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155. やっと少し貢献出来ました(本編)



「すみません、営業時間外に」

「いえ、元々定時なんぞあってないような商売ですからね」


ネアがその夜訪れたのは、とある小さな深夜営業の喫茶店だった。

入るなりマスターが奥の個室に通してくれたので、行きつけの密談場所になっているようだ。

スパイの密談のような雰囲気に見合った、深い飴色と葡萄酒色の天鵞絨張りの家具のクラシカルなお店で、赤い光のシンプルな硝子ランプがゆらゆらと影を落とすのが大人の魅力だ。

影響されやすいネアは、自分にもこんな行きつけの喫茶店が欲しくなる。



「…………む、なにやつ」


しかしその部屋に待っていたのは、ネアの見知らぬフード姿の黒髪の男性だった。

待ち合わせ相手と違うのでもしや罠かと構えてしまったが、元の容姿に戻っただけだと言われて警戒を解く。

そして、冒頭の挨拶となったのだ。


「あのふさふさの尻尾は、返してしまったのですね」

「ええ。同僚が無事に戻りまして。そちらも、お手元の物で解決出来そうですか?」

「はい。お蔭さまで無事に解決出来ました。名刺の裏に、素敵な助言を有難うございます」


ネアが本日会っているのは、アクス商会でアイザックに紹介して貰ったローンという名前の幹部だ。

紹介された日に、彼から貰った名刺の裏にはとある一文が書き殴られていた。



“獣化は不完全。効果を高めた解毒剤で解呪可能”



そう書かれていたあの名刺を見てから、ネアはせっせとムグリスディノに、加算の銀器で効果を上げた解毒剤を飲ませ続けていたのだ。

四種類目が当りだったらしく、お口の中は最悪だったらしいが、無事に呪いが解けたという訳だ。

しかしそんなディノは、劇薬を飲まされ過ぎたせいで今も二日酔いのような症状で寝込んでいる。

ネアが傍にいると甘えて逃げ出そうとするので、一度縛り上げてからリーエンベルクに送りノアに預けたので、二時間程で無事に回復出来るだろうとのことだ。



「いえ。あの程度ですからね」


そんな解呪の勝利の立役者であるローンは、最初に出会った時とは違い、黒髪に漆黒のフード姿の陰気な男性になってしまったが、よく見れば陰気というよりは恥ずかしがり屋なのかもしれない。

じっと見つめるとすすっと視線を逸らしてしまうのだが、尻尾がある頃はとても堂々としていたので謎めいている。


「ローンさん、…………この一日で人格が変わるような何か悲しいことがありましたか?」

「俺本来の気質的なものですのでお気になさらず。同僚の系譜の尻尾を預かっていた時には、思いがけず堂々と振る舞えて自分でも驚きました。さすが狼ですね……」

「ということは、あの尻尾は狼さんの尻尾!」

「ええ。………それと、今更気付いて申し訳ないのですが、ご無沙汰しております、ウィリアム様」

「うーん、やっぱり俺は擬態も不得手みたいだな……」


ぺこりと頭を下げられ、ネアの隣で擬態していたウィリアムが苦笑する。

ディノが不調なのでウォルターに擬態して同行して貰っているのだが、ローンは見抜いてしまったようだ。


なお、このウォルター擬態はダリル主導のもので、本人はまた別の姿に擬態して暗躍しているのだとか。

今夜の内に、敵方の中でも雑踏に紛れると厄介という区分の中堅の者達を刈り取ってしまうらしく、そちらはそちらでかなり盛り上がっている。


「お知り合いだったのですか?」

「ああ。系譜の魔物だよ。彼は、疫病の魔物だ」

「人間という儚い身では、どきりとしてしまう魔物さんでした」

「大丈夫だ。彼は人間には優しい方だから。………そうか、ローンなら、アルテアとは確執があったからな。それでネアに良くしてくれたのか」

「ウィリアム様の御贔屓の方だとわかっていれば、もう少し手を回したのですが、申し訳ない」

「いや、ネアも充分に感謝していたし、今回のことは助かった」


重たいフードの下で、ローンはウィリアムに褒められてぽわりと嬉しそうに微笑んでいる。

自信満々の狼尻尾の姿から一転、何やら可愛い魔物になってしまったようだ。


フードがあるのであまりよく見えないが、この魔物は背の高い男性のようで、がっちりめの頼もしい男性度合いはふさふさ尻尾時より少し減少し、ぼさぼさの前髪の感じがどこかグレイシアに似ている。

