161. 形が嫌いなやつでした(本編)
「リーエンベルクに戻ってくると、ほっとしますね」
ネアがそう言えば、今日は断固椅子になるらしい魔物がこくりと頷く。
ネアの異変を察し、あれこれと事情を聞き出そうとしたアルテアとウィリアムはひとまずご退席いただいて、ネアが同席して貰ったのは、リーエンベルクの仲間達と、自分の魔物であるディノだ。
このくらい近しいところでないと報告出来ないと思うくらい、ネアは精神的なダメージを受けている。
早めの夕食の時間と合わせて、ネアはみんなに集まって貰っていた。
唯一グラストは外せない見回りが重なってしまったが、手持無沙汰になったウィリアムがお喋りをしながら一緒に回るようで、そっちも気になるゼノーシュは随分悩んでいたようだ。
王都での捕り物騒ぎは夕方までに落ち着き、ダリルはウィームから部下達にその後始末の指示を出している。
「ネア、大丈夫?」
「ゼノ、心配してくれて有難うございます。隠し持っていた雪菓子を、五個も食べてしまいました」
「あの光竜との、由縁がわかったのだな」
「…………ふぁい」
かくりと項垂れたネアに、結論を急がせてしまったエーダリアはヒルドに睨まれている。
しかしここは、ネアが頑張って話さないといけないところなのだ。
「………それと、拘束椅子の圧力が強いです」
「ご主人様………」
「食べたばかりですので、お腹周りはもう少し余裕を持たせて下さいね」
「逃げたりしないかい?」
「安心して下さい。ご主人様は野生には帰りません」
そう言えば安心したのか、ディノは少しだけ腕を緩めてくれた。
その代わり、ごすりと頭がネアの肩に乗せられる。
とても重大な告白をするのには妙な体勢だが、これで我慢するしかなさそうだ。
すうっと息を吸って、ネアは覚悟を決めた。
「………私は、あの光竜さんと、…………バーレンさんとお会いしたことがありました」
「それは、相手が竜だとご存知の上ででしょうか?」
「………はい。なぜかずっと私には見えなかった、あの光竜さんの特徴でもある首元の痣があります。あれを今日見せられて、やっとわかったのです」
「そうか。マグメルリアで遭遇した時にも、あの痣が見えなかったと話していたな」
「となると、その光竜は、あえてネア様に首元の痣を隠していたのですね」
「……………多分、誰なのか思い出されてしまうからでしょうね」
記憶を共有したウォルターの絵ではぴんと来なかったが、直接見て記憶を刺激されて、やっとわかったのだ。
「実は、………最初からずっと、あの瞳をどこかで見たことがあるような気がしていました。でも思い出せなくて、ご近所に他にも綺麗な青い瞳の方々がいるからかなと考えていたのですが………。狐さん、爪先を踏むのはやめて下さいね」
早く結論を聞かせろと、銀狐はネアの爪先をぎゅっと踏んでいる。
どこか頑固な目をしており、あまりバーレンに対して好意的ではないのだとわかる。
「彼は回収しましょう」
幸い、銀狐はヒルドが抱き上げて回収してくれた。
むがむがと怒っているが、エーダリアの膝の上に設置されるときりっと胸を張ってご機嫌である。
「………あの痣は、私のブーツの靴底の模様なのです」
思い切ってネアがそう言ってしまうと、部屋はしんとした。
「靴底………なのかい?」
「ディノが頼んでくれた靴職人さんは、靴底の模様もとても素敵なものにしてくれました。靴底にも祝福をかけてくれたと、教えてくれましたよね」
「うん。…………と言うことは、彼は君に踏まれたことがあるの、……かな」
既にもう、エーダリアと銀狐の目は若干引いた感じになってしまっているが、ネアは頑張って続けることにする。
こうして話せば話すだけ心が死ぬシステムなので、野次を飛ばすであろうアルテアと、空気を読まないで心を抉るかも知れないウィリアムにはご退席いただいた次第だ。
