ガヴィレーク
ガヴィレークは代理妖精だ。
老人姿の背の高い妖精で、剣を使う一族の騎士妖精である。
齢三千歳近くなり朝の鍛錬などの時間は減ったが、今でも大事な坊ちゃんの為に朝の狩りは欠かさない。
「おはようございます、ガヴィ様」
「おはよう、ハンス」
「こりゃ、今朝は暗殺者が多かったですなぁ」
「お父上の政策が一つ、成果を上げたばかりだからでしょう」
「今朝は坊ちゃんはご在宅で?」
「いや、ウィームに行かれていますよ。なので朝食の準備は結構です」
「へぇ、またですかい」
よく他の妖精達から、大事な坊ちゃんが若輩者の妖精などに転がされているのは気にならないのかと聞かれるが、それは寧ろ喜ばしいことだと歓迎している。
夢中になることがあるのはいいものだ。
得てしてこの一族の子供達は優秀過ぎることが多く、かなり個性的である。
代々仕え、世継ぎの男児の世話をしてきたガヴィレークからすれば、その子供達に熱意を傾けることを見付けてやるのが一苦労だった。
(二代目の時は、結局そのようなものが見付けられずに自害してしまったからな……)
優秀過ぎる子供達は諦観に飲み込まれ易い。
それも、他の生き物達ほどに自由ではない人間の子供は、絶望してしまいがちな繊細で困った生き物だ。
二代目の坊ちゃんは、ある日突然にその心が決壊してしまい、小さな息子をガヴィに託すと庭木で首を吊ってしまった。
そんな子供達を代々見てきたガヴィ自身には、いつも“大事な坊ちゃん”がいるという幸福がある。
自分の子供を亡くした遠い昔、せめて心を傾けるものをと人間の子供を守護したのが始まりで、その子供が父親になると息子を託され、ずるずると居座っていた。
未熟さ故に二代目の坊ちゃんには命を断たれてしまったが、その時に残された家族を任されたことで、生涯この家を守らなければという決意が固まった。
その日からずっと、続けば続く程、繁栄すればする程に、ガヴィレークは誇りと喜びをもってよりいっそうの一族のお世話をと考えている。
そして今代の坊ちゃんは、天才児として持て囃されたものの同世代に何人も天才がいたことで手痛く挫折したことが災いし、幼い頃から他者との間に壁を巡らせる頑なな心の持ち主になってしまった。
世界がつまらないと感じるくらいには優秀で、しかしその力で周囲を率いる程には飛び抜けておらず、話が合う筈の同じ思考階層の子供達はそれぞれに苛烈な環境から坊ちゃんに対して敵愾心を隠さない。
これは困ったなと考えて向かったのは、王都で定期的に開催される代理妖精会議であった。
「ヴェンツェル様は何の問題もありませんよ。優秀過ぎるところはありますが、精神も安定されて良い主人です」
本日もそう主人自慢を躊躇わないのは、エドラ。
緑の髪の、優秀だがまだ若い代理妖精だ。
その隣に座ったヒルドは、奴隷上がりだがシーとして一目置かれている。
「優秀なのは結構ですが、ご自身の為には一度折れるくらいが宜しいのですけれどね。挫折を知らない者は、いざという時に言葉の重みに欠ける。王位を取るには必要な重さです」
「ヒルド様は、第二王子贔屓が過ぎるからでしょう。あの方はもう、ダリルのものですよ!」
大事な主人に苦言を呈され、エドラがちくりと言葉を返す。
その言葉に声を上げて笑ったのは世にも美しい妖精だった。
「そうそう。あんたのところの馬鹿王子なら、今は私と半泣きでえげつない対人工作の特訓をやってるよ」
「……存じておりますよ、ダリル。随分とエーダリア様の睡眠時間を削られているようですが?」
「まったく過保護な妖精だねぇ。あんたは、あの面白みのない第一の付き人でもしてなって」
