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砂漠の虎と砂漠の鯨



砂漠で過ごすテントに入ったネアは、またしてもぽかんとした。



あまりにも素敵過ぎて言葉を失ったのである。



「…………床が、………織物も」


語彙を失ってはわはわするネアに、ウィリアムが頭を撫でてくれる。

テントの中は、さながら魔法と秘密の隠れ家だった。


まず、中央で支柱となりテントを支えているのは、見事な星の木だ。

青緑の葉を茂らせ、ぽわぽわと葉先を星屑のように光らせる特別な木で、地面に落ちた星屑から稀に生えてくる。

そんな素敵な木をテントの支柱にしており、その木からまた、細く光る糸に星屑のようなものをしゃらりとつけた照明が四方に伸びている。


星屑の照明を吊るした糸は、テントの外周を支える支柱に結ばれ、テントの内布は見事な瑠璃色の織物だった。

繊細で複雑な織り模様の美しさにうっとりとしてから、その次に視線を床に落とす。

そこに敷かれたのは、まるで滑らかな草原のような深緑の毛皮だ。

毛並みの先が微かに光るのが幻想的なのだが、ウィリアム曰くそのあたりは毛皮の主の背中にあたるそうで、ネアは毛皮の持ち主の元の姿を思った。


(森熊さん…………)


すっかり敷物にされているが、生前はさぞや美しい生き物だったのだろう。

しかし、ウィリアムに聞いてみるととても獰猛なので、人間の街に現れると討伐対象になるのだそうだ。

小さな竜や、人型の妖精でも食べてしまうらしい。



「このテントは、ウィリアムさんのものなのですか?」

「ああ。時々、一日くらいの休みが取れると、ここで何もしないで過ごすんだ」

「そうやって、丁寧にのんびりな時間を過ごすのも大切ですよね」


ネアも最近のんびりな一日を過ごしたばかりなので、心から同意して頷く。


「とは言え、リーエンベルクみたいに他人の気配がないだろ?気付くと、寝落ちしていて翌朝になってることもある」

「その時の落胆はよくわかります」


砂漠の気温が完全に落ち込むまで、二人は一時間程お喋りをした。

気温が中途半端なまま外に出ると、着込んでもまだ暑かったり、暑いと思ってたら気温が下がってから寒くなってしまったりする。

砂漠を楽しむのも中々難しいのだ。


(でも、ただ気温の調整をしてしまわないで、ありのままの砂漠を見せてくれるのが嬉しいな)