当事者と協力者なのに申し訳ないが、所詮ネアは自分が一番大事なのである。
「実はその時、ディノだけではなく、エーダリア様とヒルドさんともご一緒でした。夏至祭の夜の部の帰り道のことです」
そこまで言えば、ヒルドが目を瞠った。
椅子になった魔物も、小さく息を飲むのがわかる。
「あの海竜の子供でしたか!」
「ネアが踏んで殺しかけた竜だね」
「むぐ!……しかし、足元をちょろちょろされたので、踏むしかないところまで追い詰められたのです!思えば、バーレンさんは竜の外套を着て、夏至祭に乗じてウィームの内偵に来ていたのでしょう」
「それで、ネアに踏まれちゃったんだね」
「ゼノ、わざとではなかったんですよ?あの日は、悪いやつもたくさんいました!」
「い、いや、………だとしても、それでお前を気に入ったのだろうか?」
そう不思議がるエーダリアに、ネアは沈痛な面持ちになる。
どうしてこの上司は言いたくないところを抉ってきてしまうのだろう。
「エーダリア様、よく考えて下さい。だから、私は泣きたいくらいに怖いのです」
ネアのその言葉に、椅子になった魔物がさっと頭を撫でてくれた。
「ネア、可哀想に」
「むぐふ。……ただでさえ、私にはもうディノがいるのです。加えて野生の変態さんなど、もう手に負えません」
「ネアって、そういう生き物に好かれちゃうんだね」
「ゼノ………」
「しかしそれは、その光竜が思わせぶりに口を噤むことでしょうか?」
「それが怖いところなのです!スカートの下に入った不埒者兼、ちょろちょろ邪魔だったので踏み潰しただけの事案だったのです。それなのに、あやつはさも特別な思い出のように語る始末。これ程に恐ろしいことがあるでしょうか。私はもう、ディノだけで充分なのです!」
「そ、そうだな………」
「………まぁ、竜は己より強いものに焦がれるそうですから」
「あんなちび竜に化けていたら、誰にだって踏み潰せますよ。それをまるでものすごい過去を共有しているかのように言われて、私はとても恐怖を感じました」
「可哀想に、怖かったね。もう二度と近付けさせないから、安心していいよ」
「ディノ…………」
弱り切ったご主人様を抱き締めて魔物はご機嫌だが、そもそもこの魔物が変態一号であることは理解していないようだ。
まさかの再びの重症変態者の出現により、ネアの心はぼろぼろなのである。
ゼノーシュの言うように、そんな生き物が好んで寄ってくるとしたら、ネアとて運命を呪うしかあるまい。
「ただ懐いているだけなら、捕まえて犯人逮捕の雰囲気で押し通せば、飼えたかもしれないのに!あやつめが変態だった所為で、私の目論見は台無しになりました!」
「ほら、竜はやはり君には向かないようだよ。今度、竜革の靴を買ってあげるから諦めようか」
「………変態を踏み潰したことを思い出すので、竜革以外の靴がいいです」
「わかった。そうしよう」
ぴょんとエーダリアの膝から飛び降りて、銀狐が伸び上がってネアの足にすりすりしてくれた。
とても可愛いが、夏毛なのでフワフワ感は皆無である。
「アルテアさんに知られたら馬鹿にされます。自分から言いたくはありません……」
「わかった。ウィリアムとアルテアには、私の方から伝えておこう」
「エーダリア様に、お手数をおかけしてしまいますが、お願いしてもいいですか?」
「ああ。それと、あの光竜の目的は、竜の王冠を持ち去った者が同族かどうか調べることが目的で良かったのだな」
「宝物庫を襲ったディノのことを、同族だと勘違いされて、探していたようですね。だからきっと、ヴェルリアでは毎晩竜の歌を歌って仲間を呼んでいたのだと思います」
「そう思えば、手段としてとんでもないところに手を貸してくれたが、哀れなものなのかも知れない」
「………そう思うと、撫で撫でしてあげたくも…」
「ご主人様?」
