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二日酔いと毛だまり



ウォルターの隠れ家にお世話になった夜のことである。


ネア達が狩りから戻って来ると、ガヴィが屋敷に届いていた魔術通信を読んで顔を綻ばせていた。


「坊ちゃん、ダリル様から専用通路の開設のお知らせですよ」

「ここにか!」


ちゃっかり秘密通路はネアの使い勝手のいいどこかと考えていたそうで、自分の隠れ家と大好きなダリルの秘密通路が繋がったことに、ウォルターは大喜びだ。

そんな主人のはしゃぎようを、ガヴィはにこにこしながら見ている。

本物の祖父のようで、ネアはいい関係の二人だなと笑顔になった。



「ネア様、ご無事で何よりです」


そんな秘密通路から、ダリルよりも先に駆け付けてくれたのはヒルドだった。

一度、ウォルターとガヴィに頭を下げると、さっとネアを持ち上げて怪我などがないか確認する。


「お怪我はないようですね。しかし、念の為に庇護を徹底しておきましょうね」

「ヒルドさん、おかしなところに落とされましたが、事前に備えていたお陰で、今日は特別危険な目には遭っていませんよ?」

「ネア様が機転を利かせたからに尽きますよ。あの時、もう少し早く駆け付けていられたら……」

「うっわ、ヒルド落ち込んでんの?気持ち悪っ!!」

「ダリル………」


後から来たダリルが冷やかし、ヒルドは微笑んだまま、ノアなら即座にごめんなさいと言ってしまいそうな目をした。

しかし、ダリルは動じもせずに手をひらひらと振っている。


「ネアちゃん、あの場でよく周りを見ててくれたね。助かったよ」

「いえ、ご心配をおかけしまして申し訳ありません。向こうの方々も本命が罠にかかると思っていたのか、勢揃いだったようで。やられるだけでは悔しいので、くるりと見回してみんな見ておきました!」

「それに、自分でも記憶共有の術式に思い至ってくれたことと、それに抵抗がなかったのも偉い」


記憶共有の術式は、公式に入手しようとすると権利保護などの問題から手間がかかるのだそうだ。

敵方には高名な貴族もいるようなので、流通の規制がかかる前に、ネアがあの場ですぐにアクス商会に駆け込んだことが、ダリル的には評価ポイントだったらしい。

口は悪いが、ダリルは自分のことは褒めて伸ばす方針のようだと、ネアは最近わかってきた。

エーダリアには叱って伸ばす教育なので、相手の性格を見ているのかもしれない。


「今回は大丈夫だけど、相手が権力者だと都合の悪い道具の入手を邪魔されることがあるんだ」

「そういうことまでは思い至っていませんでした。アイザックさんなら、跳ね除けてしまいそうですが」

「でもほら、アルテアに邪魔されかねないからね」

「む!」


そこから暫くは、狩りの獲物を片付けつつ、やっと顔を合わせての報告会となる。

ノアも来たがったそうだが、魔術侵食などでこの屋敷の結界に影響を与えかねないノアと、現在、最も堅牢なリーエンベルクから出す訳にはいかないエーダリアなどは、お留守番となったそうだ。


「まったく、厄介ごとが重なることがあるのは当たり前なんだよ。演奏会どころじゃないとか、こっちに比重を傾け過ぎなんだ、あの馬鹿王子は」

「しかし、標的はエーダリア様でもあるのですから、ご本人は落ち着かないのではありませんか?」

「この手の陰謀なんざ特に珍しくないよ。とは言え、今回は特等の魔物や竜が関わってるからね。自分も議論に参加したくて仕方ないんだろう。でも、護衛は部下や代理妖精の務め。領内の交流行事こそ、領主の務めだからね」

「そう言葉で聞けば、それが正論なのだとわかりますね………」


ネアが頷くと、ダリルはそりゃそうさと呟いた。

みんなで同じことをするのは時間の無駄だというダリルの判断により、そちらのチームは、リーエンベルク内の見回りを兼ね、野外演奏会の準備をさせているそうだ。

グラストとゼノーシュも明日の準備にあたっており、ヒルドがゼノーシュからの差し入れのキャラメルを預かってきていてくれた。


「適切な部下に一任して自分は政務を続けてる第一王子を見習って欲しいのは、こういうところだね」

「いや、あいつは図太いだけなんですよ……」


ウォルターがそう言って遠い目をしているのは、ネアが先程狩ってしまった代理妖精が良い駒になるそうで、報せを受けたヴェンツェルが、ご機嫌でそちらの仕掛けにとりかかってしまったからだ。

