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157. 最後の演奏を聞き逃しました(本編)



ウィームの野外演奏会の日の朝、空は澄み渡り夏らしい綺麗な青空だった。


昨日は少し曇り雨などの懸念があったが、綺麗に晴れたのでみんな嬉しそうだ。

朝食の時にゼノーシュがぽつりと、怖がって雲は全部いなくなったんだよと呟いていたので、雲をもたらした何者かは、ゼノーシュがじっと見ている誰かを怖がって逃げ出したらしい。

その正面は白い魔物ばかりなので、誰が相手でも怖いだろう。



「ネア、二曲目が綺麗な曲だよ」

「む!ゼノのお薦めの曲を聴きたいです」

「ネアが好きそうなのは三曲目だから、続けて聞けばいいよ」

「なぜにわかるのだ」

「ほら、前にシュタルトの滑り台のところでかかっていた曲を気に入っていただろう?同じような構成の曲だからね」

「あの曲はとても好きでしたので、それも聴きたいです!」


ネアはよくわからずに全部聴いてみるのも好きだが、こうしてお目当の曲があるのも楽しみだとうきうきしてくる。

今回はさすがに諦めていた演奏会だったので、こうして一時間ほどであれ楽しめるのが嬉しくて仕方ない。


「お前な、普通に最終曲を聞けよ。招待されてるのは、ザルツの銀のバイオリンの妖精だぞ」


そう教えてくれたのは、ちゃっかり朝食の席にいるアルテアだ。

さも身内の様に出席しているし、何だか席の定位置も決まりつつあるが、昨晩までは敵方の陣営にいた魔物である。


「そんな素敵な通り名の方も出るのですか?!」

「そうなりますと、その最終曲はヴェルリアからのフルート奏者も出ますから、後で中央に戻られてからの話題にもなりますね」

「ヒルドさんの言葉で決めました!二曲目と三曲目を聴いてから、お昼ご飯の時間を充ててパイを求めて一度離れます。その後、最終曲を聴いて締めとしましょう!」

「パイは絶対なんだね」

「はい。ゼノから教えて貰って、三つのお店のパイがあると知りました。燭台の印の白葡萄と白砂糖のお店のと、新開発の赤い文字の店名が書かれた赤葡萄と茶色いお砂糖のものの二つを食べます!」


ネアがそう発表すれば、ゼノーシュがぱちぱちと拍手をしてくれた。

その隙に隣の席のグラストが、空っぽになったスープ皿を交換している。

またスープがいっぱいになったので嬉しそうに微笑んだゼノーシュに、グラストも微笑んで頷いてやっていた。

ゼノーシュは三種類制覇の予定だそうで、今から警備スケジュールの確認に余念がないのだとか。



「…………胃は問題ないのか?」

「そんな怪訝な目で見ているアルテアさんが、きちんと治してくれたのではないですか」

「だとしても昨晩の今日で躊躇いとかはないのか。いや、ないんだろうな……」

「今日の朝食も、とても美味しいです」


今朝この会食堂で会ってから、アルテアはあれこれ世話を焼いてくれた。

ネアが手を伸ばしたお花のシロップも取ってくれたし、グラスを空にする直前に牛乳も足してくれている。

世話をしながら体調を見ているようで、やはり少しネアのお腹を気にしているらしい。


「ところで、そんな悔恨の塊の元使い魔さん、ウィリアムさんを知りませんか?」

「あいつなら寝てるぞ」

「まさか、誰も起こしてあげなかったのでは……」


仲間外れになってしまうと慌てたネアだったが、実はあの後ウィリアムは、内戦で荒れてしまった島国に駆り出され夜明けに戻ってきたばかりなのだそうだ。

疲れ果てて眠っているらしく、エーダリアも寝かせておいてやろうと同情的である。


(よく考えたら、終焉の魔物が疲れて帰ってくる場所だと思うと物凄いような……)


