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154. ついでなのが複雑です(本編)



マグメルリヤの島のとある坂道の途中で、ネア達は今回の事件の首謀者だと思われる男性に遭遇している。


さわりと風に揺れる健やかな檸檬の木に、柔らかなジャスミンの香り。

太陽が高くなりつつあるので、ここから見下ろす海はきらきらと光っていて遠くには帆船も見えた。


そんなのどかな田舎道の真ん中で、ヴェルクレアという大国の第一王子とウィーム領主に反意ありという壮大めな野望を持つ相手と向かい合っているというのは、何やら不思議な気持ちがした。


(これが政治的な陰謀ではなくて、単純な物取りだったりすれば、この人を捕まえるだけで終わらせられるのに……)


ネアは念の為にエーダリアから貰った魔術通信のピンブローチの回線を開いておいた。

昨晩の狩りの後に行われたダリルを含めた密談で、様々な場面を想定し、この通信道具を二回こつこつと叩いておけば、音声共有のみの通信として認識出来るように意識共有してもらったのだ。


(そして、ムグリスディノを寝かす訳にはいかないというピンチにも見舞われている!)


そこそこ緊迫の場面なのに、ムグリスディノが眠りそうになるところで、ぱすぱすとポケットを叩いて起こしにかかるのもかなりの手間ではないか。

情報収集もしたいのに、気が散って仕方ない。



「俺の連れに何か用かな?」

「君の連れなのか。ウィームでは見ない顔だな」

「ああ。確かにウィームに籍を置いたことはない。どういう用件なのか聞いても?」

「その連れだという女性を引き渡して貰おう。彼女は我々の客人でね。昨日、会話半ばにして姿を消してしまったので随分と心配していたのだ」

「それは不思議だな。客人だと言われる割に、彼女は君達のことを知らないようだが?」

「さて。招待状の手順を踏んだのだから、御客人には違いあるまい」

「参ったな、本人の同意を得られていないという単純な認識すらないのか」


銀髪の男性はウィリアムの微笑みの冷ややかさにも動じることなく、その背中に隠れたネアの方を覗き込む。


「ふむ。契約の魔物がかかったのか、他の生き物がかかったのか悩ましいところだ」


そう呟きながら見ているのは、ダナエ風色彩になっているムグリスディノだ。

どこか面白がるように眺められてご立腹なのか、しゃきんと目を覚ましてくれたムグリスディノは、濃紺の体を膨らませて威嚇している。

ちびこい三つ編みがいきり立っているので、たいへんに愛くるしい。


「……だが、その造形を見る限りあの契約の魔物のようだ。わかりやすい髪型だな」


(………しまった)


ここでネアは、一つの誤算に気付いて狼狽する。


今回の件はアルテアが敵方にいることを重視して対策を講じたので、あえてのムグリスディノのダナエ風なのである。

しかし、ダナエを知らずに、擬態して連れ立っているディノしか知らない第三者からすれば、トレードマークの三つ編みのあるこのムグリスはどう見てもディノなのであった。


がくりと肩を落としながらムグリスディノの三つ編みをさっと手で押さえたネアに、男性は少しだけ愉快そうな目をする。

あの部屋に居た時のどこか高慢そうな表情しか知らなかったネアからすれば、そんな目をすることは少し意外だった。


「ネア、その契約の魔物を元に戻す方法を教えて欲しくはないか?」

「………」


思いがけない提案に、ネアは思わず小さく眉を上げてしまった。

すぐさまきりりとした他人行儀な顔に戻したが、名前まで呼ばれてしまったので脳内は大混乱だ。


(でも、元々どこかですれ違ったり、会ったりしているなら、名前を知られていても不思議ではないんだわ)


