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159. 通り道は危険です(本編)



その日、王都は牛追い祭りの飾りつけに華やいでいた。


通常であれば赤などの華やかな色彩で飾られるところだが、今回は赤色で荒れ狂ってしまう牛の魔物が沢山闊歩するので、鎮静効果のある青色や淡い緑色の飾りが多いようだ。

小さな三角旗のようなものを色とりどりに繋げた飾りが家々の間に張り巡らされ、金色の装飾が街灯から吊るされている。

小さな魔物の牛のシルエットが描かれた手持ちの旗が売り出され、観客達はそれを持って場所取りに余念がない。


昨晩泊まらせて貰ったアルテアの屋敷を出て、ネア達はヴェルリアの街中に出てきていた。

今朝にもう一度エーダリアから指示の更新があり、やはりエルウィンを捕縛することになったのだ。


「ヴェンツェル様は、観覧席に入られたようですね」

「秋には、山羊追い祭りがあるみたいだね……」

「そちらは精霊山羊さんのようですよ。因みに年明けには、トマト投げ祭りがおこなわれ、トマトの妖精達が投げられるものかと荒れ狂うそうです」

「………人間はどうしておかしな祝祭を好むのだろう」

「牛追い祭りは、昔にあった事件を再現することで、疫病の魔物さんを退ける意味合いがあるようですからね。…………む。ということは、これはローンさんを祓う為のお祭りなのでは……」

「ローンは赤い色彩を持つ魔物ではないし、牛に斃されることもないだろう。他の生き物だったのではないかな」


牛追い祭りの起源は、ヴェルリアがまだ小さな国だった頃に現れた恐ろしい疫病の蔓延に端を発する。


疫病の魔物に支配された国で、聖人が飼っていた牛の魔物が奮起し、恐ろしい疫病の魔物をぼこぼこに痛めつけて現在の王宮前広場にあった牧草地に投げ込んだのだそうだ。

その功績によりヴェルリアから疫病はなくなり、病に苦しんでいた人々は快方に向かった。

よって、毎年この日は、そんな風に斃された疫病の供養をしつつ、無病息災を祝う激しい祝祭が繰り広げられるのである。


「………その斃されてしまったものは、赤い色のどなただったのでしょうね?」

「系譜の色が赤であれば、火や夏の系譜のものだろうね」

「恐ろしい人違い感が否めませんが、長く続く伝統のお祭りになってしまっています」


ヴェルリアでは、葡萄酒よりも強い蒸留酒や、大勢で飲みやすい麦酒などが人気なのだそうだ。

きりりと冷やしたお酒があちこちで売られ、既に出来上がってしまった商人や船乗り達が楽しそうに歌っている。

そんな賑やかな街を抜けて、ネア達は行方をくらましているエルウィンの捜索に入った。


ネア達がアルテアの屋敷でのんびりしていた昨夜、ネア達をその場に待機させて、王都の中枢ではあれこれと進展があったのだそうだ。


(やっぱり、少しだけ事件に深入りし過ぎないように調整されてるかな……)


そう思うのは、先代の歌乞いの話を聞いたからか、下っ端調査員の通常仕様だと知っているからか。

もしかしたら、昨晩のアルテアのお料理接待も、ネア達がしでかさない為の見張りだった可能性もある。



「それにしても、ヴェンツェル王子はわざと襲わせただなんて。きっと、ドリーさんは怒ったでしょうね」


ネアがそう呟くのは、今日の計画実行前に一つでも多く手札をと考えたヴェンツェルが、昨晩の襲撃の際にエルウィンに一撃入れていたことが判明したからだ。

探索用の術式に使う為の血を手に入れたと言われ、さてはわざとかとドリーが頭を抱えたらしい。

エルウィンはドリーのふりをして侵入したようなのだが、一撃を返す余裕があれば、接近にも気付いていたに違いなく、避けられた攻撃だったに違いないのだとか。


「血を奪われてしまったことで、王都から出られないように縛りの結界をかけられているそうですが、ご本人にはそのことはわかるのですか?」

「何を敷かれているのかはわからなくても、血を奪われたことは理解しているだろう。血を使って道を繋ぐような呪いも考えた上で、やはり今日の内にどうにかしようと考えるだろうね」

