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156. 我ながら無茶をしました(本編)



こちらを見たアルテアの瞳は、暗闇に滲む鮮やかな赤紫色だった。

夜の光に浮かび上がり、魔物らしい酷薄さと美しさを際立たせているものの、見慣れない黒髪の姿に少しだけ違和感を覚えてしまう。


ネアが踏みつけている銀髪の男と、何やら刺激臭のする液体を顔面に受けて転がっている赤い髪の火竜を眺め、心底嫌そうに重たい溜息を吐く。


「………さっさと帰れとメッセージを書いただろうが」

「どうせそういうことを書かれていると分かっていたので、カードは開いていません!」

「俺は、邪魔者の殲滅を任されている。お前は、自分で自分の首を絞めてるぞ」


そう言われても逃げ出さなかったのは、それは多分、見捨てることと同じだからだと言ったら、この魔物はどんな顔をするだろう。

だからネアは、アルテアが自分の意思ではなく敵方に加担しているかもしれないと知ってからも、そんな本意ではない拒絶が書かれているかもしれないカードなど、むしゃくしゃするので開かなかった。


この魔物は、助けてくれとは言わないだろう。

手を貸してくれとも。

だとすればそこから先は、ネアが自分で考えるべきこと。



(ゼノは、私にアルテアさんのことがわかると言った)


それならば今回は、少し強引なやり口が必要な時なのかもしれないと、ネアはぼんやりとした確信を抱いている。

今はもう使い魔契約を解いてしまったが、どれだけみんなが大丈夫だろうと言っても、ネアはなぜか、今回ばかりはこのままにしない方がいいと思ってならないのだ。



ゆらりと影が揺れた。

その直後、ネアはウィリアムに抱えられて数メートル後方に飛び退る。

先程まで自分が立っていた場所の石畳が割れているのを見て、ネアはアルテアが本気で攻撃をしかけてきたことを理解した。

前線にウォルターとガヴィが残されることになったが、ウィリアムが盾になる結界を置いてくれたようだ。

それで一拍の間を稼ぎ、その猶予を上手く使って彼等も後退が間に合う。


「…………エルウィン、生きてるか」

「………………な、何なのだ、………これは」


ネア達を後退させたアルテアに雑に爪先で蹴り起こされて意識を取り戻した火竜は、何度も咳き込み、また何かがどこかに沁みたのか小さく悲鳴を上げた。

立ち上がろうとしてもくたりと地面に座り込んでしまうので、かなり被害甚大の様子である。

その様子を見たウォルターが、まるで怪物でも見るようにこちらを見るのはやめて欲しい。


「匂い的には、唐辛子と油だな。転移でどこかの水場に突っ込んでこい」


瀕死の火竜は返事をする手間もかけられなかったようで、咳き込み涙を流しながらよろよろと姿を消した。

獲物に逃げられたネアが唸り声を上げるが、その両手は作業中でがちゃがちゃと忙しい。


「ウィリアムさん、このままでは埒が明かないので、暫しあの二人を逃がさないように出来ますか?」

「ああ。構わないが、この様子だと彼はかなり縛られてるぞ」

「ええ。だからこそ、早々にこのこんがらがった部分をどうにかしたいのです」


ネアがそう言い終わるや否や、何か見えない魔術の圧が前面に展開された結界に叩きつけられた。

ウィリアムがすかさずネアを下がらせ、片手を上げて結界を補填しているくらいなので相当な質量なのだろう。

陽炎のように風景を歪める魔術の向こう側では、意識を取り戻してしまったのか銀髪の男性がよろりと立ち上がりかけていた。


(時間がない…………)