この四人の魔物が集まっただけで気分が悪くなりかけていたウォルターを思い出したが、よく考えれば最初にディノを見た時にはエーダリアは倒れたのだった。

それが今や、塩の魔物が擬態した狐に爪先を枕にされてしまっている。

こちらはこちらで、アルテアを見張るのだとついてきた割に、お腹を出して眠っているのが悲しい。


「疲れ果てた休日のお父さんのようでお気の毒なので、美味しいパイをお土産に買ってきてあげましょうね」

「ネアが浮気する……」

「私が買うのが問題なら、ディノが買ってあげればいいのでは?」

「ウィリアムに庇護を与えなくてもいいかな……」

「じゃぁ、その辺の方に適当に代理購入して貰いましょうか」

「………おいたわしい」


ネアがいい加減なことを言ってしまったからか、ゼノーシュが悲しげに息を吐いている。

このクッキーモンスターはウィリアムのことが好きなのだ。


結局、ウィリアムへのお土産のパイはゼノーシュが買ってきてあげることになったので、ディノは心が落ち着いたようだ。

いつもなら聞き流せることも少し敏感になっているが、やはり昨晩の件が堪えたのだろうか。

ネアが他の魔物の為に体を張って頑張ったということがもやもやするようで、今日はいやに甘えたになってもいる。

先ほどアルテアがネアのおでこを撫でた時など、ご主人様を抱き締めて威嚇していたくらいだ。


(…………それとも、もしかして野生化してる?)


ムグリス化した間の副作用もあるかもしれないと考えて、ネアは少し不安になった。

鳴いたり唸ったりするようになったら誰かに相談しようと、ネアは心の中で自分を励ます。


「ディノ、今日も隣に寝ていいので、夜行性な魔物さんにならないで下さいね」

「ご主人様………」

「ご主人様は、夜に脱走されてしまうと睡眠時間を超えては探しに行けないのです」

「うん。ずっと傍にいるよ」


魔物はなぜか優しくなったご主人様に目元を染めておろおろしているが、ネアの心配の理由がわかったらしいエーダリア達はどこか遠い目をしている。

ぽいっと膝の上に投げ込まれた三つ編みをそっと握り締めると、ディノはもじもじしてからきちんと朝食に向かってくれた。

ご主人様がとても懐いていると感じたので、心が落ち着いたのだろう。


(と言うことは、こちらをあまり構うと、ディノが拗ねてしまうということで………)


そう思いながら正面を見ると、アルテアと目が合った。

昨晩の怪我は特に問題がないのか、傷を負った方の手も滑らかに動かしている。


「………なんだ?欲しいものでもあるのか?ハムはもう残ってないぞ」

「昨日は、エーダリア様と色々お話し出来ました?」

「主に喋っていたのは、ダリルとヴェンツェルだったがな」

「あら、みなさんでの作戦会議だったのですね」


そうなると、ネアは仲間外れのようで少ししょんぼりしたが、確かにその参加者であればネアにも話せない王族や国家に纏わるあれこれもあるだろう。

よく考えたら、昨晩捕らえたのが誰なのかさえ、ネアはまだ知らされていないのだ。


(今回任されているのも、後方支援に近い仕事ばかりだわ。結果的に幾つか当たりを出しているとは言え、政治的な部分には近付けたくないのだろうか)


知るということは知られることでもある。

元よりあまり近付かない方がいいとされた王都を舞台とした事件なので、ネアは自分からはあまりあれこれ聞かないようにしようと考えた。


膝の上の真珠色の三つ編みを見て、心をしゃんとさせる。


(私は昨日のことで、自分の我が儘を一つ押し通してしまった)


成功したので誰も何も言わないが、あそこで敵方に誓約で縛られていたアルテアを諦めきれないということは、場合によってはとんでもない足枷だ。

ウィリアムが一度ネアとの使い魔の契約を切らせたように、守るべき身内を優先して時には諦めることも必要なのである。


(それが多分、不相応な程に立派なものを手にしてしまった私の役目でもある)