今回ウォルターが狙われたのは、現在の宰相が進めている政策絡みで買った恨みらしいが、あの代理妖精を手に入れたことで、現在ヴェンツェルが進めている政策に関しても、対応策に良い奥行きを持たせられるのだとか。


「何も今夜、そちらの残党狩りの仕掛けをしなくてもいいのではと、エルゼはぼやいておりましたよ」


そう笑ったガヴィに、ダリルは珍しく少しだけ悔しそうな顔をする。


「視野が広いってことさ。並行して進められる作業量が多いだけじゃなく、ちょくちょく私情を挟む癖に、つまらないところまで抜かりがない」

「しかし、つまらないところなら、後回しでもいいのではないでしょうか?」


わからず素直にそう尋ねたネアに、ダリルは指をぴしりと立てて教えてくれた。


「並行して進めるだけの能力的なゆとりがあることを、あの王子は冷静に判断出来るんだよ。陰謀の派手さに惑わされず、過度な自己防衛を避け、適切に人材を配置出来るのはやはり王の器だね」


(そっか。どちらも蔑ろにしていい問題ではないのならば、瑣末な案件の方だって早く済ませるに越したことはないんだわ)



「さすが、第一王子様なのですね。エーダリア様に好意的である内は、元気にお強くいて欲しいものです!」

「ネアちゃんの評価基準はぶれないねぇ」

「はい。自分及び身内第一主義なのです。その他の方々のことは、全てのことを考えられる優れた方にお任せして、我欲のままにお知り合いだけを贔屓します」

「うん。いい心構えだ。どんどんウィームに貢献しな。今回のことでも、ウィームは中央に恩を売れるし、事件の内情を隠されたり、変に後手に回されずに済んだ。ひっかかったのがネアちゃん達で良かったんだよ」

「ダリル、危険な目に遭われたことを良かったなど…」

「ヒルドは私欲で目が曇ってるからなぁ」

「ウィームが健やかなことは、私の穏やかな日常を守る術。脅かすものは容赦しません!」


きりっとしたネアをウォルターは恐ろしそうに見つめ、ヒルドからはそれでも決して無茶はしてはならないと注意を受ける。

そんな中、ネアはテーブルの上のハンドタオルを丸めた巣で眠っていたムグリスディノのお口が、少しだけ開いていることに気付いた。


(これはチャンス!)


「…………ネア様?」

「そのままお話を続けていて下さいね。実は、先程お見せした名刺の裏の走り書きを信じて、昼間からムグリスディノに解毒剤を飲ませているところなのです」

「夕食の後にもやって、可哀想に部屋中を走り回っていたではないか」

「あれは、薬湯の苦味も千倍にされてしまったからですね」

「それは、ディノ様もお気の毒でしたね……」

「そして、今回はこれです!」


ネアがテーブルの上に出したのは、葡萄に良く似た実から作り出される解毒剤だ。

原液だとラズベリージュースのような酸味があるので、この場合は酸味が千倍になるのだろう。


「………ネア様、酸味の場合は驚かれて呼吸系統に支障をきたすとよくありませんので、せめて五百倍にしては?」

「む。五百倍で足りますかね?」

「五百倍で効かなければ、その薬剤の成分では合わないと思いますよ」

「ではやってみますね」

「ま、待て!寝ているところに流し込むのか…………?」

「晩餐の後から、スプーンを見ると逃げるようになってしまいまして、毛を膨らませて威嚇することを覚えた程なのです。ちびこい三つ編みがぴーんと立って愛くるしいですが、捕まえるのに苦労しますから」

「それで寝ているところで飲まされて、人間不信にならないといいのだが………」


相手がふくふくのムグリスディノなのでウォルターは不憫そうだったが、ネアとしては事件が次のターンに入って本格的な身の危険などに晒されない内に、この状態をどうにかしておきたいのだ。


