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森の賢者と海のお土産



森に素晴らしいお弁当屋さんが出来たと教えてくれたのは、森竜の子供だった。


森の奥深くにある大きなブナの木の幹から続く向こう側の空間にある、森の賢者の家を訪れるものはとても少ない。

それも、偏屈だという噂の人嫌いの森の賢者なら尚更だ。


(もっと食べたい………)


あまりにも美味しいと一口分けにきてくれた森竜の子供にお礼を言い、家の中の水晶瓶に溜め込んであった硬貨を掻き集めてそのお弁当を買いに行くことにした。

元々貨幣にあまり興味がなく、森の賢者を祀る社に足を運ぶことも少ない。

家の中にある硬貨は僅かばかりだが、これで二つくらいは買えるだろうか。


昔、森の入り口で拾った水筒に綺麗な湧き水を入れ、首から下げると意気揚々と買い物に出かけた。


久し振りに外に出て驚いたのは、先日の凝りの竜の被害がいつの間にか回復しつつあることだった。

相変わらず森は力強く、受けた傷もまた営みの豊かさに飲みこまれて癒されてゆく。

ぱらぱらと落ちてくるのは、満開の盛りを過ぎた山藤の紫色の花びらだろうか。

緑の香りがふくよかで、咲き乱れる花々も色鮮やかな初夏の森の美しさは例えようもない。


そこでふと、その凝りの竜の問題で駅舎が移動していることを思い出した。

あの子竜が話していた今の駅舎の近くという説明は、仮設の駅舎を指すのだろう。

一瞬切符のことを考えて憂鬱になったが、ブナの森駅から仮設駅までの運賃は無料だと知りほっとした。

運転資金は、災害の復興資金から出されているようだ。



(まだ森の魔術が安定しないということは、凝りの竜の影響が残っているのだろうか)


仮設駅舎を作ったのは、この国のガレンという塔の魔術師達だ。

何やら色々と調査をし、森を治めているブナの木の魔物や、森の妖精や精霊達と話し合っていたらしい。

その上で、本来の駅舎を当面は修復出来ないという判断を出したと回覧板で知った。

よからぬ魔術の混線が見受けられ、長距離列車を走らせるのは危険なのだそうだ。


多くの人々が行き来すると、擬似的な儀式として認識されてしまい、その正体のわからない魔術の強化をしてしまう。

それが悪しきものであれば、毎日人々の精気を上に通し生贄を捧げているようなものだ。



充分に注意しながらお弁当を買いにゆき、無事に二個買うことが出来た。

一個は保存用として状態保持の魔術をかけて家に送っておき、もう一個は列車の中で食べることにする。

あまりにもいい匂いなので待てなくなったのと、百年ぶりくらいに乗った列車を気に入ったからだ。

元々水筒を持って来ているし、他の乗客もさほどいないだろう。


そんな風にわくわくしながら駅にゆけば、明らかにこの近所の住人ではない人間の女の子がいた。

斜めに大きな鞄をかけ、手にはぶ厚い物語本を持っている。

育ちのいい子供がおつかいでもしているようで、微笑ましく思って見ていた。



そんな時だった。



森の奥の方から一人の人間が歩いてくる。

ズボズボッという、長靴が濡れた地面を踏むような妙な音を立てていた。

しかし、森は乾いているのだ。


その男の姿を見て少しだけ不穏なものを感じていると、ベンチに座った少女も不安そうに目を細めた。

人間の子供には時折、危険を無意識に察知する子供が現れる。

その反応も見た上で、よくないものだろうかと警戒することにした。


(あの男の服装は、どこかで見たことがあるような気がする)


しかし、考えても考えても、何が心配なのかわからない。

困ったものだなと思いながら、ひとまずは楽しみにしていたお弁当を食べることにした。

向かいの席から視線を感じないでもないが、あまりの美味しさに夢中になってぱくぱくと食べていると、先程の男がやって来てこの列車は祟りものだと言い出した。


その時、この男が何なのかようやく思い出したのだ。



(誘導人だ………!)