ネアが巻き込まれれば否が応でも巻き込まれてしまうディノや、今回のように手を貸してくれたウィリアム。

元々リーエンベルクは政治的な思惑や陰謀に晒されやすい組織であるし、そこに属する大切な人達はとても危ういしがらみに縛られている。


何も持たなかった頃のように、全てを放り出してもいいからと我が儘を言えなくなったのが、今のネアの本来の立場なのだ。


使い魔の契約が失われたことに対してアルテアが何も言わないのは、そういう背景を理解しているからなのだろうかと思う。

いつもの彼であれば、ここぞとばかりに虐められてもいいところなのに、一言も言及しないのだ。


(それか、これ幸いと逃げ出そうとしてるのかも……)


タルトが失われないなら特に支障はないのだが、使い魔でないとなると悪さをした時の抑止力は心許ないのだろうか。


「さて、本日の警備のおさらいと、注視していただきたい参加者ですが…」


食後のお茶になったところで、ヒルドからお知らせがあった。

今朝はこの説明があるので、全員同じ時間に朝食としたのだ。


「………と言う訳です。招待している演奏家周りの者達には、こちらからの案内係として騎士をつけております。ヴェルリアからの関係者席と、後は人外者達用に開放している席ですね」

「例年よりも、今年はヴェルリアからの参加者が多い。楽団については、兄上の後援を受けた者達だが、あえてそちらから犯人を出す事で問題を大きくする可能性もある」

「昨日から来てる演奏家達の中には、擬態してる人はいなかったよ。でも、僕にもわからない階位もいるから、エーダリアは一人にならないようにね」

「ああ、よく調べてくれたゼノーシュ。ネアも、契約の魔物からは離れないようにするのだぞ?」

「はい。ディノに何かあったら困りますので、しっかり拘束しておきます」

「紐………」

「腰縄はつけませんよ?」


腰縄なしと聞いて魔物はしょんぼりしたが、外部からのお客様が多いのでウィームの評判を落としてはならない。


「じゃあ、僕達はそろそろ行くね。ネアも、また攫われないようにね!」

「はい、せっかく前回はゼノのお陰で事なきを得たので、もう悪い奴等に捕まらないように気を付けますね」


手を振って部屋を出て行くクッキーモンスターの可愛さに頬を緩めつつ、ネア達も朝食を切り上げて各々の持ち場に出ることになる。


「ネア、朝からすまないな」

「あら、このくらいいつでも頼って下さいね、エーダリア様」

「昨晩のこともあらためて礼を言う。何分にも中央絡みでお前にはまだ言えないこともあるが、昼までにはある程度精査されるだろう。夕方ヴェルリアに発つまでには、渡せる情報を増やしておく」

「言えないことは仰らなくても構いませんよ。ただ、私がしでかさないように、やってはいけないことがあったら教えて下さいね」


ネアが微笑んでそう言えば、エーダリアは少しほっとしたようだった。


(つまり、エーダリア様の口を重くするだけの事情があるのかもしれない)


それは口外出来ないような高貴な誰かや、本来であれば味方であるべき誰かなど、厄介な人が絡んでいるのかもしれない。


(となると、私も言動に注意するべきなのかしら)