それは多分、彼等がネアのことを知っているのだとアルテアが注視した部分であり、そこから警戒をするべきであった最初のどこかのことだ。


「意味深い言葉だな。君達が彼をそのような姿にしたのであれば、俺とて黙ってはいられないが?」

「君は契約の魔物の知り合いか。………人間ではないな。代理妖精か、仲間の魔物か。リーエンベルク付きではないとなると、第一王子の手配だな」

「それはどうだろうな」


あえて否定はせず、ウィリアムは首を傾げて微笑んだ。

ネアは男達が向き合っている間に、ムグリスディノを少しポケットの奥に押し込んでみる。


「キュ!」


参戦しているつもりらしい毛玉に怒られてしまったが、万が一落ちたり吹き飛ばされたりしたら危ないではないか。

それに多分、あと三分もすればまた眠たくなるに違いない。


(うっかりここでポケットから落ちたら、坂道に円形の物体の法則で竜さん達の方へ転がってしまう!)



「それよりも、光竜の系譜の者がどうして彼女に興味を持つのかの方が、俺は気になるが」

「…………ほお」


ぐっと声を低くして、男性はネアの方を見た。

何でそんな目をされるのかはわからないが、思わずそれを突き止めたのは自分ではないと、ネアは首を振ってしまう。

視線はウィリアムに戻され、今度は男同士で何か無言でのやり取りがあったようだ。


「その歌乞いに興味を持ったのは、とある用事のついでだ。どうも近頃、あの第一王子が手を広げ始めたのには、ウィームの助力のお陰のようだったからな」

「ウィームの力を削ごうとしているだけにしては、個人的な執着を感じるが?」

「それを話すとしても、それは君にではない」

「とは言え、俺としても君を彼女と話させる訳にはいかないんだ。光竜の系譜は、言葉で張り巡らせる魔術に長けている。誘いかけに是と答えるだけで、おかしな契約を結ばれては堪らない」


ウィリアムの言葉に不愉快そうに眇めた眼差しは鋭く、微笑みの表情のままに彼は少し苛立っているような気がした。

種族が明かされてしまったことで、その特殊な得意魔術を警戒されてしまうからだろうかと考えつつ、ネアは密かにその姿を観察する。


(竜の媚薬もあるし、ていっと触れて強制懐柔してしまうのは駄目なのかしら)


しかし、昨晩の会議でも竜は得意だと主張したのだが、突撃作戦は却下されてしまった。

ネアはがっかりしたが、軍師達がなしと判断したのであれば諦めるしかない。


そしてふと、不思議なことに気付いた。



(………やっぱり、首元の痣がない………?)


ウォルターが見たという目立つその特徴が、ネアにはどうしても見えないのだ。

不思議そうにじっと見てしまったからか、青い瞳がこちらに向けられて微かな微笑みを滲ませる。


「砂漠の月、海の涙、そして夏星の滴。この島に来たと言うことは、夏星の滴だろうか。もしそれだけの秘宝を集めそれで呪いが解けたとしても、代わりに失うものがあるかもしれないが、それでもいいのか?」

「………なぜ、そんなことを私に言うのでしょう?」


我慢出来なくなって、ネアはそう尋ねてみた。

都合が悪くなれば黙ればいいのだし、質問系のものであれば問題あるまい。

ウィリアムが少し困ったような顔で振り返ったが、警戒しているから心配ないという意味を込めて微笑みかければ、仕方なさそうに苦笑してくれた。


(でも、片手を持ち上げてるから、失言しそうになったら物理的に口を塞ぐ気だ……)