魔物がひやりとするような声を出したので、ネアはふすんと言葉を飲み込んだ。
正直なところ、バーレンのそういう寄る辺なさには心惹かれるのだ。
自分も仲間を得て幸せに暮らしているので、彼が一人ぼっちだと思うと胸が苦しくなる。
しかし、あのような麗しい男性姿の竜に、踏まれたアピールをされると怖い以外の何物でもない。
(…………せめて、踏み潰したときのちび海竜だったら可愛いのに)
そう考えた途端、ネアは思いがけない啓示を得た。
(そうだ。小さければ、変態的な感じも薄らぐのでは………)
そう思うと少しだけ、逃がしてしまったことが惜しいような気がする。
悔しくなって光竜は何を食べるのだろうかと本で調べていたら魔物が荒ぶってしまったので、ネアは二日ほどは渋々大人しくしていた。
因みに、アルテアからはお前らしい出会い方だなと苛められたので、頭突きで黙らせてある。
慰謝料として素敵なさくさくミートパイを貰ったので、撫でてやろうとしたら逃げていってしまった。
ウィリアムからは、そういう趣味の者を悦ばせないように、踏むときは滅ぼす覚悟で挑むようにというある意味突き抜けた指導をされてしまい、ネアはその危険性をも考慮しなければいけない現実を思い知らされ少し落ち込んだ。
そんなこんなで心が擦り切れたネアは、牛追い祭りの三日後のその日、エーダリアから思いがけない報せを受けた。
「お前が奪取してきた毛髪から、リーエンベルク内に光竜の侵入が確認された。こちらの防衛結界を監視していた騎士からも報告があり、小さな獣の姿をしているようだが、魔術基盤に響く足音が大きいそうだ。あの狐の擬態のように魔術質量までは隠せていないからな。恐らく、竜の外套で擬態した光竜ではないかと思われる」
「………エーダリア様、バーレンさんに会ってみてもいいでしょうか?」
「会いたくないんじゃなかったのか?」
「実はその件で、少し酷い言い方をしてしまったので、謝りたかったのです」
本当は勧誘をするつもりなのだが、狡猾な人間の口は滑らかである。
真摯な感じで嘆願し、その要求を条件付きで許可して貰うと、にやりとほくそ笑む。
その笑みを見たエーダリアからは、絶対に何か企んでいるなと呆れられてしまったが、賢い人間は好機を逃がさないのだ。
かくして、リーエンベルクに侵入したバーレンを、ネアは外客用の外側から特殊遮蔽の出来る部屋で待つことになる。
たいそう荒ぶる魔物に、明日の海遊びでとっておきの遊び方を教えてあげると丸め込み、ヒルドへの報告はエーダリアの影からささっと済ませた。
ノアにも苦言を呈されたが、ボール遊びをちらつかせれば黙ったので、ちょろい銀狐である。
続き間になった隣の部屋にディノとノアが控えることを条件に、ネアは今、バーレンの訪れを待っている。
わざとらしく廊下をゆっくり歩いて一人でこの部屋に入ったので、頭のいいバーレンであれば誘いだと気付くだろう。
(今日は、少し曇りがちだけど気持ちのいい夏の日だわ……)
さわさわと、窓の外の木々が風に揺れている。
黄色い小鳥が飛んでゆくのが見え、青空にその黄色が映えた。
微かに聞こえる水音は、中庭の噴水の音だろうか。
そんなことを考えながら、図らずも一人の時間を楽しんでいれば、誰かがコートを脱いだときのように、ふわりと部屋の空気が動くのがわかった。
「…………もう、お会いすることはないかと思っていました」
振り返ったネアを見返したのは、部屋の中にひっそりと立つバーレンだ。
あの青い外套を着ていて、やはりどこか落胆に疲労したような寄る辺なさがあった。
「この国を発つ前に、君に会いたくなってな」
「それで、会いに来てくれたのですか?」
「俺を厭わないのだな。………数日前までは、迷惑だと言っていたのに」
(それは、踏まれたアピールをする変態だったからなのだ)
つい心の中ではそう言い返してしまったが、ネアは人間らしい技術で返答を曖昧にした。