いつディノをムグリス化してもいいように、ネアは今日もちょうどいいポケットのある服装にした。

獣化の呪いが解けたことを公にはしたくないので、ディノは既存の人物に擬態して外に出ることになる。

その人物の公務との兼ね合い上、ネアに今日与えられた自由時間は一時間が上限なのだ。


「アルテアさんは、ヴェルリアですか?」


別れ際にそう声をかけると、漆黒の装いのアルテアがちらりと振り返った。

まだ手袋をしていない方の手で、わしわしと頭を撫でられる。


「俺は暫く第一の周りだ。無茶な真似はするなよ?」

「無茶をする必要があるところは終わりました。後は、みなさんのお手伝いをするだけです」


ネアが大真面目にそう答えると、なぜかアルテアは目を瞠って動きを止めてしまう。


「…………お前な」

「む?………ほわ?!何をするのだ?!」


その直後、ネアはなぜかアルテアに小さな子供のように抱き上げられた。

高い高いをするように頭の上まで持ち上げられてから、ひょいっと床に下ろしてくれる。


「な、何だったのだ…………」


アルテアはそのまま立ち去ってしまい、部屋には動悸に苛まれてぜいぜいするネアと、ご主人様を高い高いされてしまった不服そうな魔物が残された。


「ネア、遊んで貰ったからといって、アルテアにあまり心を傾け過ぎてはいけないよ?」

「さっきの行為にそこまでの喜びはありません。寧ろ、驚き過ぎて心臓が止まりそうになりました………」


たいへん疑わしそうにしてくる魔物を連れて、ネアはまず禁足地の森の見回りに行く。

そちらに潜んでいる者がいないかの簡単な確認だったのだが、図らずも不審者を二人も見付けてしまい、慌ててエーダリア達にも報告することになった。

時間ギリギリでその不審者の引き渡しも終わり、晴れて演奏会に向かえる運びとなる。



「先程の方達がヴェルリアの騎士さんとなると、やはり今回の件はヴェルリア対ウィームの構図にしたいのでしょうか?」

「表面上をそう操作するだけでも、手間は取られるからね。今回の件に絡んだのは、本来はある程度の権力を持つべき立場にいたと思っている者達らしい。今埋まっている席を空ける必要があるのだろうね」

「………それは、火竜さんだけでもなく?」

「君が落とされた場所に、ガーウィンの司祭がいただろう?私がリーエンベルクに戻されていた時、エーダリアが君がダリルの弟子に共有した記憶絵の写しを持っていた。少し見たけれど、あの司祭は先の災厄の際に、不祥事を起こして爵位剥奪とされた一族の者だ」

「…………まぁ」

「アルテアの話では、あの者達はバーレンという男が光竜であることを知っていたそうだ。であれば、光竜の特性魔術についても知っていた可能性が高い」


それはネアは知らない事だったので、昨晩の内にか、或いはネアが今朝支度をしている間にでも、ディノとアルテアは話をしたようだ。


「魔術や政治に明るくない私だから疑問に思ってしまうのですが、今回のように誰があの一派なのか面が割れていても、捕縛するのは難しいことなのでしょうか?」


そう尋ねたネアに振り返るのは、ゼベル姿のディノだ。

既婚者である彼なら契約の魔物も倦厭しないので、ネアと一緒に行動させるのに疑われ難い人物ということで、護衛という体にして一緒に演奏会に向かっている。

本人の方はこの時間を休憩にあてており、今は騎士の寮で奥さんとお昼ご飯中だ。


「ヴェルクレアは、王子に恵まれた結果、派閥が多い国でもあるからね。王位に興味のない筈のウィームですら、中央では危険視する声もあるそうだ。腐った枝でも、切り落とす際には細心の注意を払うのだろう」

「もしかして、火竜さんの問題もそうなのですか?」


ネアはあっさり倒してしまうつもりだったので、少しだけ不安になった。

音の壁を展開しているので会話には支障ないが、何となく声を潜めてしまう。


「火竜側も、一族の王家からあのような子供が出たことはあまり公にしたくないのだろう。元々、火竜は気性は荒いが誇り高い竜種だからね。繊細な問題で人間側と足並みを揃えるのは無理だと思うよ」

「そうなると、エルウィンさんを捕まえるのも苦労しそうですね」

「ダリルあたりは、ドリーに対処させようとしているのかもしれないね。同じ竜種なら王族相当の者を滅ぼしても禍根は残さないし、竜の宝に手を出したものは誰であれ殺しても構わないとするのが竜の掟だ」

