夏嵐とちびまろの家
その日、ウィームには夏嵐が来ていた。
前日の夜半過ぎから風が強くなり、ダリルの弟子である水竜のエメルは、河川周りの見回りに出ているそうだ。
真面目に働いているそうなので会ってみたいのだが、竜の媚薬が影響を与えてもいけないので、ネアは興味本位では会わないようにしている。
今の目標はダリル派の中で順位を上げ、力仕事以外のことを任せて貰えるようにすることなのだとか。
リーエンベルクの騎士のリーナとも仲良くなったそうで、二人は仕事終わりに飲みに行くこともあるのだと、一緒に出かけたゼベルに教えて貰った。
「ちびまろ…………」
そんな中、ネアが心配していたのは、先日ウィリアムと一緒に近くで観察した餅兎の赤ちゃんだ。
ピンク色のふわふわ毛皮で、暴食を司る生き物なのだが、たるんとしたちぎり餅風のボディに、ネアはめろめろなのである。
「ネア、薬を届けてきてくれたのかい?」
「はい。ディノ、狐さんは洗い終わりましたか?」
「終わったよ。元の姿に戻ればいいのだけど、この姿で汚れると助けを求めてくるのは何でだろうね」
「謎めいていますね」
先ほど、デート帰りになぜか狐になって森を抜けたらしく、ぬかるんだ道で転んだ泥だらけの銀狐に窓を叩かれた。
ちょうど仕事が終わったばかりだったので、ネアは薬を届けに行き、ディノが銀狐の洗浄にとりかかったのだった。
「………ディノ、ちびまろは風に飛ばされないでしょうか?」
「ちび……まろ」
「もちうさの赤ちゃんなのです!指先大の生き物なので、そんなちびっ子達に夏嵐は怖いでしょうに……」
薬を届けつつ、ネアはちびまろの姿を窓から探したのだが、いつも見かける幾つかのポイントには見当たらなかった。
餅兎は子供が生まれて三日もすると親は離れてしまう生き物な上に、まだ生まれて二週間ほどなので、リーエンベルクの家事妖精達も心配しているらしい。
「ゼノーシュに見付けて貰うかい?」
こういう時のディノは、浮気とは区切りをつけてネアの心を慮ってくれる、優しい魔物だ。
「ゼノは、夏嵐対策で忙しい筈なのです。お仕事を中断させる訳にはいきません」
「それなら、私が一緒に探してあげようか?」
「ディノ!」
ぱっと笑顔になったネアに、魔物はもじもじしている。
自身の返答が合っていたと誇らしげだが、そっと爪先を差し出してくるのが恐ろしい。
「…………ところで、狐さんは?」
「おや、後ろにいた筈なんだけれど」
そう呟いて、ディノは目を細めた。
すたすたと隣の寝室に戻ると、ネアの寝台の上から銀色の毛皮の生き物をべりっと引き剥がして持ってくる。
悪事を暴かれた銀狐は、だらんと身体中の力を抜いたまま、死んだふりをしているようだ。
「おのれ、私の枕をまたしても毛だらけにしましたね!ちびまろ捜索のお手伝いをしなければ、ボール遊び禁止令を発動して貰いますよ?」
その途端、ディノに首の後ろを掴まれてぶら下げられた銀狐は、全身の毛をけばけばにしてぶるりと震えた。
涙目でこちらを見ているが、淑女の寝台に無断で上り込むなど許される行為ではない。
ネアに睨まれて、銀狐はこくりと頷き解放される。
(とりあえず、無事かどうかさえ分かればいいのだけど)
あまり野生の生き物に手出しをしてもいけない。
ネアはそう考えていたが、あの愛くるしいちぎり餅姿が脳裏をよぎる。
外に出すと洗い直しになる銀狐には、屋内の廊下の窓越しに捜索を依頼し、ネア達は傘をさして庭に探しに出た。
ぷんと雨に濡れた緑の匂いがする。
その中で二人は、いつも餅兎がいるふかふかの水色の小花の下草の上を見た。
「やはり、この辺りにはいませんね……」
「その生き物は、精霊なんだよね」
「ええ。暴食を司る生き物なのだそうですよ。むぅ、この軒下にも見当たりませんね………」
二人はちびまろを探してあちこちを覗いて見たが、雨足が強くなったこともあり捜索は難航した。
軒下や窓の出っ張りの下など、リーエンベルクには小さな生き物が隠れられるところがたくさんある。
小さいとはいえ色は目立つのだが、見渡す限りピンク色の生き物はいない。
とても目立つ赤ちゃんなので最初ネアは心配したのだが、餅兎は、暴食を司る為に捕食には向かない獲物なのだとか。