「スプーンさん、五百倍で」

「我々などは、加算の銀器とは食事を素晴らしく美味にするものという認識でしたから、今回のことは新しい知見ですな」

「機会があるから柔軟に試せたことだ。道具が多いってのは、いいことだよね」


ダリルとガヴィがそうしんみり話し合う横で、ネアはムグリスディノの小さなお口に容赦なく劇物を注ぎ込んだ。



「ギュッ?!」


途端に飛び起きたムグリスディノは、体中の毛をけばけばにしてまん丸の体で巣の中を転げ回る。

すぐさまネアが小皿に入れた甘い林檎ジュースを差し出すと、がばりと顔を突っ込んでぐびぐびと飲み始めた。

よほど酸っぱかったのか、飲まされた直後にぶるぶると震え上がっていたのだが、ネア的にはその姿があまりにも可愛くて頬が緩んでしまってる。



「え、ネアちゃん、凄い笑顔だけど何で?」

「ムグリスディノがぴゃっとなると、お餅毛皮が震える姿に愛くるしさ倍増です。うちの魔物も可愛くなりましたねぇ」

「キュ………」


そう微笑んだネアを恨みがましく見上げたムグリスディノは、ご主人様の手にまだ凶器のスプーンが握られていることに気付いて再び飛び上がった。

口周りを林檎ジュースでびしゃびしゃにしたまま、びゃっと震え上がると短い足で逃げ出してゆく。


「ディノ!寝起きで走り出すと危ないですよ」

「キュキュ!」

「まぁ、ぷんぷんでも可愛いですね」

「キュ!」

「ほら、手のひら抱っこをしてあげるので、戻ってきて下さい」


狡猾な人間からそう提案されたムグリスディノは、ぴたりと動きを止めると煩悶のあまりぐるぐる回り、欲望に負けてもそもそと戻ってきた。


「………キュ」

「ふふ、いい子ですね」


周囲のどこか痛ましげな眼差しには気付かず、ムグリスディノは加害者の元に戻って来てしまった。

ネアはまだ、スプーンをしまってはいないのだ。



「それと、口元の毛ががびがびになってしまうので、お口を拭きましょうね」

「キュ」

「あらあら、抱っこが先なのですか?」

「キュ!」


早く持ち上げろと短い前足で手のひらを踏まれ、ネアはもう片方の手で頭を撫でてやる。

撫でられると簡単に籠絡されてしまうらしく、紺色に染色された毛玉はうっとりと目を細めた。


そして、



「ほわ?!」


ぼふんと、音がして何か大きなものがテーブルの端から床に滑り落ちた。

体積が変化したことで、質量的にテーブルには乗り切らなかったのだ。



ネアとヒルドの間の床にどすんと落ちたそれは、ムグリス時代の後遺症か目をぱちくりさせている。



「ディノ!」


その姿を見るなり、ネアは、椅子を跳ね飛ばして大事な魔物に抱きついた。

テーブルを囲んだ一同も、いきなりの解呪に驚きを隠せない様子だ。


「元に戻れて、良かったです!テーブルから落ちて怪我などはしてませんか?」

「ご主人様…………」


自分を抱き締めるネアに目元を染めつつ、ディノは不思議そうに己の手のひらを眺める。


「………戻ったね」

「はい!ローンさんに感謝ですね」

「うん。…………り、林檎ジュース」

「はい。これで好きなだけ口直しして下さい」

「ネアのグラス…………」


お口の中はまだ惨憺たる有様なのか、会話の途中でディノがぐはっと俯いてしまった。

ムグリスディノ用は小皿だったので、ネアは慌てて自分のグラスを差し出す。

まだ一口しか飲んでいないので、たっぷり入っている。


「………あ、それでは嫌ですよね。すぐにディノのものを…」

「これがいい」

「む。そう主張されると、背中がぞくりとします」


ネアは不安になったが、すでに魔物は床に座ったまま、ネアのグラスから林檎ジュースを飲んでいる。

今の発言は聞かなかったことにしようと思い直し、ネアはよいしょと椅子の上に戻った。


「頑張られていた甲斐がありましたね。これで一安心です」

「はい!ヒルドさん、有難うございます」


椅子を引いてくれたヒルドに礼を言えば、その向こうでダリルは既に、ウォルターにヴェンツェル側の誰かと話をさせているようだ。