ネアは我儘なので、もしかしたら寒い砂漠にはうんざりするかもしれない。

けれど、やはり初めての夜の砂漠は、その寒さを感じてみたいのだ。


「旅人さんが入ってきてしまったりはしないのですか?」

「見えないようにしてあるんだが、それでも時々このテントを見付ける者がいる。この辺りでよく聞く砂漠の伝承の白いテントは、ここのことだろうな」

「ふふ、うっかりこの素敵なテントを見てしまった人は、きっとずっと忘れないでしょうね」



ネアはふかふかの毛皮に手を滑らせ、至福の肌触りに微笑みを深めた。

これから、砂漠はもっと冷え込むのでこの敷物だけでは寒いのだそうだが、この毛皮の上に寝転がれるだけでも、充分に幸せになれそうだ。


「ほわふ。………ふきゅ」


途中で我慢出来ずに、ずるりと敷物に倒れ込めば、至福のあまりに感動の声が漏れてしまう。

小さく笑ったウィリアムも隣にごろりと横になる。



「ネアは毛皮が好きなんだな」

「むぅ。ディノはいつも、毛皮に浮気をすると荒ぶるのです。愛くるしい毛皮生物を撫でたりしたいのですが」

「それは困ったな。でも、シルハーンも心配なんだろう」

「ココグリスにさえ荒ぶる困った魔物ですが、これもまた困ったことに、私はそんな魔物に慣れてきてしまいました」

「それなら、俺と出かけた時ぐらいは触ってみるか」

「ウィリアムさん!」

「ただし、危なくないものだけな」

「ウィリアムさん、むくむくふわふわの毛皮が好きなのです!愛くるしい系のものや、この世界に来てからあまり戯れられていないにゃんこも……」

「ムクムグリスがいいかもな」

「ムクムグリス?!」

「ああ、ネアぐらいの大きさのムグリスだと思えばいい。白夜の国の深い森に住んでいて、凍った木の皮を食べるんだ」

「ムクムグリス!」


ネアは足をぱたぱたさせて、うっとりとその毛皮生物を想像した。

あまりにもむくむく毛皮なので、変な笑いが漏れそうだ。


「じゃあ、今度連れていこう」

「ウィリアムさん、大好きです!」

「……………ネア」


ウィリアムはなぜか反対側を向いていたが、ネアは喜びのあまりつま先をぱたぱたさせていたので、それどころではなかった。


またその後もウィリアムと少し話し、ようやく外に出れる時間になった。

ネアは素敵なテントに火織りの毛布を設置して、ウィリアムのテントなのに自分の領地を作り上げておく。

あまりに素敵なテント過ぎて、執着心が芽生えてしまったのだ。


「気に入ったなら、また来るといい」

「…………いいんですか?」

「ああ。ネアはテントが好きなのか?」

「こんな素敵なテントは初めてなのです。何だか、冒険をしているようで、秘密基地のようで、わくわくします!」

「それは良かった」


微笑んだウィリアムに頭を撫でてもらい、ネアはしめしめとほくそ笑む。

これで、この素敵なテントにまた泊めて貰えそうだ。



「さて、もう少し喋ってたいが、いい時間だからな」


ウィリアムに促され、ネアは防寒対策でもこもこと着込む。

お久し振りなラムネルのコートを着て、首回りに灰白のマフラーを巻く。


「寒かったら言うんだぞ」

「はい!」

「うん。いい時間だ。どうだ?これが夜の砂漠の色なんだ」

「……………ふぁ」


テントの入り口は二重になっていた。

一枚目の布をめくると少しひやりとして、外扉にあたる布をめくれば、その向こうはもう夜の砂漠だ。


外の砂漠は、見事な紫紺に染め上げられていた。



見渡す限りの砂丘は、テントに来るまでに見た深紫の砂漠からまた一層深い色になり、濃紺の艶を加えた見事な夜の色になっていた。

月光の落ちるところだけ、銀色と水色に煌めき、微かな砂丘のうねりによって、こっくりとした紫紺の中にも、きらきらと銀色や青白い煌めきが揺れる。


さあっと風が吹けば、夜空に舞い上がる砂塵がダイヤモンドダストのように光り、ネアは思わず息を飲んだ。



「なんて深い夜の色なんでしょう。それと、雪原に立っているような静けさなのに、なぜかとても賑やかな感じがするのが、少し怖くて楽しいです」

「ああ。砂漠は静謐だが、砂の中や影の中に様々な生き物達がいるんだ。危なくない範囲なら、狩りをしてもいいぞ」

「エーダリア様へのお土産を狩ります!」


また、さりさりっと砂を踏んだ。

途中で、砂の中がぼうっと明るいところがあったのでウィリアムの袖を引っ張ると、ん?とこちらを振り返って微笑んだ終焉の魔物が、その輝きの元を掘り出してくれた。



「なんて綺麗な結晶石なのでしょう!」

「砂の涙だな。下に街や村が沈んでいる部分の砂は、その砂漠の記憶が結晶化してこんな風に光るんだ」

「では、この下にはかつて街や村があったのですね」

「この辺りは、いい街だったんだがな」



さあっと吹き抜けてゆく風が揺らすのは、人々の営みなど微塵も感じさせない紫紺の砂丘。

はるか向こうの砂丘に、満月を背にして商隊が見えた気がした。



「ムキュン」


その時、近くの砂丘の奥から生き物の鳴き声がした。


「む、なにやつ!」

「…………砂虎だな」

「と、虎さん………!」


ウィリアムは一度、明らかに回避する気配を見せたが、目を輝かせたネアに見上げられると、困ったように微笑んだ。


「見たいか?」

「はい!」

「じゃあ、絶対に俺から離れないと約束してくれ」

「勿論です!」


伸ばされた手を取って、ネアは頼もしくて融通のきく素敵な保護者と砂丘を一つ越えた。

青白く輝く頂きに立てば、見下ろしたその丘の下にその生き物はいた。


(と、虎さん………!!)