食べると生涯空腹に付きまとわれる為に、野生の生き物達は決して餅兎を食べようとはしないらしい。
あの色は餅兎であることを主張して、捕食者を退ける警告色なのである。
「この辺りにはいないようだね。この扉の隙間も、コグリスしか詰まっていないようだ」
「………もっと小さな隙間だと、さすがに私達では覗けませんね」
ああ見えていざという時には俊敏に動き、自分達で避難したのだろうか。
そう思うことで、ネアは何とか心を落ち着けた。
「その生き物は飛べるのかい?」
「本来飛べるのですが、生後一ヶ月しないと羽が生えず、飛べないそうなのです」
「そうなると、歩くしかないんだね」
「ええ。でもたるたる体型過ぎて、あまり移動出来ないみたいで。それ故にちびまろはいつも同じ場所で積み重なっていて、みんなの人気者でした」
近くにいないのだから、嵐が来る前に避難することが出来ている可能性も高い。
(もう、一時間くらい探しているけど……)
ネアは、隣で傘を差して花壇の横にしゃがんでくれているディノの横顔を見た。
少し前までは酷薄なところも多い魔物だったが、自分にとっての許せない一線を超えない者には寛大になれるような、そんな柔軟性が身についてきたようだ。
(でもそれは、私が望むから受け入れてくれたこの魔物なりの優しさなのだわ)
自発的というよりは、やはりネアの反応を考えての歩み寄りなのである。
雨が酷くなってきたようだ。
横殴りの雨に白い魔物が濡れてしまいそうで、ネアはふうっと溜め息を吐いて立ち上がった。
「ディノ、もう中に入りましょう。私の我が儘に付き合ってくれて有難うございました」
「………もういいのかい?」
「ええ。一通り探しましたし、これ以上は難しいでしょう。それに雨が激しくなってきたので、私の大事な魔物が風邪をひいたりしたら大変です」
そう言われて、ディノが水紺の瞳をこちらに向けた。
静かに驚いているようでもあるが、静謐な美しい瞳にはどこか魔物らしい老獪さが見え隠れもする。
ネアが自分を他のものよりも選んだ時に見せるひっそりとした鋭さは、しょぼくれている時の無垢さとは違う、魔物らしいしたたかさだ。
そしてネアは、実はこんな魔物らしいディノが好きだったりする。
「窓越しに捜索してくれている狐さんと合流しましょう」
「………君は時々、どうして私に命じないのだろうと思うことがある」
「ディノに、………命じる、ですか?」
「そうだよ。私は君の契約の魔物でもあるのだから、必ず見付けるようにと命じることも出来るだろうに」
「私は善人ではないのでその手段を取らないとは言いませんが、お庭の可愛い生き物の為に無理をさせて、私の大事な婚約者に風邪をひかせる訳にはいかないのです。つまり、とても身勝手な生き物なのですよ」
そう微笑んだネアに、魔物は淡く淡く微笑みを返してくれた。
「困ったね、そんな風に悲しげにしていても、本当にもういいのかい?」
「………私を心配してくれたのですか?」
「兎の精霊の為に、大事な君が泣くのは嫌だからね」
「ディノ………」
こちらに伸ばしたディノの手は濡れてはいないが、それは干渉を禁じる魔術を展開しているからだ。
本来ならとっくにびしょ濡れになっている筈の手でそっと頭を撫でられ、この魔物に守られてなければとっくにずぶ濡れだった筈のネアはふきゅんとなる。
海遊びの日に海の藻屑となった魔物を見たので、全くの不意打ちだと高位の魔物とてずぶ濡れになるのだと知っているからこそ、ネアはこの健やかさを可能にする魔物の力の恩恵に感謝する。
(そう言えば、あの二人は風邪とか引いてないかしら)
あの海遊びの日のことだ。
最後に夕暮れの海を眺めてから帰ろうとはしゃいだネアのせいで、転移場所を見晴らしのいい岩場にした結果、高波に攫われたアルテアとウィリアムのことを思う。
ネア達が転移で帰宅してから振り返ったら、二人はもういなかったのだ。
慌てて元いた場所に戻れば、海に落ちた二人の魔物の悲しい姿に仰天した。
ネアは哀れになって手を差し伸べたのだが、さっさと帰れと荒ぶったのはアルテアである。
びしょびしょの前髪を掻き上げて、伏せ目がちに舌打ちしていたのでそっと頭を撫でてやった。