ふっと視線を上げた一瞬、重たい黒髪の下から澄明な湖のような澄んだ水色の瞳が見えて、ネアはその無垢で澄んだ瞳とのギャップに愛くるしい選定を下す。

銀色のふさふさ尻尾があった頃の方が精悍で恰好いいが、また違う側面の魅力の持ち主だ。


「ウィリアム様がそちらにいらっしゃるなら、こっそり、あれこれ喋ってしまいますけどね。…………実は先日、アルテアから、アクスに術式強化の理系統の呪いの注文があったんです」

「それが、今回使われた手紙の形をした術式陣なんだな」


(むぅ。あっさりリークに入ったけど、大丈夫なのだろうか)


系譜の偉い人が出てきたので口が軽くなったように見受けられるが、アクス商会としては大丈夫なのだろうか。

とは言えアクスの商売手法は、過失のように見せかけて様々な利害を絡めたりと複雑なものだし、アイザックはあえてこの幹部をネアに紹介したので、こうなることまで予測済だったのかも知れない。

商売人という意味ではわかりやすいアイザックだが、根本的に魔物らしい魔物なので何を考えているのかわからないところが多い。


「獣化する疫病の呪いの強化でしたので、本来なら俺がやるんですけどね。今回の仕事は俺には難しかったので、同僚が代わりに現場に出てくれたという経緯でして」

「そうか。それで、身代わりになった同僚の系譜の要素を預かっていたんだな。今のネアとの話を聞いていて、何でだろうと思っていたんだ」

「さすがに俺の属性とは真逆なので、持ったままだと擬態していてもバレますからね。お互いの属性を入れ替える魔術を使い、代わりに現場に出て貰いました」

「…………と言うか、そもそも、そのお仕事は断れなかったのでしょうか?」


思わずそう尋ねたネアに、ローンはどこか遠い目をした。


「アルテアは忘れてるんでしょうかね。或いは、覚えていてもどうでもいいのか。………しかし俺は、仕事とは言えアルテアの為に術式を組むとなったら手が震えて何も出来なくなるくらいです。なので、アクスではアルテア周りの仕事は受けないようにしているんですが、今回は現場の若い職員がその仕事を受けてしまいまして」

「まぁ、受注事故のようなものだったのですね」

「お恥ずかしい限りです。いつもなら顧客担当であるアイザック様が上手く他に捌いて下さっていたのですが、運悪く結婚式などもあり数日間お休みされていましたから」

「…………それはもしや、アイザックさんの結婚式でしょうか?」

「ええ。昨日晴れて離婚されまして、また独り身に戻られましたけどね」

「お早いご破綻で……」

「アイザックが結婚したのか………」


思わぬ事実が転がり落ちてきて、ネアとウィリアムは絶句してしまった。

相手が誰なのかとか、一週間で離婚するどんな事件があったのかとか、気になり過ぎる事案である。


「いや、体験して業務に生かそうというあの方の悪い癖のようなものです。それと最近、結婚もしてない男に自分の結婚準備は頼めないとロクサーヌ様に言われたらしく、将来の業務も見据えての職務研修のようなものですよ」

「…………ロクサーヌも結婚するのか」


ウィリアムは更に呆然としてしまい、ネアは過去にお付き合いしていた女性の結婚が決まった瞬間の元彼の図を初めて見ることとなる。

思いはもう残ってなさそうな上に自分で駄目にしたようだが、それなりに動揺するようだ。


「ロクサーヌ様は、あくまでも婚約という状態のようですが」

「つ、つまり、アイザックさんは、お仕事の為に結婚を試してみた、という感じだったのですね」


慌ててネアはその話題を踏み越えようと尽力した。

こんな触れ難い問題でナーバスになられても、その手の経験値が浅いネアにはどうしようもないではないか。


「ええ。ですので、アクスの方も少しの期間、現場で混乱があったんです。それが今回の件に繋がる訳でして。いやはや、身内の不手際で情けないですね」

「でも、そのお陰で、今回の件は光明が見えました!アルテアさんをぎゃふんと言わせてやります」

「それは頼もしい。是非、そうして欲しいものです」


今回の件はアルテアも事情有りのようなのでそれはネアなりの社交辞令だったのだが、心底願うように言われて、過去に何があったのだろうと首を傾げていると、ウィリアムが事もなげに教えてくれた。