分厚い前足で砂を踏み、獲物でもいたのかふんふんと砂の匂いを嗅いでいる。

鮮やかな紫に黒の縞目が美しい、何とも立派な虎だ。


「………胸がいっぱいです」

「それなら見せた甲斐がある。俺達のことは、見えなくしてるからな。だが、砂虎は鼻がいいから気を付けるように」

「まぁ、怖いやつなのですか?」

「ああ。伯爵位の魔物でも、食い殺すことが出来るくらいだ。魔術階位が高く、砂の魔術を使うんだ」

「可愛い上に格好いいのですね」


その砂虎は暫く砂地を嗅ぎまわっていたが、途中で嫌になってしまったのか、ふんと顔を背けた。

長い尻尾を優雅にくるりとさせ、ぺしりと砂を叩く。


「ほわ…………」


ネアはその仕草だけで倒れそうになるが、一番見応えがあったのはその後だった。


砂虎が月を見上げて勇ましく唸ると、ぼっと、足元に青白い炎が灯った。

目を丸くするネアの視線の先で、まるで滑るような動きで駆け去ってゆく。

その足跡は青く燃え上がり、少しずつ炎が消えてゆくと、足跡の形に黒く焼け焦げたような砂が残る。


ネアはさっと駆け寄ると、ウィリアムに視線で訴えて安全の確認をしてから、その砂を採取した。

こんなものでも珍しいかもしれない。

エーダリアにあげてみようと、砂が熱で溶けて固まった部分を持ち上げ、唇の端を持ち上げる。



「砂虎の足跡は、火の祝福があるんだ」

「エーダリア様のお土産にしたら、喜んでくれますか?」

「喜ぶだろうな。それとネア、耳を澄ましてご覧」

「む………」


意地汚く砂虎の焦げた足跡を採取していたネアは、そのウィリアムの言葉に周囲の音に聞き耳を立てる。


(…………あ、)



するとそこに、どこからともなく不思議な音楽が聞こえてきた。

リュートのようなものをかき鳴らす音に、鈴や笛の音。

ゆったりと波打つように大きくなったり、小さくなったりとする、不思議な不思議な、なんとも哀切な響きの旋律だ。


「ほら、あそこに影が見える」

「……踊り子さんがいます!………他に、楽器を奏でている方達も。これは、宴のようなものなのでしょうか?」

「それを模しているんだろうな。よく見ると、みんな妖精の羽が見えるだろう?」

「まぁ、ちびこい羽が見えました!可愛らしいですね」


紫紺の砂の上に、さらに暗い影の色で砂漠の国の宴の光景がゆらゆらと揺れる。

指先まで優雅にくねらせて踊る踊り子に、ネアは感嘆の息を吐いた。


(きっと一人だったら、影の中から出てきたらどうしようと思って怖かっただろう)


でも隣にはウィリアムがいるので、ただ、ただ、素敵な劇を見るようにして砂の歌い手と呼ばれる典雅な妖精の良さを堪能出来る。


やがて音楽が終われば、踊り子はくるりと回ってから可愛らしくお辞儀をして、他の影達と一緒にぽふんと消えた。



「今の曲はいい曲だったな」

「ええ。歌っている男性の方の声が、張りがあって何とも情感があって切なげで、胸がぎゅっとなりました」

「時々、まだ技量の足らない歌い手がいることがある」

「そうなんですね。……それは、何というか複雑な気持ちで見てしまいますね」

「喜びか恐怖でなければ、糧を得られない妖精だからな。そうなると、恐怖心すら薄らいでしまうから、中々に砂漠で生きていくのは難しい」

「妖精さんにとっても、生きる術としての技術なのですね………」

「さっきの歌い手は、ネアが嬉しそうに見ていたから、いい糧を得られただろうな」

「ふふ、それだと嬉しいです。そう言えば、妖精さんには、そのようなものを糧とする方が多いですよね。ヒルドさんも、そちらからも糧を得られる妖精さんですし」


ネアがそう言えば、ウィリアムは一つ頷く。


「妖精は、感情に基づくものから生まれたり、それを糧とする者が多い。精霊が自然のものから生まれ、糧とするようにな。魔物が、成り立ちとしては一番謎が多いとされているな」