「ふむ。………そんな嫌なことを言われたのに、どうしてバーレンさんが会いに来てくれたのかが、不思議なのかもしれません」
「さあ…………。自分でもよくわからない」
微笑もうとして失敗したかのように苦く微笑んで、バーレンは、美しい夏の景色に視線を向ける。
嵐が戻りつつあって強い風が吹いていたあの日とは違い、長閑で健やかなばかりの風景だ。
「ここ数日はどうしていたのですか?ご飯は食べています?」
ネアがそう尋ねれば、バーレンは困惑したように目を瞠った。
その無防備さにひりつくような孤独の棘を見て、ネアは優しく微笑みかける。
「………食事か、あまり考えもしなかったが」
「食べないと駄目ですよ。食事は体の資本です。心が苦しいことは辛い事ですが、体を壊してしまうと不愉快さが倍増します。自ら、より嫌な状況になることもないでしょう?」
「…………君は、そういう思いをしたことがあるのか?」
青い瞳は、その清廉さ故に、孤独な印象を強めるような気がした。
きっとバーレンは、ネアなどより全然強いのだろう。
しかし、強さというものが苦しみを退ける訳ではないのだ。
ディノにも見る孤独の厄介さのように、長く生きた高位のものであれ、失望や絶望の牙は鋭い。
さっと、焼き菓子の篭を差し出したが、苦笑して首を振られてしまった。
「ええ。私はその時、家族を失いました。世界中で一人ぼっちのような気がして、自分でも不調を意識しないままに体調を崩してしまったことがあります」
「その………大丈夫だったのか?」
「ふふ、バーレンさんは優しいですね。症状が怖くてひやりとしたので、頑張って治しましたよ。家族の残してくれた屋敷を箱庭のように閉ざして、破滅への時間をゆっくりと数えながら、それでも自分を大事にして自分なりに我が儘に生きていました」
「なぜ、そんな風に?………人間なら、幾らでもいるだろう」
「そうですね。…………確かに人間という生き物はたくさんいました」
そう微笑んで、ネアは青い瞳を見つめる。
「でも私はきっと、その中でもジョーンズワースという種の生き物だったのでしょう」
「ジョーンズワース?」
「私は、ジョーンズワース家の娘です。世界にたった四人しかいなかったジョーンズワースは、弟が病気で死に、両親は殺されてしまいました。私はその最後の一人です」
「……………しかし、人間は家族単位で閉じてはいない。人間は多く群れて繋がる生き物だ。違うか?」
「ふふ、そう思って当然ですよね。……でも、こちらの世界の言葉で言うならば、私は家族を殺されて祟りものになった怪物です。怪物は怪物なりに浅はかに、復讐が終われば元の人間に戻って、人間達の群れの中で素知らぬ顔で生きていけると思って頑張りました。……でもその時にはもう、私は二度と元には戻れなかったのかもしれません」
「…………なぜ、疑問形なのだ?」
「それは、私にも分からないからです。どうして愛せないのか、どうして愛されないのか。みんなが暮らすようには暮らせず、どうして自分は破滅してゆくのか。どうして、ひとりぼっちなのか」
ネアはそこで言葉を切ると、少しだけ苦笑してみせた。
「………それは今でもわかりません。どうしてみんなはチクチクするセーターを着ても平気なのか、どうして私だけそのセーターが着られないのか。みんなと同じように暖かい思いが出来ず、仲間もいない私は惨めでした。いつしか孤独にも不公平にも慣れて心は静かになりましたが、それでもやはり、どうして自分だけ誰も愛せないのかはわかりませんでした」
「でも今は、魔物の指輪をしているではないか。高位の者達の守護を得て、恵まれたところで暮らしているだろう」
ここでネアは、バーレンが魔物の指輪のことまでも知っているのだと気付いた。
誰かが言ったのかもしれないが、本当にネアのことをよく知っている。