「………むむう。そういう話を聞いてしまうと、王家や権力者の方達は、降りかかる火の粉を払うのも大変なのですね……」


眉を寄せて難しい顏をしたネアに、擬態したままの魔物がふわりと微笑んだ。

いつもとは違う姿だけれど、不思議なことにゼベルの姿をしていても、きちんと大事な魔物だとわかるのだ。


「エーダリア達は上手くやっているよ。心配しなくても、今回の件はじきに片付くだろう」

「確かに心強い方達ばかりですので、私も少しだけ演奏会に夢中にならせて貰います!」

「ほら、あの前列にいるバイオリン奏者は良い祝福を持っているようだ。音楽の祝福を受けているのだから、それだけの才能があるみたいだね」

「まぁ、それはとても楽しみですね!」


ディノが教えてくれたのは、ウィームの楽団の女性奏者だった。

座り位置的にはまだ中堅どころの奏者のようだが、生き生きとした表情からも音楽が大好きだという気持ちが伝わってくる。


野外演奏会の会場には淡い水色の花が溢れ、どこもかしこも、溢れんばかりの花で飾られている。

この花々は音楽を楽しみに訪れる人外者達からの贈り物だそうで、彼らはこの音楽への祝福を込めた花をチケット代の代わりにするのだそうだ。

花々は会場に飾られ、演奏会が終わると奏者達が好きなだけ持って帰る仕組みになっている。

この花を目当てに参加する音楽家も多く、ウィームの演奏会の祝福の花を持って帰ったことで、大成したとされる奏者も多い。

一般の演奏家がウィーム以外の土地でここまで濃い祝福を手にすることは稀だそうで、やはりそういう意味でもこの土地は特別なのだ。



やがて、曲前に音を合わせる為の短い楽器達の合唱が響き、ぴたりと止まる。

指揮者の横顔に微笑みが浮かび、タクトを持つ手がふわりと持ち上がった。


わくわくと曲の始まりを待つネアに、隣の魔物が少しだけ微笑む気配。



そして、素晴らしい音楽の時間が始まった。



(すごい!なんて素敵なの……)


こちらの世界に来てから、素晴らしい音楽には幾らでも触れて来たネアだが、今回の演奏会にはまた違う趣きがある。

祝祭として執り行われる演奏会に相応しく、音楽だけではない不思議な力がそこかしこに満ちているのだ。


それは例えば、しゅわりとした淡い光を帯びて弾ける木漏れ日だったり、地面から一斉に舞い上がった蛍の光めいた魔術の光。

リーエンベルクの周囲の木々を揺らす風には、妖精や精霊達の喜びが満ちているし、人外者達の席からは至福の感情から育ててしまったのか、近くの花壇や木々が花を咲かせてしまう光景が見られた。


(みんな幸せそうだわ……)