ウィリアムは参ったなと苦笑していたくらいだが、それは彼がまだ水着だったからで、洋服のまま海に落ちたアルテアがより悲しい感じになるのは仕方ない。
結局、二人から用事を片付けてから帰るから先に行けと言われ、ネア達はお先に失礼させていただいた。
ゼノーシュ曰く、下に大きな烏賊のような生き物がいたそうで、二人は、よりにもよって魔物の第二席と三席に手を出したその生き物を成敗してから帰ったのだろう。
カードにあの烏賊は食べられますかという質問を書いておいたところ、夜には食うなという返事が来たので無事に帰れたようだ。
(…………明後日はウィリアムさんと砂漠に行くから、その時に何があったか聞いてみよう)
そう考えてふと、海遊びの日のウィリアムの水着姿を思い出して、ネアは少しそわそわした。
実は、ウィリアムの水着姿は見慣れたウィーム風のゆるっとしたものではなく、ぴっちりとした黒いショートパンツ型でかなり格好良かったのだ。
とは言え彼だけが見事な肢体という訳でもなく、ディノもノアも同じように完璧な肉体美なのだが、何だかあの水着は人を選ぶような気がする。
(アルテアさんなら似合いそうだけど……)
「ネア……?」
「でもディノは、いつもの水着の方が似合いますね」
「…………また浮気してる」
「ち、違いますよ!そういう色っぽさと無縁の爽やかさの方だったので、ギャップに少しばかりどきりとしただけです!」
「ぎゃっぷ………」
「む。ディノの発音は可愛いですね!もう一度言ってみて下さい」
「ずるい…………」
いいところを見せたばかりの魔物だが、すぐさま狡猾な人間に転がされ、いつもの幼気な魔物に戻ってしまった。
海から帰った後、ウィリアムの水着は格好いいと言ったら魔物が荒ぶったのだが、ネアとて誰それのどんな格好が素敵だとか思うくらいの情緒は持ち合わせているのである。
素直な褒め言葉くらい、いいではないか。
風がこうっと音を立て、雨のヴェールが波打つように降り始めた。
水着事件のぶり返しでしゅんとしたディノに連れられて屋内に戻れば、窓から見た外が先程より酷い雨になっている。
つきんと痛んだ胸を押さえて廊下を歩いていると、廊下の向こうからけばけばになった銀狐が涙目で歩いてきた。
このタイミングであまりにも不吉なので、ネアは両手を握り締める。
「…………狐さん?」
銀狐は涙目でネア達を見上げると、駆けてきて足にぎゅっと体を押し付けた。
「………ま、まさか、ちびまろ達が」
ネアが震える声でそう言った時、廊下の角からこちらに歩いてくるヒルドが見えた。
その手に緑色のタオルがあることに気付いて、ネアは目を瞠る。
「ヒルドさん……」
ヒルドは、ネア達を見付けるとふわりと微笑んだ。
「良かった、ここにいらっしゃいましたか。ネア様がこちらの生き物達を探しているとお聞きしまして」
そう差し出されたのは、固まって震えている餅兎の子供達を乗せた緑色のタオルだ。
ちびまろはふわふわで濡れてはいないが、毛並みの乱れ方的に、一度はびしょ濡れになってから乾いたような気がする。
「ちびまろ!」
ぱっと安堵に微笑んだネアに、ヒルドは優しい声で保護した経緯を教えてくれた。
「先程、禁足地の森側の結界を見に行った時に、水溜りに転がり落ちて溺れていたのを見まして」
「ち、ちびまろ、危機一髪でした………」
「まぁ、餅兎の子供は頑丈なので通常であれば放っておくのですが、ネア様が気にかけていた子供達ですからね」
「頑丈………?」
「ええ。子供の頃は動くのは不得手だそうですが、風で山の方まで飛ばされていっても、元気に育つそうですよ。湖に沈んでも、岸に打ち上げられればまた元気になると聞いています」
「…………ちびまろが頑丈過ぎて、ちょっと混乱しています」
この辺りから山の方となると、かなりの距離を風に巻き上げられていることになる。
そもそも、湖の底から元気に戻れるとなると、もはや猛者と言わずにはいられない。
「…………でも、無事で良かったです」
そっと手渡されたタオルの上で、ちぎり餅な餅兎の子供達は震えてぎゅっと集まっていた。
ミューミュー鳴いているのは、怖かったと訴えているのだろう。
ぱっとディノの方を見れば、柔らかく微笑みかけてくれた。
