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海水浴と海老



その日ネアは、ヴェルリアにある第一王子所有の離島に魔物達と遊びに来ていた。


ここは特殊な会談が行われたり、ヴェンツェルが少ない余暇を過ごす秘密の島である。

承認を得られる者しか入ることが出来ず、それ以外の者達にはそもそも島の存在すらわからないのだとか。

元々は海の魔物が秘宝を隠していた幻の島で、ドリーが呑み比べで勝って貰い受けてきたものだ。

海の魔物の守護はまだ生きており、前述のように鉄壁の守りが続いている。


海に霧がかかった日にだけ、蜃気楼のように島の影が見えることもあるそうで、船乗り達からは亡霊の島として恐れられているのだそうだ。


そこを一日貸して貰えたのは、前回の仕事のご褒美でもある。

とは言え、案外弟に甘いヴェンツェルが、海水浴に行くと知り、危ない外海ではなくここを使えと連絡をくれたのだ。

昼間はネア達がお借りし、夜にはダリルと門下生達の打ち上げが行われることになった。



「海水浴です!」


ネアは到着早々大はしゃぎで、魔物を振り返った。

魔物は恥じらってしまいへなりとしていたが、ネアがはしゃぐのも無理はない。

本来深い青色の海であるヴェルリアだが、この島の周りは南国のような綺麗なエメラルドグリーンの海になっているのだ。


海の水は透き通って淡い水色になって砂浜に打ち寄せ、色鮮やかな魚達が泳いでいる姿が見える。

砂浜はほぼ白に近く、かつてこの海域で死んだという珊瑚の魔物の亡骸が砕けてこの特別な砂になっているのだそうだ。

指でつまみ上げると厳密には白ではなく、白みがかった水色の結晶石が陽光に反射して白く見え、半透明の砂粒は、これが珊瑚の魔物なら存命の頃はさぞかし美しかっただろうなと想像させてくれた。


「日焼け止めは完璧ですが、やっぱり気分的にパラソルは立てましょうね」

「うん。………どこに浮かべるんだい?」

「…………浮かべる」


この世界の海遊び道具もなかなかに謎めいており、定番のパラソルはあるものの、それは浮遊の魔術でふわりと浮かべるもののようだ。

爽やかな水色のパラソルは、ばさりと広げられるとぷかりと浮かんでくれた。

念の為に、風に攫われてしまわないように地面に錨を下して固定する。

場所を変えたい場合には錨に繋がった鎖を持って引っ張ってゆけばいいので、設営も移動も簡単なのが嬉しい。


(日焼け止めも簡単だったし、魔術万歳!)


