150. 協力者には個性があります(本編)
鬘を毛染めして桜色髪に擬態したネアは、いつもより乙女感十倍で厨房の扉をそろりと出て、濃紺色と桜色でうっかり呪いにかかった風ダナエに偽装させたムグリスディノを連れて外に出た。
双方あれこれややこしいが、設定は細かく作る派なのだ。
そんな鬘を被る際に擬態された自分の顔を鏡で見たが、見たことのない華やかな顔立ちの少女に鏡の中から見返され、不思議な気持ちになった。
もはやムグリスとは呼ばせない憧れのファンタジー風髪色のネアは、竜など狩れないくらいに繊細という感じを演出しつつ王都の高級複合商店の廊下を歩く。
その内の一つ、一番角にある高級陶磁器の店に入れば、美しい女性店員が待ち構えていた。
「贈答用のお品ですか?こちらでご案内します」
慇懃に一礼されて奥の個室に連れ込まれ、重そうな対魔術の扉をくぐれば、絢爛豪華な貴賓室がある。
(すごい。………ウィームにはない、金ぴか具合だけど、これはこれで華やかで綺麗だわ)
真紅と黄金を基調にした、王族並びに高位貴族向けの個室である。
現在は、王家並びに公爵家、各領主に、他国の王族の買い付けにのみ開放される幻の部屋らしい。
そしてその部屋には、ダリルの指定通りに既に頼もしい協力者が待っていてくれた。
短い緑がかった黒髪の男性で、淡い灰色の瞳が冴え冴えとした叡智を映している。
剣を振るう代わりに知識を武器としそうなタイプの端正な面持ちだが、こちらの世界には見るからにインドアという感じのエーダリアでもどかんと前線業務が出来てしまう魔術というものがあるので、あまり第一印象は当てにならない。
「ウォルターだ。まずは、無事に辿り着けたことが重畳。ここは完全遮蔽の安全な部屋ではあるが、堅苦しい挨拶は後にして排他結界内にある屋敷に向かおう」
椅子から立ち上がって王都風に優雅な一礼をすると、合理的な男性らしい口調でそう提案したのはダリルの伝手で今回力を貸してくれる、宰相家のご子息である。
第一王子の親友で、なぜかウィームの書架妖精の忠実なる弟子という、不思議な肩書きの人だ。
しかも、一般的には、王都では第一王子の次に魅力的な人間の独身男性と言われているらしい。
でもネアは、その顔を見上げてまた違う理由で目を丸くする。
「まぁ、………スープの精の時の方ですね?」
「………覚えておられたのか」
「あれは、少し感慨深い体験でしたから。この世界には何ておかしな生き物がいるのだろうと、スープを飲むときには警戒するようになりました」
ネアは、懐かしい再会にほわりと相好を崩した。
どんな人だろうと不安もあったので、一度でも話したことのある相手でほっとしたのだ。
今日は見事な織り艶のある小豆色の盛装姿で、王都で生活している貴族のご子息という感じがひしひしと伝わってくる。
お洒落な黒ぶちの眼鏡をかけているのは、これも変装の一種だろうか。
「まずは、こちらに来てくれ。私と一緒でないと転移出来ないようになっている」
「はい。ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いいたします」
乙女感十倍なので、きちんと可憐に頭を下げたネアに、ウォルターはなぜか意外そうな顔をした。
だが、すぐに気を取り直して紳士らしく手を差し出してくれる。
「……あ、少々お待ちくださいね。……ディノ、この転移でこの方を損なうような条件付けはしてませんよね?」
「キュ………」
「大丈夫でした。参りましょう」
初めて一緒に転移をする人なのでそう確認すれば、どこか不貞腐れたような肯定の返事が返ってくる。
鳴き声の出所にウォルターがぎくりとしたが、ネアは微笑んで頷くと強引に誤魔化した。
エスコートに慣れた男性らしく、ネアの手を腕にかけてくれたウォルターは、小さな詠唱をかける。
今まで無言でひょいっと転移してきた魔物達に慣れていたネアは、一瞬気が抜けそうになってしまってから、これが普通なのだと思い直した。
転移を出来る人間はそもそも珍しいし、出来るとしても詠唱は必須だろう。
詠唱が終わると足元がぺかりと輝き、ネア達は無事に可愛らしいお屋敷の前に立っていた。
