158. 酷い汚名だと思います(本編)
ヴェンツェル王子が負傷した。
その一報が入ったのは、ネア達がヴェルリアに発つ直前のことだった。
連絡を受けたエーダリアから慌てて制止がかかり、王都のチームとの調整を取るので出発時間を変えるようにと指示を受ける。
襲撃の際に貴族の一人を庇ったそうで、幸いにも怪我は片腕の火傷のみで済んだが、高位の火竜から受けた火傷というものはとても厄介なものだ。
治癒には強い祝福を得た水が必要になるのだが、これもまた都合のいいことにリーエンベルクには水竜のエメルがいる。
彼の祝福を受けた水がすぐさま届けられ、傷はすぐに癒えたそうだ。
ガレンや王都に備えられている祝福水よりも質が良いので、ドリーに心からの感謝を受けたエメルは少し得意気だったとか。
迷路監禁のお仕置きからの解放に口添えしてくれたドリーに、エメルはとても懐いているらしい。
そして行われた臨時会議で、ネアはエーダリアから今回の事件の動きが思いがけず深くまで詳らかにされていたことを知る。
「二度目の襲撃は、我々も予想外のところだったのだ。彼等の目論みは、兄上の力を削ぐことを目的とし、ヴェルリアでは明日まで動きがないと考えられていた」
その説明によると、まず第一段階で捨て駒を使った襲撃を画策する。
その襲撃は防がれることを前提としており、“襲撃があった”という事実を残すだけで構わない。
その後更に公の場で騒ぎを起こし、ヴェンツェル王子の側に火薬の魔物の姿がないことを民衆にも認識させた上で、数日前の襲撃の際より火薬の魔物が不在であったこと、襲撃事件が一度起きているにもかかわらず、火薬の魔物の不在という重大な事実を隠蔽したという告発をもって、第一王子の立場を弱めるのが陰謀の筋書きらしい。
「おまけに擬態解術の術薬を用意してあるらしい。術式の発動は確認済みなので、当日、イブリースに擬態した者がいれば、それをかける算段のようだ」
なお、この間はウィームを含め、エーダリアが長を務めるガレンをも封じることで、呪を解呪させてしまったり、魔術的な対応策を取らせないようにする作戦も並行で動かされていたようだ。
その結果ウィームも弱体化してくれれば尚いいが、あくまでも動きを封じることだけを目的とし、あわよくば、第一王子派に不信感を抱くような小細工もしようとしていたのだとか。
ウィーム作戦では、当初はネアが人質に取られる予定だったらしいが、仕損じても計画が滞らないようにもなっていた。
「………可哀想なくらいに計画が漏洩しています」
「ああ。お前が共有してくれた情報から、ある程度事情に通じていそうな者を三人捕らえて、リーベルが意思矯正したからな。ダリル曰く、気持ちよく喋ったそうだ」
「………さらりと、どなたかに恐ろしいことが起きたと知りました」
ネアはその意思矯正されてしまった三人のご冥福を祈ったが、エーダリア的には慣れたことのようで、続きの説明をしてくれた。
現在、リーエンベルクの防衛と監視にはグラストとゼノーシュがあたり、ノアは王都で悪さをしていた時の知人が一人関わっていたということで捕縛がてら、リーエンベルクの騎士に扮して演奏会のゲスト奏者達を送り届けに王都に出ている。
ウィーム内で他領の有名な音楽家達に何かあれば、ウィームの不始末になってしまうからだ。
ウィリアムは、午後からふらふらとまた戦場に戻っていった。
労働過多の体にはふかふかの寝台と美味しいご飯のあるリーエンベルクが居心地良かったらしく、明日にはまた戻ってくるそうだ。
「兄上が、火薬の魔物は呪いで鳥にされたと釈明しても、そのような攻撃を許したこと自体が責められる。本来は魔物本人の責任であるべきなのだが、やはり火薬の魔物は国防の要だという認識が強い。それが損なわれたとすれば危機感を抱く者も多いだろう。一昨年からイブリースが兄上預かりになった時にも、かなり批判は出ていたからな」
「あの火竜さんの目的は、第一王子様の評判を下げることなのですか?」