日焼け止めに至っては、事前予防薬を飲むだけでいいのだ。

日焼け止め相当のものとしては、塗るというか浴びるタイプのものもあるのだが、そちらは直に陽光を跳ね返すタイプなので視野がほんのり薄暗く、体感温度も下がってしまう。

砂漠などの灼熱地帯に赴く際には有効だが、海遊びにはいささか物足りない仕様なので今回は飲み薬にした。


青い小瓶に入って売られている日焼け止め薬は、ひんやりとしたグレープフルーツのシロップのような味わいで、単価もドーナッツ一個分くらいの安価なものだ。

それで一日分の効果があるのだから、お肌もべたべたしないし中々に優秀である。


「むが!やめるのだ!」


時々、魔物がネアの上着の裾を引っ張る。

海では水着が正装だからと説得したのだが、上に一枚羽織っていると上着の裾から水着のお尻が見えるのが気になるらしく、何度も裾を引っ張って隠されていた。


ウィーム風の水着の下は、ビキニスタイルではなくふりふりっとした超ミニのスカートのようなものがついたデザインなので、まだ刺激は少ないのが幸いである。

ただし水着らしくお尻の下側は少しだけ見えるし上はいかにもなビキニだが、ネアとしては水着は水着なので特に問題はない。

ディノの水着も、お馴染みの少しドレープのあるハーフパンツのような貴族的なウィーム水着だ。


「ほらほら、荒ぶらないで下さいね。プールで見慣れた格好ですし、ディノだって水着ではないですか」

「ネアが虐待する………」

「あら、私はこの水着は可愛くて好きですよ?ディノは、水着の私はお気に召しませんか?私は、水着のディノも好きなのですが」

「…………可愛い。ずるい」

「では、問題ありませんね」


このやり取りはプールで毎回やるやつなので、ディノは比較的すぐに鎮められてしまった。

唐突に上着の後ろの裾を引っ張られると、転びそうなのでやめて欲しい。



「さて、携帯用保冷庫と、素敵なテーブルセットも設置して完璧です!後は、このテーブル周りだけ、風で砂が吹き込まないように調整出来ますか?」

「では、浸食防止の結界で囲んでおこう。他には何をするんだい?」

「もうすぐ氷菓子を買った食いしん坊達が到着しますので、ゼノとノアを待っている間、少しだけ歩きましょうか。それとディノ、今日はくれぐれも私の目の届かないところで泳いではいけませんよ?」

「うん………」


ネアにそう言われ、まだ上手に泳げない魔物はしゅんとした。

数メートルなら泳げるようにはなったのだが、残念ながらきちんと泳ぎを楽しむには往路だけで力尽きる計算である。

その代りに海の底をすたすた歩く技術は持っているので、ネアは最後の方で海の底体験をさせて貰う予定であった。


(………すごい、夏休みっぽくなってきた!)


海は透き通っていてえも言われぬ色合いであるし、氷菓子班到着までの時間をディノと一緒に素足で波打ち際を歩いてみると、引き波で足裏から砂が持っていかれる感触が何だか楽しい。

あたたかな砂にひんやりとした海水の温度もまた、夏の海という感じでわくわくした。


海辺にはヤシの木のようなものが生えてはいるが、ローズマリーに似た香草の茂みがあり、淡い紫色の花をつけてふんわりといい香りを放っている。

満開の百日紅は華やかな赤紫で、その足元には名前のわからない青色の背の高いヒヤシンスのような花が咲いていた。

海岸から森に続く小路の向こうには、いかにも南国という雰囲気のブーゲンビリアの花の色も見える。


「ディノ、これは何でしょう?」

「海の結晶石だね。……おや、そちらは珍しいね、氷河の結晶だよ。波に運ばれたのかな」

「素敵なものなのですか?」

「氷河の記憶が結晶化したものだ。熱病を退けたり、氷の難を避けたりするそうだよ」

「氷の難………それはもしや、つららが落ちてくるのを防ぐとか、足元の氷が割れて落ちるのを防ぐとか、そういうものでしょうか」

「………確かに、どういう効果なんだろう」


波打ち際には、いくつもの結晶石がシーグラスのようにきらきらと輝いている。

立派にカットされた宝石にしか見えない青いものも砂に埋もれて発見され、ネアはそれが、嵐を避ける海嵐の結晶だと知って喜びの内に収穫した。

銀色尻尾のアクスの幹部の話から、海嵐の精霊が狼風だと聞いているのだ。


(これを持っていたら、会えるかもしれない!)