グラスを空にしたディノも立ち上がらせ、ガヴィが持って来てくれた椅子に座らせてやった。

やっとお口の中が落ち着いたのか二杯目の林檎ジュースを飲みながら、ディノは若干草臥れた感じながらに普通の魔物に戻ってくれる。

かなりくしゃくしゃだが、一応は特等の魔物らしい美貌なので、ウォルターとガヴィは少しだけ緊張しているようだ。


「ネア、今日は一人で怖い思いをさせてごめんね」

「ディノがどうにかなってしまったと思った時はすごく怖かったですが、ムグリスでもずっと側にいてくれたので今までの事件よりは心穏やかでしたよ?」

「でも、私は無力だっただろう?」

「あらあら、元に戻れたおめでたい場面なので、しょんぼりしないで下さい。無事に逃げ出せましたから、終わりよければ全てよしなのです。後は、あの悪い奴らを捕まえてしまいましょう!」

「うん」



ご主人様の言葉に恥じらいつつ頷いた魔物だが、その直後、がばっと両手で口元を押さえた。



「ディノ?」

「…………気持ち悪い」

「え………」



口元を押さえて真っ青になった魔物はいやに艶めいて美しかったが、ネアは何か副作用があったのではと怖くなってしまう。


「まさか、何か副作用のようなものが………」

「治癒を邪魔するような、厄介な条件付けがあるのかもしれないね」


ダリルも神妙な面持ちとなり、まずは具合の悪いディノの診察を急ぎ行うこととなった。

無理な転移をさせる訳にもいかず、こちらの結界を強化してノアを呼ぶことになる。



「し、しおのまもの………」


ご新規の魔物が白い髪のままこちらにきたので、これが何者なのかを師に聞かされたウォルターは震え上がって驚きを体現していたが、ひょいひょいとダリルの迷路を踏み越えてこちらに来たノアは、まずはテーブルに伸びた万象の魔物ではなくネアを持ち上げて一度抱き締める。


「ノア!具合が悪い子はディノなのです」

「うん。それでも心配したからまずはね。大丈夫、シルはそうそう死なないから」

「むぐ。心がほわりとしてしまいますが、とは言えまずはうちの大事な魔物を診てあげて下さいね」

「うん。……ネア、誰かに酷いことはされてないね?」

「はい。悪巧みなみなさんに囲まれてしまいましたが、ゼノの擬態添付のお陰で正体も隠せましたし、転移門を握りしめていたので、無事に逃げられましたし、アイザックさんがとても有能な方を紹介してくれました。こちらでお世話になっているウォルターさんやガヴィさんも、とても頼もしいのですよ!」

「良かった筈だけど、頼もし過ぎるとちょっと寂しいなぁ」

「あら、でもそうやって頑張れるのは、踏みとどまれば助けてくれる、リーエンベルクにいる頼もしい皆さんがいてこそなのです」

「狡いなぁ。そんな風に頼られると僕も頑張っちゃうからね。さて、シルは大丈夫かな?」



ネアを下ろしてから机に潰れたディノの診察に入ったノアは、紺色に染色されたままの髪の毛を持ち上げておでこに手を当てると、本物のお医者さんのようにしばし考え込んだ。



そして、ごくりと固唾を飲んで見守ったネア達をゆっくりと振り返る。



「…………これ、ほとんど二日酔いだね」

「ふ、二日酔い?!」

「大丈夫、魔術的な弊害じゃないよ。それよりも、色々飲み過ぎて悪酔いみたくなってるみたいだ。でもそうなると、魔術的な分野じゃなくて薬効補助だから、僕には酔い止めを作ってあげることしか出来ないかなぁ」

「ほ、他に困った症状や、気を付けることはありますか?」

「一般的な酷い二日酔いで気を付けることぐらいだね。それと、シルはこういう体調不良には慣れてなさそうだよ」

「………確かに、夜の盃で酔い潰したことはありますが、ディノが二日酔いになったのは見たことがありません」

「だよね。僕も滅多に、謂うところの一般的な二日酔いってならないしね。この前のネアのスプーン事件で、ウィリアムやアルテアが二日酔いになったのを初めて見たくらいだ」

「そういうものなのですか?」

「ほら、僕達の場合不都合な不具合は排除しちゃうから。でも、直接摂取したものだと相殺しきれないのか、加算の銀器で与えられたものはその効果を防げないのかどちらかだね」