なかなかのプレッシャーに晒されつつ、ネアはその返答を待つ。



「さて、なぜだろうな。君であれば、そのくらい手に入れてしまいそうだから、だろうか」

「あなたは、私を知っているのでしょうか?私の記憶の限りでは、昨日が初対面でしたので不思議です」

「それは困ったな。君はそう考えているのか」

「…………それと、お名前を教えて貰いたいと言うか、適当な呼び名を提案して下さい」

「人の子よ。随分と強欲に強請るものだ」


あまりにも明け透けに要求したので、そう言って首を傾げた光竜だけでなく、ウィリアムも驚いたようだ。


「愛称でも、憧れの名前でも構いません。そちらの陣営に青い瞳の種族も込み入った竜さんが二ひ……お二人なので、呼びかけの際にややこしくて堪りません」

「ふむ。確かにそれは面倒だな」


大真面目に酷い理由を挙げたネアに頷いた仲間に焦ったのか、ばすんと音がして土煙が立った。


こちらに人型になって飛び降りてきたのは、赤い髪の青年である。

あでやかな青色の長衣を翻して早足でこちらに来ると、華やかな容姿を惜しげもなく冷ややかに歪めてネアを睨みつけた。


「御心を乱されませんように。狡猾な人間らしい策ですよ」

「空を見張るのはやめたのか?」

「近くに火の気配はありません。それに、そろそろ刻限ですから」

「そうか。ではこちらも仕上げとしよう」


「それは…!」


不穏な言葉に声を上げかけたネアを、ウィリアムが手を上げて黙らせた。

心を乱して相手のペースに乗せられてしまえば、あっという間に術中に落ち込むところだったのでネアはひやりとする。


「ひとまず片方は捕まえてしまおう」

「片方なのですか?」

「光竜には、物事を健やかな方に導く制限魔術があるんだ。それが妙に剛健で、殺すことは出来ても捕まえるのが難しい」

「………ますます驚いたな。千年よりも前に滅びた種について、まるで見てきたかのように言う。種族の理については、他の種族には秘されていた筈だが」

「さぁ、見てきたのかもしれないぞ」


ウィリアムがそう呟いた瞬間、ネアの視界は見事なまでの真紅に包まれた。


(……………え?)


でもそれは瞬きほどの間のことで、一瞬燃え盛ったかに見えた炎は、白昼夢のように姿を消している。

道に落ちた落ち葉や、可憐に咲いた初夏の花なども変わりないままで、ネアは目をこすりたくなった。



「………成る程、ヴェルクレアに属する者でもないか」

「ああ。火竜との誓約には縛られてない」

「あの王子らしい周到なことだ。その対策の為に異国の者を招聘したと見える」


先程までのゆったりとした微笑みを打ち消し、銀髪の光竜は不愉快そうに目を細める。

炎をかき消されてしまった青年の方は、もっと激しい目をしていた。


(ええと確か、ヴェルリアには元々火竜との約束事があって、それはヴェルクレアという国になった今、国民にも適応されている……)


ネアが記憶の隅っこから引っ張り出したのは、統一戦争のことを調べた際に教えて貰ったことだ。

ヴェルリア王家は元々、火竜の力を借りる代わりに、火竜の王の系譜を害してはならないという約束を交わしている。

それは今も生きている魔術誓約であり、それどころか、ヴェルクレアの国民を対象とされた誓約に広げられた。

一説によれば、それが統一戦争で火竜が共に戦うことの条件であったとか。


確かに、相性が悪いとされたウィーム戦では火竜も多く亡くなっており、そのくらいの対価を求めてもいいくらいの戦争ではあった。



(と言うことは、この火竜さんは王族の系譜………)



恐らくそのことも、彼等の武器の一つだったのだろう。

しかしウィリアムは、ヴェルクレアの国民ではないし、それどころかその種の魔術誓約に縛られることもない階位の魔物だ。


(…………ん?でも、ウォルターさんは普通に戦っていたような………?)