「血を奪ったのですから、行動を制限したりは出来ないのでしょうか?」

「君の時もそうだったが、少量の血は道になる。だが、鎖になる程の血を奪うくらいであれば、その場で捕獲した方が無駄がないね」


捜索隊のネア達がその血を借りることも議論されたが、やはり接近を知らせる為にヴェンツェルの側で使うのが一番だとされ、現在はドリーが保管しているようだ。

もしエルウィンが直接第一王子を襲撃することがあっても、血の持ち主が近付くと火が灯るという蝋燭の魔術をかけてあるらしい。


(……手引きした第一王子の専用棟の女官さんは、遺体で発見されたということだから)


そちらは、竜の外套を使ったバーレンだと考えられていた。

フードを被った火竜を連れて歩いていたそうだが、周囲の者達は火竜の気配に道を開けるばかりでそれが本当にドリーなのかを確かめなかったらしい。

その時ドリー本人は、誰かに突然王宮に放り込まれたと泣いていた火竜の子供を捕まえていたので、それが陽動だったのだろう。


「王宮内では皆さんがあまりドリーさんを直視しないとか、よく内部の事情をご存知ですね」

「竜の外套を使って何度か偵察に入っていたのだろう。或いは、自分で竜の王冠を取り戻そうとしたのかもね。そこまで執着するなんてよくわからないな」


(…………そういうものなのかしら)



その言葉に、ネアはふと疑問を覚える。

ネアは強欲な人間なので王冠を取り戻したいのだと考えてしまうが、人外者はそう思わないものなのだろうか。

であれば、バーレンの目的は本当に王冠で良いのだろうか。


昨晩聞いた竜の歌を思い出し、なぜか胸の奥がむずむずする。


「………そう言えば、こうして歩いているだけで、ディノにはエルウィンさんの居場所がわかるのですか?」

「もう夜が明けたから大丈夫だよ。ゼノーシュ程に目がいい訳ではないけれど、今回は探しやすい竜だからね」


ディノ曰く、火竜の系譜は潜伏に向かない竜種なのだそうだ。

昨晩のような祝祭の前夜で様々な生き物が蠢いている日でなければ、他の人外者よりも体温が高く魔術の熱量も大きいので見付け易いのだそうだ。

そうなると、火の系譜は大気や大地の系譜にも馴染まず浮かび上がる為、隠れる為には己の資質を削って擬態するしかない。


「隠れてしまう可能性はないのでしょうか?」

「でも、今日は作戦を決行するのだろう?血を奪われた状態で擬態をすることは好まないと思うよ。火竜も海竜も繊細な魔術の操作に長けた竜種ではないから、擬態をして追手を察知出来る程の術式は編めない」

「となると、元の姿のまま、攻勢に転じる機会を窺いながらこの近くに潜んでいるしかないということになるのですね」

「そうなるね。………ああ、あの講堂の裏にいるようだ」

「………探し始めて五分も経たない内に見付かるとなると、不憫な気さえしてきました。では、ディノは少しだけポケットに潜んでいてくれますか?」

「…………ネア?」

「あの方は、神経質そうなご容姿が勿体ないくらい、少々迂闊で短慮な感じです。今は色々と追い詰められているようですし、無力そうな私が一人で乗り込めば少しお喋りするかもしれません」