「アルテアの作ろうとした術式に、魔物の耳が必要でな。たまたま近くにいたローンが、片耳を削がれたんだ」

「…………しっかり復讐していい案件ですね」

「お蔭で、あの日以来片耳ですよ。こうして日々フードをかぶっているのも、片耳に…」


惨劇の証拠を見せようと思ったのかはらりとフードを落したローンは、唐突に椅子の上で弾んだ人間にぎょっとして固まってしまった。


「にゃんこ耳!」

「ネア、落ち着こうか。確かにローンには耳も尻尾もあるが、疫病の魔物だからな」

「し、尻尾もあるのですか?」

「ネア、ケープを捲るのはどうかな。ほら、ローンが驚いてるだろう?」

「むぐぅ。にゃんこの尻尾が見たいのに、お尻を隠されてしまいました……」

「い、いや、人間のお嬢さんに、いきなり服の裾を捲られて尻尾を探されたのは、俺も初めてですよ……」


ローンはたいそう慄いていたが、目をきらきらさせた顧客の為に渋々尻尾を見せてくれた。

くるりと優美な曲線を描いた黒い尻尾を見て、ネアは志を新たにする。


「素晴らしい尻尾に、にゃんこ耳が片方しかないことへの無念さがつのりましたので、アルテアさんは必ずぎゃふんと言わせます」


自分より高位の生き物に奪われて魔術の素材にされてしまったものは、様々な理が絡んで二度と戻って来ないのだそうだ。

しっとりとした短毛の黒い猫耳をよくも削いだものだと、ネアは無性に腹立たしくなる。

憧れの異世界的獣耳存在に出会ったのはローンと、ローンが預かっていた姿の誰かで初めて見たので、思い入れはひとしおだ。


「それにしても、よく疫病の魔物に擬態出来る者がいたな」

「ああ、同僚は海に属する精霊の一柱ですからね。海の加護を受けたヴェルリアでのことだったのと、王族に近い階位であることで、俺に擬態出来たんですよ」

「む。海の神殿にいる白くてふわふわな精霊さんにはお会いしたのですが、ご親族でしょうか?」

「ああ、セレスティーア様かな?あの方は遠縁ですね。同僚は、海嵐の精霊なんですよ」

「海はもふもふの楽園なのですね……」


うっとりしてしまったネアに、ウィリアムが、本来は魚の系譜の生き物が一番多いのだと教えてくれた。

となるとあまり興味はないので、日頃の行いが良くて素敵な生き物に巡り会えたのだろう。

変わって、過去の行いが良くなかったらしいアルテアは、ローンの恨みを買った結果、中途半端な術式を用意されてしまったことになる。


(それとも、………もしかしてそれも、折り込み済みだった、とか?)


ウィリアムはアルテアがあちらサイドに加担しているのには理由があると話していたし、依頼を断れないので、あえてこうなることに賭けたという背景があったりするのだろうか。


「今回の術式の制作にあたり、先方は個人の感情で仕事に手心を加えないように、作業水準を徹底するように誓約をさせたそうです。しかしながら、代理で赴いた同僚は疫病の系譜の者ではないので、その場では上手く取り繕えますが、彼がどれだけ本気で調整しようとあの呪いは完全なものではなかった。まぁ、今回お納めした商品の内訳は、こんな経緯ですかね」


それを商品というのは勿論、ネアに卸されたあの情報そのものが商品としての価値を持つからだ。

ネア自身もそれを理解した上で、あの情報を活用させて貰った。


(あの場でアイザックさんも情報が一番高価だと話していたし、やっぱりこうなることまでお見通しだった気がする)


その場合、このローンの行動も、アルテアの注文からの一つのセット販売であった可能性すらある。

だからアイザックは、ネアの方の注文には応えられない可能性があると話しながらも、ローンと引き合わせてくれたのではないだろうか。


(アルテアさんと確執があるのは事実だとしても、そういう体であえて呪いを不完全にすること自体が、アルテアさんの本来の目的に合わせて用意された“商品”だとしたら……)



「………アイザックさんは、だから私にローンさんを紹介してくれたのですね」

「まぁ、あの方は何でも御見通しでしょうから。ああそれと、代理で現場に行った同僚は、複数名の監視の下で術式を組んだようですよ。不利な工作をさせない為の措置でしょうが、そういう術式の作り方をするとなると一枚岩の組織ではないんでしょうね」