元々線路の走っていない森の住人に、その存在を知る者は少ないだろう。

しかし、三百年くらい前にガーウィンの王都に出かけたことがあり、そこでも見たことがあったのだ。

あの時は女性姿の誘導人で、十五人の人間と一人の妖精が犠牲になった。


残っていたお弁当を味わいながらも急いで食べてしまうと、慌てて列車の正体を確かめれば、確かに廃棄されて今はもう実在しない車両であるようだ。


(大変だ。人間の子を守らないと)


その森で無垢な者が祟りものの犠牲者となると、森には新しい祟りものが生まれてしまうと言われている。

何も知らずに乗り込んでしまった人間の子を守らなければと思って近くにいるようにしたが、幸いにもその女の子はとてもしっかりとしていた。

まだ実感の湧かない恐怖よりも、理解の範囲での対応策を自分なりに考えていたりと、子供が怖がっていなくてほっとする。

ただし、お弁当を狙っていたようなのでそれには驚いてしまった。

昔、隣の木に住みついていた盗み食いの得意なももんがに似ているし、食いしん坊に違いない。



「海が………」


そんな声を耳にして、目を丸くした。

ついつい守らなければいけない人間を放り出して窓に駆け寄ってしまったのは、海を見るのが初めてだったからだ。

森の賢者は、森の系譜の力が強すぎるので、海の領域に近付くのは喜ばれない。

自分の意志で海の領域を冒せば、侵略だと見做されてしまうのだ。

あわいの列車に乗せられてしまったお蔭で、一度は見てみたかった海を見れたのである。



(これが、海………)



どこまでも淡い色の水が広がっており、行ったり来たり砂浜と戯れている。

海辺には見たこともない植物が生えていて、森の系譜ではない妖精の姿も見えた。

そんな穏やかで静かな色を見ていると、この身の毒となる塩の水だとわかってはいても、あの波に指先を浸してみたくなった。


(考えなければいけないことは沢山あるのに)


あの誘導人の思惑から外れ、気付かれないようにあわいの列車から降りる必要がある。

しかし、自分とあの男であれば、人間の少女はやはり同族の姿を持つ者を信じてしまわないだろうか。

森から滅多に出ない自分に、この先で少しでも安全な駅の見分けがつくだろうか等々。


(でも、海がこんなに綺麗だなんて………)


暫く、ただその景色に見とれていた。

こんな幸運はもうないだろうから、忘れないようにこの目に焼き付けておこう。



そうこうしていたら、最初の駅でその子供は降りると言い出した。

びっくりして追いかければ、子供らしい衝動的な言動には誘導人も驚いており、図らずも誘導人の思惑を外れたことを知る。


(すごい!ぶ厚い守護がかけられている)


そして子供の鞄に触れて分かったのは、随分と手厚い魔物の守護がかけられていることだった。

あまりの頑強さに驚いてしまったが、ここまでの守護を幾つも得られる立場であれば、魔物との接触も多いのだろう。

危険に見舞われても落ち着いている理由がよくわかり、また少しだけ安心する。

もしかしたら、魔物と関わるような仕事や家柄の人間なのだろうかと考えて観察すると、少女の指に朝霧のような色合いの乳白色の指輪を見付けてしまった。


(魔物の指輪………)