だがここで、踏まれて懐いたと考えると鳥肌が立ってしまうので、それだけは考えないようにしよう。
「ええ。ご存知の通り、私は現在とても幸せです。高慢な人間は、このように運命が帳尻を合わせて幸せにしてくれなければ理不尽だと思うので、当然だという強欲さで幸せを貪り尽くす所存です」
「……………ではそう言うことだ。お前は勝ち抜けて幸福を掴んだ者。俺とは違うのだな」
そう言ったバーレンに、ネアは得心した。
この竜は傷付いているのだ。
そしてその苦しさを、自分の不幸を知る誰かに話したかったのだろう。
「バーレンさんは、どうだったのですか?」
ネアは尋ねてみたが、無言で首を振ったバーレンは、どうもネアの話を聞きたいようだ。
であれば或いは、一人ぼっちになったことのある他の者がどうなっていったのかを知りたいのかもしれない。
そう考えて、バーレンはこの先どこに行くべきかわからないのかも知れないと思った。
「契約の魔物を得て、それで満足したのだろう?」
そう聞くくせに疑問形で話すバーレンは、きっとネアの返事を知っているような気がする。
望んだものではないものを与えられたその先で、どう生きてゆくべきかを学ぼうとしているのだろうか。
「しかし、私が欲しかったのはみんなと同じものなのです」
「………これは、違うと?」
「私は、迷い子です。これ幸いと過去の自分を葬り去り、新天地で普通の幸せを手に入れてほくそ笑む予定が、使い心地のいいセーターを手に入れるつもりで、手入れ方法がちょっとよくわからない国宝級のドレスを渡された感じでした」
「……………国宝級のドレス」
「手入れが大変で、持っていると目立つので防犯上も宜しくありません。おまけに普段着に向かないので、たいそう苦労します」
「………まぁ、そうだろうな」
「世の中には何億もの普通のセーターがあるのに、よりによって国宝級のドレスかと愕然としましたので、速やかに返品して普通のセーターと取り替えようと試行錯誤しましたが、あえなく挫折しました。国宝級のドレスはたいそう嫉妬深く、私の欲しい普通のセーターを滅ぼしてしまうのです」
「………………この例えはいつまで続けるつもりだ?」
「あともう少しですよ。……しかしそんなドレスも、仕方なく普段着にしていたら少しくたびれてきて馴染むようになりました。以前の絢爛豪華さは減ってしまいましたが、着慣れると悪くありません。そして私の周囲は、そのドレスのように癖はあるけれど貴重なものばかり転がっている、いわば魑魅魍魎の地」
「魑魅魍魎………」
「はい。私の所感としては、案外エーダリア様が集めてしまっているような気がします。それなのに、第三者ぶる困った大家さんですね。………とまぁこんな感じなのですが、あなたもセーターのない寒くて堪らない子なので、案外魑魅魍魎でもいける気がします」
やっと珍妙な例え話が終わったかと安堵していたバーレンは、思いがけない話の逸れ方に目を瞬いた。
椅子にでも座ればいいのだが、立ち尽くしたままのところがまた、この竜の無防備さという感じがする。
「………どう言う意味だ?」
「悪さをしないというお約束の上でなら、こちらのお家に一緒に来ませんか?今更光竜さんが混ざっても、どうせごちゃ混ぜの一欠片ですよ。それに、私はこの世界に来てから一度は竜を飼ってみたかったのです」
「…………待て、なぜ飼うという表現なのだ?」
「…………む。本来の姿は、竜のお姿なのでは?」
「そ、そうだが。だが我々は、人間よりも遥かに古い種族だ」
とんでもないことを言われているのだが、バーレンは怒ってはいなかった。
寧ろ困惑しきった様子で、話の通じない人間に途方に暮れている。
「そこはほら、時代の流れで古くなるものがありますから。今は二足歩行の人間の時代ですので、竜さんは野生の獣さんの括りですね!」
「………君は、竜に関する知識をどこで仕入れたのだ?」