「いや、火薬の魔物の不在が続けば、その不在を補う契約者が望まれるのは必然だ。そうなった場合、力のある火竜、それも王族の系譜となれば手堅いところだな」
「しかし、火竜ではドリーさんがいるのでは?」
「末の弟のところに、夏至祭の夜より火竜の王女が入り浸っていてな。仮にも第一王子の補佐がドリーだけでは物足りないと考える者も多いだろう。そちらの陣営との釣り合いを取る為に、高い階位の者が望まれるが、王族相当の人外者などそうそう現れるものではない」
そう言われてそういう意味で条件が揃ってしまったのかと頷きながら、ネアはふとドリーのことが心配になった。
「………エーダリア様、まったく外野の意見なのですが、エルウィンさんは、自分がなるべき契約の竜の位置を奪ったドリーさんには、何かをしたりはしないでしょうか?一般的に見ても、ヴェンツェル様の護りが堅いのは、ドリーさんがいるからという印象が強い気がするのです」
そんなネアの不安に、眉を顰めたのはヒルドだ。
「………だからかもしれないですね」
「む?」
「明日の大仕掛けに向けて、足並みを整えるべき場面で浅慮なことだと思いましたが、あえてドリー様を挑発した可能性もあります」
「………そうか、ドリーは冷静な男だが、ヴェンツェルが傷付けられたとなれば、激昂することは容易く想像出来る」
「我々は標的にされた火薬の魔物と、その政治的な意味に注視しがちでしたが、それもまた布石の一つでしかなかった可能性もある。ドリー様は封印の塔に幽閉されていた竜ですから、王宮内で問題を起こせば危険視する声も出るでしょう」
目を細めたヒルドはすっと席を立つと、魔術通信の回線を開き誰かと話し出した。
大丈夫だろうかと見守るネア達の視線の中、ややあって、ほっとしたように戻ってきた。
「………どうだった?」
「落ち着いておられましたよ。ドリー様は激昂されていたそうですが、ヴェンツェル様が上手く抑えたそうです」
「よく抑えられたな……!」
「エルゼ曰く、竜になってエルウィンを追いかけようとしたドリー様の後頭部を、ご自身の剣で殴りつけたとか」
「そうか。兄上らしいな………」
ほっとしたように大きく息を吐いたエーダリアに、ネアとディノは顔を見合わせる。
怪我をした状態で冷静に激怒したドリーを窘めるなど、第一王子は大した御仁である。
ドリーの力を示すこと自体は良いことなのだが、それが王宮内であれば貴人に怪我などの被害が及ぶことがある。
損なってはいけない古くからの結界なども多いらしく、下手をすればヴェンツェルの責任問題にもなりかねない、危ういところだったのだ。
「………王宮の防壁を突破するのは、容易なことではない。内部に手引きした者がいるのだろう」
「それは、リーベルが操作した者にはなかった情報ですね。ネア様がアクスで聞いてきたように、一枚岩の組織ではないのでしょう」
「このまま、明日まで保つのか?」
「問題ないそうですよ。エドラが全員を捕捉した上で、イブリースが魔術の導線を引いていますから」
ここでまた奥の深そうなそれぞれの能力がちらりと垣間見えたが、ネアはあまり興味を持たないようにした。
魔術師の秘儀と同じように、各々の能力はあまり他者に知らしめるものではないからだ。
「エーダリア様、我々はこのまま光竜さんを探しても大丈夫でしょうか?」
状況が変わったのではとそう尋ねたネアに、エーダリアは少し複雑そうな顔をする。
「…………その件だが、兄上の方からエルウィンを追って欲しいと依頼があった」
「ふむ。加害者を早く捕まえて欲しいですよね」
「いや、そういう事を優先させる人ではない筈なのだ。………何か、光竜を後回しにしても構わない理由があるのかも知れない。今回は共闘しているとはいえ、兄上の側の事情の全てが明かされる訳ではないからな」
「あら、そうなると、光竜さんが関わっている理由に目星がついて、そちらで対処したいのかもしれませんね」