「ダリル、代理妖精の仕事はあなたの遊びのそれとは違います。くれぐれも、使い潰すことなどなさりませんよう」
「うちはこういう方針。男なんだから、政敵が血反吐吐いて怨嗟の言葉を残して死のうが、魘されて眠れないようじゃ困るんだよ。相手の家族が死のうがこっちはどうでもいいんだっていうの」
「ダリル………」
剣呑とした雰囲気に隣の妖精に小突かれたが、知らんぷりをして紅茶を飲み続けた。
若い者同士がぶつかるのはよくあることだ。
ましてや今回、どちらも間違ってはいない。
よく話し合い、双方のことを理解するのに必要な口論である。
それにガヴィは今、こういう会話を通してその子供達がどんな子供なのか、彼等が坊ちゃんにとって友人になり得るかどうかを考えているのだ。
「おお、怖。低い声出しちゃって威嚇のつもり?そんな甘えたことやってると、あんたの大事な馬鹿王子はころっと死んじゃうけど、いいのかい?」
「それを守るのが、代理妖精の務めでしょう」
「だから、甘えた性根を叩き直してるんだよ。あの王子が理解したつもりでいる毒も泥も、まだまだ生温い。だから、自分の身を守るべき場面で、最も自分に有用な代理妖精を選べなかったんだろう?私を選んでもどうにかなるだろうと思ったんだろうが、こちらに悪意の一欠片でもありゃ、どうにもならなかったところだ。青臭い理想で乗り越えられる程、後ろ盾となる血族のいない王族は甘かないよ」
「………あの方は、確かに隙ともなる善良さを残していらっしゃいます。しかし、必ずしもその甘さを捨てなければいけないと誰に言えますか。稚拙な甘さもまた、エーダリア様生来のご人格です」
割れそうに青い目を眇めて、書架妖精は婉然と微笑んだ。
単純に造作だけで言えば、シーであるヒルドの方が美しいだろう。
しかし、この場に十人居れば十人の全てが、この書架妖精の方が美しいと言うに違いないくらい、ダリルという妖精の眼差しには力がある。
(ふむ。司るものそのものが、誘惑や魅力、そして欲望に紐付く知識だからだろうな)
知識と呼ばれるものは、昨今、武力や自然の持つ畏怖とはまた違う、大きな一つの力として昇華した。
だからこそこの妖精は、大いなる自然を司るシーと張り合えるくらいに美しく強いのだ。
「折れずに残った健やかなものを守ってやりたい?そんな甘ったれたものを生かすだけで、あの子供の夢が叶えられるものか。善良さなんてもんはね、血と怨嗟の中を這い蹲ってもなお残るなら良し。残らないなら、そんな脆弱さは早々に捨てるべきだね」
「ダリル、人間は強欲でしたたかだが、やはり人間らしい弱さもある。その全てを排除するなど、その目算こそ甘い理想ではありませんか。心が損なわれてからでは遅いのですよ?」
「あの馬鹿王子の夢は、それだけ馬鹿げてるってことさね。それでもなお踏み止まれるだけの覚悟がないなら、あんな夢は捨てちまいな」
その言葉がヒルドを黙らせたのは、第二王子の夢の中に、彼の解放が含まれていることを自分でもよく知っていたからだろう。
もしその重荷を捨てさせるのならば、ヒルドは自分を捨てさせる為に、エーダリア王子をわざと突き放す必要がある。
(裏切りを装って。或いは、飽きたふりをして)
でもそれは、あの寄る辺ない王子の、たった一つの家族めいたものを取り上げてしまう行為だ。
そんなことを、あの子供を溺愛しているヒルドが出来るとは思えなかった。
誰よりも資質に恵まれながら、合わない水に弱ってゆく子供のように、第二王子が必死にこの王都から抜け出そうとしていることは、目のいい代理妖精なら誰でも知っていることだ。
あの子供にとっては王位も王都も枷でしかない。
父か兄のように慕うヒルドと共に、愛するウィームに戻りたいのだ。