「…………案外こうなることまで予測済で、我々に抜け道を用意してくれたとか」


ネアがそう言えば、なぜか同席した二人の魔物はとても嫌な顔をした。

ネアはいい読みだと思ったのだが、アルテア性善説はあまり心に響かないようだ。



「ネア、それならアルテアは、君やシルハーンが巻き込まれた段階で、もっと危険を回避させる為の対策が取れたと思うぞ?」

「………確かにそうですね」

「……………まさかとは思いますが、あの呪いにかかったのは、万象の方なのですか?」


がしゃんと珈琲のカップをソーサーに戻し、だらだらと冷や汗をかきながらそう呟いたのは、真っ青になってしまったローンだ。

そうなると確かに怖いだろうなと想像出来たので、ネアは逆恨みはさせないので、心配ないからと安心させてやる。


「ど、どっちになったのでしょう?兎玉の呪いですか?それとも鳥玉の呪い?」

「むぅ。なぜに愛くるしいその二択だったのだ……」

「鳥や兎は人間が容易に食材にする生き物ですからね。今回の依頼は家畜にしろというものだったらしいんですが、さすがに牛や馬だと後々面倒になるので、こちらから妥協案を出してそのように」

「なんと。そのお陰で、愛くるしいムグリスディノを堪能出来ました」

「…………兎になられたんですね。お労しい…………」


ローンはすっかり項垂れてしまったが、ウィリアムは少しだけ何かを考え込む姿勢を見せた。


「ウィリアムさん?」

「昼間にも少しだけ話したが、光竜が生来得意とするのが、歪んだものを正す系統の術式や、悪しきものに欺かれないようにする為の術式なんだ。恐らくアルテアは、油断して関わった結果、その手の術式で縛られてるんだろうが……」

「と言うことは、捕まってしまっている感じなのですか?!」

「いや、さすがに彼ならどうしようもない程追い詰められたりはしないだろう。不自由さも遊びの内で楽しんでいて、ある程度の保険もかけているんだと思うぞ。だが、思いがけず、シルハーンやネアが関わってきて焦っているんじゃないかな」


それは事故というのではないだろうかと遠い目になったネアに、ローンがぼそりと成る程と呟いた。


「………そうか。だから、一部分だけアクスに依頼をかけたのかも知れません。その術式に縛られれば、擬態していても本来の力を差し出す羽目になる。そうなれば、自分が高位の魔物だとバレますしね」

「ああ。物語の技法だな」

「物語の技法にかかるとは、愚かですねぇ」

「物語の技法?」


初めましての言葉にネアが首を傾げると、ウィリアムが説明してくれた。

物語の技法とは、人間が時々しでかす秘技の一つで、うまく知恵を絞って立ち回り、姿を隠して近付いてきた高位の人外者を誓約で縛って、その人外者の本来の力を得るという奇跡のことなのだとか。

人間達が物語で好むそんな展開を語源にし、今回のような場面ではそう表現するらしい。


直訳すると、擬態して遊び半分で接触したところ、うっかり捕まって正体を暴かれ全力労働させられる残念な人外者ということだ。



「むぅ。少しだけ可哀想になりましたので、アルテアさんの肩をぽんと叩いてあげたくなりました」

「ネア、彼らがどんな集団なのか分かった上で近付いたのは間違いないと思うぞ。自業自得だ」

「…………確かに、そう考えると本当のことを教えてもくれませんでしたね」

「あ、それは口外禁止の誓約がかけられているからでしょうね。同僚から、そう聞いてます」

「………そうなると、その同僚さんが喋れたのは何故なのでしょう?」

「それは彼が俺の耳や尻尾を持って出掛けたからですよ。系譜の特徴を貸していましたので、その間の記憶を同時共有しています」

「謎めいた交換の利点でした………」



(そう言えば、私に安易に解呪してはならないと話してくれたとき)


あの時のアルテアは、貴重な機会を無駄に使ったというような言葉を残している。


「ウィリアムさん、アルテアさんが私に言った言葉を覚えてますか?」


そこで気になったことを話せば、ウィリアムは一つ頷いた。


「口外禁止の魔術を、アルテア自身の選択の特権で、規定回数破れるように抜け道を作っておいたんだろう。彼はあまり褒められた遊び方はしないが、自滅するような暇潰しをする程に悪趣味でもないからな」