(もしかしたら、第一王子様側に何か理由………が…………。ある………)
そこでふと、ネアはとんでもないことを思い出してしまった。
もう作戦会議は終わり、さて、それぞれの仕事に戻ろうか的な雰囲気の中、がたりと音を立てて椅子から立ち上がる。
「…………ネア?」
不思議そうにこちらを見た魔物に、ふるふるしながら視線を向けたネアは、物凄く大切なことを思い出したところであった。
こちらを見たエーダリアやヒルドも、いきなり立ち上がったネアを驚いたように見ている。
「…………あの、寧ろ今までなぜに思い出せなかったのだろうということが一つあるのですが、光竜さんはもしや、王冠を取り戻したいのでは?」
恐る恐るネアがそう言えば、部屋はしんとした。
かつてディノが集めてきた品物の中にあり、その後ヒルドの手を介してヴェンツェルに譲られた、光竜の王冠があった筈なのだ。
あのバーレンが最後の一頭であればなおさら、自分の一族に由縁する品物を取り戻したいだろう。
「そうか。………あの王冠があったね」
ぽつりとそう言ったディノに、無言で頭を抱えたエーダリアとヒルドがいる。
とても稀少なものなのだが、あの時はあまりにも沢山の稀少な品物を捌いてパンク気味だったエーダリアや、そもそも集めてきた品物に何の感慨も抱いていなかったディノ、そして品物の価値をいまいち飲み込めないまま、エーダリアに任せてしまったネアはがくりと肩を落とした。
しかし、誰よりも落ち込んだのはヒルドで、そもそもその王冠をヴェンツェルに手渡したのは彼なのだ。
「………申し訳ありません。私としたことが、まさかあの王冠のことに思い至らないとは」
なぜか思い出しもしなかったとヒルドが言えば、ディノが首を傾げた。
「それは妙だね。君がそういう事を忘れてしまうものかな?」
「ディノ様………?」
「よく分からないが、君にとってはある程度感情を動かすものだったのだろう?ノアベルトか、ゼノーシュに記憶の調整の痕跡を調べさせた方がいいかもしれないよ」
そう言ったディノに、ヒルドは目を丸くする。
確かに、ヒルドにとっては元々自身の城にあったという曰くつきの品だった筈だ。
「あの王冠に関する記憶を、剥がされたという事ですか?」
「そこまで強引なものであれば、君は気付くだろう。もう少し自然に認識を剥がすような魔術が動いたのかも知れない」
「………何だか、エーダリア様が使えるとんでも魔術に似てますね」
ネアがそう呟き、エーダリアははっとしたように息を飲む。
「そう言えば、あの禁術を作り上げたのは、略奪した竜の至宝を追っ手の目から隠そうとした森の精霊の王だとあったが、関わりがあるだろうか?」
「………エーダリア様、その精霊の情報は他にもありますか?」
少しばかり前のめりに尋ねたヒルドに、エーダリアは禁術を記したという禁書の記述を幾つか記憶から引っ張り出してきた。
どうも、ヴェルリア王家によって制圧された土地の精霊から、最も稀なる魔術をということで奪い取ってきた知識であるが、結局扱える者がおらず王家の書庫で記録が眠っていたらしい。
その精霊とやらの並べられた特徴を聞き、ヒルドは片手で顔を覆ってしまった。
「ヒ、ヒルド………?」
「…………まさかここで、もう一度あの精霊王の思惑に躓くとは」
動揺したエーダリアに声をかけられ、ヒルドは小さく声を上げる。
どきりとするぐらいに低い声に、心配になったネアは慌てて立ち上がると近付いてそっと腕に手をかけてみた。
(………それはまさか、ヒルドさんの一族を裏切ったという、同じ島に住んでいた精霊さんなのだろうか)
「ネア様………」
顔を覆っていた手を外して、こちらを見たヒルドの眼差しはどこか無防備だった。
さらりと零れた髪は艶やかで、こっくりとした色合いの瑠璃色の瞳は鮮やかだ。
自分の腕に手をかけたネアと、思わず駆け寄って隣に立ったエーダリアを見て、ほろりと淡く苦笑してみせる。