この演奏会は元々、ウィームが結びつきの深い冬の系譜の守護を失う夏の季節に、夏の系譜の者達の心を繫ぎ止める為に行われた魔術的な奉納の儀である。

こうして素晴らしい音楽を奉納し、代わりに信頼の証として人外者達は祝福の花を持ち寄る。

今はもう信頼関係も深まった者達ばかりだそうだが、そうして人間側と人外者が手を取り合った過去があるのがまた素敵な成り立ちの日だった。

因みに、葡萄パイは音楽だけでは満足しない食いしん坊の人外者に配られたのが始まりで、今でも人外者のお客さんは一つまでは無料で食べることが出来る。


当時は贅沢品だった白砂糖が振られているので人外者達からしても憧れのお菓子だったらしく、昔を懐かしみながら嬉しそうに食べている人外者達が何人もいた。

そんな伝統のお菓子も、今は茶色いお砂糖のパイも売られたりと、それなりに進化してるのが面白い。



「………なんて素敵な時間でしょう。心に栄養が行き渡って、とても贅沢な気持ちになりますね」

「君は音楽が好きだね」

「ええ。大好きですが、全てが好きと言える程に玄人好みでもないのです。専門的な知識も薄弱ですが、好きな旋律の中にひたっていると、幸せでいっぱいになります」

「可愛い。弾んでる………」


喜びに椅子の上で弾んだご主人様に、魔物がもじもじし始めてしまったので、ネアは慌ててパイを買いに出ることにした。

ここで魔物が奇行に出るとゼベルの評判に直結してしまう。



「ありました!燭台印のお店です。ここが、演奏会が始まった頃からある伝統のパイなんですよ」

「そんなに大きなものではないんだね」

「演奏の合間で食べるからかもしれません」


購入したパイは、甘く煮た葡萄を生地に練り込み、お砂糖をかけてかりっとジューシーに焼いた飴色のもので、上から白い粉砂糖をふってある。

葡萄を練り込んだパイ生地をくるくると巻いた形で、三口程で食べられるサイズだ。

魔術で焼きたての状態を保持してあるので、さくっと齧れば表面のカラメル状に焼かれたかりかり感と、じゅわっとしたお砂糖の滲む甘さが堪らなく美味しい。


「茶色いお砂糖のお店は、赤葡萄のジャムを包んだパイなのですね。あちらも美味しそうです」

「あの生き物達は、随分と買い込んだね」

「まぁ、ちびちびした子狐さん達ですね。もふもふが愛くるしいですが、同居人な狐さんが匂いで察して荒れ狂うので、撫でることは出来なさそうです」


ディノが示した方には、三匹の子狐達が茶色いお砂糖のパイを大量に購入していた。

よほど大好きなのか尻尾を振り回してはしゃいでいるので、甘党な子狐なのだろう。

売り子は特に驚くでもなく、狐達が見せた背中のリュックにパイを入れた紙袋をしまってやっている。

支払いが終わると、子狐達は弾むような足取りで駆け去っていった。



「最後の曲まであと一時間程ありますので、お部屋でエーダリア様に頼まれた、森竜さんとの接触履歴の洗い出しをやりましょう」

「うん」


お昼ご飯が甘いパイだけだと偏ってしまうので、ネア達は騎士達の昼食と同じメニューから、ポテトスープとサラダを選んで部屋に持って帰る。

今日は招待客などの接待もあるので、勤め人達のお昼は簡単なものだ。


そして、記憶の精査をしながらお昼ご飯を食べ、夕方から戻るヴェルリアでの仕事についてあれこれ話した。


「我々は光竜さんの捜索です。あくまでも捜索に特化し、見付けたらダリルさんにご連絡しますが、逃げそうであれば足止めまでは許可されています。光竜さんが他の仲間達と一緒だった場合は、足止めだけしてやはりダリルさんにご連絡します」

「光竜を捕まえるのは難しいから、ダリルが対応するのだろうね」

「とりあえず、目的がわかるまでは特製の迷路に放り込むと仰っていました。独立型の迷路だそうで、破られてもダリルさんに影響は出ないそうです」


それに、いざとなればこちらにはヒルドがいるのだ。

光竜を狩ることを生業としていた一族のシーである。

ある意味最強の切り札と言っても過言ではないのだが、ネアを知っているということや、なぜ光竜がヴェンツェルやエーダリアを標的とする企みを主導したのかなど謎が多いので、ただ殺してしまう訳にもいかないのだそうだ。


(さて、そろそろ時間になるから、最後の曲を聴いて…………)