発動するまでは違えど、転移そのものは変わらないようだ。
(………いや、変わるのかも)
少しだけ荒い運転に巻き込まれたような乗り物酔い感が残り、ネアはむむっと眉を顰める。
やはり、潤沢な魔術を用いて日常的な足として転移を使う生き物達と、人間の扱う魔術は違うようだ。
市販の転移門を使うたびにネアが着地で不安定な思いをするのも、転移の質の差を理解していなかったからかもしれないと、やっと思い至る。
「ここだ」
「……お庭も綺麗に手入れされているのですね」
ネアが少し驚いてしまったのは、そのこぢんまりとした可愛らしいお屋敷が、ふんわり可憐系な奥さんの理想のお家的、ほっこり仕様だったからだ。
お庭には丁寧に花が植えられて管理されており、庭木というよりは鉢植えの花々が好まれている。
クマさんの如雨露に、陶器のユーモラスな家鴨の置物。
窓には小花柄のカーテンがかかっていた。
(こういう家庭的な雰囲気にして、周囲の目を欺いているのかしら)
そう思って家の中に案内されたネアは、外観以上に丁寧に管理された屋敷の内装に目を奪われる。
レースやフリルがここまで多いと少し緊張するが、大事にされている家だとよく分かった。
「この部屋を使ってくれ。浴室もあり、内鍵がかけられるから安心していい。ダリルから、日常の支度は自分で出来ると聞いているが、問題ないだろうか?」
「ええ。身の回りのことも着替えも自分で出来ます。ただ、洗濯だけは魔術稼働域が足りなくて出来ないのです」
「失礼だが、魔術稼働域はどれほどなのだ?」
「……六です」
「六十か。確かに低いが、それならこの道具を使って…」
「十倍にしてはいけません。ただの六なのです」
「…………六?!」
あまりにも驚くので、ネアはじっとりとした目になった。
頭が蒸れないように鬘を取ると、すっかり乙女感倍増の効果も薄らいでしまう。
「六である自分を受け入れ、健やかに生きております」
「そ、……それは、失礼した。六、…………六か」
「しかし、そろそろ心が折れそうなので、あともう一度でもその数字を復唱したら、暴れ出す予定です」
「……よし、話題を変えよう。まず、疲れているところを申し訳ないが、君が見たという今回のことの関係者の特徴を教えて貰いたい」
次に案内されたのは、応接間のようなこれまた可愛らしい部屋だった。
テーブルに活けられた花や、マントルピースの上の陶器の人形など、ある意味趣味は統一感がある。
ネアはどうしても気になってしまったので、かまをかけてみた。
「可愛らしい陶器のお人形ですね。色合いがほんわりしていて素晴らしいです」
「………だろう?あれは、アルザノートの窯のものでな。毎年競り落とすのだが、苦労する」
「まぁ、そうなのですね。やはりウォルターさんは、色々なものをご存知なのですねぇ」
(………と言うことは、このいかにも手作り感があるレースのテーブルクロスは……)
ある程度の確信があったが、ネアはそちらまで掘り下げるのはやめておくことにした。
宰相の長男にどんな趣味があろうと、ネアには関係のないことだ。
「キュ!」
男性を褒めたせいか胸元から顔を出したムグリスディノが荒ぶったが、ネアはよしよしと撫でて宥めてやった。
ムグリス状の生き物を初めて目視して、ウォルターは瞠目している。
「あ、ダリルさんから伺っておられませんか?現状私の魔物は、呪いでこんな風になってしまっておりまして」
「…………愛らしいな」
「むくむくもふもふのお餅感がたまらないですよね」
「キュ?!」
そろりと中毒患者のような目で伸ばされた手に、ムグリスディノは慌てて服の中に隠れてしまった。
手を差し出したウォルターは、はっとしたように我に返ると、慌てて眼鏡を押し上げて誤魔化している。
彷徨ってしまった片手を誤魔化すには無理のある動きに、ネアはあらあらと微笑んだ。
もしかしたら、可愛いもの好きは秘密なのかもしれない。
「後でココグリスを狩る予定ですので、一匹余分に捕獲して来ましょうか?」
「コ、ココグリスを?」
悪魔の囁きに飛び上がってしまってから、ウォルターはざっと顔色を悪くした。
何とか体裁を取り繕おうとして諦めたのか、小さく溜め息を吐く。