「お、おい、何をしているのだ……」


切羽詰まった表情で正面を見据えているネアだが、その行動はかなり奇怪なものなので、おずおずとウォルターに声をかけられる。

正面でウィリアムと交戦中のアルテアさえ、こちらを見た時には眉を顰めていたのでかなり異様な光景なのだろう。


「むぐふ。起死回生の策なのです」


ネアは現在、真鍮製の水筒の蓋を開け、何やらじゃりじゃりしたものをスプーンで食べていた。

こんな場面には相応しくない奇行であるので、ガヴィですら困惑したようにこちらを見ている。

しかし頭の回転の速い代理妖精は、すぐにネアが何をしようとしているのか気付いたようだ。


「………まさか、その祝福を使うおつもりですか?」

「食べ物というものの規準は人それぞれだと、私は名付け親になった雛玉から学びましたので」


男前に口元を拭い、ネアはお腹を押さえたまま水筒とスプーンをしまうと、前線に近付くように数歩前に進む。

相変わらずこれだけの大規模交戦で住民が出てこないのが凄いが、そこはウィリアムなり、アルテアなり、どちらかが結界のようなものでこちらの区画を隔離しているのだろう。


音もなく漆黒の陽炎が立ち上り、さあっと通り雨のような音がそれをかき消す。

石畳の一部が砂になり、石壁の一部がどろりと黒く爛れた。


「………おっと。かなり深部まで握られたものだな。まさか、最後まで取られてないだろうな?」

「さぁな。お前の腕が落ちたんじゃないのか」

「はは。まさか」


軽口のような応酬をしながらではあるが、二人が交わしている魔術の斬撃は重い。

何かを溶かすようなものや、なにかを塵に変えるようなものをぶつけ合い、ネアが機会を窺っている間に、一度だけ、その応酬の均衡が深刻に崩れた。



「………っ、」


小さく呻いて眉を顰めたのはアルテアだ。

しかし、血飛沫を飛び散らせたその傷口はすぐさま闇色の霧のようなもので覆われ、深紅の血は足元に落ちることもなく黒い霧になって霧散する。

それでもざっくりと深く切られた片腕を押さえてよろめくのだから、修復しても尚ダメージが残る程度には損傷の深いものなのだろう。

胸がぎゅっとなるようで、ネアは目を瞠ってその姿を凝視する。

あえてお願いして足止めしたからこそ生じた交戦なので、ネアが我が儘を言わなければあの怪我はなかったかもしれないのだ。


その怖さに奥歯を噛み締め、何とか立ち上がったらしいバーレンがこちらを向くその瞬間を待った。

やがて背中を押さえながらしっかりと立ち上がった光竜は、ゆっくりと振り返る。

真っ直ぐに自分を見ているネアに気付いたのか、魔術の風に煽られるようにして真っ青な瞳がこちらを見返す。

しかしその目を微かに揺らすと、すいっと逸らしてウィリアムと交戦中のアルテアに視線を移した。


「………アージュ、一人ぐらい潰せるだろう」

「蹴り倒されてた奴に言われてもな」

「まさかこの状況で、この時間に外に出てるとは思わなかった」


そう言うのは、自分を襲撃したネアのことだろうか。

であればこの竜は一体どこまで自分の事を知っているのだろうと、ネアは少しだけ怖くなる。

でもそんな問題は後でいい。

今はまず、この方法を試してみるときだ。



(…………今だ)