「その必要があるのかい?」

「ディノの守護は万全なので私はすっかり信頼してしまっているのです。あの竜さんと、少しだけお話ししてみてもいいですか?」


ネアがそう言えば、ディノは静かな目でひたりとこちらを見た。

凪いだ湖面のような静謐で奥底が見通せない澄明さに、ネアは少しだけ背筋が伸びるような感じがする。

アルテアのこともあり、少し考えさせてしまっているのなら、拗れないように言葉を重ねておく必要があるだろう。


「ディノ、私はこの竜さんに対しては、完全に他人です。当事者であるヴェンツェル様やドリーさんにはやはり感情が絡みますが、最初は契約の竜として選ばれたくらいに優秀な方なのでしょう?であれば、くしゃっとやってしまう前に、再利用出来ないのか面談してみたいのです。因みに、再利用が可能でも私は欲しくないので安心して下さいね」

「おや、こんな風に危険を冒して手をかけるのに、君はいらないのかい?」

「ええ。ドリーさんは好きですが、この火竜さんはいまいちでした。しかし、どこかの誰かにとっては良い労働力になるかもしれませんから」

「あの竜を気にかけるのは、彼を気に入っているからでもないんだね?」

「あやつめの気持ちはどうでもいいのです。しかし、素材は悪くありません!」


こうして手を差し伸べてみるのは優しさではなく、異世界から来たが故の勿体無い精神のようなものだ。

火竜の王族で海竜の血を引いているなど、なかなかの逸材ではないか。


そう説明すれば魔物はどこか釈然としない様子でムグリスディノになってくれたので、その手触りに歓喜しつつポケットに入って貰った。

うっかり寝てしまわないようにポケットは魔術で冷やしてあるので、ちびこい三つ編みをしゃきんとさせて鋭い目をしている。

そんな風に威嚇しているくせにあまりにも短い前足の愛くるしさに、ついつい撫でまわしたくなったが今は余裕がないので諦めるしかない。



そして、ディノが指定した石造りの壮麗な講堂の裏手に回ると、砂色のフード姿のあからさまに不審な人影を見付けた。


(…………こんな簡単にいるんだ)


こつこつと石畳を歩く音に、射殺すような鋭い眼差しがこちらに向けられる。

擬態していない姿で会うのは二度目だが、アルテア回収のあの夜も、バーレンを踏み潰していたとは言えこちらに向かってきていたのでネアの容姿は認識しているのだろう。



真っ青な青空は見えるが、日差しを遮る講堂の濃い影の中なのでこの裏通りの気温はひんやりとしている。

表通りで祝祭の牛追いがあるからか、人影のない裏通りでもどこからか喧騒が聞こえた。



「ウィームの歌乞いか……」


憎々し気な声で呟いてから、素早く周囲を見回すので、ネアは微笑んで首を振った。

なぜか涙目で少しだけ震えているが、激辛香辛料油で攻撃したトラウマだろうか。


「今はまだ私と、この私の契約の魔物だけです。エルウィンさんと、少しだけ話してみたいと思い来てみました」

「キュ!」


ポケットの中のムグリスディノが勇ましく鳴き、エルウィンは鼻白んだようにこちらを見返す。

何かを言いかけてやめたのは、単独でやって来たネアの迂闊さを嘲笑しようとしたところで、少しだけ警戒し直したかららしい。


「俺と話してどうする?この計画を止めようとするつもりか?それとも、契約の魔物にかけられた呪いを解いて欲しいと懇願するのか」

「いいえ。勿体ないと思ったので、転職勧誘に参りました」

「…………転職勧誘?」


微かに目を瞠ってしまってから、その驚きを隠すようにあらためてこちらを睨みつけた火竜は、鮮やかな色彩が華やかで美しい青年だ。

彫り深い面立ちは整っているし、赤と青のそれぞれに良いところ取りの色彩は思わず見惚れてしまうくらいに綺麗な透明感を持って、人外者らしい特別な色を見せてくれる。


「エルウィンさんは、すごい竜なのだと聞いたのです。であれば、覚悟を持ってきちんと謝罪すれば、その高い能力惜しさに匿ってくれる方もいるのではないでしょうか?ドリーさんにもきちんと謝って…」