「い、いや。………面倒を見きれないと可哀想だからな。遠慮しておこう」
「では、生贄ココグリスを捕まえてきたらお見せしますので、撫でて上げて下さい」
「生贄にするのか……」
「敵方は、呪いが発動して獣になってしまった誰かがいるのをご存知です。アクス商会で攪乱の為に使い魔用の檻を買いましたので、それにココグリスを入れておいて囮にしようと思っています」
そう言ったネアがさっと見せた正方形の硝子の箱のようなものに、ウォルターはなぜか痛まし気な眼差しを注いでいる。
「そうか。確かにそれで視線を分散させられるのであれば。………だが、………そのココグリスは危なくないのだろうか」
「むぅ。私としても小さきもののことを思うと胸が痛いのですが、大事な魔物と引き換えになるのであれば致し方ありませんので、さらっと諦めている感じでしょうか」
「防御魔術をかけておこう!」
「…………あら。世界は残酷なものですが、ウォルターさんはお優しいのですね」
その後ウォルターは、香りのいい苺の紅茶を淹れてくれて、手作りらしいシフォンケーキにおびき出されたムグリスディノが出てくるのを幸せそうに見ていた。
突然食いしん坊になってしまった魔物に、ネアは、魔物は獣化するとその獣の習性に引き摺られるという結論を出す。
銀狐案件といい、魔物は不思議な生き物だ。
「では、これを使うのですね」
簡単な現状の整理が終わると、いよいよ今度は記憶の共有だ。
ネアは、アクスで買った一枚の羊皮紙を取り出し、包装の油紙の封筒を破った。
「記憶の共有魔術を使うのは初めてだな」
「これは珍しいものなのでしょうか?」
「記憶を開くこと自体、あまり好まれないからだろう。その瞬間の記憶だけではなく、知識や感情を読まれるという偏見がまだ拭えていないようだ」
「仰りようであれば、そういう使い方をしていた時代があるのですね?」
「ああ。元は拷問道具だったからな」
そう言われてネアはこてんと首を傾げたが、他にいい方法もないのだし仕方あるまい。
さくさく進めようとして魔術誓約書を広げれば、少しだけ怯んだような目をされてしまった。
ネアの推理でしかないが、こんな可憐な趣味を持つ御仁なので、この男性は結構繊細なのかもしれない。
「………これは、どうやって使うのです?」
「誓約書自体が術式陣になっているものだ。……流石アクスの商品なだけあるな。曲解されたり、誓約を流用されるような余計な術文がないのがいい。……ここに該当時間を書き、その時間の記憶を共有する。きちんと年号から書かないと、術の縛りが甘くなるぞ」
「ふむふむ。こうですね!」
「その後、双方のサインを書いて終了だ。一度限りのものだから、少し待ってくれ。見たものを書き記すメモを準備する」
「映像を見るような感じではないのですか?」
「追体験のようなものだな。その時間の情報を繰り返し、許可を受けた者がその中に入り込むような感じになる」
「………何だか拷問道具ではなくて、他にいい利用方法も広がりそうな素敵道具ですね」
「そうだろうか?」
「誰かが特等席で見た舞台を、何度も覗き見れるということでしょう?」
ネアがそう言えば、ウォルターはその発想はなかったという顔をした。
商売になるかもしれないと呟くので、素敵な旅行先や、魔術師や騎士のお仕事体験を教材としても使えると提案しておいた。
もしビジネスとして軌道に乗るようであれば、ネアもプランニング料をいただこうと思う。
やがて準備を整えたウォルターが自分の名前を誓約書に書き込むと、その羊皮紙がふわりと光る霧のようなものになり、ウォルターを包み込む。
その間ネアは暇になるので、この隠れ家はどこにあるのだろうと窓の方を見に行った。
「………ほわ、海辺のお家でした」
窓の向こうには、絶壁より先に青々とした海が広がっている。
ここは海沿いの崖の上らしく、屋敷より先には寂れた灯台があるくらいだ。
切り立った崖の上に緑が広がり、その先の水平線を望める絶景の場所だった。
「キュ!」
「まぁ、海の向こうの方が悪天候のようですね。見通しがいいので、あんなに遠くまで見えます」
ムグリスディノが鳴いて示した方を見れば、海の遠くの方で雲が湧き、雷雨となっているのが見えた。