魔物はどこか疑わしげな目で収穫に弾むご主人様を見ていたが、繋いだ手を引っ張ると途端に目元を染めた。

相変わらず、三つ編みリードでないと弱ってしまうのが残念な生き物である。


「ネア、走ると危ないよ」

「こうして走るのも、気持ちが盛り上がった感を体感するお作法なのです!」

「そうなんだね」


ご主人様に引っ張られて走った魔物は、ばしゃばしゃと足元で跳ねる波に小さな妖精達が群がるのを不思議そうに見ていた。


「ディノ、あっちの奥の方から、海の色が変わっていますよ。色合いが混ざり合って綺麗ですね」

「あのあたりから島を隠すための魔術の壁が切り替わるのだろう。ほら、少しだけ上の方の空が光っているだろう?」

「見えないカーテンがあるようですね。…………こうして、柔らかくて淡い色彩がどこまでも続くと、何だかほんわりしてしまいますね」

「ネアは海が好きなのかい?」


そう言われて眺めるのは、楽園のような明るい世界だ。

こうして目に入る色彩の美しさに感嘆しても、やはりどこか、ネアの一番はウィームの森や、イブメリアを映す雪景色だという気がする。


「どちらかと言うと断然森派ですが、こうして時々遊びに来ると幸せな気持ちになります。荒々しい海ではなくて、こういう南洋らしい色彩の楽しく遊べる海が好きですね」

「それなら、またどこかの海を見に行こうか」

「ええ、今度はのんびり海を眺めるだけのお休みも楽しそうです!それと、今度、ヒルドさんの出張に連れていって貰える予定なのですが、嵐などが重なってしまって先延ばしになっているんです。それも………あらあら、寂しくなってしまいました?」