「良かったね、ネア」
「はい!ディノも、雨の中一緒に探してくれて有難うございました。狐さんも、こんなに感動してくれて優しいですね」
ネアが涙目の銀狐をそう労えば、ヒルドはどこか遠い目をした。
「いえ、………この餅兎の子供達が許せないようでして」
「む?………許せない?」
「ええ。自分以外の毛皮の生き物を我々が気にかけるのが、どうやら嫌なようですよ。私がこうして運んでいる道中も、何度も床の上を転がって暴れてましたから」
そう教えてくれたヒルドに、ネアとディノはやや圧力をかけて爪先をぎゅっと踏んでいる銀狐に視線を落とした。
餅兎の子供達が無事で感動しているというよりは、じっとりとした目でこちらを睨んでいる。
「…………狐さん、子供達に向ける嫉妬は醜いですよ?」
ネアにそう言われ、銀狐はけばけばの尻尾をぴしりと立てて凍りついた。
そのまま、ゆっくりと数歩下がって絨毯の上にお尻を下ろすと、次の瞬間、お腹を出して仰向けになってのムギャムギャ大暴れが始まった。
「………ほわ。醜い嫉妬の舞を見ました」
「この調子ですので、こちらに来るまでに少々手間取りまして」
「と言うことは、狐さんにも捜索をお願いしていたのですが、ボール大事さに渋々やってたのでしょうか」
「恐らくは」
「………ノアベルト、起きて部屋に戻ろうか」
友人の痴態に悲しくなったのか、ディノは荒れ狂う銀狐に何とかして理性を取り戻させようとしていた。
しかし、荒れ狂う銀狐にはその悲しげな声は届いていないようだ。
「………あまり情をかけると、拗れるかもしれません。この子供達はゼベルにでも預けますか?」
「………いえ、お仕事と新婚生活の邪魔になるといけないので、嵐が収まるまではこちらで預かります。あまり構い過ぎないようにして、同じ部屋で狐さんの方を甘やかせば、少し心が落ち着くでしょう」
こちらの世界の嵐には、嵐の魔物や精霊などによる被害も出る。
本来なら、こうして手をかけて貰っているだけでも仕事の邪魔になっている筈なので、ネアは、これ以上誰かに迷惑をかけないようにした。
銀狐も回収して、忙しい家事妖精達の往来の邪魔にならないようにしよう。
「狐さん、私達のお部屋で一緒に嵐対策を考えましょうか?今の内にいい子になれば、長椅子の端っこを一晩貸し出しますよ?」
そう問いかけたネアに、銀狐の動きがぴたりと止まる。
そろりとこちらを見上げた銀狐を、すかさずディノが抱き上げた。
「ヒルドさん、お騒がせしました。それと、この子達を有難うございます。もし、お手伝い出来ることがあれば言って下さいね」
ぺこりと頭を下げたネアに、ヒルドは柔らかな微笑みを深めた。
凛とした羽の硬質な美しさに、窓の外の雨が映り不思議に揺らぐ影を見せている。
その特別な色にふと、ネアは目の前の彼があらためて妖精というおとぎ話の中の存在なのだと感じた。
「今のところ大きな被害は想定されていませんが、もし嵐の祟りものや、厄介な魔物が出るようであれば、ご尽力を願うかもしれません。主に、ネイを元に戻していただくのに」
ふっと悪戯っぽく微笑みの質を変えて、ヒルドは仕事に戻って行った。
そう言われれば、確かにノアは遊んで帰ってきたばかりで、今日はまだ働いていない気がする。
今もディノの手にぶら下げられながら、ネアの手にあるタオルを恨めしげに見ていた。
「困った狐さんですね」
「………どうしてこうなってしまうのかな」
「ムグリスディノが、ほかほかになると寝てしまうのと同じ原理なのかもしれません」
「ご主人様………」
タオルの上でミューミュー鳴く赤ちゃん達を部屋に連れ帰ったネアは、部屋に入って書き物机の上にそっと置かれたちびまろ達が、とある一点を見つめて目を輝かせたことに気付いた。
ぴたりと鳴き止んでお餅的に精一杯の伸びをして見ているので、視線の向けられる先に気付いたディノと銀狐もそちらを見る。
「…………視線が雪豹アルテアさんに釘付けです」
「ネア、またアルテア呼びになってるよ?」
「むぐ。………しかし今は、ちびまろ達の憧れの視線が気になりますね」
「………警戒しているのかな」
「ちびこい尻尾を振っているので、どちらかと言えば好きなのでは……」
(尻尾があったなんて!)