「そうなると、悪趣味と言われる方は何をするのかとても心配になります」

「かつて、どんなカードを引くかで場合によっては自分が不愉快なことを強いられるとしても、それすら暇潰しにしていたのがシルハーンだ」

「二度とそのような若さに身を任せた危ない遊びはしないよう、しっかり躾けておきますね」

「今はもうしないだろう。あれは執着や興味を持てないことに対する自棄のようなものだからな」

「今や、とても危険な欲望の塊ですからね………」


遠い目でそう呟いたネアに、万象の魔物はどんな趣味を持ってしまったのだろうとローンは慄いていたが、その内訳が、髪の毛を引っ張って欲しいだとか、腰に紐を付けて引っ張って欲しいというものだとはとてもではないが辛くて言えなかった。



「さて、納品の詳細報告はこのくらいで宜しいでしょうか。またご新規の注文がありますか?」


本日ネアがローンを呼び出したのは、今回の件にとても協力的なウィリアムが、会って話を聞いておこうと言ってくれたからだ。

名刺の裏にあんなことを書いてくれたローンが何かを知っているのは間違いないので、ディノが元気になったら話を伺いにいくつもりだと話したところ、ウィリアムが早い方がいいと事情聴取役を買って出てくれたのである。


恐らく、今夜の説明までが商品としての一括りだったのだろうが、系譜の王がいなければここまで話してくれなかったかも知れないので、ネアは今晩一緒に来てくれたウィリアムに感謝していた。



「ウィリアムさん、沢山重要な情報を得られました。一緒に来てくれて有難うございます」

「いや、頼ってくれて嬉しかったからな。偶然だがローンが相手で良かった」

「ローンさんは、素敵に愛くるしい猫さんでした」

「ネア、彼は疫病の魔物だからな?」

「むぐ。………それにしても、アクス商会さんは凄い人材だらけなのですね」

「あらゆる病も商品に取り揃えているというのも、あの商会の売りだからな。ローンのことは数年がかりで説得したと聞いた」

「確かに、与えるにせよ奪うにせよ、病というものは商売になりますしね。特効薬の開発も、元になる病を手に入れられなければ出来ませんし」

「いやはや、アイザック様と同じことを言いますね………」


最後にそう笑って、ローンはアクス商会の職員らしい慇懃な一礼をして去っていった。

諸事情から、失せ物探しの結晶を沢山追加購入したネアは、水筒に入れた結晶を賞金稼ぎのようにじゃりじゃりと鳴らして手を振る。



(やっぱり、呪いを解けるように手助けするところまでが、アルテアさんに向けられたサービスなのかもしれない)


ネアがそう思うのは、解毒情報には追加料金が発生しなかったからだ。

もしくは、ネアが時間稼ぎにしかならなかったと考えているペラペラリボン生物に、こんな素敵なセット商品を丸ごと買うだけの価値があったかのどちらかなのだろう。



「………ネア?」

「ウィリアムさん、何か心配事ですか?」


帰り道、凝視し過ぎて困ったように名前を呼ばれたのでそう尋ねてみた。

合流してくれてから何度か、ウィリアムは少しだけ悩むような素振りを見せているのだ。

そのことが、ネアは少しだけ心配だった。


立ち止まってこちらを見下ろしたウィリアムは、どきりとする程の白金の瞳で気遣わしげにネアを見る。

こてんと首を傾げれば、そっと頭を撫でられた。

こんな風に二人で歩くのは、死者の国ぶりだろうか。



「ネアは鋭いな」

「………あまり良くないことなのでしょうか?」

「そうだな、………君の執着や好意によっては、そうかも知れない。……ネア、俺は今回の件でアルテアがあの光竜の側にいるのは、誓約よりも強制力の強い、魔術的な報復の理に足を取られた可能性もあると考えている」

「報復の理というと、…………ラファエルさんのことで耳にした気がします」

「ああ。雪喰い鳥の試練もそうだが、その生き物が司る力を動かす類の呪いや攻撃を奇跡的に回避すると、魔術的な理から報復が約束されることがある。どうも、それで行動を制限されているような気がしてな」


そう指摘されて、ネアは昨日からのアルテアの言動を振り返った。

確かに、渋々従っているような天邪鬼な言動のどこかに、本物の苛立ちや怒りのようなものが感じられることもあった。

何というか、動機や振る舞いがアンバランスなところが見受けられたのだ。



「……もしそうだとすると、物語の技法とやらより、かなり深刻な状態なのですか?」

「いや、本人の心配はないだろう。………だが、相手が言葉の魔術に長けた光竜である以上、アルテアが敵対するような言動を選択している時には、こちらのことまで考慮出来ない可能性もある。真剣に警戒した方がいいのは確かだな」