そこには何か仕掛けがあるのだろうかと頭の中を疑問符だらけにしていたネアは、次の瞬間にまたしてもばりばりっと燃え上がった炎に驚いてしまう。


しかし、今度は目の前どころか空まで覆う程の炎が見えた筈なのに、熱くもなかったし、瞬きをするとどこにも火の気配はなくなっている。

困惑したネアが周囲を見回している中、正面に立ったエルウィンという名前らしい火竜は、取り澄ました表情を人間的に歪ませて、ウィリアムを睨みつけていた。



「………貴様、何をした」

「単純に相性が悪いみたいだな。自然系統の魔術は、残念ながら俺の司るものとは相性が悪い」

「系譜の最高位の術式を阻害出来るとなると、貴様は水の系譜か……」

「残念ながらはずれだ。それに、俺とて相手がドリーなら、炎を消すのではなく影響を受けない方向に調整した方が楽だぞ」


その言葉は、暗に系譜の最高位とは思えないという言葉であったので、青年は我慢出来なかったようだ。

さっと体勢を低くして次の魔術を編もうとしたが、その肩に銀髪の竜が手を乗せる。



「……やめた方が良さそうだな」

「しかし!」

「今の言葉を聞いていなかったのか?この男の言葉を真実と取るなら、ドリーの炎すら無効化出来るということだ」

「僕では力足らずだと……?」

「言い方を変えよう。ドリーすら、自分に並ぶものではないと言ったのだ。彼は」

「………っ、」


冷静に窘められ、はっとしたように息を飲んだエルウィンは、あらためてウィリアムを観察したようだ。



「…………その瞳、擬態の下は白金か」

「おっと。………やっぱり擬態は不得手だな。不得意な分野の魔術を編むと、綻びが出る」


そう笑ったウィリアムの声に、ネアはぞくりとした。

いつもの優しい声でもなければ飄々とした物言いでもなく、終焉の魔物らしい傲慢な静謐さがぎしりと軋むような恐ろしさがあった。


前にアルテアに言われたように、ウィリアムはやはり、滅ぼすことを望んではいなくても、本能的に楽しんではいるのだ。



「………下がれ。檻を解くぞ」

「王………」


はっとしたように目を眇めた銀髪の青年も異変に気付いたようだ。

エルウィンを下がらせると、片手を広げ対抗魔術のようなものを編んでいるらしい。

そちら側の手には鋭い鉤爪が見えるので、あえて人型を解いてまでして魔術を動かしているのだろう。



(…………エーダリア様がいたら、喜んだのだろうな)



しかし、魔術可動域六ぽっちにその光景が読み解ける筈もなく、ネアからすれば二人の男性が剣呑な感じで向かい合っているだけの光景なのである。

目を凝らしてみても、捕獲と脱出の攻防戦に一喜一憂しているエルウィンのようには、現状を把握出来ない。

しょんぼりして静かにしていると、銀髪の竜はおもむろに知っている名前を呼んだ。



「アージュ!」



(それは確か、………)


擬態して彼等と行動しているアルテアの名前だったのではないだろうか。

ウィリアムに注意喚起する間も無く、ネアにもわかる転移の術陣を地面に描き、黒髪に赤紫の瞳の男が現れた。


こちらを見てはいないが、苦虫を噛み潰したようなかなり嫌な顔をしている。



「ふざけんな。誓約術言を使うにも程があるぞ!犬死は御免だからな」


愚痴を言いながらも素早く二人の竜を自分の後ろに下がらせると、なぜかアルテアが現れた途端、ネアに動かないようにと言い含めるなり、剣を顕現させて本気で斬りかかったウィリアムの斬撃を錬成した結界で受け止める。