「………エーダリア様も。ご心配をおかけしましたが、………因縁から引き起こされる苦痛と言うよりは、気付かずに影響を受けた自分自身が腹立たしかったのですよ」
「思いがけず、お前に関わる話になってしまったな」
心配そうにそう言ったエーダリアに微笑み、ヒルドは自分の腕に触れたネアの手を優しく取る。
大丈夫だろうかと見上げれば、いつもの穏やかさで微笑んでくれた。
「また光竜に出会うとは懐かしいものだと思っていましたが、………よく考えれば、私ほどにあの竜について覚えている者もいないというのに、まさか過去からの由縁だとは考えもしなかったのが情けない」
「ディノの言うように、あの王冠のことを忘れてしまった理由に思い当たる節があるのですか?」
「ええ。それどころか、今回の襲撃を可能とした理由もわかったような気がします。………確かにあの精霊王は、竜の宝を一つ持っていました。我々が滅ぼした光竜の城に忍び込み、勝手に竜の外套を持ち去ったことで私の父は呆れていたものです。それを我々の一族に奪還されないようにと、特別な魔術を編んだということは聞いておりましたが、それ以降を語る者がいなかったのは関心を持たないように魔術で目隠しされていたからだったのでしょうね」
「おや、竜の外套とは珍しいものだね」
ディノですらそう言うのだから、凄いものなのかもしれない。
「竜種の最高位でもある光竜は、その魔術階位の高さが仇となり、擬態が不得手でした。ですから光竜の王宮には、いざという時の為に着るだけで精緻な擬態を可能にするという光竜の外套があったんですよ」
「まぁ、それは便利なものですね!」
「あの精霊王が宝を守る為に生み出した魔術がエーダリア様の仰るものであれば、恐らく我々の一族を滅ぼした後に奪ったあの王冠にも、同じような魔術がかけられていた可能性は高いですね」
その王冠は、ヒルドの一族の古い王が、当時の光竜の王を斃した際に手に入れたものだったのだそうだ。
その代はヒルドの一族の繁栄に使われ、祝福が隔世の効果であることから、次の代では一族の王女が嫁いだ他の妖精の一族に貸し出された。
しかし、その土地で竜の王冠を巡って大きな戦乱が起きてしまい、幾つかの国々を彷徨った後、ヒルドの祖父にあたる妖精王が再び回収したものなのだとか。
その世に出ていた間に、竜の王冠は世界各地に様々な伝承を残している。
「条件付けがあるのだろうが、持ち主以外の者があの王冠を知るとその関心を奪うのかもしれんな」
「ヴェンツェル様は、それをご存知の上で我々には言わなかった可能性があります。こちらから持ち込んだものとは言え、争いの火種にもなる至宝の存在は知る者が少ない方がいい。あの王冠の力は、王位を継承するにあたってはかなり有効な切り札ですから」
そんなことを話し合う二人を見ながら、ネアは魔物の方を振り返った。
「私もすっかり忘れていました。それにしても、そんな王冠をディノはどこから持ってきてしまったのですか?」
ネアのその言葉に、ヒルドがこちらを見るのがわかった。
「その精霊王だったと思うよ。宝物庫を開けた時に邪魔をしたので黙らせてしまったが」
「…………その精霊さんは、まだ存命されてますか?」
「さて、どうだろう」
微笑んで言及しなかったディノに、ネアはそろりとヒルドの方を振り返った。
とてもいい笑顔で、隣のエーダリアを遠い目にさせている。
「その時のことは、以前ディノ様に私もお聞きしたのですよ。ハルフィーラが死んだと知る程に良い報せはありませんでしたので、その晩は祝杯をあげたものです」
「ふむ。ヒルドさんに悪さをした精霊さんなど、くしゃりとやられてしまって当然ですね」
残虐な人間はすぐに同意してしまい、置いてけぼりにされたエーダリアは少し慄いてから、そうだなと慌てて頷いた。
「さて、そういう事ですから、あの光竜が王宮に侵入出来たのは、竜の外套の力かと」
「ま、待て。その竜の外套も、その精霊の宝物庫にあったのではないか?」