「だから、使い魔の契約を解かせたのですか?」

「あの場限りの避難措置、とは取らないか」

「よく考えれば、アルテアさんとバーレンさんが揃った場所にいたことがあるのです。最初にしでかしているのに、後からの方が過剰に警戒させられたのは何故だろうかと考えれば、……」

「その通りだ。君自身に危険が及ぶ場合と、アルテア自身が身動きが出来なくなる場合。そのどちらかで厄介なことになる可能性があると思って破棄させたんだ。ネアは、何だかんだでアルテアと仲良くやってるから覚悟をしておいた方がいいと言うのも酷かなと思ってたんだが、言わない訳にもいかずに困っていた」


率直にそう告白され、ネアはこくりと頷いた。

こちらも何だかんだでアルテアを気遣ってやってもいるウィリアムなので、少しだけ微笑ましく思う。



「危ない遊びをする方なので、困ったものです。激辛スープの呪いでも世の中の厳しさを学ばなかったのでしょう。無事に逃げられるといいのですが」


そう肩を竦めたネアに、ウィリアムは少しだけ目を瞠ったようだ。

意外そうにするのはなぜだろうと、ネアは眉を顰める。


「俺は、彼が本意ではなくとも、君にも危害が及ぶ可能性があると伝えたつもりだったんだが、怖くはないのか?」

「あらあら、そういうものが我慢ならないのであれば、雪喰い鳥さんの巣に放り込まれたところで、縁を切っていますよ」


呟きが夜霧に消えた路地には、どこか遠くから酒場の喧騒が聞こえる。

静かな夜の街だが、どこかで人々が飲み騒いでいる気配が窓に映る影で伺える。

閉ざされた扉や窓の向こうで何が行われているのだろうと想像を掻き立てるのが、エキゾチックな寺院や、見上げる程の荘厳な教会を内包するヴェルリアの街の魅力だ。


国に管理された見事な港のすぐ奥には職人街や船乗り御用達の飲み屋や道具屋が所狭しと連なり、その袋小路の石壁には違法増築された併設空間への扉がある。

華やかな商館が立ち並ぶ大運河沿いに、庭園や貴族の館が連なる閑静な高台、そしてその道は王宮にも繋がっていた。


下町の者達が貧しく貴族だから裕福とは言わせないのがこの街の難しいところで、港沿いの小さな屋台の店主が、海の秘宝で大貴族より儲けていたりもする。

計算高くしたたかで、噎せ返るような命の営みが行き交う万華鏡のような街。


ウィームと同じ王政の土地ではあるが、どこか闇鍋のような得体の知れない賑やかさと如何わしさがあった。


(ウィームが上品に陳列された高級テーラーなら、この街は天井いっぱいまで品物がぎゅうぎゅうに詰め込まれた雑貨屋のよう)


しかも、その雑貨屋にはとんでもなく希少なものや高価なものが棚の隙間に詰め込まれているのだ。


(この街はどこか、アルテアさんに似てるわ)


夜のヴェルリアを見て、ネアはすぐにそう思った。



「………やれやれ、困ったことにある程度の信頼関係はあるわけか」

「む………?」

「いや、こっちの話だ」

「因みに、アルテアさんに懐かれても呑気にしているのは、いざとなったらウィリアムさんが助けてくれるからです!」


鈍感なネアでも、少しだけ寂しそうに言われるとわかることがある。

ついつい懐きがちで、美味しいご飯なアルテアとばかり遊んでいたので、こちらの魔物は少しだけ疎外感を覚えているのだろう。

慌てて袖を引いてそんな本音を切り出せば、ウィリアムは小さく笑った。


「ネアは甘え上手だな」

「むぅ。甘えるのは不得意な自覚なのですが、欲望のままに強欲になることは大得意です!」

「ん?甘えるのは苦手なのか?」

「あの高度な御技は、ゼノのように可愛いを武器にした生き物達の専売特許。私はいくらでも狡猾にはなれるのですが、甘えようとすると途端に挙動不審になってしまいます。私とて、憧れの白もふに生まれていれば、首を傾げて目をきゅるんとさせてみたいのですが……」