こちらの空は晴れているので、何だか不思議な感じだ。
どす黒い雲の下は激しい雨で霞んでいて、時折稲光が落ちている。
ネアが椅子を一つ引き摺って来てその様子を飽きずに眺めていたら、いつの間にか、紺色ムグリスディノは窓枠のところに乗っかったまま丸くなって眠っていた。
そんなふくふくの毛玉を撫でながら、ほんの少し寛いで穏やかな時間を楽しむ。
ウォルターの面通しが終わったら、一度狩りに行かせて貰って必要な獲物を狩ってこよう。
獣化の呪いを解くという宝石も集めに行きたいし、その為の計画も立てなければいけない。
(ウォルターさんの時間は、明日の十一時まで空けて貰っている。ウィリアムさんとの引き継ぎまでに数時間は空くから、その間に何をするかも考えないと)
敵方が短期決戦で考えているようなので、ネア達にもあまり時間がない。
そう考えながらエーダリアに預けているカードを開くと、何とも困った報告が一つ入っていた。
「…………お馬鹿さんなのだろうか」
よりによってイブリースが、王都に戻って新しく受け取った手紙で呪われたらしい。
お弁当屋さんからのダイレクトメールを装った手紙だったのでいそいそと開封し、何か腹立たしい内容だったのか破り捨てて呪われたそうだ。
検閲のある王宮の郵便事情上、破ると術式が発動する仕掛けだったそうで、あまりにも愚か過ぎて寧ろ愛くるしい行いである。
(………そうか。だから、私の時も破れたことで発動したのだわ)
捨てる手紙は破ってからゴミ箱に入れるイブリースの癖を、よく知った誰かがいたのだろうと言うことだった。
因みにイブリースは真っ黒な太った小鳥になって、今はヴェンツェルに転がされているそうだ。
万が一、イブリースが必要とされる場面があれば、魔術に長けたノアがどうにか擬態して誤魔化せるとのことであったが、それにしても一刻の猶予もなくなってしまった感じがある。
まず一つは、敵方の目論み通りになってしまったということなのだ。
(リーエンベルクの中には、どうやら獣化の呪いはなかったみたい。でも、その代りに、足止めの呪いが敷かれていた……?)
足止めの呪いとは、発動すると引っかかった者がその一定範囲から動けなくなる呪いだ。
生活してゆくにはある程度の空間や施設が必要なので、たいへん恐ろしい呪いである。
どれくらいの可動域を用意されていたのか知らないが、バスルームがその範囲になかったら事故度も高い。
とは言えリーエンベルクの捜索は終わったそうで、もし身に危険が迫るようであれば戻って来ても構わないと言って貰い、ネアはほっと肩の力を抜いた。
“ひとまず、何かあった時に展開が広い方がいいので、今晩はこちらにいますね。もし何も問題が起こらなければ、このまま明日は、解術薬である宝石の捜索に入ります。ディノやイブリースさんを元に戻せば、だいぶ有利になりますものね”
そう答えたネアに、エーダリアは少しだけほっとしたようだ。
今回の件は充分な有事の上に、リーエンベルクは野外音楽祭を控えている。
王都の楽団も来たりと、こちらも事故などが起こらないように準備に気が抜けない行事だった。
(演奏会、見に行きたかったけれどそれまでに終わるかしら……)
明後日までにと考えると、明日の内に全ての結晶石を集め、なおかつ敵を少しだけ行動不能にしてから少しだけでも音楽祭を楽しめたらいいのだが。
そう考えたらそわそわしてきたので、早く終わらないだろうかと思ってウォルターの方を振り返った。
「む!終わったなら声をかけて下さっても……」
いつの間にか霧は晴れており、ウォルターは机に向かって何かを一心不乱に書いている。
歩いて行って覗き込んだネアは、彼がネアが見た部屋の正確な構図を見事なタッチで描きだしていることを知り驚いた。
その絵には文字で注釈も入り、どの席にどんな名前と履歴の人物がいたのか、壁際の騎士や魔術師まで数人特定する程のものが既に出来上がっている。
それなのに、なぜまだ壁の模様まで描くのだろうと考えてしまったネアは、壁紙の模様と扉の位置に注釈を入れ、この場所がどんな建築様式の土地なのか、壁紙の模様からどんな家主がいるのかまでを推測したことに驚いた。