愕然とした思いで、その指輪を凝視する。

あの色の指輪を与えられるとすれば、それは公爵の誰かに違いない。

その中でも、指輪の含む色や輝きを含め、かなり高位の誰かだ。


とは言え、そんなことに気付いてしまった以上、ますますこの子供は守らねばならないと感じた。

魔物が指輪持ちを喪えば、その被害は祟りものどころの規模ではなくなってしまう。



「葉っぱさん、行きますよ!」



宿泊施設を探すという子供に頷いたのもその為だ。

宿を取るような資金は持ち合わせていないが、あの誘導人までついて来てしまった以上、絶対に一人にするわけにはいかない。

渡すものかと間に割り込めば、自分の正体に気付いたとは思わないのか、嫌そうに後退していた。


一説によれば、誘導人は獲物に殺された魔術師の成れの果てで、自分が何をしているのかをきちんと理解していないまま、あわいの列車で獲物を運んでいるのだと言う。

無自覚に獲物を誘い出し、列車に乗ると己の役目を思い出すのだ。


おまけにこの誘導人は慌てて列車から飛び降りて獲物を追いかけて来たので、大事なランタンを置き忘れていた。

誘導灯から離れた誘導人は初めて見たが、あのランタンがない分、本来の役目がわからなくなっているのだろうか。


(でもあの時、この誘導人は、どこへ人間の子供を攫おうとしていたのだろう?)


誘導灯があのまま列車に残されていたと言うことは、誘導人がここで獲物を引き止め、あわいの列車はまたこの駅に戻って来るような気がする。

よくわからない海から上がって来るものとやらをやり過ごしたら、人間の子供は家に帰ろうとするのだろう。

その際に、今度こそ絶対におかしな列車に乗せないようにしなければ。


(この駅に待っていた穢れよりも、もっと厄介なものが先の駅にあったのだ)


この駅にも既に、怖くて膝が震えてしまうような生き物が近付いているようだ。

森の系譜の自分が対処できる筈もない海の系譜のおぞましい生き物で、やはり人間の子供を好むような悪しきもの。

一般的に誘導人はより高位の穢れに獲物を斡旋するそうなのに、随分な穢れを纏う一駅目は目的地に設定されていなかった。

であれば、もっと厄介な依頼主がいたということになる。


そんなことをあれこれ考えながら見てゆけば、人間の子供は、思ってたよりもずっとしっかりしていた。

きちんと町の住人に情報を得てから行動するかと思えば、忌み事の日で警戒心の強くなっている町人達を不審がらせるような質問はしない。

あわいの列車に運ばれた贄だと知られれば、これ幸いと海に放り込まれてしまう可能性もあったのだが、それを悟らせるような言動をしないことにまず感心した。


その上、貴賓室しかないという恐ろしい言葉にも落ち着いて対処をし、銀貨三枚しか持っていない自分に部屋を分けてくれるばかりか、食事もふた品頼んでいいという。


(ふわふわの卵をかけたトマト味のご飯に、ソースとして牛肉のシチューがかかってる………)


うっかりメニューを先に見てしまい、あの森では滅多に食べられないご馳走に注意力が散漫になってしまう。

気を取り直して、部屋の窓のカーテンの隙間から徐々に風の強まってきた海の方を覗き見て、あらためて警戒心を高めようとした。

海がそこにあると思うだけで少し弾む心と、あまりにも強い穢れが上がってくる沖の方への恐怖心がせめぎ合い、慌てて水筒の水をちびちびと飲む。


(水筒を持って来て良かった)


試しに蛇口を捻ってみたが、やはり海の系譜の力の強い水で、真水ではあるが好ましくはなかった。

そういう意味で、あの子供がレモネードを頼んでくれてほっとした。

果実の汁や茶葉など、大地の恵みを溶かし込んだものであれば安心して飲むことが出来る。


(あの子の家族は心配していないだろうか)