「………パンの魔物さんなどは、もう少し生き方を変えた方がいいと思うのです」

「確かに、どうして屋内に住まないのか俺も謎だ。………それと、ネア」

「はい?」


ここでウィリアムから、ネアは一つ忠告を受けた。


「妖精にはあまり芳しくない感情を糧にするものも多い。特に、人型の赤い羽の妖精には、気を付けるんだぞ?」

「………ジルフさんでしょうか?」

「いや、ジルフは確か火の系譜だから大丈夫だ。火の系譜の赤は、強くてはっきりとしている。滲むような色合いの赤には注意した方がいい」


ジルフはかつてロクマリアの宮廷に仕えた、赤羽の妖精だ。

愛する者に出会ってからは、灰羽に変化していたそうだが、その相手を失ってから羽は元の色に戻ってしまった。

シュタルトでアルテア達に捕まってから、今はどこを彷徨っているのだろうか。

もう、大事な人を見つけられただろうか。


(ヒルドさんの羽も、リーエンベルクに来てから少し変化したみたい)


付け根のあたりが淡い菫色になり、それは妖精が守るべき大事な者を見付けた証なのだという。

そのことを聞いた時、ネアはエーダリアがずっと元気でいてくれるようにと、たくさんの薬を渡しておいた。



「確か、赤羽さんは誘惑に長けているのですよね?」

「ああ。苦痛や恐怖を司る妖精より、悦楽を司る妖精の方が、効果を抜くのが厄介だからな。だが、羽が赤くなくても、シーの妖精の粉にも似たような中毒性と催淫効果がある。くれぐれも、気を付けるように」