(………すごい。ダリルさんのお弟子さんの中では、よくリーベルさんは天才だと聞いたけれど、この方も凄い人なんだわ)
残念ながら、先に縁のあったリーベルの技術的に天才的なところはあまり感じられなかったが、ネア的には、あのジュリアン王子の面倒を見ながら二人で死者の国を乗り切っただけでも称賛に値するという評価であった。
「………よし。こんなものか」
「下書きもなしに、こんな風に描けるだなんて素晴らしい才能ですね」
「そ、そうだろうか」
「ダリルさんも、ウォルターさんがお傍にいてくれて頼もしいのでは?」
「そうか!」
ダリルの話を出すとウォルターはたいそう喜んだので、なかなかに可愛い弟子なのかもしれない。
だが、現在かけている伊達眼鏡は変装ではなく、ダリルの真似だと知ると少しだけ怖さも追加された。
元々眼鏡が似合う容姿なので悪くはないが、案外自分に似合うものを追及した方がダリルは喜ぶ気がする。
「それと、火薬の魔物さんも愛くるしい小鳥さんにされてしまったそうです」
「イブリース殿が?」
ぎょっとしたように声を上げ、素晴らしい絵画の才能を発揮したダリルの弟子は頭を抱えてしまった。
ネアとはまた違う観点で、王都を基盤とする者にしかわからない形での、火薬の魔物の不在による不利益が見えるのだろう。
ネアはその隙に描かれた絵を覗き込み、中央に座った銀髪の男性が謎のままであることを確認した。
とは言え、高位の人外者に囲まれ過ぎで麻痺したネアの目にはわからなかったことだが、この男性は擬態している人外者である可能性が高いようだ。
(種族とかもわからないのかしら………)
魔物であるアルテアと一緒にいるのだから、やはり魔物の系譜なのだろうか。
しかしそれも、擬態してしまえば正体の特定は難しい。
困ったものだなと考えて、ネアはふと、何か引っかかりを覚えたような気がした。
ヒルドのものと同系色の、瑠璃色の瞳。
しかし何かが決定的に違うのだと思えば、光彩の中に微かな金と孔雀色の混ざるヒルドの瞳と違い、あの男性の瞳にはシアンのような硬質な色が見えたところだ。
基調となる色合いは同じでも、帯びる色味の変化で瞳の表情はだいぶ変わってくる。
傍にいた火竜だという青年は、もっと鮮やかなサルビアブルーの瞳であった。
(あの竜の青年と、同じ海の系譜?でもヒルドさんのように、森と湖の系譜でもああいう瞳の色もあるし、ダリルさんも割れそうなくらいに青い瞳をしてる……)
何かが意識の端を引っ張ったような気がしたが、記憶を整理してみてもその理由は浮かび上がらなかった。
「……それと、この男性は、首のあたりに模様があるのですか?」
「ああ。痣や刻印のようなものかもしれないが、気付かなかったのだな」
金色の椅子の男性の絵をまじまじと見て、ネアはウォルターが書いた注釈に首を傾げる。
詰襟の軍服のようなものを着ていたことは覚えているが、その襟元から覗く痣のような模様には気付いていなかった。
あの部屋はだいぶ暗かったし、ネアには見えなかったのかもしれないが、随分と目立っただろうにという気もするものだ。
「随分特徴的ですので、これがきっかけでわかるかも知れませんね」
「ああ。そうであることを期待したい。ダリルなら、或いは……」
その絵の拡散はウォルターがしてくれるということになり、急ぎ第一王子とエーダリアの手元に同じものを写して送るのだそうだ。
その場に居たネアが逃げ出したこともあり先方も警戒しているだろうが、それでもここまで詳細な情報があれば得るものもあるだろう。
「ウォルターさん、こちらも少し猶予がなくなってきた感がありますので、取り急ぎココグリスを狩り、なおかつ近場にあるらしい、海の神殿に行こうと思うのですが……」
「相手に海竜の血を引く者がいるのが気になるが、火竜の系譜のようなので海そのものにそこまでの危険はないだろう。海の神殿は、海で死者が出ると開くと言われている。また、海の系譜の高位の者の加護がなければ、海底にある神殿までの道を歩けないそうだ」
「そうなりますと、加護を毟り取るのは慣れておりますので、そういうものをくれそうな方はご存知でしょうか」
「毟り取る………」