今度はそんなことを考えた。

ずっと昔、森で行方不明になった子供を探していた人間の親を見たことがある。

子供は既に川の魔物に取られてしまっており、小さな靴だけが残された川辺で泣いていた。

あの慟哭は胸を切り裂くようで、今思い出しても息が苦しくなる。

大事にしていた小鳥の妖精が疫病の精霊の悪戯で死んでしまった時のことを思い出して、涙が出そうになるのだ。

また思い出してしまって涙目になると、慌ててもうすぐ食べられるふわふわ卵の料理について思いを馳せた。


そんな風に、あえて心を緩めていたからだろうか。


宿の従業員がワゴンで料理を運んできたので子供の部屋をノックして、出てきた白持ちの魔物の姿に衝撃を受けて、ふっと意識を失ってしまった。



次に目を覚ました時、王と公爵は擬態をしてくれていたが、それでも彼等が誰なのかわかってしまった。

本来であればそんな高位の二柱に謁見していることも大問題なのだが、何よりも恐ろしかったのは、人間の子供が王を縄で繋いでいるところだ。

時折その縄を容赦なく引っ張って王を操作しているので、無力な子供だと思っていたこの少女は、とんでもない魔術師か何かなのかもしれない。

気配が同じであるので、あの指輪は王のものだとわかった。

つまり、王が指輪を捧げてしまうくらいに偉大な人間なのだろう。


そんなとんでもない生き物を見たことがなかったので、怖くて仕方ない。

絶対に怒らせないように服従の姿勢を見せたかったのだが、ベルを受け取ってはくれなかった。



その場を何とかやり過ごして部屋で美味しいご飯を食べてしまってからふと、王と公爵に誘導人がいることを伝えなければいけないと思い至る。


(…………でも、あの子供が、部屋にいない時にしよう)


やっぱり怖いので、食べ終わったら入浴すると話していたのを思い出し、慎重に機会を図ることにした。


そんな気弱さを見透かされたように紅茶を届けられてしまいぎくりとしたが、誘導人の目を眩ませる為に排除術式を敷いていたところだったので、遊んでいないで頑張っている姿が見せられたのは不幸中の幸いだ。




やがて待ち侘びていた機会が訪れ、いそいそと部屋の扉を叩いた。

入ってもいいよと答えたのは、公爵の方だろう。

王も公爵も忘れているだろうが、何百年も前に一度だけ舞踏会で挨拶をしたことがあった。

あの時はまだ枝の階位であったが、なぜか塩の魔物には宣戦布告されたものだ。

びっくりして逃げ出してしまったので事なきを得たが、自分が塩の魔物のお目当ての女性に求婚されたので、それはそれは怒っていたと聞いた。


「ご、ご無沙汰しております。トトラです」


魔物同士であれば、言葉が通じる。

そう挨拶をすれば、二人は目を瞠って顔を見合わせる。


「ありゃ、会ったことがあるんだ」

「みたいだね」


宣戦布告した塩の魔物もこんな感じなのかと少しだけしゅんとしたが、覚えていないのも当然かも知れない。

仮にも王であり、公爵なのだから、彼等に擦り寄る者達はどれだけの数だろう。

一度だけ挨拶をした伯爵位の魔物など、すぐに忘れてしまったに違いない。


「何の用だい?」


そう問いかけたのは、万象の魔物だった。

まさか王から声をかけられるとは思わず、びっくりして竦み上がってしまう。

そのまま直立不動になっていると、塩の魔物が小さく笑う気配がした。


「そこまで怖がらなくてもいいよ。ネアは君を気に入ってるし、シルは昔のシルとは少し違うからね」

「………もっ、申し訳ありません。ええと、………」


そこでふと、まだ外皮を剥いていないままであることに気付いてぞっとする。

森の賢者と呼ばれる魔物は、こうして葉を纏うようになると満月の夜にはその外皮を脱いで、人型の魔物になることが出来る。

であれば、王達と同じ人型の魔物になって挨拶をするべきだったのだ。


「か、皮を脱ぎます!」


慌てて外皮を剥げば、実にすっきりとして視界も開けた。

この姿の方が視野も広がるし、何しろ体が動かし易くなる。

今日は満月なのだから、最初からこうしていれば人間の子供とも話せたのだと、今更ながらに気付いて落ち込んだ。


「…………ありゃ、そんな外見なんだ。僕達の前ならいいけど、あの子が来たら上を着てね」

「……?はい。着ます」

「ゼノーシュに似てるね……」

「シルも思った?大きさは随分違うけれど、ネアが見たら、絶対に気に入る容姿だよね」


よく分らないが、伴侶に対して魔物は狭量である。

この姿があの少女のお気に入りの誰かに似ているとわかり、慌てて何度も頷く。


「用事があったんだよね。すぐに聞くよ!って言うか、ネアが出てくる前に早く済ませちゃおう」

「はっ、はい!実は、この宿の中に、あの子供をあわいの列車に導いた、誘導人がいるんです。念の為に目眩ませの術を敷いていますが、まだ諦めていないようなのでご相談しなきゃと思いまして」