「加算の銀器の効果かも知れませんね」


そう頷いたヒルドが、特に理由もなくネアの頭を撫でる。

二人とも心配してくれたのはわかるが、ノアも同じようにするので、ネアは達観した静かな目をしている。

左右からやられると頭頂部の髪の毛がくしゃくしゃにされるので、そろそろやめて欲しい。



「………ってことはさ、大騒ぎしたけど特に問題はないってことだね?」

「うん。大丈夫だよ。それとネア、シルも戻ったんだし、帰っておいでよ」

「まだ使い魔さんの無事が確認出来てないのです」

「え、………ここでアルテアの心配もしちゃう?!」

「ディノがムグリスディノのままの時にはむしゃくしゃしたので心配も出来ませんでしたが、ディノが回復したのであれば、どんな悪い仲間達とどんな危ない遊びをしてるのか気にかかります。特に、夏の果実のタルトの約束が……」

「わーお、そっちの心配だ」

「しかしそれも、使い魔さんに依頼した私からの重要な業務ですよ!」

「ネ、ネアが浮気する………」

「ディノ、息も絶え絶えで言わなくてもいい事なのでは」

「ご主人様………」

「ほら、シルも酔い止め飲もうか」


ディノは、ノアが差し出した小さな薬瓶を見た途端、飛び上がってネアの背中に隠れてしまった。


「こらっ!お薬を嫌がるなんて、子供じゃないんですから」

「ネアが虐待する」

「この場合、その表現は適切ではありませんね。ほら、さっさと飲んで下さい」

「酷い………」


三つ編みを掴まれて捕獲された魔物は、鬼のようなご主人様から酔い止めを無理やり飲まされてしまった。

涙目で薬を飲む魔物を眺めながら、ウォルターは完全に怯えているが、ネアは決して虐めている訳ではないのだ。



「第一の方でも同じ種類の上位薬を取り寄せてるってさ。薬効が百倍の上位薬だから、ひとまずスプーンは借りなくていいそうだよ。朝までディノの様子を見て、問題なければ飲ませよう」

「はい。ダリルさん、ディノも元に戻ったので、私も引き続きこの擬態で暗躍しましょうか?」

「そうだね。念の為に、解呪用の結晶石を探して貰おうかな。火薬にはこの薬が効かないかもしれないし、効いた後なら囮になる」

「ダリル!」

「あんたね、どっちにせよアルテアが関わってるなら、ネアちゃんが動くのが一番だろうが。ある意味、弱体化の鍵だからね」


反論しかけたヒルドはその言葉で黙ったが、弱体化とは何だろう。

首を傾げたネアに、ノアが教えてくれた。


「ほら、ネアが絡むとアルテアっていつも悪巧みが失敗するよね。あれのこと。多分もう、運命的に有利属性みたいのがあるんじゃないかな」

「むぅ。そうであれば、今回のことでもその悪事を挫いてみせます」

「そういや、ウィリアムも明日から来るんだっけ?僕、ちょっとだけアルテアが可哀想になってきた」


ウィリアムが来るとアルテアは容赦なくお仕置きされてしまうので、ネアは確かにとその言葉に頷いておいた。

しかしながら、アルテアが何かした時にとても適切な対応をしてくれるのは、そのやり口に慣れた頼もしいウィリアムなのだ。



「ディノは、しばらくムグリス擬態でもしましょうか?」

「え…………」

「おっ、それいいね!そうしてくれると少し動かし易くなるね」



ネアの提案にダリルはかなり悪い顔をしたが、当の本人はどこか複雑そうだ。



「ネア、………ムグリスは妖精だよ?」

「悩みどころはそこなのでしょうか。そして、私は今夜ココグリスを狩ってきたので、あの子を使うことで二重に敵を撹乱するつもりです!」

「契約の魔物が戻ったのなら、ココグリスは森に返してやってはどうだろう?」

「ふっ、ウォルターさん甘いですね。敵どもを欺く罠は多ければ多いほど良いのです。ココグリスには恐怖体験でしょうが、この世は残酷なものですから」

「ってことだ。ウォルター、諦めな」


ダリルにも言われ、ウォルターはがくりと肩を落としている。

なぜ彼がそこまで落ち込むのかわからないノアに袖を引かれ、ネアはウォルターが可愛らしい生き物を案じているのだと教えてやった。



「ディノ、ムグリスに擬態出来ますか?」

「……………ご主人様」

「ちょっと頑固にやりたくない感じを主張してきているようですが、ご主人様はあの愛くるしいムグリスディノを見ていると、ディノと婚約して良かったなとしみじみ思ったのです」