一度も住んだことのないその土地を、それでもウィーム王族の血は求めるのだろう。
『ガヴィ、もういい加減に海が見たいな。海から離されると、心が死んでゆくようだ』
そう呟きながら死んだのは、四代目の坊ちゃんだった。
当時の王とそりが合わずに出された遠征先で深い森の中を彷徨い、老いた体を損なって儚くなった。
海のものは森で、森のものは海では生きられないという。
あの第二王子は本能的にそれを求め、大いに苦難を強いられる道を進もうとしているのだろう。
であれば、今のガヴィの大事な坊ちゃんが生きてゆけるその場所は、一体どこにあるのだろうか。
「そう言えば、ガーウィンのあの代理妖精はどうしました?」
「シュテッセのことですか?どうやら、主人の不興を買い、殺されてしまったようですよ」
前回相談を受けたことで知り合った顔見知りの妖精がいないので尋ねると、そんな答えが返ってきた。
その隣の若い代理妖精も、恐ろしそうに首を振る。
「あの子供は、人間達の間では天才だと持て囃されているそうではないですか。しかし、残忍過ぎてとても」
「聞けば、行いを咎めた乳母まで殺してしまったとか」
「人間には、時折そういう性質の子供が生まれますからねぇ……」
囁き合う妖精達の言葉に小さく頷いた。
「あの一族は古くより、教会に仕える子供達は諜報と拷問にも長けている。土地に見合った力を伸ばした子供なのでしょう」
そう言ったガヴィに目を煌めかせたのは、先程の書架妖精だった。
「ガヴィはさ、代理妖精暦が長いだけあって、全然動じないよね。どんな子供を守ってるのか興味あるなぁ」
「可愛い坊ちゃんですよ。天才が自分だけではないと知り、お部屋に閉じこもってレース編みばかりしていますが、まぁ、思春期ですから致し方ありません」
「え、………それ長男だよね。レース編みはまずくない?」
「どうでしょうか。四代目の坊ちゃんは、やはり女性に生まれたかったと、孫が生まれた後から急に女装を始めたことがありましてね。そういう道を行くのであれば、少なからず経験もありますので」
「趣味なら面白いけど、心もそっちに行くと後継作りで揉めるよ?でもまぁ、ドレスに興味があるならいい店を紹介してあげるから連れて来なよ」
その言葉を有り難く受け取り、ガヴィはある時、上手く道筋を整えてから坊ちゃんをその書架妖精に引き合わせてみた。
その頃にはもう、書架妖精の守護した子供は、王位を捨ててウィーム領主としての道を歩み始めていた。
代理妖精の手腕でもあるが、ヒルドが闇に紛れてその道筋を掃除していたこともガヴィは知っている。
そのことを思えば、あのシーが不憫に思えた。
自分の主人を誰よりも愛しく思えないと、代理妖精の仕事は苦痛なものだ。
あのシーは、特にそういう気質の男だろう。
(元第二王子の代理妖精にこそ、なりたかったのだろうに)
その側に居なければ、守ることも愛することも難しい。
どんな話し合いの下に、自分を連れ出すことをあの子供に諦めさせたのか。
もしかしたら、子供自身がそれは叶わぬ夢だと諦めたのかも知れない。
だが、そうして王都から逃してやったことで、彼は愛する子供と共に生きる機会を永遠に失ったのだ。
そして、ガヴィの大事な坊ちゃんと言えば、矜持をずたずたにされたくせに、とても良い笑顔で屋敷に帰って来た。
「ガヴィ、私はダリルに師事することにした」
「おや、それ程にお気に召されましたか。楽しそうで何よりですな」
「………止めないのか?」
「坊ちゃんが決め、望まれていることを私が止めるものですか。止めるとすれば、それは坊ちゃんの行いが坊ちゃんの望まない結果をもたらす時だけですよ」