「むぅ。竜と言えば、がおーと勇ましく鳴き、どすどすと頑丈な足を踏み鳴らす、蜥蜴の王様のような格好良くて知性のある獣さんです。空も飛べて魔法も使えるので、番犬にはうってつけの憧れの生き物でした!」
さすがに、この後の返答までは一拍の間が空いた。
はらりと零れた銀髪を振るえる指で掻き上げて、バーレンは瞳に慄きを映す。
「俺を、番犬にするつもりなのか………?」
「リーエンベルクのお外に小屋を作れば、外敵の駆除も思うがまま!しかも、生き物のお世話があまり得意ではない私ですが、竜さんなら自立してお風呂もお食事も自分で出来ますものね。まさに便利………いえ、憧れの生き物です!」
「…………小屋に住むつもりはないが」
「まぁ。昨今、獣さんにも立派過ぎるお家を与えてしまう風習がありますが、あれはどうかと思うのです。やはり生き物にはその本分に見合った住まいというものがあってですね…」
「おい、その手に持っているものは何だ?」
「鞭と首輪です!リーエンベルクの騎士さんの伝手で、本職の竜騎士さんにお借りしたものなのですが、最初は上下関係をしっかりつける為にびしばし躾けないといけないと聞きました!さぁ、お利口さんに首輪を嵌めて、リーエンベルクの看板竜になって下さい!」
「や、やめろ!首輪などするものか!こ、こら!鞭を使うな鞭を?!」
「むぐ。鞭の使い方がまだイマイチ分かりません。これで力一杯引っ叩けばいいのではなかったのでしょうか。力学的にはもっとしならせた方が…」
結果、傷心の光竜の最後の一匹は恐ろしい人間に追われて部屋中を逃げ回り、そんな竜を部屋の角に追い詰めた残忍な人間は、ばたんと扉を開けて駆け付けたディノとノアに取り押さえられた。
「ご主人様、どうして竜なんかと特別な遊びをしているのかな?」
「むが!離し給え!最後の一匹なので、ほろりと泣ける親近感を育てる話で籠絡し、絶滅保護の建前でお庭で飼うのです!あやつは、寂しんぼうで私に懐いているのですよ?」
「いや、懐いてないんじゃないかな。震えてるよ?」
「………むぅ。犬用ジャーキーも持って来れば良かったでしょうか。誰か、餌付けする為のおやつを持って来て下さい」
慌ててそう周囲を見回したその時、ぱたりと扉が開いていい笑顔のヒルドが部屋に入ってきた。
その後ろから、非番だったらしいゼノーシュもついてくる。
「侵入者があったようですが、ネア様はご無事ですか?…………おや、光竜の系譜の竜がいますね?」
すっと瞳を細めて微笑んだシーを見た途端、バーレンは、ぴっと飛び上がってしまい、がたがたと震え出してしまった。
ヒルドとの面識はない筈なのだが、どこか光竜を狩り慣れた気配が伝わってしまうのだろう。
まさに天敵に出会った小動物の仕草なので、ネアは頭を撫でてやりたくなる。
「ヒルドさん、お庭で竜さんを飼いたいのに、魔物達が邪魔をするのです」
「ネア様、竜の管理は大変ですよ。何しろ体も大きいですし、そうなると散歩も一苦労では?」
「大丈夫ですよ。ちび竜にもなれる優秀な子ですから!良い番犬にします!」
「それと、大変申し上げ難いのですが、この竜はすっかり怯えてしまっていますので、番犬には向かないでしょうね」
「あら、私の魔物が来てしまったので、怖がってしまったのでしょうか」
「かも知れませんね。それと、リーエンベルクは雪竜の庇護がありますから、他の系譜の竜を恒久的に住まわせるのは、残念ながら許可出来かねます」
「…………ほわ。竜さん」
ネアはがっかりしてバーレンを見つめたが、なぜか目を合わせると震えて俯いてしまう。
ジャーキーがなかったのが敗因かなと、ネアは己の詰めの甘さを呪った。
「ほら、ネア、駄目だったろう?外に捨てて来てあげるよ」
「しかし、この子には同族がいないのですよ?せめて、保護対象として首輪を」