「ヒルドと二人で行くのかい?」

「お仕事で行くので、あまりみんなでは行けませんから。でも、どうしても寂しい場合は、ムグリスディノになってポケットに入っていますか?」

「うん………」


しゅんとした魔物を撫でてやり、ネアは小さなピンク色の巻貝を拾い上げた。

ところどころ宝石質になっており、薔薇水晶のような半透明の輝きが美しい。


「初めて、ディノと海に来た記念にしましょうね」

「ご主人様!」


狡猾な人間に転がされ、魔物はたやすくご機嫌になる。

嬉しそうに目元を染めたディノに、ネアは繋いだ手を引っ張った。


「さて、そろそろ戻ってみましょうか。走りますよ!」

「ネア?!」


波間で走った大人げない生き物達に、小さな滴に羽が付いたような妖精達は大喜びで囃し立てる。

その小さな妖精達に拍手で見送られ、ぜいぜいしながら戻ってきたネア達に、いつの間にか到着していた氷菓子チームが手を振った。



「ネア、氷菓子買ってきたよ!」

「ゼノ、………わ!なんて綺麗な氷菓子なんでしょう」


テーブルの上には色とりどりの氷菓子がある。

ゼノーシュとノアが並んで買ってきてくれたもので、状態保存の魔術をかけて好きな時に食べられる仕様だ。

お店で並んでいる時、列の前にいた女の子達とノアがお喋りをしていて、真剣に並んでいるゼノーシュはメニューが回ってこなくて少しだけ腹が立ったらしい。


「果物がいっぱい乗ってるんだ。僕、ここのお店の大好き」

「芒果に、これはメロンでしょうか。半分が真っ白なものもありますね」

「ミルクシロップと紅茶シロップみたいだよ。青いのは青りんごと菫で、赤いのは苺とライチ。後はね、こっちが飲み物でエルダーフラワーの甘い炭酸水と、ミントの紅茶ね」

「まぁ、こっちも爽やかで可愛いですね!」


ネアが目を奪われた飲み物は、大きなクリスタルの水差しの中に、炭酸水とエルダーフラワーの小花がいっぱいに入っていて、輪切りにされた檸檬と蜂蜜も入っているようだ。

ネアは元々大好きな飲み物なのだが、こうして用意されると見た目も夏らしくて可愛いのが嬉しい。

ミントティーはミントの葉がたっぷり入っており、清廉な緑色に染まってこちらも爽やかだ。


「ゼノーシュがいるから、食べ物も少し買ってきたよ。この貝を焼いたのは、ほこりのお勧めなんだって」

「香草に、お塩とバターでしょうか。とってもいい匂いですね」

「ほこりは、お店にあるだけ買うんだって」

「むぅ。さすがほこりです。今日も、来れれば良かったのですが」

「ほこりは、あんまり外に出るの好きじゃないからね」

「シャンデリアさんが浮気をすると困るので、お城に遊びにもいけませんしね」

「うん。シャンデリアは浮気しないよって言ったんだけど、心配なんだって」

「ノアは行ったことあります?」

「行こうと思ったこともないなぁ。…………ネア、シルが何か見付けてるよ」

「ディノ?」

「…………これは何だろう」


ネアがゼノーシュとノアとお喋りしている間、ディノは足元をじっと見ていた。

何を発見したのだろうと思ってみんなで覗き込むと、小さな小瓶が砂に埋まって落ちていた。

透明なガラス瓶にはコルク栓があり、中には紙片が入っているようだ。

ネアが手を伸ばしたのを制し、ノアが拾い上げる。


「………うん。呪物とかではないようだね。開けてみよう」

「むぅ。ドキドキしますね」

「ネア、私の後ろにおいで」


どうも事故を貰い易いネアは魔物達の後ろに隠れ、ノアが少し劣化しているコルク栓をきゅぽんと空けた。

中に入っていた紙を取り出し、くるくるっと巻いた細長い紙を両手で広げる。


「………燃やそう」

「ノア?一瞬で畳まれてしまったので見えませんでした。何が書いてあったのですか?」

「大丈夫だよ。世の中には知らなくていいことがたくさんあるからね!」


そう言い残してノアはその紙を燃やしに行ってしまい、ネアとディノは顔を見合わせる。

角度的にディノにも中身が見えなかったようで、唯一その秘密を目撃したゼノーシュが何を記した紙だったのか教えてくれた。


「前にネアが読んでた、塩の魔物の本の宣伝だったみたい」

「…………どこまでも拡散しようとする、挑戦的な作者の姿勢にぞくりとしました。ノアはどれだけの恨みを買ったのでしょう」

「続きは出ないよね………」


ネアがそう言えば、ディノは怯えたように頷く。

ただしこの場合、ディノの恐れはこの本に続刊が出ないかどうかに向いているようだ。

塩の魔物の転落物語が完結していることを再度確認され、ネアは残念ながら十五巻で完結したことを教えてやった。

あれだけ一気に夢中で読んだ本は最近なかったので、この作者の次回作にも期待している。


「エーダリアとヒルドも、お昼だけ来るんだよね?」

「おかえりなさい、ノア。もう隠蔽工作はいいのですか?」

「何のことかな?」

「エーダリア様達は、お昼を食べる時に来ますので、それまではのんびりと海遊びを楽しみましょう。ゼノは、海辺で氷菓子をいただくのですよね?」

「うん。疲れちゃうから海には入らないけど、砂浜で氷菓子食べるの大好き」