「ドリーに?………王族の系譜の俺が、一族の忌み子のドリーに頭を下げろと言うのか?」


その一言でネアのちょびっとだけの善意はあえなく死んでしまったのだが、そうとは知らずにエルウィンは吐き捨てるような口調で言葉を重ねてゆく。


「俺は王族の血を引く者だ。母方の海竜とて準王族の血筋。それなのにどの一族にも重用されず、人間の王族達も俺の前で頭を垂れようとしない。その不敬を甘んじて受け、尚且つ、ドリーなどに頭を下げろと言うのか?」


言葉選びは乱暴だが、エルウィンは決して声を荒げはしなかった。

他の場面では気の短い部分を見せることもあったが、自身の問題については軋るような低い声で語られるからこそその心中の激しさが伝わるような口調で、淡々と怨嗟を連ねてゆく。


(………もし今回の陰謀が上手くいってしまって、手薄になった護衛代わりにこの人を登用しようという声が上がったとしても、それは上手くはいかなかったような気がする)


エルウィンがどれだけ優秀な竜だったとしても、彼の望みがこの言葉の中に沈められた怨嗟に連なるものである限り、ヴェンツェルは彼を使おうとは思わないだろう。


エルウィンがそう扱って欲しいと望む王族の権利のそれと、実際にそうしなければいけない契約の竜の立場はまるで違う。

それはドリーのように、或いはヒルドやダリルのように、もしくは話にしか聞いたことはないが、第五王子を溺愛しているロクサーヌのように、やはり、保護者や補佐官としての契約に向いたお互いの信頼が必要なのだと、ネアは思う。


「それなら、自分を評価しない居心地の悪い場所ではなく、どうして他に居心地のいい場所を探すなりしなかったのですか?才能はあるのですから、引く手あまただったでしょうに」

「………父と同じことを言うのだな。あいつも、いつもそう話していた。他国の王族を紹介してやるだの、高名な魔術師や他種の竜と交流しろだの……」

「まぁ、であればお父様は、きっとあなたのことを心配されていたのでしょう。そういう身内の方がいてくれるのは頼もしいことですね」

「とうに殺した。………言うに事欠いて共に穏やかな土地で暮らそうなど言い出した、あんな軟弱者など」

「ご自分の、………それも、そんな風にあなたを案じてくれたお父様を?」


ネアが小さく息を飲んだのを、エルウィンは嘲るように一瞥する。

種族が違うのだから親族の結びつきの在り方はわからないが、それでも他の竜を見る限り、身内を大事にしている竜種も幾らでもいる。

彼の父親だって、息子を大事にしていたようではないか。


(他の人の持ち物を羨むくせに、どうして自分の手の中にある大事なものを壊してしまうのだろうか)


ネアは少しだけ、自己満足の為にこの竜と会話をしたことを後悔した。

後味の悪い物語を読み聞かせられたように、知ってしまったその過去は、鋭く重い。



「あなたは、繊細で器の小さな臆病者ですね」

「…………何だと?」

「無職の竜さんなら、その翼を使ってどこにだって行けるではないですか。どんな風にだって生きられた筈です」

「正統な居場所がここなのだ。火竜の王族は、ヴェルリアを長らく守護してきたんだ」

「でもそれは、あなたを苦しめる場所なのでしょう?だというのに、自分を傷付ける棘だらけのものを欲しがって怒っているあなたは、繊細なお馬鹿さんです」

「…………そうか。生きながらにして、内臓を炙られたいのだな」


ネアは怒っているエルウィンを眺めた。

とても怒っているし浅はかだが、やはり苦しむ者は哀れでもある。


「私も無い物ねだりで苦労しました。しかし、私にはあなたのような強さも立派な翼もなく、お金や伝手すらなく、どこにも行けない惨めな人間でした。ですから、あなたのような凄い方ならどこにだって行けた筈なのにと、とても残念な気持ちになります」