「む…………。私はこの前、酔っ払ってヒルドさんの羽を齧ったそうです」

「そうだな。だから言ったんだ。次に齧った時にもそれだけで済む保証はないし、他の妖精にはまず絶対にしては駄目だぞ」

「あれは、夢のように美味しい甘味でした…………」


ネアは少しだけ悲しい微笑みを浮かべ、実はまた食べてみたい妖精の粉を思った。

後遺症で口をもぐもぐさせた残念な人間に、ウィリアムは、妖精を襲わなければ、あちこちで毛皮生物ツアーをしてくれると約束してくれた。


「毛皮生物の愛の力で、あの素敵な甘味から脱却してみせます!」

「ネアにとっては、あくまでも食べ物の区分なんだな………」

「む?………そ、それとウィリアムさん、おかしなやつが現れました」

「ん?………ああ、砂漕ぎだ。獰猛な肉食獣だが、人間は襲わない。妖精だけを専門に食べる精霊なんだ」



ネアが見付けたのは、子犬くらいの大きさの鰐に似た生き物だ。

つやりとした砂色で、目は鮮やかな真紅である。

そして、少し先を飛んでいる砂色のぽわぽわしたクラゲのようなものを狙っているようだ。



「あの、宙に浮いているぽわぽわしたものは何でしょう?」

「砂の宝虫と言われている妖精だ。捕まえると砂の宝石を落とすが、中々に気性が荒くて…………ネア?」


じっと見上げてきたネアに、ウィリアムは砂の宝虫とネアとを何回か見比べる。


「…………狩ろうとしてるな?」

「新しい獲物に飢えていたのです!」

「…………そうだな。駄目だと言うとつまらないだろう。………ここで見てるから、少しだけな。噛まれたら、俺に言うんだぞ?」

「ほわ!ウィリアムさんはやっぱり理解があって、優しいです!」


狩りを解禁された喜びに弾んだネアに、ウィリアムは優しく苦笑してくれる。

すっかり前のウィリアムに戻ったようで、暫定ながら、ウィリアムを好感度順位はまた上げるしかない。


頼りになって格好いい、素敵なお兄さんが戻ってきてくれたようだ。



「狩ります!」


意気込んでネアは駆け出してゆき、ぽわぽわしたクラゲのところまで辿り着くと、しゃーっと威嚇して襲いかかってきたクラゲをはたき落した。

ぼさっと砂の上に落ちたクラゲを見て、他のクラゲ達がいきり立つ。


「むぅ。宝石はどこなのだ」


ネアもネアで眉を顰め、ぐっと腰を落としてから狩りの女王の真価を発揮するべく、次々と襲いかかってきたクラゲ達を撃墜してゆく。



その時、砂の中からにゅっと伸びた鉤爪が、地面に落ちたクラゲを盗み取ろうとした。



「盗っ人め!」


頭にきたネアが、げしんと踏みつけると、砂の中でぎゃっと声が上がった。

その攻撃を見ていた砂漕ぎは、あまりにも獰猛な人間を見てしまったことで、ぶるぶると震えている。


しかし今度は、反対側の砂の中から猫の手のようなものが出てきた。


「むぅ。愛くるしい盗っ人の手が」


今後は踏まずに、しゃがみ込んでべしりと叩けば、ギャっと声が上がって手はすぐに引っ込んだ。

ここで漸くネアは気付いた。

このクラゲを砂の上に落としておけば、自ら狩りに出ずとも、ここに獲物が集まってくるのではないだろうか。


「撒き餌ですね!」


冷酷に微笑んだネアは、砂漕ぎとばちりと目が合ってしまった。

びくっと竦み上った砂漕ぎは、砂地に跡がつくくらいに震えている。

少し気の毒になったネアは、落ちているクラゲを一つ摘むと、ぽいっと放ってやった。


「グギュ?!」


思わぬ形で餌が落ちてきて、砂漕ぎは驚愕したようだ。

震えが止まり、鼻先に落ちたクラゲに目を光らせている。

何度かネアの方を見上げてから、ぱくりと食べ、歓喜に鰐の尻尾をぶんぶんと振った。


「グギュ!」

「ふふ、良かったですね。狩人は、心優しい一面もあるのです」

「グギュ!!」

「あら、また盗っ人がきましたね」

「グギュ?!」


しかし、優しい人間なのかもしれないと心が凪いだ砂漕ぎは、次の瞬間、背後から襲いかかった大蜥蜴のような生き物を、容赦なく蹴り倒したネアに震え上がった。


どすんと倒れた大蜥蜴は、飛び乗られてお亡くなりになったようだ。

大蜥蜴を足場に、鋭い目で砂漠を見回したネアに、砂の中から一斉に生き物達が逃げ出してゆく気配がした。


「ふっ、たわいも無い奴等め」

「ネア、それは砂の精霊の高位なんだ。他の生き物達は、恐れをなしたんだろう」

「ウィリアムさん、宝虫めが宝石を落としません!」

「振ってみたか?」

「振る…………」


よいしょと大蜥蜴から降りて、ネアは砂の上に転がっているクラゲを掴みふりふりしてみた。

その途端、ぽこんと見事な宝石が転がり落ちてくる。


「出ました!」

「良かったな。………それにしても、この砂の下で斃されてるのは、まさか流砂の魔物か………?」


ご機嫌でクラゲを振っているネアの隣で、ウィリアムは鉤爪でクラゲを狙い滅ぼされた盗っ人をずるりと砂の中から引き摺り出してくれている。

引っ張り出されたのは、大きなナマケモノのような不思議な生き物だ。

手足は蜥蜴のようで、鋭い爪がついている。

口元にも鋭い牙が並んでおり、いかにも肉食獣という感じがした。



「その盗っ人めは、流砂の魔物さんなのですか?」

「ああ。男爵位だが、人間を好んで食べる砂漠では旅人達に恐れられている生き物だ」

「そのくせに、他人様の獲物を横取りしようとした小さなやつです」

「はは、確かにそうだな」


ネアはウィリアムに手伝って貰い、腕輪の金庫に獲物をしまった。

最後に一度砂漕ぎの方を振り返って見ると、今度はウィリアムの方を見て震え上がっている。

中々に苦労性なので、ネアは最後にもう一つだけクラゲを投げてやった。


「ネアは鰐が好きなのか?」

「いえ、あやつには獲物の在り処を教えて貰った恩がありますから」

「成る程」



無事にエーダリアへのお土産も手に入れたネアは、紫紺の砂漠をウィリアムと歩いた。

砂を踏む感覚に、どこまでも深い色に心が染まる。


「この砂そのものが、紫紺色に染まっているような気がしてしまいますね」


しかし、手ですくうとそれは砂色なので、何だか不思議な気持ちになるのだ。

吸い込む息まで夜の色に染まりそうな砂漠を歩き進めると、ひときわ明るく月光が落ちている場所に出た。



「ほら、ここには砂漠の月があるぞ」

「これが砂漠の月なんですね!」

「ああ。でも、砂漠の月を採る時にはひとかけらだけな。それが、砂漠の民の決まりなんだ。資源の少ない土地での薬にもなる恵みだから、皆で分け合うようにするんだ」

「では、一欠片だけ」


そっと手を伸ばして触れると、ぱきんと音を立てて結晶石が手のひらに落ちた。

淡い月光の色の中に紫紺の揺らめきが映り、えもいわれぬ美しさだ。


(エーダリア様、喜んでくれるかな)