表面から押さえても意味はなさそうだが、お腹を両手で押さえつつ、ネアはきりっと正面を向く。

何かをしでかしそうだとわかったのか、赤紫の瞳が不審そうに細められるのがわかった。

その視線を追うようにして、ウィリアムもはっとこちらを振り向く。


自分の体がどうなってしまうのだろうという怖さは確かにあったが、ネアは深く考えないようにした。

幸い、傷の手当などに長けた知り合いは幾らでもいるのだ。



「結晶石さん、勝手にアージュと呼ばれてしまっているあの魔物さんは私のものなので、彼を私に返して下さい」



静かな、けれどもはっきりとした声でそう結晶石に命じれば、ばしゅんと、お腹の中で炭酸が弾けるようなやや強い衝撃があった。



「むぎゃ!」


お腹を押さえて蹲ったネアに、慌てて複数の足音が駆け寄る。


「ネア!」


ぱたりと倒れたネアは、すぐさまウィリアムに抱き上げられる。

お腹を押さえてぜいぜいしたが、特にすぐにでも死にそうな程に痛い訳でもない。

ただ背中に冷たい汗をかいているので、それなりのダメージもあったようだが、体の内側で暴動が起きたという気分的なダメージが一番だ。

アルテアやバーレンの方を見たいのだが、胃痛で本能的に体が丸まってしまい、上手く頭が上がらない。


「………ア、アルテアさんを奪回したのです」

「まさか、さっきの失せもの探しの結晶石を食べたのか?!」

「可愛いほこりが、食べ物の幅は広いのだと教えてくれました………」

「無茶をし過ぎだ!」


そこで、やはりどこかおかしくしたのか、ふっと意識が遠のきかけたところで、まるで昼間のように周囲が明るくなった。

その花火のような光はすぐさま消え失せ、誰かが駆け寄ってくる気配がある。


「ネア!」


短く鋭い声に目を開けると、額から流れた汗が目に沁みた。

やはり体がちょっとやられたのかなと、ネアはぼんやりと考える。


誰かの手が頬に当てられ、その霞みがかった意識の曖昧さは、すぐに綺麗に晴れた。

ほっとして一度目を閉じてから開けば、こちらを見下ろす赤紫の瞳が安堵に緩むその瞬間を見る事が出来た。



「馬鹿かお前は…………」


囁くように声を絞り出し、石畳に座り込むのは擬態を解いたアルテアだ。

紫がかった灰色のスリーピース姿で、雪のような真っ白なクラヴァットが鮮やかだった。

こんな姿を晒してしまっていいのだろうかと思ったが、視線を巡らせた天上には夜空がなく、ここはもうどこか違う空間であるらしい。


また、汗に濡れた前髪を掻き上げてくれるようにして、誰かが頭を撫でてくれる。

視線を巡らせて、それがアルテアの手であることがわかった。



「………アルテアさん」

「………ああ。ここに居る」

「無事に解放されましたか?」

「…………ああ」


その返答はとても静かな声だった。

安堵と言うよりはもっと謎めいた、けれどもどこか切実で穏やかな声だ。

また頬を撫でてくれた手がひんやりとしていて気持ちいいので、添えられた手に頬を寄せてうっとりする。

治癒の影響なのか、体が熱っぽいようだ。



「お腹が治ったら、夏の果実のタルトを作ってくれます?」

「まさか、食い気で体を張ったんじゃないだろうな?」

「と言うよりは、手札があるとわかっていたので手遅れにならない内に切ったまでですね」

「………馬鹿にも程があるぞ」

「ウィリアムさん、アルテアさんが虐めます」

「後でしっかり叱っておくよ。それよりも、どこか痛いところはないか?」

「ふぁい。…………胃が無事かどうか、お腹いっぱい食べてみないと何とも言えませんが」

「馬鹿か!治癒したばかりだ。無茶をするな!」

「むぐ、叱られました」


左右を固めた魔物達の横でウォルターが右往左往しているのがわかるが、ガヴィが宥めてくれているので大丈夫だろう。

そこで、ウィリアムがふっと視線を上げたので、ディノ達が来たのがわかった。



「ネア!」


声を上げて駆け寄ってきた真珠色の魔物に、慌てて引ったくられるようにして抱き寄せられる。

ウィリアムに抱えられたままでも良かったのだが、やはり万全でない時には慣れた魔物の腕の中の方がほっとする。

と言うか、実はウィリアムは結構雑な人間の持ち方をするので、ちょっとほっとしてしまった。


「むぐ。お腹に良くないものを食べてしまいました。しかしながら、胃の強さには定評のある私なのです」

「………何を食べたんだい?」

「シルハーン、彼女が食べたのは失せ物探しの結晶だ」


ウィリアムに教えられ、ディノは水紺の瞳を悲しげに瞠る。

まるで自分が酷い目に遭ったように傷付いた目をするので、ネアは手を伸ばしてその三つ編みをぎゅっと握ってやった。


「ネア、…………どうしてそんなものを食べてしまったんだい?」

「加算の銀器で効果を増やすには、元々食べ物の区分のものであるか、食べてしまったものにしか効かないのだと、みんなで実験した時に判明しましたよね?」

「………祝福の効果を強めようとしたのか」


そう呟いてアルテアを見てから、ディノはどこか悄然とした眼差しで目を伏せた。


「かつて、同じような目に遭ったラファエルさんは、強引にお婿さんにされてしまうくらいでした。理の魔術は厄介だと、私とて学んでいましたから。しかし、こちらの魔物さんは私の使い魔ではなくなっても、まだ私のものではあるのです。理の魔術と、加算の銀器で一億倍にした取り戻しの祝福と、どちらが強いのか試してみました」