傲慢にも、既に勝敗をつけたかのように語るネアに、エルウィンの足元が揺らめくのは、火の魔術に繋がる陽炎の予兆だろうか。



「必要だったのは、王座だ」

「それでなければというものが誰にだってあります。でもあなたの場合、本当に必要だったものは、ご自身の手で壊してしまったものだったのでは?」


がりっと嫌な音がした。

鋭い爪を具現化した手で、エルウィンが石壁を抉り取った音だ。


「…………バーレンがどう言おうと知ったことか。お前は、苦しめて苦しめてから、炙り殺してやる」

「断固拒否します」

「その獣になった契約の魔物しかいない状態で、どう逃げるつもりだ?お前にかけられた守護など、容易く引き剥がしてくれるわ」


そう陰惨に微笑んだ火竜は華やかな面立ちと相まって美しくもあったが、ネアは微笑んできっぱりと首を振ってやった。


「残念ながら、酷い目に遭わされてしまうのはあなたの方ですね」

「お前な………ど」



エルウィンの言葉が途切れた。


サルビア色の青い瞳を割れんばかりに見開いて凝視しているのは、ネアのすぐ後ろだ。


よろりと一歩後退して、肩が狭い路地の石壁に当たる。

迷い子のようにおろおろと周囲を見回してから、へたりと膝から崩れて腰を落とした。



「まったく、困ったものだね。この子は不愉快にも君に情けをかけようとしたというのに。……さて、君はどうするつもりだったのかな?」



心から怯える生き物を見ると言うのは、あまり気持ちのいいものではなかった。

なのでネアは、魔物が哀れな火竜を脅している間に、首飾りの金庫から染色用の魔術玉を取り出す。

その仕草でエルウィンが震え上がったのは、激辛香辛料油を出されると思ったからだろうか。

しかしネアが取り出したのは、今回の変装続きでとてもお世話になったものだ。


「ネア、これをどうして欲しいかい?」

「当初の予定通り、この通りに敷かれた魔術に干渉するような魔術が使えないように、ちょっぴり弱体化して下さい」

「壊してしまえばいいのに。火竜は他の竜種の中でも執念深い竜だ。それに、君達人間では捕らえられない決まりごとがあるのだろう?」

「ええ。でもそれは、私の魔物であるディノもそうなのでは?」

「おや、そんなこと幾らでも調整出来るよ?」


ネアの問いかけに、ディノは婉然と微笑んだ。

真珠色の長い髪を隠しもしない、最高位の魔物らしい凄艶な美貌に、ムグリスからの落差でネアは何だかどきりとしてしまう。

そんな自らの力を分かった上で微笑んだ老獪な魔物は、こんな竜など早々に殺してしまいたいのだろう。


「いけませんよ。規則通りに我慢して下さいね。勧誘に失敗した以上、今回の件はやはり第一王子様側に預けるべき問題となりますから」


ヴェンツェルの側には、人間と火竜の契約に縛られないドリーがいる。

そこに送り届けさえすれば、エルウィンの処分はドリーが受け持ってくれるだろう。


「今日は祝祭で、彼等には役割と位置がある。引き取りに来させるとなると時間がかかるけれど、それまで意識を奪っておこうか?」

「いえ。今日は素敵なお祭りですので、第一王子派が仕組んだと言われないように自然にこの下手人を送り届け、尚且つ仲間だという貴族さん達も上手く道連れにするきっかけ作りも出来るよう、派手にやる為の送迎係を用意してあります」