「やはり、ガヴィに相談して良かった!その通りなのだ。あの方に出会ってから、私は己がどれだけちっぽけな存在だったのかを知り、世界が開けた思いだ。やりたい事が多過ぎて困ってしまうくらいでな!」
大はしゃぎする坊ちゃんを眺め、ガヴィは微笑んで頷いた。
(良かった、良かった)
ガヴィが坊ちゃんに与えたかったのは、こうして目を輝かせて駆け回る森だ。
そして或いは、無常でもあるが魅せられてやまない海のようなものだ。
それがどんなものであれ、心が欲するものを持つ事程、人間が健やかに生きる術はない。
(先代の坊ちゃんは、他国や国内での交渉ごとで、いかに自分の思い通りに転がすのかだけに生き甲斐を見出していらっしゃる)
穏やかで気弱そうに見えるが、その実、清々しいくらいに腹黒く歪んでいる。
しかし、とても楽しんで生きているので、ガヴィとしては嬉しい限りだ。
国政という最高の玩具を与えられ、ちっとも思い通りにならない駒達を動かすのが楽しくて堪らないらしく、難問に直面すると笑いが止まらなくなるという一面がある。
そんな彼もまた、ガヴィの自慢の坊ちゃんだ。
「ガヴィ、ヴェンツェルとエーダリア殿を狙った陰謀があるらしい。ウィームの歌乞いを一晩預かることになった」
「おや、坊ちゃんの大事なダリルのお気に入りのお嬢様ですね?」
「そうだ。リーベルの方が先に関係を深めたようだが、出会ったのは私の方が先ではないか!今回のことを機に、あの男より信頼されてみせるぞ!」
「リーベル様であれば、そのお嬢様から箱いっぱいの豆の精を贈られたらしいですね」
「お前達も知っているか。あれは、実に痛快だった!」
「なかなか気の利いたお嬢様ですね。きっと、坊ちゃんとは気が合うのでは?」
「そうだな。………だが、スープの精の時は、………いや、良い関係を築けると思う」
一度坊ちゃんに、そのダリルのお気に入りのウィームの歌乞いは競争相手にはならないのかと尋ねたことがある。
しかし、彼女はあくまでもお気に入りの同僚に過ぎず、弟子ではないのだと大真面目に返された。
坊ちゃん的には、大好きな書架妖精が敵と向い合うその時に、そんな師の隣に立つという権利を奪い合う相手以外は、嫉妬や羨望の対象ではないようだった。
「……近頃では、弟子の中に水竜も増えたからな。何とかして、これ以上私の持ち分を奪われないようにしなければ」
「大丈夫でございますよ。水竜は一見、飛び抜けて個性があることで危機感を煽りますが、水竜だからこそ出来ないことも多いでしょう。決して坊ちゃんの代わりにはなり得ません」
「………そうなると、やはり邪魔なのはリーベルか」
あの頃、代理妖精殺しで将来性を懸念されていたガーウィンの子供は、ダリルの側で坊ちゃんと才能を競い合う仲間になったようだ。
かつて、この子供なら坊ちゃんの良い遊び相手になると思った子供なので、ガヴィは少し感慨深く現状を受け止めている。
同じく同年代である第一王子とも友人と言える関係を深めるに至ったのは、ダリルと知り合ったことで坊ちゃんに精神的な振り幅が増えたからだ。
表面的な家同士の付き合いを超えて、今では悪友に近い関係を築いており、ガヴィはとても喜んでいた。
彼もまた、坊ちゃんと上手く仲良くなってはくれまいかと考えていた同世代の天才の一人なので、二人が仲良く国のことを語っていると微笑ましく眺めてしまう。
(やれやれ、今代は難しかったが、ダリルがいたことで上手く回ったか……)
盤上では悪手に見えても、結果としては局面を回して新しい風を吹き込む駒がある。
坊ちゃんをダリルに任せていると言えば、大抵の代理妖精達は眉をひそめてガヴィレークも老いたものだと失笑される。