「………おい、何で手元を切り替えやがった」

「後腐れなくしておいた方が良さそうかなと」


パフォーマンスなのか本気の喧嘩なのかわからず、ネアははらはらしたが、ウィリアムが離れたお陰で竜達からよく見えるようになってしまい、そのことでも心臓に悪い。

一度、銀髪の竜がこちらを見ていたような気がして、そちらを見ないようにする。



がしゃんと、硝子が割れるような重たい音が重なった。


アルテアは六重の結界を張ったのだが、その全てをウィリアムが斬り捨てたのだ。

アルテアは、剣戟を受けるその直前でまた新しい結界を張り直し、自身は後方に飛び退る。


その途端、竜達をも含めたその足元に転移の術式陣が鮮やかに描かれた。



「やれやれ、空間は檻で閉じた筈なんだがな」

「その隙間を縫う、承認が荒い市販品だ。悪いが手ぶらで帰れ」

「そう言う訳にもいかないだろう。売り時なんでね、俺も格好いいところを見せないと」



何かを掴むように伸ばされたウィリアムの手に、銀髪の竜がはっと目を瞠る。

愕然とした眼差しにちらりと過ぎった憎悪は刃物のようだったが、すぐさま無理やり愉快そうな微笑みで塗り潰した。


その直後、転移の術式陣が閉じアルテア達の姿が搔き消える。



「…………ほわ、」


ネアには何も見えなかったが、それでも何だかよくわからない魔術が荒れ狂ったのはわかる。

散々掻き混ぜられた空気の濃密さに少し酔い、ふらりとよろめいたところを、素早く戻ってきてくれたウィリアムに支えられる。

腰に手を回してくれて支えられてからやっと、ネアは自分の足がもつれて転びかけたことに気付いた有様だ。


「わ、………有難うございます」

「すまない。あえて、魔物の精神圧を隠さずに交戦したから、刺激が強かったな」

「……いえ!それよりも、ウィリアムさんはお仕事明けなのに、来るなり肉体労働をさせてしまって御免なさい」


鳥籠を一つこなしてからこちらに来てくれているのだ。

申し訳なくなってつい謝ってしまうと、他人行儀だと逆に怒られてしまった。



「それと、あの光竜の名前がわかったぞ。バーレンと呼ばれているみたいだな」

「………もしかして、最後のあれですか?!」

「ああ。無理やり剥ぎ取るのは滅多にやらないが、元々終焉の影響を受けている相手だからこそ、出来るものなんだ」

「す、凄いです!ウィリアムさんは色んな事が出来るんですね!」


とても大きな成果なのでネアが大はしゃぎすると、その途端にずしりと背中に重たいものが負ぶさってきた。



「むぐ!」

「ずるい。ネアが浮気する………」

「まぁ、こんなに頼もしかった方に失礼ですよ?」

「虐待した上に浮気する………」



そんな恨み言を言いながらネアをぎゅうぎゅうと抱きしめた魔物に、ウィリアムが目を丸くした。

珍しく愕然としているようだ。



「………シルハーン?」

「ウィリアム、その手はもう離してもいいんじゃないかな」

「………ああ、失礼しました。というより、呪いでムグリスになってたんじゃなかったんですか?」

「なっていたけれどね。アクスで買い付けた補強魔術がいい加減だったようで、理の強化が出来ていなかったようだ。この子が飲ませてくれた市販の解毒剤で、元に戻れたよ」

「すごいな、市販薬で大丈夫だったんですか」

「五百倍です!」

「ああ、だから加算の銀器だったのか。………シルハーン?」


そこでウィリアムが声を揺らしたのは、ディノが口元を押さえて顔色を悪くしているからだ。


「……そしてこの通り、副作用で酷い二日酔い状態なのです」


ネアが淡々と説明し、終焉の魔物はよろよろとしているディノを再び不憫そうに見つめる。

良かれと思って加害者になってしまったネアは慌てたが、診てくれたノアから本当にただの二日酔い的症状しかないと聞いたので一安心だ。

後はもう、男性なのだし踏ん張って貰いたいとしか言えない。


少し冷静になったのか、ウィリアムはおもむろに周囲を見回してから安心したように頷いた。

ディノが本来の姿でうろうろしているので、この光景を誰かに見られることを懸念したのだろう。

幸いにもディノには、元の姿に戻る時には結界を張るという理性は残っていたようだ。



「つまり、さっきのあれは、あえて呪いが解けてない風を装ってたんだな」

「はい。ですが、ムグリスに化けると二日酔いも治まるみたいで、ディノはそちらに逃げがちなのです。しかしムグリス化すると一度寝たら起きないという習性が発揮されてしまいますので、私は、海の神殿では一人ぼっちで頑張りました」