「送迎係?」

「ええ。その後の騒ぎまで見越した上でダリルさんが考えたのですが、流石の恐ろしさで私はちょっと可哀想になりました」



そしてネアは、容赦なく白持ちの魔物の出現に震え上がっているエルウィンに向けて、染色玉を投げつけた。



「ていっ!」


げふげふと咳き込む火竜の仕上がりを眺めて、ディノが何かを悟ったような目になった。


「………ダリルらしいね」

「ダリルさんらしいのです。因みに、昨晩の一件で激怒したドリーさんの要素も加味されているそうです」

「竜の宝に手を出した者を、竜は決して許さないというからね」

「ダリルさん曰く、最大の抑止力になる筈の凶器なので、もっと早く公にするべきだとのことでした」

「………王宮前の広場は騒ぎになりそうだ」


魔物は少し怖くなったのか、ネアにそっと三つ編みを差し出してきた。

ネアもあまりにも非道な作戦に戦慄を禁じ得ないので、その三つ編みをしっかり握る。



「…………なぜだ。祝福の結晶石を使って解呪すれば、術式を解こうとした者にも呪いが跳ね返るようにしてあった筈だ」


その言葉に、ネアとディノは顔を見合わせた。


「ですが残念ながら、あなた方の呪いは最初から完璧ではなかったのです。そこが盲点でしたね」


ネアが落ち着き払ってそう言えば、エルウィンの瞳に微かな狼狽が過ぎる。

白いディノを見た衝撃から少しずつ立ち直りつつあるのか、或いは余程計画に自信があるのかどちらかだ。


「そんな筈はない。バーレンの契約の魔術によって、術式を持ち寄った者達は皆、誠実であることが求められた。己に可能な限りの術式を提供し、あの呪いを完成させたのだ」

「残念ながら、その中に不幸にも騙された方がいたのか、或いは騙されるのも計算尽くの頭のいい方がいたようです。よって、あなた方の作った呪いは、市販の解毒剤を五百倍にしたところ、すんなり解くことが出来ました」

「…………すんなりじゃない」

「む。………確かに被験者には、酷い二日酔いのような副作用症状が出ましたが、まぁ、その程度です」

「ご主人様…………」

「しょんぼりしないで下さい。呪いが解けたのが一番でしょう?」

「うん………………」


酷い二日酔いになどなったことがない魔物は可哀想なくらいにくしゃくしゃになっていたので、ディノにとっては酷い体験だったようだ。

イブリースは同じ属性の解毒剤のもっと上等なものを与えられけろりと元に戻ったのだが、それは内緒だ。



「………と言うことですので、王宮前広場でイブリースさんに偽物めと擬態解除薬をかけ、第一王子様を窮地に追い込もうとする企みもおじゃんになりました」


何しろ本物なのだ。

変な薬をかけられて短気なイブリースが荒れ狂うくらいで、寧ろ逆効果である。



「…………くそっ、仲間達に…」


慌てて立ち上がって転移しようとしたエルウィンは、一拍おいてぞっとしたように己の手を見た。


「転移は出来ないよ。君が立っている場所には、今日の祝祭の為の魔術規制がかけられている。先程までは君の魔術階位が上だったから気にも止めずに済んでいたものだが、今はもうその規則を破ることは出来ない」


そう教えた魔物を静かに見返し、エルウィンはたった今気付いたかのように、己の姿をまじまじと確認している。


「幸いにも髪の毛は元から素敵な赤なので、染め粉でお洋服を真っ赤にしておきました」

「………い、いや、そんなことなど不可能だ。本来なら、この道に敷かれた魔術規制に縛られないのが、私の魔術階位なのだ。バーレンは、我々に本来の利益を失わないような祝福を与えてくれている」


エルウィンはすぐさまそう反論すると、唇の片端を持ち上げる。

しかし、ゆったりと微笑んだディノの次の言葉を耳にした途端、ぱたりと手を落としてしまった。



「だから私は、そう修復されないように根本的なものを調整した。今の君の魔術階位は、この道に敷かれた魔術階位よりも低い。抜け出すことは出来ないよ」


はくはくと口を動かしてから、エルウィンは嗄れた声を上げる。


「ば、………馬鹿な。バーレンの魔術も解けない魔物のくせに、………そんなことなど」

「そうだね。残念ながら私は、あまりにも細やかな調整や理に纏わるものなど、不得手なものも沢山ある。その代わりに、私だからこそ練り直しやすいものもあるんだ。………例えば、君の魔術階位のように」