「一億倍………」


まだまだ心配そうにして欲しいところだが、それを聞いた魔物達は、絶句したディノを筆頭にしてどこか慄いたように視線を彷徨わせる。


「そんな結晶石を二十個ほどぱくりといったので、更に二十倍です!」

「…………わーお」


辺りがしんとしてしまったからか、ディノの後ろのノアが、ぽそりと一言で感想をくれた。



「少しだけ目を離した間に、どうしてそんな無茶をしてしまうのかな。……困ったご主人様だね」


まるでネアがディノの目を盗んで逃げ出したかのような台詞だが、正しくは酔い止め治療を嫌がって強制入院させられていたのはこちらの魔物ではないか。

そんな思いを込めてじっとりと見返せば、ディノは少しだけしゅんとした。



「………せっかく仲良くしていて、せっかくみんながいて幸せなのです。自分の意思でする悪さなら構いませんが、意思を封じられて敵対するのは我慢なりませんでした。私はとても強欲なのです」

「ネア…………。だから、誰にも相談せずにやってしまったのかい?」

「明日の演奏会がちょっぴりでいいので観たいのです。その為なら、一時的な腹痛くらい我慢します」

「待てお前、その為にこんな無茶をしたのか?!」

「むぅ。一年に一度しかない機会なのですから、頑張ってもいいのでは………。演奏会では、限定の素敵な白砂糖と葡萄のパイが売りに出るのですよ?」

「…………食い気かよ」



そう呟いたアルテアが天を仰ぐ。

ウィリアムは頭を抱えてしまい、ディノはあまりにも食い意地の張ったご主人様に呆然としている。

いち早く気を取り直したのは、順応性の高いノアだ。

本人的にも狐になってボール遊びを楽しむという型破りなところがあるので、奇行に対する反応が早いらしい。


「ネア、治癒は大丈夫かな?どこか治して欲しいところはある?」

「むぐふ。………どなたかが治してくれました。まだ体がびっくりした感じは残っていますが、普通に立てそうです」

「シルも調べただろうけど、一度立たせてあげてみてくれる?ウィリアムだと治癒下手だから、細部まで微調整しよう」

「悪いが俺はその場凌ぎだけで、完全に治したのはアルテアだ」

「ありゃ。じゃあ大丈夫かな」

「随分な言われようだな………」


そこで暫し見合ってしまったウィリアムとノアを横目に、ディノに慎重に立たせて貰ったネアは、特に不調もなくお腹も大丈夫そうだぞと、ほわりと笑顔になる。


「うむ。万全な状態に戻っています。………そして、さっき一度何かが眩しく光っていましたが、竜さんは逃げたのでしょうか?」

「こっちが契約から抜け出したのをすぐに理解したんだろう。俺も、あいつを追いかけるより、お前の治療を優先したからな」

「一度は倒したので少し残念でしたが、アルテアさんを取り戻したので良しとしましょう」



そう微笑んだネアは、ふわりと持ち上げられこつりとディノとおでこを合わされる。



「む。…………怖がらせてしまいましたか?」

「………君はいつだって、私を怖がらせてばかりだ」

「ふふ。それなら、今回は心配させてしまったので引き分けにして、酔い止めを飲まなかった悪い魔物への制裁はなしにしましょう」

「ご主人様…………」


危うく制裁されるところだったと知った魔物があっさり陥落したので、ネアはぎゅうぎゅうと抱き締めてくる魔物を撫でてやりながら、隣にぽつんと立っているアルテアに微笑みかけた。



「お腹を治してくれて、有難うございます」

「深刻な損傷はなかったがな。………だが、傷付いていたのは確かだ」

「結晶石の踊り食いのようなものですものね。ほこりの丈夫な胃袋には敵いませんでした」

「いや、何であれを参考にしたのかさっぱりだぞ?」

「あら、名付け親として負けていられませんからね」



(そして、ここは街中じゃなくなったみたいだけど、どこなのかしら?)