「ノアは、…………泳げるのでしょうか?」

「ありゃ、僕は泳げるんだよ?それに、訳あって海の系譜は少しだけ有利な属性だしね」

「塩……………」

「うん、まぁ、そうだね」


少し秘密めいた微笑を浮かべてみたが、残念ながらわかりやす過ぎたので、ノアの思わせぶりな発言は一瞬で解明されてしまった。


ネアは、セーラー襟の服で海仕様のクッキーモンスターの可愛さに、胸が苦しくなる。

この島は固有種以外の生き物はいないので、ゼノーシュは白地に紺のあまり見ない服装をしており、その姿を見られただけでもネアは幸せいっぱいだ。



「ディノ、海に入りましょう!」

「うん。浮き輪………」

「大きいのを準備してありますよ。少し遊んでから、磯の方に行きましょうね」

「磯…………」

「私にとって、海と言えば磯が一番の狩り場なのです!」

「ネアは、海でも狩りをするんだね」

「美味しいものを捕まえますね!」


さて海水浴だとばっと羽織っていた上着を脱いだネアに、ディノはなぜかぴゃっとノアの影に隠れてしまう。

ノアは日常的によく見る光景の範囲なのかさして動じず、隠れてしまったディノを不憫そうに見ていた。


「ディノ、プールでも水着は見慣れていますよね?」

「外にいる。…………ずるい。可愛い………」

「ふむ。照度の違いがあるのですね」

「ネアは着痩せする方だよね………って、シル?!」


荒ぶった魔物に後ろを向かされてしまったノアは、勢いあまって転びそうになっていた。

海遊びはしたいが本格的に泳ぐつもりはないらしく、水着にシャツを羽織った軟派な服装だ。

ふと気になってくるりと見回し、ネアは、残念ながら仲間達は皆色白なので、海に連れてくるといささか不健康そうな絵になるのだなと短く頷く。


ドリーやグラストがいれば、健康そうで爽やかな絵になっただろう。


「ところで、泳いだりもしつつボール的なものも出てきますが、ノアは平常心を保てるのでしょうか?」

「………ありゃ、ボールがあるんだね」


ネアがさっと取り出したビーチボールに、ノアはどこか悔しそうな表情になる。

銀狐の姿だったらおおはしゃぎで飛びかかった筈だ。


「因みに噛み付くと空気が抜けてしまいますので、狐さんはご遠慮下さいなボールなのです」

「誰が作ったのか知らないけど、狐差別じゃないかなぁ」

「狐目線なんだね……」


時々魔物ではなくなってしまうノアに、ディノはどこかしょんぼりとしている。

せっかくのはしゃいだ空気がしんみりしてしまうので、ネアは魔物達を海に誘った。




「…………で、俺は何で岩場に呼ばれたんだ?」

「使い魔さん、あの隅っこに隠れている海老を取って下さい!」

「おい、自分の服装を考えろ。何でその恰好で岩場にいるんだ………」


水着のまましゃがみ込んだネアは、鋭い目で潮溜まりに潜んだ海老を睨みつけている。

先程から攻防戦を繰り広げているのだが、中々岩の窪みから出てこないのだ。

なりふり構わず必死の狩りなので、先程から見守っているディノは時々震えている。

それでも、ご主人様が潮溜まりに落ちないように、腰に手を回して支えていてくれた。


「あやつめ!絶対に捕まえて、網焼きにしてくれる!」

「砂浜を出るならせめて、上を着ろ………」

「水辺で狩りをするのに、びしゃびしゃになる上着など着ていられません!それと、素敵な貝も捕獲しました」


ネアが黄色の琺瑯のバケツに入った戦利品を見せれば、アルテアは若干引いているようだ。

鮑のような貝に、サザエのような貝が二つ、魚が一匹と大きな青い海老が入っている。


「言っておくが、お前の海遊びの獲物は漁師の範疇だ。大人しく、貝殻や珊瑚でも拾ってられないのか」

「まぁ、海でも万能な姿に嫉妬心を隠しきれませんね。砂浜でもあれこれ拾いましたよ。結晶石や、金貨に、煙管も……」

「待て、最後だけ様子がおかしいぞ」


そこでネアは、先程浜辺で発掘してみんなで大騒ぎをした煙管を、金庫から出してアルテアにも見せてあげた。

真っ白な象牙のような素材で、美しい雲と空を表現した彫り物がある。吸い口のあたりは紫水晶のような石で、繋ぎ目には艶消しの淡い金に螺鈿細工めいた装飾のあるもので装飾されていた。


「…………雲の魔物の煙管だな。あいつ、海に落としてたのか」

「ふっ、こやつはもう私の物になりました」

「どうしてお前は、すぐにろくでもないものを拾うんだろうな」


呆れ顔でしみじみ呟かれ、ネアは得意げに微笑む。

拾ってきた時には、ディノもノアも大騒ぎしたが、強欲な人間はさっと金庫にしまい込んでしまったので、仕方なく目を瞑ろうといった具合だ。

先日の牛追い祭りの後に嵐が来た所為でもあるのだろうが、こんな風に滅多に誰も来ない浜辺には、様々なものが打ち上がっているようだ。


「収穫の祝福のお蔭でしょうか。それと、海老をお願いしますね」

「悪いが、俺は磯遊びに向いた服装じゃないんでな」

「おのれ!海に来るとわかっていて革靴を履いてくるようなお洒落さんには、海水でもかかってしまえばいいのです!海老も捕獲出来ないような使い魔さんは、約束通り砂浜でスパイシーチキンを焼いていて下さい!!」