「こらこら、済し崩しで捕まえようとしないの。ほら、君も早く逃げないと捕まるよ?」
「ノア!あともう一歩だったのに、逃してしまってはいけません!使い魔さんを手放した今こそ、この野望を果たす時なのです!!」
竜を飼いた過ぎて荒ぶるご主人様を持ち上げた魔物が酷く暗い目をしていたその時、ふわりと部屋に姿を現した魔物がいた。
「残念ながら、その提案は却下だな」
「む。元使い魔さんですね。なぜここに居るのか知りませんが、去るべし!時代は美味しいより、可愛いの時代に突入しました」
「俺が残念だと言ったのは、お前に対してだぞ?」
「…………む?」
「先日、お前のところの魔物から相談があってな。使い魔がいないと、ご主人様が竜を拾ってくるので困るそうだ」
その言葉にネアは、ぎりぎりと振り返った。
酷薄な魔物らしい目をした美しい生き物が、どこか投げやりな微笑みを浮かべている。
「………ディノ?」
「………君は、すぐに竜に浮気してしまうからね。君の魔術可動域は、この魔物の使い魔の契約で埋めておいたよ」
「な?!………し、しかし、私は何もしていませんよ?」
「ネア、使い魔の方が積極的に契約を望むなら、代理契約が可能だからね。ほら、私と君は婚約しているし、そもそも契約をしている身の上だろう?君の利益を増やすという意味での契約であれば、代理人として契約を受けられるんだ」
恐ろしいことを言い出した魔物に、ネアはふるふるしながらアルテアの方を見た。
選択の魔物は、どこか弄うような美しい微笑みでこちらを見ている。
「ま、そういうことだ」
「おのれ、何という仕打ちでしょう!人型の生き物を飼うのはもうたくさんなのです!愛くるしい生き物を飼いたいのだ!!」
暴れ出したネアに、すっかり怯えてしまったバーレンを窓から逃してやりながら、ノアとゼノーシュは顔を見合わせる。
「竜って愛くるしいかな?」
「いや、僕はそうは思わないけどなぁ。ほら、さっさと逃げないとネアに首輪をつけられるよ?」
「す、すまない」
「お腹空いてる?飴持っていく?」
ちょうど、バーレンが、窓から飛び降りようとしているその時に、ネアは気付いてそちらを見た。
視線が絡み合い、切なげにこちらを見ている生き物に、ネアは必死に手を伸ばす。
「バーレンさん、ここでみんなと一緒に……くっ、逃げた!!」
さっと逃げ出した竜にネアはがくりと崩れ落ち、ヒルドは違う窓からそちらを覗いて一目散に飛び去って行く竜の後ろ姿を見送る。
「おや、残念でしたね。久し振りに光竜が狩れるかと思っていたのですが」
「わーお、ヒルドってばあの竜狩るつもりだったんだね」
「ウィームの歌乞いを誘惑する、悪しき竜ともなれば」
「どっちかっていうと、捕まえようとしたのはネアだけどね」
地団駄を踏むご主人様に、ディノはご機嫌でその頭を撫でていた。
「ほら、唸らないで。私がいるのに、どうして竜なんか欲しいのだろう」
「ちび竜になってくれたら、普段は愛くるしいちび竜で、いざとなると強くて大きい竜になるという、いかにも定番な展開が楽しめたのです」
「………お前にとって、あいつの人型は計算に含まれていないんだな?」
「む?………しかし、竜さんは、竜の姿こそ本当の姿。野生のままでいるのが一番です」
「普段は小さくしておくなら、自然さの欠片もないだろうが」
「ちび竜さんなら、変態性が薄れます!それに小屋も犬用のもので賄えますし、節約になるのでは?」
「………何だろう、ご主人様と新しい遊びをしていた筈なのに、あんまり羨ましくなくなった……」
「いや、最初に羨ましく思ったこと自体、頭がおかしいぞ………」
そこに歩み寄ってきたのは、ウィリアムだ。
こちらもいつの間にリーエンベルクにやって来たのかわからないが、さも最初からいたような顔をしている。
優しく微笑みかけてくれた終焉の魔物は、ぴしりと指を立てると大切なことを教えてくれた。