ぼんやりとした墨色のオーロラのようなものに包まれていて、でもその向こう側には先程までいた街並みもぼんやりと見える。

同じ風景の違うところと考えてからやっと、影絵のような場所に避難したのだろうかと思い至った。


ウォルター達とも目が合ったので、笑顔で問題ないことをアピールしておいた。

ネアと違い、得体の知れないものを食べてしまう悪食の生き物を見慣れていなかったからか、かなり驚いたようでまだ青い顔をしている。

いきなり結晶石の踊り食いなどされたら嫌だろうなと思って頷き返してやってから、重々しく首を振ったガヴィから周囲の魔物達を視線で示され、あっとなった。


「ディノ、うっかりしていましたが、ウォルターさんが消耗してしまうので擬態して下さい!」

「そうか。リーエンベルクの者達よりは、抵抗値が低いのだね」

「ありゃ、そういやウィリアム以外は本来の姿だね」

「俺まで白くなったら、さすがに精神圧的にまずいだろう」

「………ぜ、全員白いのだな」


ただでさえ擬態していないディノは驚きの白さなので、そこにアルテアとノアがいるだけでも視界はかなり白い。

ウォルターはすっかり参ってしまったのか、やっと擬態してくれた魔物達からよろよろと遠ざかり、少し離れたところでガヴィに介抱されていた。


「やはり白いと怖いのでしょうか?」

「本能的な反応だろうね。人間からすれば、人外者が纏う白は危険や恐怖を連想させる色みたいだから」

「勿体無いですよね。とても綺麗なのに」


異世界基準のネアはそう考えてしまうが、その感想に魔物達は少しばかり苦笑したようだ。


「やれやれ、そう言えば、アルテアは春告げの舞踏会からはネアのものだったのを忘れていたな」


そう言ったのはウィリアムだ。

ノアは向こうでガヴィに頼まれ、ウォルター達を外に出してやっている。

とある追い込み漁の途中だったそうで、捕まえた反逆者達を通りの端に縛って転がしてあったのだそうだ。

幸いにも、捉えて意識を奪っておいた他の咎人達は、そのまま転がっていてくれた。

光竜からすれば、彼等はあえて連れて帰る程の相手でもなかったのだろうと、ウォルターは胸を撫で下ろしている。


本来の街の方に出てくると、そこにはまだ生々しい交戦の跡があった。

拘束された者達を見ながら、ディノに持ち上げられたネアは首を傾げる。


(仲間を助けに来た、という感じではなさそうな………)


ここに駆けつける前に見た影との位置関係を踏まえると、あの位置からバーレンが攻撃すればこの者達にも当たりそうなので、捕まった仲間を助けに来たのではなさそうだ。


「もしかしたら、ウォルターさん達をおびき寄せる為の撒き餌だったのかもしれませんね。光竜さんは、明らかに背後から襲撃をしかけようとしていましたし」

「ああ、今同じようなことを考えていた。だとすれば面目無い限りだ。餌を置いて獲物を呼び寄せたつもりが、こちらが罠にかけられていたのかもしれない。あらためて礼を言わせてくれ」

「いえ。私も実は、あのバーレンさんとやらと、アルテアさんが揃っている現場に行きたかったのです。失せ物探しの結晶を使う、絶好の機会が得られて本当に良かったです」

「お前達は、どこに行こうとしていたんだ?」

「今夜皆さんが一斉捜査のようなものをしているのは知っていましたので、アクスの方と会った帰り道に、少し上の方まで歩きつつ異変に遭遇したら手を出してやろうと企んでいました」