そう考えて隣に立つウィリアムを見上げた。

以前、ゼノーシュがこの結晶石を持ってきてくれた時、それはそれは苦労したそうだ。

見聞の魔物ですらそうなのだから、もしかしたらウィリアムは、予めこの結晶石のある場所を探しておいてくれたのかもしれない。


「素敵なテントに、こんなに美しい砂漠を見れて、なんて幸せな一日なんでしょう」

「串焼きも気に入ったようだったしな」

「あまり食べ慣れていない羊のものが、あんなに美味しいとは思いませんでした!クレープのソースも美味しかったです!」



ふーっと、胸の底から息を吐く。


月の光を浴びて、地の果てまで連なるような砂漠を歩けば、世界中にこの二人しかいないような不思議な感覚があった。

それなのに、一歩踏み出せば、砂の下に得体の知れない生き物達が沢山いるのがわかる。


静謐だけれど賑やかな砂漠の夜は、なんて奇妙で美しいのだろう。



「この夜の砂漠の色を知っているだけで、何だか自分がまた一つ豊かになれたような気がします。ウィリアムさん、今日は連れてきてくれて有難うございました」

「まだ、夜明けの砂漠が残ってるぞ」


そう微笑んでくれたウィリアムに、ネアも微笑んで頷く。

手を繋いで貰ってテントまで帰ると、夢のようなテントの天井と、星の木と星屑の灯りを見上げながら、ネアは短い仮眠に入った。



閉じた瞼の裏側には、どこまでも続く月明かりの砂漠を旅するキャラバンが見える。

その隊列にはきっと、ネアが想像もしないような誰かがいるのだろう。




「ネア、日が昇るぞ」

「むぐ…………」


夜の砂漠をどこまでも旅する夢を見ていたネアは、ウィリアムの声に起こされた。

むにゃむにゃしてから目を開くと、思いがけない近さにウィリアムの顔があって少しだけ驚く。

申し訳ないことに、ウィリアムの腕の上に頭を乗せていたようだ。


「ごめんなさい。寝惚けて枕にしてしまいました」

「と言うより、砂漠の盗っ人だと思ったみたいだな。押さえ込まれた」

「むぅ。申し訳なさが倍になりました」

「いや、可愛かったから構わないさ」


年長者らしい優しさに許され、ささっと身支度をしたネアは、テントから出て目にした夜明けの砂漠に呆然とした。


そこにはもう、昨晩の深い色合いの世界はない。



「…………金色に輝いています」

「夜とは全然違うだろう?」

「砂丘の影になった部分はまだ淡い紫色が残っていて、なんて綺麗な色の連なりなんでしょう…………」



夜明けの砂漠は、陽光の筋が色を塗り替えてゆくように、淡い金色にきらきらと輝いていた。

まだ陽が昇りきっていない為に、砂漠は夜と昼の複雑な色が混ざり合い、その豊かな色彩の波に溜め息が漏れてしまう。



「クルツを手配しておいた」

「クルツ!」


そう言ったウィリアムが手を伸ばせば、どこからか飛来した一匹の蝶がふわりと飛んでくる。

そして、ぶわりと風を伴う変化を遂げて、昨晩も見た漆黒の生き物に姿を変えた。

今朝のクルツは昨晩のものとは違う個体のようで、淡い金色の瞳をしている。

朝日に色を変えてゆく砂漠を見ると、ぶるりと体を震わせて砂色に変化するので、ネアは目を丸くした。


「色が変わりました!」

「この辺りの生き物は、昼と夜の環境に適応した生き物が多いんだ」

「素敵で凄い知恵ですね。昼仕様の砂色の姿も、とっても綺麗です」


ネアに褒められ気を良くしたのか、そのクルツは二人を乗せて颯爽と夜明けの砂漠を駆け抜けてくれた。


夜明けの光が刻々と砂漠の色を変えてゆく中を走り抜ければ、蜥蜴のような生き物や、淡い金色の蛇、漆黒の蠍に、砂色の栗鼠のような生き物と、様々な生き物達とすれ違う。


歓声を上げてその全てを楽しんだネアが最後に見たのは、ウィリアムも驚いてしまうような生き物だった。



「ネア、クルツから降りるなよ」


テントに戻る途中で不意にそう言って、ウィリアムがひらりと飛び降りる。

クルツの手綱を握り砂丘の上に立つと、鋭い目で遠くを見渡した。


「ウィリアムさん?」


不安になって声をかければ、こちらを振り向いたウィリアムの装いが、ばさりと変化する。

魔術のそれなのだろうが、漆黒の砂漠の民のような衣装が一瞬にして純白の軍服になると、それだけではっとした。



(と言うか、やはりこれが、ウィリアムさんなのだわ)