遭遇した森竜の洗い出しは芳しくなかったが、時間になったので会場に戻ることにする。

今回ディノが擬態するのは、第五席の騎士だ。

こちらも既婚者であるので採用されたのだが、本人的には明後日に離婚を控えているので複雑な選出だろう。



けれどもその後、ネアは楽しみにしていた最後の曲を聴くことは出来なかった。



「おや、困ったものがいるね」


リーエンベルクを出るなり、ディノが眉を持ち上げて酷薄な微笑みを浮かべる。

その鋭さにはっとして、ネアは魔物の表情から襲撃なのだと悟った。

緑深い街路樹や、今日ばかりは賑やかな王宮前の通りのどこにも異変はないが、ディノにはわかるような気配めいたものがあるのだろう。


「……騒ぎにしたくありません」

「影絵に誘導しよう。君は、念の為にエーダリア達に伝えておいで」

「はい!」

「五人、………魔物がいるね。後は妖精と人間のようだ」

「殺さず捕えたいのですが、危なければ自分の安全を優先して下さいね」

「本当ならば、君を害そうとしたものなど、生かしておいても仕方ないのだけど」

「むぅ、後でつま先を踏んで差し上げるので、余裕があるのならばここは我慢して下さい」

「………体当たりもかい?」

「やむを得ません」


ご褒美に張り切った魔物のお陰で、襲撃者達はほぼ一瞬で捕獲されてしまった。

演奏会が終幕するまでは会場を離れられないエーダリア達の為に、目をきらきらさせて戻ってきた魔物の爪先を踏んでやっていると、ややあってヒルドが駆けつけてきた。



「ネア様、お怪我はありませんか?」

「ええ。悪さをされる前にディノが気付いて捕まえてくれましたから」

「………ご無事で何よりです」


そう呟いたヒルドの目に、見慣れない翳りが見えた。

ネアが首を捻りたいのを我慢して捕まえた襲撃者達に視線を戻すと、ヒルドは深い溜め息を吐いた。


「…………やはり、アリステル派でしたか」


その小さな呟きには、簡単に解けない苦々しさが滲んでいる。

不思議そうに自分を見たネアに、なぜか彼は後ろめたそうに目を伏せるのだ。



「まったく、まだ話してないのかい」


そこに割って入ったのは、ダリルの声だった。


「ダリルさん………」

「うちの馬鹿王子は楽団の挨拶で捕まってるからね。ああ、安心していい。ネアちゃんのところの塩の魔物と、ゼベルにうちのエメルも付けてある」

「かなり頼もしい布陣ですね」

「本人は来たがってたけどね。………さてと、今回の事件のことだけどね。一般的にアリステル派と呼ばれる狂信者達によるものである可能性が高い。とは言え、その信仰は建前なことも多いけどね。掲げるには使い勝手のいい名前なんだよ」


こちらを見つめる書架妖精の瞳は割れそうな程に青い。

その青さに今回の陰謀に関わった竜達を思い、ふと、ヒルドの瞳も青いのだと思い出した。


(不思議だわ。ヒルドさんやダリルさんの瞳の色に対して、単純に色と言うよりもその本人のことを先に考えてしまうのだから)


それが多分、近しさというもののことなのだろう。

であればきっと、ヒルドが何かを言い淀んでいるのもまた、ネア達が近しいものになったからなのかもしれない。



「私の記憶が確かならば、それは、私の前にいらっしゃった歌乞いの方の名前では?」

「ああ、そうだ。鹿角の聖女の再来と呼ばれた子でね。第三王子の婚約者でもあった。国家の事業に従事し、国内外も含めて名前を馳せ、美しき救済の乙女と呼ばれた歌乞いだよ」


「………であればもしかして、その方の後継とされている私に対して、何らかの不満が生まれているのですか?」


ネアが恐れていたのはそのことだった。

自分が歌乞いとして足りていないことは承知している。

本来は国の顔となるべき存在だがそうはならず、国策とされたグリムドールの鎖探しも訳あって成功したとは公言されていない。

自分の存在がどう伝えられているのか、不安に思うことは少なからずあった。


「いんや、そういうことじゃない。良くも悪くも、ネアちゃんは透明な存在だ。とは言え、来た途端にあれこれ上手く回り始めたってことで、ただの薬の魔物の歌乞いだと思わない者達も増えててね。でも、それに声を上げる領民はいないよ。ウィームは、統一戦争以来、力のあるものを秘匿することに長けているからね」