「そういうことだったのか………」


そこでネアは、横から手を伸ばしたアルテアに、ポケットに雑に突っ込んだままの水筒を取られた。

振って音を確かめているので、好きなように見させてやる。


「一緒に入ってるのは何だ?」

「お水ですよ。買った時に、ウィリアムさんやアクスの方はなぜに水の入った水筒に入れるのかと不審そうでしたが、喉越しを良くするために服用の水分は必須なのです」

「………こんなものを食用にする人間は、お前くらいだぞ。いくら守護をかけても、自分で食されれば、二重に守護を損なう。二度とやるな」

「む。二重に損なうのですか?」


ノアが呆れた声で教えてくれる。


「そりゃ、自分の意思ってところで守護をすり抜けて、おまけに内側からだからねぇ」

「ぞくりとしたので、以後気をつけます………」


そう呟けば、魔物達は信用ならないとでも言いたげなじっとりとした目になってしまった。



ここでウォルター達は拘束した者達の移送で去ってゆき、ネア達はひとまず一度ウィームに帰ることになる。

本当であればまだヴェルリアで仕事が残っているのだが、先程のネアが息も絶え絶えで申請した明日の野外演奏会のことを考えてくれたのだろう。

ネアとしても、これだけの魔物達がリーエンベルクにいてくれれば、明日の演奏会も安全だろうという腹黒い魂胆もある。



「葡萄パイ………」

「せめて一晩くらい大人しく休め」

「憧れが抑えられません。と言うか、暫定やはり私の魔物さんは、先程の怪我もあるのでそれこそ大人しく休んで下さい」


そう言うとアルテアはなぜか、驚いたような顔をするのだ。


「えー、リーエンベルクに泊めるの?」

「ノア、このまま滞在させれば、明日はその場の流れで無償労働させられますよ。今なら、殊勝な気分になっている筈なのです」

「おい、聞こえてるぞ」

「それにしても、今回は随分と深層まで縛られましたね」


そう言ったのはウィリアムだ。

指摘されたのはあまり触れられたくなかったことなのか、アルテアが顔を顰める。



「………仮面の魔物として押さえられたからな」


そう言うと、ウィリアムとノアが顔を見合わせるのがわかった。

ディノは少しどうでもよさそうだが、やはりかなり深刻な状態だったようだ。


「よりによって、擬態してはいても高位の魔物であることは知られたままだったのか」

「ウィリアム、その目をやめろ」

「いや、さすがに今回はあまりにお粗末でしたからね。高位の魔物としての力を誓約力に長けた光竜に握られていたんだから、ネアに感謝しないと」

「ああ。………当分は、好きなものを好きなだけ作ってやる」

「ほわ!」

「だが、一週間は我慢しろ。治癒は万全だが、暴食は控えろよ」

「明日はパイを食べますし、今回のヴェルリアでのお仕事が終わったら、美味しい海の幸を…」

「ネア、ひとまず明日はパイくらいにしておこうか」

「むぐぅ」


ディノにも窘められてしまい、食事制限という危機に見舞われた人間はじたばたした。

よしよしと頭を撫でられるのだが、ここは別に食欲とは直結していない。

頭を撫でられてほっこりしても、食べる意欲は失われないのだ。




「ネア、何があった?!………アルテア?!」


リーエンベルクに戻ると、エーダリア達が思わぬ団体様に驚いていた。

事情を説明してもうアルテアは大丈夫だと伝えれば、ヒルドの眼差しがかなり怖い部類のものになる。

失せ物探しの結晶をお腹の中で破裂させたと話した時が一番の怖さだったので、後でかなり叱られそうだ。


「それとな、こちらでも一つ調べがついたのだが、兄上の契約の竜の候補は、エルウィンという竜の方だったらしい。あの竜は、火竜の王弟の息子らしくてな」


契約の竜の候補は、真名を明かす必要がある。

真名は竜にとっても大事なものなので、契約が流れた段階で記録からも破棄されており、それを調べ直すのに少し時間がかかったそうだ。

エーダリアの前のガレンエンガディンが生きていれば覚えていたのだろうが、残念ながら亡くなってしまったので当時の関係者から聴取する必要があったらしい。


「………そうなると、あの光竜さんは何者なのでしょう?」

「お前は本当に思いあたる節がないのか?」


(なぜに、疑わしそうに言われるのか)


「アルテアさんも、あの方が私のことをどうして知っているのか、ご存知ないのですか?」

「俺が、あいつらがウィームまで標的にしていると知った時にはもう、バーレンはお前のことを知っていたようだからな。……だが、お前のことを個人的に知っているのは、あえて誰にも話していなかったようだ」

「むぅ、なぜなのだ」

「あいつが、あえて隠すような関わりがあったのなら、どうせその辺で拾ってきたことでもあるのかと考えていたが、本気でわからないとなると本人を捕まえるしかないぞ……」

「さては、今回のことで、私をどこか責める風な発言をされていたのは、知り合いだと思ってたからなのですね?」


やっとその理由がわかって頷いたネアに、ノアがふっと微笑みを深めた。


「っていうか、ネアがまた新しいお気に入りを増やしたのかなって、苛々してたんじゃない?」

「あら、寂しがり屋さんでしたか」

「やめろ」



(でも、本当にあの人は誰なのだろう?)