そう言えば、王と塩の魔物は驚いたような顔をした。

誘導人は人間の祟りものなので、非常に気配が曖昧である。

こうして人間が沢山いるところに紛れてしまうと、見付け難いものであった。



状況や経緯を話していると、王達は、他の獲物達のことも運んでいる列車から、あの子供と自分が降り、難を逃れたのだと思っていたようだ。


(確かに、列車がその先に走っていったとだけ聞いていれば、そう思ってしまうかも)


巻き込まれただけではなく、自分達の子供こそが標的だった可能性が高いと知ると、二人はとても怖い顔になった。



「………それで、あの子はこの駅に呼ばれたのかい?」

「いいえ。もっと遠くに連れて行こうとしていました。あの子が賢明にも、最初の駅で降りてしまったので慌てていたようです」

「でも、誘導人もここにいるんだよね?……ってことは、列車を引き返させて、もう一度乗せるつもりかな?シル、潰しておいた方がいいかもね」

「一度出会ってしまった以上、今回は逃れてもまた呼ばれてしまう可能性がある。その誘導人は排除しておこう。…………もしかして君は、だからあの子の側にいたのかい?」


その王の声は不思議そうな響きを帯び、少しも怖いものではなかった。

また夢中で頷いて、どうしてあの子供についてきたのかを説明する。


「最後に列車に乗ったのは随分前で、私もあれが何なのか忘れてしまっていたんです。乗ってから、誘導人を持つ、あわいの列車だとわかりました。私はともかく、森を訪れてくれた人間の子供を一人にすることは出来ないので、せめて傍にいようと思って」


まるで腕に自信はないが、最悪の場合はあの銀色のベルを鳴らせばいいのだ。

周辺に甚大な被害を生むにせよ、子供の耳は塞いでおいてやればいい。


「だからあの子は、君が傍にいて心強かったと言ったのか………」


そう呟いた王の声は、やはり穏やかでどこか無防備な感じがした。

正直、あのしっかりした子供が本当に自分をあてにしていたかどうかは今となってみれば怪しいと思っているが、そのように言及されていたことで、王の印象ががらりと変わったのは確かなようだ。