「はい。私は優秀な狩人ですので」
「ヴェルリアは海と共に生きる都市だ。出来れば、海の高位者を損なわないで貰いたいのだが」
「むぅ。では、籠絡します」
「籠絡………」
「例えば海や森の系譜の力が強過ぎると、対になる土地には行けないのだと聞きました。海の系譜の方には、森への憧れがあるのではないでしょうか。そこで、この立派な森の記憶の結晶石です!」
ネアが首飾りの金庫から取り出したのは、換金用に常に蓄えている宝石類の中にある、カインの森で拾った森の記憶の結晶石だ。
親指大の見事な緑色の石の中には、豊かな熱帯雨林の記憶が揺らぎ、緑の色合いを刻々と変える。
見ているだけで豊かな森を感じられる宝石なので、これはきっと欲しいだろう。
「………ここまで見事なものは、王都でも見たことがない」
「ふふ。それなら、こやつを見せれば思うがままでしょうね」
悪辣な人間がそうほくそ笑んだので、ウォルターは引き攣った顔で頷いてくれた。
それならばと、海のシーがよくいる場所に連れて行ってくれるそうで、その妖精を宝石で籠絡しよう。
海のシーはとても気紛れだが、人間の作る港も好きで、よく船乗り達の出航を眺めているのだとか。
「後は、海で誰かに亡くなって貰うしかありません」
「ま、待て。それはくれぐれも手を出さないようにしてくれ。こちらで手配する」
ネアは船乗りの一人や二人葬り去る覚悟であったので、こちらは慌ててウォルターが手配してくれることになった。
どちらにせよ早めに暗殺しなければならない者や、そろそろ刑を執行しなければならない犯罪者もいる。
ヴェルリアでは、罪人は海に葬り捧げるのが常なのだという。
「…………このお家からは、随分と遠くの海まで見渡せるのですね」
ネアはふと、窓の向こうの海の穏やかさに、明日海に捧げられるかもしれない誰かを思った。
こちらの事情で申し訳ないような気もするのだが、ネアが今迄関わってこなかった政治の澱を見た感もあり、その全てを飲みこむ海の深さを思う。
「ここは、代々我が家の隔離地なのだ。父や兄弟達は寂しい土地だと嫌うが、私は好きでな」
「私は素敵なところだと思いますよ。ただ、海から嵐が来ると、お庭の塩害が心配です」
「それは、代々補填している結界が張り巡らされているので問題ない。宰相家のお産は暗殺の危険が高いので、我が家の子供達は代々ここで生まれたのだ」
宰相の地位は世襲制なのかと驚いたネアに、地位そのものは実力で勝ち取ったのだとウォルターが教えてくれる。
しかし、もう七代も宰相を務めており、だからこそ一族には、宰相家と名乗るだけの誇りがあるのだそうだ。
「まぁ、だからここは優しい雰囲気のお家なのですね!」
「…………あ、いや。内装は私の好みだが………」
「………素晴らしいレース編みに感動するばかりです」
そそくさと話題を逸らしたネアは困ったなと思っていたが、良いタイミングで窓枠で眠っていたムグリスディノが寝返りで落下して奇声を上げてくれたので、その場は何とか誤魔化すことが出来た。
よく見れば、向こうのテーブルには刺しかけの刺繍などが置いてあるのに、どうして気付かなかったのだろうとネアは自分を呪うばかりだ。
返答に仕損じておかしな空気になってしまったせいで、二度とウォルターのこの趣味については触れられなくなってしまったではないか。
その夜、ネアはウォルターと護衛の代理妖精に付き合って貰い、ささやかな狩りをした。
最初はネアの力量を馬鹿にしていた代理妖精は、帰り道ではウォルター坊ちゃんに、この恐ろしい人間の狩人を決して敵に回してはならないと言い含めるまでになった。
そんな恐ろしい狩人に捕まってしまったココグリスは震えていたが、宰相家の長男直々に守護をたくさんかけて貰い、ふるふるしながらウォルターを目で追うくらいに懐いたようだ。
ウォルターの方も情が移ってしまったようなので、ネアは悲しい結末にならないようにと、少しだけ不安を覚えている。
何しろ、この囮を狙ってくる者の中には、魔物の第三席もいるかもしれないのだ。
その夜は、波音の聞こえるファンシーなお部屋で眠りについたが、ネアはアルテアに預けたカードはとうとう開かないままであった。