「………そ、そんな事が出来る筈がない!改竄であれば、それこそ取り戻せる筈ではないか!」

「おや、出来ないよ。世界はもうそう決められてしまったし、私が認識するということは、この世界がそうなったということだからね」



今度こそ声を失ったエルウィンに、ネアはふすんと鼻を鳴らして魔物の袖を引っ張った。


「もう帰りたいです……」

「見ていかなくていいのかい?」

「捻くれた無職の竜さんが牛に追い回されるのは、あんまり見たくありません」



呆然と立ち尽くしたエルウィンがいるのは、間も無く始まる牛追い祭りの経路の中であった。



牛達の経路は厳重に魔術閉鎖されており、このような観覧客を入れられない狭い道は元より立ち入り禁止となっている。

港近くのスタート地点で放たれた牛達は、途中、決められたポイントごとに一定距離より前に飛び出してくる挑戦者達を蹴散らしながら、王宮前の広場で歩みを止める。

そこには安らぎ効果絶大な祝福の草地が用意されており、猛り狂った牛達はその草地に入り込むときゅんと愛くるしい目になってお昼寝を始めてしまうのだそうだ。



そんな牛追い祭りには決して踏み越えてはならない注意事項がある。

牛が一度見たら最後、この世の果てまで追いかけるという赤い色を纏っていてはいけないのだ。


よって、牛追い祭りに参加する命知らずな猛者達も、決して血を流さないように魔術誓約をかけて体を保護する。

それなのに毎年死者多数となるのは、一部のやんちゃな参加者達があの手この手で赤を持ち込むのと、単純に牛に蹴られたり跳ね飛ばされたりして亡くなる人も多いからだ。


つまり、今のエルウィンくらい赤ければ、牛達は決して彼を逃さずに王宮前広場まで追い立ててゆくということになる。

牛追い祭の牛は、厄を追うという言い伝えがあるので、あえて牛にエルウィンを追わせることそのものも、そちらが悪だと民衆に認識付ける政治的なパフォーマンスの一環なのだとか。



「私は狩人ですが、嬲り殺しのような仕打ちは嫌いなのです。踏まれて死んでしまったりはしませんか?」

「大丈夫だよ。竜種は丈夫だし、死んだりはしないような条件の練り直しにしてあるからね」

「しかし、今更気付いたのですが、エルウィンさんが自死する覚悟で立ち止まってしまうと、牛達に踏み潰されるだけで終わるのでは……」

「おや、あの牛の魔物の習性は聞いていなかったのかな?牛の魔物はね、赤いものをみると、角に引っ掛けて巣に持ち帰るんだよ」

「ほわふ……………。巣に…………」


驚いたネアは思わず可哀想なエルウィンの方を見てしまったが、心の弱い人間を竜が泣き落としで懐柔する前にと、魔物は狡猾に転移でご主人様を攫ってその場を離れてしまった。



「さて、我々に与えられた任務はここまでだ。せっかくの王都だから、牛追い祭りの開始を見てから、食事でもするかい?」


わあっと、遠くから歓声が聞こえる。

今のネア達が立っているのは、王都にある見事な大聖堂の屋根の上のようだ。

あまりの高さにくらりとするが、魔物に抱えられているので不安はない。

真珠色の髪は青灰色に擬態してくれたようだが、こんな風に目立つ場所にいて大丈夫だろうか。


「むぐ………」


ネアがしゅんとするのは、エーダリアから今朝に出された指示故であった。

そこには、光竜の探索はせず、エルウィンの処置が終わり次第に現場を離れて良いと書かれていたのだ。


「お昼ご飯は動力なので致し方ありませんが、まだ事件が解決していないのでそわそわするのです」

「この先はあの王子が成すべき仕事だ。君の仕事はもう終わりだろう」

「今回の件に加担した方達の捕縛は、きっと私が想像するよりも遥かに有能な皆さんがどうにかしてくれるでしょう。しかし、首謀者が行方不明の内は、せめてエーダリア様達のお側にいたいです」