そう思ってほっとしていれば、万象の王がじっとこちらを見た。


ひたりと沈みこむ精神圧は、天を覆う空の夜明けの色のような何とも言えない不思議な色合いだ。

わけもわからず跪きたくなり、その指先に口付けられるならなんでもすると思いかけて、ああ、これが王というものなのかとはっとした。


あの賑やかで目まぐるしい舞踏会の夜とは違い、ここにいる王が自分だけをきちんと見つめているからこそ感じる畏怖であり、思慕なのだろう。

そして王は、少しだけ悩む素振りを見せてから、小さく頷いた。



「あの子が無事で良かったよ。有難う」


「……っ!!」


びっくりして息が止まりそうになった。


「シル?!どうしたの?」


塩の魔物も驚いたようで、あろうことか王の肩を掴んで揺さ振っている。

がくがくと揺さぶられながら、王は首を傾げて複雑そうな顔をしていた。


「さっき、ネアに言われたんだよ。私がいない間にノアベルトが傍にいてくれたのだから、自分も後でお礼をするけれど、きちんとお礼を言うようにって」

「えっと、まず気になったのは、僕はシルからお礼言われてないってことだけど?!………もしかして、その言葉を考えて、森の賢者にお礼を言ったの?」

「うん。………ネアは転移門で迎えに来てくれると思っていたから、……まさかこんなことになると思っていなかったんだ」

「まぁ、僕達みんな、君の城に転移門なんかで入れるとは思わなかったからね」

「勿論、あの子だけの権限だよ。転移門を使いやすいようにする為に、地図をつけたのだけどね」

「うわぁ、ごめん。あの子が城までの道を辿れないことにすら気付いてないまま、あんな地図をつけたのかと思ってた………」

「………転移門を使うただそれだけのことだと思っていたのに、そんなに危ない目に遭っていたなんて………」


心なしか、王は項垂れているようであった。

指輪を持った相手が自分の目の届かないところで危険に瀕していたのであれば、それはきっと心苦しいことであろう。


(そう言えば、あの子供は“家出した身内を迎えに行く”って話していたような……)


どのような事情かはわからないが、王が目を離した隙のことだったのだろうし、それは王自身の不手際だったのかもしれない。

であれば、自分の返答はただ一つであった。


「私は傍にいただけのことしかしていませんが、王の大事な子供が無事で良かったです」


そう言うと、万象の魔物は小さく頷いた。

心からの安堵と微かな愛おしさを滲ませた仕草に、何とも微笑ましい気持ちになる。

こんな風にあの子供を想って唇を綻ばせるとき、王の目はひどく優しい色になるのだ。

それはとても不思議で、そして何だか素敵なことだと思って嬉しくなる。


腰に結ばれたまま垂れ下がっている縄がどうしても気になってしまったが、あの子供は、王の個人的な趣味だと話していたので追及するのはやめておこう。

世の中には、様々な愛情の形があるのだ。



(いつか、ブナの森の美しいところばかりを案内しよう)



そう思えば楽しい気持ちになる。

人見知りで出不精とは言え、自慢の森なのは間違いない。

そこに、王や公爵が訪れてくれるだなんて、例えようもない程の喜びだ。


夜中ずっと海からの穢れが這いまわる音が聞こえて恐ろしかったが、大きな収穫を得られた奇妙で素敵な一日でもあった。

転移も出来るのだが苦手だったので帰りはブナの森まで送って貰い、大きく手を振って一晩だけの不思議な仲間達を見送る。



ざざんと、波音がまた耳の奥で蘇った。

あの静かな美しさを思い、深い森の底では本の中からしか見れない特別な景色を思う。



(あわいの列車で海に行って、王と公爵と同じ部屋に泊まって………)



実はあの後、誘導人を滅ぼしに行った王達から、標的は塩の魔物の方だったのだと聞かされた。

仮設駅舎の外から獲物を物色していた誘導人は、高位の魔物が人間の子供の鞄に忍び込むのを見ていて、大きな獲物を苦労せずに捕らえる好機だと思ったらしい。

魔術可動域のやけに低い人間と、よくわからない葉っぱの塊はどうでも良かったのだとか。


目的は人間より鞄の中身だったと白状した誘導人は、慌てた塩の魔物が滅ぼしてしまったらしい。

森の賢者は立派な魔物なのだが、魔物だと気付いて貰えなかったのは少し悲しかった。



ざざんと、また揺れる波の色を思い浮かべる。

せめてもの思い出にと、みんなで朝一番でテラスで朝食を摂った。

潮風があたると表皮がただれてしまうのだが、王が結界で囲ってくれたので気兼ねなく海の景色を楽しめた。


海に出て行く漁船が遠くに見えて、とても素敵だった。

朝の海はまだ波は高かったが、とても優しい色で目に焼き付いている。




宿の土産物売り場で買って貰った貝の置物は、一番の宝物になった。



とても綺麗でじっと見ていたら、子供が買ってくれようとしたのを慌てて王が代金を支払ってくれたものだ。

数少ない森の友人達が訪れると、みんなでこの貝殻を囲んで海に想いを馳せる。

もう二度と行くことのないあの海には、こんな綺麗なものが沢山あるのだろう。



綺麗な檸檬色の巻き貝の置物は、今日も飾り棚の上できらきらと輝いている。









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