どんな衣装でもよく似合うが、この姿の凄艶さには比べるべくもない。

やはりこれが、終焉の魔物の正装なのだとあらためて実感する。

軍帽までかぶった姿を見るのは悪夢の時以来で、ネアは少しだけ得をした気持ちになった。



「砂漠の鯨だ。………砂の底にある街から、死者達を喰らいに来たんだな」

「鯨さん…………」


ネアが、見渡しても特に変わった様子はないのになと考えていたら、オォォンと、鯨の鳴き声が聞こえた。


「………っ、」


あまりにも迫力のある声に、ネアはびくりと体を揺らす。

ネアを乗せたクルツも、前足を踏みならして落ち着かないように動いた。

手綱を掴んだウィリアムが落ち着かせてくれたが、そんなウィリアムにも怯えたような目を向けているので不憫になる。



(あ、…………)


すぐ近くの砂丘の中腹がぞろりと崩れた。


そこから頭を出し、巨大な鯨が空中に踊り上がる。

漆黒の体に真っ白な腹部が鮮やかで、砂丘を崩しながら飛び出してきたのでぎくりとしたが、すぐさまウィリアムが結界で砂塵を防いでくれた。



(…………大きい)


しかし、まるで大気中を泳ぐように身をくねらせこちらに頭を向けた鯨は、ネア達の前に立っているウィリアムを見ると、興味を失ったようにしてまた砂の中に潜っていった。


波飛沫の代わりに砂を巻き上げて、鯨が飛び込んだ瞬間に地面がずしりと揺れる。



「…………はわ」

「怖くなかったか?もう大丈夫だからな」

「………ウィリアムさんがその姿に戻られたと言うことは、あの鯨さんは強いのでしょうか?」

「砂漠の精霊の最高位の一つだ。侵食と破壊を好む荒ぶる精霊で、小さな街をよく襲う。俺も見るのは数年ぶりだが、また少し大きくなったか」

「確かに、お腹の部分が真っ白でしたものね」

「ああ、白持ちの精霊だよ」



最後にとんでもない大物に遭遇してしまい、ネアの砂漠の遊びは終わりを迎えた。


帰り際にオアシスの街の朝市で織物のお土産を買い、たくさんの経験を持ち帰れる喜びでほくほくとした笑顔になる。


「もう買い残しはないか?あまり遅くなると、シルハーンが悲しむからな。今度のことを考えて、初回はあまりやきもきさせないようにしよう」

「はい!この、ゼノにあげるナツメヤシドーナッツでお終いです!」



本当は他にも見たいものや買いたいものがあったけれど、ネアは無理をしないようにそこで切り上げた。

ウィリアムのあのテントをまた楽しむ為にも、次回の機会をなくさないようにしよう。



「ウィリアムさん、次はいつでしょう?また一緒にお泊まりしたいです!」


なので、ウィリアムの袖をくいくいと引っ張ってそうおねだりすれば、なぜかウィリアムは片手で顔を覆ってしまった。

前のめり過ぎたかなとしゅんとすると、ちょっと目に砂が入ったからと苦笑して教えてくれたのでほっとした。


「…………やっぱりネアは、全力で揺らしに来る時があるな」

「む、腕を引っ張り過ぎましたかね………」

「いや、………そうだな、次は秋がいいだろう。星の降る夜に、こちらでは有名な祭りがある」

「お祭り!」

「それと、ムクムグリスだな」

「ふふ、手帳にたくさん書き込む用事が出来そうですね」




リーエンベルクに帰ると、荒んだ顔の魔物が毛布妖怪度を上げて待っていた。

同じ毛布の中に毛羽立ったままの銀狐も入っており、融合して大きくなったようである。


ネアが楽しげな笑顔で帰ってきたのを見て、魔物達はいっそうに荒ぶったが、エーダリアやゼノーシュは、ネアのお土産に歓喜してくれている。



「さて、明日は疫病祭りか…………」


そう呟いたウィリアムは、明日に備えて今夜はリーエンベルクに泊まるそうだ。

荒れ狂う魔物達によって、ネアはその晩、その宿泊棟への渡航禁止令を出されてしまった。




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