が箱に書いてありますよ。ザハのケーキは、普通の生クリームのものと、チーズクリームのもの、ちょっぴり林檎のお酒が入ったものがあるそうです」
「こっちはシュガークリームだね。懐かしいなぁ。前にザルツで食べたよ」
「ノアはこちらのケーキも知っているのですね」
「ゼノーシュの話してたお店のケーキは少し変わってるね」
ディノは、明らかに形状の違うケーキが気になったようだ。
「まぁ、こちらはロールケーキなのですね。色々なケーキがあって楽しいです」
「ロールケーキ………」
「生地をくるっと巻くので可愛いですよね。また今度、好きな中身で作ってあげましょうか?」
ネアにそう言われた魔物が目をきらきらさせたので、ネアは今度の休日の予定に脳内で加えておく。
今回のロールケーキは外側までデコレーションクリームで覆われてしまったので、形が違い認識出来なかったようだ。
「本当だ、いっぱい来てる!」
そこに買い出しに行っていたゼノーシュが戻ってきた。
ヒルドからすぐに現状を連絡してくれたので、お買い物は控えめに済ませたらしく、ふんわり笑顔でケーキに埋め尽くされたテーブルを眺めている。
「これは、………凄いですね」
「グラスト、甘党の騎士達が何人かいましたよね?」
「ああ。あいつ等なら二個食べれるだろう」
そのテーブルから領土分配のようにして、各自が欲しいケーキを切り分けてゆく。
このケーキを一切れだけとなると見目が悪くなりそうだが、こちらには残り全部片付けてくれるゼノーシュがいるので心強い。
ネアは、ディノと一緒に分け合う形で全種類を貰い、それを真似したエーダリアが、ヒルドとノアの共同戦線でその手法を選択した。
騎士達の分が届けられ、その後は家事妖精達に配られる。
それでも少し余った分は、その日にリーエンベルクに配達で訪れた業者や、三切れはちびまろ館に届けられ、毛皮の生き物達が歓喜の舞を見せてくれた。
「雪雲のお店のものは、林檎クリームがふわっとしているのに爽やかなコクがあって美味しいです!生地には蜂蜜が入っているのでしょうか?」
「…………クリームチーズクリーム……」
「あらあら、ディノにもお気に入りが見付かりましたね?」
「うん、これが好きだな」
「僕はこれかな。林檎のお酒の風味が美味しいよね」
「私も、ノアの言うザハのケーキと、雪雲のケーキとで揺れています。アンツのケーキも捨て難く、シュガークリームも素朴であとを引く味……」
「それは全部というのではないか……」
「そう言うエーダリア様だって、クリームチーズクリーム……チーズ?むぅ、何回言ったか分からなくなりました」
「ネア、チーズが一個多いよ!」
ゼノが余分を指摘してくれ、ネアは脳内の混乱を鎮められた。
そして、グラストはロールケーキがお気に入りで、ゼノーシュは初めて食べたシュガークリームがかなり好きだと申告もしてくれる。
その可愛さに、ネアはゼノーシュの笑顔をおかずにして、もう一切れケーキが食べられそうだ。
「エーダリアは、ネアの言ってたチーズクリームが好きなんだね」
会話を引き取ってくれたのはノアだ。
ケーキを食べるので人型に戻されたが、フォークを持ってうろうろする姿は、どこか気怠げで扇情的だ。
ディノもそうだが、これだけ凄艶な魔物達が無邪気にケーキを食べていると、なぜか妙に色めいて見える。
「ああ、酸味が効いていて食べやすい」
「ヒルドさんは、お酒のものですか?」
「ええ。私には、このくらいの量がいいですね。以前に参加した時に一人分振舞われて多かったので」
「うん。三人だとちょうどいいなぁ。ネアのところは二人だけどね」
「おのれ、ノアにまでムグリス疑惑をかけられて堪るものですか!」
「ありゃ、腰が括れてるのは知ってるよ」
「ネア…………」
「ケーキを食べているときに三つ編みを投げ込むのは禁止ですよ」
「ネアが虐待する…………」
「なぜなのだ」
午後は健やかな暴食の時間が流れ、ネア達は楽しく疫病封じをした。
それぞれ買ってきた髑髏のお面は、部屋の北側にしまっておけばいいそうだ。
外に出しておくと怖いので、ネアはほっとする。
「むぐふ。まんぷくなのです」
「ネアは沢山食べたね」
「………プールか、狩りをしないと私までムグリスになってしまいますね」
「…………うん」
「ディノ、次にムグリスになってくれるのはいつでしょう?楽しみにしてますね」
「ご主人様…………」
満腹で部屋に帰りながらふと、ネアは嵐の日に部屋に泊まっていったちびまろ達から、暴食の祝福を貰っていないか心配になった。
しかし、ディノに確かめて貰ったところ大丈夫だそうなので、通常仕様だったらしい。
そうなると、美味しい林檎のケーキが強敵過ぎたのだろう。
こうして、ネアの初めての疫病祭りの記憶は八割がケーキの情報に塗り潰され、幕を閉じた。