「いえ。竜の外套は、私と一緒にこの国の王妃に引き渡されたものですからね。ハルフィーラは、外套を差し出す事で恭順の姿勢を見せ、王冠については口を噤んだようでした。外套は王妃にとっては魅力的でなかったようで、その後、幾つかの密約の報酬として例の女公爵の元に」
「…………成る程。あの公爵と光竜が繋がっているのであれば、竜の外套は光竜の手元に戻ったと考えるべきだな」
首を傾げたネアの為に、ヒルドが、ネアが引き落とされたあの部屋に居たとある女性がその女公爵なのだと教えてくれる。
その女性はガーウィンの女公爵と呼ばれ、実際にはもう公爵の爵位を持ち合わせていないものの、ガーウィンの古くからの因習により今も公爵と呼ばれるのだとか。
ゼベルやリーベルの伯父であるガーウィンの領主とは折り合いの悪い、過激思考の独立推進派である。
(そうか。その人もまた、取り戻したいものがあって今回のことに手を貸したのだろう)
元より、最後まで統一に抵抗したウィームとはまた違う意味で、ヴェルリアとの折り合いが悪かったのがガーウィンだ。
商国から発展したヴェルリアと、教会を主勢力としたガーウィンでは価値観が元より違う。
その上現在でも最も大衆を動かし易い力の一つとして教会は厳しく権力を制限されており、信仰の使徒は王族に害をなしてはならないという誓約をさせられる。
そのことに不満を抱いている者達は、やはり多いのだそうだ。
ネアとしては、そんなすごい宝物を光竜に返してしまったことが不思議だったが、一般の人間であれば、高位の人外者を畏怖するものらしい。
ましてや信仰に重きを置くガーウィンの民で、相手が太古に滅びた筈の竜種の王とされた光竜ともなれば尚更だと、あらためて呆れたようにエーダリアに言われ、ネアは自分の価値観を見直すことになる。
「どんな人外者も、己の一族が作り上げたものは近くにあればわかると言われています。王冠の持ち主を嗅ぎつけて今回のことに手を貸した、或いはアリステル派を焚きつけたのかもしれませんね」
「となると、あの光竜にとって今回の仲間達は、王冠を取り戻す為の手駒である可能性もある。そして兄上は多少の不利益に目を瞑る覚悟で、王冠を守ることを選んだという可能性も」
「………ダリルに伝われば、まず間違いなく王冠そのものを囮にしますからね」
「………囮にする口実で借り出した挙句、返却を渋って交換条件をと企みかねないな」
「………そう想像させてしまうところが、ヴェンツェル様に口を噤ませたのかもしれません」
何となく色々な推論が進み、部屋は何とも言えない空気に包まれた。
ともあれ、光竜の目的がわかったかもしれないことは良いことだ。
ほっとして魔物の方を見たネアは、なぜか冷ややかな目をしたディノに気付いて眉を顰める。
「………ディノ?」
「竜の外套を持っているとなると、随分色々なものに擬態出来るだろう。生かしておきたいのなら、正体を見破れるように、血や鱗などの一部を手に入れた方が良さそうだね」
「むぅ。前回力いっぱい飛び蹴りした私のブーツ裏に、何か残っていれば良かったですね」
「君と知り合った時にも、あの竜は本来の姿ではなかったのかもしれない」
「………まさか、お庭でたくさん撫でてあげたココグリスだったりはしませんよね?」
「…………どうだろう」
光竜の王冠についての言及は、ダリルからヴェンツェル王子の代理妖精になされることになった。
実は、ディノがリーエンベルクに色々と持ち込んでしまった品物の内、数点はダリルにも秘密で処分されたものがある。
古き時代の携帯書簡である術式を刻んだ腕輪など、エーダリアが誰にも渡したくなくてこっそりリーエンベルクの宝物庫に隠し持っているものや、グラストやガレンに好意で下げ渡されたもの。
そしてこの王冠もまた、実はダリルを経由させずヒルドに渡された品物だった。
それはヒルドの交渉の切り札にと考えたエーダリアの個人的な贈り物であり、その結果ヒルドはウィーム付きになったのだが、内緒にしていたことでダリルには怒られたようだ。