だが、坊ちゃんは部屋から出て来て感情を動かす健全な若者になったし、持て余していた自分の頭脳で考える事を楽しみ始めていた。
(それに、あの書架妖精は坊ちゃんのこの趣味を笑わなかった)
レース編みやパッチワークも、陶器の人形や花柄の布地の工房名も、その全てはダリルにとっては知識の一欠片。
他の者達がにわか仕込みをしても、嗜まないからこそ深くは理解しきれない坊ちゃんの強みとして、いい趣味だと褒めてやったらしい。
やはり、ガヴィが見込んだ通り、ダリルは今代の坊ちゃんには合う相手であったようだ。
(先代の坊ちゃんだったら、同族嫌悪でぶつかるだろう…………)
更にその前の坊ちゃんなら、ダリルなんかと会わせたらショックで倒れてしまうだろう。
だからこその、巡り合わせの妙である。
「こやつは何でしょう?」
そして今夜、ガヴィの大事な坊ちゃんは、ガヴィも初めて出会う恐ろしい狩人と相対していた。
確かに一般的な淑女とは違い、けれどそれは聡明さとか覇気ではなく、かといって天真爛漫という訳でも、強さでもない。
不思議な彩りの人間の子だと思っていたが、ダリルを以てしても予想不可能と言わしめるだけの才能を、その子供は惜しみなく披露してくれた。
「ま、待ってくれ!どうしたらそんなものを狩れるんだ?!」
「あら、地面がもぞりと動いたので、ていっと飛び乗ったら上で跳ねているうちにお亡くなりになりましたよ?」
「そ、それは土渡しだ。………貴人の暗殺用に使役される辻毒の一つで、地面に擬態し上を歩く者を喰らう大地の魔物だ。……ガレンでは、高位魔術師相当の対象呪物だぞ?」
「むぅ。生き物ではないのでしょうか?」
「人造的な祟りものだな」
こちらを見た坊ちゃんに、いささか呆然としたまま頷き返す。
宰相家の敷地内にいたのだから、これは家族の誰かを狙ってしかけられた罠だったのだろう。
しかけた相手も、こうもあっさり滅ぼされるとは思いもよらなかったに違いない。
「それと、手に何を持っている?」
「む?………こやつは、出会うのは二度目のぺらぺらリボン生物です。今回も上手く獲れたので、また売り捌く所存です」
「ガヴィ、あれはまさか………」
「カワセミですな………。それと、向こうの木の根元に積んであるのは、貂の魔物と、どこかの代理妖精でしょう」
「代理妖精…………」
じっと視線で問いかけられた少女は、首を傾げてからああと笑顔になった。
「槍を持った妖精さんが、宰相の息子はどこだと荒ぶっていらっしゃったので、脛を蹴飛ばして倒しておきました。ヒルドさんはよく羽の付け根を持って運ぶのですが、やってみようとしたら意外に重かったので、あそこに捨ててあります。目が覚めた時にこっそり逃げないように、べたべたして臭かった謎の毛皮生物をお顔の上に乗せておきました」
そう微笑んだ歌乞いは、リズモを見付けて駆け出して行ってしまう。
二人で木の根元の妖精を調べに行くと、最近、坊ちゃんがお家断絶に追い込んだ汚職まみれの地方伯のところの代理妖精だった。
顔の上の貂の魔物は臭い粘液を出すので、意識を失っていても気分は最悪だろう。
「何で槍を持った妖精を、蹴りで倒せるのだ?」
「ウィームの歌乞いでなければ、是非とも奥様に欲しい逸材でしたな」
「や、やめてくれ!何をしでかすかわからないではないか。恐ろしくて気が休まらない!」
「今、ここまで優秀な婚約者候補を、エーダリア様がなぜ手放してしまったのか考えておりましたが、そういう理由なのかもしれませんね」
「であれば、私は全面的に同意するぞ!倒した土渡りを笑顔で引き摺ってくる少女だ。おまけに、ダリル曰く、ドリーすらも狩ったことがあるそうだからな……」
「ドリー様を」
少し考えてから、坊ちゃんにはくれぐれもあの少女の敵にはならないように言い含めておいた。