「それならこうしようか。昼食を食べたら、ウィームに帰ろう。その頃にはもうこちらの騒動は終わっているだろうし、君が食事を済ませる間くらいはノアベルトが頑張れる筈だよ」

「…………むぅ」


それならば、こっそり目をつけていた、ブイヤベースと鮮魚のお店に行けるだけの余裕はありそうだ。

ネアの中の真面目人間要素は、呆気なく素敵なブイヤベースの想像に殺されてしまった。


「…………それなら、お昼にしましょうか。偶然スタート地点の側の近くのお店に、行きたいところがあるのです」

「では、そこにしよう」


それでも少しだけ、気になって王都の高台にそびえる王宮の方を見てしまう。

捕り物の大詰めのところでさぼっているような気分になるが、本当に大丈夫だろうか。

意識して仕事のことを考えるのは、上手くいかなかったものを見送るのは悲しいし、息子のことを思っていたのだろうに殺されてしまった竜のお父さんのことを思うと、胸が苦しくなるからだ。



「それに、ここはやはり王都だ。君には合わない土地だからね、あまり深部まで食い込まない方がいい」


その言葉で補われて、ネアはみんなが今回の事件でネアを使い込まなかった理由を再確認させられた。

竜の捕獲だけではなく、一度全員の顔を見ているネアがいた方がいい場面も多かった筈なのだ。

ディノもいるのだし、もっと頼ってくれてもいいのにと密かに考えていたが、やはり意図的なものなのだろう。


(バーレンさんはどうなるのかしら)


ヴェンツェルとエーダリアの手元にはネアが収穫した毛髪があるので、もう竜の外套でも容易に暗躍は出来ないだろう。

もし事件が中央で解決されてしまうなら、どうしてネアを知っていたのか、あの光竜がどうなってしまうのか、ネアに知らされることはあるのだろうか。


(………でもそれも、もう私が関わるべきことではないんだわ)


後ろ髪を引かれる思いだが、取捨選択をつける為に、ネアはその執着を捨てることにした。

もう一つの無茶をしたのだから、この先は大人しくしていよう。



「確かにそうですね。私ごときではその線引きはわからないので、大人しくディノの助言に従います」

「こちらの思惑で黙らせるには面倒なものもあるからね。君の今までの生活を維持する為には、好意的ではないかもしれない者達が蔓延る表舞台には近付かないことだ」

「はい!素敵なブイヤベースと鮮魚のカルパッチョを食べて、さっさと帰りましょう」


そう言えば、もうムグリスのふりをして隠れていなくてもいい魔物は嬉しそうだった。

ムグリスディノになると、とにかくお腹が空いて満腹になると眠くなるそうで、とても不便だったと不満たらたらだ。


しかし、持ち運び出来て可愛かったとご主人様に言われると、なぜか魔物は頬を染めて喋らなくなってしまった。

可愛いと言われて恥じらったのかと思っていたが、後日ネアは、未婚の淑女が婚約者を入れる場所ではないと、ムグリスディノの保管場所についてヒルドから厳しく叱られることとなった。



なお、エルウィンの処遇については、みんなネアに対して、一番大事なことを伝え忘れていたようだ。


大事な自分の宝を傷付けられたドリーが、竜の宝に手を出した愚かな同族を許す筈もなく、王都の王宮前広場は予想を遥かに上回るとんでもないことになったのだとか。

ダリルは大きな花火だったとけろりとしていたが、ウォルター等の王都に居る弟子たちはとんでもない後始末に追われてしまっているらしい。



しかし、その頃には海辺のレストランの個室でもひと騒動起きていたので、ネアが事の顛末を聞いたのはそちらの騒動が終わってからのことだった。





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