「ああ、確かに。ムグリスは体温が上がると眠って起きなくなるらしいな。暑さに弱い種らしく、身を守る為の行為だと聞いたことがある」

「暑さに弱いのに、そこで眠ったら死ぬのでは……」

「うーん、言われてみればその通りだが、どうするんだろうな」

「謎めいていますね」


そんな謎めいた生き物を体験してしまったディノは、二日酔いなど経験したことがない特等の魔物らしく、少し気持ち悪いくらいでたいそう辛いという感じを全開にしてくる。

今もへなりとネアに覆いかぶさってきており、ネアは大きすぎるお子さんを持つお母さんな気分でいっぱいだ。


明らかにネアより大きいので、むぐぐと腹筋と背筋を死なせる覚悟で頑張って支えていたら、見かねたウィリアムが上からディノを掴んで持ち上げてくれた。

ウィリアムに持ち上げられるのは本意ではないのか、その途端にディノは荒んだ目をして自力で立つようになる。


(自立出来るのであれば、自立していただきたい!)


ネアのような一般的な人間の女性の筋力では、ぐんにゃりした長身の魔物を微妙な角度で支えるのは難しい。

自立出来ないならせめて、台車を持って来て欲しいところだ。



「いつから、呪いが解けていたんだ?」

「実は、昨晩遅くには解けたのですが、ムグリスに化けてポケットに潜んで敵を攪乱しよう作戦について話し合っていたところ二日酔い的副作用騒ぎがあり、挙句、ムグリスに化けるなりこてんと眠ってしまいました。お昼に一度起きてくれたのですが、ムグリス化していると副作用の治りが遅いと注意している傍から、ムグリスになるなりまたしても爆睡。今度こそ、寝かしてなるものかと言う場面だったのに、まさかの竜さん達の出現でムグリス化を解けず、また寝てしまうのではないかとひやひやしました……」

「そうか。だからネアは、時々ポケットを叩いていたんだな」

「はい。あの竜さんこと、バーレンさんがムグリスディノを挑発してくれて良かったと思ってしまうくらいには、今度こそ寝かせてなるものかという覚悟でぴりぴりしていました」

「ノアベルトの気持ちが分った気がするよ。獣の姿になると、その習性に見合った行動が幸福なんだ……」


まだ弱り気味のディノだが、ノア曰く、この二日酔い症状は一定期間きちんと薬を飲んで我慢すれば収まるものである。

もしかしたら、単体の薬の副作用と言うよりは、他にも何種か劇薬を飲まされたからではないだろうかと、臨時医師は診察で語っていた。

酔い止め薬は貰っているのできちんと薬を飲み治せばいいのだが、少し野生化してすっかり薬に警戒心を抱くようになってしまったディノは、酔い止めを嫌がったり、飲んでも治癒時間換算されないムグリスになって逃げてしまったりと、自ら完治を遅くしているのだ。



「そうか。治ってはいるが、まだ戦力にはなりきらない感じだな」


案外辛口のウィリアムは、二日酔い状態の魔物の王を、そうばっさり切り捨てる。

ネアも、渋い顔で頷いておいた。

三つ編みの魔物がめそめそしたが、しょぼくれるくらいなら頑張って薬を飲んでいただきたい。



「しかし、それならどうしてネアは解呪用の宝石を集めていたんだ?」

「他の被害者には効かないかもしれないので保険の為にだったのですが、同じ方法でイブリースさんも無事に呪いが解けましたので、その後は囮としての活動でした」

「おや、イブリースも元に戻ったんだね」


そう驚いたのは、その報告を受けた頃はムグリス化して眠っていたディノだ。

お昼ご飯の後に温かい紅茶を飲んで寝てしまい、ご主人様は仕方なく一人で海の神殿を攻略して、当時はまだ使い魔だったアルテアから巧みに情報収集していた頃に入った嬉しい報告である。