「ネア、念の為に伝えておくが、光竜は咎竜と同じ原種の竜だ。四つ足と言うよりは、蛇に近い姿で、魔術を使い空を泳ぐが、それでいいのか?」
「で、でも、見事な翼がありましたよ?」
「ああ、上昇と着地の際にだけその翼を使い、普段は畳んでおくんだ」
「………咎竜めと、同じような形状………。ということは、乗れない………」
その途端、すっと気持ちを無くした残酷な人間の姿を、魔物達は目の当たりにすることとなった。
「愛くるしい感じはなくなりました。バーレンさんは野生に返してあげましょう。思えば、絶滅危惧種に人間風情が出来る事など皆無に等しいのです。そっとしておいてあげることこそ、我々の務め」
そう宣言してふんすと胸を張ったネアに、何か怖さを刺激されてしまったのか、ディノがへばりついている。
捨てないで欲しいとぎゅうぎゅう抱き締めてくる魔物の腕を押し下げて、冷めた目をした人間は周囲にぺこりと頭を下げた。
「よって、竜は飼いません。お騒がせしました」
「いえ、結論が出たようで良かったですよ。お疲れになったでしょう?お茶にでもしますか?」
「ほわ、ヒルドさんはいつも優しいです!」
「僕、お菓子食べる」
「あー、じゃあ僕も食べようかな。アルテア、何か持ってきてないの?」
「何でお前は当然のようにここにいるんだよ。さっさと帰れ」
「ネア、使い魔が乱暴する!」
「こらっ、使い魔さん。私の友人に手を上げてはいけませんよ!」
「…………おい、どう考えても関係性がおかしいだろ」
「やれやれ、またアルテアが使い魔か。次はいつ破棄するんでしょうね」
そんな阿鼻叫喚を眺め、細く開いていた扉をぱたりと閉じた一団があった。
有事に備えて駆け付けていた、エーダリアとグラスト、ゼベル以下三人の騎士達だ。
「…………私は何も見なかった」
「僕も、見てません」
「ネア殿の中で、原種の竜はいまいちなんですね。やはり女人だからか…」
「これを見てそう言えるのって、隊長くらいですよ………」
「ん?そうか?」
その日ネアは、エーダリアから正式に竜を飼ってはいけないとお達しを受けた。
とても悲しかったが、リーエンベルクの魔術基盤に良くないそうなので、泣く泣く諦めようと思う。
後から知ったことだが、なぜその日アルテアとウィリアムまで駆けつけたのかと言えば、ネアがきっとあの光竜を飼いたいと言い出すぞと考えた魔物達は、結託してリーエンベルクに待機していたのだそうだ。
今回の事件で竜が出現した段階から、ディノはアルテアと対策を議論していたらしい。
そして案の定ネアは騒ぎを起こし、とうとう正式にも竜の飼育を禁止されてしまったと言う訳だ。
「ご主人様が、また竜と浮気する……」
その夜、カードを開いて文通していたネアに、明日の海支度をしている魔物がへばりついてきた。
自分が仕事をさせられている内にネアが誰かと話しているので、いささかしょんぼりとしている。
「これはダナエさんですよ。どこかの島に滞在していて、満月の夜に上がってくる鯱を待っているのだそうです」
「鯱………」
「食べ放題らしく、季節の味覚なのだとか」
「季節の味覚なんだね」
「ええ。折角の機会ですので、どこかでバーレンさんに会ったら食べてしまわないようにお願いしておきます」
「竜に浮気する………」
「寧ろもう、どこまでが許されるのかわかりません」
「ご主人様…………」
ダナエには、もしどこかでバーレンを見かけたら、ネアの友達はもうダナエの友達でもあるので、食べてはいけないと伝えておいた。
(そう言えば、………バーレンさんは私のことをずっと昔から知っていると話していたような)
ふと、バーレンのその言葉が気になったが、あの日の海竜であるのは間違いないので、きっと言い間違えだろう。
竜への憧れを捨てきれないネアは、その日の夜はダナエと文通をして心を鎮めたのだった。