「お前達の休日の為に、わざわざ料理を持って来てやったんだぞ」

「アルテアさんは、あの事件以降すっかり懐いてしまいましたね」

「やめろ」


いつもよりは軽装だが、海というよりはどこかのリゾート地のプールサイドにでもいそうな服装で来たアルテアは、岩場だと靴底が滑るのかそそくさといなくなってしまった。

ネアは仕方なく、隠れている海老をほじくり出すべく、先程から手に持っている枝を握り直す。

鮑的な貝を引っぺがして採取したご主人様を見てからディノはすっかり怯えてしまっていて、あまり使い物にならないのだ。

潮溜まりに身を乗り出し、ぐっと手を伸ばす。


「ネア、………この体勢はちょっと、………もう諦めたらどうだい?」

「大物を残したまま、戦いを放棄することは出来ません!むっちりと太った海老めを、逃がしてなるものですか!」

「ではせめて、アルテアの言うように何か着ようか」

「今は真剣勝負中なのです。もさもさした格好で、戦いの邪魔をされたくありません!」

「ご主人様…………」


ふるふるしている魔物は、海老に夢中のネアのどこを押さえて固定しておいたらいいのかわからないようだ。

確かに水着で素肌面が多いので、両手をついて屈み込んでしまうと、体に手を回すのにも躊躇があるのだろう。

しかしネアとしては、この程度の潮溜まりに落ちる程愚かではない。


「…………お前な、何て恰好してるんだ」


さていよいよ死闘の時と思ったネアだったが、不意に上からばさりと布のようなものをかけられた。

むっと眉を顰めて見上げると、火バサミを持ったアルテアが顔を顰めて立っている。

手袋をして火バサミを持っているので、スパイシーチキン用の火を起こすついでだろう。


「なぜにテーブルクロスで覆われたのだ」

「いいから、さっさと立ち上がれ。それと、その恰好は二度とするな」

「生きて行く上で、割とよく必要になる体勢です。封じられたら、棚の下の方にしまったものを取り出すことすら出来ないではないですか」

「ほら、ネアは立とうか」

「むぐぅ。海老………」


最後の戦いを邪魔されたネアは眉を顰めて厳しく後任の戦いを見守ったが、アルテアは火バサミを使って器用に海老を捕獲してくれている。

とは言え不安定な体勢で潮溜まりを覗き込むので、革靴を少し濡らしたようだ。

水面に見えない足場を設けるという魔物らしい荒業に、魔術可動域六の人間はぎりぎりと眉間の皺を深くした。

そんな素敵なことが出来るのであれば、ネアだって岩場に四つん這いになる必要はないではないか。



「あ、ネアお帰り」

「ゼノ!獲物を持って帰りましたよ!食べれるものは、使い魔さんがお料理してくれます」

「ありゃ、ネア、どうしてテーブルクロスをかぶってるの?」

「聞いて下さい、ノア!アルテアさんが、上からかけてきたんですよ。海水浴でテーブルクロスの刑に処されるなど、何という辱めでしょう」

「お前は黙れ」

「自分が厚着してきてしまったからって、私まで潮風を遮断するつもりですね!ゆるすまじ」

「そうか、チキンはいらないんだな」

「なぬ?!」


慌てたネアはばすんと正面から体当たりしてやってから気付いた。

これはディノ専用の懐柔手段である。


「手法を間違えました。これはディノ専用…………む、死んでいます」

「ネア、水着で体当たりとかご褒美でしょ!僕にもやって!」

「酷い、ネアが使い魔に浮気する」

「むぅ。カオスになりました………」


突然の攻撃によろりと後退してから、片手で顔を覆ったまま動きを止めてしまったアルテアを、ネアは斜め下から覗き込んでみた。

特に表情に変化はなさそうだが、片手で顔をしっかり覆ってしまっているのであまり表情は読めない。

じっと見上げていると視線に気付いたのか、手を外して妙に静かな目でこちらを見下ろす。