ダリルは記憶や興味を侵食されても対処出来るように、ダリルにしか開けない特別な本に日々の記録をつけているらしい。
光竜の王冠の存在を共有しておけばもっと早く万全の策を敷けたのだと叱られているエーダリア達を見ながら、ネアとディノはリーエンベルクを発った。
熱い風が、ざあっと髪を揺らして吹き抜けてゆく。
半日ぶりくらいのヴェルリアだが、既に何だか懐かしいような、もう問題は喉元を過ぎたような、奇妙な達成感があるのが不思議な感じだ。
やはりどこかでアルテアが絡んでいる限り安心が出来ないという意識があって、無事に取り戻せたので少し安心してしまっているのだろう。
慌てて気を引き締め、しゃきりと背筋を伸ばした。
海の向こうを進んでゆく帆船の美しさに目を細め、夕暮れの空を飛ぶカモメの声に空を仰ぐ。
捜索対象はエルウィンに変わったが、同じ竜には違いないので、ネアは雲間にまで目を凝らしてみる。
「今夜はこちらに泊まって、有事の際にはさくさく出動出来るようにとのことです。お宿は…」
「安全上の問題で、宿には泊まらないよ。アルテアの屋敷があるから、そこを使うことにしてある」
「まぁ、エーダリア様が仰っていた特別なお宿というのは、アルテアさんのお屋敷だったのですね!」
「竜達だけでなく、王都には困ったものもたくさんいるからね」
「むぅ。だからこそ、お互いにこんな擬態なのですね?」
ネアがそう言うのは、珍しく二人とも擬態をしているからだ。
ウィームでの公務の際にするように、ふわっと印象に残らないという魔術をかけるのではなく、もう少し深刻な感じでしっかり姿を変える擬態をしているので、警戒しているのだろうなと思っていた。
「明日は祝祭だから、王宮から出てきているものも多いだろう。王宮の中には、あまり好ましくないような生き物達も多いから、人混みでは気を付けるんだよ」
「一番獰猛だと言われたイブリースさんもあんな感じですが、もっと困った生き物がいるのですか?」
「グリシーヌの谷のような気質を思えばいいかな。王宮などを好む生き物は、残虐なだけでなく、狡猾で浸食などにも長けている種がいる。特に、この土地には気性の激しいものが凝りやすいからね」
「ぞわりとしたので、私の側を離れないで下さい!」
「可愛い………」
ぎゅっと青灰色の髪に擬態したディノの三つ編みを握りしめて、ネアは別行動禁止令を出した。
強くて怖いものの全てが怖い訳ではないのだが、浸食などを好むような、生理的な恐怖を煽る存在はやはり怖い。
三つ編みをしっかり握られた魔物は恥じらっているが、ご主人様の安全の為にしゃんとしていて欲しいところだ。
二人が歩いているのは、海沿いの大通りの一つで、商館に向かう台車などが忙しなく行き交い、あちこちで指示を出す商人の姿が見える。
いい匂いのする業者向けの小さな屋台もあり、王都然としていながらもいかにも港町という場所だった。
「…………ところで、私は牛追い祭りに遭遇して大丈夫なのでしょうか?」
ネアには、もう一つ懸念があった。
よりにもよっての明日は、みんなに危ないので決して見に行ってはいけないと言われていた牛追い祭りなのだ。
どうやらヴェルリアが最も活気付くその祝祭の王族観覧の場を舞台として、敵方は騒ぎを起こそうとしているらしい。
舞台設定としてはもっともなのだが、ネアとしては不測の事故で怪我をしない内に仕事を済ませてしまいたい気持ちと、こっそり牛追い祭りを観覧したい気持ちに心が揺れている。
「牛が放たれたら、君は牛追いの順路には近付かないようにね」
「むぐ。やはりそういう認識なのですね。しかし、ちょこっとだけなら…」
「牛の魔物にはネアの大好きな毛皮があるけれど、危ないから近付かないように」
「むぅ。美味しくいただく以外の牛さんには、さして興味がないのです」
「牛を狩るのも禁止にしよう」
「お祭りの主役の牛さんは狩りません……」
(どれだけ野蛮だと思われているのだ!)