その表現はよくわかるような気がした。

それは例えば、いつの間にかダリルが連れている水竜だったり、公式な場にふらりと訪れる統括の魔物だったりもする。

そのような恩恵に驚き喜ぶ素振りは見せるが、ウィームの民達がその力を外部に誇示することはない。

突出しているからこそ大規模な粛清を受けた統一戦争時の苦い思い出が、ウィームには色濃く残っている。

過ぎた恩恵の喜びは、ウィームにとって透明な存在となるのだ。


「だから、こいつ等の標的はネアちゃんじゃないから安心していい。あえて言葉を補わないで言えばね、前任の歌乞いは政治的な思惑の犠牲になって死んだんだ。そう仕組んだのが、第一王子とガレンの密約だと主張するのがアリステル派だ。本気でそれを信じているのかはさて置き、旗印としては外聞がいいだろう?其奴らが今回の事件を起こしたんだよ」


(…………ああ、だからか)


静かにこちらを見ているダリルに、ネアは一つ頷いた。

だからこそ、その情報がネアに降りてくるまでに時間がかかったのだ。


「私に言うのを躊躇われたのは、前の歌乞いの方が殺されたというそれが、事実だからなのですね?」


ネアがそう言えば、ヒルドが沈痛な面持ちでこちらを見る。

ダリルがしっかりと頷き、そうだと肯定した。


「善良なのは良いことだ。でもそれは、清濁併せ呑む必要がある国政にとっては、耐え難い綺麗事になることがある。アリステルの場合、正して救おうとしたものが、この国にとってはあまりにも不都合なものばかりだったのさ」

「………その方は、手を下されて殺されてしまったのですか?」

「いんや。生還の見込みのない、凄惨な戦場の救済に出されただけだ。見せてしまえば、どれだけ周囲が止めても彼女が聞かずに出て行くだろうと、わかった上でそこの悲惨さを伝えてね」

「そうだったのですね」


ふと、背後から抱き締められて、ネアは振り返って微笑んだ。

擬態を解いた魔物がこちらを静かに見下ろしていて、その眼差しが言いたいことはよくわかった。

ネアが望むなら、この魔物はどこにだって連れて逃げてくれるのだろう。


「薄情に聞こえる言葉でしょうが、仕方のなかったことだと思います。狩りが残酷なもののように、国というものも綺麗事だけでは済まない事業です。その方は多分、一般の歌乞いさんであれば、そんな事にはならなかったのでしょうね」


そう言えば、ヒルドが静かに瞠目するのがわかった。

何も言えないままのヒルドの背中を、ダリルがばしりと叩いている。


「ほら見な。この子はこんな事で動揺したりしないだろうが」

「…………ええ。…………ええ、そうでしたね」


安堵したのか、体を少し曲げて深い溜め息を吐き、ヒルドはやっと穏やかな微笑みに戻ってくれた。


「しかし、私がもしそういう邪魔感を出してしまった時には、粛清する前に注意して下さいね!」

「ネア様がそのような対象になることはありませんよ。もしなるとしても、その時は私が…」

「あんたね、私情を挟まないの!……ネアちゃんの場合は、性格上まず大丈夫だよ。それに、最初からそうならないように、エーダリアもあれこれ手配してるからね」

「ふむ!そうであればすっかり安心しましたので、もう気負わずにあれこれ申し付けて下さい!」

「言えずにいたことで、ご心配をおかけしましたね」


安堵の複雑さを纏って、そっと頭を撫でてくれたヒルドに微笑んで首を振りながら思う。

今朝のアルテアといい、人外者達は案外繊細で優しい生き物なのだ。

ここは一人ぐらいどっしりとした大雑把さを混ぜ込み、みんなの手助けをしてあげよう。

そう思ったネアだったが、恐れていた事を防ぐことは出来なかった。



火竜の襲撃があり、ヴェンツェルが負傷したという一報が入ったのは、その日の夕方のことだった。





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