「いいですか。暴動は防げますが、嵐は防げません。ごく稀にではありますが、人間の世には、そのような野生の嵐にも似た子供が産まれることがあります。くれぐれも、ご注意下さい」
「わ、わかった。長生きをしているお前が言うと、いやに重いな」
「私も、あのような子供を見るのは生涯二度目ですからね」
「寧ろ、最初の人間がどんな者だったのか気になるな……」
「聞かない方が宜しいでしょう」
「そこまでか…………」
(ヒルドは、あの子供に耳飾りを贈ったらしい)
決して自分のものにならないのだとしても、まるで家族のように共に暮らしているのだという。
そこには最愛の子供であるエーダリア元王子もいて、ヒルドは奇跡的に第一王子の恩赦と運に恵まれ、今や自由に最愛の子供の代理妖精としての仕事をしている。
しかし、そう言えばあの歌乞いの少女は微笑んで首を振るのだ。
「いえ、やはりエーダリア様の代理妖精さんは、ダリルさんなのです。そこにはお二人が築き上げた信頼や時間があり、ヒルドさんはどちらかと言えば頼りになるご家族のようなものでしょうか」
「おや、代理妖精としては頼りないですかな」
「と言うより、ヒルドさんご自身も、エーダリア様やダリルさんも、大切過ぎるからこその弱さをわかっているのでしょう。いつもはエーダリア様とヒルドさんがべったりなのに、いざという時にはダリルさんを主軸にして代理妖精さんとして助けて貰っています。私自身のことでも痛感したことがありますが、ダリルさんのように一歩引いて客観的な策を立てて下さる方がいるというのは、なんと心強いことでしょうか」
それはあのシーの気質に見合った評価であったので、恐らくその通りなのだろう。
己の弱さを理解し、書架妖精とも上手くやっているようだ。
そしてそんな役割分担を周囲の者達が理解しているというのも、とても良い状態であった。
だがもし、その家族のような相手が失われたら、彼はその先はどうするのだろうか。
そう考えてしまうのは、いつか自分より先に死んでしまうたった一人の主人ではなく、家そのものに付いた代理妖精としての懸念だ。
夜の私有地の森を駆け回り、何かを狩っている少女を見ながら考える。
もしかしたらだからこそ、ヒルドはあの少女なら安心して羽の庇護を与えられるのかも知れない。
指輪が与えられた相手が失われることを、高位の魔物が決して許す筈もないからだ。
(あれは良い男だ。王の身で隷属など、どれ程の不遇かと思ったが、やっと良きものを手に入れたな……)
かつて、ガヴィレークの伴侶と子供達を奪ったのは、高慢で冷酷な光竜であった。
その光竜を滅ぼした妖精の一族の最後の王が、どうか幸福であれと密かに願う。
「見付けました!ココグリスです!」
「も、持ち方をもっと優しくだな!」
「むぅ。逃げられては元も子もないので、今は鷲掴みが一番では?」
やがて歌乞いがココグリスを捕まえて帰ってくると、坊ちゃんは極度の不安から震えが止まらなくなったようだ。
あまりにも怯えているので、そのココグリスを決して坊ちゃんの前で握り潰したりしないようにと言い含めれば、歌乞いの少女は複雑そうな顔で頷いている。
擬態用の毛染め魔術で紺色にされたココグリスは、優しい坊ちゃんに防壁魔術を重ねがけして貰ってかなり懐いたようだ。
しかし、ココグリスは夏の終わりになると物凄く喧しくミーンと鳴くので、出来れば飼わないで貰いたいと思う。
その後、事態が収拾した坊ちゃんがやけに疲れた顔をしていたので、ガヴィはいつものきりりと冷たいアイスミルクティーを出しておいた。
後継ぎの気配はまだないので、当分はこの坊ちゃんの面倒を見られるに違いない。