「ええ。ちなみに、イブリースさんは二日酔い症状もなく、元気に復讐心でいっぱいになっているそうですよ」

「…………どうして大丈夫だったんだろう」

「不思議ですよね。元気な体の秘訣を聞いておきます」



そこで、キンという硬質な音が聞こえた。

慌ててネアは、回線を開きっぱなしにして若干そのことを忘れかけていたピンブローチに意識を戻す。

グラスか何かを叩いたような、澄んだ音だ。


「ウィリアムさん、エーダリア様から通信です!」


この音も相談しておいた合図で、外部に漏れてはまずいような話をする際の合図として指定しておいたものだ。

ネアの言葉に、ウィリアムは音の魔術防御も問題ないと保証してくれた。


「エーダリア様?」

「今、こちらの報告をしても問題ないか?」

「ええ。見知らぬ小島におりますが、ディノが結界を張ってくれていますし、ウィリアムさんとの三人だけです」

「では、共有までに報告させて貰う。………先程、兄上が襲撃された」

「な?!」

「正確には未遂で終わったが、恐らく今回の一件による計画の一部だろう。襲撃した者は、イブリースが捕獲してある。これから尋問だと聞いているが、お前がこの通信で共有してくれた会話から、相手方の首謀者が竜だと知れたのでその関係性を探ってみよう」

「そのことなのですが、第一王子様がドリーさんを選ぶ前に候補とされていた竜さんは、どうでしょう?ウィリアムさんがその可能性を教えてくれたのです」

「…………契約の竜か!……ネア、ウィリアムと少し話せるか?」

「お繋ぎしますね!」


そこでネアは胸元に留めたピンブローチを外して渡そうとしたが、ウィリアムは音の調整が出来るからとそのまま話してくれた。

エーダリアが相談する声が少し年長者向けのお伺いのトーンになり、ネアはあらあら可愛い奴めという気持ちになった。

エーダリアは悪夢での一件以来、この終焉の魔物に憧れがあるのだ。

相手が懐いているのがわかるのか、ウィリアムの応答もどこか優しい。


(ほらやっぱり。エーダリア様のどこが、一般人枠なのだろうか)


何だかんだでネアの上司も、人外者受けがとても良いのである。


「……ああ。そうだな。それと、聞こえていたとは思うが、あの竜の名前はバーレンだ。中には真名を明かさない竜もいるが、契約の竜の候補だったのであれば、名前は記録されているだろう。加えて、アルテアは光竜の誓約で行動を縛られている可能性が高いな。捕まった経緯は兎も角、契約を反故するのは簡単だが、魔術誓約を破れる階位の者だと知られるのも面倒なんだろう」


幾つか専門的な会話が飛び交い、ネアがウィリアムに伝えておいたことも、ウィリアムが上手に短くまとめてエーダリアに卸してくれた。

こういう時に短く手際のいい報告文を取り纏められるのは、やはり頭のいい人なのだからだろうとネアは羨ましさいっぱいで二人の会話に聞き入る。

今回の事件は頭の使いようでもう少し役に立てたのになと、己の力不足が申し訳ないばかりだ。


囮代わりになって動いている間に、今回の件では必要なかったとしても、希少性と汎用性の高い海の涙や夏星の滴も集めてしまおうと思っていたのだが、その目的も中途半端な感じになりそうである。

珍しく成果のない状態なので、ネアは少しだけ焦りさえ感じていた。


現状、見てわかるような収穫はゼロ。

獣化の呪いを解いたのはネアの功績だと褒められたが、それはマイナスをゼロに戻したくらいだ。

逃走の為にカワセミを一匹手放したし、あれこれお世話になったので、昨晩の宰相家の所有地での狩りの獲物は少し悩んでから、ウォルターの代理妖精に全部渡してきた。

更に言えば、使い魔を逃さざるを得ないという損失もあった。



(…………今回の事件が終わるまでに、せめて悪い奴を一匹くらい退治しよう!)



敵を使い魔にしても仕方ないので、今回の事件に登場している竜は退治の方向でいいだろう。

そう考え頷いたネアはかなりの残虐な微笑みを浮かべていたが、幸いにも、エーダリアと話をしていたウィリアムも、解毒の副作用で項垂れていたディノも気付いていない。



自分だって役に立つのだと奮起したネアによって、ちょっとした騒動が起こるはその夜のことだった。




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