ネアを知っていて、擬態していてもそれがネアだと見抜けるだけの情報がある。

契約の魔物であるディノの容姿を知っていて、ネアがこんな時間にうろつかないだろうと考えるくらい、ネアの周囲との関わり方を知っている。


「そうか。確かに、歌乞いだと知っているのなら、本件に関わって外で働いていても不思議はないのだな。それを、そこまで酷使されないと判断していた訳か……」


ネアが並べた疑問点に、エーダリアも少し不信感を強めたようだ。


「ええ。私なら、解呪用の宝石を集めてしまうかもしれないと考えていましたし、ブーツで踏まれてもさしたる驚きはありませんでした」


そして時々、バーレンはじっとネアの瞳を覗き込むことがある。

あの静かで深い青の瞳を見ていると、ネアの心にも何か引っかかりが生まれるのだ。

何か、覚えていなければいけなかったものを、忘れてしまっているような気がする。



「そう言えば、アルテアはどうやって知り合ったんですか?」

「………随分前に仮面を剥いで、他の器に入れ替えてたんだがな。時間をかけて本来の力を取り戻したらしい」


自分の質問にそう答えたアルテアに、ウィリアムはそんなに古い因縁の相手だったのかと遠い目をしている。

しかし、何か気になったのか、眉を顰めて向き直った。


「………ん?………と言うことはあれは、光竜の混ざりものじゃないんですか?」

「正確には、後天的な混ざりものだ。元は生粋の光竜だが、その辺の森竜に入れ替えてやったからな」

「ありゃ。ってことは、やっぱり魔術的な優位性は、魂の方に紐付くんだね」


ノアも驚いているので、会話が少し専門的になってしまったネアが首を傾げると、ディノが引き取って説明してくれた。

森竜の脆弱な体であれば、アルテア程の魔物の仕掛けを破るのは困難な筈なのだが、しかし、光竜には元々あるべきものを正しい形に戻すという種族特性の魔術がある。

今回のことは、その種族的な力が魂に紐付き、少しずつ長い時間をかけて本来の力を取り戻したのだろうということだった。


「森竜さんくらいになると、あちこちの狩り場で見かけて蹴散らしてきましたが、さすがに最近のこととなるともう、立派な竜に戻られていたような気がします」

「体は、森竜のままなのだろうか?」

「いや、魔術補填をしているのか、或いは治癒の応用で練り直しを図った可能性もある。あいつ自身が使っている魔術も頑強だし、森竜が保有不可能な魔術量を動かしてるな。それと、あいつ自身の目的は俺も知らないままだ。光竜らしく、のらりくらりと質問を躱す上に、俺は誓約で不自由な身だったんでな」


エーダリアの質問に答えたアルテアの言葉に、ネア達はしばし考え込んでしまった。


「ひとまず、火竜の方の目的は何となく察せるが、その光竜が指揮を取っている理由が不明瞭だな。今夜の捕り物である程度の成果が出れば、ヴェルリア側や、ダリルの方でも何か新しい情報を増やすだろう。この棘を取り除くまでには、少し時間がかかるやもしれん」



そう締めくくったエーダリアの言葉に頷き、その夜はひとまず解散することとなった。

明日の野外演奏会は一時間程観覧していいと言って貰い、ネアはご機嫌で部屋に戻る。



「空気の匂いが違いますね。ヴェルリアは、やはり海の匂いがします」

「ウィームは、この時期なら、水と森の香りだね。大気や地下にある魔術経路の気配もあるし、土地による印象はまるで違うだろう」



アルテアとウィリアムは客間に泊まるようだ。

アルテアは少しエーダリアと話すようで、ノアが立ち会ってくれると聞き、早く寝るようにと部屋に帰されたネアも安心している。

数日ぶりに寝台に眠れるらしいウィリアムは、どこかほっとしたような目をしていた。

そしてネアは、ムグリスではなくなったディノと一緒に寝ることになった。

夜中に体調が悪くなるといけないと言われてしまい、本日はお泊り会なのである。


「ディノは、もう気持ちが悪いのは治りましたか?」

「………うん。もう二度と、あの呪にはかからないようにしよう」

「ある意味、初めての二日酔い体験でしたね。明日は少しだけ演奏会を楽しんで、その後はまたヴェルリアに出張です。病み上がりなのであまり無理しないようにして、何かあったら言って下さいね」

「…………君もね」


話しながら、ネアは途中で瞼が落ちてしまった。

ディノが今夜の事件で少し複雑そうだったので話し合うつもりだったのだが、それなりに深夜であることもあるし、治癒を経た体はやはり疲弊しているようだ。

個別包装の上から誰かに抱き締められる感覚にもにょもにょしつつ、幸せな眠りの中に落ちていった。




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