餅兎の子供達が背伸びをしてくれたお蔭で、ネアは初めて尻尾の存在に気付いた。
そんな丸い尻尾をふりふりして、雪豹アルテアを呼ぶように鳴くちびまろは愛くるしい。
そこまで精一杯の表現をされるとあまりの必死さに頬が緩んでしまうので、すっかり優しい気持ちになったネアは、椅子の上にあった雪豹のぬいぐるみをそっと書き物机に乗せてみた。
「………アルテアが」
ぽそりと呟いたディノも、いつの間にかアルテア呼びになっているではないか。
ネアは自分には甘いではないかと半眼になったが、視線はそのまま、素敵な現象の起きている書き物机を凝視している。
そこには、小さな体で転げるようにして駆け寄ると、雪豹のぬいぐるみにぴったり寄り添い、安堵の声を上げている餅兎の子供達がいた。
このぬいぐるみの毛皮は竜の亜種のものなのだそうだが、餅兎達には、ふわふわ毛皮の大きな生き物というだけで、お母さんに思えるのかもしれない。
「アルテアさんが、とうとうお母さんになりましたね……」
「………寝たみたいだね」
すっかり安心したのか、ぬいぐるみに寄り添ってすやすや眠るちびまろ達を眺めつつ、ネアは思いがけない異種族交流にほっこりする。
仮にも魔物の第三席のくれたぬいぐるみだし、毛皮も白いので元は高位の生き物だったのだろう。
それが今や、可愛いピンク色のちぎり餅達のお母さん代わりなのだ。
外では風雨が激しくなってきたようだが、風の音や雨の音も怖がらずに寝ているのは、このぬいぐるみのお蔭だろう。
天気が良くなって外に戻せるようになるまでは子供達に貸し出してあげようと思い、ネアはなぜか悄然としているディノと銀狐を連れて長椅子の方に戻った。
魔物達が悲しげなのは、アルテアが餅兎のお母さんになってしまったからだろうか。
相変わらず、思いがけない事態でダメージを受け易い生き物である。
「もちうさは、お水さえあれば生きていけるようですので、後でお水のお皿を置いておいてあげましょうね」
「………うん」
「ディノもあのぬいぐるみは気に入っていますが、今夜はちびまろに貸してあげて下さい」
「うん。…………アルテアは、あれでいいのかな」
「汎用性の高さは、本家のアルテアさんのようですね」
「汎用性………」
幸い、ぬいぐるみには排他結界の魔術をかけてあるので、汚したりする心配もない。
あまりにも可愛らしいので、ネアはアルテアのカードに、貰ったぬいぐるみが今夜一晩ちびまろのお母さんになったことを報告しておいた。
ネアの書いているメッセージを覗き込んでいる銀狐が、ふるふるしているので揺れて書きづらい。
「狐さん、書き難いですよ。………あ、お返事が来ました!」
カードには、ちょっと大きめの文字で“やめろ”と書かれている。
定型の相槌なので、ネアは一つ頷いてぱたんとカードを閉じた。
雨音は激しくなり、嵐はこれからのようだ。
大きく風に揺れる木々を眺めながら、ネアは午後の穏やかな時間を過ごした。
今回の夏嵐は、大きな被害は出なかったそうだ。
からりと晴れた翌朝、餅兎の子供達は元気に外に戻っていった。
ふわふわの臨時お母さんに寄り添って眠ったことでかなりの元気を貰えたようで、ミューミューと別れの挨拶をしながら、力強くお庭に旅立ってゆく。
ネアはほろりとしながら見送り、ディノはなぜかぬいぐるみをしっかり抱き締めている。
二度と他の生き物には貸し出さないという強固な意志が窺え、ネアは微笑ましくなった。
後日、少しだけ大きくなったちびまろには、今回の事件を聞いたゼベルが特製の小屋を作ってくれた。
秋の入りまでは嵐の多い季節になるので、臨時避難用の可愛らしいが立派な戸建てである。
花壇の横にきちんと設置されたのでネアも時々覗いてみるのだが、餅兎と一緒にコグリスやココグリスもみっしり詰まっており、毛皮天国になっている。
ノックをしてから扉を開けるので、お騒がせ料として覗く度に小さなビスケットを数枚放り込むようにしたところ、ノックする度に小さな家から歓声が上がるようになった。
それぞれ主食はあるのだが、甘いお菓子は別腹のようだ。
もう少し寒くなるとみんな渡りで巣立ってゆくのだが、この小さな家での暮らしを覚えていれば、来年もまたリーエンベルクの庭に帰ってきてくれるかもしれない。
来年も楽しみだなと思い、ネアは毛皮天国の扉をぱたりと閉めた。