お昼ご飯係が生き返ったようなので、ネアはほわりと笑顔になった。


「ごめんなさい、アルテアさん。ディノ用のご褒美を間違えて与えてしまいました。普通の方には困った処方だと思うのですが、チキンを焼き終わるまでは死なないで下さい」

「お前は少し危機感を持て………」

「…………チキンごときで、私のウエストはなくなりません」


さっとお腹をかくして威嚇した人間に、アルテアはどこか遠い目をした。

ネアは、その直後に隣から投げ込まれた三つ編みに半眼になる。


「なぜなのだ」


そっと三つ編みをお返ししてみたが、しかし魔物は、頑固に三つ編みを投げ込み続けた。



「シルハーンの水着は、貴族の型なんですね」


その時、ひょいと顔を出した新規参戦の魔物にネアは振り返った。

秘密の砂浜でわいわいする会に無事に間に合ったのは、仕事明けのウィリアムだ。


「ウィリアムさん、お仕事が終わったみたいで良かったです。ディノの水着は、温泉プールの時に買ったものなんですよ」

「ああ、だからか。ウィームはだいたいこの形だな。………あれ?アルテアは泳げないんでしたっけ?」

「俺は餌付けの仕事があるんでな。言っておくが泳げるからな」

「ウィリアムは泳ぐんだね」

「ん?ゼノーシュも泳がないのか?」

「うん。僕、泳ぐとお腹空くから駄目なんだ」


たいそう可愛らしいやり取りを眺めつつ、ネアは三つ編みを持たせてきた魔物がしょんぼりしていることに気付いた。

みんなは泳げると知ってしまったディノは、何だか寂しそうだ。


「ディノ、私も本格的に泳ぐ方ではないので、海では足がつくところでのんびり遊びましょうね」

「君は、もっと遠くまで泳がなくていいのかい?」

「海で遠くに出ると、余程体力に自信がないと海の藻屑になってしまいます。私は浅瀬で……」


ネアの言葉が途切れたので、一同はその視線の先を追った。

波間に何やら大きな黒い影が映り、すいすいと泳いでゆく。


「なにやつ…………」

「波竜だな…………」


ネアはどこか嫌そうにそう呟いたウィリアムを見上げる。

そのままぐるりと周囲を見回せば、アルテアとノアも嫌そうな顔をしている。

ディノとゼノーシュは、不思議そうに波間を見つめているばかりだ。


「波竜は美味しいのですか?」

「お前にとって海の生き物は、大概食糧なんだな?」

「む!海の精霊王さんは、世界一の白もふです!しかし、あやつはまるでお魚のようです……」

「ネア、あの浅瀬であの巨体なんだ、どういう生き物なのか想像出来るか?」

「………ウィリアムさんの説明で、あやつが薄っぺらいことが判明しました。美味しくなさそうですね……」

「ネアがいらないなら、追い払って来ようか」


ウィリアムが微笑んでそう言ってくれ、ブーツを脱いで浅瀬にばしゃばしゃと入っていった。

肌の色はやはり白いのだが、どこか軍人めいた肢体のせいで、ウィリアムはエメラルドグリーンの海を背景にしても違和感がない。

先程の発言からすると水着も持って来ていそうなので、ネアはきちんと海を楽しむ姿勢に感心する。



「ネア、何かあったのか?」


そこに到着したのは、お昼休みを利用して浜辺のランチにやって来たエーダリアだ。

ノアが残した転移門を使いグラストと一緒に来ていて、ヒルドは後程グラストと入れ替わりでやって来る予定だ。


「波竜さんが出現し、ウィリアムさんが追い払いに行っています」

「な、波竜!」



ここで竜大好きっ子のエーダリアが波打ち際に駆けていってしまったので、ネア達は、チキンを焼くアルテアを囲みながら温かく見守ることにした。



今のところ、海水浴は平和と言えそうだ。








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