ネアは、お祭りの牛をいきなり食用解体などしないとぷんすかしたが、魔物は大真面目らしく厳めしい顔をしている。
しかし、抗議の為に腕をばしばし叩けば、ご主人様が可愛いとくしゃくしゃになってしまった。
「………そして、やはり王都には竜さんが多いのですね。紛らわしいので印でもつけて欲しいです」
「おや、火竜の子供かな」
「む!ちびこい竜さんもいるのですか?」
「………もしかして、大きな竜を見付けたのかい?」
「ほら、あちらでこそこそ歩いている方は竜さんだと思いますよ。竜の媚薬のお蔭で、見ると何だかわかるのです」
「え……………」
なぜか魔物が絶句したので、ネアはおやっと眉を持ち上げた。
ネアが竜だと断定したのは、港沿いにある明日の牛追い祭りのスタート地点をのんびりと歩いている男性で、くすんだ青色のフード姿がなかなかに雰囲気のある装いだ。
物語の中の美しい魔術師のようで、その装いに惹かれて視線を向けたのだった。
「…………ディノには、竜さんに見えないのですか?」
「………いや、言われてみれば確かに竜だね。でも、一見してわからなかった」
「む。………ディノにわからなかったとなると、少し怪しいですね。捕まえてみましょうか」
「ネア!」
今回ばかりはきちんとした危機感を抱いていたネアが、魔物の三つ編みを強引に引っ張って同行しつつ現場に駆け寄ると、ぎょっとしてこちらを見た男性におもむろに襲いかかる。
いきなり通行人に飛びかかったネアの姿に、港で作業をしていた船乗り達が声を上げて振り返った。
「捕獲しました!」
いきなり飛びかかってきた人間に羽交い締めにされた竜は、若干よれよれになってふらついている。
外れたフードからは青い髪が覗き、砂色の瞳がこちらを見た。
「……………ネア。罠かと思えば、本当にいたのか」
「む!なぜに私の名前を知っているのだ!」
そう言えばぎくりと視線を逸らしたフード姿の男性は、我に返ってディノの姿を認めるなり素早くネアの手を振り払って身を翻した。
慌てて取り押さえようとしたネアは、なぜか魔物に持ち上げられてその場から離脱される。
「ディノ?!」
ふわりと飛び退ったことに抗議の声を上げたネアは、先程まで自分がいた場所に捕縛用の隔離結界が展開されたことを知って驚いた。
しかし、一番驚いてしまったのは、そんなネアを捕獲しようとした方の三人組だろう。
「ありゃ、ネア?!」
「ノア?!」
「わーお、誘き出した光竜かと思って駆けつけたら、通り魔ってネアのことだったか」
「…………通り魔?」
「うん。さっき、港の巡回の兵士から、お忍び風の貴人に、乱暴な通り魔が襲いかかったって通報が…」
「通り魔?」
もう一度その言葉を繰り返して、ネアはこてんと首を傾げる。
擬態したノアと一緒に居るのは、こちらも擬態したウォルターとガヴィだろう。
その三人共が、震える指で自分を指したネアを見てこくりと頷いた。
「解せぬ………」
ぎりぎりと眉を寄せているネアに、ガヴィは丁寧にお怪我はありませんかと尋ねてくれる。
ネアが脅かしたせいで、なんとバーレンだったらしい擬態姿の竜は転移で逃げてしまったようだ。
「………罠をしかけていたのですね。まるで運命のように飛び込み、邪魔をしてしまって、申し訳ありませんでした」
「ネアが浮気する………」
「浮気ではなく、この広い王都でこうも簡単に出会えた奇跡に驚いたのです。もしかしたら、ご縁があるのかも…」
「ひどい、ネアが虐待する」
「むぅ。なぜに荒ぶるのだ」
竜の外套の情報を受け、ウォルター達はせめて血や鱗を奪えないかと頭を痛めていたのだそうだ。
そこでノアと合流し、ノアなら捕まえられるかもしれないと提案されて、なんと港付近にネアがうろついているという情報を彼等の仲間から流して張り切って罠をしかけていたところだった。
「でもまぁ、良かったかな。祝祭前だからあんまり土地の魔術を荒らしたくないんだけどね。うっかり魔術汚染でどこかとの道を繋げたりしたら、ヒルドに怒られるから」
「祝祭の前夜というのは、土地が不安定なのですよね。さっきディノから聞きました。しかし、だから竜さんの捕獲は出来ないと言われたばかりなのですが……」
「あれを捕まえることは出来ないよ」
「あらあら、ノアの仕様とは違うようですね?」
「ご主人様…………」
罪を暴かれた魔物がぺそりと項垂れ、ネアは怖い顔をして腰に手を当てた。
「ネアがまた持って帰ると嫌だから、近付かせたくなかったんだろうなぁ」
「お仕事に支障をきたすようではいけません!お仕置きで…」
「………お仕置き?」
「おのれ、ディノにはご褒美でした……!」
そこでネアは、ウォルター達に渡しておきたいものを握り締めたままであったことを思い出す。
「む。忘れていました。………ノア、これをエーダリア様にも届けてあげてくれますか?」
「…………ネア、これってまさか」
「先程の竜さんの髪の毛です!飛びかかって毟り取りました!」
ネアは得意げに胸を張ったが、なぜか仲間達は怯えを含んだ目をしている。
「通り魔…………」
そう呟いたのは誰だろう。
不本意な評価にネアはぎりぎりと眉を寄せる。
「解せぬ」
どうもそこそこの成果を上げている気がするのに、その日のネアは通り魔の汚名を着せられることになった。