「やれると思うよ」


ずる賢い婚約者に唆され、プライドがどこかに行ってしまった万象の魔物がぼふんとムグリスに擬態してみせると、ネアは戻ってきたお餅毛皮を抱き締めて喜んだ。

周囲はもはや同情の眼差しだが、今回の場合は結果が全てである。



一通り、ポケットへの転移などの打ち合わせが済むと、またぼふんとディノの姿に戻り、お腹と脚の付け根の毛皮がたるんだ毛だまりを愛でていたネアは不満の声を上げる。



「ネア、………」


しかし、ディノはディノであまりにも撫で回されて困り顔だ。

目元を染めて恥じらっているが、すぐにまた口元を押さえて青い顔をした。


「まだ気持ち悪いですか?」

「…………うん。擬態している間は平気だったけれど、戻ったらね……」

「ふむ。ムグリスはあのご容姿で麦酒大好きの大酒飲みだそうですので、あまり二日酔いはしないのかもしれませんね」

「え…………」


ぼふんと音がして、一同は言われてもいないのにムグリスに擬態してしまった魔物を眺めた。

ちびこい三つ編み姿のムグリスは、うろうろ歩いたり、飛んだり跳ねたりして、気分が悪くないことを確かめているようだ。

こちらの姿なら大丈夫だとわかると、ご機嫌でネアの膝に飛び降りて丸くなった。



「シル、酔い止めはムグリスには効かないから、戻った方がいいよ?」

「…………むぅ、寝ましたね」

「おや、寝てしまいましたか?」

「はい。ムグリスディノ的にはお眠な時間なのでしょうか」

「叩き起こしてみれば?」


可愛さに一ミリも心を動かされないダリルは呆れた様子だったが、この時のネアは優しい気持ちで首を振った。


「いえ。気持ちが悪いのは辛いことですし、今日は沢山薬を飲ませて体に負担をかけてしまったのは事実ですから、せめて少しでも寝かせてあげようと思います。朝、早めに起こして様子を見ますね」

「了解。じゃあ、ウォルター、明日は海の神殿に向かうまで頼んだよ」

「はい。任せて下さい!」

「しかしお一人で泊まるのはご不安では?私が朝までこちらに残りましょうか?」

「ヒルド、あんたが帰らないと、馬鹿王子が予行の最終調整を出来ないでしょうが」

「…………ネイ、せめて朝までこちらに残れますか?」

「勿論。朝までと言わず、ずっと側にいるよ」

「し、塩の魔物が我が家に泊まるのか………!!」


ノアは張り切っていたが、ネアに説得されて夜明け前にはリーエンベルクに帰ることになった。

こちらはディノがいるのでエーダリア達を守って貰おうとそうお願いしたのだが、そこで楽観視してしまったネアは、出かける頃になってもまさかの目を覚まさないムグリスディノに途方に暮れることとなる。


結局、ムグリスはよく寝る生き物だということを誰もが失念していた結果、解毒剤での解呪は二日酔い症状以外副作用なしと第一王子サイドに最終報告出来たのは、トルテッリを食べる頃になってからだ。

しかし、そちらはそちらで事件が起きていたようなので、連絡が遅れたことは責められなかった。

珍しくヴェンツェル王子とドリーが激しい喧嘩をしたそうだと聞き、ネアは驚いてしまう。



「あのお二人が喧嘩を?」

「…………ヴェンツェルが、鳥になった火薬の魔物を気に入ったようでな。部屋に連れ帰っていたら、ドリー殿が怒ったらしい」

「………わかるような気がします。私も、このムグリスディノのもふもふ毛皮がぎゅっと集まっている脚の付け根のところを見ていると胸が苦しくなりますので、ヴェンツェル様もそのようなご心境なのでは」

「…………かもしれないな」


ネアがそう言えば、ウォルターもムグリスディノの毛だまりをじっと見ると、口元を緩ませて頷いた。

毛皮鑑賞で二人がほっこりしている内に、暖かい紅茶を飲んだムグリスディノがまた寝てしまったという大失態は、ネアとウォルターの間だけの秘密にしておこうと思う。

お陰でネアは、一人で海の神殿に行く羽目になってしまった。







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