「そんなことはないと言うよりもまず気になったんだが、ネアの理想形は人型じゃないんだな?」

「世界共通の愛くるしい定義に合致する容姿と言えば、海の精霊の女王さんの白もふ具合だと思うのです。むちむちでもふもふ、お目々はくりくりでした!」

「うーん、随分とセレスティーアにご執心だな」

「はい!一度は誘拐犯になる覚悟を決めて、攫った白もふさんと共に世界中を追われながら生きて行く決意を固めたのですが、アルテアさんに阻止されました」

「………アルテアが珍しくいい仕事をしたみたいだな」

「むぐぅ」


ウィリアムに心底ホッとしたように言われ、ネアは荒んだ眼差しになる。

結果的に誘拐犯にならないで済んだだけの邪悪な人間と手を繋ぐのは、これ以上の罪を重ねないように監視する為だろうか。


「拘束しなくても、街中では罪を重ねませんよ?」

「そうかな?念の為にな」

「私は最近、ウィリアムさんにも少しだけ苛めっ子素質があるような気がしてきました」

「はは、かもしれないな」


とは言えウィリアムはやはり、親族的な安心感があるのは確かだ。

手を繋いでくれたのですっかり安心し、ネアはきょろきょろして夜のヴェルリアを堪能した。


「ウィリアムさん、あの看板は何でしょう?」

「あれは、包帯屋だ。呪いや魔術で体の崩壊を持つ者達を、特殊な魔術の規則で抑える専門業者だ」

「専門職となるくらい、そういう疾患の方が多い事に驚きました」

「体が透明になる呪いや、乾燥して崩れてしまう魔術副作用はかなりある。特に船乗りは、体が水になる呪いを受ける者が多いんだ」

「………それも包帯で防げるのですか?」

「ああ。特殊な包帯技術だからな。人魚の伴侶を裏切るとかけられる呪いだ」

「やはり危険な人魚さんでした……」


人魚とだけは個人的に知り合わないようにしようと、ネアは固く心に誓う。

そしてその時、ばさりと大きなものが畳まれるような不思議な影を通りの建物に見た。



「…………む」


ぺっとウィリアムの手を剥がすと、狩りの本能を刺激されたネアは駆け出した。

えっというウィリアムの驚きの声を聞いた気がしたが、基本獲物は無心で猛追する派の狩りの女王である。



「とりゃ!」



そしてネアが背後から飛びかかり戦闘靴で踏み潰したのは、当初から狙いを定めていた竜だった。



「………な、なぜここにいる」

「む?」

「これはこれは、ネア様……」


その竜に後方から襲われかけていた二人が、がばっと振り返って目を丸くしている。

地味めな眼鏡の青年とその父親的な男性なので、ネアが誰だかわからずに顔を顰めていると、昨晩はうちに泊まっただろうと言われてやっと誰だか判明した。


「ほわ!」

「………そして、その足の下はまさか」

「うむ。今回の首謀者ですね」

「背後から襲われかけたのだ。助かったと礼を言いたいところだが、殺してないか?」

「むぐ………。殺してないか確かめてみま…」

「ネア!!」


次の瞬間、物凄い音がして誰かが背後の建物の壁に叩きつけられた。

ぎょっとしてそちらを見たネア達の目に映ったのは、ウィリアムに魔術で弾き飛ばされたらしいエルウィンだ。

しかし、すぐさま起き上がってこちらに向かってこようとして、その直後絶叫して倒れた。



「ふ。愚か者め」


そう冷ややかに吐き捨てた人間に、駆け寄ってきたウィリアムは、ネアが手に持っているものをまじまじと凝視する。


「ネア、それは何だ?」

「かつて、因果の成就の精霊王さんも殺したことのある、恐ろしい激辛香辛料油を内蔵した水鉄砲です。飛距離と威力をディノに加工して貰いました」

「…………また凄い武器を手に入れたな」



そのまま言葉を失った終焉の魔物と、何某かの隠密行動中に奇襲されたらしいウォルター達は、途方に暮れて倒された竜達を見つめている。


しかし、




「お楽しみ中を悪いが、其奴らを返して貰おうか」



ひたりと、不愉快そうな低い声が夜の街に落ちる。

通りの向こうからゆらりと現れた背の高い影に、ネアは目を瞠った。



「アルテアさん…………」

「くれぐれも、俺に殺されるような馬鹿な真似はするなよ?」



どうやら、今夜も長い夜になりそうだ。






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